2017年8月29日 (火)

ローマ皇帝が余生に選んだ街(クロアチア)

先日、「ユリアン・アルプスの懐スロベニアとアドリア海の至宝、クロアチア 11日間」より帰国致しました。
 今回のツアーは、スロベニアの首都、リュブリャナからブレッド湖、ポストイナ鍾乳洞、クロアチアではイストラ半島やプリトヴィツッェ国立公園、ダルマチア地方を11日間かけてめぐってきます。
 中でも印象に残っているのは、ダルマチア地方のスプリットです。

スプリット/ディオクレティアヌス宮殿

 スプリットは、ローマ皇帝ディオクレティアヌス帝が皇帝を退いだ後、隠居生活のために築いた街です。ディオクレティアヌス帝はスプリットの近く、サロナの街で生まれ、その後、ローマ帝国の軍人になり、地位を上げていきました。そして、皇帝にまで上り詰め、皇帝の乱立した軍人皇帝時代を終わらせた人物でもあります。彼はローマ皇帝では数少ない、引退式を行うことができた皇帝です。
 彼はスプリットで亡くなるまで静かに過ごしました。彼の死後、スプリットは他の街から来た人々により新たに街が作られましたが、基礎部分は3世紀当時のまま使われ、今でも
その姿を残しています。

スプリット/中央広場

 興味深いのは、地下の基礎部分や、広場にあるエジプトから持ってきた大理石の柱などは3世紀の時代のまま使われています。しかし、ディオクレティアヌス帝がキリスト教を迫害したために、復讐のためディオクレティアヌス帝の廟は教会に改造されたり、像はすべて破壊されたりして、彼に関係するものはほとんど残っていない点です。しかし、それでも、ディオクレティアヌス宮殿として名が知られています。
 激動の時代を治め、余生を静かに過ごしたいと願ったディオクレティアヌス帝。キリスト教徒に恨まれながらも、ローマ帝国を治めた皇帝としての偉大さをスプリットの街が物語っているようでした。(保坂)

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