2018年4月 3日 (火)

あのレオナルド・ダ・ヴィンチも惚れ込んだレフカラレース(キプロス)

日「南北キプロス島を極める 8日間」より帰国いたしました。
総面積四国の約半分の小さな島国キプロスは日本ではまだ馴染みがございませんが、ヨーロッパの人々にとって人気のリゾート地の1つです。
キプロスの歴史は約9000年。大国に囲まれた島国であるためプトレマイオス朝、ローマ帝国、ベネチア共和国、オスマントルコ...と様々な国の交通の要となり時には支配され、発展してきました。
現在キプロスには、国連が管理する緩衝地帯「グリーンライン」が存在し、それを境に南はギリシャ系、北はトルコ系と民族が分かれています。
一時は紛争状態でしたが、現在は落ち着いており、パスポートを提示するだけで南北の行き来は簡単にできるようになりました。

そんなキプロスにはレフカラという村があります。
人口は約1000人、小さな村です。
標高が高いためベネチア領時代、避暑地として栄えました。
その時代に村のレース文化と、ベネチア貴族が持ってきたレース技術が融合し、レフカラレースとして繊細で美しいレースに発展しました。

Rehukara
<レフカラ村>

レフカラレースの中でもジグザグのカットワークのデザインのレースは“ダヴィンチレース”と呼ばれています。
これは15世紀、レオナルド・ダ・ヴィンチがレフカラ村にのレースに魅了されミラノ大聖堂の祭壇に飾るために、特別に編ませたレースです。ダ・ヴィンチは、自身の作品「最後の晩餐」の作中に登場するテーブルクロスにレフカラレースを描くほどレフカラレースに惚れ込んだと言われています。2009年には、細かな刺繍とデザイン性の高さから世界無形文化遺産に登録されました。現在でも、レフカラレースはキプロスを代表するお土産の1つです。

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<レフカラ村>

私たちが訪れた日は日曜日で、いつも以上に観光客で賑わっていました。
女性たちが元気にレースを売っていました。

Jiji
<レフカラ村>

このように長い歴史の中で受け継がれてきたレフカラレースですが、近年後継者の減少と作り手の高齢化に直面しています。
現在作り手はたったの50人ほどしかいないといわれています。
ルネサンスの巨匠ダ・ヴィンチも惚れ込んだレフカラレース、後世まで魅力が伝わってほしいと願うばかりでした。(白井)

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