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2016年3月

2016年3月31日 (木)

国境と歴史の島、対馬を訪ねて(日本)

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先日、「魏志倭人伝が息づく島・壱岐と防人の島・対馬 4日間」より戻りました。 ところで壱岐・対馬ってどこにあるの?と思われる方も少なくないと思います。実際、出発の羽田空港にてツアータイトルを大きく書いた看板を持ってお客様を待っている時も、他の団体旅行のお客様からは「これってどこにあるの?」と何度も尋ねられました。

日本地図を広げてみて下さい。 壱岐、そして対馬は九州と韓国の間の海峡に浮かぶ島で、長崎県に属しています(福岡県の北にありますが、実は長崎県なんです)。 そこは手付かずの美しい自然に囲まれた島、と言うだけでなく、日本史の中でも重大な役割を担ってきた島でもあるのです。特に対馬は福岡までは約138kmですが、お隣の韓国までの距離は約50kmという、まさに国境をなす島。古代より大陸から青銅器や仏教などを日本に伝える窓口的な役割を果たし、朝鮮半島との交流も盛んに行われてきました。そんな歴史の宝庫の対馬のガイドさん曰く、「ほとんどのツアーでは半日、もしくは一日観光だけで帰ってしまうお客様も多いです。」とのこと。私達は2泊することにより、南北82km、東西18kmの細長い島を、北の端から南の端まで堪能することが出来ました。

対馬には見所が盛りだくさん。石川の前田家、山口の毛利家と共に日本三大墓地と言われる万松院にある旧対馬藩主・宗家の墓。竜宮伝説の和多都美神社、元高麗連合軍の襲来で戦死した将士の霊を祀る小茂田浜神社、更には対馬にのみ生息する天然記念物ツシマヤマネコとの出会い、そして北の展望台に最南西端の豆酘﨑、などなど。そんな中でハイライト的観光地ではないものの印象に残ったのが西の漕手と万関橋でした。対馬の地図を見ると、南北の二つに分かれた島で、そこを橋で結んだのだと思われがち。でも実際は、もともと一つの島で繋がっていたものを人工的に分断したのだと言うことに、まず驚きました。島が陸続きだった頃、船が東西の海域へ航行するのは大変困難なことで、小舟は東から西へ渡る際、人が引っ張り丘を越えて行き、大船は積荷を降ろし、船を乗り換えたそうです。その場所が西の漕手と言われ、7世紀~9世紀の遣唐使や空海も通ったそう。そんな陸続きの対馬は山地89%で平地が極端に少なく、東西への移動の困難さから江戸時代には対馬藩により大船越を、そして明治時代には万関瀬戸という運河を開削したことで、船が東西の海域を行き来することが容易になったのだと。島を人工的に分断した・・・。岩盤多きこの土地を船も運んだことも大変だが、削り開いたこともどれだけ大変だっただろうか。昔の風景が目に浮かんでくるような、私にはそんな場所でした。(岩間)

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2016年3月30日 (水)

小さな国マルタで触れる人間ドラマ

先日、「陽光のマルタをめぐる7日間」の添乗より帰国しました。
マルタの5つ星ホテルに4連泊、離島ゴゾ島にまで足を伸ばし、時間がゆっくりと流れる島国マルタ共和国を堪能してきました。

ヴァレッタの城壁

マルタの歴史は深く、新石器時代から人間が生活していたといわれており、エジプトのビラミッド建設より早い紀元前3600年に世界最古の巨石神殿が小さな島のあちこちに点在しています。
この国は、中世までフェニキア人やビザンチン帝国、アラブによる侵略や支配を受け、激動の時代が流れていましたが、マルタ史を語る上で欠かせないのがマルタ騎士団の活躍です。キリスト教の最も重要な巡礼地であったエルサレムでの宿舎や病院、警備するために作られた聖ヨハネ騎士団は、イスラム教徒によってパレスチナから追い出されるとキプロス島、ロードス島へと拠点を移します。
しかし、イスラム教徒との死闘の末、1522年にはロードス島からも撤退することになり、神聖ローマ帝国皇帝のカルロス5世から譲り受けたのがマルタ島です。のちにマルタ騎士団と呼ばれ、オスマン帝国との戦争に勝利をもたらした彼らの活躍は見事なものでした。
マルタの旧市街にある城塞や教会、宮殿などを見ていると、マルタ騎士団の時代がいかに華々しいものであったかが実感できます。
そしてもうひとつ、マルタで印象深いものがありました。
中世のこの時代に騎士団としてではなく、筆と絵の具を武器にマルタで活躍した人物がいます。それが、バロック美術を開花させたイタリア人の画家カラヴァッジョです。
カラヴァッジョは35歳の時、喧嘩の果てに一人の男を切りつけ死なせてしまったため、ローマからマルタに逃亡してきました。マルタでの画家としての活躍により、騎士団長から大聖堂付属祈祷所の絵を制作するよう依頼され、自身が騎士になるために最高傑作である「洗礼者聖ヨハネの斬首」を完成させました。
この絵は、聖ヨハネがユダヤの民を惑わしたとの罪で投獄され、ヘロデ王の娘サロメが聖ヨハネの首を求めたことにより、聖ヨハネが斬首された場面を描いたものです。
話しは日本へ移りますが、現在、上野の国立西洋美術館でカラヴァッジョ展が開かれています。過去最多の出展数を誇る世界有数の規模といわれており、日本でもカラヴァッジョの素晴らしい絵画を見ることができますが、マルタの宝として門外不出であるこの宗教画は、マルタ島に訪れないと見ることができません。
その絵画は、首都ヴァレッタの大聖堂の付属美術館に飾られています。美術館に入ると、正面に広がる縦361センチと横520センチの巨大な大作を前に、そこにいる人々が圧倒されていた印象を受けました。細部を覗くと、光彩の表現や描かれた人物の緊張感などが伝わり、巨大な絵の繊細さを感じることができました。
洗礼者聖ヨハネの首から流れる血で書かれた「F・ミケランジェロ」という名は、カラヴァッジョの本名です。カラヴァッジョが自分のサインを残したのはこの絵だけであり、世界にたったひとつの直筆サインを見ることができます。

ヴァレッタの大聖堂にて

 マルタでは、街中の本屋に行くとカラヴァッジョに関する本、スーパーに行くとカラヴァッジョ作品のラベルがお洒落なワインが売っていました。マルタは、限定グッズ探しも楽しい場所です。
また、巨石神殿の巨人伝説やマルタに訪れていた聖パウロの伝説など、マルタでは興味深い話にたくさん触れることができます。皆様とたくさんの想像をめぐらせた有意義な7日間となりました。(松本)
 

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2016年3月29日 (火)

知られざるビーチリゾートファンティエット!(ベトナム)

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先日、「海と風と砂の街ファンティエットとコロニアル薫るサイゴン 6日間」のツアーへ行って参りました。ベトナムというと、まずホーチミンやハノイの大都市、そして通りを埋め尽くすバイク等をまず思い浮かべるでしょうけれど、ベトナムの未だ知られていない自然豊かで美しい場所がこのファンティエットにはあるのです!

