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2017年7月

2017年7月28日 (金)

リトアニアのヒーロー杉原千畝

先日、「バルト三国を極める旅 11日間」のツアーから帰国しました。

バルト三国は南から順にリトアニア、ラトビア、エストニアの順番で連なる国です。エストニアの首都タリンは、フィンランドのヘルシンキまで海を渡って2時間で着く近さで、今回は7月頭に訪れましたが、風はひんやり冷たく北欧の雰囲気も楽しめました。また、ラトビアの首都リガはドイツよりもドイツらしいと言われる街。旧市街には、木組みの家や三角屋根のカラフルな家、たくさんの塔が並んでいました。

三角屋根の家

また、新市街ではユーゲントシュティール建築群も見ました。ユーゲントシュティールとは19世紀にドイツやフランスで流行った建築様式でフランスだとアールヌーヴォーと呼ばれます。窓枠や外壁に人の顔の装飾が付いていて、皆様でいろいろな顔を探しながら街を散策しました。

そんなヨーロッパらしい町並みが広がるバルト三国ですが、今回はリトアニアで有名な日本人、杉原千畝の記念館を訪れました。

彼は、第二次世界大戦中、リトアニアの当時の臨時首都カウナスで、6千人ものユダヤ人にビザを発行し命を救いました。記念館は、その当時、杉原氏も暮らしていた旧日本領事館で住宅街にぽつんと建つ2階建ての建物です。この辺りはやはり日本人がよく訪れるようで、小道の角にはさりげなく「こんにちは」と日本語で書かれた家もあります。
杉原氏の奥様、杉原幸子さんの手記「六千人の命のビザ」にはこんな描写があります。朝起きて窓から見下ろすと、黒い服を着たユダヤ人が家の柵の周りをびっしりと埋め尽くしていたと。現在は家の間取りは変わってしまっていますが、当時の柵は不自然に一部だけ残されていて、当時のただならぬ雰囲気が感じられました。

中に入り、杉原氏に関する日本語のビデオを20分程見て自由時間。部屋の一角で細々とお土産も売られていました。チョコレートやはちみつに「試食」とぎこちない漢字で書かれた紙が貼られていたので、店員さんに「お兄さんが書いたんですか?上手ですね」と英語で言うと、「まあね」と日本語で答えてくれました。
そして、また別の部屋には杉原氏が実際に何千枚ものビザを書いていた机と椅子が置かれていて、写真スポットになっています。皆様も杉原千畝になりきり椅子にかけてハイポーズ!

杉原千畝の書斎

最後にお土産屋さんのお兄さんが、リトアニアでは歴史の授業で杉原さんのことを習うので、みんな彼のことを知っていると教えてくれました。

こうして旧日本領事館を後にしました。春には家の周りは桜が満開になるそう。実はリトアニアの首都ビリニュスの公園にも、杉原氏の母校である早稲田大学から寄贈された彼の記念碑があります。そして、この公園の歩道は春になると美しい桜並木になります。

菅原道真の飛び梅ならぬ杉原千畝の飛び桜がはるばるリトアニアにまで飛んできていました。(松永)

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2017年7月27日 (木)

モンブランをフランス・イタリアの両面から極める

先日、「氷河特急一等車 ヨーロッパ四大名峰とスイスアルプスを楽しむ  10日間」の添乗より帰国致しました。この時期のスイスは、アルペンローゼをはじめとする可愛らしい高山植物の花々が咲き乱れ、まさにベストシーズンです。
このコースでは、世界遺産のベルニナ線や“特別に急がない”氷河特急に乗って、スイスらしい車窓の眺めを楽しんでいただいたり、アイガー、ユングフラウやマッターホルンをたっぷり満喫いただきました。アルプスの山々で忘れてはいけないのが、モンブラン。スイスの山ではないですが、フランス・イタリア国境にそびえる、モンブラン(モンテビアンコ)の、その優美な姿に多くの観光客や登山家を魅了してやみません。

そんなモンブランを目指して、スイスからまずフランス・シャモニーへ。時折、自転車で峠越えをする人々に出会いました。そして、モンブランのお膝下、シャモニーからモンブランの下に造られたモンブラントンネルを通り、イタリアへ。イタリア・クールマイヨールより2015年完成の360度回転ゴンドラに乗ってまずはエルブロンネ展望台へ向けて高度を上げていきます。イタリア側のアルプスの山々は、岩肌がごつごつしており、鋭鋒が連なっています。その様子はなんだか雄々しい印象を受けます。
そしてエルブロンネ展望台から見えるのは、モンブラン、イタリア語でモンテビアンコです。しかし、フランス側から見える白い雪を被ったまん丸い様相とは全く異なり、これは本当にモンブラン?と思うほど台形で雄々しいモンテビアンコことモンブランが聳えています。

三連ゴンドラ

今回は、幸運なことにイタリアからフランスへ空中国境越えの3連ゴンドラも申し分ないお天気のおかげで運行していました。いざ3連ゴンドラに乗り込んで、約30分の空中散歩を楽しみます。眼下に広がる、氷河に圧倒され、氷河の青い部分も見ることができました。まわりにはいくつもの鋭鋒が連なり、マッターホルン北壁、アイガー北壁と並ぶ世界三大北壁のグランドジョラスも聳えていました。ふと氷河に目をやれば、何人もの登山家たちが氷河の上を歩いていたり、垂直な鋭鋒に向かって果敢にも挑んでいました。その名を残した幾多となる登山家たちも彼らと同じように難攻不落の山々を達成したんだと回顧せずにいられません。
そして終点のエギーユ・デュ・ミディ展望台に到着し、空中散歩は終わり。エギーユ・デュ・ミディ展望台では、フランス側からみる、まさに女王の名にふさわしい雪の冠を被ったモンブランを間近でお楽しみいただくことができました。

