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2016年11月

2016年11月30日 (水)

鉛色の空、鈍色(にびいろ)の海(長崎・五島列島)

先日長崎の「五島列島・巡礼の旅4日間」から帰ってきました。
長崎は安土桃山から江戸時代にかけての250年間の長きに渡り、島原、天草と共に凄まじいキリシタン弾圧の嵐が吹き荒れた場所です。鎖国時代が終わり、明治時代になってからようやくキリスト教信仰が認められ、島の人々は貧しいながらも漁で得た僅かな金を持ち寄り、手作り感溢れる教会を各地に建て始めました。
決して規模は大きくありませんが、日本らしく瓦屋根の木造りであったり、立派に石を積み上げた教会もあれば、優しいパステルカラーで特産の椿や桜の花びらを天井やステンドグラスに描いた教会もありました。
今回の旅では五島列島を小舟で、時にはローカル路線バスを貸切って小さな教会を巡ってきました。
水辺に映る姿が白鳥のような中ノ浦教会
自身がキリスト教徒でもあった遠藤周作はこの五島列島を舞台に、あの怖ろしくて、暗い、悍ましい弾圧の時代に生きた日本人キリシタン達と命懸けで日本に渡って来た司祭を主人公に小説「沈黙」を描きました。主人公のポルトガル人司祭と日本人キリシタンのキチジローの苦悩を通して、真の信仰とは何かと問いた、深いテーマの物語です。実はこの小説、最近ハリウッドで映画化され、2017年1月に公開予定です。「シンドラーのリスト」で主人公を務めたリーアム・ニーソンさんや日本からは窪塚洋介さん、浅野忠信さん、イッセー尾形さんといった俳優陣も出演しています。
小説の中で遠藤周作はあの暗く、恐ろしい時代を表す為に五島の自然を「鉛色の空」、「鈍色の海」と描写しています。あまり聞き慣れませんが「鈍色」とは濃い灰色だそうです。
その小説を読んだ後で島を訪れたので、勝手に「西の果てにある曇天の薄暗い島々」をイメージしていましたが、実際に私が目にした島の風景は全く異なっていました。空き晴れの澄んだ青空からは明るい陽光が降り注ぎ、島は深い緑色の森に覆われいます。海面がキラキラと輝く穏やかな入り江と小さな漁村がいくつも点在している風光明媚な島でした。
そして今回の旅で一番印象的だったのが教会のミサです。
たまたま宿泊した宿のそばに教会があり、ちょうど日曜日の朝にゆとりがあったので教会を少し覗きました。山中にひっそりと佇んでいるような教会でしたが、ミサの時間になると地元の人々が自然と集まり、あっという間に小さな堂内は参列者でいっぱいになりました。女性達は伝統のベールを被っています。信者たちを導く司祭の静かな祈りの声。透き通った清らかな聖歌が堂内に響きます。
長く恐ろしい暗黒時代もくぐり抜けた信仰。
司祭や神父がいなくても、村人達が伝え守ってきた神様の教え。
何気無い日曜のミサで純粋な信仰心を垣間見たような気がしました。(上田)

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2016年11月29日 (火)

「天空列車、青海チベット鉄道に乗って、太陽の都ラサへ」

青海チベット鉄道の車窓からの景色

先日、10月18日発「青海チベット鉄道とヒマラヤ・エベレストを眺望 14日間」のツアーより帰国いたしました。今回のツアーは、西寧から出発して、2009年に完成した青海チベット鉄道に乗車し、全長1,956kmの旅を経て、太陽の都ラサへ向かうロマンあふれる旅です。

 

念願の青海チベット鉄道に乗車して、旅をする事に憧れを抱いている方も多いはずです。なぜなら、青海チベット鉄道の車窓から望む景色は、天候が許せば山脈の絶景の連続。チベットの旅行シーズンは、雨の少ない乾期の9月~5月。エベレストをはじめとするヒマラヤ山脈も、快晴率の高いこの時期がおすすめです。今回は、秋晴れが続く西寧の駅を20時30分に出発。そこからラサまでの、約22時間の列車の旅が幕を開けました。

 

午前7時50分頃、やっと周囲が明るくなり始め、チベットの朝が始まります。

その頃列車はすでに、11時間ほど走りゴルムドを過ぎ長江の源流とされているトト河が流れる周辺を走っていました。朝日に輝く河の源流が、この広大なチベット高原を流れ、やがてアジアで最長の大河となっていくのだと思うと大変感動的です。

そして、チベット鉄道の最高地点タングラ峠は、標高5068m。皆様、窓にはりつけになり、カメラを構えてなんとかタングラ峠にある駅の看板をとらえようとします。青海チベット鉄道は、基本どの駅にも停車せずに進んでいきます。ですから、駅の看板の写真を撮りたくてもなかなかその機会がないのです。今回、幸運にも列車はタングラ山脈の駅に近付くと徐行をしてくれました。カメラのシャッターモードを使って撮影するのがポイントのようです。

さらに、車窓を眺めていると、やがて世界で最も高所にある湖の一つであるツォナ湖や、標高7,147mの真っ白な雪を抱いたニンチェンタングラ、野生のヤクや羊の無数の群れなど、チベットの素晴らしい絶景が次々と現れ、私たちを飽きさせません。

そんな充実した時間を過ごしているうちに、22時間の列車の旅はアッという間に終わりに近づき、青海チベット鉄道の旅の終着地、ラサに到着です。駅に到着する前に、ラサのシンボルであるポタラ宮が遠望できました。

車内で到着を待つ間、「いよいよ明日は、チベット仏教の聖地のポタラ宮に行くんだね!」と会話を弾ませながら、私たちは明日からのチベット観光に期待を膨らませていました。(堤)


