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2018年1月

2018年1月31日 (水)

ベルリンフィルジルベスター VS ウィーンフィルニューイヤー(ドイツ、オーストリア)

2017年12月29日発「ベルリンフィル・ジルベスターとウィーンフィル・ニューイヤーコンサート 7日間」の添乗に行って参りました。

世界最高峰を競うベルリンフィルとウィーンフィルによるコンサートにて年末と年始を過ごせる何とも贅沢な内容で、ベルリンフィルに関していえば、サイモン・ラトル氏によるベルリンフィルジルベスター最後の指揮ともなり、感慨深いものがありました。

このツアーでは、近い日にち間隔(12/30ジルベスター、1/1ニューイヤー)で両フィルのコンサートを聴けることから、聴き比べができたところが面白く感じました。

2017年末ベルリンフィルジルベスターで演奏された曲の中には、ドヴォルザークやR.シュトラウスの曲と共にバーンスタインとショスタコーヴィチの曲を含めたプログラム構成が印象的でした。バーンスタインが作曲した「オン・ザ・タウン」(ミュージカル)は、ノリがよい曲で、「ベルリンフィルのジルベスターコンサートは格式が高く、クラシックも詳しくない自分が聴いてどうなのだろう・・・」というような事前に不安を抱いていた人の緊張をほどいてくれた気がしました。昨年(2017年)、日本の某新聞記事にラトル氏が「二度と聞きたくない言葉は、〝クラシック音楽はエリート層の為のもの”」とあったのを思い出しました。すべての人がクラシック音楽を好きになるようにと尽力しているからこその、このようなプログラムになったのかなと思いながらノリのいいオン・ザ・タウンを聴き入りました。(余談ですが、オン・ザ・タウンは、日本の某男性アイドルグループも2014年にミュージカルをしましたので、曲だけでも知っている人は日本でも多そうですね。)旧ソ連の作曲家ショスタコーヴィチは、私はほとんど彼に対する知識がなかったので、調べていくと、ベルリンフィルにて彼の曲が演奏されたのは彼がベルリンとふとした関わりがあることがわかりましたが、それがプログラムに取り入れられたかはわかりません。しかし、決めつけられた理由ではなくプログラム構成への自由な考えをラトル氏は許してくれそうなので、私のつぶやきにとどめたいと思います。

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<ベルリンフィル・ジルベスターコンサート>

ウィーンフィルによるニューイヤーコンサートは、ベルリンフィルとは反対に、やはり格式高く、敷居が高いイメージそのものでありましたが、それがウィーンフィルによるニューイヤーコンサートの良さでもあることを実感してきました。シュトラウス一族の曲は、王室や貴族の為に作られた曲であり、上流階級の人たちの耳に入る曲であると頭ではわかってはいたものの、実際耳にしたときは想像していた以上のお上品な音に驚きました。「作曲家がイメージし、楽譜にこめられた音を忠実に再現するのが演奏者と指揮者の使命」というのを聞いたことがあります。優雅なメロディ、王室を讃える感情、歓喜が込められた曲は、約200年前の作曲家のメッセージであり、表現したい感情であり、それを伝統的に表現し続けてきたのがウィーンフィルだと思いつつ、素人の私にもお上品な音に感じられた体験ができたことは感慨深いものでした。庶民派の私には、その上品な音というものを感じられたことを嬉しく思い、クラシックファンが憧れる聖地・楽友協会にある美しい花で飾られた黄金の間の雰囲気を味わえたことは光栄で貴重な体験にもなりました。

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<楽友協会ニューイヤーコンサート>

どちらがよい、どちらが最高というわけではなく、どちらもよく、最高!それぞれの良さがあり、その良さを味わえる。好き嫌いがはっきりする場合は、興味のある音楽を聞けばいいと思いますが、異なるからこそ、様々な曲の選択肢を与え、自分好みの音を聴く機会を得られたり、逆に未体験の音を聴く機会からその体験によって得られる感動も多くなる。会場の雰囲気や生の音による耳あたりと体感で音楽を味わえる楽しみを得たツアーでした。

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2018年1月30日 (火)

マルタ共和国のはじまりはエジプト文明よりも古かった!

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<ヴァレッタ>

先日「陽光のマルタをめぐる~5つ星ホテルに5連泊~7日間」のツアーより帰国しました。マルタは東京23区の半分の面積の小さな国ですが、見どころがいっぱい。このツアーでも地中海のきれいな海や、美味しい食事、そして今なお謎が残る巨石神殿や、ヨハネ騎士団が築いた城塞を訪れます。

特に印象に残った場所は、最終日にご案内した首都ヴァレッタの考古学博物館。この博物館にはエジプト文明よりも古い、マルタの歴史が凝縮された博物館です。最初に行ったのが、先史時代(紀元前5000年頃~)にあたる展示品。ここでは現在のマルタ島では想像もできない話がありました。それは、過去マルタ島には、川や森があり、動物達も多く住んでいたそうです。日本の淡路島の半分の大きさしかなく、過去、船を創るために森林をすべて伐採している現在のマルタ島からは本当に想像もできない話でした。さらに、驚きが隠せないのはやはり巨石神殿の謎。当時どのように巨石が運ばれていたのか、どのような物が使われ、どのように生活していたのか。今もなお、謎に包まれています。巨石神殿を知る重大な展示品がたくさんありました。考古学博物館は本物が多く展示されている為、最初に訪れてから、実際の神殿に訪れるのも良し、最後に復習として考古学博物館を訪れるのも良し、興味はつきません。
緑豊かなマルタや巨石文明、まだまだ謎を知る手掛かりは神殿に眠っていそうでわくわくさせられました。(森)

