2016年3月30日 (水)

小さな国マルタで触れる人間ドラマ

先日、「陽光のマルタをめぐる7日間」の添乗より帰国しました。
マルタの5つ星ホテルに4連泊、離島ゴゾ島にまで足を伸ばし、時間がゆっくりと流れる島国マルタ共和国を堪能してきました。

ヴァレッタの城壁

マルタの歴史は深く、新石器時代から人間が生活していたといわれており、エジプトのビラミッド建設より早い紀元前3600年に世界最古の巨石神殿が小さな島のあちこちに点在しています。
この国は、中世までフェニキア人やビザンチン帝国、アラブによる侵略や支配を受け、激動の時代が流れていましたが、マルタ史を語る上で欠かせないのがマルタ騎士団の活躍です。キリスト教の最も重要な巡礼地であったエルサレムでの宿舎や病院、警備するために作られた聖ヨハネ騎士団は、イスラム教徒によってパレスチナから追い出されるとキプロス島、ロードス島へと拠点を移します。
しかし、イスラム教徒との死闘の末、1522年にはロードス島からも撤退することになり、神聖ローマ帝国皇帝のカルロス5世から譲り受けたのがマルタ島です。のちにマルタ騎士団と呼ばれ、オスマン帝国との戦争に勝利をもたらした彼らの活躍は見事なものでした。
マルタの旧市街にある城塞や教会、宮殿などを見ていると、マルタ騎士団の時代がいかに華々しいものであったかが実感できます。
そしてもうひとつ、マルタで印象深いものがありました。
中世のこの時代に騎士団としてではなく、筆と絵の具を武器にマルタで活躍した人物がいます。それが、バロック美術を開花させたイタリア人の画家カラヴァッジョです。
カラヴァッジョは35歳の時、喧嘩の果てに一人の男を切りつけ死なせてしまったため、ローマからマルタに逃亡してきました。マルタでの画家としての活躍により、騎士団長から大聖堂付属祈祷所の絵を制作するよう依頼され、自身が騎士になるために最高傑作である「洗礼者聖ヨハネの斬首」を完成させました。
この絵は、聖ヨハネがユダヤの民を惑わしたとの罪で投獄され、ヘロデ王の娘サロメが聖ヨハネの首を求めたことにより、聖ヨハネが斬首された場面を描いたものです。
話しは日本へ移りますが、現在、上野の国立西洋美術館でカラヴァッジョ展が開かれています。過去最多の出展数を誇る世界有数の規模といわれており、日本でもカラヴァッジョの素晴らしい絵画を見ることができますが、マルタの宝として門外不出であるこの宗教画は、マルタ島に訪れないと見ることができません。
その絵画は、首都ヴァレッタの大聖堂の付属美術館に飾られています。美術館に入ると、正面に広がる縦361センチと横520センチの巨大な大作を前に、そこにいる人々が圧倒されていた印象を受けました。細部を覗くと、光彩の表現や描かれた人物の緊張感などが伝わり、巨大な絵の繊細さを感じることができました。
洗礼者聖ヨハネの首から流れる血で書かれた「F・ミケランジェロ」という名は、カラヴァッジョの本名です。カラヴァッジョが自分のサインを残したのはこの絵だけであり、世界にたったひとつの直筆サインを見ることができます。

ヴァレッタの大聖堂にて

 マルタでは、街中の本屋に行くとカラヴァッジョに関する本、スーパーに行くとカラヴァッジョ作品のラベルがお洒落なワインが売っていました。マルタは、限定グッズ探しも楽しい場所です。
また、巨石神殿の巨人伝説やマルタに訪れていた聖パウロの伝説など、マルタでは興味深い話にたくさん触れることができます。皆様とたくさんの想像をめぐらせた有意義な7日間となりました。(松本)
 

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