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2018年7月

2018年7月31日 (火)

ドロミテ・アルプスの絶景を歩こう!(イタリア)

先日、7/16出発「ドロミテ・アルプスとトレチメ一周ハイキング9日間」のツアーより帰国しました。
今回は有名なトレ・チメ・ディ・ラヴァレードのハイキングなど4回のハイキングが含まれています。2009年に世界自然遺産に登録されたドロミテ。連続して連なっている山脈というより、山塊が集まってできているため、他のヨーロッパアルプスの風景とは全く異なり、力強さを感じます。地域によっては、第一次世界大戦まで、オーストリアに属していたため、ドイツ語とイタリア語両方使われる地域もあり、イタリアというより、南チロルという風に呼んだ方がなんだかしっくりきます。

実は成田空港、第一ターミナルの北ウイングにドロミテ・アルプスの写真が大々的に飾られているのをご存じでしょうか。それが今回のハイキングで訪れる場所の一つ、ガイスラー山塊とサンタマッダレーナ村です。

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<ガイスラー山塊のハイキング風景>

この日の天候は快晴。ゴツゴツとした岩壁が特徴のドロミテの山々と可憐な高山植物を眺めながらのハイキングは格別です。歩く距離をのばす度、迫力あるガイスラー山塊がすぐ目の前に迫ってきます。アップダウンが少しきつい所、ガレ場も多々…。しかし壮大な景色が目の前に迫り、この後はどんな絶景が待っているのだろうと思うと、不思議と足が進みます。
途中、山小屋がいくつかあり、休憩をはさみながら進みます。この辺りは牧畜も盛んなので、牛乳やヨーグルトが美味しいです。レストランのメニューの中にはこの地域の料理も多いです。
晴れていれば、歩いている間は半袖でちょうど良いですが、休憩中などは一枚羽織るものが必要。日本のようなじめじめとした暑さとは違い、カラッとしているので、暑いですが、不快ではありません。
トレッキング用のシューズ、ウィンドブレーカーは必須で、ストックもあった方が良いと思います。あとは歩ききる気力と体力!この時期は欧州、欧米からもトレッキング、ハイキングを楽しむ多く観光客がドロミテに集まります。皆、ドロミテの美しい景色を堪能したいという目的は同じ。すれ違う時に自然と交わす挨拶も疲れ始めた時には励みになります。
日陰がうれしい林道を歩き、牛がくつろぎ、草原が広がるエリアを歩き、様々な道を歩きます。今回は全体で約5時間半のハイキングでした。ハイキング終了後には、近くのサンタマッダレーナ村へ。フネスの谷に位置しており、のどかな村です。草原が広がり、住む人々もとっても穏やか。

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<サンタマッダレーナ教会とガイスラー山塊>

その村にある教会とガイスラー山塊の絵葉書のような景色が、初めにお話し致しました空港にある写真の景色なのです。是非、成田空港へ行ったら探してみてください!(荒川)

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2018年7月26日 (木)

ヨーロッパ民主化の始まりの地、グダニスク(ポーランド)

先日、「華麗なるポーランド紀行 9日間」の添乗より帰国しました。グダニスク、クラクフ、ワルシャワとポーランドのなかでも、歴史的・経済的にも重要な3都市を巡ります。ツアーの中では、各都市にまつわる様々な出来事をたどっていきます。
ワルシャワで生まれたキュリー夫人や作曲家ショパンの活躍、アウシュヴィッツ強制収容所などは耳にしたことがあるかもしれません。では、グダニスクという都市がどのような場所なのか皆様はご存知でしょうか。グダニスクは、ポーランドの北部に位置する港湾都市です。都市としては10世紀に形成されました。13世紀ドイツ騎士団のもとにあったころからハンザ都市の1つとして貿易機能を高め、現在もポーランド一の港町として栄えています。歴史的にみると『第二次世界大戦』、『連帯』と2つの大きな出来事がこの地から始まっています。

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<グダニスクの旧港>

中でも『連帯』に関してはもしかしたら新聞やニュースを通して、丁度ご覧になったかたもいらっしゃるかもしれません。1980年にこの地の造船所から始まった運動で中心となったのはレフ・ワレサ。もともとは、造船所の電気工でしたが運動の中で指導者として活躍し、最終的にはポーランド大統領も務めます。やがてこの運動の波は、ポーランド全体そして東ヨーロッパの社会主義圏全体へと広がっていき、多くの国々が民主化を迎えることとなります。
ツアーの中では、造船所の跡に建つ『連帯のモニュメント』や運動を支援していた『シフィエンティ・ブリギティ教会』などその足跡を巡っていきます。民主化を果たし、現在成長中のポーランド。集合住宅やセントラルヒーティングなどまだまだ社会主義国時代の名残も残りますが、これからどのように変わっていくのか非常に楽しみな国の1つです。(佐藤史)