モンブラン

今回、申し分ない天気のおかげでぐるっと一筆書きで空中国境越えが叶いましたが、この3連ゴンドラに乗れることは本当に幸運なこと。運行していることを確認するまでドキドキでしたが、なんと実際は快晴で、風も全くなく、澄んだ青空の中氷河の下の空中散歩は、感動もひとしお。地球の素晴らしさを改めて体感することができました。

スイスに来たからには是非とも訪れたいモンブランは、忘れられないアルプスの山の一つになりました。(角田)

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2017年7月26日 (水)

白神山地で感じる、晴れの森と雨の森

Photo

先日7月2日出発「充実の白神山地ハイキング」の添乗に行って参りました。
白神山地は、青森県と秋田県にまたがる山岳地帯で、その面積は17,000ヘクタールに及びます。ほとんど人為的影響を受けずに残る広範囲に広がる原始的ブナの森が残されていることが評価され、1993年には世界遺産に指定されました。

今回のツアーでは、ブナの森を4日に渡ってハイキングし、じっくり歩いてきました。
まずは、白神山地南麓の秋田県側からスタート。田苗代(たなしろ)湿原では、キスゲのシーズンでした。今年は一面の花という状況ではありませんでしたが、ブナの森に囲まれた湿原にひっそりと咲くキスゲは、清廉な乙女のようでした。

ツアーでは4日間、ブナの森でガイドの方の話に耳を傾けながらハイキングを続けました。ブナは生育が遅く、また水分が多いため、建築資材としては繁用されることはありませんでした。しかし、ブナには特別な役割があります。森の中の天然のダムという役割です。ブナの木々はお互いに絡めながら根っこを地面に張り巡らせます。そうして、土中にしっかりと水分を貯め込んでいます。大雨があっても、ブナの根っこのお蔭でそう簡単に土砂崩れを起こすことはありません。また、約100年かけて立派な成木となったブナは、1本の木に約10トンの水を蓄えているのだそうです。10トントラック1台分の水分とは、ブナの保水力には驚きます。だからこそ、ブナの森にはシットリとした空気が漂い、足元は腐葉土でフカフカとしているのでしょう。

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さて、お天気はというと、梅雨の時期ということもあり、毎日晴れとはいきませんでした。曇っている時もあれば、本降りの時もあり、また、晴れ間が射すこともありました。このようなお天気の移り変わりもまた、自然の営みの一部です。雨の中を歩けば、ブナの大きな葉っぱから枝を伝って根っこへと雨が伝わる様子がわかりました。また、白い靄のかかった森では、まるで幽玄なる世界に迷い込んだような気がしました。そして晴れていれば、木々の葉からこぼれるような日差しを感じました。そのどれも、ブナにとっては生きていくために必要なものです。ブナが貯め込んだ水がやがて川を流れて海に注ぎ込み、その海で育った海の恵みをもって人間が生きています。白神のガイドの方々が、そんな話を情熱的に語っていたのがとても印象的でした。そうして4日の旅を終える頃には、ブナの森がとても愛おしく感じられるようになりました。雨の森、晴れの森、どちらも美しいブナの森に出会えた気持ちで旅を終えました。(斎藤さ)

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2017年7月25日 (火)

英国で贅沢な午後のひと時を

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先日、「英国物語15日間」の添乗より帰国致しました。スコットランドから旅は始まり、新世界遺産にも登録された湖水地方、ハニーカラーの可愛らしい家が並ぶコッツウォルズとイギリスの魅力を堪能してきました。
さて、イギリスと言えば、やはり紅茶のイメージが強いのではないでしょうか。大航海時代が始まり、1610年頃オランダの東インド会社が中国茶を持ち帰り、西欧諸国に広まります。イギリスでは「万病の秘薬」として最初にお茶が売られ始めます。その後、1662年にチャールズ2世に嫁いできたポルトガル女王のキャサリンがお茶に大変貴重だった砂糖をたっぷりいれて飲むという贅沢を毎日繰り返したそうです。それが貴族の間で大流行。最初中国から伝わったのは緑茶でしたが、次第にウーロン茶や発酵の度合いを強めた紅茶が人気になります。英国貴族の社交場となっていたコーヒーハウスが商品として販売を始め、次第に大衆化して一般家庭にも広まっていったそうです。
そして、最近は日本のホテル等でも楽しめるようになってきたアフタヌーンティー。ご存知の通り、イギリスで生まれた文化です。始まりは1840年代。その頃イギリスでは食事は朝食と夜8時以降の夕食の2回。ベッドフォード伯爵夫人アナ・マリアは、空腹を紛らわせるためにお茶と軽食を午後3時頃に食べるようになります。その後、友人を招き、美味しい紅茶とサンドイッチなどの軽食とお菓子を味わいながら談笑し、優雅な午後のひと時を過ごすという習慣が貴族の間で広まりました。

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ツアーでは、マナーハウスで伝統的なアフタヌーンティーを楽しみました。紅茶がサーブされて一息つくと、ティースタンドがテーブルに運ばれてきます。一番下の段にはシンプルでさっぱりとしたサンドイッチ等軽食、二段目には焼きたてのスコーン、一番上に一口サイズのケーキや焼き菓子が並べられ見ているだけで気分が高まります。下の段から順番に食べ進んでいくと、あまりのボリュームにびっくり。日本人の考える「3時のおやつ」とは異なり、通常の食事と変わらないほどのボリュームがあるかもしれません。しかしながら、当時の貴族になった気分で、お菓子と紅茶をたっぷり頂くと会話もより弾むような気がします。たまにはこんな贅沢なひと時もいいものです。(市川)

