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2016年9月

2016年9月30日 (金)

知られざるアンデスの絶景「マラス塩田」を訪ねて(ペルー)

先日、「ペルー、マチュピチュ・ナスカ・チチカカ湖と聖なる谷10日間」の添乗より帰国致しました。今回はマチュピチュ遺跡やナスカの地上絵を始め、チチカカ湖のウロス島までペルーの見所を一度に巡るツアーでした。
高度順応の為宿泊したインカの谷を離れ、いよいよ旅のハイライト・マチュピチュ遺跡に向かう途中、マラス塩田にご案内しました。マラス塩田というと、日本人観光客にあまり知られてはいませんが、あっと目を引くアンデスの絶景をご覧になれます。車窓はペルーの田園風景からアンデスの渓谷に移り変わり、塩田を一望できるポイントでお写真ストップ。うっすら雪に覆われている?!かと思いきや、谷の急斜面に無数の棚田が並んでいます。

マラス塩田を遠望

細い道を下りきるとマラス塩田の入口に辿り着きます。山間の一角が真っ白になっている全景を遠望するのは、それはそれで趣がありますが、ここまで来ると、塩田が段々畑のようになっている様子がわかり、一面に広がる世界に圧倒されます。

段々畑のような塩田

マラス塩田

約3200mのアンデスの高地。約6000万年前は、海でしたが、地殻変動で隆起し、アンデス山脈となり、海は巨大な塩の塊となりました。隆起した山中には、海水の塩分が固まりとして残され、湧き水に溶かされながら、マラスの塩田へと流れ込んでいます。今でも毎年4月から9月には、インカ時代さながらに、塩が手で作られ、手で運ばれています。アンデスの人々が苦労して集めた干上がった塩はお土産屋さんで売られ、マラスの塩を求める人で大盛況!岩塩の持つミネラルのみならず、地下水が持つミネラルも豊富に含んでおり、世界一美味しい塩と言う人もたくさんいます。一度は試す価値ある代物です!(大和田)

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2016年9月29日 (木)

ユーコンの赤い大地とオーロラ(カナダ)

次はカナダに行ってまいります。」と言うと決まって聞かれるのが「カナディアンロッキーの方?」だとか「あのメープルの紅葉のきれいな所?でも少し時期が早くない?」と言う言葉。しかし今回はちょっと違う。カナダのなかで、今はまだ日本であまり知名度は高くはないのですがこれから必ずや注目を浴びるだろうカナダの極北に位置するカナダ最後の秘境と言われるユーコンより帰国しました。
 北は北極海、お隣はアラスカに囲まれたユーコン準州は日本の1.3倍もの面積を持ちながら人口はわずか約3万5千人。人口も少なければ訪れる観光客もまた、他のカナダの観光地に比べれば格段に少ない。長い冬が終わるとあっという間の春が通り過ぎ一気に夏に突入したかと思うと瞬く間に短い秋を迎え、そして再び長い冬へと。長さ的にはちょっと不平等に感じるユーコンの季節もその時期ならでは、四季折々の見どころがあります。
その中で一番のおすすめは〝秋〟。ユーコンの秋は早く、又短い。そんな束の間の秋、ユーコンではアスペンが黄葉し、ツンドラの大地は赤く紅葉、針葉樹のトウヒの緑、と美しい色の競演。また、極寒の冬のシーズンでなくてもオーロラ鑑賞が可能な秋は昼も夜も楽しめるまさにお得な季節なのです。
 今回の旅では8日間と短い日程ながらアラスカと国境を接するクルアニ国立公園で白樺、アスペンの黄色のトンネルをハイキングしたり、かつてゴールドラッシュで栄えた極北の古都、ドーソンシティを訪れ更に北上しトゥームストーン準州立公園へ。ちょっぴり茶色がかっていましたが、どこまでも広がるツンドラの赤い絨毯に2~3日前からの新雪がうっすら覆った景色にすっかりハートを奪われました。

クルアニ国立公園からホテルまでの道中

毎晩のオーロラ鑑賞に日中のハイキングにちょっと寝不足気味ツアーではありましたが、ユーコンのキャッチコピーでもある【ユーコンは人生より大きい!】納得の言葉でした。(岩間) 

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2016年9月28日 (水)

氷山の町、グリーンランド・イルリサット

先日、グリーンランド、アイスランドのツアーから帰国しました。
グリーンランドといえば、世界地図の上の方の、真っ白な島です。
そもそも人が住んでいるのか、どんな生活が営まれているのか、想像しづらい場所だと思います。
私たちが今回訪れたのは、グリーンランドの西岸のイルリサットという町。2004年に世界自然遺産に指定されたこの町では、世界中でここでしか見られない美しい風景を見ることができます。それは、氷の漂う海に囲まれた、色鮮やかな町の風景です。

イルリサット

グリーンランドは国土の80%が氷に覆われた島です。島に雪が積もり続け、下の方の雪が圧縮されて氷になり、更にその上にどんどん雪が積もると、氷はゆっくりと島を滑り落ち、海に流れてゆきます。簡単に説明しましたが、氷の流れはとてもゆっくりで、おおよそ、人の爪が伸びる速さと同じくらいだと言われています。膨大な時間をかけて動くこの氷河がイルリサットの近くで海に流れ出てゆきます。イルリサット周辺の海は浅いため、流れ出た氷がとどまりやすく、それゆえに常に氷に囲まれた幻想的な風景を造りだしているのです。
大きな氷がごろごろと浮かぶ、イルリサットの港から、クルーズ船に乗り氷海を進むと、息をのむような風景に出会えました。高層ビルのように高い氷の山が海に浮かんでいます。でも、海面から見えているのは、なんとその氷山のたったの2割程なのだそう。ただでさえ、高層ビルほど大きいのに、海の下に8割が隠れているのです。想像もつかないような大きさです。そんな巨大な氷山に囲まれているが故に、この海での公開は非常に難しく、一歩間違えばタイタニック号のように海面下の見えない氷河にぶつかって沈没してしまいます。
氷海クルーズでみた景色
しかし、そんなことは全く気にしていないかのように軽快に船を走らせる、イヌイットの地元民船長。海に浮かんでいる氷にも種類があるんだと言って、海から氷をすくってみせてくれました。真っ白な氷は空気を多分に含んでいる、まだ新しい氷。つまり、雪が降り積もった上の方にあった氷なのだそう。それに対する黒い氷は、雪が積もった場所の深い場所にある氷で、どんどん積もる氷に押しつぶされ、空気が押し出されたもの。つまり、何千年も前の時代に形成された古い氷なんだそうです。物理的な大きさだけでなく時間的にもスケールが大きいのです。
国土のほとんどが氷に覆われているが故に、この島の中では移動が非常に大変です。基本的に、町と町をつなぐ道路というものが存在していません。では一体どうやって、町間の移動をするのでしょう。方法は3つあります。
(1)飛行機(グリーンランド航空という航空会社があります。とってもサービスの良い航空会社です。)
(2)船(あまりに大きい船は入江に入ることはできないそうです。ちっちゃなボートも多いです。漁業も盛ん。)
(3)犬ぞり(犬が引くそりです。)

