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2016年1月

2016年1月29日 (金)

「ラオスにいったい何があるというんですか?」その答えは…

 

ラオスツアー

 先日、「ラオスハイライト9日間」のツアーより帰国致しました。

 皆様がラオスと聞いて思い浮かべるものは何でしょうか。昨年、村上春樹さんが自身の旅行記をまとめた、『ラオスにいったい何があるというんですか?』という著書を発表されましたが、確かに何があるんだろう…と思った方も少なくないと思います。

 ラオスは東南アジアの国の1つ。東南アジアと言えば、リゾート地として発展してきたインドネシアや、古い遺跡が残るカンボジア、発展著しいベトナムなどが思い浮かびますが、ラオスはそのどれとも異なる、静かで仏教寺院の多く点在する国。僧侶たちが早朝行う托鉢はラオスを特徴づける1つの要素であり、村上春樹さんも是非体験してほしいと書かれています。

 では、ラオスは仏教信仰の盛んなだけの国かというと、決してそうではありません。国土の大半を山地が占め、大河・メコン川をはじめとする川が悠々と流れる、自然にあふれる国でもあるのです。そして、私が今回のツアーで特に魅力を感じたのは、町の真ん中をナムソン川という川が流れるバンビエンです。

 バンビエンは周りを石灰岩の山で囲まれた町で、中国に「桂林」と呼ばれる石灰岩の岩山の景観が素晴らしい場所がありますが、実はバンビエンは「ラオスの桂林」と呼ばれています。確かに、その独特な地形と静かな雰囲気が似ているような気が…。朝早くにホテルから眺めた風景は、思わず写真を撮ってしまう程美しいものでした。

 そんなバンビエンを思いっきり味わうことができるのが、ナムソン川のクルーズです。2人乗りの小型モーターボートに乗り込み、いざ出発。周りはとても静かで、ただ、モーター音がブンブンと響くのみ。心地よい風に誘われて目を上げてみれば、そこにはちょっと奇妙な姿でどっしりと構えた石灰岩の岩山が聳えています。川の途中には手作り感が溢れる橋が架かり、そこを子供たちが駆けていく…。東京に身を置く私には、まるで実家のある田舎に遊びに来たかのような、のんびり落ち着いた気分にさせてくれる、癒しのひと時となりました。

ラオスツアー

 

 国名を告げられず写真だけを見せられたら、これがどこの国かと答えるのは難しいでしょう。しかし、だからこそ、ラオスにはまだ知られていない魅力が隠されているに違いありません。「ラオスにいったい何があるというんですか?」ラオスを知らない人は確かにそう疑問に思うはず。私だったら、今の生活にはないものがある、と答えます。(越野)


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2016年1月28日 (木)

コスタリカの温泉?!タバコンリゾート

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先日、「コスタリカ大自然紀行 9日間」のツアーから帰国しました。中米のスイスと呼ばれ、軍を持たず、治安も良好。国土の約24パーセントが保護区に指定され、世界中の動物の5パーセント、鳥類や蝶類の10パーセントが存在しているというコスタリカ。今回のツアーでもナマケモノや火の鳥のモデルともなった鳥、ケツァールや水面を走るバジリスク、青い羽が美しい蝶のブルーモルフォや赤と青の珍しいブルージーンズカエルなどたくさんの生物と出会いました。
また、コスタリカは山が多い国で活火山もあります。その為日本のように、温泉が出る場所はスパリゾートになっています。今回はアレナル火山の麓のタバコンリゾートまで足を延ばし、大自然にある温泉も満喫できました。この温泉は全てが屋外にある掛け流しの天然温泉。この温泉の始まりはアレナル火山の噴火でもともとあった川がマグマで暖められたところから。温度は40度程度で、疲れた体にはピッタリな湯加減です。大きな敷地にコスタリカらしいジャングルのような雰囲気の中での入浴が楽しめます。
滝になっている所や、滑り台、ムーディーなプールバーがあり、何時間いても飽きない、日本とは一味違った温泉です。ジャングルの中なので設備面は?と思いますが、心配ご無用!温泉内の遊歩道などは全て整備され、バスタオルやロッカーも完備されており、日本とほとんど同じクオリティーなのです。自然を生かす観光、コスタリカのエコツーリズムの可能性をさらに感じました。(杉林)

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2016年1月27日 (水)

「アフリカ大陸最南端アグラス岬から拝む、2016年初日の出!」

先日、アフリカ大陸最南端アグラス岬と喜望峰、南部アフリカ4ヵ国周遊のツアーより帰国致しました。ビクトリアの滝、チョベ国立公園、喜望峰など南部アフリカの主要な観光地を網羅したツアーです。そして、一番のハイライトはアフリカ最南端のアグラス岬から望む初日の出です!

