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2016年6月

2016年6月30日 (木)

旧市街祭で賑わう古都タリン(バルト三国、エストニア)

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先日、「バルト三国を極める旅11日間」の添乗より帰国致しました。今回は、エストニアの首都、タリンで行われていた旧市街祭も見学。今年で35回となる旧市街祭は、毎年テーマを決めて5日間それぞれ異なった催しを行うのが特徴です。

訪ねた日は特に音楽イベントが多く、旧市街に点在する数々の教会ではオルガンコンサートや聖歌隊のミニ音楽会が開かれ、中心広場に設けられたステージでは、ジャズなどのミニコンサートに集まった人々でとても賑わっていました。温かみのある手工芸品を売る屋台が出ていたり、時折、中世の衣装を着た市民の姿があったり、特別な雰囲気に包まれたタリン。

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旧市街へ徒歩で数分のホテルへチェックインし、早々にタリンの街へと繰り出しました。まず、聖ニコラス教会へ。古くから港町、ハンザ都市として発展したタリン。船乗りの守護聖人、ニコラスを祀っています。ちょうど、オルガンコンサートが開かれるというので早速、中へ。時間を無駄にせずラッキーでした。30分程のミニコンサートでしたが、素朴で優しい音色に心が癒されました。教会を出ると、もう17時近かったのですが夏至も近い6月であった為、まだまだ日は高く、屋台をひやかしたり、程よい大きさの旧市街散策を楽しみました。

十数年前に初めて訪れた時、何となく寂しい雰囲気を感じたバルト三国の街々。1991年、旧ソ連からの独立後から既に25年!街行く若い人々の明るさ、おしゃれな店やカフェが数多く建ち並び、周辺諸国からの観光客が訪れる様子を見ているとすっかり、ここはヨーロッパなのだと改めて感じるのでした。発展を遂げるバルトの国々。それでも、伝統はしっかり守り、残している旧市街の街並みは変わらず、いつ見ても美しかったです。(帯津)

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2016年6月29日 (水)

沖縄戦の事実にふれる旅

先日、ユーラシア旅行社の国内ツアー「沖縄戦の事実にふれる旅 3日間」に同行させて頂きました。沖縄は、太平洋戦争時、国内最大の地上戦を経験した地です。一般市民も数多く巻き込まれ、沖縄県民の4人に1人が亡くなったといいます。そんな沖縄には、戦跡や戦争資料館が数多く存在します。今回は、読谷村や旧第32軍司令部壕、嘉数高地、摩文仁の丘などを巡りました。
 沖縄には「ガマ」と呼ばれる自然洞穴がたくさんあり、戦時には避難場所や野戦病院として活用されました。

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今回の旅では3つのガマを訪れましたが、その中の、沖縄本島南部にある糸数アブチラガマは内部が整備されており、奥まで見学することができました。糸数アブチラガマはもともと周辺住民の避難所でしたが、戦場が南下するにつれて野戦病院となりました。当時、全長270mのガマ内に600人以上の負傷兵が詰め込まれたといいます。
ガマの天井は岩がむき出しで、高さもまちまちなので、皆でヘルメットを被っていきました。入口からは人工の急な階段が続いており、一段、一段と降りるたびに、黒い布を一枚ずつ被せられているように、みるみる暗くなっていきました。天井が低いところもあり、しゃがみ込みながら階段を降りなければならないところもありました。ガマの中では光の片鱗さえ感じられないので、失明してしまったのではないかと思うほど真っ暗でした。今は何もないガマの中は広く感じられましたが、当時はこの中に600人の患者が横たわっていたのですから窮屈だったことと思います。天井の岩からはぽたぽたと滴が落ちていました。沖縄戦が行われたのはちょうど梅雨の時期、より湿度が高くじめじめとしていたはずです。排泄場所を明確に区切れないため、中は腐臭に満ちており、人間らしい生活とはかけ離れていたと思います。こんなところで、米軍への恐怖に怯えながら暗闇の中何日も過ごしていたなんて、自分の今の生活からはかけ離れすぎていて想像しがたいことでしたが、ガマの一角に、内部で見つかった兵士や住民たちの遺品が集められており、それらの品々があまりにも生活感に溢れ生なましかったため、現実にあったことなのだと思い知らされました。
 その他の訪問地もそれぞれが印象深く、あまりの悲惨さに衝撃を受けることも数多くありました。今回は得るものがとても多いツアーだったと思います。このツアーに同行する機会をくださった、真摯な気持ちでご参加くださったお客様に、心より感謝申し上げます。(佐藤)

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2016年6月28日 (火)

ブルチノフ村の王様の騎馬行進(チェコ)

先日、「チェコ・スロヴァキア・ハンガリー物語」のツアーから帰国。3カ国を16日間かけてじっくりと巡って参りました。大平原のハンガリー、中世の町並みが今尚残るチェコ、都市部のスロヴァキア・ブラチスラバなど見所満載のツアーでした
チェコではプラハの春のコンサートやブルチノフ村の王様の騎馬行進など今しか見られないイベントにも参加しました。
チェコのブルチノフ村では年に一度王様の騎馬行進というお祭りが開かれます。10歳以下の男の子が一人選ばれ、王様役として豪華な衣装を着て、騎馬行列で町を練り歩きます。チェコがボヘミアとモラヴィアに分かれていた頃、戦いに負けたボヘミア王が女装をして国外に逃げた出来事を模して王様の騎馬行進が始まったと言われています。

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さて、このお祭りは5月の最後の土日の2日間に渡って行われます。当日は、町に沢山の屋台や野外コンサート会場が設置され、街中がお祭り騒ぎ。チェコ国内から人々が王様の行進を一目見ようと集まってきます。お祭りの目玉はもちろん、王様の騎馬行進。この時間になると人々は王様の家に行き、王様の出発を見届けます。そして、観光客が行進を追いかけて行列がどんどん大きくなります。行進は王様が1人、王様と同じ衣装の男性が2人、馬に乗った民族衣装の男性が複数名という構成。王様はバラをくわえているのですぐに分かります。両脇にいる男性は王様の側近役で18歳までの青年、他は民族衣装を着てチップを要求するために大きな声を出して行列を盛り上げる青年達です。ワイワイと進む行列について歩くとあっという間に1時間経ってしまいました。
また、王様以外にも沢山の人がボヘミアやモラヴィアの民族衣装を着て会場を盛り上げていました。民族衣装は地域・村ごとや年齢ごとに違うので、様々な民族衣装を見たり、写真を撮ったり楽しめました。