犬ぞり用の犬

この方法でしか移動ができないのです。しかも、③の犬ぞりは季節限定。近年は夏になると氷が溶けるため、クレバス(氷の亀裂)が発生し、犬ぞりでの移動も命がけになります。
しかしながら、狩りや移動には犬ぞりがよく使われ、イルリサットの町にはなんと犬ぞり用の犬が4000頭もいます。(ちなみに、人口は約4500人程。)町中を散策していると、写真のような犬をたくさん見かけました。日本に住んでいると、当たり前のように車がたっくさん走っていますが、そんな当たり前の通じない、遠い場所なのでした。(留置)

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2016年9月26日 (月)

話題のキューバで憧れのクラシックカー乗車体験!

クラシックカー
先日、話題のキューバの添乗より帰国致しました。
今回のツアーではキューバ7都市をじっくり巡りました。昨年の2015年7月1日にアメリカ、キューバ双方の大使館を7月20日より再開させることに合意したことで両国は54年ぶりに国交を正常化しました。この影響でキューバでは、今観光客に大人気です!そして、現在タイムリーなことにカストロ兄弟と初の首脳会談を行うため安倍首相もキューバを訪問しています。 それほど世間で話題のキューバの旅はハバナから始まりました。初日、ハバナの空港に到着したのは深夜。ターンテーブルまで進むと、なんとそこには夜遅くにも関わらずひしめき合う程の観光客の姿が!予想以上のキューバの人気ぶりを感じた瞬間でした。
そんなキューバのツアーで特に印象に残ったのは、クラシックカー乗車体験です。
乗車体験日当日、行程中なかなか晴天にならなかったキューバの空がやっと快晴になりました。ハバナの旧市街広場より乗車体験はスタートしました。お客様とオープンカーが良いですねと言いながら待ち合わせの場所に行くと、そこには8台のクラシックカーが勢ぞろい!さらに全車オープンカー!ずらっと8台並んでいる光景は壮観で、それを見たとき思わず「カッコイイ!」と声が出ました。色は青、オレンジ、ピンク、白など鮮やかな8台でした。じゃんけんで乗りたい車をそれぞれ選び、いざ乗車体験へ!

クラシックカー

キューバのラテン音楽を聞きながら約30分、旧市街をドライブしホテルまで滑走。
車内は広々としていて後部座席に3人座ったとしても余裕があり、オープンカーなので風が良く吹いてきて心地良かったです。クラシックカーがこれだけまとまって走るのは珍しいので、行き交う人々も手を振ってくれたり、写真を撮ったりしてくれたのも思い出の1ページ。途中で海を見ながら走るポイントがあり、その約5分のポイントは青い空と海のコントラストが綺麗でお気に入りのスポットになりました。こうして30分間があっという間に過ぎて、まるで夢のような乗車体験時間でした。 (山下)

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2016年9月23日 (金)

何もしない島国、南太平洋にポツンと浮かぶニウエ(ニウエ)

先日、南太平洋のクック諸島とニウエの旅から戻りました。
クック諸島についてはよく知らなくとも、何となく想像できます。
有名なあのクック船長と関わりがありそうな、南太平洋の島かなと。

クック諸島は18世紀にクック船長が発見し、1956年まではニュージーランドの自治領でした。15の島々から成り立つ、南太平洋の島です。
タヒチとニュージーランドを結ぶ線上にあるので、先住民のマオリ系の人々はタヒチから
丸木船に乗ってクック諸島に立ち寄り、ニュージーランドへと向かいました。
ニュージーランドの先住民がマオリ人であることはよく知られていますが、
実は彼らの故郷はクックであり、タヒチであったのです。
タヒチからクック諸島までは何と1,260km。更にクックからニュージーランドまでは3,450km。
途方もない距離感。
島影を見ながら、島づたいに移動するならまだしも、水平線には島影も何も見えない、
未知の大海原に小さな丸木船(カヌー)で漕ぎ出す、その勇気には感服です。

さて、本題に入ります。
「ニウエ」ってなんでしょう?
既にタイトルで「島国、ニウエ」と書いてあるので「島国」と想像できますが、
恐らくこのヒントが無ければ、残念なことにニウエって、一体??
新しい食べもの??
昔の英雄の名前??
っていうぐらいに知名度は低いのではないでしょうか?
実はこのニウエもピッカピカの新しい国。
日本は2015年に独立国として承認しました。
ニュージーランドの北東2,400キロメートル、トンガの東480キロメートル、
サモアの南東560キロメートルにあり、島の周囲に砂浜は殆ど無く、ゴツゴツの岩石(石灰化した古い珊瑚が隆起した岩)の島が一つだけポッカリと海から突き出ているので、あだ名で「ポリネシアの岩」と呼ばれています。
人口は1500人足らず。
クック諸島のようにエメラルドブルーの美しい砂浜を楽しむクルーズ船もなければ、まだまだ観光も発展していないので華々しいマリンスポーツの誘いもありません。

イスを海に向けて並べただけの絶景カフェ

小さな磯でバチャバチャとシュノーケリングを楽しむくらいです。
おしゃれで洗練されたカフェないけれど、プラスチックのイスを並べただけのテーブル席の向こうには深い紺色の水平線が広がる絶景があります。
ボーっと海面を眺めていれば、かなりの確率で鯨の潮吹きを観察することができます。
ワイワイガヤガヤ楽しいナイトクラブやバーはないけれど、ふと夜空を見上げれば日本では滅多に見られない天の川、満点の星々が輝いています。
この素朴さ、何もないところがニウエのいいところです。
ここもかつてはニュージーランドの自治領だったので、観光客は殆どがニュージーランド人。自然の静寂をこよなく愛するキウイ(ニュージーランド人)にとってはぴったりのリゾートです。
我々日本人も、安らぎを求めて美しい南国の島々に出かけるものの、何かやらずにはいられなくなり、結局あれこれ手を出して、リゾート滞在も忙しくなりがちですが、
何もしないという覚悟を決めて、何もないニウエでのんびり過ごすのもいいかも知れません。
(上田)

