2016年9月
2016年9月30日 (金)
2016年9月29日 (木)
ユーコンの赤い大地とオーロラ(カナダ)
2016年9月28日 (水)
氷山の町、グリーンランド・イルリサット
2016年9月26日 (月)
話題のキューバで憧れのクラシックカー乗車体験!

2016年9月23日 (金)
何もしない島国、南太平洋にポツンと浮かぶニウエ(ニウエ)
先日、南太平洋のクック諸島とニウエの旅から戻りました。
クック諸島についてはよく知らなくとも、何となく想像できます。
有名なあのクック船長と関わりがありそうな、南太平洋の島かなと。
クック諸島は18世紀にクック船長が発見し、1956年まではニュージーランドの自治領でした。15の島々から成り立つ、南太平洋の島です。
タヒチとニュージーランドを結ぶ線上にあるので、先住民のマオリ系の人々はタヒチから
丸木船に乗ってクック諸島に立ち寄り、ニュージーランドへと向かいました。
ニュージーランドの先住民がマオリ人であることはよく知られていますが、
実は彼らの故郷はクックであり、タヒチであったのです。
タヒチからクック諸島までは何と1,260km。更にクックからニュージーランドまでは3,450km。
途方もない距離感。
島影を見ながら、島づたいに移動するならまだしも、水平線には島影も何も見えない、
未知の大海原に小さな丸木船(カヌー)で漕ぎ出す、その勇気には感服です。
さて、本題に入ります。
「ニウエ」ってなんでしょう?
既にタイトルで「島国、ニウエ」と書いてあるので「島国」と想像できますが、
恐らくこのヒントが無ければ、残念なことにニウエって、一体??
新しい食べもの??
昔の英雄の名前??
っていうぐらいに知名度は低いのではないでしょうか?
実はこのニウエもピッカピカの新しい国。
日本は2015年に独立国として承認しました。
ニュージーランドの北東2,400キロメートル、トンガの東480キロメートル、
サモアの南東560キロメートルにあり、島の周囲に砂浜は殆ど無く、ゴツゴツの岩石(石灰化した古い珊瑚が隆起した岩)の島が一つだけポッカリと海から突き出ているので、あだ名で「ポリネシアの岩」と呼ばれています。
人口は1500人足らず。
クック諸島のようにエメラルドブルーの美しい砂浜を楽しむクルーズ船もなければ、まだまだ観光も発展していないので華々しいマリンスポーツの誘いもありません。
小さな磯でバチャバチャとシュノーケリングを楽しむくらいです。
おしゃれで洗練されたカフェないけれど、プラスチックのイスを並べただけのテーブル席の向こうには深い紺色の水平線が広がる絶景があります。
ボーっと海面を眺めていれば、かなりの確率で鯨の潮吹きを観察することができます。
ワイワイガヤガヤ楽しいナイトクラブやバーはないけれど、ふと夜空を見上げれば日本では滅多に見られない天の川、満点の星々が輝いています。
この素朴さ、何もないところがニウエのいいところです。
ここもかつてはニュージーランドの自治領だったので、観光客は殆どがニュージーランド人。自然の静寂をこよなく愛するキウイ(ニュージーランド人)にとってはぴったりのリゾートです。
我々日本人も、安らぎを求めて美しい南国の島々に出かけるものの、何かやらずにはいられなくなり、結局あれこれ手を出して、リゾート滞在も忙しくなりがちですが、
何もしないという覚悟を決めて、何もないニウエでのんびり過ごすのもいいかも知れません。
(上田)
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2016年9月21日 (水)
アンコール・ワットのルーツを探して南インドへ(上智大学教授・石澤良昭氏同行解説ツアー)
そして、マーマッラプラムにはヒンドゥー寺院のモデルともなる寺院群が残ります。それぞれの寺院からは建築の歴史を見て取れ、岩山を掘り込んだだけの寺院が、最終的には石を積み上げた独立型の寺院へ進化していくのです。これらが、海を東に渡って東南アジアへ、そしてあのアンコールまで辿りついたのだろうと思いながらチェンナイの海岸に立てば、今は海水浴場の場所も何だか意義深い場所に思えてくるのですから不思議なものです。
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2016年9月20日 (火)
8月・東京から空路約2時間でロシアへ!(サハリン) その4・最終回
2016年9月19日 (月)
8月・東京から空路約2時間でロシアへ!(サハリン) その3
2016年9月18日 (日)
8月・東京から空路約2時間でロシアへ!(サハリン) その2
