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2016年4月

2016年4月28日 (木)

フィレンツェの復活祭を訪ねて(イタリア)

イタリアツアー


  先日「イタリア・ルネサンス芸術と古都を巡る 10日間」のツアーより帰国致しました。今回は普段のツアーと異なり、フィレンツェ滞在中にキリスト教のお祭り・復活祭を見学する特別日程でご案内させて頂きました。
 
  日本でほぼ馴染みのない復活祭は、イエス・キリストが十字架に磔刑にされて亡くなった後、三日後に復活したことを祝う、キリスト教の国々ではとても重要なお祭りの一つ。ヨーロッパ各地・イタリアの各街で復活祭は行われていますが、イタリア全土の中でもフィレンツェの復活祭はその様子がニュースで流れる程規模が大きいものです。今回も、多くの見物客に混じって撮影を行うカメラマンやアナウンサーの姿が見られました。
 
 フィレンツェの復活祭は正式名称を「スコッピオ・デル・カッロ(スコッピオ祭)」と言い、「山車の爆発」を意味します。お祭りのクライマックスを飾る派手な火薬演出に見応えがあり、他の復活祭とは一味違うと毎年人気を集めています。起源は11世紀末の第一次十字軍にあり、その際の功績によりキリストの墓石の欠片を与えられたパッツィーノ・デ・パッツィが故郷フィレンツェに帰郷した後、その欠片で起こした火が「祝福された火」として荷車に乗せられ市内を回ることになったという歴史によります。
 
 現在では荷車が大きな山車にとって替わり、4頭の白い牛に引かれて街をまわった後、フィレンツェきっての観光地であるドゥオーモ前の広場へスタンバイ。司教のありがたい説教を聞いている間に、「祝福された火」を表す火薬が山車に装着されます。そしてドゥオーモの祭壇から山車まで一直線にワイヤーが張られ、そのワイヤーを伝って鳩の形をしたロケットが火薬に火をつけるという仕組み。鳩は聖霊の象徴ですが、スコッピオ・デル・カッロの鳩は火をつけるだけが役割ではありません。その後、再びワイヤーを伝って大聖堂へ戻っていかなければならないのです。この鳩が上手く戻ればその年は大豊作になると言われており、お祭りが終わった後は「今年の鳩は戻っていったかい?」と尋ね合うのだそう。そしていよいよクライマックスの「山車の爆発」へ。鳩によって点火された火薬が爆音を立てながら一気に爆発します。中には垂直に火花が上がっていくものもあり、約10分間続く爆発の間、観客は、次はどんな仕掛けの火薬が爆発するのかと固唾を飲んで見守ります。爆発は確かに激しいものですが、いざという時のために消防車も待機しているので、ご心配なく。辺りが白い煙で覆われ、最後の仕掛けが終わったところでお祭りは終わり…ですが、今度は後ろの方で見学していた人が一目山車を見ようと押し寄せてくるため、しばらく辺りは大変な混雑に見舞われます。

イタリアツアー

イタリアツアー

 
 尚、復活祭は移動祝祭日のため毎年お祭りの日が異なります。今年は偶然にも3月下旬でしたが、通常は4月になることが多いのだとか。なかなかお目にかかれないお祭りですが、だからこそ見応え十分です。ちなみに、今年の鳩は無事ドゥオーモへと戻っていきました。今年一年がどうか良い年になりますように…。(越野)

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2016年4月27日 (水)

世界遺産チャンアン

チャンアン洞窟

先日ベトナム15日間の添乗より帰国しました。今回のツアーはハノイからホーチミンまでの8つの世界遺産を全て制覇する旅でした。その中でも特に印象的なのは2014年に世界遺産になったばかりのチャンアンでした。ここは山水の景観地として有名です。又、同じくベトナムのハロン湾の景観に似ていることから「陸のハロン湾」とも呼ばれています。約2億年前の地殻変動により山が隆起してこの地形が出来たそうです。
チャンアンでは最大4人乗りの小舟に乗り観光しました。まずはバスを降りて船着き場へ。船着き場には既にたくさんの観光客がいました。カード式のチケットを買い小舟へ。小舟が30隻ほど並び、船頭さんはほぼ女性でした。それぞれ小舟に乗り、いざチャンアン観光スタート。
船頭さんがゆっくりゆっくり漕ぎながら奥にある8つの洞窟へ向かいました。まさに山水画に描かれるような山の景色が目の前に広がっていました。30分程経過し、1つ目の洞窟へ到着しました。中はとても狭く、場所によっては頭をかがめないと通れない場所もありました。さながらちょっとした冒険のようでした。1つ目の洞窟を抜けると、後は広い洞窟ばかりでした。中が鍾乳洞になっていたり、仏様が祀られていたり特徴がそれぞれ異なりました。
そうして洞窟を抜けながら進み、一番奥のお寺のところで迂回して船着き場へ戻りました。
帰りには結婚記念の写真撮影の為に結婚式の衣装を着て船に乗っているご夫婦に遭遇しました。世界遺産になったばかりということもありカップルにも人気のようです。
今回は往復約2時間のコースで山水画のような世界、冒険のような洞窟くぐり、それぞれ異なる洞窟の中の景色を見ることができ、とても印象深い小舟の旅でした。

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2016年4月26日 (火)

