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2018年6月

2018年6月28日 (木)

サムライブルー、カザンで絶好調!

本日23:00より(現地17:00より)ヴォルゴグラードアリーナにてポーランドとの対戦。ヴォルゴグラードという第二次世界大戦最大の激戦地で、日本とポーランドが戦う。親日国ポーランドとの対戦。ポーランド人は自国のみならず、相手国にもエールを送る姿を見ることが出来るに違いない。

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<カザンアリーナ>

日本は絶好調。
6月19日のモルドヴィアアリーナ(モルドヴィア共和国サランスク)での対コロンビア戦では勝利。
6月25日(現地6月24日)のエカテリンブルクアリーナでの対セネガル戦では、引き分け。グリオリズムにのって軽快に戦うセネガル相手に健闘。
絶好調の秘訣は勿論ベースキャンプ地。ヴォルガ河畔に位置する、サムライブルーのベースキャンプ地はタタールスタン共和国の首都カザン。モスクワから約820キロ東に位置し、人口約120万人の大都市である。
あまり知られていないが、ロシアは連邦国家。小さな共和国が21※存在する。対コロンビア戦のサランスクの競技場名が“モルドヴィア・アリーナ”であるのは、モルドヴィア共和国の首都サランスクにあるからである。

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<カザンアリーナ控室>

日本代表到着時は肌寒かったカザン。日本代表がキャンプ入りすると一挙に気温上昇。連日30度を超える。日本代表が来て、一挙に“熱く”なった。
カザンはタタールスタン共和国の首都である。タタールスタンとはタタール人の地という意味で、タタールは別名韃靼(だったん)。広義では中国東北部、モンゴル、シベリア、カザフステップの広い範囲に住むモンゴル・トルコ系の人々を指す言葉である。タタール語は日本語と同じアルタイ諸語に属する。
このタタールスタンの地は1223年、成吉思汗の孫、バトゥによってキプチャク汗国の版図となった。その後、キプチャク汗国は分裂し1438年、その領土の一部は成吉思汗の末裔ウルグ・ムハンマドによって、カザン・ハン国となり、カザンは首都となった。
タタールスタン共和国の人口の過半数はタタール人で、タタール語を話す。街の看板もロシア語とタタール語が併記されている。
今年の5月にカザンに招待されて視察に訪れた。清潔な街並み、明るく親切で礼儀正しい人々、日本選手団と世界中からの観客を受け入れる準備の真っただ中だった。お祭り前のどんちゃん騒ぎというよりは、お客様を迎える支度を粛々とこなしている雰囲気であった。
カザンからロシア各地へ出発する日本選手団。カザンの人々は、遠く日本から来た選手団を、遠い兄弟として親近感を抱き、応援しているに違いない。

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<クルシャーリフモスク>

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<三角ピロシキ・エチポチマク>

カザンのイベント
タル・タル★ナイト ~タタールスタンとロシア小さな共和国~(7月26日(木))

カザンへのツアー
ロシア小さな6つの共和国 ~タタールスタン共和国、マリ・エル共和国、チュヴァシ共和国、モルドヴィア共和国、バシコルトスタン共和国、ウドムルト共和国~ 10日間
ロシア、小さな6つの共和国とヴォルゴグラード ~タタールスタン共和国、マリ・エル共和国、チュヴァシ共和国、モルドヴィア共和国、バシコルトスタン共和国、ウドムルド共和国~ 15日間

※ロシアの発表では日本国政府未承認のクリミア共和国を含む22。

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2018年6月26日 (火)

ジョージアの昔ながらのワイン醸造所(コーカサス三国/ジョージア)

先日「コーカサス三国物語15日間」のツアーより帰国しました。今回のツアーはオイルマネーで潤うアゼルバイジャンのバクーから始まり陸路にてジョージアへ。クタイシやテラヴィ、軍用道路などのハイライトに加え、スワネティ地方の塔の家が立ち並ぶメスティヤやさらにその奥にあるウシュグリ村まで足を延ばし、最後は、アルメニアにてアララト山を望み、旅を締めくくりました。

