2017年5月11日 (木)

河西回廊に存在した謎の黒水国とは?

この度「遙かなる河西回廊への道 11日間」より帰国しました。

この河西回廊は、古くは秦また漢の時代に「万里の長城」の西端が造られ、西方の軍事拠点として、また仏教伝来の路として、さらには、唐時代にはシルクロードの主要地として栄えました。
また、河西回廊は数多くの人々が野望を持って行き来した道であります。仏教の経典を求めて玄奘三蔵が旅し、霍去病はじめ前漢の時代の武将たちが匈奴との戦いのため遠征した道なのです。

武帝によって設置された河西四都「武威、張掖、酒泉、敦煌」、シルクロードの起点・西安と、河西回廊からシルクロードをたっぷり観光しました。
そのうちの酒泉から、張掖までの間に黒水国城堡遺址という遺跡があります。

黒水国城堡遺址

今回のツアーの他の観光地との違いは入ってすぐ分かります。
駐車場もなければ、どこが入り口なのかも分からないのです。回りには民家のみ。
その民家の前にひっそりと遺跡の石碑が建っています。
チケットもなければ、この日は他の観光客もいなく貸し切り状態でした。

黒水国城堡遺址

一見見落としてしまいそうなこの黒水国城堡遺址は黒水国という国の遺跡です。
黒水国の時代は漢時代と言われていますが、詳しい史書がないため、今だ謎に包まれています。そのため今日まで、価値を知られる事も注目されなかったため、特別な保護や修復もされていません。

言い伝いによれば、この地域には匈奴の一部が移り住み、「小月氏国」を建国し、その都があった場所が黒水国だったと言われています。
その後、漢の武帝の征服により滅亡しますが、シルクロードの中継地点として栄えた記録があります。
そして最近では、この遺跡内から漢から晋かけての墓が数百個が発見され、中から銅鏡や陶磁品などが大量に出土しました。

もしかしたら何か見つかるかも!?と下を見ながら歩き進めました。

黒水国城堡遺址

この遺跡から建物らしきものは全く残っていません。あるのは城門のみです。
しかし何も残ってないからこそ、想像が膨らみ、ロマン溢れる地です。

次、訪れる際は黒水国についての謎が解明されているでしょうか?

(白井)

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