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2016年9月21日 (水)

アンコール・ワットのルーツを探して南インドへ(上智大学教授・石澤良昭氏同行解説ツアー)

アンコール・ワット

2003年の初回から数えること29回目、今夏も、アンコール遺跡研究の第一人者でいらっしゃる上智大学教授・石澤良昭氏同行・解説のツアーを実施しました。毎回テーマを掲げて回を重ねてきたツアー、今回は「アンコール・ワットのルーツを探る旅」をテーマとし、ベンガル湾を超えてインドへ。海のシルクロードによって東南アジアにもたらされる以前のヒンドゥー文化や建築と向き合い、アンコールのそれと比較しよう!というわけです。

石澤良昭氏の解説で南インドも見学(カイラーサナータ寺院)

足を運んだのは南インドのチェンナイ。ベンガル湾に面するこの町を拠点に、マーマッラプラムとカンチープラムを訪ねるのが今回の旅の目的です。この辺りは、南インドで興ったパッラヴァ朝が7~9世紀に繁栄した地で、カンチープラムはその首都であったと同時にヒンドゥー教7聖地の1つとされます。寺院を訪れると、玄関にそびえ立つ塔門ゴプラムがパッと目に入ります。そこに施されたヒンドゥーの神々彫刻は、目を凝らして見てみると個々に表情がありユニーク。「双眼鏡を持って来ればよかったかなぁ・・・」と少し後悔。他の膨大な彫刻を見るためにも、双眼鏡があればもっと楽しめたかもしれません。
そして、マーマッラプラムにはヒンドゥー寺院のモデルともなる寺院群が残ります。それぞれの寺院からは建築の歴史を見て取れ、岩山を掘り込んだだけの寺院が、最終的には石を積み上げた独立型の寺院へ進化していくのです。これらが、海を東に渡って東南アジアへ、そしてあのアンコールまで辿りついたのだろうと思いながらチェンナイの海岸に立てば、今は海水浴場の場所も何だか意義深い場所に思えてくるのですから不思議なものです。
ヒンドゥー芸術・文化の基礎をきちっと見学した後は、アンコール・ワットへ。何度も見てきた遺跡、そしてそこに残るレリーフも、いつもと見方が変わったような。南インドのそれとのディテールの違いなどを石澤先生からご解説いただき、歴史というのはどこかの時代でどこかの場所と繋がっているものなんだと改めて思ったのでした。(江間)

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2016年9月20日 (火)

8月・東京から空路約2時間でロシアへ!(サハリン) その4・最終回

オハD型機関車

サハリンが「樺太」であった頃、岩手出身の童話作家・宮澤賢治が1923年8月サハリンを訪れ、そのときの体験が『銀河鉄道の夜』の創作に活かされました。私は、作品の中で主人公たちが車窓から見た光景や降りた駅の描写は、故郷岩手のものだとずっと思っていました。しかし、それらは賢治がサハリンで列車に乗り、山や湖、海岸を訪れ見た光景だったのかと想像しながら2016年現在のサハリンの自然を眺めてきましたが、特に私にとって印象に残った場所は“琥珀海岸”と呼ばれるスタロドゥプスコエ(栄浜)の海岸でした。内陸にある山の琥珀が川に流され海に辿りつき、波によって浜辺に打ち上げられた山の琥珀が見つかることで有名な場所。訪れた日は晴天で、その日に眺めたオホーツク海はキラキラ光り、人工的な騒音もなく波の音とカモメの鳴き声が静かに聞こえてくるだけ。そしてときにきらりと光る小さな小さな目をこらさないと見つからないほどの琥珀があちこちにある浜辺は、穏やかでいて非現実的な雰囲気が漂い神々しく感じました。

スタロドゥプスコエ(栄浜)の海岸

8000万年以上前の樹脂が長い年月をかけて宝石のようになった琥珀を浜辺で見つけたとき、『銀河鉄道の夜』のなかで主人公たちが白鳥の停車場で下車して訪れた水晶でできた砂を見つけた河原の場面、主人公たちがプリオシン海岸で出会った化石を掘る大学士の場面が頭のなかに浮かんできました。また賢治は、サハリンを訪れる前年に最愛の妹を亡くしました。妹の魂を追ってサハリンにやってきた賢治は、小さなかけらながらも癒しの効果がある琥珀によって癒されたのだろうか、それともその効果を知っていて賢治は立ち寄ったのだろうかと美しい光景の浜辺で想像してしまいました。ちょうどツアー中の8月27日は宮澤賢治の誕生日でした。今年は生誕120年の節目でしたが、残念ながら現在のサハリンでは宮澤賢治は有名ではなく、現地では何のイベントもありませんでした。しかし、いずれサハリンに宮澤賢治博物館を開設するための動きがあるとのこと。いつになるかわかりませんが、その博物館の開設と共に現代の日本人がサハリン=樺太のことに注目を集めるきかっけになったり、流行りの聖地巡礼ではありませんが作品の舞台となったサハリンを訪れる人が多くなるかもしれません。領土問題など深く考えずに、サハリンを訪れ、遠くに思えていたロシアを身近に思えたり、現地の人々や文化に接し交流をはかったり、日本の歴史を振り返るきっかけになれば素敵だなと思いました。(髙橋)

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2016年9月19日 (月)

