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2018年5月

2018年5月31日 (木)

3年に一度!ベルギー、イーペルの猫祭りへ!

この度、「イーペルの猫祭りとオランダ・ベルギー周遊」の添乗より帰国しました。今回のツアーではまずオランダから入り、色とりどりの素敵なチューリップやフェルメール、ゴッホ、レンブラントなどの名画を堪能しました。その後、ベルギーでは皆様で王室御用達チョコレートの爆買い!そしていよいよ、今回の旅のハイライトであるイーペルの猫祭りへ!

今回で45回目を迎えるこの猫祭りは、3年に一度ベルギー、イーペルの街で開催されます。
かつて魔女狩りが行われていた頃、この街では塔の上から魔女の使いと考えられていた猫が投げ落とされていました。今では、そんな暗い歴史の払拭、そして猫への追悼の思いを込めて、この猫祭りが行われています。
猫祭り前日から街は至る所に猫、猫、猫!お店のショーウィンドウや洋服屋のマネキン、ホテルの受付のお姉さんまで全て猫で飾られています。
夜も更け、前夜祭へ向かいます。皆様、猫耳を付けたり、顔に猫のひげを書き合ったりと準備は万端!前夜祭では、街の至る所で明日の猫祭り本番の出演者達がダンスを踊っています。腕を引かれて舞台で楽しそうに踊るおじさん達もいました。

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<イーペルの猫祭りの前夜祭>

更に夜が更け、中央広場のスクリーンに猫の女王の出産シーンが映し出されました。こうして今年5匹の仔猫が猫祭りの一員に加わりました。
そしていよいよ猫祭り本番!だんだんと道にも猫グッズを売る出店が開かれていきます。昼食を取り、観覧席へ。まずは猫祭りのスポンサーの宣伝パレード。ちびっこやきれいなお姉さんが観客席に向かってどんどんと飴玉やペンを投げていきます。

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<猫祭りのスポンサーのパレード>

その後にやってくるのが本番のパレード。世界の国を表現した猫や、街の歴史を表す猫、世界の猫のキャラクター(ミュージカルCATSも!)、猫の王様と5匹の仔猫たち、、、様々な山車が続々とやってきます。

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<猫の女王と子猫たち>

パレードが終わり、一旦ホテルで休憩。次は猫投げが始まります。ピエロが塔の上から20匹ほどぬいぐるみの猫を投げていきます。オランダ人、ベルギー人の巨漢には敵わず、私たちは後ろの方で雰囲気を楽しみました。
観客たちにボトルに入ったジュースやワインが配られてここに猫祭りは終了。興奮冷めやらぬまま、ホテルへと戻りました。
今回は5匹の仔猫が生まれ家族が増えた猫の王家でしたが、3年後はどんなストーリーが待っているのでしょうか。今から楽しみです。(松永美)

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2018年5月29日 (火)

今年も開幕!チェコのプラハの春、オープニングコンサートへ

先日、「チェコ・スロバキアの美都とハンガリーの大平原 10日間」の添乗より帰国を致しました。
10日間でハンガリー・ブダペスト、そしてチェコへと素晴らしい観光地を巡るハイライトのツアーです。
ハイライトツアーということで毎日が見どころ満載!ブダペストやプラハなどの市内観光はもちろん、ちょうど菜の花の時期ということもあり、天気にも恵まれ車窓からの景色も最高でした。

そんな今回のツアーの最大のハイライトはやはり、プラハの春のオープニングコンサート。
毎年スメタナの命日である5月12日に幕を開けるプラハの春。オープニングコンサートでは、スメタナが作曲をした「我が祖国」の第一曲から第6曲まですべてが演奏されます。「我が祖国」の第二曲は日本でも有名な曲「モルダウ」。学生時代、音楽の授業で歌ったことがある方も多いのではないでしょうか?「モルダウ」はプラハの中心を流れるモルダウ川が曲で表されています。
作曲をしたスメタナはチェコの作曲家。チェコの独立運動にも参加し、国民の為に作曲や劇場までも建設。チェコ国民音楽の父といわれます。
また、プラハの春の会場は市民会館にあるスメタナホール。このプラハ市民会館は、1911年に建てられました。内部はチェコ出身のアルフォンス・ミュシャなどの壁画があり、華やかな装飾が施されています。この素晴らしい会場で音楽を聴くため、オープニングコンサートは特に各国からお客さんが訪れます。日本人もちらほら。みんな少しおしゃれをしてコンサートを楽しんでいました。(椎野)