「え?アフリカ最南端って喜望峰じゃないの?」
こんな言葉が聞こえてきそうですが、喜望峰からさらに60㎞南にアグラス岬があり、こちらが最南端、喜望峰は最西南端とされています。

1月1日午前3時にホテルを出発。日の出予定時刻の30分前にアグラス岬に到着。最近では木道もでき、大西洋とインド洋を分ける石碑もあります。アフリカの最果て、岩に座り、それぞれ思い思いにじっと日の出を待ちます。私も去年あったこと、今までのお正月のこと、今家族や友人はどうしているかなど海と空を眺めながらぼうっと考えました。雲も一部出ていますが、だんだん空が赤くなっていきます。

午前5時37分、雲の切れ目から太陽が昇り始めました。2016年初日の出を特別な場所で迎え、新年へのエネルギーをもらえた気がします。皆様で集まり、お屠蘇で乾杯。2016年もどうぞよろしくお願い致します。(長田)

アグラス岬 日の出

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2016年1月26日 (火)

見るものを圧倒させるタレーブアデーン!

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先日、「【年末特別企画】ラオス大周遊 9日間」の添乗より帰国致しました。今回の旅はまずタイから国境を越え、ラオスの首都ビエンチャン、ラオスの桂林と呼ばれるバンビエン、謎の石壺があるシェンクワン、世界遺産のルアンパバーンを順番に巡りました。

今回一番の見所は赤い蓮の花が見事に咲く「タレーブアデーン」。

タレーブアデーンはウドンタニ近郊にある総面積約36万k㎡の広大な湖です。「タレー」=湖、「ブア」=蓮、「デーン」=赤色で、直訳すると「赤色の蓮の湖」という意味です。

蓮の花が咲くのは12月から2月の2ヶ月限定でまさにベストシーズンにお客様をご案内できました。まずはバスを降りてボート乗り場へ向かい、6人乗りのボートに乗り、蓮の花が密集している場所へ。

咲いているかどきどきしながら行ってみると、そこは辺り一面赤い蓮の花で埋め尽くされており想像以上に見事でした。まるで別世界に来たようなそんな気分に。ボートで蓮の花が手に届く距離まで近づき写真タイムを取りました。他にもラオス人やアジア圏の人々が見学に来ていましたが、皆写真を撮るのに夢中になっていてボートから落ちそうになる人もいました。

約1時間の観光を終え、もっとここにいたいですねとお客様と話しながらその気持ちを抑えて次の観光場所へと移動しました。

他にもまだあまり人々に知られていない観光場所やのんびりとしたラオスの雰囲気を十分に堪能しました。料理も美味しい、人も優しい。またいつかラオスに行きたいと思えるそんな9日間でした。(山下)

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http://www.eurasia.co.jp/attraction/feature/laos

 

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2016年1月22日 (金)

2016年、出だし好調!300匹のヒヒに囲まれる!?(北エチオピア)

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先日、年末年始の「北エチオピア五大世界遺産紀行12日間」より帰国しました。
エチオピア航空が成田空港に就航以降、人気急上昇中のエチオピア!弊社だけでも、年末年始のエチオピア・ツアーが4本もありました。
北エチオピアを回るツアーで欠かせないのが、ラリベラの岩窟教会群、アーク伝説が息づくアクスム、青ナイル川の源流タナ湖などの観光地です。今回は12日間ということもあり、これらの観光地に加え、世界自然遺産のシミエン国立公園にも足を伸ばしました。
シミエン国立公園は、標高4000メートルの山脈の懐に広がり、固有の動植物が生息しています。特に園内を代表する動物が、ゲラダヒヒといわれる高地に生息するヒヒです。大群で生活する雑食のヒヒで、野生でありながら、人間を全く恐れません。国立公園や世界遺産になる以前から、この地で農耕を営む人々が動物と共存してきた結果、人間は敵ではないと彼らが分かっているのでしょう。草を器用にむしって口に運ぶ姿が、何とも可愛らしかったです。

そして今回はラッキーなことに、300匹ほどの大群に出逢うことが出来ました!現地のガイドさんも、「数十匹の群れはよく見かけるが、ここまで多いのは本当に珍しい」と言っていました。申年の2016年、たくさんのお猿さんに囲まれて、何とも縁起の良い滑り出しでした!「今年は地道にこつこつと多くのものを吸収していきたい」ゲラダヒヒの食事風景を見て、そんな目標を心に思うのでした。(飯野)