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2018年7月24日 (火)

トルコの今

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<カッパドキアのキノコ岩>

先日、「トルコ物語~東西の十字路 トルコを極める~ 15日間」のツアーより帰国致しました。
ここ数年IS関連によりトルコの治安が不安視されていたため、各国からの観光客もトルコから遠ざかっていましたが、治安も落ち着きを戻し、昨年あたりから観光客が戻ってきました。実は今回のツアー中、世界でも注目されたトルコ大統領選挙が行われていましたが、現地では特にデモ等に遭遇することもなく平穏無事でした。むしろ一部の国民はロシアワールドカップに夢中になっていたかも。また今回再選したエルドアン大統領はイスラム色が濃いことで有名ですが、やはり1923年にアタチュルク大統領によりトルコ共和国が建国して以来の政教分離政策は継続されているため、ほとんどのレストランではビールやワインなどのお酒も飲むことができます。

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<アンタルヤの滝>

そして肝心の観光地はと言えば、私もトルコを訪れるのは6年ぶりですが、首都アンカラ、カッパドキアの奇岩群、地中海岸の町アンタルヤ、パムッカレの石灰棚、トルコ最大の都市イスタンブールなど、あの時とほとんど変わっていませんでした。ただ少し残念だったのが、2015年に世界遺産登録されたことに伴い、エフェソス遺跡の中のトイレが座れなくなってしまったことと、イスタンブールの観光地の一部が修復中であったことです(これは数年前に修復作業が行われる予定でしたが、IS等で国内の情勢が不安定だったので、今年にずれ込んでしまったとのことです)。

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<エフェソス遺跡のトイレ(今は座れません)>

それでもカッパドキアの民家のおもてなし、パムッカレの足湯、丘の斜面を利用して作られたペルガモン遺跡の大劇場、そして私がトルコで一番好きなイスタンブールのガラタ橋のたもとから見た金角湾とその奥にそびえ立つガラタ塔の光景は、懐かしさもありましたが、改めて初めて見た時のよう感動が蘇ってきました。あと1つ思ったのが、日本国内と同様、中国人の観光客が増え、日本人よりも多くなったことです。ただ観光地のお土産屋さんからかけられる言葉、それは「いらっしゃい」、「ともだち」、「やすいよ、たかくない」、「ばざーるでござーる」などの日本語のオンパレード!このうざったさもあの時と同じですが、ただ内心懐かしさもあり嬉しくも思いました。今後彼らがかける言葉が変わらないよう、かつてのように日本人観光客がもっと増えてほしい、そう願ってやみません。(斉藤信)

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<ペルガモン遺跡の大劇場>

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<イスタンブールの金角湾とガラタ塔>

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2018年7月19日 (木)

地中海貿易を制したフェニキア人発祥の地ビブロス(レバノン)

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<ビブロス遺跡>

先日、「レバノン周遊とルーブル・アブダビ 8日間」のツアーから帰国しました。
12年ぶりにツアーを再開したレバノンと昨年11月に開館したばかりのパリのルーブル美術館初の海外別館であるルーブル・アブダビを訪れるツアーです。
レバノンは地中海に面し、周りをシリアやイスラエルに囲まれた小さな国です。国の面積は岐阜県ほどしかなく、その中でイスラム教シーア派やスンニ派、ドルーズ派、キリスト教マロン派、ギリシャ正教など様々な宗教・宗派が政治的にも協力し共存する珍しい国です。それ故に過去には内戦が勃発し情勢が不安定な時期もありましたが、今は治安的にも落ち着いており平和そのものでした。しかしながら、ベイルート市内には弾痕の残った建物も新しい建物の隣に並んでおり、戦争の爪痕も垣間見えます。レバノンと聞くと、そんな記憶に新しい内戦のニュースが思い起こされるかもしれませんが、実はその歴史は古く、8000年前まで遡ります。