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2018年1月26日 (金)

自然の恵みから生まれた、イタリア、サン・ダニエーレの絶品生ハム

スペインのハモン・セラーノ、イタリアのパルマ産プロシュート…。生ハムといえば何を思い浮かべますか?一説では古代ローマの時代から、愛されてきたといわれる生ハム。ワインや野菜、チーズとも相性抜群で、現代でも特にイタリアの食卓には欠かません。

イタリア東端、北部にプレアルプス山地、そして南にはアドリア海という場所に位置するフリウリ・ヴェネツィア・ジュリア州にある小さな町、サン・ダニエーレ。食通以外は名前を聞いたことがないという人がほとんどかと思います。この町はアルプスからの冷たい風とアドリア海からの暖かな風が出会う場所。何の変哲もない小さな町ですが、この恵まれた気候により、生ハムの名産地として、世界的にも名をあげました。

早速、町のシンボルである大聖堂を横目に、こじんまりとした、町の中心に位置する家族経営のアットホームな生ハム工場兼レストランへ。壁にはスライス前の豚の肉の塊がずらりと吊り下がっています。もちろんこの工場でつくられたもの。味見の前に、生ハムがつくられる工程を見学。まだ若いこの家族の息子さんの案内のもと、塩漬けから、熟成まで、細かく温度が分けられた貯蔵庫をのぞかせてもらいます。生ハムの風味には欠かせない良質なバクテリアを育て、乾燥しすぎないよう、表面にラードを塗るなど細かい工程を経て、最後は開放的な部屋で熟成の段階に入ります。熟成室は建物の一番上に設けられ、天気の良い日には窓を開けたままにしておくそう。この土地の気候を利用し、最大限に風味を引き出していきます。

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<生ハム貯蔵庫>

見学後は、ワインと共に、お皿いっぱいに盛られた生ハムの試食。熟成する上で、最適なサン・ダニエーレ特有の気候でじっくりと寝かされた生ハムは、口の中ですぐにとろけていき、まさに絶品。手間ひまかけて作られている様子を先に見学しているので、さらに美味しく感じます。パルマの生ハムと比べると塩気が少し少ないのが特徴です。この独特の風味はこのサン・ダニエーレの土地ならではのもの。パルマ産と比べると生産量では圧倒的に少ないサン・ダニエーレ産。しかしその分、この小さな町の小さな工場で、作り手が心を込めてひとつひとつ仕上げていくのです。

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<生ハムスライス>

ところで、フリウリ・ヴェネツィア・ジュリア州は他のイタリアとは一風変わった、郷土料理が楽しめることでも有名です。この州はオーストリアやスロベニアと国境を接し、周辺国の影響を受けた料理が多いのです。そんな美食家もうならせるこの州の特産がサン・ダニエーレの生ハム!温かく迎えてくれた、彼らの素敵なおもてなしの影響もあるかもしれませんが、今まで食べた中で、一番美味しい生ハムでした。(荒川)

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<オーナーの家族>

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2018年1月25日 (木)

カラフルではないけれど、温かみのあるウズベキスタンの陶器

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<カラフルではないけれど温かみのあるウズベキスタンの陶器>

先日、「青い都サマルカンドと古都ブハラ 7日間」の旅より帰国しました。ウズベキスタンは、冬の気温がとても低くなることで有名ですが、今回のツアー中の最高気温はなんと、17度にもなる日本の秋のようなお天気が続きました。

今回訪れたブハラ州のギジュドゥヴバンは、陶器の町として知られています。ウズベキスタンの陶器の名産地は他にもリシタンやタシケントなどがあり、リシタンは青色を基調としたもの、タシケントはウズベキスタン全土の様式をミックスしたものなど、町によって特徴があります。

ギジュドゥバンの陶器の特徴は、焼く際に逆さまにして3本の針で支えるため、内面に針跡が残り天然釉薬が雫のように垂れた開口部の形になることです。また、カラフルなリシタンやタシケントのものと違って深い黄色、濃い緑、青、茶などを基調としています。その配色はとても温かみがあり、どこか懐かしいような気分に・・・。

ここで、見学した陶器工房の職人さんから聞いた小話を1つ紹介します。天然釉薬を作るためにロバに大きな石臼を挽かせますが、ロバの仕事があるのは、1年の中で3日のみ。なんと、362日はのんびりと出来るのです。そんなのんびりとしたロバが挽いた釉薬を使っているために、温かみのある陶器が出来上がるのでしょうか。

見学後は、職人さんが用意して下さったお菓子とお茶で束の間のティーパーティー。温かみのある陶器に囲まれて、ゆったりとした時間が流れる空間でした。(近野)

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2018年1月24日 (水)

ブログ移転のおしらせ

平素よりユーラシア旅行社の添乗員ブログ「添乗見聞録をご覧くださり誠にありがとうございます。

当ブログはサイト移転に伴い、2018年1月より、下記のアドレスに移転しました。

今後は新ページから更新いたします。
何卒宜しくお願いいたします。
なお、ブックマーク・リンクなどを設定されている方は、併せてご変更をお願いいたします。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