ファンティエットは、ホーチミンより約250kmに位置しており、現在人口は20万人程です。市街から続く23kmの目抜き通り沿いに美しい白砂のビーチが広がっています。その他、漁村のムイネーや、ベトナムのグランドキャニオンと言われるスイティエン渓谷、サンセットが美しい黄砂のイエローサンデューン、サンライズが絶景の白砂のホワイトサンデューン等ベトナムの自然が堪能できます。 白砂のビーチでは、マリンスポーツが盛んで特にサーフィンやカイト・サーフィンを楽しむ人々で賑わっています。美しい弧を描いた海なので、海沿いを散歩するのも、のんびり過ごすのもいいと思います。 そして、ファンティエットを象徴する漁村ムイネー。港に降りたつと、特有の魚の臭いが漂います。

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眼下には、無数の色とりどりの漁船が集まっています。特に珍しいのが「ざる舟」と呼ばれるお椀型をした漁船です。これは、ムイネーの伝統的な漁船の一つで、直径約2mあり、地元の漁師や住民が2人一組で漁をするのだそう。一人が命綱を引き、一人がざる舟に乗り200m程の沖合に出て綱を仕掛けるそう。バランスが難しそうで、漁が果たして上手に出来るのかしら?と思いますが、イカやエビ、アジにヌクマムの元になるイワシや帆立等様々な種類の魚介類が豊富に獲れるようです。私達が訪れた時も丁度獲りたての帆立や小魚等を見せてくれました。無数の漁船が並ぶ景観はムイネーの風物詩ですね。 更に、ベトナムにある2つの砂丘の内の一つにホワイトサンデューンがあります。ホワイトサンデューンはイエローサンデューンに比べ、砂の色は大分白く、両者を比べるとその差は歴然です。日の差し方によっては砂丘が真っ白に輝きます。ツアーでは、ホワイトサンデューンから昇るサンセットをご覧頂きます。まだひんやりとする砂を一歩一歩踏みしめながら砂丘を登って行きます。頂上に到着すると、丁度、まん丸の真っ赤な太陽が昇り砂丘を照らし美しいサンライズが臨めました。赤い太陽と白い砂丘のコントラストが息を呑む程美しく早起きして来た甲斐がありました! 近年、リゾートが続々とオープンしており人気上昇中のファンティエット、更なる発展が期待されます。(井手)

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2016年3月25日 (金)

マオリ文化をたっぷり堪能!(ニュージーランド)

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先日「ニュージーランド北島の歴史と大自然、トンガリロ宿泊 7日間」の添乗より帰国致しました。旅は土ボタルで有名なワイトモ洞窟から始まり、温泉地やマオリ文化で有名なロトルア、ニュージーランド初の国立公園となったトンガリロ国立公園、ニュージーランド最大の都市オークランドと北島の魅力をコンパクトな日程で堪能することができました。
ニュージーランドの先住民マオリが多く住むロトルアでは、マオリ文化が色濃く残っています。「テ・プイア」という施設はマオリの人々で運営されており、彫刻・編み物学校などで、マオリ文化を後世まで残す活動を行っています。マオリ文化はタトゥーや彫刻、編み物など様々ですが、どれも文字の代わりに彼らの祖先や部族の歴史などを表す大切なものです。特に、精巧な彫刻は多様なモチーフを使っており、その一つ一つに意味があるのでじっくり順番に見ていても飽きません。
また、マオリダンスショーも楽しみの一つ。「カマテ!カマテ!」と思いっきり目を見開き、舌を出して踊るダンス、ハカはニュージーランドのラグビーナショナルチームのオールブラックスが試合前にやるパフォーマンスでご存じの方も多いでしょう。民族衣装を身につけたマオリに、そのダンスを実際に目の前で披露されると、その迫力に思わずのけぞってしまうほどです。簡単そうに見えるハカの表情は、真似しようともなかなかうまくいきません。どう頑張っても、彼らほど大きく目を開くことも、舌を長く出すことも出来ないのです。もしかしたら慣れる必要があるのかもしれません。ハカ以外にもポイと言う紐の先に玉がついている道具を華麗に回しながら踊るダンスやマオリの神話を伝承するための歌など盛り沢山のショーでした。(市川)

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2016年3月24日 (木)

仏教の国ミャンマーを訪ねて

先日、「神秘の国・微笑みで満ちたミャンマー9日間」より帰国しました。ミャンマーの見どころを詰め込んだような、毎日がハイライトなツアーでした。バガンやマンダレーの街を歩いているだけで、ミャンマー人が仏教を篤く信仰していることを実感出来ます。
毎日、同じようなパゴダ(仏塔)や寺院の見学で飽きてしまわない?とご心配の方、そんな心配はご無用です。パゴダは大小様々・木造建築の日本人好みのものもあれば・金箔ぴかぴかのミャンマー人好みのものまで、それぞれに個性的な特徴を持っており、いくら見ても見飽きることはありません。その中でも私の一番のお気に入りはマンダレーにある木造建築の「シュエナンドー寺院」です。細かい装飾におもわず眼が奪わてしまいました。また、たくさんの小さな窓があり、そこからひょっこりと顔を出してお写真を撮るととてもかわいらしい写真が撮れるのです。角度を変えたり、顔を出す窓を少しずらしてみたりと大忙し!色々なパゴダや寺院の楽しみ方があります。