ユーラシア旅行社で行くチベット青海鉄道ツアーの魅力はこちら

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2016年11月25日 (金)

秋深まるルーマニア!伝統が息づくマラムレシュ地方にて

先日、「フォークロアの郷、ルーマニア紀行 10日間」の添乗より帰国致しました。

ルーマニアでは、木々も色付き始め、すっかり秋が深まりつつあります。日本の紅葉といえば、真っ赤なモミジを想像されるかと思いますが、ルーマニアでは赤や黄色、橙色といった多色に染まります。このツアーでは、カルパチア山脈やトランシルヴァニア山脈がそびえる起伏に飛んだ国土を南はブカレスト、北はウクライナ国境近くのサプンツァの村まで、国土をぐるりとバスで巡ります。秋だからこそお楽しみ頂ける黄金色に輝く“黄葉ドライブ”も旅の醍醐味と言えるでしょう。

ビエルタンの要塞聖堂

その中でも旅の中盤で訪れた「マラムレシュ地方」では、古き良きヨーロッパを感じさせるという観点からヨーロッパ内でも注目されています。ルーマニアは元々イタリアやスペインといったラテン系の民族の国ですが(ルーマニア語もイタリア語にそっくり!)、歴史の波に飲まれ、ドイツ系の住民やハンガリー系の住民、ジプシー(ロマ)など多様な民族が現在も住んでいます。そのため、家の材質や街並み、言語、宗教、生活などは村によって様々ですが、このマラムレシュ地方の村々は生粋のルーマニア人しか住んでいないため、昔ながらの素朴な伝統や暮らしが今なお息づいています。

この伝統を身近に感じられるのは、日曜日のミサです。村人たちは、民族衣装を身に付け教会へ集います。各国共通かもしれませんが、年配の方を大切にするという習慣から年配の方は教会の中で、若者は教会の外で祈りを捧げます。ミサは大体10時頃から始まるのですが、村人たちは朝から何も口にしません。ミサを終えて、清やかになった身体にパンとワインを口に入れた後、家路について、ようやく最初のお食事をとります。
ミサの日は働き者の村人たちは、お仕事はお休み。お食事の後は、家の門のベンチで日向ぼっこです。彼らは電気は生活に必要ないと考えるため、まだ明るいうちに夕食を食べ、月曜日からのお仕事に備え、暗くなる頃には床に就きます。

マラムレシュ地方のミサ帰りの村人

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2016年11月24日 (木)

進化を続ける南疆鉄道(新疆)

南疆鉄道車内

この度「南疆鉄道乗車と新疆シルクロード物語 15日間」より戻りました。
今回のツアーでは、ウルムチからカシュガルまでのシルクロードのオアシスを辿りました。途中乗車した南疆鉄道は新疆ウイグル自治区の主要鉄道路線で、トルファンから1971年に工事が始まり、1984年にコルラまで、1999年12月にカシュガルまで開通した路線です。比較的新しい路線ですが、その進化はまだまだ止まりません。
毎回行く度に何かが変わっている南疆線。前回訪れた際は、寝台列車で11時間ほどかけて行ったトルファンからコルラですが、その時間はどんどん短縮され今回はなんと2時間40分ほどで到着。毎月のように新しいトンネルができ、新しい線路が引かれ、新しい車両に変わっているこの鉄道を見ると、そのインフラ発展の速さにさすが中国と驚き感心するばかりでした。南疆鉄道と聞くとガタンゴトンと揺られながら砂漠をゆっくり走る電車を想像する方も少なくないかと思いますが、最高速度は今やなんと160キロ近く。そして160キロも速度が出ているのに音も無くすーっと進みます。4人1部屋で談笑しながらふっとテーブルの上のコーヒーを見て更にびっくり!コーヒーの表面が全くもって揺れていません!これにはお客様も驚かれていました。(竜崎)
 

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2016年11月22日 (火)

一生に一度は入りたい!青の洞窟へ(イタリア)

Photo

先日、イタリア13日間のツアーから帰国しました。ミラノからヴェネツィア、フィレンツェ、ローマ、ナポリとイタリアを代表する町のみを巡り、観光地はもちろんのこと、イタリアの文化、食事と余すことなく満喫してまいりました。秋の過ごしやすい天候で、特に南イタリアではお天気にも恵まれました。南北に長いイタリア、天候も人の性格も南北で全く違うのが面白いです。
 
 今回、南イタリアではナポリ、アマルフィ、カプリ島へ行ってまいりました。カプリ島では青の洞窟にも挑戦。青の洞窟は天候が良い、波が少ないという条件が揃った時のみしか入ることができない運次第の観光地。当日はドキドキしながらナポリを出発しジェットフォイルに乗って約一時間、カプリ島の港へ到着。港に到着してもまだ入れるかの確証はありません。さらに、約20分かけてジェットボートで青の洞窟の入り口へ。幸運にも洞窟に入れそうという報告があり、グループは大盛り上がり!私もホッと一安心しました。洞窟の入り口は目の前に着いても「どこから入るの?!」と思うくらい小さな穴です。昔、ローマ時代には3mほどあったそうですが、今は海面上昇により半分の1.5mになってしまいました。船に座ったままでは入れず、4人乗りの手漕ぎ舟でみんなが仰向けに倒れて洞窟内へ入ります。
小さな入口ですが、中は広く何隻もの舟が入ることが出来ます。洞窟の入口からは太陽の光が海中に差し、光の反射の作用で光の当たった部分が真っ青に光るのです。その光景は言葉にならない美しさ。世界中からこれを見るためにわざわざカプリ島に訪れるのも納得です。なかなか入ることが難しい場所だからこそ入れたときの感動はひとしお!
 
