2016年11月 4日 (金)

遥かな時を越えて、ポルトガル大航海時代と日本の関わり

先日、「ポルトガルハイライト9日間」の添乗より帰国致しました。ポルトガルというと、まず思い浮かぶのは、大国スペインの西隣の小さな国というイメージでしょうか。それともオビドスなどのかわいらしい小さな町や、エッグタルトやカステラなどのお菓子、世界的なサッカー選手クリスティアーノ・ロナウドなどなど、思い浮かべるとキリがないですね。そんな中でも、私はやはり、大航海時代にロマンを感じずにはいられません。

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日本の4分の一程の国土に、歴史がぎゅっと詰まった国。15世紀、エンリケ航海王子は航海士や専門家を多く招き、航海学を発展させ、周辺の強国よりいち早く大海原へと旅立っていきました。1488年にはディアスがアフリカの喜望峰を回ってインド洋へ、その10年後にはバスコ・ダ・ガマがインド大陸に到達。1500年にはカブラルがブラジルに到達。1510年にはアルブケルケがインドのゴアを占領、更にマラッカも占領・・・西の果ての国から、南へ東へ、ポルトガルの進出の勢いは、莫大な富と栄光をもたらし巨大な修道院建設や教会建築へと結びつきます。首都、リスボンの街には当時の栄華を誇るようにジェロニモス修道院や大西洋へ注ぐテージョ川河口の要塞、ベレンの塔が建ち並び、その姿を目の当たりにすると、ただただ、ポルトガルの歴史に圧倒されるばかり。

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彼らは貿易と共にカトリックの布教活動にも力を注ぎます。そこで、遂に日本との関わりが始まっていきます。1543年にはポルトガル人を乗せた中国船が種子島に漂着し火縄銃がもたらされた歴史を皮切りに、1549年にはフランシスコ・ザビエルが鹿児島に到着。キリスト教が日本に初めて伝わり、学校や病院なども建てたられ、信徒を増やしていきました。歴史の教科書に出てくる、天正遣欧少年使節団がヨーロッパに派遣されたのもこの頃です。2年の航海の後、最初に到着したのがリスボン。今回の旅でも、少年使節団が立ち寄ったサン・ロケ教会を訪問しました。400年以上も前に日本とポルトガルの間でこのような交流があった、それも10代の少年たちがやっとの想いで海を渡り西洋の国で大歓迎されたと思うと特別な思いがします。

平和的に二国間の交流が続く中で、ポルトガルからもたらされたパン、てんぷら、コンペイトウ、たばこ、ボタンなどはそのまま日本語に転じて現代の私達も普通に使用していることは有名ですよね。しかし長崎を出発してから8年後、少年たちが日本に戻った頃には既に秀吉によるバテレン追放令が出された後で、キリスト教を取り巻く環境はすっかり変わっていました。その後も日本のキリスト教は厳しい弾圧を受けながらも長崎や熊本の島々で陰ながら細々と信仰が続きました。その信仰の継承を物語っているのが、その地方に建てられた教会群です。これらは長崎と天草地方のキリスト教関連遺産として2018年の世界遺産登録の審議の対象となっています。これから、また国内でそのようなニュースを耳にする度、ポルトガルの事を思い出しそうです。(帯津)

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