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王様の騎馬行進はモラヴィア地方の各地で行われていましたが、今も毎年行われているのはこの村だけになってしまいました。
しかし、モラヴィアの民族衣装が見られるお祭りとして、世界無形文化遺産の登録リストに載っています。登録されると観光客も増え、他の村でも復活するかもしれません。一度に沢山の民族衣装が見られることでギネス記録にも載ったことがあります。今は小さな村のお祭りですが、多くの可能性を秘めていると感じました。今後の町の成長が楽しみです。(杉林)

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2016年6月24日 (金)

新疆でしか味わえない絶品フルーツ(中国・新疆ウイグル自治区)

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 先日、「関空から行く シルクロード列車とタクラマカン砂漠縦断11日間」のツアーから帰国しました。今回訪れたのは中国の最も西にある新疆ウイグル自治区。とても自然豊かな場所で、西にはパミール高原、北はアルタイ山脈、中央に天山山脈、南に崑崙山脈が走り、それぞれの山脈の間にジュンガル盆地とタリム盆地(タクラマカン砂漠)があります。この辺りはシルクロードの要衝でもありますが、唐の時代に玄奘三蔵が天竺を目指して訪れたことでも有名です。往路ではタクラマカン砂漠の北(天山山脈の南)・天山南路のトルファン(高昌国)、クチャ(亀慈国)を進み、天山山脈のペデル峠を越えてキルギスへ入りイシククル湖へ。インドから唐へ戻る復路では中央アジアからタクラマカン砂漠の南・西域南道のホータン(于闐国)、ニヤを抜け、敦煌へと入っていきました。新疆ウイグルでも最西端にあるカシュガルでは天山南路と西域南道が交差する街で人口の9割がイスラム教を信仰するウイグル人が占めており、中国でも異彩を放っていますが、とても活気に溢れています。

 新疆ウイグル自治区はシルクロード時代から栄えていたため都市ごとに違う歴史を持っていますが、特産品、中でも果物は都市ごとに名物が変わります。有名なのはトルファンの葡萄、クチャの白杏子、ホータンのクルミ、コルラの梨、カシュガルのザクロ、そして今回は訪れませんでしたがハミのハミ瓜(メロンに似た果物)、アトシュのイチジク、アクスのリンゴ、チャルクリクの棗などです。

 新疆の果物は通常5月、6月くらいから収穫され露店に並び始めます。私が訪れた5月末でも既に果物が山積みにされており、ツアー中によくガイドさんがスイカやハミ瓜、杏子、バナナ、リンゴなどの果物の差し入れをしてくれましたが、曰くまだ少し時期は早かったそう。ピークは8月、9月ごろ。太陽の光を存分に浴び、オアシスの水を吸って育った果物が各地で熟し始める時期なのだとか。それでも私たちが頂いたものは日本のものと比べて甘く瑞々しく、美味しい!食後だというのに果物に伸ばす手が止まりません。

 新疆は地形が様々なので場所によって気候も変わります。トルファンに至っては世界で2番目に海抜が低い(海抜-150m)盆地であり、私たちが訪れた時でも気温は何と40度越え。湿度が低いので日本のようにじめじめしていないことが救いでしたが、やはり暑い!そんな暑い中で頂く甘くて瑞々しい果物は絶品です。しかし絶品なのは味だけではなくそのお値段も。バナナが1kg120円、リンゴが1個20円、ハミ瓜が1個120円くらいと破格のお値段です。

露店

 
 勿論名産の都市以外の場所で食べても十二分に安くて美味しいのが新疆の果物。乾燥した新疆では果物も乾燥させるのがほとんどで、お土産にドライフルーツはかかせませんが、訪れたからにはやはり生を食べたい!残念ながら生の果物は日本には持って帰れないので、最後には食べたい果物をガイドさんにおねだりして、皆様で美味しく頂きました。(日裏)

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2016年6月23日 (木)

その数世界一!?リトアニアの田舎に突如現れる、十字架の集まる丘

十字架の丘

先日、「バルト三国古都巡りとクルシュー砂州 8日間」より帰国致しました。リトアニア、ラトビア、エストニアの首都の旧市街とクルシュー砂州を巡る、バルト三国の世界遺産ハイライトツアーです。
それ以外に、リトアニアには無形文化遺産として十字架が登録されています。古くから信仰されている自然崇拝とキリスト教の信仰が合わさり、リトアニアの十字架には太陽や、月、植物などをモチーフにした装飾が施されています。
そんな十字架の国リトアニアを象徴する場所として、十字架の丘と呼ばれるところがあります。ラトビアのリガとリトアニアのクライペダの間のシャウレイ近郊に位置し、その名の通り、数えきれないほどの十字架がたてられています。その数は20万以上にものぼるとも…観光客のみならず、リトアニア人も多く訪れる巡礼の地になっています。
ここには、だれかのお墓があるわけではありません。実はこんなにもたくさんの十字架がたてられるようになった理由については未だはっきりと分かってはいません。最も有力なものはロシアとの戦いで亡くなった人を追悼するために建てられたという説。その後、ソ連に支配されていた時代には宗教信仰を禁じられていたため、ブルドーザーなどで何度も撤去されたこともありましたが、いつの間にかまた新しい十字架がたてられるようになったそう…。人々の篤い信仰心を目の当たりにしました。(長田)

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2016年6月22日 (水)

どこがベストポイント?ドブロブニク旧市街の城壁散策

5/21発「アルプスの懐スロヴェニアとアドリア海の至宝、クロアチア、モスタルへの旅11日間」に行って参りました。
2016年の5月下旬、出発前は気温10℃という例年より暖かくなるのが遅く、寒い日が続いていましたが、私たちのツアーが現地に到着した前日から暖かくなり始め、ツアーを通して、朝は涼しく、日中ちょうど良い暑さで過ごすことができました。
春から夏に向かっていくスロヴェニアとクロアチアは最高でした。国土の半分が森で覆われるスロヴェニアでは、新緑が美しく、特にブレッド湖のホテルでは朝5時には鳥の鳴き声が響き渡り、なかにはカッコーもいて、鳥たちによる自然のBGMは贅沢なものでした。クロアチアのプリトヴィツェ国立公園では、緑と水に囲まれた木道を散策。木々の美しさ、水の流れ落ちる音、滝が水面に流れ落ちた時に生じたミストが肌に触れる心地よい時間を満喫してきました。

