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2015年9月

2015年9月30日 (水)

目からウロコ!の生活術(南太平洋)

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先日、ユーラシア旅行社の「南太平洋5ヶ国大周遊 16日間」の添乗より帰国しました。フィジー、トンガ、サモア、ソロモン諸島、バヌアツという、ちょっと珍しい5ヶ国を巡る今回の旅。オーストラリアの北東の海上に、点々と散在するこれらの国々は、メラネシアという地域で一括りにされがちですが、実際に訪れると、多くの部分で違いがある事に気がつきます。
外見においては、髪質に違いが見られます。フィジーやソロモン諸島の女性の特徴はチリチリした髪質でアフロヘアーが多いのです。それに比べトンガでは豊かな黒髪のストレートヘアー、又、体格がふくよかなほど美人であるとされ、島中にはグラマラスな女性で溢れていました。

南の島というと、常夏で毎日が海水浴日和!というイメージですが、実はそれぞれ気候も異なります。サモアやソロモン諸島はクーラーなしでは過ごせない程、ジメジメした体にまとわりつくような暑さである一方、トンガではカラッとしていて春のような清々しい毎日でした。とても意外な事ですが、トンガには日本同様四季があり、日本が夏の時期には(5月から8月)、あちらは真冬。吐く息が白くなりコートが必要なほどだそうです。見渡す限りに生い茂る椰子の木や真っ赤なハイビスカスの花、こんな景色を見ると、冬が来るなんてちょっと想像できません。

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こんな風に個性的な南太平洋の5ヶ国ですが、共通点も勿論あります。それは「食」。トンガやバヌアツのガイドさんは「子供が生まれると椰子の木を植え、その子が大人になった時、食べ物に困らないようにしているの。」と言っていました。
訪れた5ヶ国では、農業が盛んで、国民の殆どが自給自足。鬱蒼と木々が茂るジャングルの中にはタロ、ヤム、キャッサバなどの芋が自生し、至る所に恵みの椰子の木が生えているので、人々はお給料を得なくても、飢えることがないのです。ですので、物乞いもホームレスも殆ど見かけることがありません。
また、バヌアツ・タンナ島では、古くからの伝統を守り生活しているロウィニー村を訪問しました。「文明」という言葉からは程遠い彼らの生活。私たちが日常で使っている調理器具は一切ありませんが、目からウロコが落ちるような、驚きの調理法で、出来立てホカホカの現地の名物料理ラップラップを御馳走してくれました。

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ラップラップ料理は村に自生しているタロイモ、キャッサバ、サツマイモ、キャベジと呼ばれる葉物やお肉をバナナの葉で包み、土を掘った穴の中に焼き石と共に入れ、その上から土をかぶせて蒸し焼きにした料理。南太平洋では「ラップラップ」、「ロボ」、「ムームー」などと呼び方は異なるものの、作り方や食材はほとんど一緒です。味付けはココナッツクリームのみ。鍋や火、水などを使わずとも、1時間ほどで柔らかく蒸し上がります。また、驚いた調理法がもう一つありました。それはキャッサバをすりおろして蒸し上げたチヂミ風の主食。でもすりおろし器なんてありません。ここで登場するのが棘のついた枝です。それを立てて、器用にキャッサバをすりおろせば、あっという間にとろろ芋のような、なめらかな液体状に姿を変えてしまいます!これには我々一同、驚きの声をあげてしまいました。どれ位、昔からこの調理法が行われているかはわかりませんが、「やってみよう!」と行動を起こした人は本当に天才だな~と終始感心しっ放しでした。「工夫」とはまさに彼らの生活そのもの。何もなくても、人は考え一つで生きていけるんだ!と自信がついた旅でもありました。(三橋)

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2015年9月29日 (火)

氷河・紅葉・山・・・アラスカ鉄道は絶景の連続!(アラスカ)

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 先日、ユーラシア旅行社企画「秋のアラスカ大自然紀行とオーロラ 10日間」の添乗より帰国しました。フェアバンクスではカーテンの様にひらひらと揺れるオーロラを鑑賞、デナリ国立公園ではグリズリーベアや、ムース(ヘラジカ)、カリブー(トナカイ)を見たり、キーナイフィヨルド国立公園の氷河クルーズではシャチに遭遇したりとダイナミックな自然に圧倒されるばかりで、あっという間の10日間でした。
 今回のツアーでは、北米大陸で最北を走るアラスカ鉄道に3回乗車しました。1915年から1923年に掛けて建設された全長756kmのアラスカ鉄道。もともとは貨物物資が中心で、今もなお線路沿いで採れた石炭を終点のスワードの港まで運ぶ為に使用されていますが、それだけではなく地元の人々が交通手段として使うなどアラスカの人々の生活には欠かせません。夏から秋にかけては展望列車もあり、時速20km程でゆっくりと紅葉や氷河などが見られる観光客にも人気の鉄道です。
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 私達はフェアバンクス~デナリ国立公園間、デナリ国立公園~タルキートナ間、そしてアンカレッジ~スワードまでの区間に乗車しました。入線してきた鉄道の写真を撮り終えたら、切符を手にし、いざ列車内へ!先の2区間は展望列車で座席からアラスカならではの低い針葉樹林・ツンドラ地帯が見られます。この時期はヤナギランやブルーベリーなどが紅葉する為、まるで大地が赤く燃えている様に見えます。運が良ければ、産卵の為に川にやってきたキングサーモンや、山岳地帯に生息するドールシープ(オオツノヒツジ)に遭遇できるかもしれません。そして、アンカレッジから終着駅のスワード間は氷河・氷河・氷河の連続です。「さあ、次はトゥエンティ・マイル氷河、そしてトンネルを越えてスペンサー氷河・・・。アラスカ州内には大小合わせて10万以上もの氷河が点在していて・・・。」と車掌さんからのアナウンスが続く中、乗客全員がカメラを構えてスタンバイ。列車はゆっくりと進む上にくねくねと線路もカーブしている為、氷河とアラスカ鉄道のベストショットが撮れました。
 熱狂的な鉄道ファンではなくても、次々と変わる光景に瞬きすらもったいないほど魅了される列車の旅を大満喫出来ました。(竹本)

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2015年9月25日 (金)

シベリア鉄道9300㎞走破!~日本人墓地を訪ねて~

先日「シベリア鉄道走破の旅~ウラジオストクからモスクワへ~15日間」のツアーより帰国しました。総距離9300㎞。ウラジオストクからモスクワまでは列車に乗り続けて、約7日間かかります。私達は途中、バイカル湖畔の町、イルクーツクやシベリアの中心的都市、ノボシビルスクでの観光をはさみ、モスクワを目指しました。