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<プラハの春 オープニングコンサート>

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2018年5月24日 (木)

世界一の信仰心はここに・・・チベット教仏教の聖地ラサへ。(中国)

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<ポタラ宮>

先日、西安・敦煌・青海チベット鉄道のツアーから帰国しました。天候にも恵まれ、中国の歴史、自然を満喫したツアーでした。
今回のツアーでは青海省のゴルムドから青海チベット鉄道に乗って13時間でラサへ。ラサは標高3600mほどの高地、そして年間晴天率が非常に高い為(ガイドさん曰く300日以上?!)太陽の町とも言われています。一日の気温差が10度以上あり、人が住むには非常に過酷な地ですが、そこには宗教と共に生き、熱心に祈りを捧げる人の姿がありました。
ラサではさまざまなチベット仏教の寺院を巡りましたが一際迫力があったのはポタラ宮。歴代ダライラマの居城であり、ラサのシンボルでもあります。
ポタラ宮内部へは300段ほどの階段を上らないといけません。空気が薄いため私たちは、一歩一歩進むのもやっとです。そんな私たちの横を、マニ車を回しながら、スタスタと階段を登る信者の人たち。ポタラ宮は1000部屋ほどある巨大な建物ですが、観光で見られるのは一部のみ。生活と政治的な執務をした白宮、歴代ダライラマのミイラの霊廟がある紅宮です。蝋燭ではなく、バター灯明を灯すために信者が持ち込むバターの香りも印象的でした。ラサ市内では、灯明用のバターが柱のようにゴロゴロと売られています。

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<ジョカン寺を巡礼するチベット仏教徒>

また、チベット仏教徒が一生に一度は巡礼をしたいと思うジョカン寺(大昭寺)では外で信者が五体投地をしています。本尊は12歳の姿の釈迦像が奉られています。2500年以上もの歴史があるそうで、釈迦本人も見たという伝説が残っています。その像を参拝するために中には何百キロもの道のりを五体投地で来る人もいるのです。彼らにとって祈りは生活の中心であり、人生そのもの。普段歩くときに持っているマニ車には回すだけで、お経を読んだことになり、川や峠にかけてあるお経が書いてあるタルチョは、風でなびくとお経を読んだことになるのです。
中国政府の政策により新しい道路が建設され、様々な地方と繋がる鉄道も敷かれ着々と都会になっていくラサですが、祈りを生活の基盤とした素朴な姿が変わらないでほしいと願わずにはいられませんでした。そして、人生とは何か・・・改めて考えさせられました。(杉林)

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2018年5月22日 (火)

黄葉が綺麗な秋のニュージーランドへ

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この度、「星空のニュージーランド!感動の南北ハイライト 8日間」から帰国しました。ニュージーランドには日本と同じように四季があり、1年を通して趣のある風景を楽しむことができますが、日本とニュージーランドとで異なる点は南半球の国だということ。それゆえ、北半球に位置する日本とは間逆で、現在は秋から冬へと季節が移り変わっているのです。

ニュージーランドでは、高くまっすぐに伸びるポプラの木や、風に吹かれて優しく揺れる柳の木が一般的です。これらの木々は主に、黄色に色づきますが、そのあまりの美しさから「ゴールデンイエロー」と表現されている程です。その為、日本ではモミジやナナカマド等赤く色づく木々が多いため「紅葉」といわれていますが、ニュージーランドでは「黄葉」と表現されており、美しい秋の景観を堪能することが出来ます。

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ちなみに、写真はバンジージャンプ発祥の地であるカウラウ橋で撮影したものです。ニュージーランドにはいくつか黄葉が綺麗なポイントがありましたが、今回のツアーの中ではここが一番の私のお気に入りです。約1000年前に氷河によって削られた谷間に水が溜まってできたというワカティプ湖から流れ出るカウラウ川の麗しい青色とゴールデンイエローの木々が驚くほどマッチしていました。

日本には氷河湖というものがないので、このような特徴あるブルーは外国でしか見られません。その為、大変貴重な色のコンビネーションを堪能することができました。(堤)

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2018年5月17日 (木)

サロニコス湾に浮かぶ島々を巡る(ギリシャ)