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そして徐々に気温は初夏の陽気になったツアー後半は、アドリア海の町々の観光。その最後を締めくくったドブロブニクの旧市街の城壁散策は、印象に残るものとなりました。
城壁の長さは約2km。城壁は、反時計回りに一方通行。城壁の上を歩くのは有料で(※ユーラシアのツアーでは、城壁散策が観光に含まれています)チケットを提示して、一度あがって城壁の上を歩いて、途中で降りたら終了。もう一回上がる際には、もう一度チケットの購入が必要。城壁の昇降箇所は3か所。(1)ピレ門(2)海洋博物館(3)聖ルカ要塞。1周歩くのなら、どこから登っても問題ありませんが、1/3周や2/3周するのなら、昇り場所と降りる場所にこだわることも重要。この昇降箇所、(1)以外は少々見つけにくく、特に(3)は行き方が分かりにくく難しいので、初めて訪れる人は(1)か(2)から昇ることが多いでしょう。

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城壁昇降箇所<(1)ピレ門(2)海洋博物館(3)聖ルカ要塞>
■(1)→(2)の景色は、まず始めにピレ門から伸びるメインストリートであるプラッツァ通りを上から一直線に眺め、そこからやや下り坂となり、民家のオレンジの屋根瓦を間近で見ることができ、ときに、1991年の内戦で爆撃され壊された家を目にしました。そしてアドリア海側にでるとそこから城壁の外にあるロヴリイェナツ要塞を眺めて先に進んでいくと、徐々にのぼりになり、1人しか通れないほどに城壁が薄くなり、道が狭まる箇所へ。ここは方角でいうと南側。海を眺め、内を見れば眼下には民家の庭。細い路地も上から眺める面白さがここにはありました。途中、城壁の上で唯一の公衆トイレがあるのもこの南側。疲れたら飲み物を買えたり休めるカフェもあり。そうして到着する昇降箇所(2)。この(2)はうっかりすると城壁を降りてしまう箇所でもあるので、矢印→のある標識を見落とさないように注意が必要。ここでもう一度チケットの提示が必要なので、(1)(3)から昇った場合も、(2)までチケットをなくさないように注意。

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■(2)から(3)までの距離は短い。アップダウンが少なく平坦で歩きやすい箇所でもありました。そして内側である街並みの景色は、他の箇所に比べるといまいち。城壁の高さが低いので、城壁内の家々のオレンジ色の屋根瓦を上から眺めるには物足りず、こちら側の建物は大聖堂や旧総督邸など石作りの建物が多いので、視線の高さにあるのはその外壁。この間での見所は旧港やプロチェ門から出た先にあるビーチの遠景。(3)に近づくと多少城壁が高くなり、下にある写真のような光景が見えました。旧港と手前には教会。

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■そして(3)から(1)にかけては、街並みの眺めに関しては最高な箇所。ここの道のりはのぼりが多いですが、緩やかなスロープ。道幅も広く、南側にあったような人が1人しか通れないような細い箇所はありません。内側の街並みの景色は、どこを見ても絵になり、目で見える景色が写真のフレームにおさまらず、ちょっとがっかりしてしまうくらい。海は間近では見られないが、視界手前9割がオレンジ色の街並み、遠く1割に青いアドリア海の光景が映りました。ここでも所々でカフェや飲み物が買える店もあり。どんどん昇っていくと、城壁の最高所ミンチェタ要塞からは密集する城壁内の家々は勿論のこと、海まで伸びる城壁とその上を歩く人、旧市街の通りを歩く人、正面遠くには海、その後ろを振り向くとスルジ山と360度ぐるりとまわって見える光景は、全てが絶景!でした。そして(1)のピレ門へ。Blog_4

最終的に私としては・・・城壁は一周するのが一番!が結論でしたが、皆様はいかがでしょうか。(高橋)

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2016年6月21日 (火)

5月でも寒くない!緯度のわりに暖かい「緑の国」アイルランドで見る黄色い花

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先日、「北アイルランド・南アイルランド周遊 13日間」より帰国致しました。
皆様、春のアイルランドの気候に対するイメージはいかがでしょうか。お客様にアイルランドに行かれる前の「気候」に対するイメージを聞くと「寒く観光に適していないのではないか」というお声をよく聞きます。
確かに、アイルランドはサハリンの北部と同じ北緯50度以上に位置しますが、実は冬でもほとんど雪が降らず、5月も最高気温は4月の東京と同じぐらいで、メキシコ湾流(暖流)が流れているため、緯度の割りに暖かい気候となります。

実際に、今回のツアーでも荒涼とした大地が延々と続く風景ではなく、国のカラーともなっている「緑」が美しいアイルランドらしい風景を存分に味わうことが出来ました。
また、5月~6月にかけては緑だけでなく、色鮮やかなハリエニシダの「黄色」の花も氷河が作り出した野山を一面染め上げていました。

ハリエニシダはマメ科の低木で、枝に棘がびっしりとついていることから、「ハリ(針)」エニシダと呼ばれています。

今回のツアーでは、氷河によって創り上げられた大自然が広がるコネマラ国立公園内をハイキングしましたが、、絵のような風景の中を爽快な気分で歩くことができました。

華麗なハリエニシダを見ていると、ひと枝家に持ち帰りたくなりますが、アイルランドでは、ハリエニシダを家の敷地内におくと、その家の女性は不毛になる(子が産まれない)という言い伝えがあるらしく、持ち帰る人は誰もいないそう。

持ち帰えることが出来ないなら、目と写真に焼き付けろということで、
ハリエニシダが密集して咲き誇る鮮やかな黄色と新緑のコントラストが美しい風景を皆様思い思いに楽しまれていらっしゃいました。

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2016年6月17日 (金)

サン・セバスティアンでバール巡りに挑戦!(スペイン)

先日、「緑のピレネー・北スペイン物語 15日間」の添乗より帰国致しました。まだ雪が残るピレネーの壮大な山々、ロマネスク教会や大聖堂を見学しながら巡礼路を通ってサンチャゴ・デ・コンポステーラまで、毎日見所が満載のツアーでした。

