2018年4月 6日 (金)

春の瀬戸内海島めぐり、塩飽(しわく)諸島(広島・愛媛・香川県)

先日、瀬戸内海の島めぐりのツアーに行ってきました。
3月の瀬戸内海は、関東地方より一足早い春のポカポカ陽気に包まれていました。
島の田舎道をのんびり歩いていると、甘い香り漂う黄色の水仙の花が咲き、畑の畦道にポツンと佇む桜が咲き始め、 春ならではの雰囲気を感じることができました。

今回の旅では、ローカルな島々を中心に巡りました。
広島県のとびしま海道では、室町から江戸時代に朝鮮通信使の大船団が寄港した下蒲刈島から上蒲刈島へ渡り、 風待ち潮待ちの港町として賑わい、坂本龍馬が密談をした大崎下島を経て愛媛県の今治に船で渡りました。
香川県の丸亀港からは大阪城の石垣の石材供給地だった塩飽諸島(広島、本島)に渡り、 更に高松港から桃太郎伝説が残る女木島と男木島へと渡り、最後に小豆島を周遊しました。
島から島への移動は瀬戸内海の生活航路です。
土地の人々が日常使っているフェリーは生活感が感じられる一方で、デッキから紺碧の瀬戸内海と過ぎてゆく島影を眺めながら、ちょっとしたクルーズ気分も味わうことができました。

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<瀬戸内海の塩飽諸島、本島笠島まち保存地区>

特に印象に残ったのは、塩飽諸島の本島(ほんじま)散策でした。
瀬戸内海の風や潮流を知り尽くした水夫達が組織する塩飽水軍は織田信長や豊臣秀吉、徳川家康からも重宝され、 島の自治を認められていたほどです。
また幕末に日米修好通商条約批准の為、太平洋を越えサンフランシスコ往復を成し遂げた咸臨丸の水夫達も塩飽諸島出身者でした。
交易で得た財力や優秀な船大工の技術は建築にも受け継がれ、 島内には江戸から明治、戦前に建てられた100棟ほどの家々が今なお残っています。
潮風に強い焼板を使った真っ黒な外壁の「なまこ壁(焼板なので炙られた板面がブツブツしている)」や 千本格子窓、虫籠窓や軒下の持ち送り装飾など熟練大工の技を駆使した見事な仕事っぷりに感心です。

びっくりしたのは島の資料館。
かつて長老達が執務していた勤番所跡には、織田信長や豊臣秀吉の朱印状がひっそりと展示されていたのには驚きでした。

今回の旅で訪れた島は全部で9だけです。
瀬戸内海にはまだ残り718の島が浮かんでいます。
人が住み、歴史が残る島はもっと少なくなるとしても、
瀬戸内海には、訪れるべき島がまだまだありそうです。(上田)

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