大航海時代はここから始まった。独立を守り通した記念に捧げられた、バターリャ修道院へ(ポルトガル)
<バターリャ修道院/回廊より>
先日、ポルトガルの添乗から帰国致しました。
大航海時代の富に支えられ、数多くの壮麗な建築物が残るポルトガル。航海用具や南国の植物などをモチーフにした独特のマヌエル様式を始め、壮麗な建物が好きな方なら絶対に訪れて損はない国ですが、そんな中でも今回特に目を引いたのが、ポルトガル中部、アレンテージョ地方の小高い丘にそびえるバターリャ修道院です。
バターリャ修道院の正式名称は、モステイロ・デ・サンタ・マリア・ダ・ヴィトリア、「勝利の聖母マリア修道院」。14世紀半ばから、ポルトガル王ジョアン1世が建設を始めました。さて、「勝利の」という言葉は、ジョアン1世がお隣スペインのカスティーリャ王国との戦いに勝ったことを意味します。
というのも、ペドロ1世の庶子であったジョアン1世は嫡男であった兄・フェルナンド1世が亡くなったため王位を継ぎますが、兄家族に血縁関係のあったカスティーリャ王国はこれを根拠にポルトガルの王位継承権を主張します。アルジェロバッタの戦いと呼ばれるこの王位継承戦争に負ければ、ポルトガルはあわやスペインに併合されてしまう!というところで独立を守ったのが、このジョアン1世なのです。
彼は約50年の治世の中でポルトガルの最盛期と築き上げ、この国に富と名誉をもたらした大航海時代を切り開きました。彼の5人の息子の一人が、日本でも有名なエンリケ航海王子です。未知の大陸からもたらされた目新しい植物や、航海用具の装飾が所狭しと施された屋内は、その素材が石だとは信じられないほど。繊細なレースのような彫刻には目を奪われるばかりです。
そんなポルトガルの黄金時代を築き上げたジョアン1世は、今も妻フィリッパと5人の息子たちとともにこのバターリャ修道院に眠っています。彼があの戦いに負けていたら、大航海時代もマヌエル様式もなかったのだろうか。そんな風に思いを巡らさずにはいられない歴史の転換点を感じられる修道院でした。(松永華)
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