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2017年7月21日 (金)

スイス、可憐な山リギ

先日、「ゆったりスイス周遊12日間」のツアーより帰国しました。
旅はイタリア北部、スイスとの国境の町ルガーノからスタートし、サン・モリッツ、ツェルマット、グリンデルワルドなど、アルプスの美しい山々を巡りました。有名なマッター・ホルンやユングフラウももちろん見ましたが、今回最も印象に残ったのは、リギという、小さな山でした。
標高1,798mのリギ山は、4,000m級の山々の中では地味に映るかもしれませんが、実はしばしば、「山の女王」と形容される、スイスの山々の中でも重要な山なのです。女王と呼ばれるのは、その優美な曲線と、周りの山を従えるようにたたずむ姿が故なのだとか。

リギの登山鉄道

このリギ山には小さな登山列車で登ります。スイスのちょうど真ん中あたりにあるフィア・ヴァルトシュテッテ湖という大きな湖の湖畔の町ヴェッギスから、リギ山の山頂までのこの登山列車は、なんと1871年、つまり約150年近く前に造られたヨーロッパ初の登山列車なのです!スイスの数ある登山列車、というか、登山鉄道の歴史は、このリギ山から始まったといっても過言ではありません。ちょうど中腹あたりの駅リギ・カルバードで一度列車を降り、ホテルにチェックインをし、荷物を置いて、再度列車に。次は山頂のリギ・クルムまで登ります。

リギ山からの眺望

リギ・クルムからはそれはもう美しい、フィア・ヴァルトシュテッテ湖の景観を眺めることができました。可憐な花々が咲き、ほんの小さな山なのに花を見ようか湖みようかなどと迷ってしまう程。山を囲むように点在する湖のほとりの小さな町々もとても美しかったです。この山は、山頂からみると地平線まで高い山がなく、台地の真ん中あたりにぽつんとそびえる独立峰なので、360度の眺望を楽しむことができる、スイスの中でもちょっとユニークな山なのです。ちなみに、中国の峨眉山と姉妹峰の提携を結んでいるのでこんな石碑もあります。夕暮れ前にはまた中腹のリギ・カルバードへ戻り、一泊しました。

湖が見える展望台

翌朝、また登山列車に乗り下山。湖畔を走り、次はルツェルンの町へ向かいます。あんなにきれいな景色を見せてくれたリギ山を離れるのは、なんだかさみしいなあと思っていたら、ルツェルンの町、大きな湖の向こうに、リギ山が見えました。あの山が愛されて止まないのは、山頂からの景色や咲く花々だけでなく、街からも見える、湖とともに映る可憐な姿があるからなのかなと、感動してしまいました。(留置)

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2017年7月20日 (木)

奇跡の晴天の中、絶景ソグネフィヨルドクルーズへ(ノルウェー)

フィヨルドクルーズにて

先日、「北欧の優雅な休日~2大フィヨルドと2大絶景鉄道~ 11日間」より帰国致しました。デンマーク、フィンランド、スウェーデン、ノルウェーの北欧4か国を訪れ、それぞれの首都を中心にハイライトを巡って参りました。
 一番のメインは、何と言ってもノルウェーのフィヨルドクルーズ。ノルウェー語で「入り江」という意味をもつフィヨルドは、約100万年前の1,000mを超える厚さの氷河が、約1万年前に溶け出し、海側に移動する際、その重さで谷底がU字型に削りとられ、そこに海水が入り込んで形成されたとされる地形です。そんなフィヨルドの中でも、ソグネフィヨルドは、全長204km、最深部の水深が1,308mにも及ぶ世界最長のフィヨルドです。今回は、そのソグネフィヨルドの支流である、ネーロイフィヨルドとアウランフィヨルドのクルーズへご案内しました。
クルーズ船には、船首から乗船。グドヴァンゲンを出発すると180度回転をしてから進みますので、場所取りには注意が必要です。英語、ノルウェー語、スペイン語などに続いて、日本語のアナウンスもあり、屋外のテラス、もしくは屋内のサロンから景色を眺めます。
フィヨルドクルーズで一番の難点は、天候。山の天気は変わりやすいとはよく言ったもので、晴れていても霧がかかったり、曇ったり、雨もしばしば…くるくると天気が変わります。しかし、皆様の日ごろの行いのおかげで、晴れ渡る青空の中、フィヨルドクルーズができました!
最初に通るのはネーロイフィヨルド。世界遺産にも登録されているネーロイフィヨルドは、幅の狭さが特徴。最も狭いところは250mしかありません。その分、険しい山並みが続き、いく筋もの滝が勢い良く流れ落ちています。250mは結構広いと感じますが、ソグネフィヨルドは幅が4kmあります。それに比べるとかなり幅の狭さが分かります。続くアウランフィヨルドも、両側が1,000m級の山々に挟まれ、迫力満点。途中ウンドレダールとアウランのふたつの町に寄港します。可愛らしい家が立ち並ぶ小さな町で、「こんな景色の良い所に住めるなんて羨ましい!」という声と「こんな所でどうやって生活するんだ?」という両極端な声が聞こえました。
迫ってくるような断崖絶壁と青空のコントラストは、まさに絶景!どこまでも続くこのフィヨルドを氷河が削って作ったのだと思うと自然の力の凄さを実感します。岩壁をよく見ると家がぽつぽつと見えるではありませんか。そこは今や無人の農場。りんごなど果物を育てたり、山羊の牧畜をしていました。農場までは梯子を使わないと行けず、危険な為子供は常に命綱をつけていたのだとか。その梯子は、唯一徴税人が来た時だけ外され、徴税を回避していたのだそうです。そんな自然だけではなく、人の生活の跡も見ることができるのは驚きでした。
約2時間のクルーズは、あっという間に終了し、終点のフロムに到着。奇跡としか思えない、素晴らしい晴天の中のフィヨルドクルーズに、ただ天気運の良さに感謝するばかりでした。(五島)