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スペインの中でも個人的にお気に入りなのがバスク地方。ピレネー山脈をはさみ、スペインとフランスの両国にまたがって広がるバスク地方は独自の文化を持ち、美食の地として知られています。今回訪れたサン・セバスティアンは、ビスケー湾に突き出た二つの山、モンテ・ウルグルとモンテ・イゲルドに挟まれたコンチャ湾に弧を描くビーチがあり、ビスケー湾の真珠と称されるほど美しい景観と美食の街として知られています。旧市街には沢山のバールが並ぶ通りがいくつもあります。バールに入ると目に飛び込んでくるのは、カウンターにずらっと並ぶサン・セバスティアンが発祥と言われるピンチョス。スライスしたバケットにポテトサラダやマリネ、アンチョビや生ハムなどをのせたオーソドックスなピンチョスをはじめ、それ以外にも、エビ、タコ、ムール貝と言った魚介類からチョリソーや牛肉の串焼きなどのお肉類、スペイン料理の代表ともいえるトルティージャ(スペイン風オムレツ)やクロケッタ(クリームコロッケ)…といった種類豊富なタパスたち。どれも美味しそうで何を食べようか目移りしてしまいます。海外旅行中、レストランで現地の言葉がわからないとメニューを見ても何を注文するか難しいことがありますが、バールなら心配ご無用。目の前に並ぶピンチョスやタパスをいくつか選び、最後にレジで飲み物を注文し、会計を済ませるだけ。とっても簡単です。

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スペイン人にとって、バールは友人と語り合う大切な場所。仕事が終わり、帰宅前にバールで“一杯やる”のが習慣です。19時過ぎには観光客だけでなく地元のスペイン人もやってきてどこのバールも大盛況でした。何件もあるバールを巡り、ワインやビールを片手に話に花を咲かせている人々の様子を見ているだけでも楽しいですし、上級者の方ならスペイン人の輪に入ってコミュニケーションをとることもできます。また、バールによってピンチョスの種類も異なるので、色々なものを試せます。次々と賑やかなバールで、美味しいピンチョスやタパスに舌鼓を打ちつつ会話を楽しみ、気分はすっかりスペイン人。思い出深い一夜となりました。(市川)

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2016年6月16日 (木)

硫黄島3島クルーズに行ってきました(小笠原諸島)

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先日、「硫黄島3島クルーズと小笠原戦跡巡り 6日間」のツアーより戻りました。小笠原の父島、母島へのツアーは数年前から実施しており今ではすっかりお馴染みの人気ツアー。ですが今回は更に南へ約300キロ、硫黄島3島を船で巡る、年に一度だけ小笠原海運が企画する特別便でした。
まずは父島へと向かいました。東京都でありながら、そこへ行くのは決して容易ではない。なぜなら本土とは1000キロ離れており、行く手段は船のみ。所要時間は25時間半!にもなる。日本の裏側、南米のアルゼンチンへ行くのと殆ど変らないのです。25時間・・・、と言っても飛行機の席に座りっぱなしと違い歩き回ることも出来るし、甲板に出れば目の前には太平洋の大海原。思いっきり空気を吸って気分転換。雑魚寝だけれど横になれるのだからビジネスクラス並み?!考え方を少し変えるだけで25時間の船旅もそう悪くはないように思えました。
丸一日船に揺られやっと到着した父島で半日観光の後、再びおが丸に乗船。終わらない船の旅。それもそのはず、今回多くのお客様の目的である硫黄島はまだまだ遠く、2日目も船中泊、そしていよいよ3島クルーズの朝を迎えました。
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硫黄島3島は一般のツアーなどでは上陸することは出来ません。今回のようなクルーズでは、南硫黄島、硫黄島、北硫黄島と1島づつゆっくり案内を聞きながら島を周回していくのですが、やはり一番印象深かったのが硫黄島でした。太平洋戦争終盤において日米双方の激戦となった島。映画「硫黄島からの手紙」の舞台であり、そこで名前を知った方も少なくないと思います。ですがその島は戦争よりずっと以前から硫黄が採れる事から開拓が始まり一時は1000人近い島民の、のどかな暮らしがあったのです。その生活が戦争により一変しました。東京本土から南に1250キロ。サイパン島とのほぼ中間地点に位置している硫黄島は米軍にとって日本本土への足がかりとなる拠点であり、日本にとっては米軍の本土上陸を防ぐ為に守り抜かなければならない島だったのです。米軍の上陸前の海と空からの砲爆撃は数十万発にも及び、摺鉢山の頂上も吹き飛ばし山の形さえ変えたという。大きな海の真ん中の小さな島。遮る物もない島を、海を埋め尽くす位の艦隊に囲まれ、圧倒的な戦力の差に徹底抗戦し1か月以上もの激戦が行われました。想像をはるかに絶する気持ちでいっぱいになりました。船に乗っていた人それぞれに色々な思いがあり、その思いをもって。2度このような事がないように・・・。

献花をしながら、硫黄島の姿を目に焼き付けました。

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2016年6月15日 (水)

サントリーニ島とギリシャのおいしい食事

先日ギリシャ、エーゲ海の7島を巡るツアーより帰国しました。
訪れたのは、アテネと、エーゲ海の島々のみ。有名なメテオラ修道院群や本土の観光地には一切訪れず、とにかく島・島・島と、エーゲ海の島を極めるコースです。そんなにいくつも島を周ってなにが楽しいの?似たような島ばっかなんじゃないの?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、そんなことはありません。それぞれが個性的かつ魅力的、そして、その島でしか見られないもの、見るべきものがちゃんとあるんです!そして、宿泊しながら島々を移動していくので、ただクルーズで立ち寄るよりも濃い観光をたのしむことができました。あまりにも魅力が多すぎて語りつくせない感があるのですが、今回は人気でよく日本でも取り上げられているサントリーニ島と、エーゲ海、地中海の料理の魅力についてご紹介したいと思います。

サントリーニ島、フィラの街並み

青い海、断崖絶壁がまるで雪のように白い建物に覆われている、この風景を、写真や映像で見たことがある方は多いと思います。このイメージが強いサントリーニ島ですが、実はこの島の歴史は非常に古く、紀元前3000年頃にはクレタ島のミノア文明と似た、キクラデス文明が栄えていたことが分かっています。しかし、とても華やかだった文明は紀元前1500年頃の火山の大噴火によって滅びてしまいます。火山の大噴火によってできた噴火口の空洞カルデラに海水が入り込み、かつて大きな島であったサントリーニ島は火山の外輪山を残して水没してしまいました。現在残っている島がその外輪山に当たるのです。なので、他の島々とは全く違う姿をしています。船着き場から町まで、車もしくはケーブルカー、もしくはロバで登らなければいけない、海面からはなれた高い所に町があるのです。そしてなんと、水没してしまった島の大部分が、かの有名な伝説の大陸アトランティスだという説があるのです。なんともロマンチックですね。そしてこの火山の大噴火の後、ギリシャ本土北部からやってきたドーリス人が住みつき、エジプト、ローマ、ビザンチン、ヴェネツィア、オスマン・トルコと支配の歴史を経て、1821年にやっとギリシャ人がサントリーニ島の支配権を取り戻しました。そんな複雑な歴史を持つサントリーニ島ですが、現在はその美しい景観を求めて、世界中からたくさんの人々が訪れています。