村の中心でファッションショーが開催!?イタリア・ピアナ・デリ・アルバネシの復活祭

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先日、「アマルフィ連泊と南イタリア・シチリア紀行 12日間」のツアーより帰国致しました。このコースは、シチリア島と南イタリアの主要都市に加え、通常では訪れにくい小さな町まで足を延ばし、シチリア島と南イタリアを堪能できるコースです。

シチリア島といえば、アラブ・ノルマン王朝時代の栄華の跡が残る活気ある港町パレルモ、世界屈指のリゾート地と知られる美しい町のタオルミナ、古代ギリシャの神殿郡が集中するアグリジェントなどの都市が良く知られていますが、皆様「ピアナ・デリ・アルバネシ」という村をご存知でしょうか。

パレルモの郊外に位置する人口6000人ほどの小さく、少し不思議な名前の村ですが、「ピアナ・デリ・アルバネシ=アルバニア人の平野」を意味します。15世紀に、オスマン帝国の迫害から逃れてきたアルバニア人の子孫たちが定住した村であるため、イタリア本土よりも彫りが深い顔立ちやイタリア語の下にアルバニア語が表記されている標識、アルバニアの国旗が掲揚されるなど村の至る所でアルバニアの雰囲気が漂います。
今回のツアーでは、イタリアの中で最も大切なお祭りのひとつイースターの時期にあたり、ピアナ・デリ・アルバネシの復活祭を訪ねました。

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まず、復活祭では午前中に教会でミサが行われますが、ピアナ・デリ・アルバネシの教会ではかつてのアルバニアの国教である正教の伝統を受け継ぎつつ、ローマ教皇の絶対性を認め、ローマ教皇庁の指導に従っているという、東方典礼カトリック教会に属しており、教会内では正教の特徴であるイエスキリストのイコン、祭壇と基本的な空間を完全に仕切る壁のようなイコノスタス(聖障)が見られます。さらに、パイプオルガンもなく、ミサ中も信者の皆が立ったまま儀式を受ける光景も見られ、イースターとは思えないような不思議な感覚に陥りました。
その後、復活祭のハイライトであるパレードが盛大に開催!
パレードに参加する若い女性達や子供達が教会前に集まってくると、多くの観光客がいっせいにカメラのシャッターを切ります。それもそのはず、年に一度の復活祭の時だけ着る衣装は先祖代々受け継がれてきた絹の衣装に金の刺繍やアクセサリーがあしらわれた美しい伝統衣装で、エスニックな顔立ちの村人たちが身に纏うとその姿はまるでファッションショーのモデルのような美しさ!
村の中心部を音楽と共に練り歩くパレードと厳かなミサが行われたピアナ・デリ・アルバネシの復活祭にはアルバニアの伝統と民俗色を強く感じ取ることができました。(三浦)

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2016年4月22日 (金)

近くて遠い?遠くて近い?ミクロネシア連邦、マーシャル諸島、パラオ

ミクロネシアの夕食の刺身

先日、特別限定出発「パラオ・ミクロネシア連邦、マーシャル諸島周遊 10日間」のツアーより帰国しました。ミクロネシアの3ヵ国を巡る旅。ただ、その国名を聞いてもパッとどこにあるか思い浮かべるのは難しいかもしれません。確かに、遥か彼方まで広がる太平洋地域には大小あわせ何万にも及ぶ島々が点在しているのですから無理もないかもしれません。大きく分ければタヒチやイースター島、トンガなどはポリネシア。パプアニューギニアやニューカレドニア、ソロモン諸島がメラネシアと一般的に区別されていますが、ミクロネシアはその中でも最も日本に近いところに位置する島々でグアムやサイパン、チューク(旧トラック)などが含まれています。太平洋の島々というとリゾートのイメージが強いと思いますが、それだけではありません。今回訪れた3ヵ国に共通すること、それはかつて日本の統治領だったという事です。

1914年から30年もの間、(グアムなど除く)南洋群島として日本が統治した歴史は今現在も、食べ物であり、単語であり文化といった様々な形で残っています。たとえ初めて訪れたとしても、どこか懐かしく感じるのはそんな時代があったからなのでしょうか。

そんな遠いようで近い国、ミクロネシア連邦やマーシャル諸島にやってくる観光客は釣りやダイビング目的の人が多いのですが、その数は極めて少なく、グループは殆ど来ることはないのだそうです。ですが、ミクロネシア連邦にはまだ謎の多い海上に造られた巨大な水上都市ナンマドール遺跡がありますし、真珠の首飾りと言われる珊瑚の島マーシャル諸島の海の透明度は必見!です。歴史的に関わりを持っていて治安も良く、美味しいお刺身だって食べることが出来る国なのに何だかもったいない気がします。

ロングビーチ

また、パラオに限っては日本からだけでなく様々な国からの沢山の観光客で賑わっていましたが、その良さは規模が大きすぎない事ではないかと思いました。高級高層ホテルが所狭しと林立するわけでも、至るとこに免税店があるわけでも、ビーチを人が埋め尽くすというわけでもない。隠れ家的リゾート地?といった感じも受けました。観光資源も充実しており、2012年に世界遺産にも登録されたロックアイランドでは丸一日たっぷり観光。石灰と海のミネラルで美白効果のある泥パックを全身に塗りたぐったり、干潮時に現れる幻の?海の道、ロングビーチや神秘の湖ジェリーフィッシュレイク、透明度の高い美しい海でシュノーケリングを体験したり、まるで子供に戻ったかのように思いっきり皆様楽しんでいました。