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私達が乗車したのは、007列車の2等車の4人乗りのコンパートメント。他の乗客は地元のロシア人がほとんどで、その他、ヨーロッパ、アジア等多方面から来ている方々でした。ガイドさんによると、ウラジオストクから、モスクワまで行くお客さんはめったにいないそう。電車に乗っている間は、廊下に出て、車窓を眺めてキロポスト(1㎞ごとにモスクワまでの距離が書かれています)の距離を確認したり、近くのコンパートメントにいるロシアの方と交流したり、お昼寝をしたり・・・皆様それぞれ思い思い過ごされていました。

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途中下車できる、大規模なハバロフスク等の駅では、駅舎の見学もすることが出来ました。また、最近は少なくなってきましたが、ホームには地元の売り子達が、干した魚やピロシキ、毛皮を売っていました。ラズベリーはとっても甘くて、魚はお酒のおつまみにぴったり!途中下車する駅での風景や、交流もまた楽しいものです。
現在は人々の交通手段として、利用されていますが、以前は多くの著名人が新天地を求め、ヨーロッパへ渡る手段として、利用される一方で、第二次世界大戦末期のシベリア抑留の悲劇の舞台としても知られるシベリア鉄道。鉄道建設の計画は1850年から始まり、現在のルートが完成したのは、1916年のこと。今回の旅では、イルクーツク、ノボシビルスクと2か所の日本人墓地を訪ねました。日本政府の調べによると、抑留者は約57万人。異国の地シベリアで、日本への帰還を望みながらも、過酷な強制労働により、命を落とした多くの日本人偲んで建てられた慰霊碑には亡くなった方々の名前も刻まれていました。他の外国人の墓に混じって、立派にそびえ立つ慰霊碑を前に、同じ日本人として、心を打たれるものがありました。

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現在では技術が発達し、ヨーロッパまでの移動は飛行機が基本の時代です。しかし、たまには時間をかけ、車窓から流れる景色を見ながら、列車を使ってのんびりと旅をするのも良いのではないでしょうか。忙しい現代だからこそ、何かに気づくことがあるかもしれません。(荒川)

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2015年9月24日 (木)

数年ぶりに訪問再開!“天空の寺院”プレア・ヴィヒア(カンボジア)

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先日、ユーラシア旅行社の「アンコール遺跡群と天空の寺院プレア・ヴィヒア 6日間」の添乗より帰国致しました。
アンコール研究の第一人者であり、上智大学の元学長、石澤良昭先生が現地2日間同行解説の特別なコースです。毎回、コースの中にポイントの遺跡を織り込んでいますが、今回は、何といってもプレア・ヴィヒアです。
プレア・ヴィヒアはカンボジアとタイ国境のダンレック山脈に位置している為、両国間で領有権争いが続いていました。2008年にユネスコの世界遺産に登録されると、両国の軍隊がお互いに睨みをきかせるようになり訪問が長らく叶いませんでしたが、昨年からようやく訪問が再開されました。

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アンコール遺跡観光の中心、シェムリアップの町からはバスで片道約3時間半。道はすっかり舗装されているので、大型バスでも余裕を持って行くことができました。長い移動時間でも、石澤先生からは歴史の話はもちろん、カンボジア人の生活習慣などの話もして頂き、気づいた時にはいつの間にかプレア・ヴィヒアの建つ山が見え始めていました。まず、麓のチェックポイントでバスから四輪駆動車のトラックバスに乗り換えます。そこからは、くねくねの坂道をトラックバスが勢いよく登り、15分程で到着!おにぎりのお弁当を食べて休憩してから、いざ、プレア・ヴィヒアへ。
以前、タイ側から観光をしていた時は、長い急な階段を上っていましたが、カンボジア側から訪問する今は、階段の上の位置までトラックバスで来ることができるので、観光をする部分では歩く時間が少なくなり大分、楽に感じました。いくつもの塔門を越え、参道を進みます。塔門のうねる様な立派な破風にはヒンドゥー神話の神々の彫刻が施されており、その表情は、ちょっと憎めない素朴な感じでした。お気に入りの神様や女神を見つけて、アンコール遺跡の各寺院の彫刻を見比べるのも面白いものです。この遺跡は、9世紀末に建てられた後、王が代わり11世紀に大きく改修されたので、第一塔門から、第五塔門まで時代を越えて行くような気もします。標高を少しずつ上がって行くのにも関わらず、だんだんとお客様の足が速くなって行きました。その先の断崖からの絶景が待っているからです。標高約650m、断崖絶壁からはカンボジア平原が眼下に限りなく広がっていました!疲れも吹っ飛ぶ景色です。これ程の場所を選び建てられたこの寺院の神聖さを改めて実感しました。
今回、石澤先生にご案内頂いたのは、このプレア・ヴィヒアの一日とアンコール・ワットとバンテアイ・クディ遺跡や博物館の一日。バンテアイ・クディ遺跡では、上智大学の発掘実習が行われていたので、当初の予定にはなかったのですが、石澤先生のご提案で特別にその様子も見せて頂きました。何度訪れても、新しい発見があります。次回、年末年始にも石澤先生同行ツアーが企画されています。次は、どんな発見があるでしょう。(帯津)

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2015年9月18日 (金)

黄金の環の穴場的スポット・ボゴリューボヴォのポクロフ・ナ・ネルリ教会(ロシア)

ポクロフ・ナ・ネルリ教会①

先日ユーラシア旅行社の「ロシア九大世界遺産物語 13日間」のツアーから帰国致しました。
このツアーのタイトルにある九大世界遺産とは、「モスクワのクレムリンと赤の広場」、「コローメンスコエの主の昇天教会」、「ノボデビッチ修道院の建造物群」、「ヤロスラーブリの歴史地区 」、「ウラジーミルとスズダリの白亜の建造物群」、「セルギエフパサードのトロイツェ・セルギエフ大修道院の建造物群」、「キジ島の木造教会」、「ノヴゴロドと周辺の文化財」、「サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群」となかなか盛りだくさんではございますが、今回は黄金の環について述べさせていただきます。11~15世紀頃、後にイワン雷帝の中央集権国家が確立されるまでの間、各公国の首都として繁栄を誇った街々が、モスクワの北東部に点在しており、これらの街を結ぶとひとつの環となることから、この一帯は、黄金の環(わ)(英語名:Golden Ring)と呼ばれています。
この黄金の環の中で、上記の世界遺産は「ヤロスラーブリの歴史地区 」、「ウラジーミルとスズダリの白亜の建造物群」、「セルギエフパサードのトロイツェ・セルギエフ大修道院の建造物群」と3つが含まれていますが、ここでは「ウラジーミルとスズダリの白亜の建造物群」の中の穴場的スポット「ボゴリューボヴォのポクロフ・ナ・ネルリ教会」を挙げさせていただきます。
こちらはウラジーミルからバスで約15分ほどですが、下車場所はボゴリューボヴォ駅近く。シベリア鉄道も通る線路を渡ると、原っぱがあります。そこからも遠方に白亜の教会が見えますが、1km以上離れたその教会へ行くには歩いて行かなければなりません。てくてくと歩いていくと、だんだんと教会の姿も大きく見えてきて、15分ほどたったころでしょうか、教会の手前にはネルリ川が流れていますが、ラッキーなことに今回はほとんどさざ波もなく、川面には白亜の教会がきれいに映っているではありませんか!このチャンスを逃すまいと皆一心不乱にシャッターを押したものでした。その後教会に着いて、中に入ってみるといたって普通。むしろ私たちの目に飛び込んできたのは、教会の外で売られていた絵葉書や絵画で、そこには雪景色の教会、あるいは湖に浮かぶ教会など。いや待てよ、そばを流れるのは川なのに、何で湖?聞くところによると、春先に雪解け水によりネルリ川が氾濫し、それが湖上に浮かぶ教会に見えるとか?なおその姿は「白鳥の教会」とも呼ばれているそうです。今度訪れるときは、ぜひとも春先にその「白鳥の教会」をこの目で見てみたいと思いました(ただ教会に近づくことはできないそうですが)。(斉藤信)