 そんな青の洞窟があるカプリ島も魅力がいっぱい。燦燦と差す太陽の下、白の可愛らしい建物と真っ青な海と地中海地域らしい美しい景色が見られます。最近は世界中のセレブがこぞって別荘を建てているそうです。私もいつかこんなところに別荘を構えたい!と思いました。(杉林)

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2016年11月18日 (金)

生を生きる前に死を生きた…奇才サルバドール・ダリの世界へようこそ

先日、「魅惑のバルセロナ、ガウディと世紀末芸術を巡る 8日間」のツアーより帰国。
現代建築の宝庫であるバルセロナ。天才建築家として名の通ったガウディ。型破りな発想と匠な建築技術で、次々と人々を魅了し、驚かせてきたガウディですが、そのガウディと並んで、奇才と称されるのが、「サルバドール・ダリ」。バルセロナから2時間弱、バスを走らせ、彼の故郷であるフィゲラスの街まで今回は足をのばしました。彼の創り上げた美術館に一歩足を踏み入れると、途端に彼の独特な世界へ引きづりこまれていきます・・・

ダリ美術館

「生を生きる前に死を生きた」というダリの想い。生と死、そして記憶。彼の想いが全てつまっているのが、このダリ劇場美術館です。サルバドール・ダリは1904年にフィゲラスで生まれました。マドリッドの美術学校に入学するも、最終的には大学側と対立し、永久追放。「有能な教授がいない」と言い放ったとか。そして、「ルーブル美術館へ行くよりも前に、あなたに会いにきました」とピカソのアトリエを訪れ、ジョアン・ミロとの出会い等を経て、シュールレアリスト・グループ(超現実主義)の仲間入りを果たします。ダリに多大なる影響を与えた、生涯パートナーとなる、ガラとの出会いは1929年。そこからはガラを登場させた宗教画を連作します。シュール・レアリストグループを抜けた後、第二次世界対戦を経て、なんと原子核に興味を持ち、モチーフとした絵を発表していた時期もあります。晩年には鮮やかな水彩画も多数描いており、ガラが亡くなると、引きこもりがちになってしまい、ダリは85歳でその生涯を閉じました。

ダリ美術館、雨降りタクシー

ダリ美術館は、1974年、ダリが70歳の時にオープンしました。
有名なのは、中庭にあるキャデラックは「雨降りタクシー」と呼ばれる作品。普通はもちろん車の外に雨が降っているものであるが、この作品は車内に雨を降らせ、水浸しにしてしまうのです。何気ない普段の生活の中に、ダリがよく作品に用いる、「逆転」の発想を取り入れた、なんとも滑稽な(私が感ずるに)作品となっています。ダリの代表的な手法といえば、ダブル・イメージ。一つのあるイメージを別の何かのイメージと重ね合わせる表現方法で、だまし絵のような感覚かもしれません。そのことを念頭に、美術館をまわると、さらに理解が深まる気がします。ダリの作風が時代ごとに全く違っているのが、明確で、非常に興味深いです。
もしダリの世界に興味が湧いてきた方は、是非、近郊の漁村カゲタスを訪れてみてほしい。ダリの父がこの村の出身で、別荘を所有していたことから、バカンスを漁村カゲタスで過ごすのは少年ダリの楽しみであったようです。その風光明媚な風景にインスピレーションを受け、描いた絵は数知れず…さらにダリの虜になってしまっているはずです。(荒川)

ユーラシア旅行社で行くスペインツアーの一覧はこちら

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2016年11月17日 (木)

ジャカランダシティ、プレトリアへ(南アフリカ)

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先日、ユーラシア旅行社の「ナミブ砂漠と南部アフリカ5カ国大周遊 11日間」のツアーより帰国致しました。南部アフリカ5ヵ国とはナミビア・ジンバブエ・ザンビア・ボツアナ・南アフリカのこと。絶景で有名なナミブ砂漠から始まり、世界の三大瀑布のひとつでもあるビクトリアの滝や象が有名なボツワナのチョベ国立公園のサファリ、南アフリカではアフリカ大陸最西南端、喜望峰等、見所たっぷりの南部アフリカをぐるっと巡ってまいりました。

そんな中で10月に出発するこのツアーの一番の魅力は、やはり春を迎え満開に咲き誇る南アフリカ、プレトリアのジャカランダでしょう。1888年に農夫が南米より持ち帰った2本の苗木から始まったジャカランダは、瞬く間に広がり現在約7万本と言われています。7万と言ってもなかなかピンとくる数ではないですが、ホテルの前にはもちろん、ほぼ全ての道路脇にはジャカランダ。並木道は1本どころでなく、右を見ても左を見ても、ずっと紫色の花が目に入ります。なかなか日本では目にしない色に見とれてしまいました。

観光ももちろんジャカランダ尽くし。珍しい白いジャカランダも見て、ランチはジャカランダのふもとで。また、プレトリアに初めて植えられた記念すべきファーストジャカランダを見にサニーサイド小学校にも訪れました。樹齢120年のジャカランダは今も健在。根をしっかりはり、花をいっぱい咲かせていました。春は桜もいいけれど、ジャカランダで迎える遠い南半球の春も素敵でした。(五島)

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2016年11月16日 (水)

