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2018年4月

2018年4月27日 (金)

満開のチューリップ!春を迎えたイスタンブール

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<エミルガン公園のチューリップ>

東西文明のまさに十字路!かつてオスマン帝国という強大な勢力を誇ったトルコ15日間のツアーより帰国。アンカラから入り、地中海沿いのアンタルヤまで南下、そしてエーゲ海沿いを北上。最後はイスタンブールに3連泊!ローマ帝国時代の遺跡から、イオニア遺跡、オスマン帝国時代の建造物まで、自然、遺跡、現代建築、町歩き…魅力絶えないトルコで、春の訪れを感じさせてくれるのが、色とりどりのチューリップ。トルコ語では「ラーレ」と呼ばれ、トルコでは最も親しみ深い花。チューリップは、オランダのイメージが強いですが、実はトルコが原産で、トルコの国花でもあります。中央アジアからアナトリアにかけて生育していたといわれ、チューリップという名前もトルコ人が巻いていたターバンから来ているという説も(「ターバン」はトルコ語で「トゥリバン」)。はるか昔から、人々は絨毯や衣類、日用品などにチューリップの模様をあしらっていたといわれます。現在でも、ところどころにチューリップの模様を見つけることができます。トルコの人々にとって、チューリップは日本でいう桜のようなものなのかもしれません。

今回のツアーではちょうどイスタンブールの、町中の至るところでチューリップの花を楽しめました。特にたくさんのチューリップが咲きそろい、フォトジェニックな光景が話題のエミルガン公園は別格!元々は身分の高い方のお屋敷があったところで、今では地元の人々の憩いの場でもあります。朝の8時半ごろ訪れたこともあり、公園内では、朝ご飯代わりに皆でちょっとした食べ物を持ち寄り、楽しくテーブルを囲んでいる人々も多数。他のヨーロッパ人と比べると、トルコ人は朝食の時間を大事にしており、朝食用の食堂もあるくらいなのです。日本とは違い、お酒ではなく、こちらでは温かいチャイ飲みながら。騒がしくなく、落ち着いた雰囲気でした。彼らの中では、日本のお花見のような感覚なのでしょうか。なんだかとても親近感がわきました。どの国も考えることは同じです。

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<エミルガン公園のチューリップ2>

公園はボスポラス海峡沿いにあるので、公園から海を眺めることもできます。春は気候もちょうどよく、ついつい長居してしまうはず。皆様は赤、白、ピンク、黄色…どのチューリップがお好みでしょうか。次回は逆さチューリップを探しに東トルコに行きたいです。(荒川)

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2018年4月26日 (木)

秋めくフィッツロイ(アルゼンチン)

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先日「パタゴニア三大氷河とパイネ、ウシュアイア、フィッツロイ14日間」の添乗より帰国致しました。
今回は、アルゼンチンとチリ2ヶ国にまたがる南パタゴニア地方を巡りました。
日本では桜満開の時期でしたが、現地の季節は、暑い夏が終わりこれから秋を迎えようとする時期。各所で南極ブナが赤や黄色に染まり始めていました。
今回特に印象深かったのは、エル・チャルテンという小さな町からスタートするカプリ湖へのハイキング。
ハイキングスタート時点では、どんよりとした曇り空。果たしてフィッツロイ山は見られるのかと不安になりながらのスタートになりました。
ハイキングは、パタゴニア地方にのみ生息する植物に囲まれながら進み、途中から南極ブナの林へ。
南極ブナの葉は、進む足を止めて眺めていたいと思うほど真っ赤や黄色に見事に染まっていました。

その後、目的地点のカプリ湖へ到着。幸い雲が頂上よりも低い位置にあったため、見事なフィッツロイ山の全景が姿を現してくれました。
又、今回素晴らしかったのは、紅葉+カプリ湖+フィッツロイ山というこの時期にしかない光景を見ることが出来たということです。
通常であれば氷河湖であるカプリ湖とフィッツロイ山だけでも十分絶景ですが、南極ブナの紅葉が加わりより贅沢な景色になっていました。
お昼のお弁当を絶景を見ながら堪能し、エルチャルテンの町へと下りて行きました。(山下)

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2018年4月25日 (水)

世界一美しいお祭り!?古都を彩る花絨毯(グアテマラ)

