2016年10月
2016年10月28日 (金)
2016年10月27日 (木)
マルタ版 青の洞窟「ブルーグロットー」でミニクルーズ体験!(マルタ)
2016年10月26日 (水)
まるでパレット上に広がった絵の具のような紅葉!カナダの秋をしみじみ体感
先日、秋のカナダ大横断の旅から帰国しました。
今回の旅は文字通り、東西8000キロの広大なカナダを横断する旅となりました。
英国らしい落ち着いた雰囲気が残る西部の町ビクトリアと人種のるつぼバンクーバーから始まり、レトロな客車がガタンゴトンと超スローペースで走るカナダ大陸横断鉄道でカナディアン・ロッキーの白銀の峰々を越え、時にはエメラルドグリーン色の氷河湖畔を走り、滝の轟音が轟くナイアガラではあっという間にずぶ濡れになり、その美しさに溜息を漏らしながら紅葉の名所メイプル街道をバスで駆け抜けました。最後は赤毛のアンの舞台プリンス・エドワード島で旬の真っ赤な大西洋ロブスターをガブリと味わってきました!
旅の概要に少し触れただけでも、変化に富んだ盛り沢山の日程ですが、
今回の旅で特に印象深く記憶に残ったのは、やはりハイライトでもある、目が覚めるような色鮮やかなカナダの紅葉でした。西部に近いカナディアン・ロッキーの雄大な山々は未だ緑の針葉樹と黄色の広葉樹に覆われていました。ところがカナダ中部まで進み、ナイアガラの滝やトロントから首都のオタワ、フランス語圏のモントリオールを経て東部のケベックシティに至る全長800キロ、紅葉の名所メープル街道に差し掛かったとたん道端の木々の葉が、林や森の色が激変し始めました。
カナダのシンボルでもある楓の赤い葉の紅葉が増え、森や山々が一気に赤く染まり始めたように見えたのです。お客様は皆、カナダの紅葉を大いに期待して心の準備をしていたものの、真っ赤に染まる木々や森、連なる山々を見た瞬間には、バスの車内に「ウワーッ!!」という歓声が上がりました。
紅葉が最も美しく感じられたのは、標高1000m前後の山々が連なり、なだらかな丘陵と大小さまざまな湖が点在するローレンシャン高原でした。
特に山麓に位置するモン・トランブラン村はオレンジ色の夕陽と相まって、山全体が真っ赤に染まって見えました。山が燃えるとはまさにこのことです。
また、静寂に包まれ、小さなサーブル湖の紅葉は、まるでパレットに色鮮やかな緑色や黄色、赤色の絵の具を広げたかのようです。その色鮮やかな紅葉が鏡のような湖面に映ると、パレットは2枚となり、更に美しさが増してゆきます。
3色それぞれが打ち消し合うことなく強烈な鮮やかさを放っているので、日本の紅葉とは一味異なった秋の自然の美しさを感じることができました。
紅葉の他にもカナダには秋を実感するものが溢れていました。
朝起きて外に出ると、ピーンと張り詰めた冷たい空気。
日中は秋らしい柔らかな陽光と空高く澄んだ青空。夜は再び空気が冷え、
雲一つない澄んだ夜空に星が輝きます。
また、カナダ滞在中の10月10日はちょうど感謝祭でした。
カナダでは農作物の収穫に感謝し、家族や親戚が集い、お母さん手造りの七面鳥の丸焼きやカボチャパイを食べるのが昔からの習わしです。
更に10月末はハロウィンがあります。カボチャ畑の道端にハロウィン用の直売カボチャを無造作に転がしているのどかな風景をあっちこっちで見かけました。
日本ではもう10月というのに薄着の日々が続いていますが、一足早くカナダで秋を実感してきました。(上田)
ユーラシア旅行社で行くカナダのツアーの魅力はこちら
2016年10月25日 (火)
秋の高山祭(八幡祭)に行ってきました
2016年10月22日 (土)
地元チェコ人に愛される『ドヴォルザーク・プラハ・フェスティバル』に行ってきました!