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2017年7月19日 (水)

ダルマチア地方最古の町ザダル

先日「アルプスの懐スロヴェニアとアドリア海の至宝クロアチア11日間」のツアーより帰国しました。2ヶ国の歴史と文化、そして自然の魅力がたっぷり詰まったツアーです。そしてなんといってもアドリア海で獲れる海の幸!身も心も癒されました。

今年新たにザダルがユネスコ世界遺産に登録され、まさに旬の中部ダルマチア地方。ダルマチア地方で最も歴史の古い町の一つであるザダルの旧市街は、長さ1キロほど海に突き出した長方形の半島です。およそ2000年以上前の歴史遺産が数多く残っています。
ザダルには紀元前9世紀ごろから先住民族であるイリュリア人が住んでいましたがローマ人により侵略・征服され、この町はダルマチア地方最大級のローマの拠点へと発展。ローマ帝国時代のあと十字軍の攻撃により、ヴェネツィア共和国の支配下になりました。

ローマ帝国時代に軽犯罪者の見せしめの為に使われていた「恥の柱」、動物を捧げる生贄台など当時のまま残っているものも数多く見られ、皆様で当時の様子を思い浮かべながら町を散策しました。

聖ドナット教会

旧市街のメイン通りであるシロカ通り沿いにはたくさんのお店が軒を連ねます。ザダルの名酒といえば”マラシュキ”と呼ばれるサクランボリキュールのお酒。旧市街の対岸にはマラシュキの工場もありとても有名です。甘口、辛口と種類も様々で、小さなボトルもあるのでお土産にもぴったりです。

昼食には、ザダル名物マグロのステーキ。沖の生簀でマグロの養殖が盛んに行われており、日本の小ぶりなものに比べてクロアチアでは最大80キロまで成長するものもあります。しかもザダルのマグロは日本にも輸出されており、年間およそ2000トンものクロマグロが日本に輸出されています。身が引き締まっていて、丸一匹食べられる勢いでした。

旧市街の周辺には、浜辺の階段に埋められたパイプから美しい音色が奏でられるシーオルガンや、日没後シーオルガンの音に合わせて光る”太陽へのあいさつ”など近代的なものもありザダルの町を賑わせています。
世界遺産に登録されこれから注目の集まるザダル。その歴史、美食により多くの人々が魅了されるだろうと感じました。(西澤)

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2017年7月18日 (火)

“花の浮島”礼文島と知床の自然

 礼文の花
 先日、「クルーズでつなぐベストシーズンの礼文島と知床を歩く」の添乗より戻りました。
クルーズ船“ぱしふぃっくびいなす”で小樽港から3泊の船旅へ。
 北海道のさらに北部。稚内沖に浮かぶ礼文島は、初夏、花々が咲き“花の浮島”と呼ばれます。港では島民の皆さんが、手作り昆布茶でお出迎え。ここからフラワーガイドさんと花を観ながらのハイキングに出発しました。チシマフウロ、レブンシオガマ、オオカサモチ、オオハナウド、センダイハギ、ハイキンポウゲ、エゾカンゾウ、ハマナス、アサギリソウ、ハクサンチドリ、シャク、オニシモツケ、バイケイソウ、ネムロシオガマ、エゾオオバコ、チシマシンレイカなどを観察しながらハイキング。午後には植物園を訪れ特定国内希少種、北海道の天然記念物に指定されているレブンアツモリソウを観察しました。
 翌日は世界自然遺産、知床へ。海と陸とが一体になった生態系と、生物の多様性が認められ、2005年、日本で3番目の世界自然遺産に登録されました。知床五湖フィールドハウスから、ライセンスガイドさんの引率で、五湖全てを堪能する大ループのハイキングに出発。早速ウグイスやアオジの鳴き声が歓迎。ただいま鳥の繁殖期。オスは鳴き声や木をつつく音、羽音でメスにアピールします。花が終わって大きく育ったミズバショウ。開拓期に植えられたトドマツの木。知床の森は広葉樹も針葉樹も入り交じった針広混交林です。キビタキの声、昔は鉛筆に使われていたイチイの木、アカハラの声、ヤマブドウのツルが絡み付いた木にはヒグマの爪痕。ヒグマは木登りが上手で、ぶどう狩りをしたようです。
5湖ではルリイトトンボが飛び、ネムロコウホネが湖から咲いていました。4湖のほとりにはツタウルシ、サルナシ(=コクワ、実はキウイのよう)、ギンリョウソウ、ミズナラの木(昔ニッカウイスキーで樽の材料にしていました)にツリガネダケ。雪解け水でできた通称3.5湖にはエゾアカガエルを食べにシマフクロウがやってきます。ガイドさんのご自宅にも稀にシマフクロウが現れるそうです。羽を広げると全長2mにもなり、まるで畳が飛んでいるように見えるとか。3湖そばには、かつて知床五湖の象徴だったミズナラの木の倒木。再びミズバショウの繁殖地、クマもヒトも食べませんが、エゾシカが食べます。2湖越しに次第に雲が晴れて見えてきた知床連山。羅臼岳、三ツ峰、サシルイ岳、オチカバケ岳、硫黄山、新噴火口が並びます。
 巨大なキツツキ、クマゲラの開けた穴。穴を開けた後、長い舌で中の虫を食べますが、舌は木を突くときに脳を守るクッションの役割も果たすそうです。突いて開けた穴の形が舟に似ていることから、アイヌの人々は“舟の掘り方を教えにきてくれた神様”と呼ぶそうです。
寝ている間に次の目的地へ。クルーズの旅が快適なことは言うまでもありませんが、ぱしふぃっくびいなすは日本クルーズ客船が運航するだけあり、船員も皆日本語ができ、船内生活には一切不自由がありませんでした。 (尾崎)