ミャンマーツアー、ミャンマー旅行

また、ミャンマーの仏教施設は、ほとんどの場所が裸足となります。昼下がりの強い日差しに熱ためられた地面をぴょんぴょん跳ねながら、木陰を探し歩くのもくせになります。日本では堂々と外を裸足で歩くなんてことは出来ないですから、ここぞとばかりに足を解放してきました。
日本では味わうことのできないのんびりとした時間の流れ、屈託のない笑顔、そして仏教に対する篤い気持ちに出会うことができました。体も心もリラックスできる、そんな穏やかな場所でした。(岡山)

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2016年3月23日 (水)

乗り物天国の島国キューバ

キューバではサイドカー付バイクもまだまだ走る

先日、キューバ世界遺産紀行15日間のツアーより帰国しました。

今回の旅行では、首都ハバナや世界遺産の古都トリニダー、ゲバラの聖地サンタクララなどの観光ハイライトがある西部地域に加えて、キューバの原風景とも言える熱帯林や広大なさとうきび農園、鄙びた片田舎が残る東部の町々をじっくり巡ってきました。

今回の旅で最も印象的だったのは、観光地よりも何よりもキューバを走り回るユニークな乗り物でした。
キューバは石油すら慢性的に不足しているので、人々の移動は本当に大変。
日用品でさえ不足しているのにマイカーに乗ることなど夢のまた夢。
極力貴重な石油を使わないように、人力だったり、ギュウ詰め乗合いでの移動が基本スタイルです。

片田舎では、未だにポクポク馬に跨る農民の姿が日常の風景。
馬を持っていない人たちは当然、乗合い馬車で移動します。
乗客がある程度集まらないと出発してくれないし、当然の如く時刻表はありません。
目的地に辿り着くまでにはとんでもなく時間がかかります。

またヒッチハイクもキューバでは、まだまだ健在。
ハイカー達は僅かなお礼の少額紙幣をヒラヒラさせながら、ドライバーと何とか目を合わせようと轢かれそうなくらい道路に乗り出してきます。
しばらく観察していると、若くてきれいなおねーちゃんから先に拾われてゆくので、残されたおばちゃん達は必死の形相です。
それでもキューバ人達がお互いに助け合っている様子を垣間見て、ほのぼのとした気分になりました。

幹線道路では、大型トレーラーにプレハブ小屋をのっけただけのラクダバス
(屋根がデコボコなのでラクダの背に見える)が轟音をあげて走り抜け、街の狭い路地に入れば、おじさん運転手が軽快にペダルを漕ぐ2人乗りビシタクシー(自転車タクシー)やココナッツのように丸く可愛いココタクシーが行き交います。
先進国では天然記念物のようになってしまったサイドカー付のバイクも庶民の足としてバリバリ走っています。

そしてキューバ名物でもあるクラシックカー。
1940~60年代のアメ車が、轟音を轟かせ、黒煙を撒き散らしながら、私の前で停車。
ドアが開くと、まるで手品のように、乗っていた人々が次々と降りてきました。
数えてみたら、何と10人近く。ギュウ詰め状態でした。

「乗れるだけ乗る」
これがキューバの乗り物界の暗黙のルールのようです。

キューバは隣国アメリカの経済封鎖が半世紀以上も続いたおかげで、日常生活に関わるあらゆる品々が不足しており、他の国に比べて発展が大きく遅れています。
そんな厳しい環境の中で、音楽と共に生き、日々笑顔を忘れず、知恵を絞りながらたくましく生きてゆくキューバ人は、何だか眩しく見えました。
(上田)

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2016年3月22日 (火)

ボリビアの首都はどこでしょうか?

先日、「天空の鏡、ウユニ塩湖ハイライト10日間」のツアーに行って参りました。標高が約3,700m(富士山の頂上とほぼ同じ)で、酸素が薄いことから高山病の恐れがあるボリビア・ウユニ塩湖。近年、ボリビアのラパス近郊の空港から空路でウユニ塩湖へ行くことが出来るようになりましたが、ラパス近郊のエルアルト空港自体も標高が約4,100mあり高地です。そこで、このツアーは、ラパスからいったん標高を下げた標高約2,700mの町スクレで高地順応をしてからウユニ塩湖に向かう内容でした。
話は、ブログのタイトルにありますボリビアの首都の話に切り替えさせて頂きますと、「世界一標高の高いボリビアの首都ラパス」というフレーズをどこかで聞いたことがあるかもしれません。ラパスは人口300~400万人もの大都市でもあり国際空港があるボリビアの玄関口。しかし、そのラパスは“事実上の首都”なのです。そして“憲法上の首都”が、なんとラパスの10分の1ほどの人口しかいない、高地順応の為に滞在した小さな町スクレなのです。

Blog

この高地順応するために滞在したスクレ旧市街の建物は、スペイン植民地時代のもの。コロニアル風の建物が並ぶ光景は、古き良き趣を感じさせ、16,17世紀の教会も町のあちこちで見かけます。建物の外壁が白く塗られていることから町の別名は“白い街”。高層ビルも旧市街の外側に1,2棟見られるくらいの低い建物が密集する人口約30万人の小さなこの町で、1825年、スペインからの独立宣言文書の調印が行われました。独立した際に、この町が首都と定められ機能していたのですが、1900年にラパスを拠点にしていた自由党がスクレを基盤にしていた保守党政権を打倒し、行政・立法がラパスに移転した為に、このような複雑な2つの首都が誕生してしまったのです。現在、スクレには、司法としての最高裁判所が残されています。
ボリビアの発祥地でもあり、歴史のある町ですが、そのような知識なくとも趣ある街並みや外壁と茶色の瓦屋根で色調が統一された街並みは非常に美しいです。それでいて、町中の主要な場所は、旧市街の中心から徒歩でおおよそを見ることが出来ます。国際空港のお土産屋でも売られているボリビアの高級チョコレート屋Paratiの本店もスクレにあります。

Paratiblog

ボリビア産のカカオを使ったParatiのチョコレートは、一粒2~3ボリビア―ノ(約35~50円)とお手頃価格なので、数粒買って好きな時に食べるのも楽しみの一つになります。支店ではホットチョコレートやチョコケーキも食べられます♪街の治安はというと、昼間の市内中心部は、多少の手荷物に注意を払う程度で、物々しさもなく、安心して散策を楽しむことができます(もちろん夜道の人通りのないところの散策は控えたほうがいいです)。今回のスクレ滞在日は、ボリビアの国民投票日。国内線を含む、一般車からタクシーなどの公共交通機関、ツアーのバスまでもが一切がっさい運行禁止。不便もあれば、そのおかげで町は歩行者天国状態!美しい白い街スクレは、旧市街が世界遺産に認定されています。その町を車の往来に気を配らず(※緊急車両や許可された車などは走ります。)、のんびり散策できたのは、ラッキーでした。

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ボリビアというと、ラパスとウユニ塩湖が有名ですが、憲法上の首都であり、美味しいチョコレート屋がある白い街スクレも要チェック&お忘れなく!