ペリリュー島の日本軍司令部跡

そして、パラオと言えば忘れてはいけないのが太平洋戦争で激戦の島となったペリリュー島です。長さ9キロ、幅3キロしかない小さな島。侵攻の際、米軍指揮官は3日間で攻略すると宣言しましたが、実際には2ヶ月以上にわたる戦闘が行われました。激戦で多くの犠牲者が出たのは言うまでもありません。島に残る戦跡を巡る中、もっと多くの日本人がこの地を訪れ、この地であった事を知らなければならない、また、決して同じ悲劇が繰り返されてはならないと強く感じました。(岩間)

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2016年4月21日 (木)

キリスト教徒の国・エチオピア

エチオピア旅行、エチオピアツアー

先日、エチオピアの神髄8日間のツアーより帰国しました。北エチオピアの見どころを一周し、たくさんのエチオピア正教の教会を見てきました。キリスト教の教会壁画といえば、聖母マリアがいて、イエス・キリストがいてと、日本でもたまに目にするような画を想像することができると思うのですが、エチオピアにあるキリスト教の壁画・絵画は、西欧諸国、あるいは日本で見られるものとは全く雰囲気が違います。そもそも、エチオピアって、キリスト教の国だったの?と思われる方もいらっしゃるかもしれません。実はエチオピアは、アフリカ大陸で最も古くからキリスト教を信仰している国なのです。多くのアフリカ諸国の中でキリスト教が信仰されるようになったのは近代に至ってからなのですが、エチオピアにキリスト教がもたらされたのはなんと4世紀。本当に古くからキリスト教の文化が根付いているんです。そんなわけで、エチオピア国内を周っているとたくさんの教会を見ることになります。

描かれている聖書の登場人物たち、聖人たちもエチオピア風です。トップの写真はエチオピア北部の古都ゴンダールにあるゼブレ・ベルヘン・セラシー教会の天井に描かれた天使たち。肌の色はチョコレート・ブラウンで、目は大きく、すっきりとした鼻、少し困ったような眉毛。典型的なエチオピア人の顔だちをしていました。80体もの天使たちはあらゆる方位を向いていて、神の力はありとあらゆるところに向けられているんだということを表しています。長い歴史の中で、ずっと占領されずに独立を保ってきたエチオピアは、周辺諸国にイスラム教が広まっていく中でもキリスト教を信仰し続けていました。その為、イスラム教徒に攻撃されることもありました。18世紀、ゴンダールの街はスーダンのイスラム教徒に侵攻され、もともとこの街にあった、44もの教会が破壊されてしまいました。デブレ・ベルハン・セラシー教会は、このゴンダールに残る、18世紀以前からある唯一の教会なのです。

そんな敬虔なキリスト教徒の国、エチオピアの歴代の王の中には、エチオピアの中に第二のエルサレムを造ろうと考えた王がいました。12~13世紀頃、信仰心の篤いラリベラという王は、かつて兄弟に王位を狙われ、エルサレムに亡命していたことがありました。聖地エルサレムを目にしたことのあるラリベラは、いつかは自分もエルサレムに埋葬してもらいたいと考えていたのですが、周辺諸国をイスラム教徒の国々に囲まれているエチオピアから、エルサレムまで移動するのは非常に困難なことでした。標高も高く、山々が連なり移動するのも大変、というのもあって、エチオピアの国民たちは信仰心があるにも関わらず、聖地巡礼をすることができない人がほとんどだったのです。遠い国エルサレムに思いを馳せて、自分の為に、そして国民の為に、王は首都に第二のエルサレム建設しようと考えたのでした。

エチオピアツアー、エチオピア旅行

ラリベラは、町に12もの岩窟教会群を築きました。それらは全て1枚岩を掘り抜いてできたもの。伝説によると、王が夢の中で「教会を作るときは必ず一つの岩をくりぬいてつくること」という啓示を受けたからと言われています。なんと、この岩窟教会群、現在の技術をもってしても、どうやって造ったのかわかっていないんです。実際に歩いてみると、修復されたところ以外は全く石の継ぎ目がありません。約700年前に造られたとはとても思えないクオリティです。たくさんの人が今もなお巡礼に訪れていて、長い歴史のなか、絶えず教会としての機能を保ち続けているのもすごいところです。人々が一心不乱に祈る姿に、なんだか圧倒されてしまいました。(留置)

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2016年4月20日 (水)

ハロン湾にてゆったり2泊3日のクルーズ(ベトナム)

先日、ユーラシア旅行社の「フレンチコロニアルなオウコー号宿泊 ハロン湾の優雅な休日 6日間」のツアーより帰国致しました。
ベトナムで一番有名な観光地と言っても過言ではないハロン湾への観光は、通常ユーラシアのツアーではゆったりとクルーズ船利用の1泊2日の旅が主流となっています。今回のツアーではさらに1泊増えて、2泊3日のさらにゆったりとしたツアーでした。
船で2泊3日もあり退屈するのではと思われがちですが決してそんなことはありません。
今回のオウコー号では、下船観光が4回ありますが、その中でも私のお勧めの観光2か所をご紹介します。