大陸の大都市モスクワなどに比べればサハリンは近代的な都会の雰囲気がなく、良い意味でどこも田舎に感じられました。自然が非常に豊かであり、北海道ほどの面積に人口は50万人ほどなので、州都から車で30分(一部町中にもありましたが)ほど郊外へと走らせれば、ダーチャ(農地付別荘)をたくさん見かけました。北部の方を移動中は、民家の庭が畑になっていたりもしました。海辺で海岸に打ち上げられる海藻を拾いに来る人の姿もあり、その海藻をダーチャや自宅の畑の肥料にするのだとか。現地で食した料理も野菜を多く使い、サラダにボルシチ、添え物のマッシュポテト、茹でジャガはどれも野菜そのものの味がいいので、見た目は素朴でしたが素材の旨味があり非常に美味しかったです。
2016年9月17日 (土)
8月・東京から空路約2時間でロシアへ!(サハリン) その1
2016年9月16日 (金)
湖水地方を360度見渡せる山頂へ!シャーフベルグ山岳鉄道(オーストリア)
先日、「オーストリア、世界遺産巡りと湖水地方の旅 13日間」の添乗より帰国致しました。ウィーンやザルツブルクはもちろん、ザルツカンマーグート地方にも足を延ばし、芸術、音楽、豊かな山々と湖をご案内致しました。ザルツカンマーグート地方はオーストリアの中央に位置し、サウンドオブミュージックの舞台ともなった、湖が数多く点在する風光明媚なところです。その中で、「これ以上の天気はない!」という程、晴天に恵まれた日に訪れることができたのがシャーフベルク山でした。シャーフベルク山はザルツカンマーグート地方のちょうど真ん中、ヴォルフガング湖の北の1783mの山です。ヴォルフガング湖の周りにはフシュル湖、モンド湖、アッター湖などの湖があり、まさに湖水地方を上から楽しむことができる山です。
シャーフベルク山へはシャーフベルク山岳鉄道に乗って30分程。山岳鉄道の下の駅はヴォルフガングの街の西側、街の中心から15分程の湖沿いにあります。期待を膨らませながら駅に向かうと、すでに多くの人が駅で並んでいます。席に座り、鉄道の入り口が閉じられると、ガタゴトと音を立てて鉄道が動き出します。窓からはヴォルフガング湖を見たり、木々を眺めながらぐんぐん標高を上げていきます。
上の駅に到着し、鉄道を下りて空を見上げれば、雲一つない天気。他の観光客たちからも歓喜の声があがります。山頂に広がる草原はまるでサウンドオブミュージックの映画のロケ地のよう。そこからさらに5~10分程、息を切らしながら坂を上っていけば、シャーフベルク山の頂上、1783m地点に到着。頂上の展望台からはオーストリア南部のアルプスの山々、フシュル湖、モンド湖、アッター湖の全体像がはっきりと見えました。展望台そばにはカフェやレストラン。絶景を眺めながらのアイスは格別ですね。(長田)
2016年9月15日 (木)
「中国の絶景、九寨溝・黄龍へ!」
2016年9月14日 (水)
鮭漁師によってかけられた、絶景を望む、キャリック・ア・リード吊り橋
2016年9月13日 (火)
ポルトガルの芸術作品、アズレージョ
2016年9月 9日 (金)
ルーマニアの祝日、聖母マリア被昇天祭
先日、「ルーマニアとリラの僧院夢紀行 10日間」のツアーより帰国致しました。
ルーマニアにも日本と同様に祝祭日がございますが、ルーマニア請求を信仰している国でありますので、クリスマス、復活祭など、キリスト教関連の祝祭日が多く占めてきます。そして毎年8月15日は「聖母マリア被昇天祭」。聖母マリアがその人生の終わりに、肉体と霊魂を伴って天国にあげられたというこの日には、各教会で大々的にミサが行われます。
今回のツアーでこの日の観光は、ルーマニア北部の奥地で位置し、素朴な雰囲気が今なお残るマラムレシュ地方でした。まずは墓標に故人の生前の職業や生活がユーモアたっぷりに描かれたという、サプンツァの陽気なお墓へ行きましたが、このお墓には教会が隣接されており、ちょうどミサが行われていました。ただまだ早い時間(午前9時ごろ)だったせいか、ミサに来ていたのはほとんどお年を召した方たちでした。どうやら若い人たちは朝ゆっくり起きてから、これからのんびりと教会へ向かうとのこと。日本の田舎と同じような光景だなと思ったのは私だけでしょうか。
