訪れる度に変化するサラエボ
この度、ユーラシア旅行社の「ボスニア・ヘルツェゴビナとモンテネグロ周遊 8日間」より帰国しました。
モンテネグロのコトルやクロアチアのドブロヴニクなど、アドリア海沿岸の町は青い海とオレンジ屋根のコントラストが美しい街並みが人気のリゾート地です。冬は観光客がほとんどいないので、いつもは人でごった返している旧市街も貸切状態で散策する事ができました。
ボスニア・ヘルツェゴビナは4世紀にも渡ってオスマントルコ帝国の支配下にあったため、モスクなどのイスラム建築が旧市街に多く残っています。その後オーストリア・ハンガリー帝国の支配となった為、旧市街の外にはヨーロッパ調の街並みが広がっています。わずか100mの間にモスクとカトリックの教会と正教の教会が混在していて、異文化を同時に見られる興味深い町です。
サラエボはボスニア・ヘルツェゴビナの首都。1984年の冬季オリンピックの会場となった都市です。また、旧ユーゴスラビアからの独立を巡って激しい内戦が繰り広げられた場所としても知られています。
私が初めてこの町を訪れた10年くらい前は、砲弾の跡が生々しく残る建物があちこちにあり、資料で調べていた内戦の被害の様子を実際に目の当たりにして衝撃を受けました。1993年当時、学生だった私は、テレビでミサイルが飛び交う町の映像を遠い国のニュースとして見ていた事をうっすら覚えています。まさか大人になってその場を訪れるとは夢にも思っていませんでした。その後何度か訪れ、破壊された建物が新しいショッピングセンターに変わっていたり、新興住宅街が広がる様子を見る度に、復興が進んでいることを実感してきました。
ガラス張りの新しいビルがさらに増え、内戦で破壊されたと説明していた図書館兼市庁舎も美しく建て直され、数年前に訪れた時ともだいぶ変わったという印象です。四角くい黄色い建物は相変わらず目立っていました。内戦時、セルビア軍に包囲され、動くもの皆標的にされたという時期に最後まで営業を続けていた「ホリデイイン」ホテルです。ジャーナリスト達のたまり場になり、そこからの映像が世界に発信されたというホテルですが、最近名称変更したらしく「ホテルホリディ」になっていました。
以前案内してくれたガイドさんはサングラスの奥に涙を隠して案内してくれていましたが、今回の若いガイドさんは感情を込めることなく、ある意味事務的に事実を詳しく説明してくれました。
当事者だった人も世代交代して、悲劇の内戦も過去の話になって、そのうち、歴史の教科書にさらりと書かれるだけになってしまうのでしょう。(関根)
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