紅葉の白神山地でブナの森について学ぶ

 この度、ユーラシア旅行社の「紅葉の白神山地と十二湖を歩く3日間」より戻りました。

岩木山

 白神山地は青森県と山形県にまたがるブナの原生林の地域で、1993年、九州の屋久島とともに、日本で初めて世界自然遺産に登録されました。そのきっかけは、地元の人々による林道建設反対運動だったそうです。当時、ただ反対するだけでは説得力が無いという事で、地質や植生など様々な方面の調査を依頼したそうです。その結果、人の影響をほとんど受けていないブナの原生林の規模が世界最大級だという事がわかり、そこに生きる動植物の生態系も守るべきものとみなされ、林道の建設も中止となり世界遺産登録に至ったのです。
 ツアーでは“ミニ白神”と呼ばれる「白神の森遊山道」と「十二湖」、そして世界遺産エリアの「世界遺産の径(みち)ブナ林散策道」の3ヵ所のハイキングをそれぞれ地元ガイドさんの案内で楽しみました。

ブナの実

 ブナは他の木に比べて成長が遅く、樹齢100年の木でも40cmほどの太さしかありません。条件によって成長度合いも違うので樹齢ははっきりとは分かりませんが、表面に地衣植物がついている木は立派な大人の木だそうです。ブナは大木ですが、木の実はとても小さいです。ガイドさんが固い殻を割って中の実を見せてくれました。これを体の大きな熊がひとつずつ拾って食べているのかと思うと足りるのかな?と思ってしまいます。食べてみるとしっとりとした濃厚なクルミのような味。高カロリーで冬眠前の熊や他の動物たちにとっての大切な栄養になるそうです。6~7年に一度しか実をつけません、今年は実をつけない木が多かったので、熊が餌をさがして里に下りて来た!という目撃情報が多いようです。
 ブナは木の上の方に枝と葉をつけるので、山の中なのに明るく見晴しが良く、広々としています。葉は秋になると黄色くなり、日の光を受けてキラキラと輝き、とても綺麗です。
 今年はいつもより暖かく紅葉が始まるのが遅かったそうです。ツアー初日に新青森駅に到着した日の紅葉はまだ色付き始めたばかりという印象でしたが、バスの移動の度に目にする岩木山は日を追うごとに色付いていくのが感じられました。

白神山地の紅葉

 ガイドさんは毎日のように森に入りますが、時間、天候、気温、植物の変化など、いつ見ても様子が違い、一度でも同じ景色は無いと言っていました。
 ところで、紅葉の綺麗な白神山地のガイドさんの所にも旅行会社から紅葉ツアーのパンフレットが届くそうです。白神ではすっかり紅葉シーズンの終わった12月頃に「京都の紅葉を見に行きませんか?」と。ガイドさんは「白神の紅葉が一番綺麗だと思っているけど、他にも綺麗な場所があるなら見たいよね。」と笑っていました。

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2016年11月15日 (火)

巡礼路のおもてなし(北スペイン)

10/6発「聖地サンティアゴへのラスト100kmを歩く14日間」に行ってきました。巡礼歩き中、10月の気温は、朝6~10℃、日中15~22℃と通年の日本でいう11月ごろの気温でした。数字だけ見ると寒そうだな、と思われる最低気温も歩き始めるとポカポカしだすのでダウンやフリースの出番はほとんどありませんでした。巡礼路は、山中、林道、車道沿い、民家沿い、村の中と様々。道はしっかり整備されており、また道中適度な間隔で村や巡礼者を休めてくれるバール、カフェ・レストラン、巡礼宿などがありました。特に巡礼歩き中にたびたびお世話になるのはトイレ休憩となるバールやカフェ・レストラン。

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ほとんどのバールやカフェはこじんまりしたもので、休憩する巡礼者で混雑していました。ひっきりなしに注文が相次ぐ狭いカウンターには1人か2人くらいの少人数スタッフで対応。忙しそうなのに、それを感じさせず、さりげない注文を聞く言葉から柔らかさを感じました。レストランでは、忙しそうに料理を運ぶのにどこか笑顔だったり、巡礼者の人と会話をするスタッフの姿を見かけることも。さまざまな国からやってきた巡礼者たちに道中の情報を教えていたり、何気ない会話を楽しんでいたりで賑やかなレストランもありました。スペインでは日曜は普通お店など休みになるものですが、巡礼路沿いのバールやカフェ、巡礼者が休息する街のスーパーは開いていて迎えてくれました。

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巡礼路は、道自体の整備以外に分帰路には矢印やモホンというサンティアゴまでのキロ数表記+道しるべとなる石が設置され、とても歩きやすい道でした。そうした道も当然にしてできたわけではなく、巡礼者の為にと道の整備や道しるべを設置する働きをしてくれた人がいたからこそのもので、この歩きやすい道もそうした地元の人の思いやりからできているものだと思いながら、歩を進めながら、遠い過去から現在に至るまで巡礼者を見守り、支えてくれる人たちに感謝の気持ちが湧き出てきました。
秋を思わせる光景は山中の栗の木がたくさん実をつけ、道に落ちていました。林檎やイチジクの木、ベリーも実を付け、道中でよく見かけました。もやがかかる朝方のひんやりした空気の中、ユーカリ並木を歩くとユーカリの成分を含んだ霧のなかでの深呼吸は最高のアロマでした。

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巡礼路を歩いて、現在と過去の現地の人達と自然から、たくさんのおもてなしを受けてきました。さりげないことでも人を迎え入れる気持ちをもって、接してくれる。それだけで心温まる十分なおもてなしだと思わされた巡礼歩きでした。

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2016年11月11日 (金)

ロマンチックなブレッド湖(スロヴェニア)

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先日「スロヴェニア・クロアチア物語16日間」の添乗より帰国致しました。秋で木々が徐々に黄葉しはじめたスロヴェニアから旅は始まり、澄んだ空気の中でのハイキングやヨーロッパ最大級の鍾乳洞を見学したら、アドリア海の海岸線を南下し美食の宝庫イシュトラ半島の街や、風光明媚なプリトビッツェ国立公園、オレンジ色の屋根が可愛らしいドブロヴニクで旅を締めくくる!毎日見所に溢れ、あっという間の16日間でした。
個人的にスロヴェニアとクロアチアはヨーロッパの中で3本の指に入るくらい好きなところで、「どの観光地が好き?」と聞かれると、一つに絞るのは難しいのですが、スロヴェニアのロマンチックなブレッド湖は私のお気に入りの場所です。

