硫黄島3島クルーズに行ってきました(小笠原諸島)

先日、「硫黄島3島クルーズと小笠原戦跡巡り 6日間」のツアーより戻りました。小笠原の父島、母島へのツアーは数年前から実施しており今ではすっかりお馴染みの人気ツアー。ですが今回は更に南へ約300キロ、硫黄島3島を船で巡る、年に一度だけ小笠原海運が企画する特別便でした。
まずは父島へと向かいました。東京都でありながら、そこへ行くのは決して容易ではない。なぜなら本土とは1000キロ離れており、行く手段は船のみ。所要時間は25時間半!にもなる。日本の裏側、南米のアルゼンチンへ行くのと殆ど変らないのです。25時間・・・、と言っても飛行機の席に座りっぱなしと違い歩き回ることも出来るし、甲板に出れば目の前には太平洋の大海原。思いっきり空気を吸って気分転換。雑魚寝だけれど横になれるのだからビジネスクラス並み?!考え方を少し変えるだけで25時間の船旅もそう悪くはないように思えました。
丸一日船に揺られやっと到着した父島で半日観光の後、再びおが丸に乗船。終わらない船の旅。それもそのはず、今回多くのお客様の目的である硫黄島はまだまだ遠く、2日目も船中泊、そしていよいよ3島クルーズの朝を迎えました。

硫黄島3島は一般のツアーなどでは上陸することは出来ません。今回のようなクルーズでは、南硫黄島、硫黄島、北硫黄島と1島づつゆっくり案内を聞きながら島を周回していくのですが、やはり一番印象深かったのが硫黄島でした。太平洋戦争終盤において日米双方の激戦となった島。映画「硫黄島からの手紙」の舞台であり、そこで名前を知った方も少なくないと思います。ですがその島は戦争よりずっと以前から硫黄が採れる事から開拓が始まり一時は1000人近い島民の、のどかな暮らしがあったのです。その生活が戦争により一変しました。東京本土から南に1250キロ。サイパン島とのほぼ中間地点に位置している硫黄島は米軍にとって日本本土への足がかりとなる拠点であり、日本にとっては米軍の本土上陸を防ぐ為に守り抜かなければならない島だったのです。米軍の上陸前の海と空からの砲爆撃は数十万発にも及び、摺鉢山の頂上も吹き飛ばし山の形さえ変えたという。大きな海の真ん中の小さな島。遮る物もない島を、海を埋め尽くす位の艦隊に囲まれ、圧倒的な戦力の差に徹底抗戦し1か月以上もの激戦が行われました。想像をはるかに絶する気持ちでいっぱいになりました。船に乗っていた人それぞれに色々な思いがあり、その思いをもって。2度このような事がないように・・・。
献花をしながら、硫黄島の姿を目に焼き付けました。
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