2016年10月21日 (金)
中世の面影残すタリン(エストニア)
先日バルト三国とサンクトペテルブルク10日間の添乗より帰国致しました。今回の行程では、バルト三国と言われるリトアニア、ラトビア、エストニアの首都を巡り、ロシアのサンクトペテルブルクまで足を伸ばしました。
この時期はバルト三国もロシアもとても寒いですが、日本ではあまり見る機会の少ない黄葉をどこの街でも驚くほど綺麗に見ることができました。行程の中で特に印象に残ったのは、エストニアの首都タリン。
タリンは現在人口70万人程の小さな街ですが、13世紀からの街並みが綺麗に残っており世界文化遺産に登録されています。そんなタリンでは、1日かけて歴史ある街並みを散策しました。
当日タリンは最高気温が10度しかなく肌寒い中ホテルを徒歩で出発しました。まずは旧市街の入口へ。ヴィル門という13世紀の門があり、そこの通りには花屋の露店がずらりと並びます。休日だったため花を買いにたくさんの人が列をなしていました。見てみるとバラやひまわり、デイジー、チューリップなどが売られていて色も一色だけではなく数種類ありとても色鮮やか。値段も日本のものと半額程の値段で売られていて手ごろなため、平日でも仕事帰りの男性が家で待つ女性のために花を買って帰る習慣があるそうです。
旧市街に入り、目に付くのは中世から残る建物。カラフルなものもあれば、ソ連時代に建てられた灰色が特徴的な素朴な建物やレンガで出来た建物がありました。タリンは13世紀のデンマーク支配から始まり、ドイツ騎士団(チュートン騎士団)、スウェーデン、ロシアと支配されてきた歴史をもちます。建物を眺めながら歩くだけでもタリンが辿ってきた歴史を感じることが出来ます。
街外れの方へ足を運んでみると、13世紀頃のデンマーク支配時代からの城壁が現れました。この城壁は当時長さが2.5kmでその後、大火災や空襲に襲われますが、現在でも1.8kmが当時のままで残っています。城壁は柵などで覆われていないので手で触ることも出来ますし、有料ですが城壁の上を歩くことも出来ます。
街の中心から少し離れた聖オレフ教会の尖塔にある200段弱の急な狭い螺旋階段を息を切らしながら上ると旧市街を一望することが出来ます。上ってみると、プロテスタント教会やロシア正教会や当時見張り台だった塔が見えました。全体を見渡してみて、他のヨーロッパの街と比べると地味で素朴だけど、どこか愛着が湧く街でもう少し滞在したいなと感じました。(山下)
2016年10月20日 (木)
ピウス2世の、小さな小さな理想郷へ(イタリア)
9月23日より、ユーラシア旅行社の「イタリア歴史物語 15日間」のツアーの添乗に行ってきました。ミラノから出発して少しずつ南下、ヴェネツィアやフィレンツェといった大都市はもちろん、田舎の小さな街や村も丁寧に巡り、最後はローマで終了。天候に恵まれ、イタリアの魅力をたっぷりと堪能してまいりました。
全部で18の都市を訪問しましたが、私の一番のお気に入りは、イタリア中部に位置するピエンツァ。人口はわずか2000人、城壁に囲まれた旧市街の長さは400mという極小都市ですが、この街には面白い歴史があります。
1458年、この小さな街から一人のローマ教皇が排出されました。彼の名前はピウス2世。なかなか奇抜な発想の持ち主で、教皇になったことをきっかけに、自分の故郷を当時流行りのルネッサンス様式一色にしようという、理想郷建設大計画を企てます。キリスト教を束ねる教皇としては少々規模が小さいような気もしますが、もともとある街を意図的に全て造り替えようというわけですから、妥当な規模だったのかもしれません。ところが残念ながら、その壮大なる(?)計画の途中でピウス2世は急死、計画は頓挫することとなりました。