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玉手箱のようなオマーンへ

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<ワヒバ砂漠にて>

先日、「オマーンの絶景、ワヒバ砂漠と煌めきのアラビア海 7日間」より帰国しました。
アラビア半島の南東に位置するオマーンは、サウジアラビアやアラブ首長国連邦、イエメン等、名だたる国の中ではどうにも知名度は高い方ではないように思えます。アラビア半島の国々を周遊するツアーなどがある中、オマーン1ヵ国で一体、何を見るの?といった質問も出発前に何度もうけました。しかし、蓋を開けてみればびっくり!「こんなに色々なものが見られるとは思わなかった。」そう、あまり知られてない分、驚きも倍増なのです。
毎日違ったオマーンの顔を見ることが出来る。これがオマーン旅行の最大の魅力。それってどんな顔!?を簡単にご紹介させて頂きます。

<現在のオマーン>
高層ビルが立ち並び、白を基調とした建物、ごみ一つ落ちていない清潔感溢れる街。マスカット。颯爽と走る車やバスはどれもピカピカ。どこまでも伸びる道路は、私たちをどんな田舎にでも快適に連れて行ってくれます。実は約40年前まではここオマーンには舗装道路がたった10㎞しかなかったそうです。それまで鎖国状態の未知なる国だったオマーンは現国王カブースによって目覚ましい進歩を遂げてきました。生まれ変わったオマーン。国王が国民に寄進したとされるスルタン・カブース・グランド・モスクは圧巻です。

<歴史に触れる古都ニズワ>
内陸部のオアシス都市にあるニズワは日本でいえば京都。全て真新しく感じるマスカットの新市街とは対照的にここではオマーンの古い歴史に触れることができます。かつてのポルトガルの占領により一躍国際的な交易拠点へと急成長したオマーンはついにはポルトガルを追い出しインド洋へ、そして東アフリカへと進出していきました。そんな時代は外にも内にも敵が多く、丘の上に残る監視塔や強固な要塞からも冬至の様子をうかがえます。要塞の中には敵が攻めてきた時、いざっ!の仕掛けが至る所に散りばめられ、まるで忍者屋敷?敵の攻撃に怯える事もない現代の街はいっぱいのナツメヤシに囲まれた本当の意味でのオアシスのような所でした。

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<ニズワ郊外のオアシス>

<手つかずの自然を体験!ワヒバ砂漠&ワディ巡り>
国土の80%が砂漠であるオマーンの中でも最大と言われるワヒバ砂漠では赤と黄色の美しい砂漠をご覧いただけます。時間ごとにその色を変える砂漠。暗くても足元を照らしてくれるほどの月の明かり。音のない静かな砂漠での宿泊。また、手つかずの自然と言えば流水で出来た小さな峡谷や谷間であるワディ。自然が造り上げた景観もさることながら、山から湧き出る天然水による川や池が自然のプールとなり現地の人々にも、そして私達にも絶好の遊び場を提供してくれます。

<ダウ船>
マスカットやスールの真っ青の海に浮かぶダウ船。ヴァスコ・ダ・ガマが来る前、つまりヨーロッパ人が来るよりももっと昔からインド洋に半年ごとに吹く季節風を利用してアラビア、ペルシャ、インドに東アフリカと大海原を自在に往来していていました。今は観光船として使われているダウ船だが、ふと、象牙や香料などを積んで風に乗ってやってくる人達の賑やかな情景が目に浮かぶようでした。

百聞は一見に如かず。オマーンの魅力は計り知れません!!(岩間)

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2018年1月23日 (火)

美しきジェミラ遺跡(アルジェリア)

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<ジャミラ遺跡>

先日「世界遺産ムザブの谷とアルジェリア・ハイライト 8日間」の添乗より帰国致しました。今回のツアーでは、アルジェリアの北部を周遊。一般的には治安が心配されていますが、現地では何も問題なく観光することが出来ました。

特に印象に残ったのは、アルジェリアの地中海から内陸へ150kmの山中にあるローマ帝国の都市だったジェミラ遺跡。
この都市遺跡の始まりは、紀元後1世紀。ローマ軍の要塞として建設され、2~3世紀に最盛期を迎えました。
現在の‟ジェミラ“という名前はアラブ人がつけたもので‟美しい”という意味があります。それまではラテン語の名称で「クイクルム」と呼ばれていました。この遺跡は、保存状態の良さから1982年に世界遺産に登録されています。
遺跡の入口を入ると、さっそく円柱やレリーフがゴロゴロと転がっています。
まずは、この遺跡の目玉の一つである博物館を見学。この博物館には、遺跡から見つかった保存状態が良い素晴らしいモザイクがびっしり壁一面に並びます。おなじみの魚のモザイクや植物だけでなく、ヴィーナスの誕生やゼウスの誘拐などテーマ性もあり、モザイク好きにはたまらない場所で暫らく見ていても全く飽きません。
博物館を出ていよいよ遺跡へ。ここは、山の形に合わせてローマ建築が持ち込まれた点に特色があり、劇場、2つの集会場、寺院、バジリカ、アーチ、街路、住居群などが現存しています。丘の上が遺跡の新しい部分で下に行くほど古い年代になっていきます。この遺跡で最も保存状態が良いエリアには、カラカラ帝の凱旋門やセプティウス・セウェルス帝のバジリカ、広場があります。
広場に立ってみると、凱旋門もバジリカも見渡すことが出来ます。想像以上にそれぞれの遺構がとても綺麗に残っているため、まるでローマ時代にタイムスリップしたかのような錯覚に陥ります。
最後は大浴場も見学して出口へ。遺跡を去る頃には、夕方になっていたため夕日に染まっていく遺跡も素晴らしく何度も後ろを振り返りながらこの場所を後にしました。(山下)