ポクロフ・ナ・ネルリ教会②

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2015年9月17日 (木)

花々が咲き誇る砂漠の花園、ナマクワランドへ(ナミビア・南アフリカツアー)

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 バスの車内がざわつく。逸る気持ちを抑え、バスが到着すると同時に急いで外へ飛び出す。「ワァーッ」一斉にそんな声が飛び交った。目に前には夢にまで見たオレンジ色の絨毯が一面に広がっていた。
 
 先日、ユーラシア旅行社「ナミビア大周遊と砂漠の花園ナマクワランド 13日間」より帰国しました。タイトル通り、まずはナミビアをまわります。ナミビアってナミブ砂漠以外に何があるの?と思われる方も多いかと思います。確かにナミブ、とは「何もない」を意味しますが、何にもないなんてとんでもありません。あまり知られていないだけで、世界最古の砂漠、アプリコットカラーのナミブ砂漠、サファリで人気のエトーシャ国立公園、伝統を守り続け、世界一美しい民族とも言われるヒンバ族、2枚の葉っぱで2000年は生きる奇想天外ウェルウィッチア、アメリカのグランドキャニオンに次ぐ巨大な渓谷フィッシュリバーキャニオンと実はナミビアは見どころ盛り沢山な国なのです。ナミビアは毎日私達を楽しませてくれた。そんな旅の最後を華やかに飾ったのがナミビアと国境を接する南アフリカ・ナマクワランドでした。
 ナマクワランドはケープランドの境とナミビア国境に挟まれた地域で、普段は不毛の地ですが、8月、春の始まりを告げる一滴の雨と太陽の光を受けて一斉に砂漠の花が目を覚まし一面にお花の絨毯が広がる所として世界的にも有名な場所なのです。そうは言っても自然の事、雨や気温、天気次第で開花には若干のズレは致し方ない。出発前はいつもドキドキ。花は咲き始めたとの情報に安堵したものの自分の目で見るまでは・・・。少しの心配を胸に、の出発でした。
 凍えるような寒い朝。外に出ると。空は雲一つない青空。心を躍らせながらナマクワランドで最も有名なスキルパットへと向かいました。花の種類は3800種。その中でも最も多く見られるディジー。朝に花を開き夜になると花を閉じる事からDAY’S EYE(日の目)ディジーと呼ばれるそうで朝の10時~午後3時のアフリカ公務員時間?!晴天、気温は17℃以上。これが最も美しく花開く条件。これを見事クリアしている今日は絶好のナマクワ日和でした。
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 到着するや目に飛び込んできた砂漠の花園。天国が本当にあるならこんな感じなのかな?どこまでも続くオレンジ色の絨毯。しかしよくよく見ればオレンジのディジーだけではなく、華やかなピンクの色をしたゼラニウムや黄色や紫のメセンなど、見事なまでの花々の豪華な競演。太陽の光が強く照らした分だけ花々は生き生きと、まるで歌でも歌っているかのように光り輝いていました。ナマクワランドではお花畑をのんびり散歩しながら
夢のような時間を過ごすことが出来ました。
 花の命は短い。これから暑い夏を迎える南半球にある南アフリカ・ナマクワランドはまた乾燥した砂漠地帯となる。それでもまた春はやってくる。一滴の雨を待ちながら。(岩間)

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2015年9月16日 (水)

柱状節理の岩が建ち並ぶスタッファ島へ!(スコットランド)

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先日、「スコットランド三大絶景紀行 9日間」 の添乗から帰国いたしました。
氷河に削られた丘や山々、そして表土を覆う緑が美しいスコットランドの風景だけでなく、8月に見頃を迎えるヒースの花を眺め、エジンバラではミリタリータトゥーも観覧する盛り沢山のツアーとなりました。

スコットランドにはスカイ島やグレンコーのような景勝地がいくつかありますが、今回は訪れたスタッファ島もスコットランドを代表する景勝地の一つです。
スタッファ島は大西洋上に浮かぶ面積が僅か3.3キロ平方メートルしかない無人島。
ブリテン島からは20キロ、アイルランド島からは130キロほど離れています。

アイルランド島と言えば世界遺産のジャイアンツコーズウェイが有名で、巨人フィンマックールと海を挟んで対峙していた巨人ベナンドーナが力比べをしたという伝説があります。
この伝説は、対決する事になった2人の巨人が、海上に柱を埋め立て道を築き、いざ決戦!となった時にフィンマックールの奇襲によって、恐れをなしたベナンドーナが一目散に逃げたという結末となります。その後、ベナンドーナがフィンマックールが追ってこないように道を壊したと言われていますが、ベナンドーナが逃げ帰った島がスタッファ島と言われています。

スタッファ島とジャイアンツコーズウェイは、実際の地質学的には、6000年前の火山活動によって流れ出した高熱の溶岩が海に押し寄せた際、急速に冷却され凝固する過程で割れ目が出来、最少のエネルギーで凝縮する正六角形の柱状節理になりました。その後、氷河期が終わり、氷河が溶けて海面が上昇したことで、ジャイアンツコーズウェイのあるアイルランド島とは分かれ、奇岩の島のスタッファ島が誕生しました。

ツアーではオーバンからマル島にバスごとフェリーで渡り、さらにマル島から1時間程バスで移動し、フィナポートという小さな港町からフェリーでスタッファ島へ。
途中、海鵜やアザラシが顔をのぞかせる微笑ましい光景をご覧頂いた後、出港してから50分後ようやくスタッファ島が見えて来ました。乗船していたお客様からは歓声と共に何十枚もシャッターを切る音が聞こえてきます。