8月・東京から空路約2時間でロシアへ!(サハリン) その3

『サハリン』というとぴんとこない様子で『樺太』というと「あぁ、(どこかで)聞いたことある。(けれどもどこかよくわからない。)」と私の学生時代の友人たちから返ってきた言葉でした。サハリンという単語には反応がいまいちでしたが、江戸時代に最上徳内、松田伝十郎、間宮林蔵を極東を調査した彼らの名前や1809年間宮林蔵が海峡を越えて大陸にいたり、サハリンが島であると発見したことで名付けられた“間宮海峡”(タタール海峡)は歴史や地理で習ったことで名前の認知度は高かったのですが、やはり“何処か”となると「何処だったかな?」という返答・・・。1905年日露戦争後に取り交わされたポーツマス条約にてサハリン島の北緯50度線より南半分は、日本領「樺太」となりました。その為、多くの日本人が移住し、鉄道を敷設し、林業、炭鉱や製紙工場などの経済活動が盛んになりました。しかし終戦後のサンフランシスコ条約締結(1951年)にて日本は樺太・千島を放棄。樺太に住んでいた日本人は、北海道等へ移住し、以後1989年まで軍事拠点となり外国人の立入り禁止区域となりました。日本ではなくなってから約65年の歳月が流れた現在、樺太時代の日本人が住んでいた町々を訪れると僅かばかりの日本時代の跡が、多くは廃墟となって残っていました。林業が盛んだったことを象徴する巨大な旧王子製紙工場跡(現在は廃墟となっていたり、一部をボイラーや倉庫などとして活用)。頑丈に出来た石造りの建物である旧拓殖銀行は、日本人が引き揚げた後も何かと利用され、綺麗な外観のまま残っていました。

旧白浦神社の鳥居

神社なども昔は各地にあったそうですが、現在では社は残っていないものが多く、ぽつんと郊外の草むらの中に残る旧白浦神社の鳥居や自由時間にご希望の方と一緒に探したユジノサハリンスク(豊原)の山中草むらのなかにほんの一部の基礎を残すのみの護国神社や民家の裏の山中に残っていた樺太神社を見つけましたが、そこへ行くための方向を示す看板などは一切ありませんでした。また学校関係では、校舎は残っていないけれども奉安殿だけが残っているのも見かけました。日本本土ではGHQによる撤去により奉安殿は戦後、学校からなくなりましたが、戦後生まれの私はサハリンで初めて見るものとなりました。私の祖父母が子供の頃に学校という場所で当然にあった過去の遺物と日本の歴史にほんの少し触れられたような気がしました。
つづく(4回シリーズ/第三回)

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2016年9月18日 (日)

8月・東京から空路約2時間でロシアへ!(サハリン) その2

今回のツアーは8月21日発「サハリン大縦断と銀河鉄道の旅 8日間」。
タイトルの通り、南はコルサコフ、北はオハまでバスや乗用車を使って陸路移動をし各地を訪れてきました。また始発駅のユジノサハリンスクから北緯50度線を越えて終点駅ノグリキまで向かう寝台特急列車サハリン号にも乗車。

寝台特急列車サハリン号

このように南北を巡ったおかげで、北部オハでは油田採掘場や天然ガスを用いた火力発電所を眺めたり、北部オホーツク海で採掘された原油と天然ガスを出航するコルサコフの加工施設や出荷港を見ることが出来ました。いずれパイプラインが日本の関東まで伸びる計画があります。中東から石油や天然ガスをタンカーで運んできていたのに比べて、サハリンからだとすぐに日本へ供給できる利点があり、注目を集めています。北端のオハからユジノサハリンスクまでバス移動だったおかげで、面積の半分を占める森林地帯を車窓の景色で実感でき、海沿いの街を訪れては眺める海は、曇りの時は荒涼とした日本海のような雰囲気、晴天の時は海面がキラキラ輝き、透き通る海の水がとても綺麗でした。

大陸の大都市モスクワなどに比べればサハリンは近代的な都会の雰囲気がなく、良い意味でどこも田舎に感じられました。自然が非常に豊かであり、北海道ほどの面積に人口は50万人ほどなので、州都から車で30分(一部町中にもありましたが)ほど郊外へと走らせれば、ダーチャ(農地付別荘)をたくさん見かけました。北部の方を移動中は、民家の庭が畑になっていたりもしました。海辺で海岸に打ち上げられる海藻を拾いに来る人の姿もあり、その海藻をダーチャや自宅の畑の肥料にするのだとか。現地で食した料理も野菜を多く使い、サラダにボルシチ、添え物のマッシュポテト、茹でジャガはどれも野菜そのものの味がいいので、見た目は素朴でしたが素材の旨味があり非常に美味しかったです。

サハリンでの食事

つづく(4回シリーズ/第二回)

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2016年9月17日 (土)

8月・東京から空路約2時間でロシアへ!(サハリン) その1

ヤクーツク航空

成田から今年2016年就航したばかりの直行便ヤクーツク航空に乗り、約2時間という飛行時間で眼下に北海道をみた後に到着した空港では、入国審査官の人が金髪&目の色が薄いグリーン、白い肌という外見。たったの2時間でアジア圏ではない外国に来た!という不思議な実感。ヤクーツク航空に乗って到着した場所は、北海道の宗谷岬から北へわずか43kmに位置するサハリン島。地図で見ると細長く小さそうに見えるが、南北約900km(東京-福岡間相当)で面積は76,400平方km(北海道の9割ほど)とロシア連邦最大の島。日本との時差は+2時間。町中へ移動する道中に見える看板などの表記は全てキリル文字。聞こえてくる言葉も、もちろんロシア語。ロシア旅行というとモスクワ、サンクトペテルブルクのイメージですが、こんなに日本と近い場所に異国ロシアがあり、ロシア国内に簡単に来ることができることがあまり広く周知されていないことに驚いてしまう。それも領土問題などのニュースの影響かもしれないが・・・。

祭典で華やかな衣装を纏った地元の女性達

しかし、国や政治的な話はさておきサハリンに住んでいる人にとっては、サハリンの地は生まれ育った場所であり、先祖や親、祖父母が大陸から移り住んできた場所であり、働いて生活している場所。オホーツク海、タタール海峡(間宮海峡)といった海に囲まれ、海の恵みを受けた産業、古くからも採掘はされていたが、また新たに発掘され続ける油田・天然ガスといった鉱業、島の面積の約5割を占める森林地帯からもたらされる林業。自然の恩恵を受けた経済活動も非常に興味深いものがありました。
つづく(4回シリーズ/第一回)

倶楽部ユーラシア ブログ

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2016年9月16日 (金)

湖水地方を360度見渡せる山頂へ!シャーフベルグ山岳鉄道(オーストリア)

