2017年11月29日 (水)

サン・マルタンから授かった「サン・マルタンの夏」

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先日、「サン・サヴァンと西フランス・ロマネスク」の旅から帰国しました。旅はフランス南西部の町ボルドーから始まり、パリが終点でした。このルートは、サンティアゴ・デ・コンプステラへの巡礼路でもあります。イエスの使徒の一人、聖ヤコブの遺骸が9世紀に発見されると、各地から巡礼者が訪れるようになり、キリスト教の聖地となりました。お今回は、その巡礼路の途上にある街や村でロマネスク教会をめぐることが目的の旅でした。主に11世紀~12世紀頃に建てられた小さな教会は、村の中に溶け込むように佇んでいます。そんな教会の内部壁一面のフレスコ画や彫刻で装飾されているのが特徴です。

今回、訪問した教会の中でも印象的だったのが、ノアン・ヴィック村サン・マルタン教会のフレスコ画です。この時代は文字の読めなかったキリスト教徒にわかりやすいように、聖書の物語が描かれています。「受胎告知」や「東方三博士の礼拝」といった場面も臨場感のある活き活きした表情で描かれていて、感嘆するばかりです。
この教会の名前は「サン・マルタン」ですので、マルタンに捧げて創設されました。マルタンは4世紀に古代ローマ帝国に生まれた軍人でした。アミアン(現在のフランス北部)に派遣されていたマルタンは、ある寒い日に物乞いに自分のマントを半分に切って施します。実はその物乞いはイエス・キリストであったことから洗礼を受け、ポワティエやトゥール周辺で、伝道活動を続けました。フランスでは大変人気のある聖人です。ロワール川のほとりのサンブノワ・シュル・ロワールにあるサン・ブノワ教会の柱頭彫刻に注目してみましょう。マントの両側をサン・マルタンと物乞いが持ち、剣で半分に切っている様子が彫刻されています。

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マルタンは生涯のうちに何度も奇跡を起こし、殉教することなく、カンドという地で没しました。マルタンの没後、その遺体を聖遺物とするために、トゥールとポワティエの間に争いが生じました。そこでトゥールの人々は、夜のうちにサン・マルタンの遺体をこっそりカンドから運び出したと言われています。さて、話をノアン・ヴィックのサン・マルタン教会に戻しましょう。この教会には、マルタンの遺体を運び出す様子が壁画に描かれています。ベッドを窓から出している様子は、臨場感たっぷりです。フレスコ画からは、なんとかサン・マルタンの遺体を獲得しようと必死な様子も伝わってきます。果たして、サン・マルタンの遺体はロワール川を遡ってトゥールにたどり着き、現在もトゥールに聖遺物が伝えられているのです。

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サン・マルタンの遺体をロワール川で運んだ日は、11月にもかかわらず川岸が花で埋め尽くされるほどの暖かな陽気であったと言います。そのことから、「小春日和」をフランスでは「サン・マルタンの夏」と呼ばれるようになったと伝えられます。今回の旅行は10月下旬で、セーターやジャケットを着こむ季節でしたが、ノアン・ヴィックのサン・マルタン教会を訪れた日だけは、気温が25度ほどの暖かな陽気でした。まさにサン・マルタンの夏に、サン・マルタン教会を訪れました。これはサン・マルタンから授かったお天気のプレゼントだったのかもしれません。(斎藤さ)

 

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