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スタッファ島の別名は「ピラーアイランド(柱の島)」。その名の通り、ジャイアンツコーズウェイとは異なり、島全体が柱状節理で出来ています。船が島に近づけば近づくほど、聳え立った30m程の奇岩が迫ってきて、「柱の島」と言われる所以を実感しました。

そして、ついにスタッファ島に上陸!島の上から海岸線の奇岩を見たり、パフィンのコロニーなど幾つかの見所がありますが、中でも一番の見所は海の波によって削られてできた「フィンガルの洞窟」。

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音楽好きの方ならピーンときたかも知れませんが、メンデルスゾーンが1829年にこの地を訪れた際、インスピレーション受けて作曲した曲が演奏会用序曲の「フィンガルの洞窟」です。悪天候だと上陸が出来ないスタッファ島ですが、今回は天気と運にも恵まれ、メンデルスゾーンが表現したと言われる洞窟に波が打ちつけ、反響する音やスタッファ島の心打つ美しい情景を実際に肌で感じる事ができました。(三浦)

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2015年9月15日 (火)

スピッツベルゲン島クルーズで野生のホッキョクグマに出会う!

ユーラシア旅行社で行くスピッツベルゲン島クルーズ、お昼寝中のホッキョクグマ

先日、「北極圏スピッツベルゲン島への船旅」より帰国しました。出発は7月中旬、すでに猛暑厳しかった日本を抜け出し、30℃も気温が低い北への旅です。
スピッツベルゲン島はノルウェーに属していますが、本土よりはるか北、北極圏の入り口北緯66度33分を超えた北緯77度~80度に位置し、周囲の島と共にスヴァールバル諸島を形成しています。島の中心地、ロングイヤービーエンから極地の海を往く探検船に乗って出発です。


今回の旅で一番楽しみにしていたのは、ホッキョクグマとの出会いです。地上最大の肉食動物とされるホッキョクグマが自然に生きる姿はいったいどのようなものなのか、初めての体験を目前にして、会話はついついホッキョクグマのことになりがち。楽しみ半分、出てきてくれるかという不安半分、複雑な気持ちで旅が始まりました。

出港の翌朝、私達の心配をよそに早速ホッキョクグマが登場!このクルーズでは何をしていてもホッキョクグマが優先。実際、朝食中に放送が入ったので、食事もそこそこに皆、甲板へ飛び出します。部屋に戻る時間がもったいないので、カメラや双眼鏡は常に携帯です。初めての出会いとなったこの時は少し距離があり、双眼鏡がなければ表情を捉えにくかったのですが、今後への期待を大いに膨らませてくれる出会いでした。

その日の夕方。船内ではウェルカムパーティー、そして夕食が始まろうとしていた頃、またまた登場!今度は近くへ見に行くことになり、急いで仕度開始。極地に精通した経験豊富なスタッフがテキパキ準備するので、突然のハプニングでも機動力抜群!あっという間に準備完了、ゾディアックと呼ばれる極地用のゴムボートに乗って出発です。

ユーラシア旅行社で行くスピッツベルゲン島クルーズ、アザラシを狙うホッキョクグマの親子

ホッキョクグマは「動くものは何でも食べられる」と思う為、上陸はできませんが、ボートでゆっくり岸に近づき20~30m程の距離で見学できたので、肉眼で十分その表情を捉えられました。出会ったのは親子グマ。母グマが大好物のアザラシを狙って対峙しているところでした。子グマはその後ろで遊んでいます。ヒグマと違って顔が細長いこと、目がクリンとしていて愛嬌を感じられること、足が太いこと、意外と歩く速度が速いこと等々、新しい発見がいっぱいでした。

私達の幸運はその後も続きました。翌朝、別の場所でペアのホッキョクグマに出会い、2時間(!)たっぷり見学。腹ばいで大の字になっている寝姿や足の裏の肉球、そして見つめあう2頭…。何枚写真を撮っても、どれだけその場に居ても、飽きることはありませんでした。

ユーラシア旅行社で行くスピッツベルゲン島クルーズ、氷上を歩くホッキョクグマ

そして旅の後半には、北緯80度を超えたところで“氷の上を歩くホッキョクグマ”にも遭遇!北極圏であるからには、ぜひともこの光景を見たかった!気温4度もなんのその、寒さを吹き飛ばす興奮で甲板が満たされたことは言うまでもありません。アザラシを探していたのでしょうか、しばらくして海へドボンッ。すいすい~っと泳いでいく様に、巨体なわりに泳ぎが得意な一面を見ることができました。

ホッキョクグマは狩りをして食料を得ますが、10回に1回ほどの成功率だそうです。やっとありつけた食料を食べた後は、体力温存の為によく休みます。一方、動物園で暮らす彼らは食べ物の為に動く必要がありません。ですが休憩する習性は残っていますので、動物園に会いに行っても寝転がってじっとしていることが多いのです。野性味あふれる自然の生き様を見ることができた今回の旅は、素晴らしい経験でした。

ユーラシア旅行社で行くスピッツベルゲン島クルーズ、お土産に購入したホッキョクグマのUSB

今回の旅でホッキョクグマにすっかり魅了され、船内で売られていたぬいぐるみを買いたかったのですが重量の都合で泣く泣く断念…。代わりに、船でしか売られていない“ホッキョクグマのUSB”を購入。彼らとの出会いと共に、大切な思い出の一品です。(江間)

ユーラシア旅行社で行く船の旅(クルーズツアー)はこちら

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2015年9月11日 (金)

自然を感じる景勝道路、ナショナルツーリストルートを行く(ノルウェー)

先日「北欧の優雅な休日 11日間」の添乗から帰国いたしました。日本より涼しく、さわやかな澄んだ空気はさすがエコ大国。新鮮な空気を胸いっぱい満喫しました。このツアーではフィンランド、スウェーデン、ノルウェー、デンマークを巡りました。フィヨルド、山岳、氷河など見所沢山のツアーでした。

今回のツアーではノルウェーのナショナルツーリストルートを通り、フィヨルド地帯をバスで走行します。フィヨルド独特の曲がりくねった道が多いですが、各所に絶景が待っています。ナショナルツーリストルートとは、1990年代に始まったノルウェーの国家プロジェクトの一つで、ノルウェーの観光業を盛り上げる為に設置されたルートです。現在、国内には18本のルートがあり、道路は整備され、展望台が各所に設置されています。