先日、「グアテマラ、ホンジュラスの四大世界遺産を訪ねて 8日間」の添乗より帰国しました。グアテマラの古都アンティグアは、セマナ・サンタの真最中でした。

セマナ・サンタとは、「聖週間」を意味するキリスト教の行事です。イースター(復活祭)に先立つ1週間を意味しており、磔刑に処せられたイエス・キリストが三日後に復活したことを記念・記録するキリスト教(カトリック)において最も重要な祭りです。
セマナ・サンタでは、日本の山車や神輿のように、各教会のキリスト像とマリア像が、それぞれ大きな台に飾られ、カトリック教信者たちによって大聖堂まで街を練り歩きます。これを「プロセシオン(聖行列)」と呼びます。プロセシオンの山車は、キリストの受難、死、復活の3つの場面を表現していて、それに合わせて紫、黒、白と担ぐ方々の衣装も変わっていきます。

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<キリストの受難を表すプロセシオン>

セマナ・サンタでのさらなる目玉は、山車が通るために、町の人々が準備するアルフォンブラと呼ばれる花絨毯です。花や野菜、おかくずなどで絨毯の模様を描きます。豪華で美しい花絨毯ですが、あっという間にプロセシオンの下敷きになり、一瞬にして跡形もなくなります。この一瞬の輝きのために、アンティグアの方々は何時間も家族総出で準備をします。

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<家族総出で花絨毯の模様を描く様子>

どの場所で、どんなプロセシオンとアルフォンブラの組み合わせを見られるかは運次第。まさに一期一会の出会いです。来年はどんな出会いがあるのでしょうか?(近野)

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<色鮮やかな花絨毯(アルフォンブラ)>

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2018年4月24日 (火)

ガイドブックにも出ていないベトナムの秘境、ハジャンへ

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<ターバンザオ族>

先日、「少数民族の里、ベトナム最北の秘境ハジャンへ 8日間」のツアーより帰国致しました。
ベトナムの少数民族の里と言えば、フランス統治時代の避暑地サパやサンデーマーケットで有名なバックハーが思い浮かびますが、今回訪れたハジャンは、ツアータイトル通り知られざる秘境で、事実どのベトナムのガイドブックを見ても「ハジャン」の名を探すことができません。通常15日以内のベトナム旅行であればビザを取得することなくご旅行を楽しむことができますが、ハジャン地区へ行くには特別に入境許可証が必要となります。また道も狭く、ツアー中はマイクロバスでの移動となります。それでもハジャン地区は徐々に欧米観光客の間では知れ渡りつつありますが、私たち日本人も現在の文明化社会に疲れを感じた時、心と体を癒してくれる、そんな場所であると私は信じて止みません。

ではハジャン地区の魅力は、ずばり少数民族!ツアー中多くの少数民族の村を訪れますが、見所は大きく2つに分けられます。1つは民家訪問。各民族の家に入らせてもらい、生活風景を肌で感じることができます。また民族衣装に着替えてくれて、一緒に写真を撮ったりして交流を図ることもできます。そんな彼ら(彼女たち)に共通して言えることは、自分の民族の衣装が一番だというオーラが出ていることでしょうか。

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<黒ロロ族>

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<アオザイザオ族>

そしてもう1つが曜日市の見学です。ハジャン地区の一部の町や村では週に1回曜日市が立ちますが、これらの市のために、中には家から片道2~3時間かけて来る人もいるそうです。果物、野菜、肉、魚などの食料品から衣類、日用雑貨などを持ち寄り、当然の如くそれらが売り買いされるわけですが、こういったお買い物以外にも、他の民族や他の村の人たちとおしゃべりをしたり、一緒に食事をするなど、社交の場にもなっています。またこういった曜日市は旅行者である私たちが訪れても十分楽しめます。例えばいろんな民族衣装を着た人たちを見ることができますし、一声かければ大概写真を撮らせてくれます。また今の日本では到底お目にかかれないものが売られているのを見ることができたりします。今でも印象に残っているのが、ドンヴァンの日曜市で見た子豚の売られている様子ですが、これらの子豚ちゃんたちは自分の行く末をすでに悟ってしまっているのか、ギャーギャーと鳴く声が今でも私の耳をついて離れません。ちょっとかわいそうな気がしましたが、これもまだショッピングモールもない何十年も前の日本では日常的に行われてきたことだろうなと思ったりしました。(斉藤信)

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<メオヴァックの日曜市>

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<ドンヴァンの日曜市>

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2018年4月20日 (金)

アラブ・ノルマン様式の最高傑作・モンレアーレ大聖堂(シチリア)

先日「アマルフィに連泊!南イタリア・シチリアの史跡と景勝地を巡る旅」より帰国致しました。ハイシーズン前の南イタリア・シチリアは、どの町も静かな時間が流れ、普段なら観光客であふれかえるような観光地も比較的すいており、のびのび観光することができました。