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2018年1月19日 (金)

タスマニアで出会う!かわいい動物たち(オーストラリア)

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<タスマニアンデビル>

先日、「地球に深呼吸!タスマニア大満喫の旅9日間」より帰国致しました。お天気にも恵まれ、タスマニアの大自然の中でのハイキング、美食の島で味わう名物料理、可愛らしい動物たちに癒された旅でした。

ご存知の通り、オーストラリアは有袋類の楽園!海に囲まれたオーストラリア大陸は大型動物の侵入がなく、現代まで有袋類の楽園が築かれてきました。カンガルーやワラビーは日本でも動物園で見られますが、その他様々な動物を今にも触れられるほどの距離で見ることができました。
残念なことに、こういった動物たちが車に轢かれてなくなってしまっています。バスでの移動中も死骸を何度か目にしました。夜行性の彼らは夜、車のライトによってきてしまうそうです。さらに、絶滅の危機に瀕しているタスマニアンデビルは、森のハイエナと呼ばれ死んだ動物の肉を食べます。道路に出てくれば餌があると習慣づいてしまった彼らは自ら危険な道路に出てきて、車に轢かれてしまうことがあるようです。少しでもこういった悲惨な事故を減らそうとタスマニアでは「ドライブスローリー(ゆっくり運転しよう!)」と運転する人みんなが心掛けています。

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<ウォンバットの赤ちゃん>

ホバート近郊のボノロング野生動物公園では、前述のような事故で怪我を負った動物や、孤児になってしまった動物を保護し育て、元気になったら野生へ帰す活動をしています。ここでは、日本の動物園のふれあい広場のようにカンガルーにエサをあげたり、日本ではなかなかお目にかからないタスマニアンデビル、事故にあってなくなったお母さんの袋から救出された子供のウォンバット、コアラも手の届く近さで見ることができました。限られた観光時間、後ろ髪をひかれる思いでその場を後にしましたが、クレイドルマウンテンに移動してびっくり。

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<野生のワラビー>

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<野生のハリモグラ>

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<野生のウォンバット>

大げさかもしれませんが、「右にも、左にも、前方にも?!」というほど目にする野生動物たち。国立公園内をハイキング中はもちろんですが、今回宿泊したクレイドルマウンテンロッジは国立公園内でまさに自然の中。敷地内を歩いていると数々の野生動物に出くわします。こちらのことは見向きもせず黙々と食事をするウォンバット、ぴょんぴょんと目の前を通り過ぎていくワラビー、珍しいハリモグラなどが沢山!動物好きにはたまらない空間でした。外敵のいない土地で豊かな自然の中のびのびと暮らすタスマニアの動物たち。彼らの暮らしが私たち人間によって脅かされないことを心から願います。(市川)

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2018年1月18日 (木)

行ってみないとわからない、社会主義国キューバの暮らし

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<キューバの音楽隊>

先日、「カリブの楽園、じっくりキューバ8都市周遊 9日間」の添乗から帰国致しました。
日本は真冬の今の季節ですが、キューバは日中半袖で過ごせるくらいの観光日和が続いております! というのもキューバは年中常夏で乾季と雨季に分かれています。日本が寒くなる時期に乾季に入ったところで、現在ベストシーズンを迎えています。

そんなキューバですが、皆様はどんな印象をお持ちでしょうか?
社会主義の国だから、生活に困って国民から不平不満の嵐? 政情不安で、国内の治安が心配?
いえいえ、そんなことはございません。キューバの町中を歩いていると、どこからともなく音楽が流れ、人々は踊り始め、笑顔でお酒を酌み交わす光景をよく見かけます。
キューバに行ったことのない方々は、そんな人々の楽観的な雰囲気に驚かれるのではないでしょうか。

このようなキューバの様子を見ると、意外とキューバの人達は豊かな暮らしを送っているのかな?と思ってしまいますが、
キューバの国家公務員の月の平均給料は約3500円。
社会主義国なので配給があると言えど、その配給も食料のみ、それも有料。毎月お米が一人につき5kgで4円と激安ではありますが、足りない分をスーパーで買うとすると50倍以上の値になります。
お給料だけでは到底家族を養っていけないと、貧しさを訴える人も少なからずいます。
しかしながら、キューバの国民は、人様の物を盗んで自分のものにしようと思う人がとても少ないのです。やはり海外なので細心の注意を、ということが基本ではありますが、統計上でも国内の犯罪率は低いと言われています。
それは、街を歩いていると目に入る、常に開けっ放しの窓やドアの様子からも窺えます。
ドアを開けていても、中に誰もいなくても、物を盗って行く人などいないのだと分かっていないと、こんな行動には出られないと思います。
このようなオープンな雰囲気に「大丈夫なの?」と私たちが心配するのは、キューバの人々にとっては無粋な心配なんですね。