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その中でも、トロルスティーゲンという、ルートを今回は通りました。崖に突き出すように建てられた展望台から雪の残る山や九十九折の道路が山肌縫って走る絶景をご覧いただき、真横には山肌には滝が流れており、大自然を感じられました。
それもそのはず、展望台はどれだけ大自然を体感できるかなどの基準で建てられているのです。また、展望台自体もデザイン性が高く、おしゃれなモダン建築。デザインは一般公募され、デザイナー、建築家がこぞって参加するそうです。審査基準は安全性以上にデザイン性が重視され、いかに風景に合っているか、ルートごとにテーマに沿っているかを競います。

ノルウェーの車窓からの景色は山岳、フィヨルド、雪景色、小川、滝・・・など、変化に富んでいて、バス移動も楽しみの1つだと改めて思いました。(杉林)

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2015年9月10日 (木)

チェコ、プラハ。古き良き街並みを巡る。

先日、チェコ、スロヴァキア、ハンガリー15日間のツアーより帰国しました。 これらの国々の魅力は、何と言ってもその美しい街並みだと私は思います。 始めに訪れたのは、「建築博物館」と称される、プラハ。この町には、様々な様式の素晴らしい建築物が良い保存状態で残されており、これほど完璧に中世の街並みを残している都市はないと言われるほど。チェコはその歴史の中で、常に近隣諸国から圧力をかけられ、支配されてきました。他国が攻めてきたとき、チェコはいつも、潔く降参します。そのために、街が壊滅してしまうような攻撃を受けずに済み、プラハの街にはたくさんの美しい建築物がきれいに残っているのだと、ガイドさんが教えてくださいました。 さて、プラハ観光の最初の訪問スポットはプラハ城。 プラハ城、とは言いますが、その敷地面積は非常に広く、ギネスブックに載るほどです。 一番西、マチアス門を通って敷地内に入ります。門の所には衛兵さんが。なんと、何か食べているようでした。普通、衛兵さんといえば、まったく身動きをとらず、きりっとした表情で立っているものですが、なんだかチェコの衛兵さんはのんびりしているようでした。 2つの中庭を抜けると、そびえ立つ聖ヴィート大聖堂の前に出ます。 14世紀、カレル4世の命によって工事が開始され、完成までに約600年もかかったと言われています。 内部では、アルフォンス・ミュシャのステンドグラスや、チェコの守護聖人、ヤン・ネポムツキーの墓碑などが見られます。 たまたま、パイプオルガンの演奏が行われていたため、広い聖堂の中はとても神聖な雰囲気に包まれていました。 とても神聖でした、が、チェコでは現在宗教離れが進んでいるようで、無宗教の人も多くなったのだとガイドさんが説明していました。 聖ヴィート大聖堂、チェコ、ユーラシア旅行社で行くチェコツアー 聖ヴィート大聖堂を出て、少し写真ストップ。この大聖堂はとても高いので、イジ―広場の端の方まで行かないと全景を撮ることが出来ません。ヴィート大聖堂から、旧王宮へと移動し、内部の見学。旧王宮の中には、ヴラディスラフホールという大きなホールがあります。 このホールが完成したのは16世紀半ばで、その当時ではヨーロッパ最大のホールでした。ホールの脇はテラスになっており、そこからプラハの街の全景を眺めることが出来ました。 その後、聖イジ―教会や、黄金小路を見学し、しばし休憩。プラハ城の公衆のお手洗いは非常に便利で、ここは使用料がかかるのですが、ちゃんと小銭に両替する機械が設置されています。紙幣からも、大きな硬化からも両替できます。 プラハ城の観光を終え、次は市内の散策へ! 丘をゆっくり下って、カレル橋にやってきました。ヴルタヴァ川にかかる、長さ530m、幅は10m近くもある大きなカレル橋。 両端には合計30体の銅像が並んでいます。この橋の建設が開始されたのは14世紀半ばで、こちらもこの当時で考えると非常に画期的な大工事だったんだそうです。ちなみに日本では14世紀末に金閣寺が建てられています。全く何の関係もありませんが、遠く離れた二つの国で、まったく違う文化が、街並みが造られていたんですね。 話をカレル橋に戻します。たくさんの銅像が並んでいるこのカレル橋、見るべきものはどれなのか?ヤン・ネポムツキーの銅像です。 聖ヴィート大聖堂でも彼の墓碑を見学したばかりですが、チェコを旅しているとありとあらゆるところで彼の像を見かけます。 彼は一体どういう人物だったのでしょうか?諸説あるようですが、ガイドさんはこのように説明して下さいました。 司祭であった彼は、人々からの懺悔を聞いていたのですが、ある時、王妃が懺悔室にやってきて懺悔します。そのことを知った王は、王妃が一体何を懺悔したのかヤンに問い詰めます。ヤンは一切口を割らず、司祭としての仕事を全うしたため、王の怒りを買い、拷問を受け、カレル橋から落とされてしまいます。その後、ヴルタヴァ川の岸で見つかった彼の遺体の、舌の部分が腐らずに残っており、これが奇跡と認識され、彼は聖人になったのだそうです。 ユーラシア旅行社で行くチェコツアー、ヤン・ネポムツキー 橋の守護聖人であるため、橋の近くでよく彼の銅像を見かけます。ヤン・ネポムツキーの見分ける方法は、頭上を見ること。頭上に五つの星があれば、その銅像はヤン・ネポムツキーの銅像です。 カレル橋を渡って、建物の間を進んでゆくと、プラハの旧市街広場に出ます。 時刻は丁度、正午12時。天文時計台のからくりが動き出す時間の為、広場にはたくさんの人が集まっていて、とても賑やかでした。 プラハ旧市街広場の天文時計は、1365年に旧市庁舎を増築際に作られました。二つの大きな文字盤が縦に並ぶ天文時計、上の時計はプラネタリウムと呼ばれ、地球を中心に、周りを月と太陽が一年かけて一周しながら年月日と時間を表しています。下の時計は黄道十二宮であらわした暦で、一日に一目盛り動き、農業の為の、四季の移り変わりを表す仕組みになっています。さらに、この二つの仕組みの上にはからくり時計があります。たった毎時0分になるとからくりが動き出すのですが、キコキコと骸骨や天使の像や、キリストの12使徒が動く様子はとてもかわいらしいものです。たった20秒程しか動かないので、要注意の瞬間です。 確かに、今この時代にみると素朴で可愛らしいからくりですが、造られたのは15世紀で、この時代、このからくりはとても斬新なものだったのだそうです。それが今でもしっかり動いているのだから、驚きですね。 旧市街のお散歩を終え、お昼ご飯を食べて、この日は午後は自由時間でした。 ユーラシア旅行社で行くチェコツアー、プラハ また旧市街広場に戻ってきて、今度は時計塔の上に登ってみました。赤い屋根の美しい街並みの素晴らしさ、ただ歩いただけではこの街の魅力を知ることはできないなと、実感する瞬間です。 中世の街並みに、とてもわくわくした一日でした。(留置) >ユーラシア旅行社の、チェコツアーはこちら