世界各地にワインの名産地はありますが、今回、旅の大半を過ごしたジョージアは「ぶどう発祥の地」と言われています。陶器、青銅、銀で出来ている古代のワイン容器やワインを飲むための金のカップ、ワイン樽が発掘され、青銅器時代の古墳で見つかったブドウのつるの種は、8000年を超えるワイン文化の歴史を物語っています。人類の歴史とともにワイン作りが発展し、この地からメソポタミアを経由してエジプトにワインが伝わりました。
ジョージアワインのサペラヴィ種のブドウから赤、ムツヴァネ種からは白が作られ、フヴァンチカラ、ムクザニ、ツィナンダリなどさまざまな銘柄があります。 ジョージアの東部に位置するカヘチ地方には500以上のワイナリーが点在し、いくつかの醸造所では昔ながらの作り方を守っています。今回のツアーでは、カヘチ地方にある熟年夫婦が営む小さなワイン農家を訪問し、サペラヴィ種のワイン作りの様子を見学しました。

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ジョージア人の自家製ワインはクヴェヴリ製法で作られています。クヴェヴリとは「壺」の事で、この中に葡萄を入れ、醸造させます。収穫し軸を取ったブドウをつぶし、床下にある素焼きの壺に流し入れて発酵。沈殿したのちに壺を入れ替えてさらに熟成、皮や種もそのまま発酵させます。これを造るには正しい土と熟練の技が必要で、工場での大量生産はできません。しかし今職人不足で、クヴェヴリ文化存続の危機だといいます。2013年には世界無形文化遺産に登録されたクヴェヴリ製法。これを機に益々の保護活動が活発になり、昔ながらの伝統が守られますよう願っています。(大和田)

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2018年6月21日 (木)

ひむかの国で個性豊かな日本神話の神様たちに出会う

この度、ユーラシア旅行社の「日本神話の舞台とひむか神話街道を歩く4日間」より戻りました。  

霧島神宮


旅のスタートは晴天に恵まれ熊本空港から宮崎県の高千穂に向かう途中、新緑美しい阿蘇山の外輪山、内輪山を左右に眺めながらのドライブを楽しめました。宮崎県では高千穂と宮崎市に滞在し、ひむか神話街道沿線の神様ゆかりの地を巡りました。最後は神武天皇ゆかりの霧島六社権現の神社を巡って鹿児島から九州を出るという充実の4日間の旅です。
宮崎県は「神話と伝説のふるさと」と言われています。ひむか神話街道の「ひむか」とは「日の向かう地」という意味で、日本の夜明けのような意味があります。現在も日向(ひゅうが)という地名が残っていますが、昔からこの辺りは「ひむか」と呼ばれていたそうです。
 
日本神話の代表的な物で、太陽の神様・天照大神(アマテラスオオミカミ)が、須佐之男命(スサノオノミコト)のいたずらに怒って岩戸に隠れてしまい、世界が暗くなってしまったという話があります。

天安河原

高千穂で、その物語の舞台となった天岩戸神社と天安河原を訪ねました。
天岩戸神社では神職の方にお願いして、本殿の裏手側の聖域に案内して頂きました。神社の裏の崖を隔てた向こうの山(ご本尊)を眺めました。ここは昔から人が立ち入ってはならない神の領域。地元の人もずっとその言い伝えを守っているそうです。 その鬱蒼と茂った木々の一部に洞窟のようなものが確認できます。神職の方の説明によると、そここそが天照大神が隠れたという場所だそうです。聖域にいる間、気のせいかもしれませんが、他とは違う何か重たいまとわりつくような不思議な空気を感じました。
  天安河原は、岩戸に隠れた天照大神をなんとか外に出すため他の神々が集まって相談した場所で、日本で最初の国会議事堂とも言われています。