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<モンレアーレ大聖堂のパントクラトール>

今回一番印象に残ったのは、シチリア島、モンレアーレ。人口25,000人程の小さな村には、12世紀に建立された壮麗な大聖堂があります。外観は大変シンプルな作りのように見えるのですが、聖堂内に一歩足を踏み入れるとはっと息をのむことになります。目もくらむほど鮮やかなビザンチン式の黄金モザイクが壁面全体に施され、床もモザイクで模様が描かれています。何よりも神々しい光を放つのが内陣に描かれた「パントクラトール(全能のキリスト)」です。右手では人々に祝福を与え、左手に持つ福音書には「私は世の光である。私に従うものは決して迷わない。」と書かれています。聖堂内だけでなく、付属の修道院の回廊も独特です。アラブ風の回廊で、2本1組の柱はやはりモザイクで彩られています。キリスト教の宗教建築ではなく、宮殿のような雰囲気さえあります。

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<モンレアーレ大聖堂、回廊>

シチリア島では、ギリシャ・ローマ時代、ビザンチン帝国、イスラームと様々な文化が栄えてきましたが、それらをまとめ上げたのがノルマン王朝。1130年にルッジェーロ2世によりシチリアと南イタリアにまたがるシチリア王国が建国され、他文化に寛容な政策をとり、ノルマン王朝ではノルマン・ギリシア・ビザンツ・イスラームの文化を融合させた独自の文化が花開きました。その集大成ともいえるのがモンレアーレ大聖堂です。

味わい深いロマネスク式や、荘厳なゴシック式など、教会建築にはそれぞれの良さがありますが、それらとは一味違う魅力を持つシチリアのアラブ・ノルマン様式。その魅力をたっぷり堪能できました。(市川)

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2018年4月19日 (木)

圧巻!!クルーガー国立公園のバッファローの絨毯!!(南アフリカ)

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<クルーガー国立公園>

先日、「知られざる南部アフリカ7ヶ国大周遊 15日間」のツアーより帰国しました。今回のツアーでは、通常のツアーでは訪れにくい南部のレソトやスワジランドの小国や、マラウィ、モザンビーク、南アフリカ共和国等に加え、東部のウガンダやルワンダにまで足を延ばします!

今回のツアーで特に印象に残ったのが、「クルーガー国立公園」です。「クルーガー国立公園」は、南アフリカ共和国の北東部に位置し、面積は約2万?と国内最大の面積を誇ります。その中に、国立の保護区と私営保護区があり、ロッジは、大小合わせると、約200もあるそうです。
今回、私達が宿泊したのは、「ムジェバネ」の私営保護区内の「ムジェバネ リバー ロッジ」です。ここは、ロッジの目の前が川になっており、運が良ければ、川や対岸に来ている動物達に出会える事もあります!

サファリは、動物達が出没しやすい早朝や夕方に行います。未だ薄暗がりの中、ビック5(ゾウ、サイ、バッファロー、ライオン、ヒョウ)に出会えることを期待しながら、サファリカーにて出発です。早速、ゾウのファミリーや白サイ、インパラの群れに遭遇し、
さっきまでの眠気はどこかへ吹き飛んでしまいました。その後、暫くすると、遠くに黒い集団が見えてきました。近づいてみると、何と、バッファローの大群!!その数約100頭!!そして、時折立ち止まったり、こちらを見ながら、私達の車の前をゆっくりと横切って行くのです!私達は、歓喜の声をぐっと堪えて暫く静かに見守っていました。100頭をも超えるバッファロー達が目の前を横切って行く様子は、まるでバッファローの絨毯のようで圧巻でした!!
夕方のサファリでも、本当に潰されるのでは!?と思う程、目の前まで迫って来たゾウやお休み中のライオンに遭遇できたりと。。
「ビック5」とまではいかなかったですが、ヒョウ以外の「ビッグ4」達を何度も、至近距離で見ることが出来た興奮続きのクルーガーでした。(井手)

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2018年4月18日 (水)