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ブレッド湖に浮かぶ小さな島・ブレッド島には聖母マリア教会があります。ここに伝わる逸話によると、その昔、愛する夫を失った女性が、夫が生き返ることを願って崖から湖にベルを投げました。しかし夫は生き返らず、女は悲しみに暮れ、修道女になりました。当時のローマ法王がこの話を聞き、すべての人の願いが叶うことを祈って、教会に鐘楼を寄付しました。

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もちろん、その鐘楼は現在も存在し、聖母マリア教会に入ると、中央にロープが垂れ下がっています。このロープを引いて鐘がなると願いが叶うと言われています。神社の鈴とは違うので一度ロープを引けは音が鳴るというものではなく、音を鳴らすには少しコツがいります。ポイントは吊るされている鐘が左右によく揺れるように、間を空けず連続で3~5回ロープを力いっぱい引くということ。そうするとカラーン、カラーンと外から鐘の音が聞こえてくるでしょう。
また、聖母マリア教会はスロヴェニア人の憧れの結婚式場なのだとか。ここで結婚式を挙げるカップルには最初の試練が待ち受けています。教会までは約100段の階段が続くのですが、新郎は新婦を抱きかかえてこの階段上りきるという伝統があるのです。その為、結婚式の日取りが決まったら、新郎は筋トレ、新婦はダイエットに励むそうです。こんな可愛らしい場所で結婚式が挙げられるのなら、この為に努力しようという花嫁たちの女心にも納得です。私も結婚式を挙げるなら是非ここで!と憧れてしまいます。まずは相手を見つける必要がありますが、相手が見つかったときに向け、ダイエットも同時進行で励まなくてはと心に誓う今日この頃です。(市川)

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2016年11月10日 (木)

スペインにあってスペインに非ず、モロッコにあってモロッコに非ず、それはどこ? 地中海沿岸の飛び地を巡る。

先日、「地中海飛び地紀行 9日間」のツアーから帰国しました。
どこの国に行ったかと問われると一言で返答しにくい旅です。
国はスペイン、英国、モロッコの3か国。
けれど、普通の人がイメージする都市はおそらくないでしょう。
旅はまずマラガからスタート。
アンダルシアの太陽海岸の街です。
しかし、アンダルシアの都市は1か所も訪れず、ジブラルタルへ向かいました。
国境が近づくと渋滞です。
ジブラルタルはアンダルシアにある英国の飛び地です。
タックスフリーの都市ですので、スペイン人の多くは買い物に出かけます。
そして1万人のスペイン人が出勤しますので、大渋滞必至です。
ジブラルタルはスペイン人の雇用先でもあります。
街中にはダブルデッカーや赤い電話ボックスがあり英国の雰囲気。
ジブラルタルは英国領になって約300年。地中海の要衝にあり、軍事上・海上交通上、重要な地ですので、スペインは返還を求めていますが、英国には返す気はなさそうです。
タリク山には猿が棲息していて、この猿がいる限り英国支配が続くと言われています。
この日も猿たち元気に駆け回っていましたので、すぐにスペインに返還されることはなさそうです!?

ジブラルタルの猿

ジブラルタルからアルヘシラスへはバスで30分。
アルヘシラスの港の出入国管理所でスペインを出国。
ジブラルタル海峡をフェリーで渡り、モロッコへ向かいます。
モロッコへの入国は船内のダイニングルームで手続。
雨のため、少し遅延しましたが、約15kmの海峡を2時間弱で渡りました。
気分はイブン・バトゥータよろしく冒険家です。
タンジェについてからはバスでシャウエンへ移動し宿泊。
シャウエンは青い街として最近、人気がでてきました。
その後はセウタへ向かいます。
セウタはモロッコにあるスペインの飛び地。
出入国管理所で手続し、200mほどの不干渉地帯をスーツケースを転がして国境越え。
セウタは15世紀にポルトガルが侵攻・支配した地です。
しかし、カトリック両王時代にスペイン王がポルトガル王を兼務したことから、支配はスペインに移りました。その後、ポルトガルが独立した際に、ポルトガルがセウタ支配を放棄したり、セウタの住民投票でスペイン支配が指示されたことから、今のスペイン領時代に至ります。
セウタではスペインの物資が免税で買えます。
そのため、毎日、モロッコから買い出しの人達が大勢やってきます。
大きなビニール袋を担いで行き来するモロッコの人達で、国境はごった返していました。

セウタからモロッコへの国境

次に向かったのは、セウタからさらに東の海岸にあるメリリャ。
ここもまたスペイン領です。
モロッコの西側はポルトガルの支配が進んでいましたので、スペインはメリリャから東へ向かって侵攻を続けました。
アルジェリアまで侵攻しましたが、フランスに押し戻されてメリリャまで退却。
しかしメリリャは死守し、今に至ります。
町は15世紀の旧市街と、19世紀以降の新市街に分かれます。
新市街にはバルセロナ出身のモデルニスモ様式の建築家エンリケ・ニエトによる壮麗な建築物が点在しています。
まるでプチ・バルセロナの様相です。

