ブレスト要塞にて第二次世界大戦に思いを馳せる
先日、ユーラシア旅行社の「恋のトンネルも訪れる ウクライナ・モルドバ・ベラルーシ9日間」のツアーより帰国しました。今回訪問した地は、紀元前、黄金の民と呼ばれる遊牧騎馬戦士スキタイ人が駆け抜け、中世にはキエフ・ルーシ王国が広大な領土を誇った場所です。
「ウクライナって、旅行に行っても大丈夫なの?」という質問を多くの方から頂きましたが、全く心配ありません。確かに、2014年にクリミア問題があり、クリミア自治共和国やその周辺、いわゆるウクライナの東側の地域は、外務省から渡航の延期が勧められています。しかしながら、当ツアーでは、ウクライナの中央部に位置する首都のキエフやオデッサより西側のみの訪問なので、街も人も穏やかで2014年以前と変わらない様子でした。
クリミア問題を始め、幾多の争乱の舞台となったこれらの地域は、その地理的特徴から大国のはざまで苦難の道を歩んできました。今回のツアーでは、ベラルーシのブレストでそれを強く感じました。私たちがブレストを訪ねた日は、ちょうどベラルーシの独立記念日の7月3日でした。
ブレストは、難攻不落の都市としてその名を轟かせていましたが、1941年6月22日、独ソ不可侵条約を破りドイツ軍がソ連に侵攻しました。その際、ブレストの要塞は激しく抵抗し、約1ヶ月もの間、戦ったそうです。要塞には「私は死ぬ、されど屈服せず。さらば祖国よ」というメッセージが残され、その戦闘の凄まじさを物語っていました。ブレストは、その後勇敢さを讃えられ、ソ連より「英雄都市」の称号が与えられたのです。今回、訪れたウクライナ・モルドバ・ベラルーシ等、旧ソ連の国々では、独立記念日はソ連からの独立した日を示すことが多いのですが、ベラルーシの独立記念日は、ナチス・ドイツ軍から解放された日なのです。私たちが訪問した際も、式典の準備が行われていて厳粛な雰囲気でした。
日本と違って陸続き、西側諸国と東側諸国の狭間で、常に隣国との争いを続けてきた地、ブレスト。戦後70年の今年、この地を訪問したことで、改めて第二次世界大戦について考えさせられました。(坂田)
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