古代ローマ最初のインフラ事業、アッピア街道、イタリア

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<アッピア街道>

先日、「永遠の都ローマ滞在 2800年の歴史に学ぶ 7日間」のツアーから帰国致しました。
今回のツアーでは、「すべての道はローマに通ず」と言われたアッピア街道の散策にもご案内致しました。アッピア街道は古代ローマ最初のインフラ事業とも言われる街道で、紀元前312年当時の財務官アッピウスによって建設されました。彼の名をとってこの道はアッピア街道と呼ばれることになり、政治、軍事、行政上でも必要な重要な道となりました。
馬が往来できるように道は出来るだけ平坦な石畳が敷かれた舗装道路でした。アッピア街道の一部には未だに当時の石畳が残る道があります。今回ご案内したのは朝の早い時間だったこともあり、あまり人もおらず古代ローマにタイムスリップしたかのようでした。アッピア街道にはマイルを刻む大理石の円柱が建てられています。1ローマ・マイルは約1.5キロ。1.5キロごとに大理石が立ち並び、地面も隙間なくぴったりと石畳で舗装されていたと考えると当時は本当に綺麗な道だったのだろうと想いを馳せながら散策を楽しみました。この道はローマ人たちも重要視していたそうで道の脇には貴族の別荘やお墓が立ち並びます。そして今回は丁度、野花の季節ということもあり、道の脇には小さい黄色い花が沢山咲いていました。今回散策できたのは一部でしたが、このまま歩き続けば憧れの都ローマに到着できるかと思うととても心弾みました。この道をローマ人たちはどのような気持ちで通ったのだろうかと考えるととても感慨深い散策となりました。(竜崎)

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2018年4月17日 (火)

サハラ砂漠、朝日が身に沁み入る一日の始まり(モロッコ)

先日、モロッコ9日間のツアーから帰国しました。
9日間、山を越え谷間を抜け旅をして来ましたが、この僅かな間に季節を1周巡るという実に不思議な経験をしました。
時には太陽が照りつけ、時に一面の野花に囲まれ、時に涼しい風を感じたと思えば雪景色の中で猿を発見し…。
ある書籍には「熱い太陽の寒い国」と形容されたモロッコ。まさにその言葉を実体験したツアーでした。

そんな中、特に忘れられないのがこちら。
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<サハラ砂漠!>

サハラ砂漠といえば、細かい粒子の砂丘を想像しがちですが、実際にその砂砂漠があるのはサハラ全体の20%のみ。その他は礫砂漠や岩砂漠と呼ばれる、大小の礫がごろごろして枯れ草が点々と生えているような景色が続きます。
もちろんツアーでは大砂丘をご覧頂けるスポットまでご案内!
朝5時前に砂漠の中のホテル・オーベルジュを出発し、ラクダが待つステーションへ。
サハラ砂漠に昇る朝日鑑賞のお時間です。
星空と月明かりの中、きれいに一列並んだラクダに期待が高まります。
砂を踏みしめながらだんだんと朝の光に包まれていく感覚は、あまりにも非日常過ぎて言葉には代えがたいものでした。
早くに出発した甲斐があり、他の観光客よりも高い砂丘に陣取ることができました。
数年ぶりの大寒波が到来したということで、朝の気温なんと3度。いつもよりかなり冷え込んだ一日だったそうですが、絶景に出会うなら寒さなど大した問題ではありません!
今か今かと皆で体を寄せ合って、日が昇る瞬間を待ちます。

そして遂にやって来ました!
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サハラ砂漠の砂が、朝日によって徐々に徐々にオレンジに朱に染まっていく…。まさしく壮観。
シャッターを切る指が止まらない、でも刻々と変わる景色にファインダーを覗くのもなんだかもったいない。朝日が昇り切る10分間は一瞬の出来事のようでした。
いつまでも見ていたい気持ちに後ろ髪を引かれつつ、何でもない日がなにか特別な一日になったような、得した気分になった一日の始まりでした。(三好)

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2018年4月13日 (金)

南イタリア・プーリア州、下手うま中世芸術めぐり

先日、美術史家 金沢百枝さんとゆく、南イタリア・ロマネスクの旅より帰国しました。イタリアのかかとの部分プーリア州のみを巡るツアーで、プーリア州といえばとんがり屋根の家々が並ぶアルベロベッロや洞窟住居のマテーラが有名ですが、そういったところには一切近寄らず・・・田舎の教会、修道院!大聖堂!!などなど、11世紀~13世紀、中世に造られたいわゆる“ロマネスク建築”を見てきました。

そもそもプーリア州はイタリアの中でも最も長閑な(田舎っぽい)州で、訪れる場所場所で地元の人達に驚かれました。「なんでお前たちはこんなところに来たんだ?」なんて聞かれることもしばしば。

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どんな素敵なものがあるのか?例えばこちら。12世紀初めに建てられたスキンザーノのサンタマリア・デ・チェッラーテ修道院の回廊の柱頭装飾。なんだか不思議な人のような動物のような彫刻ですが、これは人が持つ性(さが)を擬人化したものだそうです。なんだかおどろおどろしいような、上手なんだか下手なんだかわからないような感じがします。