メリリャのモデルニスモ建築

ここで出会ったメリリャ在住の男性はヘビースモーカー。
タバコ一箱は2ユーロ程だそうで、安いから止められないのだそう。
メリリャからモロッコへは、また陸路を歩いて国境越えです。
モロッコからセウタやメリリャに密入国する人は後を絶ちません。
現在は国境の不干渉地帯は2重の鉄条網が巡らされていますが、海を泳げは簡単に密入国できるそうです。
スペインに入りさえすれば、その先のヨーロッパ本土は近くなります。
アフリカにあるモロッコの人達にとっては、「憧れのヨーロッパ」の玄関です。
その為、モロッコはスペインに返還を求めていますが、近隣の住民にとっては近くにヨーロッパがある方が便利なようで、やはり返還の日が早期にやってくることはなさそうです。
 
メリリャを後にし、モロッコ東部のウジダまでは、アルジェリアの国境沿いにバスで移動。
アルジェリアから密輸したガソリンを、定価の半額くらいでポリ容器に入れて道端で売っています。
危ないんじゃないかと思いましたが、至るところで売っているので、そのうち慣れてきました。
ウジダは国際都市。
流通の基点ともなる町で、思いの外、開けていました。
大学生くらいの女性二人がやってきて、流暢な英語で写真を撮ってと頼まれました。
記念に私も二人の写真を撮りました。
その後は、ウジダからカサブランカを経由して日本へ帰国。
ちょっと変わった飛び地の町を巡ってきました。(斎藤さ)

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2016年11月 9日 (水)

イエスキリストが洗礼を受けた場所は、イスラエルかヨルダンか? その聖地とは。

 先日「憧れのペトラとヨルダン周遊8日間」のツアーから帰国しました。ヨルダンの見どころといえばペトラ遺跡、死海などたくさんありますが、今年から日程に加えられた「ベタニアの洗礼所」は特に印象的な場所でした。

 ヨルダンとイスラエルの国境に位置し、ガリラヤ湖から死海に流れるヨルダン川。イエス・キリストが洗礼を受けたベタニアはここに位置しています。
 では、その洗礼を受けたのは川のどちら側なのか。正解はヨルダン側でその遺構がきちんと残されています。今でこそ訪れることができるこの地域。かつては地雷原でしたが1993年のオスロ合意以降に状況が改善。2000年にはヨハネ・パウロ2世が訪れ、昨年2015年には世界遺産に登録されました。

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 駐車場でバスを降りヨルダン川へむかうと、わずか5メートルほどの川を挟んで、多くの巡礼者が両側で沐浴をしていました。こちら側ではスペインからきたグループがミサを行い、神聖な雰囲気で満ちています。
 ヨルダンとイスラエル、お互いの国民はこの国境を行き来するには査証が必要であり、その査証の取得も困難と聞きました。 しかし、ここはお互いが手を延ばせば握手もできてしまいそうな近さです。 歴史や信仰心の深さを改めて感じるとともに、今の複雑な国境の現状を目の当りにすることができました。

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 現在、このヨルダン側ベタニアは各派の新しい教会が建てられ巡礼者も年々増加しています。将来的にはブッダ・ガヤのような聖地になるのかもしれません。(加藤)

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2016年11月 8日 (火)

多様性の中の統一(インドネシアの宗教観に触れる旅)

先日、ユーラシア旅行社の「芸術の島バリと歴史遺産の宝庫ジャワ島 7日間」のツアーより帰国致しました。
今回の訪問国インドネシアでは、全国民の約9割弱、人口にすると約2億人がイスラム教を信仰しています。イスラム教と言えば、中近東や北アフリカのアラブ人やペルシア人というイメージがありますが、実はインドネシアこそが世界で最も多くのイスラム教徒を抱える国なのであります。ただしインドネシア政府は宗教の自由を認めているので、イスラム国家(イスラム教を国教とする国)ではなく、残りの約1割強の国民は、キリスト教、ヒンドゥー教、仏教、儒教などを信仰しています。その背景にはインドネシアが独立時に掲げた国是「多様性の中の統一」があります。多民族国家であるインドネシアでは宗教に限らず、それぞれの多様な環境や文化を尊重しつつ、みんなで団結するという心がけが実を結び、「民主主義とイスラム教の共生」が可能であることを全世界に示し、とりわけインドネシアを訪問したアメリカのオバマ大統領は「世界にとって理想的な民主主義国家のモデルだ」と礼賛したとされています。

プランバナン

まずジャワ島を訪れてみると、中近東のイスラム教国と同様に街中にはモスクが点在し、1日5回の礼拝の前にはアザーンが流れます。そして全員ではないですが、「ヒジャブ」と呼ばれるスカーフで髪を覆った女性も多く見受けられました。
今回の観光箇所はイスラム教関連の史跡はなく、世界最大の仏教遺跡であるボロブドゥール遺跡と、ヒンドゥー教のプランバナン遺跡群でした。インドネシアにイスラム教が入ってきたのは13世紀のことでしたが、ボロブドゥールは8世紀、プランバナンが9世紀とイスラム教より前の時代に建てられたものです。ともに世界文化遺産に登録されているので、国内外からの多くの観光客が訪れていました。中でも目についたのが、先述のヒジャブをかぶった地元のイスラム教徒の女性です。私が見た限りでは、彼女たちが仏像やヒンドゥー教の神々の像などを真剣なまなざしで眺め、そしてそれらの遺跡をバックに楽しそうに写真を撮っている様子は、他宗教ではあっても、古代から自国に根付いた世界に誇れる遺跡だというリスペクトの気持ちがひしひしと伝わってきました。