その後の発展の波に乗り遅れたおかげで、中世の姿を現代にそのまま残すピエンツァ。石畳の小路には石造りの可愛らしい家がずらりと並び、時にはチーズ屋さんの可愛らしい看板がぶら下がっていて、歩いていると中世の時代にタイムトリップした気分に浸れる、何故だか無性にワクワクする、そんな街でした。
メインの広場(その名もピウス2世広場)は見事にルネッサンス様式の教会とお屋敷に囲まれ、ピウス2世の理想郷の残像を垣間見ることも。全てがルネッサンス様式の街を見てみたかった気もしますが、温かみのある茶色い石造りの家々が並び、周囲に美しいオルチャ渓谷の自然美が広がる、城壁に囲まれたこの小さな都市は、今のままでも十分〝理想郷″の名にふさわしい!!と私は思います。
そういえばピエンツァの名物は羊のチーズ、小さな街の至る所にチーズ屋さんがありました。ちょっと覗くと独特の良い香りが漂ってきます。真空パックにしてくれるのでお土産にももってこいです。8月にはチーズ祭りが行われ、広場の端から丸いチーズを転がして、広場の中央に立てた棒にいかに近付けるかを競うのだとか。大の大人が地面に這いつくばって真剣にチーズを転がす様はちょっと異様な気もしますが、是非見てみたい。石畳はでこぼこだから、結構難しいんだろうなぁ。(佐藤)
2016年10月19日 (水)
3回の星空チャンス!?大自然の宝庫・ニュージーランド
先日、「星空のニュージーランド、感動の南北ハイライト8日間」のツアーから帰国しました。8日間というコンパクトな日程で火山とマオリの北島、氷河と星空の南島のハイライトを巡るツアーです。丁度、桜のシーズンで日本との友好の証の桜並木が満開!毎日感動の連続で、大自然をたっぷりと満喫することが出来ましたが、中でも特に印象的だったのは星空で、短い日程の中、私たちは3回も!?星空を見るチャンスがありました。
1回目は・・・実は早速本物の星ではないのですが、土ボタルの青白い光が洞窟いっぱいに広がり幻想的なワイトモ洞窟。ワイトモは北島にある太古から形成されてきた鍾乳洞で、マオリはその存在をずっと秘密にしていました。この洞窟で最も有名なのはニュージーランドにのみ生息している土ボタル。あまりにも切ない一生を迎える土ボタルは幼虫のとき、エサを引き寄せるために放つ青白い光が真っ暗な洞窟の天井を照らします。観光の際はその下を小舟でゆっくりと進むので、まるで星空のように見えるのです。
2回目は南島のマウント・クック。こちらはマウント・クックが見えるホテルに宿泊し、ご希望者の方のみ星空鑑賞にご案内しました。まずはホテル内のプラネタリウムで南の空の勉強です。ニュージーランドは日本とは真逆の南半球にある為、日本とは違った星座を見る事ができます。その後、普段はマウント・クック遊覧飛行用に使われる飛行場へバスで移動します。バスから降りて空を見上げれば、そこには満天の星空!たまたま月の出が遅い日だったため、新月ではないのに月が出ておらず辺りは真っ暗で、天の川がくっきりと見えました。他にも、南の空で一番有名な南十字星、散開星団ジュエルボックス、七色に輝くカノープス、マゼラン星雲、火星、天の川に尻尾を引っ掛けるように逆さ吊りになっているさそり座など様々な星を鑑賞いたしました。中でも、土星に照準を合わせて天体望遠鏡を覗き込むと、土星の輪まではっきり見え、これには全員が感激。
3回目は南島のテカポ湖。国際ダークスカイ協会という星空を保護するために活動する世界最大の公式団体が定めた、素晴らしい星空が観測できる場所を星空保護区と呼びます。中でも地球上に3ヶ所しか無い「星空保護区の星空金賞(ゴールドティア)」をナミビアのナミブ砂漠やアイルランドのアイベラ半島と並んで受賞したのがテカポ湖です。マウント・クックで感動した星空をもう一回見られるとの事で、気持ちが高揚します。夜、ホテルを出発し、マウント・ジョン天文台で見上げた星空は言うことなしで最高!たまたまプロのカメラマンさんがいらっしゃり、一眼レフをお持ちだったお客様は何と撮って頂けることに!なかなか撮ることが難しい星空。後で拝見させていただいたお写真には感動の星空がそのままに映されておりました。テカポでは流れ星も多く見られ、流れた瞬間には「あっ、流れ星!・・・。あっ、願い事言うの忘れた・・・。」というやり取りを何度も繰り返していました。もしも願い事を言えていたなら、またこの場所にこれますように・・・と願っていたような気がします。(日裏)