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<ヘルメットをかぶって見学>

ちなみにこの修道院は修復作業中で、↑のような感じで見学しました。修復しているところも見せてもらえました。こういうのはわくわくして楽しいですね。

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<ばらばらな壁画>

また、この修道院がかつて崩れてしまったとき、なんとなく組み合わせて直したはいいものの、壁画がばらばらになってしまった部分も。よ~く見てみると顔が逆さになっているところがありました(矢印の所)。それくらい頑張って直そうよ!
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<オトラント大聖堂>

こちらはオトラントの大聖堂。奥行40m、幅も広いですが、なんと、床一面がモザイクに覆われています。なんとなんと、1160年代にたった一人の人が2年かけて作り上げたのだそうです!すごすぎる。ただの幾何学模様ではありません。何が書かれているのか詳しくは先生の著書をご参照ください。

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<片足だけながぐつをはいた猫や>

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<豚?ねずみ?謎。>

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<ラッパが長い・・・右上に目があるひょうたん。>

などなど可愛らしいものもたくさんいます。一日かけて隅々まで堪能したいところですが、残念ながら私達が入れたのは片側の側廊のみ。それでも、大変感動しました。先生はこの場所にかなり長い時間をかけて向き合ってらっしゃるので、ここのモザイクの素敵ポイントをたくさん教えて頂きました。
ちなみにこの大聖堂の地下礼拝堂にはたくさんの柱、そしてその柱頭彫刻があるのですが、先生が「このなかのどれか一本だけ、草の間から顔をだしてるおじさんがいて・・・どれだったけなぁ」とおっしゃるので、そこから全員で「葉っぱおじさん」探しスタート。翌日のお祭りの準備をしていた地元の人達が、なになに?と聞きに来ました。↓が葉っぱおじさん。

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<葉っぱおじさん>

他にも、ブリンディシのサン・ベネデット聖堂の可愛らしい柱頭彫刻見学。みなさんとどの子がお気に入りか探し合ったり、野花に囲まれたヴァレンツァーノの聖堂を訪れたり、盛りだくさんでした。ロマネスク芸術と言われると難しそうに感じるかもしれませんが、好きなものを探すことから始めてみると面白いかもしれません(留置)

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2018年4月12日 (木)

アタカマ高地で(疑似)宇宙旅行をしてきました(チリ)

先日、「宝石の道、三色の湖とアタカマ・ウユニ塩湖 10日間」のツアーより帰国しました。今回のツアーのハイライトは、アタカマ高地です。アタカマ高地は、チリ北部にある砂漠地帯で、標高1000km~4500kmの高原に位置し、銅やリチウム、鉄など鉱物資源が豊富な場所。また、アンデス山脈と海沿いの山脈に挟まれており、アンデス山脈で湿った空気が遮断されるため、「世界で最も乾燥した場所」として知られています。
そんなアタカマ高地での疑似宇宙旅行第一ポイントは、月の谷です。

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<月の谷(チリ)>

名前の通り、月面に来たと錯覚に陥る景色が広がります。粘土と岩塩が風食で削られ、このような地形となりました。バスを降りてあたりを散策すると、まるで月面散歩。ニール・アームストロング船長になった気分でした。実は“月の谷”は、ボリビアのラパスなど他の国にもあるのですが、アタカマの月の谷の方がスケールが大きく、まさしく月面といった印象です。
そして、疑似宇宙旅行第二ポイントは、星空観賞です。

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<アタカマ高地での星空観賞>

世界で一番乾燥しているといわれ、その乾燥から晴天率が非常に高いため、世界の天文台が集中しています。日本も参加しているアルマ望遠鏡プロジェクトは有名です。そんな場所で見る星空は格別!まるで宇宙の中にいるような感覚でした。また、大きな望遠鏡で天の川や南十字星をアップで観察も。満天の星を写真に撮っても、言葉に表すのは難しいですね。実際に見ることでしか味わえない感動があります。
アタカマ高地は、NASAが火星探査の探査機のテストも行う場所。ある意味、宇宙に一番近い場所かもしれない、と感じました。(五島)

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2018年4月11日 (水)

西インドの暮らしを支えた階段井戸

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<チャンドバオリ>

先日、インドのツアーから帰国致しました。 寒さの残る日本を出発し、日中30℃を超える砂漠の町、西インドのアハマダバードへと向かいました。

今回は、西インドの歴史に触れながら6つの階段井戸を訪れました。インドでは古来よりガンジス川信仰に基づき「水」、そしてその水を蓄える「井戸」が神聖視されたといわれています。特に西インドは砂漠地帯でもあり、多くの階段井戸が作られ人々の暮らしを支えてきました。衛生面、安全面から封鎖された井戸もありますが、今なおインドの人々の暮らしを支える階段井戸も残っています。

