独立から13年 2015年の東ティモール
先日、ユーラシア旅行社で行く「東ティモールとインドネシア・ロンボク島の旅8日間」へ行って参りました。
東ティモールとは、正式名称“東ティモール民主共和国”、2002年5月20日に独立した21世紀最初の独立国です。どこにあるかというとインドネシアのバリ島から東へ飛行機で約2時間のティモール島の東に位置する国。日本のメディアでは、なかなか目にすることもなく、話題に挙がることもない、比較的日本に近い場所にあるのに情報のあまりの少なさから遠い国・遠い存在に思われます。更に歴史を調べれば近代においての虐殺を伴う紛争があったことが出てくるので“怖い国”“危ない国”という印象をもたれてしまいます。
果たしてそのイメージは正しいのかどうか、観光設備などはどの程度、整っているのかなどを含めて現地のことをお伝えしたいと思います。
東ティモールへの移動は、日本からの最寄として今回インドネシアのバリ島から空路で行きました。到着すると田舎の空港さながら機材からタラップにて地上に降り、建物に向かって歩いていくと、迷うことなく入国査証代を支払う窓口へ。ちゃんと値段表も窓口に張ってあり一目瞭然、分かり易い♪支払い後、受け取った査証シールとパスポート、入国カードを持って行けば、ようこそ東ティモールへ!無事に入国完了。空港から市内までの道路は、各国の支援を受けてか綺麗に舗装され、川に架かる橋も立派な鉄筋コンクリート。2012年にオープンしたショッピングモールを通り過ぎ、ポルトガル通りという植民地時代の名残を思わせる海沿いの道へ。この通りは別名“大使館通り”。マレーシア、メキシコ、アメリカ、ポルトガル、オーストラリア、タイ、韓国、中国そして日本!と各国の大使館を次々と目にしていきました。街の中心に着くと国会に大統領官邸、EU(外壁にはECの文字)の建物、国立ディリ大学に私立大学。また中国人街もあり、主にマカオ出身の人が多いとか。マカオもかつてはポルトガル植民地であったからだそうで、東ティモールとの共通点がこのようなところにあることに面白さを感じました。立派なサッカー場もあり、東ティモールでも少年たちの好きなスポーツはサッカーとのこと。スポーツと言えば、東ティモールの首都ディリ滞在中によく見かけたのはランニングをする人たちでした。観光で訪れている外国人から現地の人まで。海沿いのプロムナードや夕方観光で訪れたクリストレイ(丘の上にあるキリスト像)への500段階段でもよく見かけました。2012年のロンドンオリンピックでは東ティモールの選手が出場した唯一の種目はマラソンでしたし、同年にディリマラソンも行われており(日本からはスペシャルゲストとして有森裕子さんも出場されました)、密かなマラソンブームなのかなと思わせる印象深い光景でした。
今回宿泊したホテルは、ホテル・ティモールでした。国会まで徒歩5分ほどで海沿いのプロムナードも近い場所でした。ホテルにはカフェが併設され、ホテル宿泊者以外からもお茶を飲みにだけ訪れる人がいました。2012年のときは、さびれた昭和の雰囲気があったホテルがリノベーションされ、スタイリッシュな内装になっていました。
レストランは、インドネシアや中華・タイ系の料理に東ティモールの食材を使ったもので東南アジア諸国の料理とほとんど変わりなく、食材も新鮮な為か美味しく、お客様にも好評でした。新しいスーパーでは、欧州製品のお菓子やアジア諸国からの製品が並び、東ティモール産のコーヒーや胡椒、塩も売っていました。クレジットカードは使えませんでしたが、米ドルが一般通貨なので、あまり不便はありませんでした。(※1米ドル未満は現地硬貨を使用しているのでコインコレクターにはたまらない?)
町中の雰囲気はというと、ずばり“穏やか”。朝に夕に海沿いのプロムナードを散歩していると、友達や恋人同士が楽しそうに幸せそうに歩き、道沿いで果物など売る人はのんびりお客を待ち、数人で集まっていた少年たちは海に沈む夕日を眺めながらおしゃべりをしていました。慌ただしい様子もなく、ぴりぴりした空気も物々しさもなく、ただそれは当たり前の『平常』というものでしたが、それがここでは当然のものではなかったときがあり、長年、人々が望んでいたものでした。それを思うと心の底から、この光景を目にしてよかったなぁと思わずにはいられませんでした。
1975年ポルトガルからの独立を宣言した直後にインドネシア軍による侵攻、そしてインドネシアによる一方的併合、それに反対する人々は強制連行され、拷問、虐殺されました。ここで起こっている出来事は一部の支援国や支援者を除き、世界から黙視され続け、東ティモールの人々は地獄のような年月を送ってきました。1999年に行われた独立の賛否を問う直接投票選挙では、約91%の投票率のなか約78%が独立を支持したことに対し、インドネシア軍と民兵による首都ディリへの侵攻と虐殺もありました。1975年と1999年の2回ともにディリの大半が壊滅させられました。2002年の独立後も10年間は混乱を繰り返しながらの新しい国づくりでした。しかし2012年が節目となりました。この年に実施された大統領選挙後に問題が起こらなかったことから、国連により設立されたUNMIT(国連東ティモール支援団)が撤収し、日本のPKOも任務を終了しました。これが意味したことは、もう外部からの平和維持の手助けなく、自国の力でやっていけるという証明でもありました。それが改めて証明されている穏やかな現実の光景を目にし、私は非常に感動してしまいました。
東ティモールの観光では、いくつかの主要な教会を訪れました。東ティモールでは99%の人々がキリスト教徒(主にカトリック)です。ポルトガル統治下の名残でもありますが、先の悲惨な時代、インドネシアが現地語(テトゥン語)を使用することを禁じたときも、ミサはテトゥン語で行い続け、軍に追われる人々を教会がかくまったり、逃げ場として受け入れたり、まさに人々と文化の両面を守ってきました。世界から黙視されていたときも、当時の法王ヨハネ・パウロ2世はインドネシアの行動を非難してきました。東ティモールの人々がキリスト教を信仰する心は、実際に教会や宗教が彼らを心身共に守ってきた体験を経ているので、非常に篤いものなのだろうなと勝手ながら感じたりもしました。
ガイドさんは「ディリは何度も廃墟になって古い観光名所など全然残っていないけれども、自分たちにはいま平和と自由がある」と幸せそうに話してくれたことが印象的でした。東ティモールが国として観光に力を入れ始めたのは昨年からだそうです。ガイドさんは「いつか自分は観光大臣になりたい。」と語ってくれました。彼にとって日本人の団体は初めてだったので(いつもはオーストラリアやシンガポールの団体)、どうしたらいいか、どうやったらうまくいくかをいつも気にしていました。最近では、大型豪華客船がディリ港に寄港しました。東ティモールの国の発展に伴い、観光化もしていくでしょう(※ちなみに東ティモールの海は、どこも綺麗でした!いまならまさに手つかずの美しい海水浴を楽しめますよ♪)。東ティモールの話題は、日本に徐々に耳にする機会も増えてくるでしょう。百聞は一見にしかず・・・とはいえ、すぐに東ティモールを訪れるのは難しいかもしれませんが、まずはこの平穏の中、発展している国だということを知って頂きたいなと思いました。
今回のツアーで、いろいろ現地の情報を頂きました『日本東ティモール協会』のホームページも是非、訪れてみて下さい。もっと身近に東ティモールを感じられると思います。(高橋)
>>>ユーラシア旅行社で行く東ティモールのツアーはこちら
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