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2016年3月18日 (金)

ガンジス河で見たベナレスの祈りの儀式 (インド)

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「インド悠久文明の旅13日間」から帰国しました。毎日が見所満載のツアーでしたが、私の心に一番残っている出来事は、夕暮れと共にガンジス河で始まるプージャです。 プージャとは、夕暮れ後にガンジス河で行われる礼拝儀式のことです。
その日はカジュラホの観光を終えて午後の便でベナレスへ向かい、残す観光はプージャの見学のみでした。空港からベナレスの市内に入ると途端に交通量が増え、いつの間にか道路は隙間がないくらいに、車やバスや人や自転車でごった返しに。プージャが行われるガンジス河までは、大型バスの立ち入りが禁止されているので、少し離れた場所からリキシャで向かう必要がありました。バスから降りてリキシャに2人ずつ乗り込み、大変な交通量の一部となると、四方八方からけたたましい車のクラクションに驚き、今にも自分の乗っているリキシャがバイクとぶつかりそうな距離感に冷や冷やします。混沌とした中に、我が物顔で居座っている大きな牛を見ると、流石インドだなと少し滑稽に思いました。
そんな人ごみにもまれながら、やっとガンジス河の船着き場に到着しました。岸辺の舞台上で行われているプージャを、河の上から見学する為、一人ずつ小舟にうつっていきます。全員が乗ったこと確認すると、船頭の若い少年は慣れた手つきでオールを漕ぎ、小舟を出発させます。夜のガンジス河が導くゆったりとした流れに身をまかせて、河の中ほどまで行くと、途端にさっきまでの騒音を遠くに、そして近くに静けさを感じます。時刻は午後6時30分。プージャはもう始まっていました。舞台上では、火が炊かれ、太鼓などの様々な楽器が演奏され礼拝の儀式が行われていました。遠くで響くその演奏と、オレンジの炎に照らされた舞台は、インドの人々の信仰心の深さを五感に訴えかけてくるようでした。「最後はこの河に身を沈めたい」と、ヒンドゥー教の人々ならば誰もが願う聖なるガンジス河。その神秘的な雰囲気に心を洗われるような感覚で、プージャをじっと見つめずには居られませんでした。
ふとした瞬間に、河に流されたろうそくが目に留まりました。信徒がプージャのために流した灯籠でした。可愛らしい小さな花が詰められ、小火を灯す手作りの灯籠は黒いガンジス河の水面に映え、ぷかぷかと浮かんで綺麗でした。(堤)

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2016年3月17日 (木)

まさにサファリ三昧!連日の野生動物との出会いに大興奮!(ケニア・タンザニア)

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先日、「ケニア・タンザニア、サファリ三昧~セレンゲティに3泊~12日間」の添乗より帰国致しました。
移動も含め、毎日ドライブサファリ!5つもの国立公園と2つの野生保護区を訪ねました。ケニア、タンザニアという国境はありますが、動物たちには関係ありません。もちろん、多くの動物たちには縄張りというものがありますが、ヌーの大移動がこの二国の間を行き来することや雨季、乾季によって動物たちの集まり方も変わってきます。今回、私達が訪れた2月はタンザニアのセレンゲティ国立公園に動物が集まっている時期ということもあり、セレンゲティ国立公園内のロッジに3連泊。その前後の移動で世界最大級のクレーター内に動物が生息することで有名なンゴロンゴロ保護区にも訪問。

その後、ケニアのアンボセリ国立公園、マサイマラ国立保護区へと抜けていくのですが、中でも忘れられないのは、セレンゲティで出会ったライオンです。もう、朝の狩りを済ませて、お腹が一杯!?な3兄弟をリーダーとするグループが悠々とリラックスをして休んでいるところ、木の上でダラりと手足を伸ばして休んでいるところ、はたまた、まだグループを作っていない若いオスライオンが一頭、朝の光を浴びているところ。何もかも、偶然の出会いなので、全てが感動です。約束されているわけではありません。サファリカーが曲がって、パッと横を見たら、その若いライオンが佇んでいました。一瞬、ギョっとしてしまう位すぐそこにいるのです。彼らの世界にお邪魔している私達は、びっくりしても何事もなかったかのように静かに、驚きを隠してその姿を観察させてもらいました。

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他にも数えきれない程の動物たちに出会いましたが、アンボセリでの象の群れに遭遇したのも大興奮でした。象には比較的、どこでも出会えたのですが、アンボセリではその数がなんと100頭以上!いつの間にか、どんどん集まってきて夕方、皆で寝ぐらに帰る所だというのです。ワサワサと草を食みながら進んでいく象たち。よく見ると、1歳にもなっていないような小象が親の足元にくっついて歩いていて、野生動物の家族の温かさを感じました。
野生の世界は厳しいかもしれません。全く想像もつきませんが、そんな中で懸命に生きている動物たちの姿を間近で見ることができて、ただただ驚き、その雄大な世界に一時でも一緒にいられた事が幸せでした。(帯津)

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2016年3月16日 (水)

もう一度飛びたい!ブルー・ホール遊覧飛行(ベリーズ)