オウコー号

まず1つ目がカットバ国立公園ですが、船を下りてから、自転車に乗り換えて、片道5kmの道のりをサイクリング。自転車に乗りたくない場合は、電気カートで移動することも可能です。また途中オウコー号の食事でも出されるという有機栽培の野菜畑を見学しましたが、畑を耕していた人たちの優しい眼差しを見て、ここで作られた野菜は絶対に美味しい、そう確信しました。さらに、人口わずか280人のベトハイ村へ行き、93歳のおばあちゃんの家に民家訪問をしたり、小学校などを見学しました。実はこの村、なんと2009年まで電気が通っていなかったそうです。今も農業で生計を立てているこの村ですが、そこに住む人々は皆優しい面立ちをしていました。きっと昔の日本もこんな感じだったんだろうなと想像できました。

有機野菜農場
もう1つがブンビエン水上集落の見学です。ここは6人乗りの小舟に乗り換えて行きます。小舟にはエンジンなど着いておらず、船頭さんが漕ぐ2本の櫂の音しか聞こえませんので、静かに時は流れて行きます。そして昔からハロン湾内にて家屋を建てて、漁業を営む人の生活を垣間見ることができました。

ブンビエン水上漁村
もちろん下船観光だけではなく、船内にいる時も決して退屈はせず、1日の始まりは朝食前にサンデッキにて太極拳教室があったり、春巻き作りを楽しんだり、夕食後は船員さんたちと一緒にイカ釣り体験もできます。もちろん何もしたくない時は、サンデッキに上がり横になったり、あるいはお部屋で休んだりと思いのままにお過ごし頂けます。
こうして2泊3日のハロン湾の旅はゆったりと時が流れていたはずですが、不思議なもので終わってみればあっという間でした。(斉藤信)

太極拳

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2016年4月19日 (火)

小さな国、サンマリノの深~い歴史(欧州の小さな国々)

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先日「欧州小さな国々、夢紀行」の添乗より帰国しました。10日間で訪れた国はリヒテンシュタイン公国、バチカン市国、サンマリノ共和国、モナコ公国、アンドラ公国、更にスイス、イタリア、フランス、スペインの9カ国!それに加えてまだ国際的に独立国として認められていない〝自称独立国家〟のセボルガ公国や二つの飛び地も訪問しました。これらの単体では訪れにくいヨーロッパの小国を、現地の人々との交流を楽しみながら列車とバスで効率よく巡ってきました。

地図上ではあまりの小ささに見落としがちなこれらの小国は、実際訪れてみるとそれぞれ個性的で興味深いことばかりです。政体や歴史もユニークで、多くの小国がタックスヘイブンを行っており、実際にはその地で活動していないのに、形だけの本社が置かれている外国企業(ペーパーカンパニー)が多いのも特徴。なかでも今回、一番印象に残ったのがサンマリノ共和国。61平方キロメートルという、ニューヨークのマンハッタン島程の小さな面積に、およそ32,000人が暮らし、周囲をすべてイタリアに囲まれた山岳国です。

サンマリノ共和国を訪れる上で忘れてはいけないのがその歴史。今日、世界の多くの国で採用している「共和制」の始まりは、実はここ、サンマリノなのです。西暦301年に共和国として誕生し、以後、独立を維持。現在の国会(大評議会)の定員は60名で、執政(国家元首)を2名任命し、権力の集中を防いでいます。又、独裁政権にならないように、国家元首の任期を約半年と短く定めているのも特徴です。国防、教育、医療などは全てイタリアに依存し、更に裁判官もイタリア人に依頼。その背景には「国民の多くが顔見知りのため、公平を保つのが難しいから」という小国ならではの理由があります。

そんな歴史深い小国サンマリノの産業は、ずばり、観光。サンマリノの国土は標高700mのティターノ山に位置し、その「山岳地帯」という地理的条件が国全体を要塞のように守ってきました。中世には山頂に3つの砦が築かれ、隣国の領土争いが続く最中、自由と独立を守り続けることができました。そのため、旧市街は戦火による破壊を免れ、現存する古い石造りの建築物と共に2008年に世界遺産に登録されています。

中世から続く町らしい、石畳の坂道を登り、14世紀のサン・フランチェスコ教会や広場、素朴な外観の大聖堂を見学し、更に歩みを進め頂上へ。11世紀に建てられたグアイダの塔からは真っ青なアドリア海とイタリアのリゾート地として知られるリミニの町が一望できました。お天気に恵まれ、少し汗ばんだ体に、山の爽やかな風が心地よく吹いてきました。小国ならではの穏やかな雰囲気と人々の温かさ、そして知られざる国の魅力に触れられた新鮮な旅となりました。(三橋)

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2016年4月15日 (金)

マヤ文明最大のカラクムル遺跡をゆったり観光(メキシコ)