いま、キューバは変革の時期を迎えつつあります。
キューバの人々がより便利に暮らせるというなら、これから起こり得る変化、例えば外国資本の店やホテルが増えたりといったようなことも喜ばしいのかもしれません。
もしかするとこんな雰囲気のキューバは今しか見ることが出来ないのかなと思うと、切ないような得したような気持ちになります。そんなことを感じたキューバの滞在でした。(三好)

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2018年1月17日 (水)

神秘のオーロラを求めて(カナダ・イエローナイフ)

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<オーロラビレッジにて>

先日、「オーロラのメッカ、イエローナイフ滞在6日間」より帰国しました。
ありがたいことに、入社してからというもの毎年いろんな国で年を越えてきました。除夜の鐘をここ数年聞けていないので寂しいような気もいたしますが…。そんな今回はマイナス30℃の極寒年越しを経験してきました!

なぜ、極寒の地に赴いたのかといえば、ツアータイトル通りオーロラに出会うため!オーロラは北に行けば行くほど見られると思いがちですが、実はそんなに単純なものではなく、“オーロラベルト(帯)”と呼ばれる範囲に位置していることが重要となります。オーロラベルトとは地球上でオーロラが最も頻繁に出現するエリアとされ、北半球・南半球ともに緯度60度~70度のあたりを指します。ここイエローナイフもオーロラベルト上に位置し、3泊の滞在でオーロラに出会える確率なんと95%というまさにオーロラのメッカなのです。

私たちも4回のオーロラチャンスがありました。オーロラは暗い夜が勝負。日中はイエローナイフのダウンタウンやオールドタウンの散策、そして犬ぞりやかんじき体験など極寒の地域ならではのアクティビティをお楽しみいただきました。グループのお客様からは「こんな極寒の中を犬ぞりで駆け抜けたら凍ってしまうよ~!」なんて心配の声が上がりましたが心配ご無用。最近若者に大人気のブランド、カナダ・グース社製の防寒ジャケットと防寒パンツ、そしてフェイスマスク・手袋・スノーシューズまで頭から足先まですべて現地にて無料でレンタルすることができます。防寒具にすっぽり身を包むと、お客様誰が誰だか分からなくなりますがなんだが愛らしいフォルムになります。お揃いの防寒具ということも仲間意識を芽生えさせてくれたように感じます。

メインのオーロラ出現率は今回は50%というところでしょうか。初日と最終日は少しさびしいオーロラ出現となりましたが2・3日目のオーロラといったら息を飲む美しさでした!暖かいテントの中で熱々の飲み物を頂きながら暖炉を囲み談笑。外から「オーロラ出たぞ~」「Wow!」の声が聞こえるとカメラ片手に飛び出して行ってオーロラ観賞のはじまりです。お元気なお客様はオーロラの第1発見者となるべく出ずっぱりで空を見上げていらっしゃいました。一時として同じ姿の無いオーロラ。龍のように見えたかと思えば、ふわぁっと柔らかいカーテンのように。時には荒々しい波のようにとたえず変化し続けます。

大晦日にはカウントダウン花火も打ち上げられ、花火とオーロラの共演にもうっとり。暗闇で初対面の人と一緒に「A HAPPY NEW YEAR!」の瞬間を楽しみ、ユーラシア名物のお雑煮もささやかながらお召し上がり頂きました。

添乗員として様々な地域に行かせて頂き、その度に新たな出会い・感動・発見があります。が、そんな中でもオーロラとの出会いは格別でゆらゆら揺れ動くオーロラを目の当たりにしたときには自然と涙がこぼれてしまいました。マイナス30度の極寒の地で涙を流すのはとても危険なのです!まつ毛についた涙は一瞬にして凍りポキッとまつ毛ごと折れてしまったのです。一瞬にして我にかえった忘れられない年越し添乗となりました。(岡山)

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2018年1月16日 (火)

2018年、初日の出の奇跡(ナミビア)

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<デッドフレイの朝日の奇跡>

この度、ユーラシア旅行社の「ナミブ砂漠と星空ハイライト 8日間」より帰国しました。年越しツアーだったので、過去の様々な年越しを思い出してみました。カンボジアでの年越しはアンコールワット。蒸し暑い朝、遺跡の前で日の出を待ちました。後光のように差す光はとても神々しくて、思わず合掌していたのを覚えています。タンザニアでの年越しも印象的です。大みそかは夜11時頃にカウントダウンパーティが終了しみんなさっさと部屋に戻ってしまいました。元旦は早朝から出かけて、サバンナの地平線に昇る朝日を眺めました。その後のサファリでは豹に出会えて幸先良い一年のスタートを切りました。スペインに行った時は飛行機の中で新年を迎え、機内アナウンスもなくガッカリした記憶があります。

元旦と言えば、日の出の写真撮影にも気合が入ります。これまでは「遺跡と日の出」や「地平線と日の出」など、絵になる初日の出を撮ることに躍起になっていましたが、今年は正反対。太陽には全く目もくれず、逆に背を向けて、絵になるポイントを探し歩きました。それもそのはず、今年はナミブ砂漠国立公園の「デットフレイ」で新年を迎えたのです。