先日ゴールデンウィーク出発の「ギリシャ歴史遺産とメテオラ修道院8日間」のツアーより帰国しました。今回はメテオラ修道院群やアポロンの神託で知られるデルフィ、オリンピックの起源にもなったオリンピア、そして首都アテネとギリシャ全土をぐるりと一周!見どころを徹底的に極めてきました。

さて、古代ギリシャの歴史やギリシャ神話など興味深いもので溢れるギリシャですが、今回特に印象的だったのは、エーゲ海サロニコス湾のクルーズです。
この日は雲一つない快晴で最高のクルーズ日和。コズモス(ギリシャ語で「人がいっぱい」の意味)号に乗っていざ出港!このクルーズではサロニコス湾に浮かぶ3つの島、イドラ島、ポロス島そしてエギナ島を訪れます。そもそもギリシャは全体の面積のうち81パーセントが本土で、残りはエーゲ海、イオニア海、そして地中海に浮かぶ島々で構成されています。島の総面積は25,000平方キロメートル、その数およそ3,300にも及びます。
港を離れて約3時間、まずはギリシャ独立戦争時代に海上戦略の拠点となったイドラ島へ。かつて海賊まがいの活動を行っていたイドラ島民たちは独立戦争に協力し出資者として活躍していました。当時の名残として島の港周辺には砲台が残っていました。

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<イドラ島>

その後ポロス島へ。丘の上の絶景ポイントからサロニコス湾を一望!白い壁にオレンジの屋根の建物がびっしりと建ち並んで、まるで白いピラミッドのようでした。

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<ポロス島>

最後に訪れたのはエギナ島。あのアテネのパルテノン神殿よりも保存状態が良いとされ有名なアフェア神殿を見学。エギナ島の女神アフェアに捧げられた神殿で、紀元前5世紀ごろに建てられたドーリア式の24本の柱が見事に残されていました。

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<アフェア神殿/エギナ島>

少し前までギリシャは経済不況で話題になり、現在どのようになっているかと気になる方もいた様子。ガイドさんに聞くと今の平均月収は7万円程だとか。大変そうなのですが、それでもみんな仕事の合間にたっぷりのシエスタ(お昼寝)をとり安月給でも幸せそうに生活していました。相変わらずのんびりした性格のギリシャ人たちである意味安心しました。(西澤)

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2018年5月15日 (火)

多くの旅人が魅了された地、三游洞の断崖絶壁絶景レストラン(中国)

「三游洞の絶景レストランと長江三峡クルーズ6日間」より帰国しました。
長江約6300㎞の本流中流域、美しく、そして雄大な沿岸の景観が楽しめる三峡と呼ばれる三つの峡谷があります。西陵峡、巫峡、瞿塘峡とどの峡谷も素晴らしいのですが、その中の西陵峡、西陵山にある洞窟、三游洞は、その辺り一体の風光明媚な景色で有名です。奥行が約30m、高さが約10mのその洞窟の中で、唐代の詩人白居易、弟の白行、詩人元稹の3人が、一晩中お酒を嗜み、語らい、思い思いに詩を完成させました。三人が遊んだ洞窟というのが、三游洞の名前の由来です。現在はその3人の像が洞窟内にあり、詩文が刻まれた石碑もあります。遥か昔の出来事ですが、3人が詩を読みながら、飲み明かす場面が目に浮かびます。

その三游洞の近くにあるのが、断崖絶壁に位置する絶景レストラン「放翁酒家」。西陵峡を眼下に、中国でおなじみの円卓を囲み、目の前に水墨画の世界が広がる中での食事は格別。地形が入り組み、霧が発生しやすく、曇りがちな天気もこの峡谷にとってはぴったりで、さらに雰囲気を盛り上げてくれます。このレストランでの特等席である、外に突き出ているテラス席にて、少し辛めの湖北省特有の料理を頂きました。このテラス席に行くまでも、絶壁にへばりつく通路を通って、席まで向かいます。手すりがついているので、落ちる心配はありませんが、身を乗り出すと、少し足がすくんでしまいます…。川を挟んだちょうど向かいでは、バンジージャンプやジップラインなどのアクティビティを楽しんでいる観光客の姿も目にします。きれいな景色の愉しみ方は人それぞれです。白居易ら詩人を始め多くの旅人が魅了された地というのも納得がいきます。