オーストリアツアー、オーストリア旅行


先日、「オーストリア、世界遺産巡りと湖水地方の旅 13日間」の添乗より帰国致しました。ウィーンやザルツブルクはもちろん、ザルツカンマーグート地方にも足を延ばし、芸術、音楽、豊かな山々と湖をご案内致しました。ザルツカンマーグート地方はオーストリアの中央に位置し、サウンドオブミュージックの舞台ともなった、湖が数多く点在する風光明媚なところです。その中で、「これ以上の天気はない!」という程、晴天に恵まれた日に訪れることができたのがシャーフベルク山でした。シャーフベルク山はザルツカンマーグート地方のちょうど真ん中、ヴォルフガング湖の北の1783mの山です。ヴォルフガング湖の周りにはフシュル湖、モンド湖、アッター湖などの湖があり、まさに湖水地方を上から楽しむことができる山です。

オーストリアツアー
オーストリア旅行


シャーフベルク山へはシャーフベルク山岳鉄道に乗って30分程。山岳鉄道の下の駅はヴォルフガングの街の西側、街の中心から15分程の湖沿いにあります。期待を膨らませながら駅に向かうと、すでに多くの人が駅で並んでいます。席に座り、鉄道の入り口が閉じられると、ガタゴトと音を立てて鉄道が動き出します。窓からはヴォルフガング湖を見たり、木々を眺めながらぐんぐん標高を上げていきます。

オーストリアツアー、オーストリア旅行


上の駅に到着し、鉄道を下りて空を見上げれば、雲一つない天気。他の観光客たちからも歓喜の声があがります。山頂に広がる草原はまるでサウンドオブミュージックの映画のロケ地のよう。そこからさらに5~10分程、息を切らしながら坂を上っていけば、シャーフベルク山の頂上、1783m地点に到着。頂上の展望台からはオーストリア南部のアルプスの山々、フシュル湖、モンド湖、アッター湖の全体像がはっきりと見えました。展望台そばにはカフェやレストラン。絶景を眺めながらのアイスは格別ですね。(長田)


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2016年9月15日 (木)

「中国の絶景、九寨溝・黄龍へ!」

先日、8月13日発「まだ見ぬ別天地、九寨溝・黄龍とパンダ 8日間」より帰国いたしました。四川航空の直行便で約5時間、豊かな平原の中にあり古くから『天府の国』と呼ばれてきた四川省の成都に到着します。そこからバスで移動し、世界遺産の九寨溝・黄龍へと向かいます。
九寨溝は、原生林が長い年月をかけて造り出した大小100以上の湖沼が点在する美しい渓谷です。1970年代に森林伐採の労働者に発見されるまで、深い原生林の中にひっそりと存在していた秘境です。
下の写真は、九寨溝の中でも一番透明度の高い湖「五花海(ごかかい)」です。

五花海

写真でも十分綺麗ですが、実際にこの目で見ると澄んだ青色に心が洗われるような気分になります。現地ガイドの話によると、水中の石灰分が細微な浮遊物と一緒に沈殿する為、極度にこの池の透明度が高いのだそう。その為、水中に差し込んだ可視光のうち、波長が長い赤い光は吸収され、波長の短い青い光が人の目に届き、青色に見えるのだそうです。
一方黄龍は、ロープウェイーで標高3500mまで一気に上り、ハイキングを楽しみながら約700もの石灰石層からなる棚田の絶景をお楽しみ頂きます。下の写真は、黄龍の一番の見どころ五彩池(ございち)です。

五彩地

その名の通り、エメラルドグリーンの湖沼が龍の鱗のように連なっています。
夏のこの時期は、木の葉が青々としている季節で、爽やかな森林浴をしながらハイキングを楽しむことが出来ました。また九寨溝・黄龍は秋の紅葉シーズンも有名で、赤・黄・茶色の木々と、池の青が美しいコントラストの風景を作り出し、観光客で更に賑わいます。次回は、その紅葉シーズンを狙って、是非再訪したいと思いました。(堤)

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2016年9月14日 (水)

鮭漁師によってかけられた、絶景を望む、キャリック・ア・リード吊り橋

先日、「南北アイルランド、ケルト幻想の世界を訪ねて8日間」のツアーから帰国しました。
「エメラルドの島」とも呼ばれ、北海道とほぼ同じ大きさの緑豊かなアイルランド島。円輪付きの十字架(ハイクロス)を代表とする、ケルト文化が根付く独特の文化、そしてイギリスの一部である北アイルランド、独立を果たしたアイルランド共和国と長い間紛争を経験してきた一面もある国です。そんな険しい道を歩んできたアイルランドの人々の心の癒しとなってきたものの一つにこのアイルランド島が持つ、美しい自然があげられると思います。この大自然を感じるべく、今回のツアーにもある場所が含まれていました。アイルランド島は雨の多い温暖な気候にもかかわらず、その場所を訪れる日は太陽の日差しが照りつけ、自然を楽しむには絶好の天気でした。

キャリック・ア・リード吊り橋、アイルランド

北アイルランドの首都ベルファストから、約100㎞弱、キャリック・ア・リード吊り橋と呼ばれる、漁師によってかけられた25m程の橋がある。そもそもキャリック・ア・リードとは「道の岩」という意味。ここでいう「道」というのは鮭が回遊するルートのことを指します。この辺りは大西洋から遡上してくる鮭がよく漁れる場所として有名だったそう。そこで対岸のキャリック島へ渡るため、漁師が橋をかけたのが始まり。当時の漁師たちは将来、このような絶景を望む観光地になっているとは思ってもみないでしょう。海面からの高さは約30m。綺麗なエメラルドグリーンの海の眺めながら、足が少しすくみながらも、吊り橋を渡っていきます。断崖絶壁の島と吊り橋、広大な海の組み合わせは絶景と呼ぶに相応しい景色。渡った先のキャリック島では、海の方を向いて、ぼーっと座っている人も何人か見かけました。それほどにうっとり、たそがれてしまう空間なのです。
漁師さんのちょっとした行動でできたキャリック・ア・リード吊り橋。アイルランドにはまだまだ息をのむ絶景が数多く存在しています。自然保護に力を入れているアイルランドですが、こういった場所が後世までずっと残っていくといいですね。(荒川)

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2016年9月13日 (火)