まずは一つ目の階段井戸、ダーダーハリの階段井戸へ。ここはイスラム建築として建てられ、奥にはモスクと廟が備わっています。この日はジャイナ教の寺院も見学し、インドの中でも少数派の文化に触れました。その後はガンディーが過ごしたサーバルマティ・アシュラムヘ。ガンディーの住まいを見ながら、インド独立を成し遂げたガンディーの生涯に思いを馳せました。

2つ目の階段井戸はアダーラジの階段井戸。ロータル遺跡でインダス文明の名残を感じた後、ヒンドゥー様式で建築が始まり、イスラム様式で完成された井戸を見学しました。イスラム様式で完成されたため、神様の像が彫られた王妃の階段井戸やチャンド・バオリなどとは違い、偶像こそ有りませんが柱や梁には美しい彫刻が施されていました。

3つ目の階段井戸はパタンにある王妃の階段井戸。この階段井戸は幅20m、長さ70m、深さ28mの大きさで、階段を下って行くと壁には美しいヒンドゥーの神々が。まるで神殿を地下に埋め込んだような井戸で、息を飲む荘厳さでした。

3つの階段井戸を見た後はラジャスタン州へ。「王の国」の名を持つ通り、イスラム勢力と戦ったラージプート諸国の城、シティパレスやメヘランガル城砦を見学しました。

4つ目はチャンド・バオリ。ここはインドで最大の階段井戸であり、取り付けられた階段の数は3500にもなり、一見巨大な騙し絵のようにも見える姿は圧巻でした。周囲には神像が並んだ回廊があり、階段井戸の正面には王の宮殿が。地下に降りることで地上から5℃程気温が下がる階段井戸は、王の涼む休憩所としても使われました。

最後はデリーにてムガル帝国の建築を見ながらアグラセンキバオリ、ラジョンキバオリと2つの階段井戸を見学、井戸の底に向かって歩くという貴重な経験ができた旅でした。 (永田)

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2018年4月10日 (火)

ブータン最大のお祭り! パロツェチュ祭

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先日、「ブータンの懐深く、ブムタン地方とパロ・ティンプー 10日間」のツアーより帰国致しました。
ブータンは幸福の国として有名になりましたが、1971年に国際連盟に加盟するまで鎖国していたこともあり、昔ながらの伝統・生活風景をみることができます。

そんな今回のブータン旅行のメインはパロ・ツェチュ祭!
ツェチュとは、「月の10日」を意味し、ブータンにチベット仏教を広めたグル・リンポチェが起こした奇跡が全て10日に起こったことに由来しています。
また、グル・リンポチェが「毎月10日に法要を営む者のもとには、帰ってくる」と言い残したともされ、ブータンの各地で法要が行われています。
その中でもパロのツェチュ祭は国内最大級。5日間に渡り行われます。
会場に到着する前から感じられる人々の熱気!色とりどりのブータンの民族衣装のゴやキラを身にまとった人々。
今日は自分の持っている一番のおしゃれ着(男性はロウシルクとうブータン独特のシルク製のもの)を着てきます。
そして、祭りのハイライト『閻魔大王の裁き』も見ることができました。
閻魔大王の前で裁きを受ける人々の踊りとともに、いつか訪れる閻魔大王から裁かれるときのために人々は祈ります。
私たちも閻魔大王のもとまで行き、お祈りしました。

そしてツェチュ祭最終日、朝3時にホテルを出発し、会場まで行きトンドルの開帳をみました。トンドルとはブータンで大切にされている大きなタンカのことで、見るだけでも邪気が払われると言われています。
なんとトンドルはその保護の為、日が沈んでいる間しかみることができません。
そんなトンドルの近くまで行き、現地の人たちと一緒に、トンドルを額にあてブータン流にお祈り。
長い列を作り、朝早くから必死にお祈りしているブータンの人々の姿を見て、信仰の深さを感じることができました。(小嶋)

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2018年4月 6日 (金)

春の瀬戸内海島めぐり、塩飽(しわく)諸島(広島・愛媛・香川県)

先日、瀬戸内海の島めぐりのツアーに行ってきました。
3月の瀬戸内海は、関東地方より一足早い春のポカポカ陽気に包まれていました。
島の田舎道をのんびり歩いていると、甘い香り漂う黄色の水仙の花が咲き、畑の畦道にポツンと佇む桜が咲き始め、 春ならではの雰囲気を感じることができました。

