リトアニアのヒーロー杉原千畝
先日、「バルト三国を極める旅 11日間」のツアーから帰国しました。
バルト三国は南から順にリトアニア、ラトビア、エストニアの順番で連なる国です。エストニアの首都タリンは、フィンランドのヘルシンキまで海を渡って2時間で着く近さで、今回は7月頭に訪れましたが、風はひんやり冷たく北欧の雰囲気も楽しめました。また、ラトビアの首都リガはドイツよりもドイツらしいと言われる街。旧市街には、木組みの家や三角屋根のカラフルな家、たくさんの塔が並んでいました。
また、新市街ではユーゲントシュティール建築群も見ました。ユーゲントシュティールとは19世紀にドイツやフランスで流行った建築様式でフランスだとアールヌーヴォーと呼ばれます。窓枠や外壁に人の顔の装飾が付いていて、皆様でいろいろな顔を探しながら街を散策しました。
そんなヨーロッパらしい町並みが広がるバルト三国ですが、今回はリトアニアで有名な日本人、杉原千畝の記念館を訪れました。
彼は、第二次世界大戦中、リトアニアの当時の臨時首都カウナスで、6千人ものユダヤ人にビザを発行し命を救いました。記念館は、その当時、杉原氏も暮らしていた旧日本領事館で住宅街にぽつんと建つ2階建ての建物です。この辺りはやはり日本人がよく訪れるようで、小道の角にはさりげなく「こんにちは」と日本語で書かれた家もあります。
杉原氏の奥様、杉原幸子さんの手記「六千人の命のビザ」にはこんな描写があります。朝起きて窓から見下ろすと、黒い服を着たユダヤ人が家の柵の周りをびっしりと埋め尽くしていたと。現在は家の間取りは変わってしまっていますが、当時の柵は不自然に一部だけ残されていて、当時のただならぬ雰囲気が感じられました。
中に入り、杉原氏に関する日本語のビデオを20分程見て自由時間。部屋の一角で細々とお土産も売られていました。チョコレートやはちみつに「試食」とぎこちない漢字で書かれた紙が貼られていたので、店員さんに「お兄さんが書いたんですか?上手ですね」と英語で言うと、「まあね」と日本語で答えてくれました。
そして、また別の部屋には杉原氏が実際に何千枚ものビザを書いていた机と椅子が置かれていて、写真スポットになっています。皆様も杉原千畝になりきり椅子にかけてハイポーズ!
最後にお土産屋さんのお兄さんが、リトアニアでは歴史の授業で杉原さんのことを習うので、みんな彼のことを知っていると教えてくれました。
こうして旧日本領事館を後にしました。春には家の周りは桜が満開になるそう。実はリトアニアの首都ビリニュスの公園にも、杉原氏の母校である早稲田大学から寄贈された彼の記念碑があります。そして、この公園の歩道は春になると美しい桜並木になります。
菅原道真の飛び梅ならぬ杉原千畝の飛び桜がはるばるリトアニアにまで飛んできていました。(松永)
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