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先日、「中米5ヶ国周遊と神秘のブルー・ホール遊覧飛行13日間」より帰国しました。ニカラグア、エルサルバドル、グアテマラ、ホンジュラス、ベリーズを巡るツアー。最後の訪問国ベリーズで見たのは最近話題の“ブルー・ホール”。これが楽しみで来たの!というお客様も沢山いらっしゃいました。
遊覧飛行当日、セスナ機に乗りこみ、いよいよ遊覧飛行へ!眼下には美しく澄んだ海、時には人魚のモデルとなったと言われるマナティが悠々と泳ぐのを見られることもあるそうです。
20分程、サンゴ礁の上空を飛んで行きます。ブルー・ホールがあるベリーズ・バリアリーフは,オーストラリアのグレートバリアリーフに次ぐ世界第二の大きさを誇る生きたサンゴの群生。ブルー・ホールは直径313m、120mのも深さがある巨大な穴で、海面が上昇するまで陸上で長い年月をかけてできた洞窟が海中へ水没してできたものと考えられています。
いよいよ遠くにブルー・ホールが見えてくると、機内は大興奮!パイロットは、ブルー・ホールの上を何度も旋回し、右に左に、写真を撮る時間もたっぷり。ぽっかりと空いた穴は、怪物の口にも、吸い込まれそうな青さはまるで魔女の瞳のようにも見えます。写真で何度も見ていても、実物の美しさにはやはりかないません。条件が良ければ水面に近いかなり低い所を飛びますので、ブルー・ホールに浮かぶ真っ白な船や、そこで泳ぐ人の姿まではっきりと見ることが出来ます。
遊覧飛行から戻った後はもう一度、遊覧飛行に行きたい!との声。それも納得、ブルー・ホ
ールにすっかり魅せられてしまいました。

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2016年3月15日 (火)

ボリビア・ラパス 世界一高い都市にある絶景ロープウェイ!

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先日「雨季のウユニ塩湖とチチカカ湖 ゆったりボリビア大周遊 12日間」のツアーから帰国致しました。天候にも恵まれ、ウユニ塩湖では「天空の鏡」を満喫し、チチカカ湖では深い青い色に感動しました。それらの場所は既に紹介されていますので、今回は、2014年ラパスに開通したロープウェイをご紹介します。

ラパスは標高約4000メートルのアルティプラーノの大地の裂け目にできた大都市。低い所は約3200メートルで町の高低差が800メートルもあります。それだけで行ってみたくなりますね。約3600メートルに位置するキリキリ展望台からは、遠くイリマニ山(6,439m)や、マッチ箱のような家並みが山や丘を登って行く、ここにしかない独特な都市の風景が大迫力で迫ります。

大都市の交通といえば、地下鉄やモノレールですが、昨年このラパスにできた都市交通はなんとロープウェイ! あのスキー場で活躍する乗り物が通勤通学の足として活躍しているのです。1つの路線には複数の駅があり現在は3路線営業。将来はあと2路線も開通とか。

エルアルトの4000メートルから出発すると、いきなりすり鉢の下へ向かって下降。眼下には大都市が広がり、鳥になったような視点から人々の生活を見ることができます。途中、サッカー場の上なども通過し、サッカー観戦ができました。それにしてもこんな高地でよく動けますね。 

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ちょうどカーニバルの時期で、水を掛け合う子供達を上空から観察。 低い土地が高所得者層に好まれているため、だんだん邸宅が増えていく光景も面白いです。

この乗り物、オーストリア製で1回の乗車は3ボリビアーノ(約50円)すっかり丘の町に溶け込んでいます。 ボリビアといえば、ウユニ塩湖!ではありますが、ラパスの絶景ロープウェイもお薦めですよ。(加藤)

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2016年3月11日 (金)

見てきました!リオのカーニバル!!

先日「カタール航空で行くリオのカーニバルと大瀑布イグアスの滝 9日間」で、世界で最も華やかな祭典、リオのカーニバルを堪能してきました!
 カーニバルとは、毎年2~3月の間に行われるカトリックのお祭りの一つ(日にちは毎年変わります)。キリスト教には四旬節という40日間の禁欲週間がありますが、その四旬節に入る直前に行われるのがカーニバル。禁欲週間に入る前に、ぱーっと皆で楽しもうというお祭りです。世界中のカトリック教国でお祭りが行われますが、中でも最も有名で華やかと言っても過言ではないのが、ブラジルのリオ・デジャネイロで行われるリオのカーニバルです。
 リオのカーニバルのスタートは21時30分。私たちは1時間ほど前にホテルを出発しましたが、ホテルのロビーはこれからカーニバルを見に行く人たちでいっぱい。皆カーニバルのTシャツを着ていたり、頭に花飾りを付けていたりしていて、行く前から高揚感が増しました。会場へはバスで移動。車窓からは、他にも多くのバスや歩いて会場に向かう人の姿が。皆一斉に会場を目指します。
 リオのカーニバルでは、700mの直線型の会場で、サンバ学校ごとにパレードを披露します。サンバ学校とは本当の学校ではなく、サンバチームのこと。大きいチームだと5,000人近いメンバーを擁しているところもあります。今回私たちが見たのはチャンピオンパレード。1週間前に行われた厳正なる審査で選ばれた上位6チームのみが参加を許される、名誉ある優勝パレードです。
 パレードは6位から順にスタート。それぞれのチームにテーマがあり、サンバのリズムとメロディー、巨大な山車、華やかな衣装、踊り手のダンスと演技力、全てを使ってテーマを表現します。ノリのいいリズミカルな音楽に自然と体が揺れ、覚えやすいメロディーが繰り返し流れるので、気づけば一緒に歌ってしまっていました。山車には様々な工夫が凝らされていましたが、中でも最も印象に残っているのが今回第3位のサンバ学校「ポルテラ」の山車。ばっちりメイクしたお兄様(お姉様?)たちが探検家の恰好をして踊っていたところ、突然後ろの茂みから恐竜が出現、なんとお兄様たちは食べられてしまうのです。しかしその後別の茂みからひょっこりともどってくるお兄様たち。食べられる迫真の演技と斬新な発想がとても面白かったです。カーニバルは明け方の6時まで続きましたが、一つ一つのチームが個性的で、情熱的で、あっという間でした。

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 明け方にホテルに戻り、午前中休憩した後、2016年夏季オリンピックの開会式会場も見てきました。カーニバル会場はマラソンのスタート地点になるとか。オリンピックの開催がより楽しみになりました。(佐藤)

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2016年3月10日 (木)

伝統が色濃く残るベトナムの旧正月(テト)を紹介します!

