2017年11月24日 (金)

私が見つけた熊野古道伊勢路、3つのキーワード(三重)

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 先日、三重県の熊野古道伊勢路を歩くツアーに行ってきました。日本書紀や古事記の神話の時代から、紀伊山地は神々が集まる神聖な場所として知られたいた場所。人々はこの熊野に極楽浄土を求めて歩いていたそうです。
 その中でも熊野古道の伊勢路は三重県の伊勢神宮から熊野までの約170kmを指し、上皇など身分が高い人が歩いた紀伊路と比べ、お伊勢参りを終えた庶民が熊野へ向かう参詣道として利用されたルートです。私たちはその庶民ルートの一部の峠越えに挑戦してきました。

そこで、その伊勢路の3日間をキーワード「石畳」「徐福」「里山」、この3つを通してご紹介したいと思います。

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■「石畳」

伊勢路の特徴は、やはり何と言っても山道に続く美しい石畳。私たちは伊勢路の中の、馬越峠、ツヅラト峠、波田須の道、3か所をハイキング。江戸時代の人たちが1日20~30キロ歩いて完歩したルートの良いとこ取り。なんと、紀伊半島東部は日本有数の多雨地域で、屋久島の次ぐらいに雨が多い場所、東京の約3倍以上。その為、山道が崩れないように舗装する為に敷き詰められたのが、この「石畳」だった訳です。古いもので鎌倉時代の石畳も残ります。「ここは籠屋がいたところ、ここは茶屋があり、ここで足を洗う洗い越し」と歩きながら語り部さんが説明してくれ、往時の情景が目に浮かぶようでした。

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■「徐福」

全国に残る徐福伝説。秦の始皇帝に命じられて「不老不死」の薬を求めてきた人物。約3千人の従者を連れて海を渡り、日本に今から2200年前に行き着いたのですから、想像を絶します。本当は始皇帝の暴君ぶりに堪えられなくなって亡命してきた説もあるそうですが、日本全国に徐福が辿りついたとされる場所が残り、ここ三重の波田須にも徐福のお墓があります。ここに到着した証拠に、当時中国で使われていた半両銭がこの辺りで出土したと語り部さんがなんと本物を見せてくれました。半信半疑になりながらも、去り際に不老不死の薬とされた「天台烏薬(テンダイウヤク)」を実はひっそりとポケットに忍ばせました。

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■「里山」

ゆっくりと林道を歩き終わると伊勢路では必ず里山が見えてきます。ちょうど10月の下旬、秋の季節だったこともあり、収穫の時期。歩いていると「どこから来なさったのか」と尋ねられ、話が弾むと、やれサツマイモ、やれ蜜柑、と収穫物をおすそ分け。観光客をも温かく迎え入れてくれました。こんなこと都内ではきっとあり得ません。また流行りのIターン転職で他県から移住して働いている若者にも多く出会い、彼らが作る地元直産蜜柑ジュースは絶品でした。普段の生活では感じない人と人との繋がりを感じた優しい空間にほっこり。

神様も仏様もいる聖地、熊野古道。神仏混淆(習合)の日本独自の宗教観が息づく、スピリチャルな紀伊半島。普段は全くもって歩かないのに、次は中辺路、小辺路の順に挑戦したい!と帰路、神は私を決意させました。(坂岸)

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