※今回このブログに掲載している星空の写真は実際にツアーにご参加頂いたお客様がテカポ湖でプロのカメラマンさんに撮ってもらったお写真です。
ユーラシア旅行社で行くニュージーランドツアーの魅力はこちら
2016年10月18日 (火)
チェコの歴史がぎゅっとつまった“農民バロック”の小さな村「ホラショヴィツェ」
2016年10月14日 (金)
コーカサス三国と日本の深い関係
先日、「民族と文明の道、コーカサス三国周遊」の添乗から戻って参りました。コーカサス三国は、昔からシルクロードが通る東西の交通の要衝であり、文化・宗教・民族の異なる見どころ満載の3ヵ国を周遊して参りました。
いきなりですが、皆様は日本の和食がユネスコ無形文化遺産に登録されたのを覚えていらっしゃいますでしょうか。登録に際する政府間委員会が開かれた場所が、アゼルバイジャンのバクーでした。今回は、コーカサス三国と日本の関係性に焦点を絞り、ご紹介させて頂きます。
コーカサス三国のアゼルバイジャンには、天然資源が豊富に眠っており、首都バクーには近代的な建物が並びます。コーカサス三国の中で特に親日度が高いと感じた国が、アゼルバイジャンでした。上記のユネスコ政府間委員会の場所となったこともあり、和食が広く知られています。バクー郊外の拝火教寺院を訪れた際には、私たちが日本人である事がわかると、記念写真も求められる等、現地人から喜ばれたこともありました。アゼルバイジャンは外交上トルコと親しい国であり、同じく親日国家でもあると感じました。
コーカサス三国第2の国ジョージアはワイン発祥の地であるほか、格闘技王国として知られています。柔道を始め、来日して相撲の勉強するジョージア人がいます。史上初のヨーロッパ出身の関取として名をはせたのが、あの有名な黒海です。黒海はすでに引退していますが、その他にもジョージア出身の大相撲力士に現役のトビリシ出身の臥牙丸とムツヘタ出身の栃ノ心がいます。
また、日本で有名なのはカスピ海ヨーグルト。1986年に長寿食文化の研究をしていた家森幸男博士がジョージアから自家製のヨーグルトを日本に持ち帰ったことが始まりです。ジョージアのカヘチ地方では、民家にて自家製のカスピ海ヨーグルト「マツォーニ」をお召し上がり頂きました。
第3の国アルメニアは、世界で最も早くキリスト教を国教と定めた歴史の深い国です。アルメニアでは、国際協力により日本が建てた集合住宅地をよく目にしました。アルメニアは、アルプス・ヒマラヤ造山帯に位置しており、日本と同じように地震の被害を受けてきた国でした。1988年にアゼルバイジャン北西部で起きた大地震の際には、日本は緊急援助隊の派遣や建設機材を供与しました。そして、2011年の東日本大震災の際には、アルメニアから援助隊派遣の申し出があったほか、義援金が提供されました。2012年には外交関係樹立20年を迎え、友好関係を深めています。また、アルメニアでは、日本のアニメや和食が流行しており、エレバンには日本人が経営している和食レストランもあります。
上記のように日本と関係が深いコーカサス三国ですが、ジョージアの現地ガイドさんのお話では、まだ日本をアジアの中であまり区別できず、中国・韓国・日本が混同してしまう人も多いそうです。その時に感じたのは、戦後から長い年月が経った現在、日本人のコーカサス三国の認知度もまだまだではないかということでした。日本人の若い方の多くが、三ヵ国が混同してしまうどころか、国名を挙げることができないのではないかと思います。素朴で美しい景色を見ることができるコーカサス三国は、親切な方ばかりで日本との接点さえ感じました。今後の日本とコーカサス三国の関係に、期待を膨らませた9日間になりました。(松本)