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2016年1月21日 (木)

インパクト大のゴアガジャの洞窟の中へ突入!(インドネシア)

Photo
先日、ユーラシア旅行社企画「芸術の島バリと歴史遺産の宝庫ジャワ島7日間」より帰国致しました。今回のツアーは、同じ国でありながら、全く異なる文化を持つバリ島とジャワ島の魅力を堪能する旅です。特にインパクトが強いのが、写真の「ゴアガジャ」です。「ゴアガジャ」は、バリ島の南東にある11世紀頃に造られた石窟寺院です。
バスを降りて木々の生い茂った中に作られた階段を下って入口へ向かいます。世界最大の果実といわれるジャックフルーツが実っておりました。ここからもう冒険気分です。辿りついた入口で、半ズボンをお召しの方はサロンを借りて腰に巻きます。一気にバリ人に早変わり!といった感じで皆様お似合いでございました。そして、手前に沐浴場があり、奥にやっと写真の顔が見えてきます。魔女ランダをモチーフにしたとされるその顔のレリーフは、迫力満点でした。向かって斜め左から近づいていくのですが、目が左を向いていて計算しているのかと思うほど、目が合ってドキッとしてしまいます。洞窟の中には、ヒンドゥー教の神シヴァ、ヴィシュヌ、ブラフマーを表すリンガとガネーシャ像が祀られています。中は狭く、サウナのような感じであまり長くいられない状態でしたが、線香の香りと熱気と薄暗さが合わさって神秘的な雰囲気を感じました。また、感心するのが、どんなに小さな像でも壊れていてもサロンが巻かれていることです。ほとんどが白と黄色の2色です。それぞれ仏教とヒンドゥー教を表していて、2つの宗教が融合した独特なバリヒンドゥーを信仰するバリの方々の信仰の深さも感じられました。(五島)

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2016年1月20日 (水)

様々な顔を見せるアンコール・ワットで初日の出(カンボジア) 

アンコール・ワットの初日の出

  先日、「シェムリアップ5連泊!アンコールじっくり周遊とプレア・ヴィヒア」のツアーから帰国しました。今回は、アンコール遺跡に近いホテルに連泊しながらシェムリアップ付近に残る遺跡を巡り、新年を迎えるカンボジア年越しツアー。雲ひとつない日も有り、絶好の遺跡観光日和でした。
 「東洋のモナリザ」を特別に間近で鑑賞できたバンテアイ・スレイ、最近観光できるようになった天空の寺院プレア・ヴィヒア、「天空の城ラピュタ」のモデルとして有名なベン・メリアなど、魅力的な遺跡がたくさんある中、ベタですが、一番印象的だったのはアンコール・ワットでした。今回の7日間の日程中に、2度訪れる機会がありました。
 まずは最もレリーフが綺麗に残る第1回廊から入り、日本人で始めてアンコール・ワットを訪問した森本右近太夫一房の墨の落書きが残る第2回廊(十字回廊)、そしてアンコール・ワットの中心の第3回廊へと向かいます。運のいい事に、いつもは込み合っている第3回廊へは30分ほどの待ち時間で上ることができました。舗装された急な木の階段を上ると、心地よい風が吹き抜け、シェムリアップ一高い場所へ辿り着きます。街ではアンコール・ワットよりも高い建物を作ることが禁じられているので、周りを見渡すと、青い空と雄大な自然が一面に広がっており、それを眺められただけでも30分待った甲斐が感じられました。
 そして夕暮れ時、沈み行く夕日に照らされるアンコール・ワット・・・も魅力的ですが、今回はレリーフに注目。夕日が沈む寸前、ほんの一瞬の時間ですが、照らされたレリーフが黄金色に輝き、彫刻が浮き出て見えます。まるで今にも動き出しそうな躍動感のある姿に感動。柱の影や自分の影を使って、工夫しながら写真を撮っている方もいらっしゃいました。
 さて、今回アンコール・ワットを訪れたのはこの日だけではありません。2016年元日、まだ暗いうちにホテルを出発。アンコール・ワットには初日の出を見ようと既にたくさんの人が集まっており、今か今かとその時を待っていました。段々と夜が明けていき、神秘的な空気に包まれながら少しずつ姿を見せるアンコール・ワット。近くには今年の干支の申(猿)の姿を見つけ、「なんだか今年はいい事がありそうだなぁ」と勝手に1人でおめでたい気分に浸りながら、まだ見ていなかったレリーフを見に皆様で第1回廊へ。少し見学した後、もう一度アンコール・ワット前へ戻ると、ついに太陽が顔を出し始めました。ありがたいご来光をぼーっと眺め、ふと我に返って周りを見渡すと、待ってましたと言わんばかりに一斉にシャッターを切る人々の姿が。私は思わずその光景をカメラに収めてしまいました。隣にいらっしゃったお客様も同じ写真を撮り、一番面白い写真が撮れたかもとご満悦。
 2016年の幕開けはアンコール・ワットで初日の出を拝みながら、皆様お屠蘇代わりの日本酒で乾杯!新年を神聖な場所で迎え、私も心機一転、今年一年も頑張ろうと心に誓いました。(日裏)