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2015年9月 9日 (水)

サンクトぺテルブルグで芸術鑑賞(ロシア)

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先日、「こだわりホテルで巡るロシア、黄金の環と二大帝都」より帰国しました。
ツアーのタイトル通り、サンクトペテルブルグとモスクワでは素敵なホテルに連泊し、ゆったりと過ごすことが出来ました。素敵なホテルでくつろいだ後の観光にも気合が入ります。
ロシアといえばエルミタージュ美術館が有名ですが、私たちもたっぷり5時間の鑑賞を楽しみました。見どころもりだくさんの美術館ですが特に混雑必至のヨルダン階段は人が居なくなって瞬間を見計らっての記念撮影がおすすめです。皆様階段の中央に立ちポーズを決めて撮影を楽しみました。また、大人気のレンブラントの間を始め人気の部屋をガイドさんの案内でじっくりと鑑賞しました。
後半は自由時間とし、それぞれの興味のあるお部屋に分かれ鑑賞して頂きました。疲れた方は併設のカフェで一休みしながらショップを覗くのも楽しいでしょう。
また、2階のスペースでは、期間限定で時の人、建築家ザハ・ハディットさんの回顧展が開かれておりそちらも楽しむことが出来ました。いろいろな小さなお部屋が期間限定展示スペースとなっており、定期的に展示物が変わりますので再訪のお客様も飽きることなく自由時間目いっぱい見学を満喫されていました。
モネや、マチス・ピカソが描いた印象派の絵画の数々は現在新館に移っていますが、ツアーではこちらにもご案内シました。有名な作品が目白押しでいくら時間があっても足りないくらいです。どの絵を見てもどこかのガイドブックに載っているような名画ばかり。
エルミタージュ美術館はロシアを訪れるツアーではほぼ必ずご案内する観光地ではございますが、一点一点見て回ると1週間はかかるほどの名作揃い。ポイントを押さえたガイドさんの案内は欠かせないですね。印象派の作品も見逃せませんので、不完全燃焼にならないようにツアー日程も気にしながらツアーを探してみることをおすすめします。せっかくならじっくり観光して頂きたい!
また、ロシアといえばバレエやオペラが有名です。ツアーでは滞在中に本場のオペラかバレエを鑑賞するのですが、今回、私たちは、エルミタージュ美術館に併設されているエルミタージュ劇場でバレエ・白鳥の湖を鑑賞しました。知っているようで知らない白鳥の湖のストーリー。実は白鳥の湖のエンディングにはハッピーなものと悲劇的なものとがあります。皆様、最後まではらはらしながらの鑑賞となりました。(岡山)

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2015年9月 8日 (火)

サッソルンゴ直下のハイキングを楽しむ ~西側ドロミテを訪ねて~

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世界自然遺産に登録される雄大な自然地域ドロミテ山塊というと、コルティナ・ダンペッツオを中心とした東側の地域に焦点があてられがちですが、この度、ドロミテの西側の奥座敷、ガルディーナの谷にあるアルペ・デゥ・シウジやオルテセイ、フネスの谷にあるサンタマッダーレーナ村等に訪れる機会に恵まれました。

この地域は地元のイタリア人の週末の避暑地として人気の場所ですが情報が非常に少なく、まだまだ日本人観光客には知られていない、とっておきの場所です。私自身、かねてよりこの地域の象徴でもあるサッソルンゴ(3,179m)の写真を見て、是非一度訪れてみたい、と切望していた場所で、その願いがようやく叶った訪問でした。
多くの感動が得られた訪問でしたが、なかでも2つのハイキングコースが印象的でした。

【サッソルンゴ直下をセッラ峠小屋まで歩くハイキング(約3時間)】
ハイキングの拠点となるのは、愛らしい南チロルの伝統的な家々が建ち並ぶサンタ・クリスティーナの街。家々に美しいゼラニウムの花々が軒先を飾る光景が素敵な街です。スイスやチロルでも目にする光景ですが、同じ花を飾るにしても、お洒落なイタリア人の手にかかると、彼らのセンスの良さが手伝い、花々が心なしか輝きを増しているようでした。
そしていよいよサンタ・クリスティーナの街からリフトを乗り継ぎ、一気にサッソルンゴの麓へ!サッソルンゴはしばしば「鋭峰」や「怪峰」と呼ばれます。何故このように呼ばれるのか謎でしたが、麓にたどり着きその意味がわかった気がしました。

ハイキング前日、遠目で目にしたサッソルンゴは真四角な台形の岩山。それが、麓から真上を見上げたサッソルンゴの姿は、圧倒的な大きさと迫力で覆いかぶさるように空に聳えたっていました。雄々しい姿に暫し圧倒された後は、サッソルンゴ直下をセッラ峠小屋までハイキング。右手にそびえる岩壁は凹凸の激しく変化に富み、その反面、左手には広々とした展望が広がり、出現する風景に歩きながらも楽しむことができました。

コースはうねうねといくつもの尾根を回り込みながら緩やかに登り下りを繰り返します。途中のハイライトは坂を登りった眺望の良いコミチ小屋の草原でしょう。歩いて2時間の場所にあり、休憩するには丁度良い場所にあります。この場所には青い屋根の素敵な山小屋が建ち、イタリアらしいおいしい食事やワイン、カフェを楽しむことができます。ですが何と言ってもおすすめは無料で貸し出してくれるレジャーシートを敷いて草原で寝っころがりながら眺望を堪能することです。歩いてきた者だけに許される極上の眺望。青空の下、レジャーシートに寝っころがり山々を眺め新鮮な空気を一杯吸えば気分爽快!疲れも吹っ飛びます。
訪れたのは8月の最終の週末。子どもからお年寄りまで多くのハイカーで賑わっていました。彼らも思い思いに昼寝をし、お弁当を食べています。小粋なイタリア人の贅沢な休暇の過ごし方を少し羨ましく感じました。

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【ラショッツからブログレス峠を越えフネスの谷まで歩くハイキング(約5時間)】
2つ目は西側ドロミテガルディーナ谷の中心地オルテセイからケーブルカーに乗ってラショッツへのハイキング。
樹林帯の中を緩やかに登った後、アップダウンを繰り返しサッソルンゴやアルペ・ディ・シウジ、ガルディーナ谷を眺めながら歩きます。目的地は標高2,119mの場所にあるブログレス峠。