2016年10月13日 (木)
2億8000万年前の歴史を感じる化石の森(ナミビア)
先日、ユーラシア旅行社の「ナミビア・スペシャル 8日間」の添乗より帰国致しました。エトーシャ国立公園にてドライブサファリを楽しんだり、世界一美しい民族といわれるヒンバ族の村を訪ねたりと、ナミビアの魅力が凝縮された8日間でした。
ナミビアの「ナミブ」とはサン族の言葉で、「何もない」という意味し、
世界最古の砂漠ナミブ砂漠にちなんでつけられています。
実際に移動中は草原や砂漠などの見渡す限りの大自然が広がっており、モンゴルについで世界で二番目に人口密度が低い国であることも実感できます。
今回、ダマラランド地方にある化石の森を訪れました。
ダマラランド地方は2億8000万年前の大陸移動と地殻変動の影響を受けた地域で、このあたりでは地上に吹き出たよう溶岩が急速に冷却、圧縮されて出来た柱状節理の岩「パイプオルガンの岩」や溶岩が降りかかって熱で焼けて黒くなった砂岩の山「バーントマウンテン」など特異な光景がご覧頂けて、またナミビアの中でも珍しく起伏が激しい地域です。
2億8000万年前の大陸移動と地殻変動は火山活動だけでなく、大洪水ももたらし、コンゴ盆地から流れてきた流木をこの起伏が激しいダマランド地方の山々が堰き止めました。
その後、流木が炭化せずに地下に埋まり木の中の酸素や水素が溶けて化石化(珪岩化)し、風化によって地中から顔を出した木がまるで岩のようにゴロゴロ転がった場所がこの化石の森。
乾燥が激しいこの地域では微生物の動きが鈍く化石化しやすいだけでなく、化学変化もよく起こり、マツの木の一部が石英や水晶、場合によってはオパールになったりすることもあるそう。
そのため、持ち出されないようにナミビアでは化石化した木を人工的に掘り出すことが法律で禁止されており、実際に持ち出すと実刑になります。
化石の森といってもアンモナイトの化石があるわけでく、決して派手なものではありませんが、マツの木などの年輪や樹皮など2億年以上昔の植物の化石が間近で見られること、そして化石化したことによって本来の木の倍以上の重さになっている不思議さなど、歴史が育んだロマンをかきたてるものでした。(三浦)
2016年10月12日 (水)
世界で最も美しい本屋の一つ・・・レロファミリーの本屋さん
先日、「ポルトガル・ハイライト9日間」のツアーから帰国しました。東京では連日、どんより曇り空か雨だったのにも関わらず、ポルトガルでは心地よい快晴が続き、一度も傘の出番がありませんでした。乾季にあたるこの時期は日中も暑くもなく、寒くもなく、非常に過ごしやすい時期なのです。
ポルトガル第二の都市、ポートワインで有名なポルトでも、街のベンチや広場でもひなたぼっこがてら、読書を楽しむ人々を多く目にします。そしてここポルトでは、最も美しい本屋の一つとして、話題となっている、ある本屋があります。
その本屋の名前は「レロ・イ・イルマオン」。映画ハリーポッターシリーズのモデルになったと言われている場所でもあります。作者のJKローリングはここポルトの街に英語教師として、数年間滞在していたそうです。外観は派手ではないけれども、ネオ・クラシック様式のファザード目を引く造りになっており、内部はどのような造りなのだろうと、訪れる人の想像力を掻き立てます。今日では入場料を払わなければならず、日中は観光客で溢れ、人気の観光スポットとなっています。中はレトロで木のぬくもりが感じられ、入った瞬間ついついカメラを手にとってしまいます。この雰囲気にどっぷりはまってしまうと、魔法の呪文の本が置いてあるのでは・・・とイメージを膨らませてしまうのもわかるのですが、残念ながら、趣味の本から専門書まで、品ぞろえは普通の本屋と変わりません。目玉は、しなやかな曲線をえがき、細かい彫刻が施された、中央に堂々とかまえた螺旋階段。この形がなんともユニークで、この本屋を有名にした、一つの要因となっています。そして上も見上げてみると、天井には見事なステンドグラスが。うっすら光が差し込み、その鮮やかな色合いに思わずうっとりしてしまいます。創業は1869年。レロさん一家をオーナーとして、この本屋はオープンしました。現在の場所には1906年に移転したと言われています。