今回の旅では、ローカルな島々を中心に巡りました。
広島県のとびしま海道では、室町から江戸時代に朝鮮通信使の大船団が寄港した下蒲刈島から上蒲刈島へ渡り、 風待ち潮待ちの港町として賑わい、坂本龍馬が密談をした大崎下島を経て愛媛県の今治に船で渡りました。
香川県の丸亀港からは大阪城の石垣の石材供給地だった塩飽諸島(広島、本島)に渡り、 更に高松港から桃太郎伝説が残る女木島と男木島へと渡り、最後に小豆島を周遊しました。
島から島への移動は瀬戸内海の生活航路です。
土地の人々が日常使っているフェリーは生活感が感じられる一方で、デッキから紺碧の瀬戸内海と過ぎてゆく島影を眺めながら、ちょっとしたクルーズ気分も味わうことができました。

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<瀬戸内海の塩飽諸島、本島笠島まち保存地区>

特に印象に残ったのは、塩飽諸島の本島(ほんじま)散策でした。
瀬戸内海の風や潮流を知り尽くした水夫達が組織する塩飽水軍は織田信長や豊臣秀吉、徳川家康からも重宝され、 島の自治を認められていたほどです。
また幕末に日米修好通商条約批准の為、太平洋を越えサンフランシスコ往復を成し遂げた咸臨丸の水夫達も塩飽諸島出身者でした。
交易で得た財力や優秀な船大工の技術は建築にも受け継がれ、 島内には江戸から明治、戦前に建てられた100棟ほどの家々が今なお残っています。
潮風に強い焼板を使った真っ黒な外壁の「なまこ壁(焼板なので炙られた板面がブツブツしている)」や 千本格子窓、虫籠窓や軒下の持ち送り装飾など熟練大工の技を駆使した見事な仕事っぷりに感心です。

びっくりしたのは島の資料館。
かつて長老達が執務していた勤番所跡には、織田信長や豊臣秀吉の朱印状がひっそりと展示されていたのには驚きでした。

今回の旅で訪れた島は全部で9だけです。
瀬戸内海にはまだ残り718の島が浮かんでいます。
人が住み、歴史が残る島はもっと少なくなるとしても、
瀬戸内海には、訪れるべき島がまだまだありそうです。(上田)

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2018年4月 5日 (木)

記憶に刻まれたオーロラとの遭遇(カナダ・イエローナイフ)

先日、「オーロラのメッカ、イエローナイフ滞在6日間」の添乗より帰国致しました。この旅の目的はただひとつ、オーロラを見ることです。

実は、イエローナイフが位置する北半球又は南半球の緯度60度~70度のあたりでは、オーロラが年中発生していますが、それを肉眼で見るには、空に雲が出ていないこと、空が暗いこと、太陽活動が活発なこと、全ての条件が揃わないと見えません。私達が訪れた3月のイエローナイフは降雪量が少ないので晴天率も高く、オーロラが姿を現す確率も上がります。また、12月や1月のイエローナイフは-30度から-20度の極寒の日々が続きますが、今回は最低でも-15度ほどで観光客にとって観測しやすい時期でした。それに加え、今回の出発日は新月にあたり、月の光が見えないので、オーロラの光がより強く見える絶好の鑑賞日和でした。

オーロラ観測は計4回。私達が期待していたのが、観測予報が出すオーロラの強さレベルが最も高い3日目でした。その夜は、20:30ごろに日が暮れてすぐ、オーロラ観測場所に向かうバスの中で、すでに白いオーロラが出ていました。現地ガイドさんも、「こんな早くからオーロラが見えるなんて珍しいです」と話しており、私達の期待もふくらみました。焦る気持ちを抑え、到着してすぐに防寒コートやフェイスマスクなどを装備し、観測に出掛けました。

22:00を回った頃、それまでぼんやりと薄白かったオーロラがどんどん濃い緑色に変色していき、さらに風を受けるカーテンのようにひらひら揺らいできました。そして、その時が来ました。それまで彼方に見えたオーロラが、何かに反応したかのようにクネクネと素早い動きを見せ、どんどんこちらに向かってきました。色は、緑から紫、ピンクへと変わっていきます。とうとう、オーロラが私達の頭上を覆った時には、その場の歓声がもはや悲鳴に変わった気がしました。それほど、今まで経験したことも想像したこともないほど刺激的で不思議な感覚でした。私の頭の中では、スティーブン・スピルバーグ監督の『未知との遭遇』の交信音が鳴り響くほど、非現実的な出来事でした。