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2017年7月14日 (金)

可憐な花を探し求めてピレネー山脈を東から西へ大横断

ガヴァルニー圏谷でのハイキング

先日、「ピレネー山脈大横断、ガヴァルニー3連泊とパラドール滞在の旅 13日間」より戻りました。6月後半、気温が予想外に上がって毎日30度になるほどで、思わぬ暑さに心折れそうに…。しかし、概ね晴天に恵まれたのはやっぱりありがたく、お陰で、ピレネーの山々の素晴らしい風景や一気にピークを迎えた花々を毎日堪能することができました。

ヨーロッパで山と花を楽しむというとアルプスが思い浮かびますが、欧米ではピレネーもアルプスに匹敵する(と思っています)人気の山岳観光地。とはいえ、観光客はまだアルプスほど多くなく(日本人や中国人もまだ少ない気がします)、山あいの村はこじんまりとしてのんびり過ごせ、個人的にピレネーは穴場です。

ピック・ドゥ・ミディ展望台からピレネー山脈を一望

氷河が削り出した圏谷(カール)・U字谷などの迫力ある風景や、ピレネー固有の花をハイキングで楽しむことにはもちろん、4WDに乗って氷河湖と山を楽々と見学したり、ケーブルカーで2800mの山頂まで登って東西に広がるピレネーを一望したり、山あいを走る観光列車に乗ったりと、様々な方法でピレネーを楽しみました。

ピレネーの花々

中でも思い出深かったのは、どこに行ってもたくさんの花を見つけられたこと。足元をキョロキョロしながらまだ見ぬ花を探し、見つけたら本で名前を調べ、写真を撮り、また少し進んでは次の花を見つけ…。今回は、ガイド自ら率先して(夢中になって?)花を探してくれたお陰で、日本ではお目にかかれないピレネーの花にたくさん遭遇。近年、アルプスではなんだか見つけにくくなったエーデルワイスにもたくさん出会えました。「少し寄り道してマーモットを探しに行こう」と言われ、歩いた先では、ちゃんとマーモットに遭遇!ガイドは「マーモットに予約を入れておいたからね!」と冗談を言っていましたが、出会えそうなところを知っているのはさすがでした。

ピレネーの花々

みんなで目を凝らして新しい花を見つけるのはとても楽しく、毎回充実した時間に。ハイキングとは言いながらもなかなか前に進めなかったり、つい「もっともっと!」と欲が出てしまって去りがたいこともあったり、それも楽しかった思い出です。暑い毎日に、いよいよバテそうになる時もありましたが、背後に聳える雄大なピレネーの景色がそれを吹き飛ばしてくれたのも忘れられません。

山と花を楽しみながら、ピレネーを東から西へ大横断した今回の旅は、スペインとフランスを行ったり来たり。言わずもがな、ピレネー自体が二国の国境で、ドライブしているといつの間にか国が変わっています。ただ、注意深く景色を見ていると、国境を挟んで山の様子がちょっと違うことに気づきました。フランス側は木々が少なく草原が広がる牧歌的な風景、一方、スペイン側は木々が生い茂って深い森になっていたのです。陸続きなのに山の様子が変わっているのは何とも不思議。それぞれの国の性質が山にも現れてくるのかしら?なんて思ってしまいました。
そんな風に国境を意識しつつも、旅が進むにつれ「どっちがスペイン、どっちがフランスなんて気にするのはピレネーではナンセンス?」とも思い始めました。良く考えると、ひとつの山脈をこんなに簡単に両側から楽しめるところは意外と少なく、これこそがピレネーの魅力に思えてきたからです。となれば、スペインとかフランスとかそういうことではなく、ここは「ピレネー」でいいじゃないかと。みなさんはどう思われますか?(江間)

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2017年7月13日 (木)

チェスキークルムロフの“薔薇祭り”にて中世にタイムスリップしてきました!

先日「チェコ周遊、ボヘミア珠玉の町々とモラヴィアの大自然11日間」より帰国しました。現地は夏真っ盛り!気温も25度を超え汗ばむ陽気となりましたが、からっと晴れ渡り、天気に恵まれたツアーとなりました。今回のツアーでは、この時期にしか見ることのできない緑のコントラストが延々と続くモラヴィアの大草原を走り抜けたり、チェスキークルムロフにて開かれる中世祭“五弁の薔薇祭り”へご案内するとっても贅沢な日程でした。
その中でも毎年3日間だけ開かれる薔薇祭りには心が躍りました。祭りの舞台となるチェスキークルムロフは南ボヘミア地方のブルタヴァ(モルダウ)川沿岸にたたずむ小さな町です。薔薇祭りと呼ばれますが、決してバラの花が咲き誇っているわけではありません。バラが見たければもう少し早い時期に訪れないとですね。この薔薇祭りはルネサンス時代の最後にこの地を治めていたロジュンベルク一族の華やかな時代を再現したものです。ロジュンベルク家の紋章に5枚の花びらの薔薇が描かれていたために薔薇祭りと呼ばれるようになりました。
祭り期間中はチェスキークルムロフの旧市街の広場や大小の通りが貴族・召使・農民・騎士・乞食など様々な身分の服装に身を包んだ地元民でごった返します。なんと言ってもこの祭りの見どころは、伝統衣装に身を包んだ人々が行う華麗な行進です。行進の先頭には太鼓の楽団とシンボルの赤い薔薇が描かれた旗がたなびきます。その後をロジュンベルグ一族に扮した人々、一族に使える召使、農民、そして乞食と続きます。一向が練り歩く姿はまさに圧巻。橋の上に陣取ったおかげで行進するご一向様の背景にはチェスキークルムロフ城を納めることがでました。