ポルトガルの芸術作品、アズレージョ

ピニャオン駅

先日、「ポルトガル・ハイライト 9日間」より帰国致しました。
今回のツアーでは、ポルトガルの見所をハイライトで巡り、カラフルな傘が空一面を覆い尽くすことで有名なアゲダの傘祭りにもご案内いたしました。沢山の見所があるポルトガルの中で欠かせないのが“アズレージョ”。
アズレージョとは装飾タイルのことで、その語源は、「青」という意味のアズールが語源と言われております。このツアーでは一番有名な白地のタイルに青単色で描かれた一番有名なアズレージョはもちろんのこと、アズレージョがポルトガルに広まった16世紀ごろのもの。大量生産の流れを汲んで費用や高度な技術をあまり必要としないパターン化した単色タイルが流行した16世紀から17世紀頃のもの。そして急速に需要が高まり、庶民のアパートにも使用されプリントスタイルが主流だった19世紀ごろのもの。今回は各年代のアズレージョを全て見ることが出来ました。

アヴェイロ駅旧駅舎

その中でもやはり、目を引くのが17世紀から19世紀ごろ主流だった白地のタイルに青単色で描かれたアズレージョ。特に有名なのは、アヴェイロ駅の旧駅舎です。描かれているのはワイン作りの様子であったり、当時の生活の様子だったり色々なのですが、その全てが細部までとても細かく描かれています。青色一色なのにその濃淡だけで、人の表情まで見事に描かれています。駅の外壁などによく描かれているのですが、美術館に居るかのようにうっとりと、その絵に引き込まれるものばかりでした。
華やかな街中に突如現れる、素朴な絵のアズレージョ。その繊細さに目をひかれ、ポルトガルのタイル職人の技術の高さ脱帽でした。(竜崎)

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2016年9月 9日 (金)

ルーマニアの祝日、聖母マリア被昇天祭

モイセイ村1

先日、「ルーマニアとリラの僧院夢紀行 10日間」のツアーより帰国致しました。
ルーマニアにも日本と同様に祝祭日がございますが、ルーマニア請求を信仰している国でありますので、クリスマス、復活祭など、キリスト教関連の祝祭日が多く占めてきます。そして毎年8月15日は「聖母マリア被昇天祭」。聖母マリアがその人生の終わりに、肉体と霊魂を伴って天国にあげられたというこの日には、各教会で大々的にミサが行われます。
今回のツアーでこの日の観光は、ルーマニア北部の奥地で位置し、素朴な雰囲気が今なお残るマラムレシュ地方でした。まずは墓標に故人の生前の職業や生活がユーモアたっぷりに描かれたという、サプンツァの陽気なお墓へ行きましたが、このお墓には教会が隣接されており、ちょうどミサが行われていました。ただまだ早い時間(午前9時ごろ)だったせいか、ミサに来ていたのはほとんどお年を召した方たちでした。どうやら若い人たちは朝ゆっくり起きてから、これからのんびりと教会へ向かうとのこと。日本の田舎と同じような光景だなと思ったのは私だけでしょうか。

サプンツァ

その後サプンツァを後にして、東に位置するボグダンヴォーダへ。到着したのは午前11時ごろ。ここでは本来マラムレシュ地方の特徴でもある木造教会を見学することになっていたのですが、現在使われているのはその隣にあるコンクリート製の新しい教会で、やはりここでもミサが行われていました。さすがにこの時間になると、様々な年代の方々が来ていましたが、私たちもしばらくの間ミサを見学しました。ただミサもさることながら、私たちが気になったのは、ここに来ていた女の子たちの白地をベースにしたかわいらしい民族衣装でした(白は聖母マリアの象徴の色)。ミサの途中でありましたが、私たちが写真を撮ってもいいか尋ねると、気軽にポーズをとってくれました。しばらくミサを見学した後、本来の目的である木造教会へ移動しました。普段はもう教会としては使われていないので、中に入ることができず外観のみの見学となりますが、なんと司祭さんが今日は祝日だから特別にということで、なんと鍵を開けてくれて中に入らせてくれました(写真撮影は禁止でしたが)。一歩足を踏み入れると、壁に描かれたイコンがきれいに残されていました。18世紀に建立された教会だそうですが、現在使われていないにもかかわらずこれだけきれいに保存されているのは、地元の人の信仰心がそうさせているのだと改めて思いました。

ボグダンヴォーダ

実はこの日の観光の予定はこれで終わりで、あとは昼食をとってから、さらに東のブコヴィナ地方へ移動するだけでしたが、近くにあるモイセイ村というところに「聖母マリア教会」があり、ここで大規模なミサがあるということなので、そちらにも行ってみることに。私たちは村の入口の駐車場でバスを下りて、ここから教会までは歩いていくことに。地元の人の話では徒歩20~30分とのこと。私たちは舗装はされているものの、くねくねした山道を歩き教会を目指しましたが、30分歩いても教会に着く気配はない。「本当に教会はあるのだろうか?」と思いながら歩き続けると、歌声らしきものが聞こえてきました。「よし、教会は近づいている!」とはりきりながら歩を進めること10分後に教会に到着。ちょうどミサが終わるころで、各村の集落の団体ごとに旗や聖母マリアの肖像画を持ち、歌いながら教会から出てくるところを見ることができました。そしてここでも民族衣装を着た女の子たちがいて、やはり写真を撮ってもいいかお願いすると、気軽にOKの返事が。そして私たち日本人が珍しいせいか、こちらもいろいろと質問攻めにあいました。こうして1年に1回の特別な行事を目の当たりにして満足した私たちは軽い足取りで駐車場は帰っていったのでありました。(斉藤信)

モイセイ村2

モイセイ村3

ユーラシア旅行社で行くブルガリアツアー、ルーマニアツアーの魅力はこちら

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2016年9月 8日 (木)

世にも珍しい木登りライオンを発見!(ウガンダ)

先日、「ウガンダ・スペシャル7日間」の添乗より帰国致しました。コンパクトな日程でありながら、ウガンダの見どころがギュッと詰まったツアーでした。

Photo

ウガンダと言えばやはり、マウンテンゴリラ!密林の中で出会ったゴリラの家族は各々食事中でした。愛らしい姿に誰もが胸を撃ち抜かれます。しかし彼らに負けず人気急上昇中なのが、一部の地域で見られる木の上でぐたーっと休んでいるライオンたち。数頭のライオンが一つの木に登っていると、まるで木にライオンが実ったかのように見えることも。この世にも珍しい木登りライオンがウガンダのクィーンエリザベス国立公園のイシャシャ地区にもいるのです。しかし、実際に木登りライオンが見られるかどうかは運次第。出発前からドキドキしていました。
イシャシャ地区に入ってからは、目に入る木を順番に見ていきますが、なかなか姿を出してくれないライオンたち。お客様の表情にも、半ば諦めの色が浮かび始めたころ、ドライバーが「ライオンいた!」と声を上げました。