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2016年1月19日 (火)

ガダルカナルとラバウルを訪ねて(ソロモン・パプアニューギニア)

ラバウルの零戦
先日、戦後70年、節目の年に企画された特別ツアー「さらばガダルカナル、ラバウル8日間」のツアーより帰国しました。
今、現在、ガダルカナルとラバウルと2つの地名を聞いて、戦争を思い浮かべる事が出来る人はどれだけいるのでしょうか。太平洋戦争のさなかの昭和17年。はるか太平洋の南に浮かぶ島、ガダルカナル。この島を巡り、日本軍とアメリカ軍の半年にも及ぶ激しい戦いが繰り広げられました。投入された約3万人以上の兵士のうち、2万人以上が犠牲となり、そのほとんどが飢えと病によるもので、ガダルカナルは餓島と呼ばれました。今回はそんなガダルカナルと、日本軍の南太平洋侵攻の基地として、時に100機以上もの零戦が並んだニューブリテン島のラバウルの戦跡を巡って参りました。
占領された飛行場を奪還すべく送り込まれた兵士達一支隊が十字砲火を浴び全滅した海岸や、おびただしい血が流れた血染めの丘、食料や弾薬を輸送船で運び込もうとするも、空と海からの猛烈な攻撃により燃え落ちた船、山砲や野砲、零戦や一式陸攻の残骸。多くの戦跡を訪れ、70年以上前に日本から遠く離れたこの地で起こった出来事を聞き、また言葉にする度に、どうしようもない気持ちで頭と胸がいっぱいになりました。自分ではうまく伝えることが出来ませんが、この先、何年、何十年と時が流れてもここであった事は決して忘れてはいけない、また、この地にもっと多くの人に訪れて欲しいと思いました。2度と同じ悲劇を繰り返されないよう、日本の、そして世界の平和を願わずにはいられませんでした。
ラバウル温泉
ラバウルのシンボル、ダブルブル火山は当時航空隊の搭乗員の目印になっていた活火山で、日本人は「花吹山」と呼んだそうです。この火山の近くには温泉が湧き出ており、かつては日本兵士も利用していたのだと聞きました。「同じ景色を見ていたんだ」そんな時温泉に浸かったお客様が大きな声で歌っていたラバウル小唄、しばらくの間、私の耳に残って離れませんでした。(岩間)

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2016年1月15日 (金)

セイロンティーの本場、ヌワラエリヤへ!(スリランカ)

ヌワラエリヤの茶畑

先日、「光り輝く島スリランカ探訪~世界文化遺産の全て~ 8日間」のツアーより帰国致しました。スリランカと言えばシギリヤロックを始め自然や仏教遺跡、リゾート地まで様々な魅力が詰まった国です。そしてもうひとつ忘れてはいけないのが、セイロンティーです。

もともとは1870年頃害虫発生により閉鎖されたコーヒー農園の跡地に紅茶の木が植えられたのが始まり。それがどんどん拡大され、世界で名だたる名産地になりました。

今回のツアーではスリランカ五大紅茶名産地の一つヌワラエリヤを訪れました。旅の中盤の5日目、聖地キャンディを後にし、少しすると、くねくね道に差し掛かります。左右に体を揺られながら、2時間ほど登ると段々景色が変わり、見渡す限り茶畑が一面に広がります。標高約1800m地点までくると、そこはもうヌワラエリヤです。バスを降りるとひんやりとした高原地帯らしい気候を肌で感じます。そして早速、紅茶工場見学のスタートです!工場に入ると外の涼しさとは一転生暖かい空気に包まれ、ふんわり紅茶の香りが漂います。

茶畑から採ってきた茶葉をしおらせ、茶葉をもんで自然発酵、茶葉のカット、発酵、乾燥、茶葉を等級で分け・・・・と、紅茶製造の過程を間近で見ながら工場の方から紅茶の作り方を教わりました。見学後はお待ちかねの試飲タイム。品質の異なるオレンジ・ペコを飲み比べ。出来立ての茶葉を使用した紅茶は味わい深く、贅沢な気分になりました。