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夜になっても町は静まりません。街の夜空に上がる祭典の花火、特設ステージからは民族音楽ショー、そして屋台で買ったビールを片手に談笑する人々。私はホテルに戻るのが惜しくいつまでも広場に佇んでいました。(ビールも語らう友人もいませんでしたが…)
チェスキークルムロフは普段はとても静かで素朴な町。そんなチェスキーの町がこの3日間はまさにお祭り騒ぎ!さながら中世の華やかな時代にタイムスリップしたような錯覚を覚えます。
3日間の祭りを終えた翌朝、昨日までの喧騒が嘘のように広場はしーんと静まり返り、特設ステージを解体するお兄さんたちが作業をするのみ。来年の薔薇祭りまでまた穏やかないつもの町の姿へと戻っていきました。(岡山)

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2017年7月12日 (水)

3年ぶりの訪問!豊かな大自然と伝説の地へ(東トルコ)

ネムルート

 先日、「東トルコ周遊とネムルート山 10日間」のツアーから帰国しました。東トルコは今回3年ぶり、ツアー中にラマダン(断食)が明け、直後3日間はバイラム(砂糖祭と呼ばれ、ラマダンが明けたことを祝うお祭り)が続く現地のイスラム教徒にとっても特別な期間中の訪問となりました。天候にも恵まれ、連日35度を記録する猛暑の中の観光でしたが、純粋で優しい人々、様々な歴史が入り乱れて築かれてきた遺跡の数々、野花が咲きどこまでも広がる大自然が以前と変わらぬ姿で迎え入れてくれました。
 やはり旅のハイライトは東トルコの2大聖山ネムルート山とアララト山。ネムルート山は紀元前2世紀から紀元後1世紀まで栄えたコンマゲネ王国のアンティオコス1世の墳墓と神々の石像が並ぶ、世界8番目の不思議ともいわれる場所です。今回は夕景を見るため日中はネムルート山麓の観光をし、コンマゲネ王国についての知識を深めてから、夕刻にネムルート山へ向けて出発しました。この日はバイラム1日目で、日の入り時間は19時50分。ちなみに日の出は朝5時頃のため、日が昇っている時間は約15時間ととても長いです。イスラム教徒はこの時期に、ラマダンの為1ヶ月ほど日の出から日の入りまで食べ物も飲み物も断っていたため、ラマダンが明けたこの日はいつもより盛り上がっていたに違いありません。ネムルート山に登るのにスイカを丸ごと一つ担いでいく人にもすれ違いました。「イーバイラムラール!(良いバイラムを!)」という挨拶と共にチョコレートやキャンディをくれる子ども達も。そんな地元に人に癒されながら、いざネムルート山登頂です。途中まではミニバンで登りますが、ラスト20~30分は歩きます。頂上に近づくにつれ足元は悪くなっていくのですが、視界に神々の頭部の石像が見えてきた時の感動もひとしおです。もちろん元々は土台(体の上)に乗っていましたが、地震で落ちてからは地面からにょきっと頭が生えているように置かれ、何とも不思議な光景です。西側のテラスで日が沈むのを待つ間、ほとんどの人の注目は太陽ですが、振り返って見てみると神々の頭部も夕陽色に染まって普段よりも神秘的でした。
 「旧約聖書」の創世期に登場するノアの方舟伝説。堕落しきった人間を見かねた神が、唯一神に従順だったノアに方舟を造らせ、彼とその一族、そして全ての一つがいの動物たちだけを方舟に乗せた後、人類を一掃する為、大洪水を起こした話です。40日40夜続いた洪水が引いた後、ノアの方舟はトルコ最高峰のアララト山に漂着したと言われています。伝説上の話だと思われているかもしれませんが、実際にアララト山付近で発見されたノアの方舟が漂着したと言われている場所を見に行ってきました。

ノアの方舟

 それがこの写真ですが、写真中央の岩肌が何となく舟の形に見えないでしょうか。もちろん信じるか信じないかは自由ですが、私は信じたいと思います。この日のアララト山は残念ながら雲に少し隠れていましたが、次の日の翌朝、奇跡的に一瞬だけ雲がどき、ちょっぴり富士山にも似た優雅な姿を現してくれました。お天気にも恵まれ、東トルコの2大聖山を無事に拝み、次の目的地へと向かいました。(日裏)


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2017年7月11日 (火)