神様の系図

神々があれやこれやと工夫を凝らして、やっと天照大神は岩戸から出てきたわけですが、その時活躍したのが天鈿女命(アマノウズメノミコト)です。裸になって楽しく歌って踊って、他の神々を楽しませたため、何事だろうと思った天照大神が岩戸から覗き見た時に手力男命(タヂカラヲノミコト)が引っ張り出したんだそう。
天鈿女命は日本で最初のストリッパーと言われ、また、その姿から「楽」という漢字が生まれ、伝統芸能「神楽(かぐら)」は神々が楽しんでいる様子を表現したものとも言われています。
 今回の旅では、そんな神話や逸話を他にも沢山聞く事が出来ました。これまで、神々の系図を見ても、名前を読むだけで一苦労でしたが、今回の旅を通じて、神話の世界の神々がより身近に感じられるようになりました。(関根)

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2018年6月19日 (火)

憧れのアムトラックにてアメリカ横断5000kmの旅!

5/19発「アメリカ大陸横断鉄道の旅 9日間」の添乗に行って参りました。
日本から空路でワシントンD.C.へ入り、ワシントンD.C.発→【アムトラック】キャピトル・リミテッドで1泊2日→シカゴ着(シカゴで1泊)/シカゴ発→【アムトラック】カリフォルニア・ゼファーで2泊3日→サンフランシスコ・エミリビル着と合計3泊4日かけてアメリカを東から西への約5,000kmの鉄道旅。9日間という最小限の日程でアムトラックの旅に加え、ワシントンDC市内観光、シカゴ市内観光も含めた内容でした。

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<【アムトラック】カリフォルニア・ゼファー>

稚内から那覇までの直線距離が約2,473kmですので、日本列島を往復した距離に相当することを思うと、アメリカの広大さが感じさせられました。またシカゴからサンフランシスコ間では平坦な路線ではなく、ロッキー山脈越えという標高2,816m地点をも走ります。景色も駅からとはいえ大都市では高層ビル群、大都市から郊外へ出れば平屋建ての可愛らしいお店の建物や映画に出てくるような大きな庭付きの住宅街が見え、通過したり、停車した駅の街の規模や雰囲気をすこし垣間見た気分になりました。ロッキー山脈越えの際は、自然の変わりゆく様子に1日中、窓の外を眺めていても飽きませんでした。早朝デンバー駅を出発し、徐々に高度をあげ、デンバー郊外の平野から山へと電車が入っていることを実感できる光景、ロッキー山脈国立公園山中を走る際には木々が生い茂り、川が車窓の右左と交互に変わりながらも並走する景色、昼過ぎから山の地層の色に赤みが見えるようになった変化、生い茂っていた木々が段々と少なくなり、そして夕方には木々のない荒野が広がりました。
そのような車窓の景色を楽しむ場所は部屋からの窓だったり、ラウンジカー(展望車)からの窓からだったり、ダイニングカー(食堂車)の窓からだったり。

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<カリフォルニア・ゼファーにて荒野を走行中の景色>

寝台車でアムトラックに乗車する場合、ダイニングカー(食堂車)での食事込み。しかも朝食・昼食・夕食でメニューが異なり、いくつかある中から好きなものを選べる形式。食堂車の食事は美味しくなさそう・・・と思われがちですが、これが意外と美味しい。アンガス牛のステーキでは、ちゃんと焼き加減もオーダー時に聞いてくれました。パスタやリゾットもあり、試してみましたが茹ですぎた感じのものはでず、ちょうどよい加減で提供してくれました。寝台車両には、無料ドリンクサービスがあり、大体朝から夕方(ときに夜)までホットコーヒーやジュース(今回はオレンジジュースでした)が自由に飲めるようになっていました。コーヒーのアムトラックのロゴが印字されている紙コップは持ち運べるようプラスチックの蓋がちゃんと一緒に置かれていたので、部屋にいるとき、展望車両にいるときもコーヒー片手にほっと一息しながら過ごせたのもよかったです。また寝台車両は1両に3つはトイレがあるので、行きたいときにいつもどこかは空いていましたし、トイレットペーパー以外に手拭き用の紙タオル、ティッシュペーパー、歯磨き用の紙コップもトイレに完備。またシャワー室も寝台車両は1両に1つあり、脱衣所とシャワーブースはわかれていて、バスタオルと石鹸のアメニティあり。水圧は弱くお湯も熱々とまではいかないものの、途中で水になることも断水になることもなくちゃんと出ましたし、シャワーブースに腰掛ける場所もあるので揺れる車中心配な方も安心してシャワーが浴びられるようになっていました。