先日、「ベトナム四都周遊、世界遺産巡りとハロン湾宿泊クルーズ 8日間」のツアーから帰国致しました。
今回は滞在中ずっと旧正月『テト』にあたっていました。
中国文化が色濃いベトナムでは、今も西暦の正月より旧暦のお正月が盛大に祝われます。

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お正月が近づくと、ベトナムでは植木鉢に入ったキンカンや黄梅の木を飾ります。
装飾も施されるキンカンの木はさながらクリスマスツリーのような印象です。
また、北部では濃いピンクの花をつける桃の花も飾られます。
正月料理の定番は豚肉をもち米でくるみ、それをバナナの葉でつつんで蒸したちまきです。
ベトナムの魚醤・ヌックマムをつけていただくのがおすすめです。
旧正月当日はハロン湾のゴールデンクルーズ号の船上で迎えました。
大みそかのディナーでは、船員一同からの「ベトナムではお正月は家族で過ごします。
今日は、皆さんと私たちは家族です。」という素敵な挨拶のあとに、シャンパンが振る舞われ、みんなでベトナム語で乾杯です。
夜12時ちょうどから30分だけ爆竹代わりの花火が上がり、元日の夜は更けていきました。
また今回は、ホーチミンで滞在したホテルの前の大通りで偶然、旧正月の風物詩・花の展覧会が行われていました。
たくさんの生花で作られたモニュメントが夜にはライトアップされ、人々の熱気が感じられました。
テトの期間にベトナムに行く方は、ベトナム語の「あけましておめでとう」という意味の『チュク・ムン・ナン・モイ!』という言葉をぜひ覚えていってください。
笑顔が素敵なベトナムの人々はとても喜んでくれますよ!(松永)

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2016年3月 9日 (水)

世界有数のキャバレー「トロピカーナ」へ(キューバ)

160309
先日、「メキシコ・キューバ世界遺産とカリブの休日 11日間」の添乗より帰国致しました。
2015年7月、半世紀ぶりに米国との国交正常化を果たし、今や世界中から観光客が押し寄せるキューバ。首都ハバナ、英雄ゲバラの眠るサンタクララ、古都トリニダーなどの見所に加え、ご希望の方々はハバナの名物ショー、「トロピカーナ」へご案内致しました。
6日目の夜、夕食後にトロピカーナの会場へ。入口では、ちょっとしたサプライズ。男性に葉巻、女性には一輪のお花のプレゼントがありました。その後、係員にステージ近くの特別席へ案内されました。席に着くと、シャンパン、コーラがサービスで提供され、あっという間に開演の22時を迎えました。賑やかな音楽、ダンスと共にショーがスタート。カラフルなドレスを身に纏った女性のダンス、パワフルな歌声、更にはアクロバティックなショーが繰り広げられ、バラエティに富んだラインナップでした。
2000人が収容できる屋外会場、その中でステージの目の前に位置するのが特別席。贅沢にも前に遮るものがなく、じっくりとショーを鑑賞できるのが良い所。また、正面にメインステージ、後方には4、5階建てのサブステージがあり、一度に何十人もの女性が踊り、どの方向を見ても大迫力のショーを楽しめるようになっていました。
2時間程、煌びやかなステージをたっぷりと堪能。余韻に浸りながらホテルに戻りました。(大和田)

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2016年3月 8日 (火)

元陽の棚田にて朝日を望む(中国・雲南省)

多依樹1

先日「羅平の菜の花と世界遺産・元陽の棚田 8日間」のツアーから帰国致しました。
ツアータイトルにもある元陽の棚田は、2013年に世界文化遺産に登録されました。総面積約54000ヘクタールの広大な棚田を見ると、文化遺産ではなく、自然遺産なのではと思われがちですが、実はこれらの棚田は少数民族であるハニ族が約1300年もかけて耕し続けてきた創造物なのです。私たちが訪れたころにはまだ田植えは行われていなかったものの、棚田には常に水が張られています。その秘密は、必要以上に耕すことなく森もある程度残したことから、山の頂きに泉が湧き、その水が上から棚田を通じて流れていき、下に行った水が水蒸気として蒸発し、それが雨となって森を潤すという、いわば巨大な水の循環システムが形成されているためです。
そんな水の豊富な元陽にて3連泊して、じっくりと棚田を見て回りましたが、今回朝日の時間帯に棚田を見る機会が2回ありました。
まず棚田見学の初日。実は前日、元陽一帯は霧模様だったので、朝日が見られるか不安でした。ホテルからバスに揺られること50分後に「多依樹風景区」に到着。さすがに元陽随一の日の出スポットだけあって、すでに多くの観光客が来ていました。私たちも人波をかき分けながら、何とか展望台の一角を確保。程なくして空も徐々に明るくなり、それに伴い棚田も見えてきました。あとは日の出を待つのみ。太陽の方向には山があるので、少し時間が掛かりそうでした。いよいよ日の出の時間になると、空の色も朝焼け色となり、棚田の水面もうっすらと赤く染まっていきました。そしてついに山の稜線からご来光!その場にいた人たちから歓声が上がったのは言うまでもありません。そして、棚田の朝日のお楽しみはそれだけではありません。日の出から約10分後、棚田の水面の一角に太陽の光がきらきらと照らしはじめました。その後、水面に光が当たる面積は徐々に大きくなっていきました。もっとその様子を見ていたかったのですが、私たちは後ろ髪をひかれる思いで、多依樹風景区を後にしました。

多依樹2

そして翌日。この日はホテル一帯が霧に包まれていて、心の中で「今日は無理だな」と半ばあきらめの境地。それでも行ってみないとわからないので、一縷の望みをかけてホテルを出発しました。本日の日の出スポット「箐口展望台」はホテルよりも標高が高い所にあるせいか、バスが進むにつれ、ラッキーなことに霧がなくなっていきました。その後展望台に到着し、空が明るくなったとき、昨日とは違う光景が。なんと棚田の下の方に雲海が見られるではありませんか!ここでも「おおっ」という声がとどろき、皆一心不乱にシャッターを押したのは言うまでもありません。その後は昨日同様にご来光、そして太陽の光がきらきら光る棚田を見てから、霧に包まれたままのホテルへ戻りました。(斉藤信)