ホテルに向かう途中では、丁度茶葉を収穫する様子が見えたので、バスから降りて近くまで見に行きました。20代前半の女性が手摘み、特殊なカッターを使用する2つの方法で、いとも簡単にたくさんの茶葉を取って見せてくれました。その熟練した手先に皆釘付け!女性を真似て茶摘みをする方も。カッターを使用するのはなかなか難しく技術が必要でした。茶葉の収穫現場から紅茶の試飲まで、セイロンティーを堪能した一日になりました。(大和田)

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2016年1月14日 (木)

皆で挑戦!ウユニ塩湖トリック写真大会(ボリビア)

先日、「マチュピチュ、ナスカの地上絵とウユニ塩湖 11日間」の添乗より帰国致しました。旅はペルーから始まり、いまだ謎の多いナスカの地上絵の遊覧飛行、空中都市マチュピチュ遺跡も2泊のたっぷり観光、そして、今観光地として最もホットなボリビアのウユニ塩湖を巡ります。
今回一番楽しみにされていたお客様も多かったウユニ塩湖はマチュピチュ同様2連泊で日中の観光はもちろん、朝日、夕日、星空観賞と一日中盛り沢山です。今回は幸運にも天候に恵まれ、星空観賞ではキラキラと煌めく満天の星を堪能することもできました。
ウユニ塩湖にくると、シャッターを切る手が止まりません。広大な土地に真っ白な塩の大地の絶景はもちろんのこと、遠近法を活用して撮るトリック写真など様々な写真撮影を楽しむことができます。雨季の水鏡を利用して、湖面に映す「UYUNI」の文字は、ウユニ塩湖に行ったことがある方なら必ず挑戦する人文字でしょう。でも、誰もがやっていることをやるだけではつまらない、もっとオリジナリティーを出したい!という方もいらっしゃるのではないでしょうか。今回はそんなチャレンジャーなお客様が多く、これはできないだろうか?こうすればいいんじゃないか?と案を出し合い、新作(!?)の人文字に挑戦しました。
Japan
まずはウユニに対抗して「JAPAN」!「A」があるとバランス感覚も要求されるので[UYUNI」を作るよりも体力が必要かもしれません。

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そして丁度年末のツアーだったので「NEW YEAR」!(「HAPPY NEW YEAR」は人員不足の為断念しました)海外旅行中だと、紅白歌合戦は見れません。なかなか大晦日や新年を実感することができないかもしれませんが、皆様で協力して撮影したこの写真を見ると、もう2016年になるのだなと実感することができました。
他にも自信作の写真は沢山ありますが、ここでご紹介するのはこの二つだけにしておきましょう。皆様で力を合わせて取った写真たちは最高の思い出になりました。また行く機会があったら、さらなる最新作にも挑戦したいと思います。(市川)

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2016年1月13日 (水)

〽風も吹かんのに ゆらゆらと~ 「祖谷のかずら橋」を渡ってきました!

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先日「大塚国際美術館と大歩危、祖谷!徳島・香川、アートと歴史と絶景の旅 3日間」の添乗に行って参りました。徳島県と香川県の魅力をギュッと凝縮した今回の旅。毎日が見所満載で「大歩危・小歩危」の絶景や紅葉を愛で、「大塚国際美術館」では殆ど貸切り状態で、たっぷりと世界の名画を鑑賞することができました。最終日には源平合戦の名場面〝那須与一の扇の的〟の舞台である「屋島山上」にも訪問し、まさにツアータイトルの通り、自然、美術、歴史に触れる3日間となりました。ホテルに戻れば、連日、温泉に浸かり、疲れを癒して、新鮮な海、川、山の幸に舌鼓を打ち、心も体も綺麗になった旅でした。

今回、お客様の多くが楽しみにされていたのが「祖谷のかずら橋」を渡ること。標高1000メートル前後で育つ、かずらの木を蒸し柔らかくして編んで造った吊り橋を「かずら橋」と言います。江戸時代には祖谷の山々の至る所に架けられていたということですが大正時代にはすっかり姿を消してしまい、この「祖谷のかずら橋」は昭和30年に国の重要有形民俗文化遺産に指定されました。私たちが渡った「かずら橋」は昭和3年に復元して架けられたもので、江戸時代のものに比べると、とても頑丈に編まれています。定期的にメンテナンスもされているので、途中で切れてしまうかも?!なんて心配は無用、安心して渡ることができます。とはいうものの、いざ渡ろう!と思うとなかなかスリリング。足場には木の板が張られているのですが、その隙間は20センチ程あり、その14メートル下を轟々と祖谷川が流れているのです。一歩、また一歩、と歩みを進める度に、ゆらゆら揺れるかずら橋。先人たちもこの橋を渡るには大変な苦労があったようで、その様子が民謡「祖谷の粉ひき唄」の歌詞にも表れています。