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<シカゴの高架鉄道>

ルーメットというタイプの個室寝台の部屋は少し手狭でしたが、車掌さんがベッドメイキングをしてくれるし、フレンドリーな食堂車のスタッフたちによる食事のお世話とまるでメイドさん付きの移動する家のような感じで過ごすことが出来ました。電車のなかで過ごしたら運動不足になりそう?いえいえ多少横揺れする電車内の車両から車両への移動では体幹を使い、2階建て車両であるアムトラックではホームへの降り口は1階。長い停車駅ごとに1階からでてホームでストレッチ、発車に駆け込んで、また眺めのいい2階のラウンジカーへ移動。いざなれば列車内を寝台車両からコーチ(普通座席)車両を通って後方車両へ(最後方車両の連結部分の窓から後ろに流れていく線路を見るのも楽しい♪)の往復散歩などすれば結構な運動に・・・といろいろな楽しい過ごし方があるアムトラックの旅でした。

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2018年6月14日 (木)

遠いけれど親しみの湧く国ルーマニア・ブルガリア

先日、「ルーマニア・ブルガリア周遊 12日間」から帰国しました。2カ国ともお天気に恵まれ、良く晴れた日が続きました。すれ違う方々はみんな笑顔で手を振ってくれるので、常に心が温まる場所でした。

ルーマニアを訪れて一番印象的だったのは、マラムレシュ地方のサプンツァ村にある「陽気なお墓」。いわゆる集合墓地ですが、日本の墓地とは違ってとてもカラフルなのが特徴です。これは、スタン・イオン・パトラシュという男性が、残された家族や友人の悲しみが少しでも癒えるようにと始めた取り組みで、十字架と長方形を組み合わせた墓標に故人の絵と短い詩が描かれています。さらにルーマニアの国旗の色でもある赤・青・黄色を基調とした色使いで華やかにしていきます。現在では、墓標は個人個人が亡くなる前に自分で依頼をするそうなので、私だったらどんな絵と詩にしてもらおうかな、と夕暮れ時に思うのでした。

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<サプンツァの陽気なお墓>

そしてこのコースはブルガリアも訪れるので、陸路でルーマニアからブルガリアへと国境越えをします。国境越えをした私たちを待っていたのは、芳しい香りに包まれた、「カザンラクのバラ祭り」でした。世界屈指のバラの生産地であるブルガリアですが、中でもバルカン山脈のすぐ南にあるカザンラクが、ローズオイル(香水の元)の産地として有名です。
バラ祭り当日、バラ畑で民族衣装に身を包んだ現地の方々からバラの首飾りを頂き、いざバラ摘みへ!小ぶりだけれども香りの強いバラを好きなだけ摘みます。バラを摘むお客様を見ていると、一際早く影が・・・。それは現地のバラを摘むおばあさん。慣れた手つきで素早くバラを摘み、あっという間に籠の中はバラでいっぱいになっていました。
バラ摘みを楽しんだ後は、現地交流会、歌や踊りを楽しみます。しかしそれだけではないのがこのカザンラクのバラ祭り。さらに、町のメインストリートでバラのパレードがあるのです。このパレードを見るために、人口8万人ほどのカザンラクの町に20万人もの人々が集まるそうです。バラのパレードでは、バラの女王が選ばれるコンテストがあり、美しいバラの女王はなんと17歳の高校生!私もローズオイルをつけていれば、いつかはバラの女王になれるかな・・・。(近野)