箐口

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2016年3月 4日 (金)

アブシンベル大神殿に起こる朝日の奇跡(エジプト)

アブシンベル大神殿

先日、「ナイル河クルーズとエジプト・ハイライト 9日間」から帰国しました。1年ぶりのエジプト訪問には、ひそかな楽しみもありました。例えば、ツタンカーメンの黄金のマスクはヒゲが綺麗に修復されたのかを見ること。日本でもずさんな修理方法がニュースになり、その後の修復が気になっていました。また、王家の谷にある彼の墓を再訪すること。小さな墓ですが、「壁の向こうに新たな部屋があるかもしれない」というニュースを聞き、まだ見ぬその部屋を想像してみたいと思ったわけです。
そして最も期待していたのは、アブシンベルの朝日の奇跡です。古代エジプトの神々に捧げられた神殿には、最奥に至聖所と呼ばれる聖域のようなものがあります。かの有名なラムセス2世が建設を命じ、1960年代にダム建設による水没危機から救われたアブシンベル大神殿。ここにも至聖所があり、3人の神とラムセス2世、合計4人の石像が安置されています。ラムセス2世を中心とするこの像に、年にたった2回、朝日が差し込む“奇跡”が起こるのです。その日は、2月22日と10月22日。前者が即位日、後者が誕生日という説が有力ですが諸説あるようです。

アブシンベル大神殿の内部

当日は午前1時(!)に起床し、2時にホテル出発。近くのホテルに宿泊したのでアッという間に入口に到着し、ゲートが開くのをじっと待ちます。その間にも人が集まり、3時45分頃にゲートが開いた時には200人くらいに。それでも、アラブの春以前に比べるとあまりに少ない印象です。はやる気持ちを押さえて大神殿へ。今回のように早くから順番待ちをすれば、このあとは大神殿の中で待つことができます。中は暖かく、座って待つにはタオルを袋に詰めて作った簡易クッションが役立ちました。
日の出まで約2時間。根気強く待ちます。でも、ライトに照らされた神殿内のレリーフに囲まれて待つ時間は至福の時。ラムセス2世が戦車に乗って勇ましく弓を射んとしている姿、敵のヒッタイト人を縛り上げる姿、太陽神アメンラーに向かい合っている姿・・・外界と隔離された神殿内は、3千年前で時が止まっているような錯覚を感じるのです。
6時過ぎ、徐々に光が入り始めてソワソワ。6時23分に日の出を迎えると、列が動き出して順番に至聖所へ・・・。像の前を通り過ぎる3秒間、その瞬間に見た光差す石像の神々しさは、4時間以上の待ち時間の疲れと眠気を吹き飛ばすに十分すぎるものでした。1体だけ光が当たらない像があるのですが、それも確認できましたし、大いに満足!夢心地で外に出ると、想像以上の人の多さ。エジプト人観光客も多く、みんなお祭り騒ぎを楽しんでいました。
日本に帰国した翌日、タイムリーにもエジプト大統領が来日。「観光客の為の安全確保には努力を惜しまない」と演説されていました。確かに、今回はツーリストポリスが付かず離れず同行してくれて安心感がありました。しかし、どこの観光地も以前ほどの混雑さはなく、土産物屋の熱心な客引きもなく・・・昔の賑わいがなくて少し寂しい気持ちになりましたが、ゆっくりと遺跡の空気を味わい、じっくりとヒエログリフや壁画と向かい合うことができました。5千年の歴史をもつ悠久のエジプト、また多くの人々で賑わう日が早く訪れますように。(江間)

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2016年3月 3日 (木)

インド最高峰カンチェンジュンガを訪ねて

ダージリンツアー

 先日、インドのダージリン地方を訪ねるツアーより帰国致しました。インドというと、“暑い”というイメージが頭をよぎりますが、ダージリンは英国植民地時代に避暑地として開発された土地。ヒマラヤ山脈のお膝元にあるということもあり、標高2,000m前後の町が多く点在し、インドの他の地方に比べて過ごしやすい場所に当たります。
 しかし、今回ダージリンを訪れたのは2月。夏は避暑地として最適な反面、冬は寒く、朝晩にもなると気温は10度を下回ることもあります。上着を欠かすことができず、自分は本当に“インド”という国にいるのかと疑ってしまう程ですが、それだけこの国が広いということを改めて感じる瞬間でもあります。
 では、何故そんな寒い時期にわざわざダージリン地方を訪れたのか。それは、一年の中でもこの時期が、“山を見るのに最も適した時期”であるからです。ダージリン地方にはヒマラヤ展望スポットがいくつかあり、中にはヒマラヤ山脈を見たいと思っている観光客が必ず訪れるような展望台もあります。特に12月~2月は降水量が少ない乾期に当たり、他の月よりも晴天率が高いため、山が目当ての観光客は多少寒くてもこの時期を狙ってやってくるというわけです。
 ダージリン地方から見えるヒマラヤ山脈の山々の中で一番人気があるのは、インド最高峰の高さを誇る“カンチェンジュンガ(8,586m)”。チベット語で「五つの宝庫をもつ偉大な雪山」を意味するカンチェンジュンガは、その名の通り、山頂の近くに4つのピークがあるのが特徴です。世界に14座ある8,000m級の山のうちの一つであり、エベレスト、K2に次ぐ世界第3位の標高を持つその姿を一目見ようと、この地方には各国から観光客が集まります。
 今回の旅でのベストショットは、“ペリン”という町から眺めることのできた、朝日に染まるカンチェンジュンガ。辺りがしんと静まる夜明け前、まだ薄暗いにも関わらず、白い雪をかぶったカンチェンジュンガがその姿を現します。その堂々とした様子に見惚れていると、辺りは徐々に明るくなり、今度は山頂が朝日に照らされて赤くなっていきます。それはまるで、山自身がここに存在していることをアピールしているかのよう。徐々に赤い部分が広がっていき、その変化はずっと見ていても飽きません。いつもなら起きたばかりで頭も働かないこの時間。しかしこの時ばかりはぼーっとしている暇がなく、その景色を目で見て、さらにカメラに収めてと、少し忙しい朝となりました。

ダージリンツアー"

