ガダルカナルとラバウルを訪ねて(ソロモン・パプアニューギニア)
先日、戦後70年、節目の年に企画された特別ツアー「さらばガダルカナル、ラバウル8日間」のツアーより帰国しました。
今、現在、ガダルカナルとラバウルと2つの地名を聞いて、戦争を思い浮かべる事が出来る人はどれだけいるのでしょうか。太平洋戦争のさなかの昭和17年。はるか太平洋の南に浮かぶ島、ガダルカナル。この島を巡り、日本軍とアメリカ軍の半年にも及ぶ激しい戦いが繰り広げられました。投入された約3万人以上の兵士のうち、2万人以上が犠牲となり、そのほとんどが飢えと病によるもので、ガダルカナルは餓島と呼ばれました。今回はそんなガダルカナルと、日本軍の南太平洋侵攻の基地として、時に100機以上もの零戦が並んだニューブリテン島のラバウルの戦跡を巡って参りました。
占領された飛行場を奪還すべく送り込まれた兵士達一支隊が十字砲火を浴び全滅した海岸や、おびただしい血が流れた血染めの丘、食料や弾薬を輸送船で運び込もうとするも、空と海からの猛烈な攻撃により燃え落ちた船、山砲や野砲、零戦や一式陸攻の残骸。多くの戦跡を訪れ、70年以上前に日本から遠く離れたこの地で起こった出来事を聞き、また言葉にする度に、どうしようもない気持ちで頭と胸がいっぱいになりました。自分ではうまく伝えることが出来ませんが、この先、何年、何十年と時が流れてもここであった事は決して忘れてはいけない、また、この地にもっと多くの人に訪れて欲しいと思いました。2度と同じ悲劇を繰り返されないよう、日本の、そして世界の平和を願わずにはいられませんでした。
ラバウルのシンボル、ダブルブル火山は当時航空隊の搭乗員の目印になっていた活火山で、日本人は「花吹山」と呼んだそうです。この火山の近くには温泉が湧き出ており、かつては日本兵士も利用していたのだと聞きました。「同じ景色を見ていたんだ」そんな時温泉に浸かったお客様が大きな声で歌っていたラバウル小唄、しばらくの間、私の耳に残って離れませんでした。(岩間)
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