2017年6月 9日 (金)

地震に負けない町、シチリアでも発見

先日ユーラシア旅行社の「シチリア島を極める」より帰国致しました。シチリア島はイタリア半島のつま先の先に浮かぶ三角形の島です。かつてはギリシアとカルタゴとローマ帝国が三つ巴で覇権を争った、まさに「文明の十字路」と呼ぶにふさわしい場所です。そんなシチリアの旅で特に印象的だったのがバロックの街・ラグーサです。
 2つの丘の上に広がるラグーサの街。低い方の丘の横にバスをつけ、散策をはじめました。低い方の丘はラグーサ・イブラといいます。曲線を多用した華美で大胆なデザインの建物、ユニークな怪物や動物などの持ち送り彫刻など、バロック様式で統一された町並みは見事なものでした。中心には、舞踏会の宮殿にありそうな大階段の上に聳え立つ大聖堂。町並みをより華やかに惹きたてていました。…それなのに、大通りをはずれると細い路地が入り組み、どこか中世を感じさせるような気がするのは何故でしょうか。町のはずれにはラグーサの守護聖人、聖ゲオルグの彫刻だけが残る廃墟の教会がひっそりと佇んでいますが、それは何故なのでしょうか。実は、ラグーサ周辺のノート渓谷一帯では、1693年に大地震が起こりました。マグニチュードは7.4。約6万人もの命を奪い、周辺の街は廃墟と化しました。ラグーサはその時に被災した街の一つで、一度崩れてしまった中世の町並みを土台に造られたバロックの街だったのです。廃墟の教会はかつて大聖堂だったものでした。地震の後大々的に復興作業が行われ、ノート渓谷一帯は見事にバロックの街として生まれ変わりました。現在、復興の経緯とともに、統一されたバロックの町並みが世界遺産に登録されています。再建には100年かかったと言われています。そのような背景からもう一度ラグーサの街を見渡してみると、震災に負けない人間のたくましさを感じ、地震の多い祖国と重ね合わせ、なんとも感慨深い気持ちになりました。
2つの丘は長い階段でつながっています。上の丘の名前はラグーサ・スーペリオーレ。地震の後、新興貴族や商人によって造られた新しい街です。20分ほどかけて階段を上り、スーペリオーレのサンタ・マリア・デッレ・スカーレ教会へ。ここからはラグーサ・イブラの街並みが一望にできました。柔らかな茶色に統一された街並みは美しく、被災した後は見る影もありません。天気にも恵まれ、その美しさは階段をのぼった疲れも忘れてしまうほど。

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帰りにまた階段を下りるとき、元気なお客様の後ろでちょっぴり膝が笑っていたのはここだけのお話し。(佐藤)

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