組曲「展覧会の絵」の「キエフの大門」と、キエフの「黄金の門」(ウクライナ)
先日、ウクライナのツアーより帰国致しました。
988年、ウラディミール大公によって東方正教会を国教にしたウクライナ。今でこそ国名を「ウクライナ」と言いますが、建国当時は「キエフ公国」の首都でした。キエフは現在のロシアから見た「キエフを首都としたロシア」、つまり「キエフ・ルーシ」の首都だったのです。13世紀に入り、モンゴル軍がキエフを支配するようになり、キエフ公国は滅びると、首都はモスクワ公国へ移転しました。現在のロシアの首都モスクワです。そう考えると、「ルーシ(ロシア)」の首都としては、キエフの方が200年ほど古い街だと言えます。
キエフの街を歩いていると、黄金のドームをいただくペチェルスカヤ修道院や聖ソフィア寺院から往時の繁栄を感じます。ペチェルスカヤ修道院の内部はフレスコ画やイコンに彩られ、人々の拠り所として信仰を守り続けてきたことが窺われました。また敷地は全長7kmもの壁に囲まれていて、その規模にも驚きです。
さて、きっと誰もが耳にしたことがある曲、ムゾルグスキー作曲の組曲「展覧会の絵」の中の「キエフの大門」。キエフには今でも「黄金の門」が建っていますが、クラッシックファンなら、これが「キエフの大門」なのか気になるところです。実在する「黄金の門」は1240年もモンゴル来襲によって破壊され、1982年にその遺構の上を覆うようにして建てられたものです。「キエフの大門」はと言うと、1869年にハルトマンという建築家がキエフの門の再建コンペに応募した図案に由来しています。結局、キエフの門の再建計画は実施されないまま終わり、ハルトマンは亡くなりました。そしてハルトマンの友人であったムゾルグスキーが亡き友人を追悼するために作曲したのが、「キエフの大門」でした。現在の「黄金の門」と「キエフの大門」は直接の結びつきはありませんが、壮大なフィナーレのこの曲を聴くと、かつてのキエフの栄華と、ムゾルグスキーの悲しみの両方を感じます。これからも「展覧会の絵」を聴けば、古の都キエフが浮かんでくることになるだろうと思いながら町を歩きました。(斎藤さ)
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