イアの夕陽を眺める人々

水平線に沈みゆく、美しい夕日が見れることで有名な、イアの街。夕暮れの頃には夕日が良く見える城塞の所にたくさんの人があつまり、うっとりと、日の沈むのを眺めます。水平線に太陽が沈んだ瞬間、その場にいた全員が、大きな拍手を、太陽に向かって送りました。イアの街は散策も楽しい所。たくさんのお店が所せましと並んでいます。
海抜338メートルの岩山のてっぺんに残された、古代ティラの遺跡にも訪れました。火山の噴火後、紀元前9世紀にこんな断崖絶壁の上に、人々が築いた町の跡が残っているのです。巨大な岩山を削って作ったスピンカーブの道をくねくね上ること約10分で、岩山のてっぺんに到着!

古代ティラへの道

周りを海に囲まれた素晴らしい景色が広がります。この古代ティラの遺跡は自由時間を利用して訪れたのですが、来る価値のある場所だと思いました。海を見渡す劇場は迫力があります。遠い昔に、一体どんな儀式が行われていたのか想像しながら歩く遺跡。真っ白な家が立ち並ぶ景色以外に、こんな魅力もある島なのです。
そして、サントリーニ島では、あちこちで素晴らしい景色を見ながら食事をすることができます。ギリシャは非常に食事の美味しい国なのをご存知ですか?
すばらしいのはその素材。エーゲ海ではとっても新鮮なシーフードが取れるのです。鯛科の白身魚やイカ、タコ、ムール貝を、ギリシャ自慢のオリーブオイルとニンニク・塩でシンプルな味付けをしたものが多いのですが、オリーブオイルの質が良いからか、海の幸が新鮮だからなのか、なんだかとっても食が進んでしまうのです。そしてギリシャのオリーブオイルは、一度味わってしまうとほかの国のものがうさんくさく感じられてしまうくらいに美味しいです。日本で市販されているものと食べ比べてみるとビックリ。まったく後味にくせが無く、さっぱりとしています。お土産にも最適ですね。オリーブオイルをたくさん食べる、クレタ島の食生活は、地中海式ダイエットとして、無形文化遺産に登録されているほどなのです。オリーブの実も大きくつやがあり、朝・昼・晩と毎日の食卓に出てくるのですが、少し強い塩味がサラダにとても合ってクセになります。暑い日はビールのおつまみにも良いんでしょうね・・・

ギリシャ風ラザニア、ムサカ

シーフードの他にも、ギリシャで生産されたもののみがその名を持つことを許されている、山羊チーズのフェタや、みずみずしいトマト、キュウリ、ズッキーニなどの新鮮な野菜。たくさんのハーブを使って煮込んだパプリカ風味の煮物や、チーズたっぷりで濃厚なギリシャ風ラザニアのムサカ、また、ソーセージを細かく切ってトマトで煮込んだスペツォファイや、柔らかくてドライ玉ねぎの風味が繊細で美味しいズッキーニとチーズのコロッケなどなど、挙げだすとキリがないくらいです。ギリシャの人々は、ギリシャ料理にも誇りを持っていて、これはなんの料理なの?と質問をするととても親切に教えてくれます。
観光も、食事も楽しめること間違いなしのギリシャ。経済破綻をしてから人々は大変な思いをしていて、そこからまだ状況は完全に良くなったわけではないようですが、ギリシャの人々は元気に国を盛り上げようとしています。がんばれギリシャ!(留置)

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2016年6月14日 (火)

プライベートバラ祭り~バラの香りに癒されて~

 先日「ルーマニア・ブルガリア物語16日間」の添乗より帰国しました。
私達が訪れた6月は夏を迎えたばかり。新緑の鮮やかな緑に混ざり、道や庭先には今が盛りとバラが咲いていました。今回のツアーではブルガリアにてプライベートバラ祭りへご案内させて頂きました。
 ブルガリアはバラの一大生産地として知られています。
世界中の香水やローズオイルの7割がここブルガリアのバラの谷・カザンラクで育てられたバラから作られています。私たちが訪れたレジーナ村もバラの谷に位置する小さな村の一つ。
 バラ祭りとは、以前はこのバラの谷周辺の村々が5~6月のバラ祭りの収穫の時期にバラの収穫を祝って行われた村ごとの収穫祭でした。しかし現在では、知名度が上がり観光客がどっと押し寄せかつての素朴さを失っております。バラ畑に滞在できる時間も僅か、また次々に訪れる観光客がバラを摘み取ってしまうため、ばらもまばら…。
そこで、ユーラシアのツアーでは昔ながらのバラ祭りを感じて頂きたいとの思いからプライベートバラ祭りへご案内させて頂いております。民族衣装を身に纏った村民が心のこもった収穫祭を私達のために開いてくれるのです。
 村に到着すると、早朝まで降っていた雨も上がり、ほんのりピンク色のバラが雨露に濡れてキラリと光っています。総勢30人ほどの老若男女の村人たちから手作りのバラの首飾りやバラジャムで温かいおもてしを受けました。
歓迎の歌やフォークダンスの後はいよいよバラ摘み体験です!広大なバラ畑が私たちのグループの為だけに広がっています。バラの香りに包まれながら、村民と一緒に丁寧にバラを収獲し、最後には摘み取ったバラの重量を計りチャンピオンを決定!なんと2㎏もの花びらを摘んだお客様がいらっしゃいました。
しかし、1gのローズオイルに必要な花びらはなんと3㎏!(バラ2600本分相当です!)いかにバラ摘みが重労働か、そして、かつてローズオイルは金よりも高値で取引されていたという事実にもうなずけますね。

ブルガリアツアー

ブルガリアツアー

 バラ摘みのあともダンスやブルガリア講座を愉しみ、昼食はバラ畑にてピクニック。とっても贅沢なひとときを過ごしました。
楽しい時間はあっという間。お別れをして、街へと戻るバスの車内はバラの女王“ダマスクローズ”の甘い優しい匂いに満たされていました。 (岡山)

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2016年6月10日 (金)