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<絶景レストラン「放翁酒家」>

この辺りは三峡ダム建設の影響もかなり受けた地域ではありますが、水位は上昇したものの、景観にほぼ支障はなかったといわれています。しかしながら、現在でも、汚染など周囲の影響について世間を騒がせています。この素晴らしい景観が将来もなくならないことを祈るばかりです。(荒川)

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<絶景レストラン「放翁酒家」からの眺め>

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2018年5月11日 (金)

まるで火星滞在!赤茶色の砂漠地帯でテント宿泊(ヨルダン)

先日、「ヨルダン・ハイライト 7日間」のツアーから帰国致しました。この7日間のツアーは、ヨルダンが誇る“ペトラ遺跡”と『アラビアのロレンス』の舞台である“ワディ・ラム”、そして、イスラエルとの国境に位置する“死海”などを訪れる、ヨルダン良い所取りの内容です。その中でもこのツアーでしかできない体験が、赤茶色の砂漠の地ワディ・ラムでドームテントに宿泊することです。

ワディ・ラムは、先述の通り映画『アラビアのロレンス』の撮影地であり、物語の主人公である英軍人トマス・エドワード・ロレンスも実際に本拠地を置き、遊牧民族のベドウィン達と15年間暮らした場所です。
映画『アラビアのロレンス』は1962年に公開されたイギリス映画で第一次世界大戦下のオスマン帝国からのアラブ独立闘争を描いた歴史映画です。ロレンスは、アラブの地理に詳しかったため、イギリス陸軍の一員としてアラブの地で勤務することになります。そして、アラブ人たちとの運命的な出会いを果たし、イギリス人から一人のアラブ人としてオスマン帝国に戦いを挑みます。映画では、壮大な砂漠の景色と素晴らしい音楽の調和が見事だったので、バスの中でも『アラビアのロレンス』のサントラを流しながら、砂漠の景色をお楽しみ頂きました。

ワディ・ラムの観光を終え、私たちはキャンプサイトへ向かいました。キャンプと言っても宿泊するのは、ラグジュアリー・キャンプ。キャンプエリアは、レストランとWiFiを完備しています。そして、テント内は、ベッドとイス、洗面台とシャワーなど、普通のホテルとほとんど変わらない設備が備わっています。

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また、2015年に公開されたアメリカのSF映画『オデッセイ』は、このワディ・ラムの地で撮影されました。主演のマッド・デイモンは、今まで見てきた中で最も素晴らしく美しい場所の一つと評しています。私も、この赤い荒地とドームキャンプを眺めていると、すっかりSF映画に入り込んだ気分になりました。今後、一般的に宇宙旅行が可能になったら、このようなドームテントで火星に宿泊する日が来るだろう、その際には、宇宙飛行士の免許を取り、数々の訓練が必要だ…と空想にふけていました。

夕食は、伝統のベドウィンテントで頂きました。土の中で蒸し焼きにされたヨルダンのBBQ“ザルブ”や伝統のデザートでおもてなし。涼しい夜風の中で頂く食事に、お腹も心も満たされました。そして、テントサイトへ戻る途中、綺麗な星と月が見えました。望遠鏡を覗くと、月のクレーターまで見ることが出来ました。
充分に満喫しましたが、翌朝まで楽しみがあります。夜が明けた後の日の出観賞の時間です。周囲に奇岩があるので日の出が見える時間は遅くなりますが、テントは東を向いているため、天気が良ければ太陽を拝むことができます。この日も朝日をばっちり見ることができ、最後まで大満足の宿泊となりました。

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今回のツアーで、改めてヨルダンは魅力の詰まった国だと実感しました。輝かしい古代の歴史や激動の近代史に思いを馳せたり、映画のワンシーンを思い出したり、楽しみ方が尽きない国のひとつです。

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2018年5月 9日 (水)

チューリップのルーツを探索!(カザフスタン・ウズベキスタン)

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<カザフスタンのチューリップ>

咲いた~咲いた~チューリップの花がー。皆で元気に歌ったこの歌を知らない人はほとんどいないでしょう。当たり前のように幼稚園や小学校の花壇で見ていたチューリップ。この花が日本に伝来したのは江戸時代?!現在では世界各地で数多くの栽培品種があるチューリップですが、その原産地はトルコ~イラン~中央アジアにかけての一帯。「春のカザフスタン・ウズベキスタン フラワーウォッチング 8日間」今回のツアーはチューリップの原生種を求めフラワーハイキングをしてきました。