メキシコカラクムル遺跡

先日、「春分の2つの奇跡も見学! メキシコ古代文明とセノーテ 11日間」の添乗より帰国致しました。今回のツアーでは中々ツアーでは訪れないカラクムル遺跡にもご案内いたしました。
カラクムルはユカタン半島南部に位置するマヤ文明有数の遺跡です。マヤ文明の遺跡といえばグアテマラのティカル遺跡が一番に頭に浮かぶ方が多いかと思いますが、このカラクムル遺跡は一時あのティカルを倒したとされている巨大都市。マヤ最大の遺跡というだけあり、カラクムル保護区に到着してから遺跡が建ち並ぶ場所まで長い道のりです。
カラクムル自然保護区に到着してから約60キロ走り、4WDに乗り換えます。ここからはサファリタイム、カラクムル自然保護区は運がよければ野生の動物たちに遭遇できるので、お客様も私も必死で車窓に目を凝らします。すると、ドライバーさんが突然車を止めて指を指しました。その先には、なんとピューマが!後から聞くと長年ここをドライブしているドライバーさんも初めて見られたのだそう。そのほかにも、孔雀やハナグマなどがお出迎え。そうこうしているうちにカラクムル遺跡に到着しました。カラクムル遺跡は2002年に世界遺産に登録されてから間もない遺跡なのであまり観光客もおらず、ゆったりと観光できます。密林の中にある細い道を進み遺跡を目指します。約20分歩くと突如、目の前に巨大な遺跡群が。遺跡の上に登ると、なんとも言えない爽快感、そして遠くの方に遺跡がぽつぽつとあり、カラクムルの壮大さを感じることができるので降りるのが惜しいと思うほど。そよ風が吹く中ぼーっとマヤ最大の遺跡に思いをはせ、とても濃密な時間をすごすことができました。(竜崎)

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2016年4月14日 (木)

春分の日の朝日。アンコールワットで特別な一時を!(カンボジア)

アンコールワットの春分の日の朝日

先日、「アンコール遺跡群を極める旅 9日間」のツアーより帰国致しました。
今回のツアーは、首都プノンペンから入り、その後陸路にてシェムリアップまで移動。シェムリアップを拠点に市内外に点在するアンコール遺跡をご案内致しました。
今回のメインは何と言ってもアンコールワットでの春分の日の朝日鑑賞。
春分(秋分)の日の朝日は、昼夜の長さがほぼ等しくなる日の早朝、西参道に立ち、中央塔を臨むと塔の真後ろから昇ってきます。1年の中でも限られた時にしか見られない為、春分の日の前後1週間はカンボジア国内外からたくさんの観光客が押し寄せます。
当日、日が明ける前にホテルを出発。懐中電灯で足元を照らしながら参道を進みました。西塔門を過ぎ朝日のポイントに到着すると芝生に腰を掛け、または西参道いっぱいに朝日を待ち望む人々で溢れていました。
高さ65メートルの中央塔は太陽神ヴィシュヌが祀られた神聖な聖域です。アンコール時代の数ある神殿建築が、正面を東に向け建てられたのに対し、アンコールワットは、西向きを正面に建てられました。アンコールワットの正面を西向きにしたのは、春分の日の太陽がこの神聖な塔の真後ろから昇ってくるよう設計されたからです。アンコールワットと深い縁のある太陽を、暦では最も神聖な春分の太陽を使って、より一層神秘的にさせようとしたのです。
今か今かとその時を待っていると、徐々に空の色が変わり、アンコールワットが朝焼けに染まっていきます。そしてついに太陽が昇り始め、塔の後ろから姿を現した時には思わず、「わぁー、綺麗!!」と辺りから声が漏れました。一瞬の出来事を目に焼き付ける方、カメラのフィルターを覗き写真に収める方等、今しか見られないと思うとその一時を大切に丁寧に過ごしているように見えました。
中央塔の上に太陽が重なるのはほんの一瞬でしたが、アンコール時代に見られていた光景が21世紀の現在も見られるなんて、なんだかとても浪漫を感じた瞬間でした。朝焼けに染まるアンコールワットはもちろん素敵ですが、中央に聳え立つ塔の後ろから昇る朝日が塔と重なり合う瞬間は見応えがあります。時間にすると数十分の出来事でしたが、実に密度の高い時間を過ごしました。(大和田)

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2016年4月13日 (水)

水の都、早春の水郷を歩く(中国・江南地方)

西塘の廊棚(ろうほう)

先日、中国の江南地方の水郷を巡る旅から帰国しました。
江南地方は長江の下流に広がるデルタ地帯。
この水郷の町々は上海の郊外に点在しているので、日本から飛行機でわずか3時間で上海へ。気軽にぶらっと行くことができます。
そのデルタ(三角州)地帯に点在する運河の町を巡ってきました。

今回の旅では、訪れる町の至る所で春の到来を感じることができました。
町の郊外に出ると眩しいほど鮮やかな黄色の菜の花畑が広がり、
ふと庭園に入ると梅や桃の花、ひかえめに咲く薄ピンク色の桜が咲いており、
街角では一瞬心が和むような木蓮の香りが風にのって漂ってきます。

どこの街も運河に沿って中国の明朝・清朝時代(14世紀以降)の鄙びた建物が建ち並び、
まるで迷宮のような狭い路地が入り組んでいるのが特徴です。

どの水郷も水路と路地を中心とした街並みは同じですが、実は
水郷毎に雰囲気が少しずつ異なっています。
廊棚(ろうほう)という長さ2キロにも渡る屋根付の廊下が運河沿いに続いてる西塘(せいとう)や京都の長屋のような古い建物が密集している烏鎮(うちん)、洗濯物が万国旗のようにはためき、庶民臭漂う錦渓(きんけい)、枝垂れた柳と運河の風景が美しい南潯(なんじん)など各町毎に異なる雰囲気漂っています。