ボロブドゥール

続いてジャワ島へ。こちらは島民の約9割がヒンドゥー教徒になります。ヒンドゥー教と言えば、真っ先に思い浮かべるのは「カースト制度」ですが、発祥国インドでは、とくに農村部でまだ根強く残っているのが現状です。しかしインドネシアではほとんど形骸化しており、身分に関係なく皆平等に暮らしています。ちなみに今回のジャワ島のガイドさんは「実は、私は一番下のカーストです」と、特に隠すこともなく(むしろ誇らしげに)言っておりました。
バリ島はインドネシアが誇る世界有数のリゾート地で、世界各国から多くの観光客が訪れますが、意外なことに、逆にバリ島民は海外どころか島を出たことがない人が大勢います。その理由が、年に数回の祭事が行われ、莫大な時間とエネルギーを費やすからです。今回も11世紀頃の古代遺跡「ゴアガジャ」にて、信者さんたちが祭事のためのお供え物作りにいそしむ様子を見ることができました。その様子を見て、島から一歩も外に出なくても人生を謳歌しており、かえってうらやましく感じました。

ゴアガジャ

今回ジャワ島にて他宗教を尊重するイスラム教徒や、カースト制度にとらわれず皆平等に暮らし、年に数回の祭事に人生を謳歌するバリ島のヒンドゥー教徒を見て、宗教とは争うことではなく、自身の人生を充実させるための重要な心のよりどころであるかを改めて理解したような気がします。(斉藤信)

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2016年11月 4日 (金)

遥かな時を越えて、ポルトガル大航海時代と日本の関わり

先日、「ポルトガルハイライト9日間」の添乗より帰国致しました。ポルトガルというと、まず思い浮かぶのは、大国スペインの西隣の小さな国というイメージでしょうか。それともオビドスなどのかわいらしい小さな町や、エッグタルトやカステラなどのお菓子、世界的なサッカー選手クリスティアーノ・ロナウドなどなど、思い浮かべるとキリがないですね。そんな中でも、私はやはり、大航海時代にロマンを感じずにはいられません。

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日本の4分の一程の国土に、歴史がぎゅっと詰まった国。15世紀、エンリケ航海王子は航海士や専門家を多く招き、航海学を発展させ、周辺の強国よりいち早く大海原へと旅立っていきました。1488年にはディアスがアフリカの喜望峰を回ってインド洋へ、その10年後にはバスコ・ダ・ガマがインド大陸に到達。1500年にはカブラルがブラジルに到達。1510年にはアルブケルケがインドのゴアを占領、更にマラッカも占領・・・西の果ての国から、南へ東へ、ポルトガルの進出の勢いは、莫大な富と栄光をもたらし巨大な修道院建設や教会建築へと結びつきます。首都、リスボンの街には当時の栄華を誇るようにジェロニモス修道院や大西洋へ注ぐテージョ川河口の要塞、ベレンの塔が建ち並び、その姿を目の当たりにすると、ただただ、ポルトガルの歴史に圧倒されるばかり。

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彼らは貿易と共にカトリックの布教活動にも力を注ぎます。そこで、遂に日本との関わりが始まっていきます。1543年にはポルトガル人を乗せた中国船が種子島に漂着し火縄銃がもたらされた歴史を皮切りに、1549年にはフランシスコ・ザビエルが鹿児島に到着。キリスト教が日本に初めて伝わり、学校や病院なども建てたられ、信徒を増やしていきました。歴史の教科書に出てくる、天正遣欧少年使節団がヨーロッパに派遣されたのもこの頃です。2年の航海の後、最初に到着したのがリスボン。今回の旅でも、少年使節団が立ち寄ったサン・ロケ教会を訪問しました。400年以上も前に日本とポルトガルの間でこのような交流があった、それも10代の少年たちがやっとの想いで海を渡り西洋の国で大歓迎されたと思うと特別な思いがします。

平和的に二国間の交流が続く中で、ポルトガルからもたらされたパン、てんぷら、コンペイトウ、たばこ、ボタンなどはそのまま日本語に転じて現代の私達も普通に使用していることは有名ですよね。しかし長崎を出発してから8年後、少年たちが日本に戻った頃には既に秀吉によるバテレン追放令が出された後で、キリスト教を取り巻く環境はすっかり変わっていました。その後も日本のキリスト教は厳しい弾圧を受けながらも長崎や熊本の島々で陰ながら細々と信仰が続きました。その信仰の継承を物語っているのが、その地方に建てられた教会群です。これらは長崎と天草地方のキリスト教関連遺産として2018年の世界遺産登録の審議の対象となっています。これから、また国内でそのようなニュースを耳にする度、ポルトガルの事を思い出しそうです。(帯津)

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ツアーグランプリ2016(国内)

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2016年11月 2日 (水)

ドイツでロマネスク探し

東西に祭壇をもつヒルデスハイムの聖ミヒャエル教会

先日、「東ドイツ・ロマネスク 12日間」より帰国しました。
タイトル通り、とにかく毎日教会を巡り、どれだけロマネスクの要素に出会えるか!?という旅です。
教会だけしか行かないとなると、「う~ん、ちょっとねぇ」というお声も聞こえてきそうですが、ロマネスクを探すとなるとまた別です。
とにかく上を見上げるゴシック、飾り気なく少し物足りないかなぁというルネサンス、反対に飾りが豪華すぎてどれを見たらいいのか分からなくバロック、それらのどれとも異なるのがロマネスク。(・・・と私は思っています)
建物そのものに時代の流行を持つゴシック以降のものとは違い、ロマネスクは内部の装飾に時代が映っています。(・・・と私は感じています。)
面白味は主に彫刻にあり、建物を支える柱や扉口によく残っています。時には足元の思わぬところに潜んでいたりします。
当時の考え方をユーモラスに表現している彫刻を見て、色々考えを巡らせて、クスッとする。そんな楽しみがあるのがロマネスクだと思うのです。