ギュッと凝縮!魅力満載のコーカサス三国の旅

 この度、ユーラシア旅行社の「民族と文明の旅、コーカサス三国周遊9日間」より帰国しました。コーカサス三国とはアゼルバイジャン、ジョージア、アルメニアの三国のこと。それだけ聞くとどこ?と思う方がまだまだ多い地域かもしれません。北はロシア、南はイラン、トルコ、西は黒海、東はカスピ海に囲まれています。さあ、そろそろ地図がイメージできてきたでしょうか?
 まさにアジアとヨーロッパの境に位置しているこの地域は、昔から東西・南北交通の要衝でした。たくさんの民族が往来し、交易で栄えるとともに、度重なる異民族の侵入による複雑な歴史を歩んできた地域です。

バクー旧市街とフレームタワー

 コーカサス三国の旅は、「どんな国」と一言で言い表せない入り混じり具合が面白いと思います。石油で有名なアゼルバイジャンは三国の中で唯一のイスラム教の国。首都バクーの旧市街では他のイスラム教の国々と同様に丸いドームとミナレットが特徴的なモスクや、絨毯やキリムを並べた店がひしめいています。しかし、そこから見える新市街にはガラス張りの近代的なビルが立ち並んでいて、さらに新市街の外れは中世のヨーロッパのような優雅な装飾を施された建物が並んでいます。また、バクーからバスで郊外へ出ると緑の無い荒れた大地が広がっていますが、そこに建てられた無数の石油櫓が印象的でした。
 ジョージアではコーカサス山脈の雄大な眺めが楽しめます。首都トビリシから北上し、国境を越えたロシアのウラジカフカスまで210㎞続く「ジョージア軍用道路」は、その名の通り、帝政ロシア軍が軍事用に切り開いたものですが、現在は美しい自然と、その周辺の趣ある教会を見学できるドライブルートとして人気です。緑豊かなジョージアの田舎町と湖畔にひっそりと佇むとんがり屋根の教会が絵になる風景です。

カヘチ地方

 カヘチ地方の世界最古と言われているワインも楽しみました。見学はワイナリーではなく「農家」です。カヘチ地方のワインは、地下に埋まった「クヴェヴリ」という壺で発酵させるのが伝統的な作り方です。どの家にもパンを焼く窯とクヴェヴリがあるそうです。カヘチの人(ジョージアの人)はみんなワイン好き。何かある度に乾杯します。昔から「タマダ」という宴会の仕切り役がいて、乾杯の前に一言演説をするのが決まりだそうです。ワイン農家では娘さんが説明しながらワインを注いでくれました。ボトルからではありません。そのまさに説明している壺から直接汲んでカップに入れてくれるのです。乾杯したら一気に飲みほしてカップをひっくり返します。「このカップの様にジョージアに敵無し!」という意味だそうです。

クヴェヴリ

 見学の後はランチタイム。雪を被ったコーカサス山脈が遠望できるテラスに席を用意してくれ、次から次へと料理を運んできてくれます。決して珍しい料理ではないけれど、新鮮な野菜や素材の味を活かした料理はどれもこれも美味しい物ばかりでお腹も心も満たされました。

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2016年6月 9日 (木)

『プラハの春音楽祭』でチェコの素晴らしさを堪能。

先日、華麗なる中欧紀行10日間のツアーより帰国致しました。ハンガリーの素朴な田園風景、ハプスブルグ家の一時的な都となったスロヴァキア・ブラチスラバ、そしてチェコの歴史ある観光地の数々を巡りました。

その中で今回の旅行一番の目玉は、チェコの首都プラハで開かれた『プラハの春音楽祭』のオープニングコンサートです。

プラハの春音楽祭は、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の創立50周年記念公演としてドヴォルザークの交響曲が演奏されたことに始まり、今年で71回目を迎えます。オープニングコンサートでは、チェコを代表する音楽家スメタナの命日である512日に毎年、彼の代表作「わが祖国」の演奏で幕を開けます。

スメタナホール

スメタナは、当時ボヘミア北部のリトミシルでビール醸造技師の息子として生まれました。幼い頃から音楽の才能を開花させ、成人後は音楽学校の教授となりました。また、作曲家フランツ・リストと交流があったスメタナは、リストの影響を受けて交響詩を作曲し始めます。

当時のボヘミアは、オーストリア・ハンガリー帝国からの支配を受け、独立の気運が高まり、チェコ国民としての民族意識が高まっていた中、スメタナも民族意識に目覚め、音楽によって祖国への思いを主張しました。

日本ではモウルダウとして有名な連作交響詩「我が祖国」の最も有名な第2曲ヴルタヴァでは、チェコ最長のヴルタヴァ川の流れが優雅に描写されています。冒頭の木管楽器の軽やかな演奏は、源流の始まりや水しぶきを表現し、その後加わる音楽の厚みによってそれらの川がひとつになり、ヴルダヴァ川の堂々たる大きな流れを感じることができます。

実際に、スメタナホールがヴルタヴァの曲に包まれると、場所は違いますがどこか懐かしく心地良い気分になりました。スメタナは、音楽によってそれぞれの故郷を思い起こさせる素晴らしい作曲家であることを改めて認識しました。

チェスキー・クルムロフ

また、今年のオープニングコンサートの指揮者は、現在NHK交響楽団の首席指揮者に就任しているパーヴォ・ヤルヴィ。彼の情熱と繊細さに溢れた指揮は、見る者の心を掴み魅了します。スメタナの祖国に対する熱い思いを、パーヴォ・ヤルヴィの指揮によって表現されていました。来年のプラハの春音楽祭のオープニングコンサートは、どんな指揮者の「我が祖国」を観ることが出来るのか、今から楽しみです。(松本)

 

ユーラシア旅行社で行くチェコ・音楽祭のツアーはこちら

http://www.eurasia.co.jp/attraction/feature/prague-spring.music.festival

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2016年6月 8日 (水)