別に本を買いたいわけではないのに、なぜかその場に居座りたくなってしまう、魅力あふれる本屋さん。英語で書かれた可愛らしい絵本もあり、記念としてお土産に一つ買うのもいいかもしれません。(荒川)
ユーラシア旅行社でいく、ポルトガルツアーの魅力
2016年10月11日 (火)
乾季のウユニ塩湖の秘密(ボリビア)
2016年10月 7日 (金)
絶壁に架かる懸空寺へ~中原を訪ねて~
2016年10月 6日 (木)
とっておきの黄葉ハイキング(スウェーデン、ノルウェー)
先日、「アビスコ国立公園とロフォーテン諸島を歩く9日間」の添乗より帰国致しました。ほぼ毎日、3時間程の初級程度のハイキングを楽しむコースです。旅の初めはスウェーデンの北極圏に位置しノルウェーの国境近くでもあるアビスコ国立公園からスタート。
私達が訪れた9月初旬から中旬はまさに黄葉の真っ最中。まだ夏の暑さを感じて出発した日本とは想像もつかない風景が広がっていました。朝晩はフリースに軽めのダウンジャケット、さらにその上にウインドブレーカーを羽織るような気候です。南北約20キロ、東西約5キロという広大なアビスコ国立公園の中で「王様の散歩道」と呼ばれているハイキングルートの一部(約5キロ)をのんびりと歩きました。足元はほぼ平坦。砂利道や木道の上を歩きます。渓谷や小さな池もあり飽きさせません。何といっても黄葉した白樺と氷河によって削られたラッポルテン山がここの景色の主役です。途中、そんな大自然の真っただ中でサンドイッチのお弁当タイム。天気は曇ったり晴れたりと変わり易かったのですが、何とも贅沢な時間を過ごしました。翌日は、この国立公園を見下ろすニューラ山へ。標高は1164mの山ですが、ここへは途中までチェアリフトで上がります。約20分の空中散歩。ここからの景色がまた最高です!ラッポルテン山とアビスコの黄葉の海が眼下一面に広がり、その景色に圧倒されました。
たっぷり楽しんだアビスコの黄葉の後は、“世界で最も美しい航路”と言われる沿岸急行船に乗船しロフォーテン諸島へ移動しました。約10時間という移動時間も甲板や広々とした船内のラウンジから景色を楽しんでいると、結構あっという間でした。船上からの一番の景色はラフテスンデ海峡を通る時です。ロフォーテンでは、かつて氷河の浸食により形成された切り立った岩山が海面に突き出てそれは独特の景観を造っています。狭い海峡では船の両側に岩肌がはっきりと見える程の迫力です。朝方は小雨だったのが、見所のラフテスンデ海峡とトロルフィヨルドに入る頃にはすっかり晴れて、幸運に恵まれました。
ロフォーテンでは、中心の街となるスヴォルヴァーから少し郊外にでると、まるで絵画の中にいるような美しい風景の中をバスは走ります。入江の奥にひっそりと佇む漁村レイネから小舟でさらに入江の奥へ。そこから再び約3時間のハイキングです。歩いているのは、私達といくつかの欧米人の個人客。こんな景色を静かに楽しめるのも、まだまだ知られていないロフォーテンだからでしょうか。どこをとっても絵になるロフォーテン。写真家の憧れの地と言われているのもわかりました。夜は、毎晩オーロラを見るべく、ホテルの外へ出ました。一度だけ、とても動きのあるオーロラをスヴォルヴァーのホテル裏から見ることができました。そんな旅の嬉しいおまけが付いた今回の旅。また是非行きたい、とっておきの場所。次もまた秋がいいですね。(帯津)
2016年10月 5日 (水)