このブログレス峠からは、フネス谷の象徴ガイスラー山群の岩峰が美しく連なり言葉に言い尽くせないほどの素晴らしい眺めが広がります。山上の小さな山小屋のテラスに腰を下ろし、眼前の大パノラマを堪能しながら飲むエスプレッソの味と香りは格別でした。
休憩後、ガイスラー山峰をを眼前に見ながらガイスラーアルムまでもうひと頑張り。この地域に住む人々は従来牧畜を中心に生計を立てていましたが、近年世界遺産にも登録されハイカーが増えてきたのでおいしい食事を提供するかわいらしい山小屋を眺めの良い場所にいくつか建て営業し、ハイカーにとってはとても便利で安心してハイングすることができます。ガイスラーアルムの山小屋もその一つ。間近で見るガイスラー山群、お洒落な山小屋でのおいしいパスタや自家製アップルシュトゥーデルはどちらもはずせないお楽しみ。

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スイスアルプス、アオスタ、ピレネー、チロル、バイエルンアルプス、東側ドロミテ・・・これまでも各地を添乗で同行させて頂き、多くのお客様とともに感動を共有してきました。そして、今回訪れた西側ドロミテ。一般的にはまだまだ知名度が高くないかもしれませんが、どなたでも必ずや新たな感動を得ることのできる場所だと確信しました。来年のドロミテの新しい企画をお楽しみに! (伊藤)

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2015年9月 4日 (金)

欧州の飛び地や独立国セボルガ公国に行ってみました

先日、ユーラシア旅行社で行く「欧州小さな国々とルクセンブルク12日間」へ行って参りました。12日間で訪問した国は、ルクセンブルク大公国・リヒテンシュタイン公国・ヴァチカン公国・サンマリノ共和国・モナコ公国・アンドラ公国、そしてスイス・ドイツ・イタリア・フランス・スペイン。さらに自称独立国セヴォルガ公国、飛び地を3か所も巡ってきました。

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1日で2,3か国を巡る日があったり、ドイツ⇒フランス⇒ドイツと国境近くの道路を走っていると隣国を出たり入ったりするようなこともあり。数か国と国境を接する欧州の国をこのように巡ると、島国・日本に住む私たちは、なんとも不思議な気分になります。いまでは大国になっているドイツやフランスは、中世時代、公爵領や大公国などたくさんの小国が寄り集まっていて、近代にそれらが“統一”したことから現在の大国に至っています。そのときに統一されずに何らかの要因で他国の小国や領土が大国の中に取り囲まれるように残されてしまったのが飛び地。スイスの中のドイツの飛び地ビュージンゲンは、領主が窮乏ゆえに所有領地を手放し他の人に売ったり、戦争で所有者が変わったりという経緯を持った場所。一時はハプスブルクのチロル大公が所有する時代もありました。スイスの中のイタリアの飛び地カンピョーネ・ディターリアは所有していた領主がミラノの教会に寄進して教会の所有地だった為に、教会領を強く主張してスイスに統合されず残ってしまったという経緯。このような飛び地の歴史も興味深く、またこの経緯がわかると、いまや大国となった国々は、かつて公爵や伯爵、教会が所有する領土がたくさん寄り集まっていたことを実感できました。

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今回のツアーではセボルガ公国というちょっと変わった自称独立国を訪問したことは非常に印象深い訪問でした。イタリア統一のときに統一されたという根拠に正当性がないので、ここはイタリアの一部ではなく統一前のセボルガ公国という独立した国だと主張。どんな国なのだろうとドキドキして向かいました。意外、というのは失礼ですが、“国”の中の風景は中世の雰囲気を残す細い石畳の小道や教会、礼拝堂、建物が建ち並び、展望所からは遠くに地中海と天気が良ければモナコが見えたりと、国散策は絵になるような素敵な景色がたくさん目に飛び込んでくるものでとても印象的でした。お土産には国で作られるワインやお菓子から独自の切手や硬貨、そしてパスポートまでも製造し売っていました。お店では民族衣装を着た方も出迎えてくれました。そして今回、2010年に即位した若き(36歳)セボルガ大公マルチェッロ1世が何と私たちを出迎えてくれ、記念写真やサインもしてくれました。

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1カ国をじっくり巡るスタイルが多い弊社のツアーのなかで、現地滞在9日間で11カ国を巡るというなかなかの弾丸ツアー。毎日国が変わるので、挨拶も昨日はグーテルモルゲン、今日はボンジョルノ、明日はボンジュール。ときには午前、午後で挨拶の言語が変わるのもこのツアーならではの面白さ。国が変われば食事も街並みも文化・習慣も変わる変化に富んだ毎日でした。移動で5回使用した列車移動も日本とのスタイルの違い(指定席に堂々と指定券を持っていない人が居座ったり・・・)に最初は戸惑いながらも、権利を主張する欧州スタイルにお客様がだんだん慣れたり、みんなでお菓子を出し合って和気藹々しながらの列車移動は遠足気分。グループでの団結や協力あってのツアーで、欧州の広範囲地図を広げて移動した足取りを最後に辿りなおしてみると、帰国時には皆様の身体からは清々しい達成感が発しているように見えました。(髙橋)
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2015年9月 3日 (木)

過酷な地で暮らす?エトーシャ国立公園の動物達(ナミビア)

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 先日、ユーラシア旅行社の「ナミビア・スペシャル8日間」の添乗より帰国致しました。ナミビアと聞くと、やはりナミブ砂漠が圧倒的に有名かと思いますが、それ以外にも見所はたくさんあります。世界遺産にも登録されているブッシュマンが描いた岩壁画、昔ながらの生活を続けるヒンバ族、2000年生き続けるウェルウィッチアなどナミビアの大自然と文化を存分に味わった8日間でした。
 なかでも印象に残ったのがエトーシャ国立公園のサファリです。この国立公園は世界的にも最大規模を誇り、四国と同じくらいの面積を有す敷地内には、約114種の哺乳類、340種の鳥類が生息しているそうです。サファリというと、真っ先にケニアやタンザニアを思い浮かべる方が多いかと思います。エトーシャでのサファリスタイルは少し異なります。ケニア・タンザニアのドライブサファリは4WDに乗り、ドライバーが情報交換をしあって動物を探すといった流れになりますが、エトーシャ国立公園で乗るのは通常の中型バス。それで本当に動物は見えるのか?と心配する方もいらっしゃいますが、心配ご無用。エトーシャ国立公園がある地域はアフリカの中でも特に乾燥した、動物が生きていくには過酷な地と言われています。そんな過酷な地にも動物たちのオアシス、水辺が複数点在しており、動物たちは毎日水辺を求めて移動しながら生活しているのです。つまり、『水ある所に動物あり』。私たちがサファリ中に目指すのも公園内に点在する複数の水辺です。水辺を共有する動物たちの姿はまさにエトーシャらしい絶景。シマウマ、スプリングボック、ヌー、オリックスなどの草食動物たちが何頭も集まって、水を飲んだり、水浴びをしたりとオアシスを堪能しています。また、ちょうど私たちが水辺に到着した時に象の群れがやってきてくれて、象たちが目の前を通り過ぎて水辺に向かっていきました。子供から大人まで仲良く水を飲む姿はとても可愛らしかったです。