年に一度の春のお祭りインフィオラータ

先日、「アマルフィに連泊、南イタリア・シチリア紀行10日間」から帰国しました。
イタリア本島西南の地中海に浮かぶ島、シチリア島。透き通る青い海を望む海岸線、一面に広がるレモンやオリーブ畑、数々の貴重な遺跡群と魅力溢れるこの島で、今回は年に一度の春の祭典を訪れる日程となっていました。
18世紀に建てられたバロック様式で統一された華やかな街ノート。2002年に世界遺産に登録されたこの街が1年で最も注目を集めるのが、年に一度開催される春の祭典インフィオラータの時期。インフィオラータとは「花を敷き詰める」という意味。メインの通りとなるニコラチ通りには心を込めて制作された花絨毯がびっしりと敷き詰められます。今年のテーマは「世界を歓迎する」。これまでは、スペインやロシアと1つの国をテーマとしていましたが、毎年立候補をする国が多く、今年はいろいろな国が出展できるようにしたとか・・・。各国、工夫をこらした、独特でユニークな作品が通りを飾ります。また花絨毯だけでなく、中世の衣装を身にまとった人々が練り歩く、パレードも行われます。楽器の演奏も含まれており、お祭りを一層盛り上げていきます。

イタリアツアー、シチリアツアー、インフィオラータ

街への入り口であるレアーレ門の前にはたくさんの露店が並び、街の外も活気が溢れています。世界中からこの花絨毯を目的に訪れるたくさんの人で街はとても賑やか。ニコラチ通りにたどり着くまでも一苦労です。しかし、壮麗な大聖堂や可愛らしいお店を眺めながら歩いていると、苦にはなりません。ニコラチ通りの老舗カフェ・シチリアもこの日は大繁盛です。ニコラチ通りの花絨毯には左右に通路があり、かなり近くで見る事ができます。なんとか通りに入り、どの作品も素晴らしい出来で感心していると、日本人には見覚えのある、浮世絵が。実は今回、日本のグループも参加しています。丁寧に花びらで浮世絵が表現されていました。教会に登り、上から花絨毯を楽しむのもよし、近くでじっくり観察するのもよし、おしゃれなカフェでゆっくり、人々の笑顔を見ながらスイーツを楽しむのもよし、大人から子供まで、訪れる観光客全てを魅了するお祭りでした。

イタリアツアー、シチリアツアー、インフィオラータ

さて、毎年、人々が待ち望むインフィオラータですが、来年のテーマはなんでしょうか。今からとても気になります。(荒川)

ユーラシア旅行社でいく、シチリアツアーの魅力

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2016年6月 7日 (火)

お釈迦様の誕生日に行われる、釜山・三光寺の提灯祭り(韓国)

先日、ユーラシア旅行社の「韓国歴史遺産紀行 7日間」のツアーより帰国致しました。お釈迦様の誕生日って何月何日かご存知でしょうか?これには諸説ありますが、北伝仏教では旧暦(中国暦)の4月8日とされています。我が国日本では毎年新暦の4月8日にお釈迦様の誕生を祝う仏教行事「花祭り」が行われ、お釈迦様の像に甘茶をかけてお祝いしますが、韓国では旧暦の4月8日に国民の祝日として定められ、韓国各地のお寺で記念行事が開かれ、燃灯や提灯が飾られます。旧暦の4月8日となると、新暦上の日付は毎年変わりますが、2016年は5月14日になります。
今回のツアーでは、前日の5月13日に、韓国各地の数あるお寺のうち、釜山にある三光寺の提灯祭りを訪れました。ただ釜山の三光寺と言ってもほとんどの方がピンとこないのではないかと思います(事実どのガイドブックを見ても三光寺の記載を見つけることができません)。ではなぜ三光寺なのか?実はこのお寺の提灯祭りは、夜になると一斉に点灯される提灯が非常に美しいということで、アメリカCNNの「韓国の美しい名所50選」の1つに選ばれたからです。

三光寺提灯祭り1
私たちは釜山市内で夕食を取った後、いざ三光寺へ。通常であれば市内から30分ほどで到着するのですが、やはり年に1回のお祭りでしかも世界から注目されているということもあり大渋滞!のろのろ進みながら、出発してから1時間半後にようやく到着。バスを降りてから坂道を上がると、目に飛び込んできたのは色とりどりの提灯、そして十二支のオブジェも私たちを出迎えてくれました。敷地内に飾られた提灯の総数は何と約4万個!無数の提灯の下を潜り抜けて階段を上がり本堂まで行くと、今度は眼下に今潜り抜けてきた提灯を見ることができました。これまた絶景!ただカラフルなのではなく、よくよく見ると「卍」の文字が。

三光寺提灯祭り2

翌日の5月14日、すなわちお釈迦様の誕生日当日は慶州へ移動し、仏国寺、石窟庵と仏教ゆかりの地へ観光しましたが、やはり色とりどりの提灯が飾られていました。仏国寺では、飾られていた提灯の1つに近づいて見てみると、右手を天に指し、左手を地に指す子供のイラストが。これがかの有名なお釈迦様が生まれた直後に、7歩歩いた後に唱えた「天上天下唯我独尊」のシーン。この細かい演出にも少し感動しました。また石窟庵では、釈迦如来像を見学しました。通常はガラス越しでの見学となりますが、この日は特別な日ということもあり、ガラスが取り払われて、より近くで釈迦如来像を見学できました。そしてそれだけではなく、釈迦如来像の裏にあるため普段は見られない十一面観音菩薩像も見ることができ、非常に得した気分になりました。(斉藤信)

石窟庵

仏国寺

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2016年6月 3日 (金)

ケツァールに会えました!(コスタリカ)

ケツァール

先日、コスタリカ大自然紀行9日間のツアーより帰国しました。ツアーにご参加頂いた大半の方が、一目見てみたいと望んでいたケツァールは、世界で最も美しい鳥といわれています。
ケツァールを見ることができる確率は、その年の営巣の状況に大きく左右されますが、今回はモンテベルデ、サン・ヘラルド・デ・ドタで合計4回もケツァールを見ることができたのです!グループの先頭を歩くガイドがケツァールを見つけるとすぐ、声を潜め、腰を低くして振り返り、列の後方に伝えます。「シィー!居ました、ケツァールのオスです。」歓喜の声をあげたい気持ちを押し殺して、雲霧林の中に潜むケツァールの姿を隈なく探します。すると、森の中に、輝くエメラルドグリーンの羽と真っ赤な胸毛を持つ、可愛らしいまん丸な目のケツァールを目撃!その美しさに思わずため息を漏らします。ガイドさんが、手持ちの望遠鏡で、ケツァールを拡大して見せてくれました。望遠鏡に、携帯電話のカメラレンズをくっつけて撮影したものが上にある写真です。ケツァールは、手塚治虫の漫画「火の鳥」のモデルとなったともいわれています。そして、メキシコでは古代アステカ文明の農耕神ケツァルコアトルの使いといわれ、ケツァールの羽毛を身につけることは最高位の聖職者と王だけに許された特権であったそうです。大昔からケツァールは、その美しさで人々を魅了し続けてきた幻の鳥である理由が、百聞は一見に如かずで、理解できた気がしました。(堤)