幻のワイルドフラワーを発見!(オーストラリア)
先日、ユーラシア旅行社の「西オーストラリア周遊とワイルドフラワー観賞の旅 9日間」のツアーより帰国致しました。ツアー中ほぼ晴天で、まさにワイルドフラワー観賞日和!春を迎える西オーストラリアを多種多様なワイルドフラワーを探しながら、巡ってまいりました。オーストラリアは、大陸移動により約6500万年前にゴンドワナ大陸から分裂し、他の地域から隔絶されてきた為、実に約1万2千種もの珍しいワイルドフラワーが自生しています。しかも、その約8割の種はオーストラリアでしか見ることのできない、貴重な固有種です。
ユーラシア旅行社で行く西オーストラリアツアーの魅力はこちら
2016年10月 4日 (火)
「ギニア湾に浮かぶ食の宝庫!サントメ・プリンシペ」
先日、「中央アフリカの5カ国大周遊」の旅より帰国致しました。アフリカ中央部にある、コンゴ共和国、サントメ・プリンシペ、赤道ギニア、カメルーン、ガボンの5カ国を訪れて来ました。
皆様の中には、聞きなれない国々ばかりで一体どんな国?何があるの?という所かもしれません。
カメルーンは2002年のワールドカップ以降、認知度が上がったと思いますが、その他4ヶ国は未だ未だ認知度が低いのではないでしょうか?中でもサントメ・プリンシペは、「世界で最も認知度が低い国」とまで言われてしまっていますので、今日はサントメ・プリンシペにスポットを当てていきたいと思います。
このサントメ・プリンシペは、ギニア湾に浮かぶ、サントメ(聖トメ)島とプリンシペ(王子)島という2つの主要な島から成りますが、アフリカでは、セイシェルに次ぐ2番目に小さな島で面積が東京都の半分程度しかなく、人口は現在27万人程です。日本で言うと、小さな市の人口と変わらないですよね。アクセスも悪い上、独立も1975年とまだまだ若い国の為知名度が低いようです。
ですが、見所は盛り沢山!あるのです。
かつて、この国は、1470年にポルトガル人が渡来し、町を築いた為、教会や主要な建造物にはポルトガルの影響が残り、どこかノスタルジックな雰囲気が残っています。
植民地化した後の16~17世紀頃には、奴隷貿易の一大中継地となり、カカオを始め、様々なプランテーション等によって発展していき、現在も国の経済を支えています。
実際にツアーでは、カカオプランテーションを訪れ、収穫したてのフレッシュなカカオ~出荷までの過程の見学や、コーヒー工場では、コーヒーが焙煎されるまでの流れを見たり、車窓からは、多くのカカオやバナナ、椰子の木等を眺めながら走りました。ここは、海に囲まれて居ながら緑も豊かな為、様々な野菜やフルーツも獲れ、食材も豊かな為お料理もとて
も美味しいです。西欧の影響が大きく、レストランも洗練されている所ばかりです。高温多湿な気候も相まって、西欧よりスパイシーな味付けは比較的多いですが、それが逆にサントメらしく独創的で更に美味しさが増しているようにも感じます。
何と!今回の昼食では、計10皿ものフルコース!でした。前菜だけで6皿、メイン1皿、
デザート3皿ものサーブがあるのです。10皿もあるにも関わらず、一皿毎に全く異なる
世界観が広がり、次はどんな料理が出てくるのかが楽しみでたまりません。サントメ産の
食材がシェフの手に掛かれば、まるで魔法にでも掛かったかのように素晴らしい芸術作品
に仕上がるのです。味覚だけでなく、視覚、嗅覚を刺激してくれ、食を心から楽しませて
くれました。中央アフリカにてこんなにも贅沢な時間を過ごせるとは。。
海に囲まれた常夏の島国で野菜やフルーツが豊富で、ポルトガル領であったこともあり、人々は陽気で非常に懐っこい国民性で、他4ヶ国の中央アフリカと比べ雰囲気は全く異なり、不思議な魅力に溢れているサントメ・プリンシペは、まさに楽園のようでした!(井手)
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