Photo_2

見ると大きなイチジクの木の上に一頭の雌ライオンが座っているではないですか!興奮を抑えつつ、木登りライオンを写真に収めていきます。ライオンは3~4台の車に囲まれ、こちらをじっと見つめて少し警戒しているようでした。情報を聞きつけた車が徐々に増えると、せっかくの休憩を邪魔されたライオンは、なんとなく不機嫌そうに木から降り、草の茂みの中へと姿を隠してしまいました。僅か10~15分ほどの時間でしたが、見られて良かったと満足して、昼食をとるレストランへ移動したところ、ドライバーの携帯電話に連絡が。なんと数頭のライオンが今まさに木の上にいるとの情報!「私たちが行くまで下りないでー!」と祈りながら急いで公園の敷地内へ戻ります。

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私たちが到着すると、まだ4頭のメスライオンが木の上で待ってくれていました。なんてラッキー!木の上にいるライオンの姿は、猫を彷彿とさせ、百獣の王と称されるライオンは、やはりネコ科の動物なのだなと感じました。普通のサファリではなかなか遭遇できないライオンの姿に大満足でサファリを終えることができました。(市川)

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2016年9月 7日 (水)

旧市街が見どころのバルトで訪ねた素朴な漁師町 ~ニダ~

ニダの伝統家屋

先日、「バルト三国古都巡りとクルシュー砂州 8日間」のツアーより帰国致しました。8月はこの地域で一番暖かい季節ではありますが、現地は日本の秋口のように心地よい風が吹き、避暑には最適でした。

 バルト三国は、長らくドイツ文化の影響を受けていたので可愛らしいドイツ風の旧市街が残るほか、中世の貿易同盟であるハンザ同盟都市として貿易で栄えたため各地に立派な大聖堂や教会が残されているのです。「今まで世界各地の教会を見てきたが、バルトにこれ程素晴らしい教会があったとは」というお客様の言葉が印象的でした。

個人的なお勧めは、リトアニアのビリニュスにある「聖ペテロ・パウロ教会」。小さな教会で外装は控えめですが、中に入ると壁という壁を埋め尽くす膨大な装飾に圧倒されます。あっという間に引き込まれる世界観を持った彫像群が魅力なので、ぜひ行ってみて下さい。


街歩き中心の今回のツアーで一つ雰囲気が違った観光地がリトアニアのクルシュー砂州にある町・ニダの観光です。漁師町であるニダは、茶色の壁に青と白の屋根の装飾が付いた伝統的な家が改修・保存されている地域があり、歴史的にはドイツの影響が色濃い国であっても、田舎では独自の景観があったことが分かります。今では夏の避暑地として人気があり、つながりが深いドイツやポーランドからだけでなく、ヨーロッパ中からリゾート客がやってくるので、街の雰囲気は旧市街よりゆったりとした空気が流れます。先述の伝統家屋も、今はコテージに改装され宿泊できるものがたくさんあります。

 また、ニダに行ったらぜひ見ていただきたいのが昔の漁師の船に掲げられていた風見鶏ならぬ、旗のような木製の飾りです。横長の板の縦2段に分かれて装飾が施されており、下の段に許可を受けて漁業をおこなっている旨と出身の村が表され、上の段には木や教会などが彫られています。この上の段の装飾は、木なら村はずれの森の近くに、教会なら教会の近くといったように漁師の家がどこにあるかを表す彫刻があり、海の上でもどこの誰の船かが一目瞭然だったそうです。昔は漁船についていたこの飾りも、現在では昔ながらの家の庭先に飾られています。

 華やかな旧市街が見どころの国にあって、素朴な田舎の暮らしが垣間見られる素敵な街でした。(松永華)


 

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2016年9月 6日 (火)

大自然と平和で溢れるスイスを訪ねて

先日、「ゆったりスイス周遊12日間」の添乗より帰国致しました。ツアー中に訪れたほとんどの場所で晴天に恵まれ、スイスが誇る素晴らしい景色を皆様にお楽しみ頂くことができました。

 

マッターホルンハイキング

さて、リオ・オリンピック閉会式も終わり、日本は史上最多のメダルを獲得しました。私たちは、オリンピックが盛り上がる最中、アルプス・モンブラン観光の拠点として、ローザンヌに滞在していました。ローザンヌと言えば、国際オリンピック委員会(IOC) の本部が置かれており、オリンピックの首都とも言われています。ちなみに、ツアー中のドライバーはブラジル国籍の方で、オリンピックの首都を舞台に日本・ブラジルの国際交流も果たしました。

 

オリンピック博物館

その他、ローザンヌには国際柔道連盟(IJF)、国際スケート連盟(ISU)、世界野球ソフトボール連盟(WBSC)の本部、ジュネーブには国際連盟欧州の本部が置かれています。

 

何故、スイスにはこれほど多くの国際機関が置かれているのでしょうか。

 

その理由のひとつに、スイスが永世中立国であることが挙げられます。永世中立国とは、もし他国間で戦争が起きても加担せず、自国は中立の立場であることを宣言しています。そして、他国もその中立を保障・承認しています。その歴史は古く、1803年から1815年の間に行われたナポレオン戦争の際、スイスは周囲の列強国に支配されることなく自国の独立を守るために中立を選び、その後のウィーン会議で承認されました。第二次世界大戦中も、スイス最後の将軍アンリ・ギザン将軍は、ナチス・ドイツ側にも連合国軍側にも肩入れせず、戦時中のスイスを守りました。

 

そのため、中立な立場で議論できる、永世中立国であるスイスに国際機関の本部が集まりました。特にジュネーブに国際機関が集まった理由は、スイスはもともと4つの地域が集まって成立した国家であるため、拠点が分散され、政治は首都のベルン、経済はチューリヒ、文化はバーゼル、外交はジュネーブと定められたからだと考えられます。

 