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2016年6月 2日 (木)

アークゆかりの古都巡り(エチオピア)

Cimg3335  先日、ユーラシア旅行社企画「エチオピアの神髄8日間」より帰国致しました。昨年4月から就航したエチオピア航空の成田―アディスアベバ線によって、より早く快適に、乗り継ぎなしでエチオピアに行けるようになりました。

 「エチオピアと言えばなにがある?」よくお客様にも家族にも友人にも聞かれますが、コーヒー、マラソンランナーのアベベ、アフリカで唯一独立を守った国など、日本人にもイメージしやすいキーワードは沢山あります。そして、映画「失われたアーク」やグラハムハンコックの本「神の刻印」などで知られる、アーク伝説をテーマにすると、このツアーも一層興味深いものになります。 アークは聖遺物の一つとされ、元々はエルサレムの神殿に保管されていましたが、シバの女王とソロモン王の子、メネリク一世がエチオピアに持ち帰ったという伝説があります。

 まず、私たちが訪れたのは17世紀建立の街、ゴンダール。歴代の王たちが建立した城は、エチオピアに似つかわしくない、どう見ても欧米風の建築なので「不思議の城」と呼ばれています。ここにも「エチオピア王国史」の著者ポルトガル人神父アルヴァレスが訪れました。エチオピアには縁もゆかりもなかったポルトガル人たちがなぜエチオピアに来たのか…一説には当時、イスラムの脅威にさらされていた欧米人たちは、東方のキリスト教国家(プレスターヨハネの国)がイスラム教徒を滅してくれるという信仰を持っておりました。そのプレスターヨハネの王国はエチオピアだと考えられていた為、欧米諸国がこぞってエチオピアを訪ねたとされます。さらに、そのプレスタージョンがアークの隠し場所を知っていたとも…

 次に訪れたのはタナ湖畔にできた街、バハルダール。この辺りにも、18世紀にスコットランドからジェームスブルースが来ています。彼は青ナイルの滝に到達し、ナイル川の源流をつきとめ、欧米に報告した人物として有名。しかしながら、実はタナ湖周辺のあたりはポルトガル人によって既に調査されていたため、前人未踏の発見を求める当時の探検家たちにとって、そこまで魅力的な地ではなかったそう。やはり、ジェームスブルースもアークを探しに来ていたのではないかと言われています。実は、タナ湖に浮かぶ島の一つにはキルコス島と呼ばれる島があり、そこにアークが保管されていたという伝説も残っています…。

 さらに、アクスムでの観光。シオンの大聖堂敷地内では、大聖堂観光後、アークが納められているとされる建物を外から見学。ここは未だに一人のアークの番人のみしか入ることが許されず、代々アークが守られている場所です。

 今でも発掘や研究が進んでいない部分も多く、伝説と歴史の真偽の程ははっきりしていませんが、エチオピアの神秘にじっくり浸ることができました。(長田)

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2016年6月 1日 (水)

地震から1年・・・ヒマラヤに見守られて復興へ歩むネパールへ

ユーラシア旅行社で行くネパールツアー、エベレスト遊覧飛行にて

先日、「ネパール・ヒマラヤの日の出とエベレスト遊覧飛行 9日間」から帰国しました。
なんといっても、期待するのはヒマラヤの山々。そして、地球上の陸地で最も高いエベレストを一目見たい!さて、神々は願いを聞き届けてくださるのか・・・。あ、今日はネパールの話ですので、英語のエベレストでも、チベット側の呼び名のチョモランマでもなく、ネパール側の呼び名“サガルマータ”にします。
そのサガルマータを見る機会は3日目に早くも訪れました。
この日は朝4時半に起床、5時半にはホテルを出て空港へ。約20分で到着すると、遊覧飛行を待ちわびている人で驚くほどの賑わいです。どうやら、前日は天候不良で中止になり、再度トライする人々がいるとのこと。5月は正直、天候が不安定なので中止になることも多いのですが、予定通り飛べそうな私達は運が良いようです。
フライト時刻は6時半。定刻に飛び立つことは滅多にないので、この日も待機を覚悟で待合室に入りましたが、あっという間に呼び出されてバスにて飛行機へ。やっぱり私達はツイているかも!とさらに気分が高まっていきます。
30人乗りの飛行機では全席窓側の指定席。地上から見上げる空は靄で何も見えませんでしたが、離陸後10分もすると靄を抜けて晴天になり、左に座っていた人は窓からヒマラヤ山脈の頂が次々と見え始めました。右に座っていた人はソワソワするのですが、粋な計らいでコックピットに一人ずつお呼ばれ。「あれがサガルマータ!」とパイロットが指差す方向には、早くもその頂がはっきり!どんどん近づいてきます。
離陸後25分程で、飛行機はサガルマータに最も近いポイントへ。ちゃんと両側から見えるように旋回してくれるので、心配いりません。機内の盛り上がりは最高潮!写真を撮りたい、でも、自分の目でもしっかり見たい、あぁどうしようと少しパニックになるほど、8,848mの頂は特別なものに見えました。サガルマータしか目に入らなくなるのです。登るのは到底できませんが、その雄姿を目に焼き付けられたことは忘れがたい思い出となりました。

ユーラシア旅行社で行くネパールツアー、世界遺産の古都パタンにて

今回の旅では、ネパールの古都も散策。カトマンズの旧市街をはじめ、パタンやバクタプルなど世界遺産に指定されている町を歩きました。2015年4月の大地震は記憶に新しく、当時の報道では町に瓦礫があふれる様子が見られましたが、思ったより綺麗にされているなぁというのが第一印象。カトマンズの中心・ダルバール広場は残念ながら崩壊してしまった建物が複数あったものの、古都の雰囲気を十分感じられました。クマリの館が健在だったのには「やはり神のご加護か・・・」と思わずにいられません。他の町でも崩れてしまった建物はあるものの、15~18世紀半ばに繁栄したマッラ王朝を偲ぶには十分で、当時の芸術をその建物群に見ることができました。木材で支えられている建物がまだまだ多いですが、少しずつ修復が始まっている様子も伺えました。
日々新しいニュースがあり、地震後のネパールを日本の報道で目にする機会が殆どなくなってしまいましたが、今回の訪問を機に、この先のネパールから目を外さずに居続けたいと思います。(江間)

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