今回、一番水郷らしさを感じたのは、「周荘」という町。
手漕ぎ船に乗ると船頭が軽快に櫂を漕ぎながら土地の民謡を歌います。
ゆらゆらと船に触られ、穏やかな民謡を聴きながら眺める静かな古都。
風情は満点でした。

500年以上の歳月を経た建物は瓦屋根が歪み、
密集する木造の古民家はどこも長い年月を経て黒光りしています。
春の穏やかな日差しの中、石畳の路地を歩き、
古き良き中国らしさを存分に感じることができました。(上田)

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2016年4月12日 (火)

美しい声と祈りがこだまするエローラ石窟寺院(インド)

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先日、「神秘の石窟寺院、アジャンタ・エローラ紀行 7日間」のツアーから帰国しました。今回のツアーではタイトル通り、アジャンタ・エローラの両石窟寺院をはじめ、サーンチーやエレファンタ島石窟寺院等、7つの世界遺産を巡りました。

中でも印象強いのが、エローラ石窟寺院です。数世代の石工たちが、金槌とノミだけで岩山を彫り、造った寺院。仏教・ヒンドゥー教・ジャイナ教の石窟が共存しており、計34窟あります。

ヒンドゥー教のカイラーサ寺院で有名ですが、私が一番心に残ったのは、仏教石窟の第10窟です。第10窟は、エローラ唯一のストゥーパ(仏塔)を祀る塔院。奥にあるお椀をひっくり返したようなものがストゥーパで、ブッダを象徴するものとして礼拝されました。日本の卒塔婆は、このストゥーパからきた言葉です。ストゥーパの前には、仏像が堂々と座っています。天井部分のあばら骨のような装飾は、木造建築の梁を模したものです。

実際に中へ入ってみると、窓もなく薄暗いのですが、係員の方が外から反射板を向けて、中に光を入れてくれます。当時、実際に石窟を利用する際は、この方法で光を取り入れていたのだとか。

過度な装飾もなく、シンプルな塔院ですが、驚きの特徴がありました。現地ガイドの方がお経を唱えると、何故かコンサートホールのように綺麗に声が響きます。日本の読経よりもトーンが高く、歌のような美しいインドの読経に感動しました。

心にまで声が響くこの塔院で、千年以上も前から、人々は何を祈っていたのだろうかと思いを馳せました。(五島)

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2016年4月 8日 (金)

世界でここだけ!地熱バーべキューが出来る場所。カナリア諸島のティマンファイヤ国立公園

この度、ユーラシア旅行社の「カナリア諸島絶景紀行」より帰国しました。
 カナリア諸島は、スペイン本土から南に1000㎞。モロッコから西に300㎞の海上に浮かぶ7つの島。「常春の島」と呼ばれ、ヨーロッパの人々からは休暇に訪れるリゾート地として人気ですが、のんびり滞在するだけでなく、地球の原風景を思わせる景観や、火山の噴火によって形成された大地を実感できる興味深い島なのです。

クレータードライブ

 今回のツアーでは、火山のクレーターが点在するランサローテ島、大航海時代にコロンブスが訪れたゴメラ島、スペイン最高峰テイデ山が聳えるテネリフェ島の3島を訪れました。
ランサローテ島は火山活動による洞窟や溶岩流、クレーターが広がり、まさに火山島!といった感じです。1730年代に大きな噴火が続き、島の南部の3分の1は海没し、その時11の村落が消滅し、100以上の噴火口ができたそうです。
 朝、ホテルを出発して町を少し離れると辺りはもうゴツゴツした黒い岩だらけの大地。少し先には今は休火山となった円錐形の山がいくつも見えました。あの山が突然火を噴いて溶岩がここまで流れ来たんだ!と、ガイドさんはまるで見てきたかのように語ります。溶岩の流れが突然変わった為に生き残った村は「ラッキータウン」と呼ばれているそうです。
 「ティマンファヤ国立公園」は地熱を利用した面白い体験ができます。到着すると、係りの人に「みんな手を出して―。絶対握っちゃだめ!」と言われ、何かを受け取りました。が!誰もが受け取った瞬間アチチ!アチチ!とこぼしていました。実はそれは地面を少し掘った所から取った石でした。とても熱くてびっくり。地表の同じ石に触れてみるとまったく熱くないのに不思議です。

地熱バーベキュー

 また、別のところではプシュー!!と音を立てて噴水のように蒸気が吹き上がっていました。深さ13mの穴に水を入れると吹き上がるという実験です。
レストラン「ディアブロ(悪魔)」では大きな穴の上に網を乗せ、その上でチキンや野菜を並べて焼いていました。ここの地熱は硫黄が発生しなので食べ物も安心して焼けるのです。世界中に地熱を利用した物はいろいろありますが、「地熱バーベキュー」が出来るのはきっとここだけでしょう。
 食後のドライブでは溶岩が流れて固まった所や溶岩の川や溶岩トンネルなどを見ました。大迫力で次々と視界に入る大自然の景観に驚きと感動の連続でした。
 