アーサー王が眠る地グラストンベリーへ

先日、ユーラシア旅行社の「英国南西部、ウェールズとコーンウォール半島 13日間」より帰国。ウェールズやコーンウォール半島をはじめ、イギリスの南西部を旅してきました。
ウェールズにコーンウォール半島といえば、アーサー王伝説!円卓の騎士や魔剣エクスカリバー、魔法使いのマーリン。真実はわからないけれど、その土地に残る伝説は旅にスパイスを加えてくれるような気がします。今回の旅でもアーサー王ゆかりの地をいくつか巡りました。グラストンベリーもそのひとつ。なにせアーサーのお墓があるとされている場所なのです。
グラストンベリーはイングランドのサマセット州にある、人口約9,000人の小さな街。訪れたのは、歴史を振り返ればイエス・キリストの時代まで遡ることのできるグラストンベリー修道院。あのアーサー王のお墓があるのだからさぞかし立派なのだろうと思いきや、敷地に入れば見渡す限りの美しい芝生。あれ、建物はどこだろう?よーく見てみると衝立のようなものがぽつんと立っているではありませんか。なんとグラストンベリー修道院は、天井は疎か、壁だってほとんど残ってない廃墟の修道院だったのです。こんなところに本当にアーサーの墓があるのだろうかと半信半疑で探していると、なにやら修道院の内部だったと思われる場所に看板が立っていて、看板のすぐ下には長方形のラインが引かれていました。なんだかお墓みたい…看板を読んでみると、やはりこれがアーサー王のお墓でした。伝説のヒーローのお墓まで廃墟!!(というか跡形も残っていない。)何故こんなことになってしまったのかというと、16世紀にヘンリー8世が発布した修道院解散令により、破壊されてしまったから。ヘンリー8世はこれにより、ローマと繋がりの深かった修道院の勢力を削ごうとしたのです。
しかしながら廃墟の修道院はなかなか良いものでした。哀愁漂い、味があって、何よりもかつてはどんなところだったのだろうと想像力が掻き立てられるのです。アーサー王のお墓にしても、本当にここに眠っているのか、もしかしたら生きているのではないかなんて、仰々しく装飾されているよりも想像が膨らみました。お墓の近くには、芝生に座ってのんびりすごす家族がいました。話しかけてみると、このあたりはパワースポットなのだそう。その家族に習い、私も芝生に腰掛けてみました。もしかしたらアーサー王のパワーを分けてもらえたかもしれません。(佐藤)

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2017年7月 7日 (金)

地獄から生還しました!(トルクメニスタン)

大迫力の地獄の門

先日「地獄の門とトルクメニスタン8日間」より帰国しました。なんといっても今回のツアーの目玉は地獄の門。朝にカラカスパキスタンのヌクスを出発し、国境を越えてトルクメニスタンに入国。昼食の後、がたがたの道を走ること約4時間30分。いよいよ地獄の門に到着です。
砂漠の中にぽっかりとあいたクレーター。近づくとムワッと熱気が。熱気と炎に圧倒されながらも、クレーターの中を覗き込んでみます。この地獄の門ができたのは1970年代のこと。地下に眠る天然ガスの調査中に土地の陥没が起き、直径約60m、深さ約20mもある巨大な穴ができてしまいました。そして、有毒ガスの放出を食い止めるために火をつけたのですが、ガスが放出し続けるため、なんと40年以上経った今も燃え続けているのです。今後、いつまで燃え続けるかは不明。ガスが尽きてしまったら、もうこの景色を見ることはできません。まさに行くなら今でしょ!!の絶景なのです。
キャンプサイトの様子

地獄の門の近くにはホテルやロッジはないため、本日は砂漠でのテント泊。テントの中にはマットと寝袋が用意され、意外と快適です。ドライバーさんが焼いてくれたバーベキューの夕食後、いよいよ日が沈んで辺りが暗くなったころ、再び地獄の門へ。
夜になると漆黒の中、炎が赤々と燃え盛り迫力満点!まさに地獄の景色。夜になると、炎が燃え盛る音が昼間より大きく聞こえる気がします。クレーターのまわりをぐるりとまわり、地獄をじっくりと堪能しました。
翌日は、一路、アシハバードへ。地獄から無事生還です!トルクメニスタンの首都、アシハバードは、豊富な天然資源をもとに急速に発展中。街に入ると、金ぴか、大理石の建物が建ち並び、圧巻の景色。夜にはあちこちがカラフルにライトアップされ、世界三大夜景にも引けをとらない?きらびやかさ!真っ暗な砂漠の夜と、アシハバード。まるで違う国に来たようでした。(川井)

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2017年7月 6日 (木)

世界三大美術館の一つ、エルミタージュ美術館を見学(ロシア)

先日、「JALで行く 黄金の環とロシア二大帝都 9日間 」の添乗より帰国しました。
モスクワとサンクト・ペテルブルクでは5つ星ホテルに3宿泊し、黄金の輪も訪れるゆとりのある旅です。

今年4月に東京-モスクワ線就航50周年目を迎えた日本航空にてロシアの首都モスクワへ。
日本航空のエコノミークラスは先日「ワールド・エアライン・アワード」で、全世界の航空会社のエコノミークラスシートの中で最も優れているとして
「ベスト・エコノミークラス・エアラインシート」を受賞し話題となっております。
ゆとりのあるシートピッチで機内エンターテインメントも充実しており約9時間の飛行時間もあっという間に感じてしまう程、とても快適な空の旅。

モスクワで乗り継いで北のベニスと称されるロシア第2の都市サンクト・ペテルブルクへ向かいます。


サンクト・ペテルブルクでは世界三大美術館の一つエルミタージュ美術館を訪れ、館内をたっぷり約5時間かけて見学しました。

エルミタージュ美術館は大変人気な観光地の為、入口は長蛇の列...!入館後まず訪れたのは遊牧騎馬民族スキタイの古代黄金コレクションや世界各国の使節団からの献上品などが収められた黄金の間。
こちらは特別室の為、一切写真を撮る事が出来ないのですが、眩い展示品の数々に思わず溜め息が出てしまいます。

黄金の間を見学後、階段を登り2階へ。エルミタージュ美術館のまわり方は色々あるのですが今回は有名な孔雀のからくり時計のあるパヴィリオンの間を含む、宮殿の装飾美術を見た後、
カフェでの昼食休憩挟んで午後はラファエロやレオナルド・ダ・ヴィンチといったイタリア美術やオランダ美術などを見学。
その後、旧参謀本部の別館へ移動しマティスやルノワール、ゴーギャンなどの印象派の作品を鑑賞しました。