〽祖谷のかずら橋や 蜘蛛の巣のごとく 風も吹かんのに ゆらゆらと
祖谷のかずら橋や ゆらゆら揺れど 主(だんなさんの意味)と手を引きゃこわくない
祖谷のかずら橋や 様となら渡る 落ちて死んでも2人ずれ (1、2、3番の抜粋)

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日本三大奇橋の1つに数えられる「祖谷のかずら橋」。なぜ、昔の人々は、このような不安定で奇妙な橋を造りはじめたのでしょうか。その理由は源平合戦にあると言われています。文治元年(1185年)3月、屋島の戦いに敗れた平国盛ら32名の一行は、この祖谷の地に落ち延びてきました。彼らは敵である源氏の追ってが来た際に、すぐに橋を断ち切れることが出来るようにこのような方法で橋を架けたのだそうです。

唄の歌詞のように、ご夫婦で手を取り合い渡ったお客様、左右のかずらにしがみ付きながら渡ったお客様(私も含め)、こんなのへっちゃら!と手放しで渡った外国人ファミリーのお父さん、早々にギブアップ!と横目でゆらゆら揺れるかずら橋を眺めながら隣のコンクリートの橋を渡った方・・・個性と度胸が垣間見られる「祖谷のかずら橋」、滅多に体験できない良い思い出となりました。(三橋)

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2016年1月12日 (火)

ミャンマーの気球祭り

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先日、「全日空直行便で行く ミャンマーの古都と世界遺産ピイを訪ねて15日間」の添乗より帰国致しました。
今回のツアーでは気球祭りにご案内しました。毎年11月の満月に合わせ行われるミャンマーの伝統的なお祭りです。昼間には動物の形をした気球を飛ばし飛行時間などを競い、夜は色とりどりにライトアップされた気球が夜空に舞います。私たちは昼の部を見に会場へ。それぞれ準備が整ったグループから会場真ん中の広場に運び込みます。グループが入場の際はバイクや車に乗って登場し、1年掛けて作った気球があげるため気球の下でたいまつを炊きます。気球が徐々に膨らみ大空を舞うグループもあれば途中で風が吹き、飛ぶことなく気球が燃えてしまうグループもあり。気球が飛んだチームは喜びをダンスで表し、かなりの盛り上がり。
数々のグループが失敗に終わっていく中、1グループだけ長時間、空を舞う気球が。白色の鳩が大空を舞います、その時間なんと25分間!その上、無傷で広場まで戻り、これには会場も大盛り上がり。後で聞くとやはりそのグループが優勝だったよう。平和の象徴とも言われる白い鳩が青空に浮かんだ景色はなんともいえない気分で癒されました。(竜崎)

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2016年1月 8日 (金)

クリスマスに訪れた五島列島、心癒される教会群巡り

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先日、「イルミネーションに輝く 五島列島巡礼の旅4日間」の添乗より帰国致しました。
いよいよ今年の7月、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」が世界遺産登録の可否が審議されます。五島列島には、そのキリスト教関連遺産として中通島の頭ケ島天主堂、奈留島の江上天主堂、久賀島の旧五輪教会の3つの教会が候補となっています。島は、世界遺産登録に向け、この1、2年でずいぶんと観光客が増えたそうです。

そんな話題の中、私達が訪問したのは、ちょうどクリスマス。24日には厳かな夜のミサも体験しました。この五島列島には50もの大小様々な教会が点在しています。いずれも、キリスト教禁教令が廃止された明治以降に建てられたものだというのですから驚きです。その背景には、16世紀にキリスト教がこの地一帯に伝来して間もなく、秀吉、その後の徳川幕府の禁教令からそれが解けるまでの約250年もの間、迫害を受けながらも細々とその信仰を代々守り続けていたことに繋がります。

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教会内の机には信者の方の聖書や筆記具が置かれており、数時間前にミサがあったと思われるストーブの暖かさが残っていたりと、どの教会も地元の方々の生活の一部になっているのだと感じました。夜には、素朴ながらもクリスマスを祝うイルミネーションが教会に灯され、深い夜の中で静かに輝いていました。

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五島列島はもちろん、教会群を巡るだけではなく、美しい海、そこで獲れる新鮮な海の幸を存分に楽しめるのも魅力。これから春を迎えると五島名産の椿が咲き誇る季節となります。たくさんの魅力がつまった旅でしたが、その中でもやはり一番心を打たれたのは、ひっそりと佇む小さな教会群でした。海外の荘厳な大聖堂や豪華な教会を訪れる機会が多い私ですが、今回の五島では初めて感じる神聖な気持ちに満たされました。(帯津)

ユーラシア旅行社で行く五島列島ツアーはこちら

ユーラシア旅行社で行く「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を巡るツアーはこちら

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2016年1月 7日 (木)

大西洋の楽園、カナリア諸島&マデイラ島へ!