バンベルク大聖堂の鐘楼にいた牛の彫刻

フライジングの聖マリア・聖コルビニアン大聖堂にて見つけたちょっと恥ずかしいレリーフ

今回訪ねたドイツには、ロマンティック街道やメルヘン街道に混ざって、ロマネスク街道も整備されています。ドイツ中東部にあるエルベ川沿いの町、マグデブルクを中心に、神聖ローマ帝国の初代皇帝オットー1世時代(10世紀頃)まで遡るロマネスク探しができる地域です。
とはいえ、改築や増築により、残念ながら完全なロマネスク教会は多くありません。
その為、ドイツ・ロマネスクの旅は「さて、どこにロマネスクが、彫刻が残っているのか?!」と目を凝らすことから始まります。見つけた時は「あ~、あったあった!」と声が上がり、「どれどれ~」と集まるのが、だんだん定番になりました。クリプタ(地下聖堂)は神聖な場所だからなのか建立当時から手を加えられることなく残っていることが多く、ツアー後半にもなると、何となくクリプタにまっすぐ足が向くように・・・。
建物そのもので驚いたのは、その祭壇。
一般に、教会の祭壇は東側に置かれ、西側は出入口となっています(方角もわかるので実は助かります)が、ドイツのロマネスク教会には東西両方に祭壇があるのです。そして、その西側には塔がつけられて「西構え」と言われ、ドイツ・ロマネスクを代表する様式となりました。(ちなみに、塔建設のスタイルは後のゴシック期にも引き継がれて、その象徴となっていくわけです。)
コルヴァイ修道院教会には、その西構えの最古とされるものが現存する他、各地で「西祭壇」付きの教会を数多く目にしました。
ロマネスクと言えばフランスやスペインに目が向きがちですが、ドイツにも思わぬロマネスクがこぼれ落ちていました。ゴシックやバロックに飲み込まれているのものが多いものの、一方、バロック装飾を取り外してロマネスクの時代に戻そうと試みた教会があったことも新鮮でした。色々なところにまだまだロマネスクがありそうで、「次はどこの国で探そうか?!」と盛り上がったのでした。(江間)

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2016年11月 1日 (火)

カリモフっな名物ナンを食す!?(ウズベキスタン)

先日、秋風吹くウズベキスタン「城壁都市ヒワ2連泊と青い都サマルカンド8日間」より帰国致しました。毎日続く雲一つない青空、サマルカンドブルーと称される真っ青なモスクや神学校のドームがマッチして、絵になる風景を毎日見ながら過ごしました。

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 さて、ウズベキスタンと言えば、9月に26年大統領に就任し続けたカリモフ氏のご逝去がメディアを賑わせました。国際世論(欧米諸国)では「最も残酷な独裁者の一人」と称されたり、中川恭子さん著“ウズベキスタンの桜”では「温かい芯の強い眼差しで信頼できる人物」と表現されていたり、その評価は賛否両論。本当はどんな人物なのか?と改めて疑問を抱きながら、秋深まるウズベキスタンへいざ入国!

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ツアー中は、知識も語学力も堪能な日本語ガイド、ホテルのスタッフ、レストランのマネージャーやウェイター達、様々なウズベキスタン人と会話する機会がありました。そしてどの人も、口を揃えて「自分の父を亡くしたようだ」「カリモフ大統領は偉大」「お葬式では家族そろって号泣しました」と好意的な回答が返ってきました。

ガイド曰く、1991年にソ連から独立後、大統領に就任したカリモフ氏は下記を掲げて政策発表。(概略)
(1)教育      (何よりもまず教育だ!国を作るのも人だ!)
(2)国境軍備   (安全があってこそ、安心して国を建て直せる)
(3)国の自給自足(輸出用ではなく、自分たちの分は自らの手で)

 当時は貧しく観光客に物乞いをする毎日だったそうですが、教育を受けた若者たちが生産側に成長した10年後、国は急成長を遂げました。日本人から見ると豊かではないかもしれませんが、自国で自分たちが使う分の石油やガスを採り、農作物を作り、日没後も女性がひとりで安心して歩ける国、ウズベキスタン。大統領が掲げた政策と信念は国民に大きく支持されていることが分かりました。

死後、治安が悪化する!?と懸念の声も上がっていましたが、行ってみるといたって平穏。夜間にライトアップを見にモスクを訪れたり、朝の散歩でモスクのミナレットに上らせて貰ったり、未就学の子どもたちが道端で泥まみれで遊んでいたり、変わらぬ国の姿を確信できた気がします。

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余談ですが、出発前に故カリモフ大統領のニュースや遍歴をインターネットで調べていたら、「カリモフ、メロンパン」という用語がヒットしました。まさか大統領が日本のメロンパンを好きだった!?と驚いていたら、「外のカリカリな部分を先に食べて、次に中のモフモフな部分を相互に食べる」方法をネット用語で通称「カリモフ」と言うそうです。

実は、ウズベキスタンにも、この方法で食べられる主食があります。それは手作りナン(上記写真参照)。日本の白米のような存在のこの「ナン」。サマルカンドでは手作りナンの見学までし、熱々の焼きたてを頂きました。同じく外側はカリッカリ、中はフワフワで、まさに絶品。「カリモフな食べ方をしましょう!」と盛り上がりながら、食したのも今では良い想い出です。
ナンにサワークリームを付けると味は変わり、一緒にウズベキスタン産の赤ワインはいかがでしょうか。2009年メルロー種の「バギザガン」(フルボディ)は絶品。

2009

この国は、ギリシャからの来る隊商を「まるでギリシャのワインを飲んでいるようだ!」と唸らせた2500年前から続くワインの歴史を持ちます。最近日本でも輸入が始まりました。カリモフ大統領が進めたイスラム戒律寛容化により、お酒もウズベキスタンの旅を一層楽しくしてくれそうですね。(坂岸)

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