ダージリンツアー

 尚、12月~2月は“山を見るのに最も適した時期”ではありますが、必ずしも山が見えるわけではありません。ダージリン地方は山々に囲まれた山間地。“山の天気は分からない”とはまさにその通りで、日によっては雨が降ったり、霧が深かったりという時もあります。実は今回も、早朝から寒い思いをして展望台を訪れたにも関わらず、何も見ることができなかったという日もありました。しかしそのことを前提にしているからこそ、山が綺麗に見えた時の感動はひとしお。思わず歓声とため息がこぼれます。ここまで来て良かったと思わせる力を兼ね揃えたカンチェンジュンガは、私の想像以上に偉大でした。(越野)

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2016年3月 2日 (水)

美食家にお勧めの島、サルディーニャ

 この度、ユーラシア旅行社の「サルティリヤ祭のサルディーニャ島と美の島コルシカ 10日間」のツアーより帰国しました。
 地中海の真ん中に浮かぶイタリアのサルディーニャ島とフランスのコルシカ島は、歴史や自然、文化など、それぞれに個性があり、変化に富んでいます。
 車窓からの風景でも、サルディーニャ島では見渡す限りに広がる丘陵地帯が多いのに対してコルシカ島ではゴツゴツとした高い岩山が多く、フェリでーたった1時間という近距離にありながら、全く別々の島なんだということを実感しました。

Photo

 食べ物もそれぞれの島で美味しい物が違います。サルディーニャ島では粒々のパスタ・フレグラ、羊のチーズ・ペッコリーノ、カラスミのパスタなど。コルシカ島では栗のクッキー、ヤギのチーズ、はちみつ等が特徴的でした。
 私のお勧めはカラスミのパスタです。
 ツアーの食事で登場したのはアサリとカラスミのボンゴレスパゲッティ。アルデンテに茹であがったスパゲッティにあっさりとした塩味とカラスミの風味が効いてとても美味しかったです。思わずボーノ!と笑みがこぼれてしまいました。
 イタリア語でボッタルガと呼ばれるカラスミは、日本では高級食材ですが、ここサルディーニャでは沢山作られているので、スーパーや市場、個人商店など、どこでもお手頃価格で手に入ります。粉状の物をお土産に買って帰れば、茹でたてパスタに和えるだけ!日本でも簡単に美味しいカラスミパスタが作れます。

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 西海岸のオリスターノ近くのカブラス湖はボラ漁が盛んです。実はここはヨーロッパ随一のカラスミの産地。近辺に沢山の潟があり、満潮の時には海水と淡水がまじり合い、天然のいけすが出来上がるのです。周辺の村では代々ボラの卵を塩漬けにしたカラスミを作って暮らしています。
 オリスターノ近郊のタロス遺跡は、日本ではあまり知られていませんが、先史時代のヌラーゲ跡、フェニキア、カルタゴ、ローマの人々が暮らした跡が混在している面白い遺跡です。横の丘の上にはスペイン時代の塔も残り、何千年もの間、地中海貿易の重要な拠点であった事がわかります。チュニジアでカルタゴ遺跡、各国でローマの遺跡はよく見かけますが、タロス遺跡にはそれが同じ場所にあるので、町の作り方などを比較しながら見学する事ができ、遺跡好きにはたまらない場所でしょう。

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 今回のツアーではオリスターノの町で開催されたサルティリヤ祭も見学しました。コンポニドーリと呼ばれる半神化した騎士が、一つの星をめがけて疾走し、射止めた星の数でその年の豊穣を占うという、イタリアの他の都市ではなかなか目にしない珍しいお祭りです。
 情報がないので何があるのか分からず、何もないと思われてしまうサルディーニャ。実は魅力のかたまりのような島なのです。
(関根)

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2016年3月 1日 (火)

刻一刻と変化する空と広大なサハラ砂漠での朝日に感動(モロッコ)

先日、「モロッコ大周遊と幻想のサハラ砂漠14日間」のツアーから帰国しました。日本の約1.2倍の国土である、モロッコの世界遺産8つ全てを制覇してきました。
モロッコは四季もあり、様々な気候を持つ国です。モロッコを東西に分断し、標高3000mの山並みが広がるアトラス山脈が大きなポイントとなります。アトラス山脈以北のカサブランカや首都ラバトは地中海も近く、温暖な海洋性気候、一方、以南のカスバ街道やサハラ砂漠は砂漠性の気候です。
タイトルにもある、アフリカ大陸で3分の1を占めるサハラ砂漠。サハラとはアラビア語で「砂漠」という意味。多くの人がイメージする、いわゆるさらさらの砂砂漠は実は全体の30%程で、約70%は礫砂漠なのです。
そのサハラ砂漠で朝日を見よう!ということで、途中から4WDに乗り換え、メルズーガという砂漠都市を目指します。私達を乗せ、礫砂漠の中を慣れた運転で、突っ走るドライバー達。もう既に夕暮れ時。次の日の朝日の観光の前に、まずは日の入の様子をパシャリ。地球の水平線がはっきりと目に見え、そこに沈む夕日もまた非常に幻想的でした。

モロッコ、サハラ砂漠、夕日、旅行、ツアー

可愛らしいオーベルジュから、夜は満点の星空を堪能し、夜明け前に4WDを出発させます。朝日観賞ポイントまでは、ラクダ組と徒歩組に分かれ、刻一刻と変化する空の色を目に焼き付けながら、オレンジ色のさらさらした砂の上を20分程歩いていきます。到着後、あとは朝日が顔を出すのを待つだけ。ターバンを頭に巻いてもらったり、アラビア語を砂に書いたり、現地のベルベル人との交流も楽しめます。カメラを構え続け、やっと待望の朝日が。今回は天気も良く、きれいにお写真をお撮り頂くことが出来ました。サハラ砂漠自体、足を踏み入れることはなかなかない中、非常に貴重な経験でした。

サハラ砂漠、モロッコ、ラクダ、旅行、ツアー

幻想的な絶景で話題の朝日をのぞむカンボジアのアンコールワットを始め、世界中、至る所で見ることが朝日。サハラ砂漠に朝日が昇る光景も時間を忘れて、その場にぼーっと立ち尽くしてしまうような、何かロマンを感じる、そんな空間でした。(荒川)

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