ユーラシア旅行社のクルーズツアー、カナリア諸島テネリフェ島のテイデ山

先日、「カナリア諸島とモロッコクルーズ」へ行ってきました。
冬の足音が聞こえ始めた12月上旬の日本を飛び出し、“常春の島々”“大西洋の楽園”と謳われる避寒地へ!16万トンのクルーズ船・ノルウェージャン エピック号に乗船し、スペインのバルセロナよりコロンブス像に見送られて出港。大航海時代に思いを馳せながら、ジブラルタル海峡を大西洋へ抜ける航海も楽しみつつ、カナリア諸島へ向かいました。

知人が1週間前にカナリア諸島へ向かった時、「大西洋は大荒れだった」と話していましたが、私達の航海はとても穏やか。ジブラルタル海峡から大西洋に出るところで「おやっ?少し揺れてるかな?」とは感じましたが、さすが16万トン、それ以降は安定の航海。出港から4日目、グラン・カナリア島に入港しました。天気は晴れ、朝8時頃でも長袖ブラウス1枚で外を歩ける穏やかな気候、まさに春!

ユーラシア旅行社のクルーズツアー、カナリア諸島名物のパパ・コン・モホ

そんなグラン・カナリア島では、カナリア諸島独自の植生をみられる植物園を見学した他、「パパ・コン・モホ」というカナリア名物料理を試食。これは、ジャガイモの“モホソース”がけ。南米起源のジャガイモは、ヨーロッパ本土にもたらされる前にカナリア諸島で定着したそうですが、これにモホソースという、日本でいうところのお醤油の様な存在である万能調味料をかけていただくものです。ソースのベースはニンニクやトウガラシ、酢、オリーブ油。そこに赤はパプリカ、緑はコリアンダーやパセリを使います。一口サイズで新じゃがのように薄皮、そこにニンニク風味のソース・・・いくらでも食べられてしまいました。カナリアの赤ワインと一緒なら、もっと美味しかったかも・・・。

ユーラシア旅行社のクルーズツアー、カナリア諸島テネリフェ島のテイデ山

翌日寄港したテネリフェ島では、旅の目的のひとつ、テイデ山見学へ。カナリア諸島は、大航海時代以来、約500年に渡りスペイン領です。そのスペインの最高峰は本土イベリア半島にはなく、このテイデ山なのです。標高3,718mで富士山と同じくらいの高さですが、海面下にあと約4,000mの裾野が隠れているのだとか。島全体を含め、山のてっぺんが海面上にちょっと顔を出しているだけという地形に驚きです。ゴツゴツした火山岩が散らばる無骨な感じや、成層火山の象徴である円錐形のような形も、富士山にそっくりで親近感を持ちました。

ポルトガル領のマデイラ島にも立ち寄り、春うらら~な気分で帰国した我々を待っていたのは、本格的な日本の冬。ついつい口にしてしまった「なんでこんなに寒いの~!?」の言葉。もうすでに、カナリア諸島のポカポカ陽気が恋しくてたまらない毎日です。(江間)

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2016年1月 6日 (水)

ジョットが生まれた小さな家(中部イタリア)

霧に包まれたヴェッキオ村のジョットの生家

先日、「ジョットの道、ルネサンス芸術の夜明け」のツアーから帰国しました。
このツアーは、中部イタリアの町を巡りつつ、13~14世紀に生きた画家ジョットの足跡を辿る日程です。

本名はジョット・ディ・ボンドーネ。
あまり日本では聞き慣れない画家ですが、「ルネサンスの父」とも呼ばれ、
宗教絵画の世界に微笑みや悲しみなどの人間らしい感情表現をもたらし、さらにフレスコ画技法の礎を築いた、当時としては先鋭的な画家でした。