カザフスタン、ウズベキスタン、キルギスの国境にある自然保護区。中央アジアの中でも最も古い保護区でもあるアクス・ジャバグリ自然保護区は4月下旬から5月上旬、多様なチューリップの原生種を見ることができる貴重な場所。しかし、だからといって去年、一昨年、その場、その時期に見られたからといって同じように今年も見られるとは限りません。こればかりは自然現象が最重要事項。咲いていることを心の底から願うばかりでした。

初日のチューリップとの出会いは豪雨と言っていいほどの大粒の雨に全身びっしょり、足元ドロドロ。頼みのチューリップは心なしか元気がなく(咲き終わりでもあり)正直、ハッピーなものではありませんでした。冷え切った体。服や靴を乾かしながらただただ晴れることばかり願っていました。そんな皆の思いがきっと届いたのでしょうか。

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<ウズベキスタンでチューリップ探し>

ドキドキの天気も翌日からは太陽が顔を出し晴天続きのフラワーウォッチング日和。
現地での色々な情報をも元に花ガイドさんに連れられ、いざ、原生種のチューリップに出会いにハイキングスタート。張りきるガイドさんは必至に探してくれるが故にズンズン突き進む。ちょっぴり足早についていったその先には、そう、咲いた~咲いた~チューリップの花が。あったのです。目の前に!!小さい時から日本で見てきたものとはイメージも違っていました。チューリップの原生種は色や形も様々で、背丈は低く、丈夫にしっかり根付いていました。いつまでもこの自然を守りつつ、来年も元気に咲いてくれることを願いたい。(岩間)

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2018年5月 8日 (火)

西アフリカ、ギニア湾岸への旅(シエラレオネ、リベリア、コートジボワール、ガーナ、トーゴ、ベナン、カメルーン)

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<ケープコースト城砦(ガーナ)>

先日「アフリカ、ギニア湾岸7ヶ国大紀行」の旅から帰国しました。
旅はシエラレオネから始まり西へ横断。リベリア、コートジボワール、ガーナ、トーゴ、ベナン、そしてカメルーンへ。15世紀にポルトガル人がこの地に到達して以来、欧州諸国の影響と支配を受けて激動の歴史を紡いできた場所であることは言うまでもありません。
中でも忘れてはならないのが奴隷交易の歴史。トーゴやベナンはかつて『奴隷海岸』と呼ばれ、大西洋奴隷交易の拠点となった場所。ガーナも含め、当時の遺構が負の遺産として記憶と共に今も残ります。一方で、アフリカに戻った解放奴隷が最初に定住地を作った場所がシエラレオネ、その後、19世紀にアメリカからの解放奴隷により建国されたのがリベリア。今回の旅で、奴隷交易の歴史にかかわる正反対の地を同時に訪問できたのは意義があったのではないかと思います。

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<内戦で廃墟になったホテル(リベリア)>

西アフリカでもう一つ避けられない歴史、それは内戦。シエラレオネやリベリアはほんの10年前まで内戦状態でした。ニュースで見知っていたその地を、実際に訪れることで何を感じられるのか?
今回の訪問では、その内戦の傷跡を町中で見かける機会もありましたが、町を散策しているとそんなことがあった雰囲気はなく、人々が穏やかな日常を送っている様子を大いに感じられました。市場に行けばその活気と規模に驚きましたし、ビーチで人々が賑やかに遊んでいる姿はどこでも見かける光景です。トゥクトゥクに乗って、空気を感じながら町を回った時には、人々の生活の営みを肌に感じられたような気がしました。内戦に加え、近年のエボラ出血熱流行によって経済発展が絶たれましたが、今は少しずつ右肩上がりになりつつあると聞きます。今後また、何かの要因で絶たれないことを願うばかりです。

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<ビーチではしゃぐ少年たち(シエラレオネ)>

今回訪れたのは都市部が中心で、欧州人が到来した15世紀以降の歴史でした。しかしながら、それ以前より暮らす部族がたくさんおり、今も伝統的な生活や風習、信仰を紡いでいると聞きます。それが正に西アフリカの真の顔のような気がしますので、次回は是非、そういったところを見る機会に恵まれるといいなぁと思いました。(江間)

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