デットフレイは、数年前、雑誌ナショナルジオグラフィックの表紙を飾った「まるで絵画のように見える景色」として一躍有名になった場所。世界最古というナミブ砂漠の最深部、アプリコット色の砂丘に囲まれた沼地跡です。1000年前には水があったという場所ですが、現在は白くひび割れた大地と枯れた木が物悲しく佇んでいます。

「朝日の奇跡」と呼ばれる光景は、日の出からほんの少しの間だけ目にする事が出来る絶景です。昇った太陽の光が砂丘を越えて差し込み反対側の砂丘に当たると、暗かった世界が一気に鮮やかなオレンジ色に変わります。上から下に徐々に日が差すため、まだ日の当たっていない大地と枯れ木は海の底のような暗さです。光と影が作り出す幻想的で美しい風景が、写真に撮ると本当に絵のような絶景として写るのです。日に照らされた砂丘は本当に美しく、刻一刻と変わる色を見ているだけでも感動できます。でも、奇跡の写真を撮りたい人は「何としても日が差す前に場所を決めないと!」と場所選びに真剣です。存在が既にアート作品のような枯れ木や、完成後に効果が表れる砂丘に生える草、光の差し込む方角と角度など、より幻想的な写真を撮るためにはシュミュレーションがとても重要だと感じました。

このツアーでは国立公園内唯一の宿泊所・ソッサスデューンロッジに宿泊しました。日の出の時間に国立公園のゲートが開くので、公園外の宿では奇跡の時間帯にデットフレイに辿り着けません。
私達はまだ月が煌々と輝いている(この日はスーパームーンでした)時間にデットフレイを目指しました。寒いし、眠いし、道はガタガタだし、砂丘を歩くのは大変ですが、この奇跡を目の当たりに出来る事を思えばなんてことはありません。数あるナミビアのツアーの中でも、ナミブ砂漠国立公園内のロッジに宿泊できるのはほんの一部だけです。今回は限られたチャンスをしっかり物にする事ができました!2018年も良い年になりそうです。(関根)

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マウンテンゴリラに会いに密林へ(ウガンダ)

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先日、ウガンダスペシャルのツアーから帰国致しました。アフリカ=サバンナなどと荒涼な風景を思い浮かべますが、ビクトリア湖や火山帯を有するウガンダは緑が美しい国です。特にルワンダ・コンゴ民主共和国との国境近くにある、ブウィンディ原生森林公園の地域は特に深い森林地帯となっており、標高2000m級の丘にも畑が作られ、棚田が広がっている美しい風景が見られます。
 そしてこの地域はマウンテンゴリラが生息する世界的にも珍しい地域です。ウガンダ、ルワンダ、コンゴ民主共和国の3カ国にのみ生息し、現在は密猟などで800頭程しかいないと言われる絶滅危機にある動物です。その上、世界中どこの動物園を探しても飼育はされていない、そんなマウンテンゴリラの全体の約半分はウガンダの密林の中に住んでいます。
今回のツアーではそんなマウンテンゴリラ達に会いに行ってまいりました。標高2600mと少し高い所にあるため涼しいくらいの気温で快適、ガイドと荷物を持って急な斜面を一緒に登ってくれる頼もしいポーター達と合流し、森林へ入っていきます。基本は見つけるまでに何時間も要するトレッキングですが、ゴリラの居場所によってはもっと長かったり、短かったりと運次第!私達は、すぐにトレッカーと合流でき、歩いて10分ほどでゴリラに遭遇できました。トレッカーとはあらかじめ早朝に森に入り、ゴリラの居場所を探しておいてくれる心強い仲間です。トレッカー達がゴリラの場所まで導いてくれます。急斜面で、深い茂みを掻き分けていく為、足をどこへ置けば良いのか分からないくらいですが、腐葉土の香りに包まれゴリラの棲み処に来た!という気分になります。

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 森を進むと、気づかないうちにゴリラが頭上に!オスの年長ゴリラ、シルバーバックでした。ムシャムシャと草を食べているところを5メートルの距離で観察。迫力満点で自然と息を潜めてしまいました。ゴリラは凶暴なイメージがありますが、危害を加えなければ、非常に大人しく、頭をポリポリ掻いたり、人間のような仕草するかわいらしい動物なのです。さらに観察していると子ゴリラもやってきました。私達、観光客がいても木に登ったり、くるくる回って遊んだり無邪気な姿が見られました。あまりの子ゴリラのかわいさに一同、心を奪われてしまいました。

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 ゴリラ保護のため観察時間は1時間、またゴリラの一家族につき8人までの観察と厳しく決まっています。時間いっぱいゴリラを追いかけ、山を登ったり、降りたり。ゴリラを見るためであれば過酷な道でも何のその!と思える癒しツアーでした。(杉林)

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2018年1月12日 (金)

2018年、初日の出の奇跡(ナミビア)

 この度、ユーラシア旅行社の「ナミブ砂漠と星空ハイライト 8日間」より帰国しました。
 年越しツアーだったので、過去の様々な年越しを思い出してみました。
 カンボジアでの年越しはアンコールワット。蒸し暑い朝、遺跡の前で日の出を待ちました。後光のように差す光はとても神々しくて、思わず合掌していたのを覚えています。
 タンザニアでの年越しも印象的です。大みそかは夜11時頃にカウントダウンパーティが終了しみんなさっさと部屋に戻ってしまいました。元旦は早朝から出かけて、サバンナの地平線に昇る朝日を眺めました。その後のサファリでは豹に出会えて幸先良い一年のスタートを切りました。
 スペインに行った時は飛行機の中で新年を迎え、機内アナウンスもなくガッカリした記憶があります。笑。