リオ展望台

 ランサローテ島北部にも溶岩洞窟やトンネル、島の北部の小島を望むリオ展望台など、絶景ポイントが沢山ありますが、どの観光地もとても綺麗に整備されています。それは、この島出身の建築家セサールマンリケという人のおかげなのです。ニューヨークで芸術家として活躍していたマンリケさんは、当時、干ばつや不景気で島民が次々と移住しゴーストタウン化していた島を救うために帰国し、島おこし運動を開始したのです。そして、この島の自然景観を損なわないよう、且つ、お洒落で洗練されたデザインや観光客が楽しめる空間を観光地に取り入れました。
 リオ展望台もその作品のひとつ。北部の山の上にありますが、遠くから見るとそこに建物があるとは全く分かりません。近くに来てやっと、土の色と似た地味な建物があるという事がわかります。中に入ってみるとびっくり!室内の壁は白く塗られ、中央にはアート作品のような装飾があります。所々に観葉植物が置かれ、まるで都会のカフェのようです。白壁をくりぬいてはめ込んだような螺旋階段を登った所に展望台があります。
次々とマンリケさんの作品が生まれ、地元の人々も次第に島の魅力を再確認するようになりました。現在はマンリケさんの意思を次いだ地元の人々がその作品と共に自然を守っています。(関根)

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2016年4月 7日 (木)

1000年の歴史を持つお茶の交易路・茶馬古道を辿る(中国・雲南省)

 

大理古城 五華楼

 先日、「千年の交易路、雲南・茶馬古道をゆく8日間」のツアーから帰国しました。今回は、皆様ご存知の絹の道シルクロード・・・ではなく、お茶の道ティーロードを辿ります。

 今回訪れた雲南省は25もの少数民族が暮らし、ミャンマー、ラオス、ベトナムと国境を接する中国南西部の省です。白(ぺー)族が多く暮らす大理から雲龍を経由し、茶馬古道の宿場町で有名な沙渓も訪れ、最後に納西(ナシ)族が多く暮らす麗江を訪れる旅路でした。茶馬古道の名前の由来は諸説ありますが、一般的に中国南西部から運ばれたお茶とチベットの馬との交易が行われてきた道の事を指します。

 「ここは中国の京都かな?」が、私の第一印象でした。石畳や瓦屋根、街中には水路もあり、古きよき町並みの中を民族衣装を着た人たちや馬が通っていきます。天候にも恵まれ、山桜や桃の花、菜の花に蘭の花、藤の花、玉峰寺では樹齢500年のおおぶりの椿が咲き誇り、ちょうど見頃。普段は雲に隠れることも多い、山頂に雪を抱く標高5000m越えの玉龍雪山もはっきりと見えました。宿泊先も古城内のホテルや民宿で立地や雰囲気も良く、とてもゆったりした日程だったので、散策に出かける方も多くいらっしゃいました。

 今回の訪問先には高倉健さん主演「単騎、千里を走る。」のロケ地となったことでも有名な場所も何ヶ所かありました。石鼓鎮という村では、実際に健さんと共演されたおじいさんにも出会いました。そのときの写真を見せてもらうと、映画をご覧になった方はご存知の石頭村で健さん演じる高田さんが「長街宴」というおもてなしを受けているシーン。高田さんとその隣に通訳さん、そしてその隣におじいさんが並んでいました。この映画のロケ地は他にも、実際に「長街宴」のシーンが撮られた束河村や白沙村、最後に麗江古城で2連泊し、ツアーのお客様にはこの映画のファンの方が多かったため大盛り上がりでした。

 少数民族の方々と触れ合い、石畳の道を散歩し、ゆっくりとお茶を頂きながら一休み。どこか懐かしい茶馬古道の町々に早くもホームシックを感じる今日この頃です。(日裏)

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2016年4月 6日 (水)

王妃の町として栄えたトキメキの町、オビドス(ポルトガル)

先日、「北スペイン・ポルトガルこだわりホテル紀行 10日間」のツアーから帰国しました。
春を感じた陽気の中、北スペイン・ポルトガルを巡って参りました。今回のツアーでは主要都市はもちろんですが、道中の小さな町まで足を伸ばします。
その中でもオビドスは、城壁に囲まれ、オレンジの屋根、白い壁という、これぞ中世ポルトガルという可愛い町。13世紀頃ここを訪れた王妃イザベルがあまりの美しさに町を気に入り、国王からプレゼントで譲り受けたという歴史も。実際、19世紀までは王妃直轄地で、「王妃の町」として知られていました。私も、王妃と同じくこの町に魅了された一人。町の建物の玄関や窓にはお花が飾られ、ときめきポイントを押さえているのです!

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まず、内部にアズレージョが描かれた町の城門を抜けると、道が一本。それがオビドスのメインストリート。白い壁に青や黄色の線が描かれ、町全体がカラフルな印象。町全体は約1時間程度で一周でき、地図も要らないほど。自分勝手に思いのまま歩くのが醍醐味です。体力があれば城壁を登り、町の全景をみるのもよし。斜面に立つ、オレンジの屋根と白壁、遠くに見える緑の平原が絶景でした。
また、ジンジャーニャというさくらんぼのリキュールも有名で、甘酸っぱいお酒。2ユーロ程で小さなカップに一口分入れてくれ、大きなボトルを買う前に試すこともできます。ここにもときめきポイントが。カップはチョコレートで出来ているのです。ひと口で二度美味しい嬉しい工夫。ジンジャーニャスタンドに並ぶのはもちろん、女性ばかり。

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そんな、小さいながら魅力たっぷりのオビドス。聖なる年で沸いているサンティアゴ・デ・コンポステーラや首都リスボン、港町ポルトのみが見所ではございません。小さな町にも十分な魅力・歴史がありました。(杉林)

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2016年4月 5日 (火)