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<カザンラクのバラ祭り>

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2018年6月12日 (火)

感動のエベレスト再会!そしてネパールへの国境越えも再開!(チベット)

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<エベレストのベースキャンプ>

先日、「青海チベット鉄道とエベレスト眺望、ヒマラヤ山脈を越えて 14日間」より帰国しました。西寧より天空列車で太陽の都・ラサを目指し、その後はバスで世界一美しい景色が見られる?中尼公路を天上ドライブ。エベレストやシシャパンマのベースキャンプを訪れ、更には国境を越えネパール・カトマンズへと続く旅。ハイライトばかりのこのツアーでは常に興奮と感動の連続。何度訪れていてもそれは色あせることはありません。チベットではそこに住む人々の信仰心を目の当たりにし、色々考えさせられる事はいつも多々あるのですが、この度、特に私の心を鷲掴みにしたのはエベレストのベースキャンプからの3日間!!ここなのです。

山の天気は変わりやすい。山が見られるかどうかはお天気次第で、そんなことは100も承知。お天気によってその日は天国にも地獄にもなります。添乗員の仕事を始める前、これ程心から晴れる事を祈った日があったでしょうか。エベレストのベースキャンプへ行く朝は起きると同時にまっさきに窓の外を見ます。真っ暗な空一面に星がキラキラ輝いてそれだけでテンションがあがります。暗いうちにホテルを出発しベースキャンプへ。バスで九十九折の道をクネクネと登り、途中、ギャウ・ラの展望台に到着するや否や歓声にも近い声があがりました。それもそのはず、エベレスト、ローツェ、マカルー、チョー・オユーが目の前に飛び込んできて、しかもどれも雲もかぶらずバッチリとその雄姿を見ることができたのです!
しかし、ベースキャンプへ到着すると、なんとなんとエベレストは雲に覆われています。こんなに目の前にその大きさも迫力も感じるのに・・・。心の中で必死に祈り続けていたのは私だけではないはず。ずーっと見つめたその先の雲がみるみる薄くなってあっという間に雲がきれ、エベレストが顔を出してくれました。この瞬間はいつもたまらない。最高の上をいく感動です!

そして、もう一つの感動は、2015年4月のネパール地震により大きな被害に遭い、今まで観光客が通る事ができなかった国境が3年ぶりに開通し、再びネパール・カトマンズまで行くことが出来るようになったこと。以前の国境と場所は少し違うのですが、たった数時間で5000mの天上から3000m以下の地上に下りていく、空がどんどん遠くなる感じと緑が増え、空気の重くなる感じ。こんな体験はめったに出来ないだろうし、中国からネパールに入った途端、人も、トラックも道路状態もガラリと変わる。陸路の国境越えは色々な国で経験しているが、こんなに変化するところも珍しい。本当に目まぐるしいのです。

終わってみるとあっという間。ずっと高所にいた天上感覚で、エベレストのベースキャンプに行ったことさえ夢にも思える。でも、確かにいったのです。(岩間)

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2018年6月 7日 (木)

プライベート・バラ祭り~バラに囲まれて幸せな気分に~(ブルガリア)

先日、「プライベート・バラ祭りとブルガリア紀行 10日間」より帰国しました。
このツアーはカザンラクの小さな村の村人たちが、ユーラシアの旅にご参加のお客様だけのために開催する特別なバラ祭りです。御陰様で毎年開催され、今年で11回目を迎えます。

幸運にも、天候に恵まれ、レジェナ村に到着すると村人たちがバラの首飾りを持ってお出迎え。

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何度も開催されているレジェナ村の村人たちは入念に準備をしてくれ、私たちが来ることを心から待ち続けてくれています。
子供たちの歌とダンスで歓迎を受けたら、村人たちが手を取ってくれ、バラ畑の中へ。
ブルガリアのバラは香りの女王と呼ばれ、世界中のバラの香料の7割作られ、質・量とともに世界一です。特にカザンラクのバラの精油は最も品質が高いです。
村人たちがバラの摘み方を教えてくれ、“バラの中のバラ”と言われる最高級のダマスクローズのバラを摘んでいきます。摘み終わったら、一人一人摘んだバラの計量を。中には籠から溢れるほどバラを摘んだお客様もいらっしゃいました。