その後サプンツァを後にして、東に位置するボグダンヴォーダへ。到着したのは午前11時ごろ。ここでは本来マラムレシュ地方の特徴でもある木造教会を見学することになっていたのですが、現在使われているのはその隣にあるコンクリート製の新しい教会で、やはりここでもミサが行われていました。さすがにこの時間になると、様々な年代の方々が来ていましたが、私たちもしばらくの間ミサを見学しました。ただミサもさることながら、私たちが気になったのは、ここに来ていた女の子たちの白地をベースにしたかわいらしい民族衣装でした(白は聖母マリアの象徴の色)。ミサの途中でありましたが、私たちが写真を撮ってもいいか尋ねると、気軽にポーズをとってくれました。しばらくミサを見学した後、本来の目的である木造教会へ移動しました。普段はもう教会としては使われていないので、中に入ることができず外観のみの見学となりますが、なんと司祭さんが今日は祝日だから特別にということで、なんと鍵を開けてくれて中に入らせてくれました(写真撮影は禁止でしたが)。一歩足を踏み入れると、壁に描かれたイコンがきれいに残されていました。18世紀に建立された教会だそうですが、現在使われていないにもかかわらずこれだけきれいに保存されているのは、地元の人の信仰心がそうさせているのだと改めて思いました。
実はこの日の観光の予定はこれで終わりで、あとは昼食をとってから、さらに東のブコヴィナ地方へ移動するだけでしたが、近くにあるモイセイ村というところに「聖母マリア教会」があり、ここで大規模なミサがあるということなので、そちらにも行ってみることに。私たちは村の入口の駐車場でバスを下りて、ここから教会までは歩いていくことに。地元の人の話では徒歩20~30分とのこと。私たちは舗装はされているものの、くねくねした山道を歩き教会を目指しましたが、30分歩いても教会に着く気配はない。「本当に教会はあるのだろうか?」と思いながら歩き続けると、歌声らしきものが聞こえてきました。「よし、教会は近づいている!」とはりきりながら歩を進めること10分後に教会に到着。ちょうどミサが終わるころで、各村の集落の団体ごとに旗や聖母マリアの肖像画を持ち、歌いながら教会から出てくるところを見ることができました。そしてここでも民族衣装を着た女の子たちがいて、やはり写真を撮ってもいいかお願いすると、気軽にOKの返事が。そして私たち日本人が珍しいせいか、こちらもいろいろと質問攻めにあいました。こうして1年に1回の特別な行事を目の当たりにして満足した私たちは軽い足取りで駐車場は帰っていったのでありました。(斉藤信)
2016年9月 8日 (木)
世にも珍しい木登りライオンを発見!(ウガンダ)
2016年9月 7日 (水)
旧市街が見どころのバルトで訪ねた素朴な漁師町 ~ニダ~
2016年9月 6日 (火)
大自然と平和で溢れるスイスを訪ねて
先日、「ゆったりスイス周遊12日間」の添乗より帰国致しました。ツアー中に訪れたほとんどの場所で晴天に恵まれ、スイスが誇る素晴らしい景色を皆様にお楽しみ頂くことができました。
さて、リオ・オリンピック閉会式も終わり、日本は史上最多のメダルを獲得しました。私たちは、オリンピックが盛り上がる最中、アルプス・モンブラン観光の拠点として、ローザンヌに滞在していました。ローザンヌと言えば、国際オリンピック委員会(IOC) の本部が置かれており、オリンピックの首都とも言われています。ちなみに、ツアー中のドライバーはブラジル国籍の方で、オリンピックの首都を舞台に日本・ブラジルの国際交流も果たしました。
その他、ローザンヌには国際柔道連盟(IJF)、国際スケート連盟(ISU)、世界野球ソフトボール連盟(WBSC)の本部、ジュネーブには国際連盟欧州の本部が置かれています。
何故、スイスにはこれほど多くの国際機関が置かれているのでしょうか。
その理由のひとつに、スイスが永世中立国であることが挙げられます。永世中立国とは、もし他国間で戦争が起きても加担せず、自国は中立の立場であることを宣言しています。そして、他国もその中立を保障・承認しています。その歴史は古く、1803年から1815年の間に行われたナポレオン戦争の際、スイスは周囲の列強国に支配されることなく自国の独立を守るために中立を選び、その後のウィーン会議で承認されました。第二次世界大戦中も、スイス最後の将軍アンリ・ギザン将軍は、ナチス・ドイツ側にも連合国軍側にも肩入れせず、戦時中のスイスを守りました。
そのため、中立な立場で議論できる、永世中立国であるスイスに国際機関の本部が集まりました。特にジュネーブに国際機関が集まった理由は、スイスはもともと4つの地域が集まって成立した国家であるため、拠点が分散され、政治は首都のベルン、経済はチューリヒ、文化はバーゼル、外交はジュネーブと定められたからだと考えられます。
以上の歴史からもわかるように、スイスに訪れると、人と人との関わりによって、アルプスの山々に抱かれたような寛容な優しさを感じることができます。さらにスイスは、人や国だけでなく、自然も大切にする環境立国。そんなスイス人の心掛けから、世界に平和が広がっていくのだろうと気付いた有意義な旅となりました。(松本)
ユーラシア旅行社で行くスイスツアーの一覧はこちら
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