吸血鬼ドラキュラの故郷、ルーマニアへ
先日、「ルーマニアとリラの僧院夢紀行 10日間」のツアーより帰国致しました。ところで有名なルーマニア人を3人挙げなさいという問いに対し、まずはモントリオール五輪金メダリスト「白い妖精」ナディア・コマネチ、ルーマニア革命により1989年に公開処刑の様子が全世界に放映された共産主義時代の独裁者ニコラエ・チャウシェスクが挙がるかと思いますが、あと1人は私は「吸血鬼ドラキュラ」を挙げます。
「吸血鬼ドラキュラ」はアイルランド人であるブラム・ストーカーによって書かれ、19世紀末に出版された怪奇小説ですが、このドラキュラのモデルになったのが、ワラキア公であったヴラド・ツェペシュであります。ヴラドが生きた15世紀のワラキア公国はオスマントルコやハンガリーなどの大国に囲まれていましたが、劣勢の中ヴラドはメフメト2世率いるオスマン軍と戦い、焦土作戦と奇襲を組み合わせたゲリラ戦法でオスマン勢を撃退させ、現在ルーマニア国内では英雄視されています。しかしヴラドの名を世に知らしめたのは英雄としての功績よりもむしろ彼の残虐性でありました。ヴラドはドラキュラの如く人の血は吸いませんでしたが、敵味方、身分の上下、老若男女関係なく、串罪による処刑を行なったと言われています。ゆえにヴラドは「串刺し公」とも呼ばれています。ここで串刺し公ヴラドの残虐なエピソードを紹介します。先述のメフメト2世が先にワラキアに派遣した使節団を串刺しにし、そのまま野ざらしにしておき、その後ワラキアへ来たメフメト2世を出迎えたのが、太陽の熱で腐敗し野鳥についばまれた、見るも無残な使節団の姿であり、これを見たメフメト2世は戦意を喪失したというものです。
今回「ドラキュラ城」とよばれるブラン城へ行きましたが、実はこのお城にはヴラドは滞在していません。それではなぜここがドラキュラ城なのか?実はヴラド自身の居城は廃墟になってしまいましたが、ヴラドのおじいさん(ミロシュ老公)がここを居城にしており、森深い場所にひっそりと立ち、秘密の抜け道や薄暗い廊下を持ち、小説のイメージ通りの佇まいを持つことから、ここがドラキュラのお城になったとか。現在はルーマニアで1、2を争う観光地であるがゆえ、観光客で溢れかえり、周りにはTシャツ、マグカップ、アクセサリーなどのドラキュラグッズを売るお店が軒を連ねているため、正直薄気味悪い印象はありませんでしたが、それでもお城の中にはヴラドがどのように串刺しにしたかという展示を見て、少々背筋がぞっとしました。
それからもう一ヶ所。12世紀にザクセン(ドイツ)人が入植し、15~16世紀に繁栄を極めた丘の上の城塞都市シギショアラへ訪れました。実はこの街、ヴラドが生まれた場所であり、彼の生家も残っていますが、現在はレストランとなっており、私たちも夕食をここでとりました。気になるメニューですが、メインディッシュはなんとドラキュラの心臓!もちろん本物ではありませんが・・・。その正体は赤パプリカの肉詰めで、トマトソースとホワイトソースがかかっており、見た目は少々グロテスクでしたが、味は普通においしかったです。こうして「ドラキュラの心臓」食べて悪魔祓いをした私たちはレストランを後にしたのでした。(斉藤信)
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