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 草食動物もいいですが、やはり肉食動物を見た時の興奮は抑えられません。今回は幸運なことにスプリングボックの狩りに成功し、口の周りを血で真っ赤にしながら肉に食らいつく雌ライオンをすぐ近くで見ることができました。その距離なんと約3~4メートル!サービス精神旺盛なこの雌ライオンは、肉に食らいついてそれを振り回したり、バスの前を行ったり来たりとまるでモデルのように様々なポージングで写真を撮らせてくれました。
沢山姿を現してくれた動物たちのお陰で、大満足のサファリとなりました。(市川)

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2015年9月 2日 (水)

真夜中の太陽に出会う旅(ノルウェー)

 先日、「北欧物語15日間」の添乗より帰国致しました。今回のツアーではノルウェー、フィンランド、スウェーデン、デンマークの4か国を巡りましたが、その中でも特に私の印象に残った場所が北極圏のノールカップです。
 
 ノールカップはノルウェー北部に位置するマーゲロイ島にある岬で、その北緯は71度10分21秒。ヨーロッパ最北端に位置する岬です。目の前にはバレンツ海が広がり、その水平線の眺めを邪魔するものは何もなく、まさにそこは大陸の最先端。そんなノールカップが世界で有名な理由には、ヨーロッパ最北端の岬であることの他に、“真夜中の太陽”が見られる場所であることも挙げられます。
 
 地球の自転軸が傾いているために、ノルウェー北部では夏の間、太陽が沈まず、24時間ずっと明るい“白夜”を迎えます。その時期ノールカップでは、太陽が水平線上をなぞるように進む“沈まない太陽”を見ることができるのです。私たちが訪れた8月上旬は白夜の時期は過ぎていましたが、それでも太陽が沈むのは23時01分。日にちを跨いだ日の出の時刻は1時46分であったため、ツアー中に“真夜中の太陽”を見学する時間を設けていました。
 
 それまでのノルウェー滞在中は曇りや雨でなかなか天候に恵まれなかったのですが、ノールカップ観光当日は快晴。美しい日の入りの瞬間を見ることができるのではないかと期待に胸を膨らませながら、夕刻に一度ホテルの部屋に入ってしばらく休んだ後、夜に宿泊していたホニングスボーグの町を再び出発。夜と言っても太陽はまだ沈んでいないため、辺りはまるで夕方のようでした。バスで40分程移動し、ノールカップ到着後、地球儀のモニュメントのある屋外の展望台へと向かいます。しかし水平線付近には筋状の雲があり、日の入りの瞬間が見ることができるかできないかという瀬戸際。海からの風も強く、夏とはいえ緯度が高いために気温が低く、早く建物の中に入りたいという気持ちと葛藤しながら、どうしても日の入りの瞬間を見たいと、少し我慢して、たくさんの観光客と一緒に展望台で待機していました。すると、日の入りが近づくにつれ、筋状の雲に太陽の光が反射して、赤・オレンジ・黄色・緑・水色とグラデーションの美しい景色が目の前に現れたのです。今回は残念ながら太陽が水平線下に沈む瞬間を写真に収めることはできませんでしたが、それまでのツアーの天気が芳しくなかったこともあってか、ヨーロッパ最北端での日の入りという貴重な瞬間を目の当たりにできた喜びは大きいものでした。

北欧ツアー

 日の入り後の太陽は水平線下の浅い所を移動しているため、辺りはなかなか暗くならず、再び夕方のような状態が続きます。空を見渡してみると、そこには半月がひっそりと佇んでいました。

北欧ツアー

本来であればたくさんの星々と夜空を飾ってくれる月ですが、太陽がメインのこの時期は、まるで太陽を盛り立てているかのよう。夜とは言えない、ちょっと不思議な明るい夜を存分に味わった旅となりました。(越野)

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2015年9月 1日 (火)

プリスロップ祭で村々の素朴な踊りを見てきました(ルーマニア)

ルーマニアツアー、ルーマニア旅行

先日、ルーマニアの添乗に行ってまいりました。ルーマニアにはのどかな農村、人情あふれる優しい人々、世界遺産に登録されている東方正教会の修道院や木の教会、ドラキュラ伝説で有名なブラン城、チャウシェスク独裁政権の夢の跡が残る首都ブカレストなど見所がたくさんあります。そういったルーマニア観光の押さえどころに加え、今回のツアーでは一年に一度のイベント、プリスロップ祭にも足を運びました。
プリスロップ祭はルーマニア北部のプリスロップ峠という所で行われます。本当に田舎なのでプリスロップ峠はグーグルマップでもでてきません。同じ名前の町ならありますが…。その峠で毎年、近隣の村々の代表グループがそれぞれ自身の村の伝統的な踊りと衣装を披露します。村同士の交流を深めるために昔から代々行われてきた歴史の深いお祭りです。
プリスロップ祭当日、峠に到着するとそこには既に現地の人々でいっぱい。お祭りは2日間にわたって行われますが、2日間で5~6万人が訪れるほどの規模。1日目から屋台や市場などが立ち並び、2日目のお昼にメインイベントの村々の踊りの披露があります。私たちも屋台レストランでバーベキューランチを頂いて、踊りが始まるまで屋台や市場を楽しみながら待ちます。もちろん、何時から何が始まるというプログラムなどはありません。大体お昼頃、出演者の準備が整い次第、始まります。今年は幸い、毎年恒例の村長の長い話もカットされて、そんなに遅れることもなくスタート。
いよいよ村の伝統衣装に身を包んだ、子供から大人までのグループがステージに上がります。素朴だけれどもよくみるとタップが激しい伝統の踊りをどの村のグループも笑顔で披露します。それぞれの村独自の衣装、踊り、歌で私たちも思わず夢中に。観衆の中には一緒に踊りだすおじさんもいました。

ルーマニアツアー、ルーマニア旅行

踊りの発表が終わり、ステージから降りたところでは家族や友人が写真を撮ったりして賑わいます。私たちも便乗して写真を撮らせてほしいとお願いすると快く応じてくれました。そこでたたずんでいると、見知らぬおばあちゃんがルーマニア語で話しかけてきました。ほぼルーマニア人しかいないお祭りに日本人が10数名で珍しかったのでしょうか…何を言っているかさっぱり分からないけどお互いに笑顔。今も昔もこの峠でずっと行われてきたお祭りに、外国人だけど混ざることができた気がしました。(長田)

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