デットフレイ朝日の奇跡

 元旦と言えば、日の出の写真撮影にも気合が入ります。これまでは「遺跡と日の出」や「地平線と日の出」など、絵になる初日の出を撮ることに躍起になっていましたが、今年は正反対。太陽には全く目もくれず、逆に背を向けて、絵になるポイントを探し歩きました。
 それもそのはず、今年はナミブ砂漠国立公園の「デットフレイ」で新年を迎えたのです。
 デットフレイは、数年前、雑誌ナショナルジオグラフィックの表紙を飾った「まるで絵画のように見える景色」として一躍有名になった場所。
 世界最古というナミブ砂漠の最深部、アプリコット色の砂丘に囲まれた沼地跡です。1000年前には水があったという場所ですが、現在は白くひび割れた大地と枯れた木が物悲しく佇んでいます。

デットフレイ朝日の奇跡2

 「朝日の奇跡」と呼ばれる光景は、日の出からほんの少しの間だけ目にする事が出来る絶景です。昇った太陽の光が砂丘を越えて差し込み反対側の砂丘に当たると、暗かった世界が一気に鮮やかなオレンジ色に変わります。上から下に徐々に日が差すため、まだ日の当たっていない大地と枯れ木は海の底のような暗さです。光と影が作り出す幻想的で美しい風景が、写真に撮ると本当に絵のような絶景として写るのです。
 日に照らされた砂丘は本当に美しく、刻一刻と変わる色を見ているだけでも感動できます。でも、奇跡の写真を撮りたい人は「何としても日が差す前に場所を決めないと!」と場所選びに真剣です。存在が既にアート作品のような枯れ木や、完成後に効果が表れる砂丘に生える草、光の差し込む方角と角度など、より幻想的な写真を撮るためにはシュミュレーションがとても重要だと感じました。
 

デットフレイ朝日の奇跡3

このツアーでは国立公園内唯一の宿泊所・ソッサスデューンロッジに宿泊しました。日の出の時間に国立公園のゲートが開くので、公園外の宿では奇跡の時間帯にデットフレイに辿り着けません。  
 私達はまだ月が煌々と輝いている(この日はスーパームーンでした)時間にデットフレイを目指しました。寒いし、眠いし、道はガタガタだし、砂丘を歩くのは大変ですが、この奇跡を目の当たりに出来る事を思えばなんてことはありません。
 数あるナミビアのツアーの中でも、ナミブ砂漠国立公園内のロッジに宿泊できるのはほんの一部だけです。今回は限られたチャンスをしっかり物にする事ができました!
 2018年も良い年になりそうです。(関根)
※ユーラシア旅行社では2018年6月までの一部のツアーで国立公園内に宿泊します。

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2018年1月11日 (木)

キプロスで食べられる様々な名物料理

ハルミチーズ

先日、「アフロディーテの休日、キプロス島ハイライト 6日間」から帰国致しました。
年末年始の特別企画ということで、キプロス島のハイライトとなる部分を回るツアーです。

キプロス島の面積は、四国の半分ほどしかありませんが、パフォス考古遺跡・トロードス地方の壁画聖堂群・キロキティア古代遺跡と、3つの世界遺産があり、見どころも満載です。

観光地もたくさんありますが、キプロスは多くの名物料理があり、食事も楽しむことができます。

島国なので、海鮮も種類が豊富です。日本とは異なり、火が通っていないものを食べる習慣はありませんので、揚げ物が中心ではありますが、イカやエビなどの海鮮料理がありました。小皿料理で出てくるので、少しずつ様々な料理を楽しむことが出来ます。

海鮮料理の他にも、豚肉や鶏肉の串焼きであるスブラキや、羊肉をかまどで蒸し焼きにしたクラフティコ、羊乳とヤギ乳で作られるハルミチーズなど多くの名物料理があります。
ハルミチーズは、もちろん生でサラダと共に食べるのもおいしいですが、特にお客様にも好評だったのが焼きハルミチーズ。焼いたハルミチーズをピタパンに挟むだけ。シンプルな料理ではありますが、もちもちしたピタパンとハルミチーズの相性は抜群!とても美味です。
スブラキはシルクロードでよく見るシシカバブに似ています。

スブラキ

キプロスは、中近東・ヨーロッパ・エジプトと距離がとても近く、ヨーロッパながら文化が混在しています。
食事からもキプロスならではの文化を楽しむことができました。(椎野)


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2018年1月10日 (水)

広がり続ける大地溝帯と生きるエチオピア

ダナキル砂漠のダロール火山

先日「ダナキル砂漠と北エチオピアの世界遺産周遊 13日間」から戻りました。
12/22~1/3までの旅、クリスマスだお正月だと賑わっていたと日本とは異なり、独自の暦を使っているエチオピアではクリスマスは1/7、新年にいたっては9/11ですので、まったく特別感のない“通常営業”です。嬉しいことと言えば、エチオピアは今、2010年。7年若返りの旅ができることでしょうか。
さて、近年エチオピアで注目を浴びるのは、ダナキル砂漠とエルタアレ火山。でも今回の旅、せっかく17時間もかけてエチオピアまで行くのであれば…当社の旅のテーマは「自然、人間、文明」ですから、人間=南部の少数民族との出会い、文明=エチオピアの始まりであるアクスム王朝と宗教の聖地ラリベラ、色々回りました。

