2015年6月11日 (木)

古代の歴史が動いた現場はここだ!飛鳥の都

先日、ユーラシア旅行社の奈良のツアーに行ってきました。

「青丹よし奈良の都は咲く花の匂ふがごとく今盛りなり」と詠われた奈良。その言葉通り、5月の奈良は花で美しく彩られていました。長谷寺で見ごろだったのは牡丹。399段の登り廊の横で、芳しくも華やかな姿には見とれるほどでした。さすがは「花の御寺」と呼ばれる長谷寺です。

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そして、シャクナゲを愛でに室生寺へ。しかし、五重塔を飾っているはずのシャクナゲは花期が早かったため、咲き終わっていました。花を愛でる旅は、タイミングが難しいものです。それでも、ひっそりとした山中で檜皮葺の風情のある寺院を堪能してきました。
旅の終盤は飛鳥の里を訪問しました。飛鳥は古代日本の政治の礎となった場所です。推古天皇、聖徳太子の時代から、710年平城京遷都まで100余年にわたり都が置かれました。日本史の授業で学んだ、仏教伝来についての論争があり、物部氏が日本で初めて本格的仏教寺院、飛鳥寺を創建しました。そこには今も当時の仏像が残っています。お顔は大陸的。彫が深く、手が大きいのが特徴です。606年に作られた仏像ですから、御年1409歳。手を合わせて拝むと、長生きのご利益に授かれそうな気がしました。
また、飛鳥寺の近くには飛鳥板葺宮があります。ここはまさに大和朝廷の政治が執り行われていた、今の「国会議事堂」に相当する場所です。摂政であった聖徳太子は斑鳩に移転して宮殿を構えましたので、馬に乗って通勤していたようです。そして聖徳太子の死後、蘇我氏の権力が増大し、ついに「大化の改新」により蘇我入鹿は暗殺されました。その現場も飛鳥板葺宮です。
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そこからほど近いところに、聖徳太子生誕の地と言われる橘寺もあります。また、蘇我蝦夷・入鹿の邸宅のあった甘樫の丘は、飛鳥板葺宮を見下ろすところにあります。実際に訪問してみると、案外、狭い区画にすべて収まっているように感じました。そして、飛鳥はまさに日本の古代史が動いた場所であることを実感しました。冠位十二階や憲法十七条が制定され、国家としての原点がスタートしたのが飛鳥です。今はのどかな畑が広がっていますが、過去の歴史を考えながら瞳を閉じると、高松塚古墳の壁画の麗人たちが往来している様子が浮かんできました。古代史のロマンをたっぷり感じる旅となりました。(斎藤さ)

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