以上の歴史からもわかるように、スイスに訪れると、人と人との関わりによって、アルプスの山々に抱かれたような寛容な優しさを感じることができます。さらにスイスは、人や国だけでなく、自然も大切にする環境立国。そんなスイス人の心掛けから、世界に平和が広がっていくのだろうと気付いた有意義な旅となりました。(松本)

ユーラシア旅行社で行くスイスツアーの一覧はこちら

マッターホルン

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2016年9月 2日 (金)

祝725歳!ツェルマットで過ごす建国記念日(スイス)

先日、「氷河特急一等車で行く ヨーロッパ三大名峰とスイスアルプスを楽しむ旅10日間」の添乗より帰国致しました。スイスアルプスの大自然、氷河特急やベルニナ線の鉄道の旅、ベルンやルツェルン、ザンクトガレンの旧市街観光とスイスの魅力を凝縮した内容でした。そして今回は運よくスイス滞在中に建国記念日を迎えました。725年前の1291年8月1日、ウーリ、ウンターヴァルデン、シュヴィーツの3州が同盟を結んだことにより、この日が建国記念の日として制定されました。スイス人にとってとても大切な日で、毎年盛大に祝われます。この時ばかりはどの街にも国旗や州旗が飾られ、10メートルはゆうに超える垂れ幕のようなものから、レストランの植木鉢に添えられた可愛らしいものまでありました。

ベルンの旧市街

当日8月1日はマッターホルンを望むツェルマットに滞在する日程で、観光から戻ると、駅前のメイン通りは既に人でごった返し、街全体が活気づいていました。通りに並ぶ屋台にはスイス名物のラクレットやソーセージ、ケーキ、中にはスイス風お寿司?!まで目移りしてしまう程…何を食べようか考えながら歩くだけで楽しむ事ができます!

ツェルマット・メインストリートの屋台

スイス名物ラクレット

また、教会広場の空きスペースに設置された仮設ステージでは、ライブや民族楽器の演奏。思わず立ち止まり、聞き入ってしまいました。そして夜9時過ぎ、フィナーレは30分間にも及ぶ特大の打ち上げ花火!お祭りムードは一気に最高潮へ。ツェルマットの夏の夜空を彩る綺麗な花火を堪能し、建国記念日は締めくくられました。(大和田)

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2016年9月 1日 (木)

必見!ブレゲンツ湖上オペラのバックステージツアー(オーストリア)

 この度、ユーラシア旅行社の「ザルツブルク音楽祭とブレゲンツ湖上オペラ 10日間」より帰国しました。
 夏のヨーロッパはイベントが盛りだくさん!サマーフェスティバルや野外音楽祭、湖上オペラなど、各地で様々なイベントが開催されます。中でも毎回盛り上がるのが世界的に有名なザルツブルク音楽祭。ウィーンフィルを始め、世界のトップクラスのオーケストラや歌劇団、指揮者などが集い、期間中、世界中の人々に感動を与える舞台が繰り広げられているのです。
 今回のツアーでは、ザルツブルグ音楽祭でウィーンルコンサートとオペラの鑑賞、また、ブレゲンツでボーデン湖畔の湖上オペラを鑑賞してきました。

ブレゲンツ湖上オペラ会場

 ブレゲンツ湖上オペラは日本人にはまだまだ馴染みの浅い音楽祭ですが、オペラファンや舞台好きの方にとっては「一度は行きたいオペラ劇場」のひとつだそうです。
 1946年、戦後の荒廃した町に、自分たちの力で音楽を蘇らせよう!と地元住民が資金を出し合って開催したのが始まりです。当時はボーデン湖に浮かべた2隻のボートを舞台に上演された小規模なものだったそうですが、年々舞台装置や演出のレベルがアップして、今や世界中から注目される舞台となりました。
 劇場入り口に過去の舞台の写真が展示されています。「トスカ」や「魔笛」など有名な作品ばかりですが、どれも斬新でクオリティの高さを感じます。こんなすごい舞台があったなら、もっと早く知りたかった、見てみたかったと、ちょっぴり悔しい思いがよぎりました。
 ボーデン湖畔に作られた観客席からその舞台を眺めると、背景に広がる自然の美しさに目を奪われます。昼は湖を行き来する船、夕暮れ時は赤く染まる空、夜は星空や対岸の街明かり、それらが一体となり、この舞台が完成するのです。

これまでの舞台

 ツアーでは、オペラを見るだけでなく、そのバックステージツアーにも参加して来ました。
まずは、劇場内のVIPルームへ潜入!革張りのソファがズラリと並んだVIP席は、大きく作られた窓から舞台全体や他の客席も良く見えました。私達もエアコンが効いた部屋で説明を聞いている間だけVIP客の気分を味わいました。
 その後は外に出て、いよいよ湖上舞台へ!客席と舞台の間の通路を行く途中、ガイドさんが扉のカギを開けながら言いました。「皆様、湖に落ちないで下さいね!」。そう、ここからはもう湖上なのです。舞台の裏の控え室は通常の劇場と違いとても狭く、ここで衣装チェンジや裏方作業など全てが行われると聞いてびっくりしました。水の上に建てられた舞台は軽く、且つ、演者が立つ場所は頑丈である必要があります。随所にその為の工夫が施されているそうです。

バックステージツアー

 今年の演目は「トゥーランドット」。その世界感を舞台で表現するために万里の長城と兵馬俑が設置されています。何体も並べられた兵馬俑、水の中の物は重たいコンクリートで、舞台の上の物は軽い素材で作られています。客席から見ると同じに見えますが、近くで見ると全く違うという事が分かりました。また、各兵馬俑の後ろにはLEDライトが取り付けられていて、上演の間、シーンに合わせて様々な色に変え、雰囲気を出していました。
 客席を見ると最前列の席のさらに前、一段低い場所に椅子があります。何かと思いガイドさんに聞くと「ダイバーの席よ!」との事。万が一の事故に備えて、上演中、ダイバーがそこに待機しているんだそうです。湖上ならではの安全管理ですね。
 7000席の客席を眺め、夜にはここが人でいっぱいになるんだぁ~と、しばしオペラ歌手になった気分に浸り、有名なアリア「誰も寝てはならぬ」を口ずさみました。
 夜、実際のオペラを鑑賞した時は、様々な予想外な演出に驚きつつも感動し、演出家や演者、スタッフ達の込められた熱い思いを感じることが出来ました。(関根)

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