沖縄戦の事実にふれる旅
先日、ユーラシア旅行社の国内ツアー「沖縄戦の事実にふれる旅 3日間」に同行させて頂きました。沖縄は、太平洋戦争時、国内最大の地上戦を経験した地です。一般市民も数多く巻き込まれ、沖縄県民の4人に1人が亡くなったといいます。そんな沖縄には、戦跡や戦争資料館が数多く存在します。今回は、読谷村や旧第32軍司令部壕、嘉数高地、摩文仁の丘などを巡りました。
沖縄には「ガマ」と呼ばれる自然洞穴がたくさんあり、戦時には避難場所や野戦病院として活用されました。
今回の旅では3つのガマを訪れましたが、その中の、沖縄本島南部にある糸数アブチラガマは内部が整備されており、奥まで見学することができました。糸数アブチラガマはもともと周辺住民の避難所でしたが、戦場が南下するにつれて野戦病院となりました。当時、全長270mのガマ内に600人以上の負傷兵が詰め込まれたといいます。
ガマの天井は岩がむき出しで、高さもまちまちなので、皆でヘルメットを被っていきました。入口からは人工の急な階段が続いており、一段、一段と降りるたびに、黒い布を一枚ずつ被せられているように、みるみる暗くなっていきました。天井が低いところもあり、しゃがみ込みながら階段を降りなければならないところもありました。ガマの中では光の片鱗さえ感じられないので、失明してしまったのではないかと思うほど真っ暗でした。今は何もないガマの中は広く感じられましたが、当時はこの中に600人の患者が横たわっていたのですから窮屈だったことと思います。天井の岩からはぽたぽたと滴が落ちていました。沖縄戦が行われたのはちょうど梅雨の時期、より湿度が高くじめじめとしていたはずです。排泄場所を明確に区切れないため、中は腐臭に満ちており、人間らしい生活とはかけ離れていたと思います。こんなところで、米軍への恐怖に怯えながら暗闇の中何日も過ごしていたなんて、自分の今の生活からはかけ離れすぎていて想像しがたいことでしたが、ガマの一角に、内部で見つかった兵士や住民たちの遺品が集められており、それらの品々があまりにも生活感に溢れ生なましかったため、現実にあったことなのだと思い知らされました。
その他の訪問地もそれぞれが印象深く、あまりの悲惨さに衝撃を受けることも数多くありました。今回は得るものがとても多いツアーだったと思います。このツアーに同行する機会をくださった、真摯な気持ちでご参加くださったお客様に、心より感謝申し上げます。(佐藤)
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