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バラ摘みの後は、村人たちによるブルガリアの伝統的な踊りレッスンへ。簡単なステップから難しいステップまで教えてもらいました。そして、村人たちと輪になって一緒に踊り、皆様ノリノリで楽しそうでした。

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これで終わりではありません。楽しい時間はまだまだ続きます。ブルガリア語と日本語講座、ブルガリアの歌と民族舞踊、村人たちとの写真撮影など、思い思いの交流を楽しみました。最後におばあさんから織物のプレゼントを頂き、村人総出のお見送りを受けながら、名残惜しく、レジェナ村を後にしました。バスの中は摘んだバラの匂いでいっぱいになっています。
そして、摘んだバラは持ち帰ることができ、バラ風呂にしたり、ドライフラワーにしたり、押し花にもできます。
バラ摘みと村人たちとの交流でお腹がすいたら、ご昼食はレストランのテラス席からプロの人々によるブルガリア伝統舞踊をご覧頂きながら、五感で楽しむバラ特製メニューをお召し上がり頂きました。
村人との楽しい交流、バラづくしの時間を過ごすことができ心温まり幸せな気分でした。
バスが離れる時村人たちは「また来年!」と皆手を振っていました。(金井)


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https://www.eurasia.co.jp/attraction/feature/bulgaria-rose-festival

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2018年6月 5日 (火)

玄奘三蔵も訪れたキルギスへ

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<アク・ベシム遺跡、発掘現場>

先日「地獄の門と中央アジア4ヵ国周遊 18日間」のツアーより戻りました。
このツアーでは、キルギス、カザフスタン、ウズベキスタンの自治共和国のカラカルパクスタンとウズベキスタンのヒワ、トルクメニスタン、最後にウズベキスタンのブハラやサマルカンド、タシケントと周ります。陸路での国境越えや、地獄の門のテント泊と普段体験できないことがたくさん詰まった旅でした。

今回のツアーで特に印象に残ったのは、最初のキルギスの観光です。アク・ベシム遺跡と呼ばれるこの遺跡はかつてシルクロードを歩いた玄奘三蔵が訪れたとされています。また唐代の詩人李白が生まれたのがこの地とする説があるとガイドさんからお話しがありました。私たちはたまたまこの時期に発掘調査に来ていた帝京大学の山内教授の発掘現場を見学させて頂きました。また直接山内先生からお話を聞くことができました。普段はめったにみることのできない光景にお客様も興味深々でした。

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<イシク・クル湖>

また玄奘三蔵がインドを目指し天山山脈を越えた後に訪れたイシク・クル湖にも訪れました。この湖は世界で2番目の透明度を誇る湖として知られています。今回宿泊したホテルからは歩いてイシク・クル湖を楽しむこともでき、日の出観賞された方もいらっしゃいました。またこのイシク・クル湖の底には文明があったとされる遺跡があり、海中探索中の様子や出土品は、後日訪れた首都のビシケクの観光でみたロシア・スラブ大学付属博物館にて知ることができました。他にも謎の多いイシク・クル湖のクルーズはこれから砂漠の景色に向かう私たちに潤いを与えてくれました。

今回のツアーでは陸路での国境越えがいつも難関になりますが、ウズベキスタンの査証免除や税関申告書の提出不要など、より観光客が来やすいように態勢が変わり、いつも以上にスムーズに国境を超えることができました。これからも中央アジアの国にさらに多くのお客様が訪れるように願っています。(森)

ユーラシア旅行社で行く中央アジア(キルギス・カザフスタン・ウズベキスタン・トルクメニスタン)周遊のツアーの魅力はこちら

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