アンリ・マティス作ダンス
最後に訪れた別館は時間帯も良かったのか丁度空いていて、まるで貸し切り状態!
有名な作品の数々をゆったりと見学する事が出来ました。中でも一番印象的なのがアンリ・マティス作のダンスです。
大きなキャンバスにダイナミックに描かれた作品は迫力満点でした。 (鈴木)

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2017年7月 5日 (水)

一足早い夏祭り、リスボンで一番盛り上がる聖アントニオ祭(別名イワシ祭り)

先日、ポルトガル物語15日間の添乗より戻って参りました。このツアーでは、大航海時代にエンリケ航海王子がアソーレス諸島と共に交通の要衝として発見したマデイラ島にも滞在しました。貿易によって持ち込まれたアフリカや南米の植物が、とても綺麗に花を咲かせていました。

そして、今回の見所は、リスボンで行われる聖アントニオ祭です。私たちは6月12日の前夜祭を見学しました。

このお祭りは、リスボンの守護聖人聖アントニオの生誕を祝うもので、各地区ごとに手作りで準備したお揃いの衣装でパフォーマンスをしながら通りを練り歩くパレードが開催されます。リベルダーデ通りに特設された客席には審査員が座っており、最も優れたパフォーマンスを見せた地区には賞が贈られます。電飾やカラフルな装飾で華やかさを出したり、その地区名産の物をモチーフにした衣装を用意するなど、見応えたっぷりです。

聖アントニオ祭

12世紀末に生まれた聖アントニオは生前から布教活動などで広く知られていたので、死後すぐに聖人となりました。彼が生まれ幼少期を過ごした場所には、15世紀に小さな礼拝堂が建てられました。そのサント・アントニオ・デ・リシュボア教会は、聖アントニオ祭の中心となっています。聖アントニオ祭は1755年に始まり、守護聖人アントニオの生誕と彼の偉業を讃えるため、開催日は彼の誕生日である6月13日となりました。

また、聖アントニオは縁結びの聖人でもあります。この日、リスボン市内から選抜された何組かのカップルは、無償で結婚式を挙げることができます。リスボンの方と婚約すれば、聖アントニオ祭での結婚式も夢ではありません。また、この日に願掛けをすると恋が叶う、告白をするとOKがもらえる、結婚をすると幸せになれると信じられていて、町では告白イベントや結婚式があちこちで行われます。

そしてさらに、この時期はイワシの解禁時期と重なっており、別名イワシ祭りともいわれ、主にアルファマ地区でイワシを焼く屋台がたくさん見られます。イワシの帽子を被った現地の人々は、美味しそうにイワシを食べています。歩いているだけで、屋台で焼かれるイワシの香りと煙が目に染みて、これこそが祭りだ!と実感します。

聖アントニア祭では、何よりもリスボンっ子たちの盛り上がりを肌で感じることができます。その雰囲気は日本の夏祭りにも似ており、自然と心が躍るお祭りでした。(松本)

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聖アントニオ祭

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2017年7月 4日 (火)

バラ摘み体験とパレードを堪能!カザンラクのバラ祭り(ブルガリア)

先日、「ルーマニア周遊とリラの僧院を訪ねる旅 12日間」のツアーより帰国致しました。

今回はバラのシーズン真っ盛り!ということで、ブルガリアのバラの谷・カザンラクにてバラ祭りへご案内させて頂きました。ユーラシアの旅では、2つの種類のバラ祭りにご案内させて頂きますが、1つは今年で10年目を迎えたユーラシアのお客様だけをご案内させて頂く「プライベートバラ祭り」ですが、こちらにつきましては、下記のブログをご参照下さい。

http://eurasia-blog.cocolog-nifty.com/blog/2017/06/post-1326.html

そして今回ご案内したのが、もう1つの方のカザンラク市が主催するバラ祭りです。毎年6月の第一週に開催され、公式のプログラムに則って、世界中の観光客が参加するという一大イベントです。
祭りの最終日にあたる6月4日(日)。まずは午前中に郊外のバラ畑まで行き、バラ摘みを体験。私たちのグループはホテルを早めに出発したので、バラ畑に一番乗りで到着でき、そのまま甘い香りを漂わせたバラの花びらを思う存分摘んで頂くことができました。さて摘んだバラの花びらは、そのままに日本に持ち帰ることも可能。ドライポプリとして活用することができまし、あるいはバスタブにバラの花びらを浮かべて、優雅にバラ風呂を楽しむこともできます。その後、地元の少年少女による歌や民族舞踊を見学してから、バラ畑をあとにし、カザンラク市内へと戻りました。

バラ畑1

バラ畑2

お昼からはメインストリートで行われるパレードの見学。ここでは地元の学校の児童や生徒、またはクラブやサークルなどのグループがそれぞれ衣装を身に纏って街を練り歩きます。

パレード1

パレード2

そして一番の見ものは何と言ってもバラの女王!前日にコンテストが行われ、そこで準グランプリの女性2名とグランプリ(バラの女王)の女性1名が選ばれ、パレード当日にオープンカーに乗り、皆の前に披露されます。

バラの女王

その姿はバラの谷に咲くダマスクローズにも劣らぬ美しさ!ふと周りの観客を見渡してみると、特に男性客の目じりが下がってたのは言うまでもありません(かくいう私もそうだったかもしれませんが)。こうしてカザンラクの2つのバラの美(花&女王)を堪能することができ、私たちはカザンラクをあとにしたのでした。(斉藤信)

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