聖地ラリベラの聖ジョージ教会

とはいえやはり、エチオピアの自然は多様で、特別な場所に位置していることを感じさせます。
車や飛行機での移動中に見るのは、その起伏に富んだ…富みすぎたエチオピアの大地。平らだったエチオピア高原が大地溝帯によって分断されたのち、何万年もかけて雨風に浸食されて無数の谷を生み、国の北部は山あり谷ありの複雑な地形。直線距離だとすぐそこなのに、谷を越えないと行けない場所ばかりです。しかし、その谷が名もない大渓谷となっていて、車中で幾度となく驚かされるのです。
そして、国を北東から南西に貫く大地溝帯の存在自体が圧巻。今でも活動が続くダナキル砂漠では、ダロール火山やエルタ・アレ火山がその代表。ガスやマグマを噴出しながら現在進行形で大地を形成している景観は、他にはない絶景。それはもちろんのことながら、個人的には「今も大地が広がっている…いつか大陸から分裂しちゃうかも!?」と興奮してしまいます。余談ですが、同じような場所のアイスランドへ行った時にも「ここで大地が生まれて、しかも、日本の近くで沈んでいくのか…」と考えたら興奮したものです。

南部の中心都市アルバミンチから眺める大地溝帯

エチオピア南部へ行くと、ここにも大地溝帯が走っています。荒涼としたダナキル砂漠とは異なり、標高は1500m程までアップ。湖や緑が広がり生物が多く生息する地域です。今回はこの大地溝帯の景色を見下ろすロッジで宿泊。初日の出もこの場所で迎えることとなりました。ダナキル砂漠と南部エチオピアは同じ大地溝帯でも真逆の風景。地球はなかなかに凝った演出をするものです。
エチオピアはその歴史約3000年に渡り独立を保って文明を紡いできた国。この複雑で特異な地形が、それに一役買っていたのかもしれません。(江間)

ユーラシア旅行社で行く北エチオピアツアーの魅力はこちら
ユーラシア旅行社で行くダナキル砂漠・エルタアレ火山ツアーの魅力はこちら

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2018年1月 9日 (火)

奴隷海岸を歩いて思ったこと(西アフリカのガーナ)

先日、西アフリカのベナン、トーゴ、ガーナ3ヶ国を巡るツアーから帰国しました。

西アフリカ一帯は年間を通して気温が30℃前後の熱帯地域です。
11月~4月の乾季は比較的過ごし易い気候と言われていますが、沿岸部などは海風で湿気が多く、熱帯特有のねっとり肌に纏わりつくような重い空気の中で汗をかきかき、観光をしてきました。
今回のツアーの中では、西アフリカの土着信仰であるブードゥー教やガーナのアクラで黄熱病の研究に携わった野口英世の研究室、世界遺産のダホメ王国の宮殿跡など見どころは多くありましたが、私が一番印象に残ったのは、現地で知り、体感した奴隷貿易のことでした。

今まで奴隷貿易と言えば、アフリカ大陸にずかずかと勝手に踏み込んできた白人達が力ずくでアフリカ人を連行し、奴隷船に寿司詰めにして運び去ったという思い込みがあったのですが、実際のところは同じアフリカ人の奴隷商人もしくはアフリカ人の王国が現地で強制的に奴隷をかき集め、白人達に売っていたのです。
また「奴隷海岸」で有名なベナンからトーゴ、ガーナに至る海岸線にはポルトガルやスペイン、英国、フランスやオランダ、デンマーク、スウェーデンが造った、数百か所以上もの要塞兼奴隷収容所が数珠繋ぎのように点在しています。アフリカ人の奴隷商人から奴隷を買い取った列強の国々は海岸に造ったこの要塞内に奴隷たちを押し込めていました。

光もろくに差し込まない暗くてジメジメした狭い地下牢。
実際に踏み混んでみると空気がよどみ、一瞬でじっとりと汗が噴き出てきます。
重い木製の扉を閉めてみると、昼間でも真っ暗。勿論風呂もなければトイレもありません。
奴隷船がやってくるまで約3ヵ月間。
一つの要塞につき、約1000人。
一つの部屋につき、約200~400人。
こんな蒸し暑く小さな空間に人間をギュウギュウ詰めにして何日も閉じ込めておくなんて正気の沙汰じゃない。
しかもここが始まりで、もっと過酷な奴隷船に積まれて9ヵ月間も航海し、
辿り着いた地では永遠に奴隷としてこき使われるのです。

奴隷や奴隷船のひどい話は今まで何度も聞いたり読んだりしたことがありましたが、
実際に訪れて地下牢の暗さと狭さ、そして暑さなどを感じながら、彼らがおかれた同じ場所に立ってみると、想像を遥かに越える劣悪で、過酷な場所だったことを痛感しました。

奴隷海岸の平和な風景

今現在の奴隷海岸はあたかも何もなかったかのように静かで、時おり子供たちが犬と一緒に波打ち際をのんびり歩いています。
丸く見える水平線を見渡し、奴隷たちが辿った過酷な旅を想うと胸が苦しくなりました。
(上田)

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