アジアの山岳地域に暮らす少数民族に出会う(中国・ベトナム)

ベトナムのバック・ハーで出会った花モン族

先日、「雲南・北部ベトナム少数民族街道 10日間」の旅から戻りました。中国の南部・雲南省と、そこに国境を接するミャンマー、ラオス、ベトナムには、各国の主要民族とは別の多種多様な民族が暮らしており、このツアーではベトナムと中国の国境付近に暮らす民族の村々を訪ねます。国をまたいで旅したことで感じたのは、国境はあくまでも政治的なものにすぎないのだなぁということでした。
まずこの地域には、もともと同じ民族にもかかわらず、国境が引かれたことで呼び名が異なっているという民族があります。例えば中国の花ミャオ族とベトナムの花モン族。ピンクや赤を基調とする華やかな刺繍が印象的な民族衣装をよく見てみると「あぁ同じルーツなのかも!」と一目でわかるのです。

ベトナムのターフィン村で出会った赤ザオ族

また、今はベトナムに暮らすけれど、ルーツは中国にある民族もいます。その一つ、ザオ族は13世紀頃に祖先が中国からベトナムにやってきたとされ、ターフィン村で出会った赤ザオ族は座布団のような真っ赤な頭巾を頭の上にのせているのが特徴的。このザオ族の起源として有力なのが、中国ではヤオ族と呼ばれている民族。中国雲南省の金平という町の郊外・太陽寨には、ヤオ族の一つである紅頭ヤオ族が暮らしており、形は三角ですが色はやはり赤い帽子を被っています。両民族には「女性が剃髪する」という共通の風習も残っていて、なるほど、起源は同じなのかもと思ったわけです。
そして、現在のベトナム北部地域は、約1,000年もの期間を中国に支配されていた歴史上、漢字が残されている歴史的建造物が多く見られます。北部の食文化にも中国の影響が少し残っていて、そういえば国境を越えても食事にあまり大きな変化はなかったなぁと、後になって思ったものです。
とはいえ、その国境を境として異なっていたこともあります。それは“外国人に対する意識”です。ベトナム、特にサパを中心とする地域はフランス人の避暑地として長らく外国人とのなじみがあったからか、観光客に対して物怖じすることがなく外交的。また、自分たちの伝統的な刺繍や藍染めを土産物として積極的に販売しています。
一方、中国は、ベトナムよりもやや内向的な印象。特にご年配の方は外の人間に対して抵抗があるようで、微笑みかけても真顔で応えるのみ。カメラを向けようものなら途端に奥へ隠れてしまいます。市場を訪ねた時も、目が合うと顔を横に向けたり、手のひらで顔を隠したり。ガイドによると、外交的でない一面に加え、写真については「魂も一緒に取られる」という迷信があるそう。昔の日本もそうだったよなぁとか、外国人に抵抗があるのは日本も同じだわぁとか、知らない人に写真撮られるのはそりゃ嫌だよねぇなど、皆様、色々思うところがあったようです。
そんな違いはあれど、どの村でも、女性たちがひとつひとつ丁寧に民族衣装を作り上げている姿は最も印象的でした。現代的な生活様式も徐々に取り入れられるようになった中、母から娘へ、伝統の刺繍や染め物の技術とデザインを受け継いでいるのは中国もベトナムも同じでした。これからも各民族の伝統が長く守られてほしいと思います。(江間)

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2016年4月 1日 (金)

緑に染まるダブリン~アイルランドのセント・パトリックデー~

先日「セント・パトリックデーとアイルランドの休日8日間」の添乗より帰国しました。

聖パトリックは、432年、アイルランドにキリスト教を広めた司教で、国の守護聖人となっています。彼の命日である3月17日は、アイルランドの祝日であり、各地でパレードやイベントが行われます。 今では本国アイルランドだけではなく、アメリカやカナダ、オーストラリアなど、アイルランド移民の子孫が多い国々だけではなく、日本をはじめ、世界中で祝われる有名なお祭りになっています。
今回のツアーでは、首都ダブリンで毎年開催される国内最大のパレードを観賞して参りました!

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春手前のアイルランドはまだ寒さが若干残るものの、お祭り当日はお天気に恵まれました。アイルランドの面積は、北海道とほぼ同じくらいで、首都ダブリンも、観光や散策がしやすい小さな街です。しかし、セント・パトリックデーには、国内外から多くの人々が集まり、街中のカフェやバーは大変賑わいます。 人々は皆、国のシンボルカラーである緑の物を身に付け、街の装飾も緑一色!自然が豊かなことから「エメラルドグリーンの島」と呼ばれているアイルランドに相応しい風景でした!

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メインのパレードは約2時間行われ、音楽隊や華やかな仮装をした人々、各企業が作成したハリボテなどの大行列が、ダブリンの目抜き通りを行進します。熱狂的な中にも、ケルトの伝統的な音楽を演奏する音楽隊や、地域の民族衣装を身にまとったグループなども多く参加するため、新旧が融合した、鑑賞しているだけも心が躍るようなパレードでした。
パレードの後も街の熱気は冷めることなく、パブやレストランは緑の人でいっぱいです!明るく、フレンドリー、飲んだりおしゃべりしたりするのが好きなアイルランドの人々と祝う伝統的なお祭り。国産のギネスビールを片手に、緑の宴は夜まで続いていました!(飯野) 

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