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このオーロラの動きは、オーロラ・ブレイクに近い現象だったようです。オーロラ・ブレイクとは、オーロラが空全体に一気に広がり、空が破れたかのように見えることから、その名が付きました。ギリシアの哲学者アリストテレスは、これを「天の裂け目から吹き出す炎である」と表現しています。

オーロラ鑑賞は全てが運次第ですが、実際に足を運ばないとオーロラを見るチャンスもありません。また、万が一オーロラが見えなくても、満天の星空に言葉が出ない程の感動を味わいました。ここは、一生に一度は訪れるべき場所だと感じました。(松本)

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2018年4月 4日 (水)

春分の日の奇跡、ククルカン降臨(メキシコ)

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先日、「春分の2つの奇跡を目撃!太陽のメキシコ紀行」より帰国しました。
メキシコの古代遺跡をオアハカからユカタン半島まで丁寧に巡るとともに、春分の日と秋分の日にだけ起こると言われている、古代マヤ人の造りあげた高度な天文学による奇跡を見に行きました。

今回のツアーでは、ユカタン半島にあるチチェンイッツア遺跡のピラミッドに奇跡が現れました。
奇跡が起こるのは、チチェンイッツアの中のカスティージョと呼ばれるトルテカ様式のピラミッドです。高さは24mあり、1面に91段の階段があり、91段×4面で364段あります。そして、1番上の階段を加えると365段になり、太陽暦の1年間を表していると言われています。
このカスティージョに、太陽の光があたり、北東側の階段に波打つ蛇の体の陰影をつくり、地上の蛇の頭と繋がります。この蛇は、マヤ語でククルカンと呼ばれ、羽毛の生えた蛇を意味しています。メキシコ中央高原で古くから信仰されている重要な神様です。

当日は、お天気に恵まれ真っ青な空の中、ククルカンが現れるのを今か今かと待ちました。少しでも雲が出ると見られなくなってしまうので、期待と不安でその時を向かえました。
午後4時過ぎ、真っ直ぐな陰影が段々と美しいククルカンの形に。ククルカンが、体から生えた羽毛で、まさに空から地上へ降臨してきたような姿は迫力満点でした。高度な天文学、数学を操っていた、未だ謎多きマヤ文明。古代へのロマンがかき立てられました。(南雲)

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2018年4月 3日 (火)

あのレオナルド・ダ・ヴィンチも惚れ込んだレフカラレース(キプロス)

日「南北キプロス島を極める 8日間」より帰国いたしました。
総面積四国の約半分の小さな島国キプロスは日本ではまだ馴染みがございませんが、ヨーロッパの人々にとって人気のリゾート地の1つです。
キプロスの歴史は約9000年。大国に囲まれた島国であるためプトレマイオス朝、ローマ帝国、ベネチア共和国、オスマントルコ...と様々な国の交通の要となり時には支配され、発展してきました。
現在キプロスには、国連が管理する緩衝地帯「グリーンライン」が存在し、それを境に南はギリシャ系、北はトルコ系と民族が分かれています。
一時は紛争状態でしたが、現在は落ち着いており、パスポートを提示するだけで南北の行き来は簡単にできるようになりました。

そんなキプロスにはレフカラという村があります。
人口は約1000人、小さな村です。
標高が高いためベネチア領時代、避暑地として栄えました。
その時代に村のレース文化と、ベネチア貴族が持ってきたレース技術が融合し、レフカラレースとして繊細で美しいレースに発展しました。

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<レフカラ村>

レフカラレースの中でもジグザグのカットワークのデザインのレースは“ダヴィンチレース”と呼ばれています。
これは15世紀、レオナルド・ダ・ヴィンチがレフカラ村にのレースに魅了されミラノ大聖堂の祭壇に飾るために、特別に編ませたレースです。ダ・ヴィンチは、自身の作品「最後の晩餐」の作中に登場するテーブルクロスにレフカラレースを描くほどレフカラレースに惚れ込んだと言われています。2009年には、細かな刺繍とデザイン性の高さから世界無形文化遺産に登録されました。現在でも、レフカラレースはキプロスを代表するお土産の1つです。

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<レフカラ村>

私たちが訪れた日は日曜日で、いつも以上に観光客で賑わっていました。
女性たちが元気にレースを売っていました。

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<レフカラ村>

このように長い歴史の中で受け継がれてきたレフカラレースですが、近年後継者の減少と作り手の高齢化に直面しています。
現在作り手はたったの50人ほどしかいないといわれています。
ルネサンスの巨匠ダ・ヴィンチも惚れ込んだレフカラレース、後世まで魅力が伝わってほしいと願うばかりでした。(白井)

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