観光では、ローマ、フィレンツェ、地方都市のアッシジやパドヴァの教会に描かれたフレスコを見学し、ミラノで開催されているジョットの特別展を見学しました。

さらに道中、ジョットの生家に立ち寄ってきました。
ジョットが生まれたのは、フィレンツェ近郊のヴェッキオ村。

トスカーナ地方の美しい田園地帯にある村ですが、当日の朝は10メートル先も見えないほどの濃い霧に包まれていました。
画家が生まれた村にふさわしい、幻想的で神秘的な雰囲気です。

人っ子一人、歩いてない静かな村。
中世から現代に至るまで、さほど変わっていないんだろうなと思いつつ、生家まで歩きました。

霧の中から、ふらりとジョットが現れそうな雰囲気です。

そういえば、羊飼いであった少年ジョットが、
後に弟子入りするチマブーエにスカウトされたのも、
村はずれの石橋であったと伝えられています。

ジョットがチマブーエにスカウトされた石橋(イメージ)

粗い石組みのジョットの生家は現在、
博物館兼村の文化センターとして使われているようです。

彼の作品は殆どが教会に保存されているので、
残念ながらここの博物館にジョットの作品はありません。

生家の佇まいや村の雰囲気を味わうことしかできません。
所有者も何度か代わり、地震で損壊した後の修復などもあって、
当時の名残りは殆どありませんでしたが、

何よりも家の佇まいや静かな村の雰囲気がいい。

ジョット作品を眺めていると、キリストやマリアなど登場人物たちの
喜びや悲しみ、怒り、失望などの人間らしい感情が見事に表現されていますが、
一方でピーンと張りつめた緊張感のような、不思議な静けさも感じます。

今になって振り返ってみると、ジョットの作品から伝わってくる神秘的な静寂は、
彼が生まれ育ったこの村の静けさと同じだったような気がします。
(上田)

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2016年1月 5日 (火)

山の中の宮殿ホテル(インド)

Samodepalace1

あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い致します。
もう昨年のこととなりますが、「インド悠久文明の旅 13日間」のツアーから帰国致しました。今回のツアーはゴールデントライアングル(デリー、アグラ、ジャイプール)、ガンジス川の畔にありヒンドゥー教徒の聖地でもあるベナレス、インド西部最大都市ムンバイ、デカン高原の中に開削されたアジャンタ&エローラ石窟など、インドの魅力がたっぷり詰まった箇所を訪れました。今回特に印象に残ったのが、ジャイプールの宮殿ホテルです。
アグラのホテルを出発し、世界で一番美しい建物ともいわれるタージマハル、わずか14年間だけムガル帝国の都であったファティプール・シクリーなどを観光した後、一路ジャイプールへ。まずは市内のレストランにて夕食をとってから、宿泊ホテルへ向かいました。今回泊まったのは「サモードパレス」という宮殿ホテル。ジャイプール市内からは約40km離れています。途中から狭い道へ入っていきましたが、そして所々舗装されておらず、しかも田舎道なのであまり街灯も多くないためか、本当にホテルの到着できるか不安になりましたが、出発してから約1時間半後にようやく到着。バスを降りてからさらに5分くらい歩き、門をくぐったその先には・・・なんと建物にはライトアップがされており、夜遅い時間にも拘らず、ホテルの人たちは私たちを笑顔で歓迎してくれました。宮殿だった建物をそのまま改装しており、広さ、調度品などが各部屋まちまちとのことなので、くじ引きをしてからお部屋へ案内。ただ今回お客様の各部屋を周らせて頂きましたが、すべてスイートルームで(一部の部屋は天蓋付きのベッド!)、バスルームも大きく、それだけで日本のビジネスホテルの部屋と同じくらいの広さでした。

Samodepalace2

翌日は出発時間が遅かったので、朝、ホテルの敷地内をブラブラしました。昨日は夜到着したので景色はほとんどわからなかったのですが、周りは山に囲まれており、山の上部には城壁が連なっていました。このホテルは480年ほど前に建てられたマハラジャ(かつてのインドにおける地方領主)の居城であり、先述の城壁は、敵から攻め込まれそうになった時に備え、いわば要塞として造られたものだそうです。特に印象的だったのは、「DURBAR HALL(ダーバーホール)」と書かれたマハラジャの私的な謁見の間があり、一歩部屋の中に入ると、壁面に描かれた細密画にびっくり!さらにホテルの人が電気をつけてくれたので、事細かな彩りもくっきりとわかり、思わず手にしていたカメラのシャッターを何回も押したものでした。

Durbarhall

こうしてこの「サモードパレス」に2泊して、マハラジャ気分を味わうことができましたが、できればあと最低3泊ぐらいはしたかった、そう思えたホテルでした。後ろ髪をひかれる思いで私たちは旅の最終目的地、デリーへと向かったのでありました。(斉藤信)

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