今回訪れたのは首都ベイルートより北へ40㎞程のフェニキア人発祥の地として有名なビブロス。紀元前6000年頃から人が住み始め、その後、フェニキア、ローマ、十字軍の時代から現在に至るまで人が継続して住み続けている唯一の都市です。前3000年ごろのフェニキア時代、レバノン杉が多く群生していたカディーシャ渓谷に近かったため地中海貿易の拠点の港として発展しました。レバノン杉は強靭で虫も付きにくく建築材に適していたため、フェニキア人はレバノン杉で建造した船に乗り、主にエジプトなど海外諸国へレバノン杉を輸出。エジプトではレバノン杉がピラミッドの梁や太陽の船、ファラオの棺桶、樹脂がミイラづくりにも使われました。エジプト新王国のファラオ・トトメス3世が遠征を行ったおりに港を訪れ、レバノン杉がエジプトへ滞りなく出荷されるよう取り計らったという記録も残っているそうです。

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<レバノン杉>

また、エジプトからはパピルスを輸入し、ギリシャへ再輸出もしていました。そのため、ギリシャ語でパピルスを意味するブブロスからビブロスと名付けられ、バイブル(聖書)の語源ともなりました。私たちが普段使用しているアルファベットも元はフェニキア文字であり、地中海貿易によってパピルスとともにフェニキア文字が各地へ伝えられ改良されて現在の形となりました。世界最古のアルファベットが刻まれたビブロスの王アヒラムの石棺はこの地で発掘され、今はベイルートの国立博物館に展示されています。他にもエジプトの影響を受けて造られたであろうオベリスクが並ぶ神殿が残り、そこから出土した兵士の青銅像も国立博物館で見られました。

長い歴史を誇る都市がビブロスの他にも点在するレバノンですが、今の時点ではまだ一部は訪れることが叶いません。いずれ全ての地を訪問することが出来るよう、更なる平和が訪れることを祈ります。(日裏)

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2018年7月17日 (火)

バルト三国、歌の祭典を訪問!

先日、「歌の祭典も訪れる バルト三国古都巡り」のツアーより帰国しました。
ツアーのタイトルにもありますが、バルト三国は歌の民の国々で、エストニアとラトビアは5年に一回、リトアニアは4年に1回、7月に国で最も大きな歌の祭典を開催します。
今年は、ラトビアとリトアニアの歌の祭典が同時に開催される20年に一度の年。さらに!1918年のバルト三国独立宣言から100周年でもあるため、ラトビア・リトアニアでは、それはもう盛大に、歌の祭典を開催していました。
ラトビアの首都リガにある大きな公園にはいくつもステージが設置され、とても楽しげな歌や中世の演劇が披露されていました。(ちなみに、この三ヶ国は美男美女が非常に多く、中世の恰好をした彼らの姿はいつまでも見ていられるほど美しいです。)
また、この時期には、国内の地方からもたくさんの祭典の出演者が集まってきて、各々の民族衣装を着て民芸品を売っていたり、会場を歩いているのが見られます。村ごとに少しずつ異なる民族衣装ウォッチングも楽しいもので、カメラを向けるとニコッとポーズを決めてくれるのも嬉しいポイントです。

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<民族衣装の女の子たち>

さて、いざ歌の祭典のステージへ。まずはリガのシニア合唱団コンサート。出演者は約1000人。ラトビア人なら誰でも知っている曲が多いのか、観客席で口ずさんでいる人達も。1000人が放つ美しい旋律に涙がにじみました。観客も真剣に見守っていて、この国の人々が行った歌う革命(旧ソ連に対する無血革命運動)が偲ばれるようでした。

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<リガのシニア合唱団コンサート>

さて、南下して次はリトアニア。こちらでは、最後のメインステージの前の前夜祭のようなコンサートと、最終日のメインステージを見学しました。
リトアニアでは通常、3日間の歌と踊りの祭典が4年に1回催されるのですが、今年は前述の通り特別な年なので1週間にわたる様々なプログラムが首都ビルニュスのあちこちで開かれているとのことでした。

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<オーケストラ・コンサートにて>

↑の写真はオーケストラ・コンサートの様子。踊りも本当にすごかったです。見ていて飽きないよう衣装や振付、音楽のトーンなども工夫を凝らしていて、且つ内容もリトアニアの歴史を辿るわかりやすいものになっていました。いやーしかし、子供たちの可愛らしいこと。見に来ている親たちの気持ちを考えると、またしてもじわっときてしまいました。

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<小さな女の子たちも出演!>

若いダンサー達の顔は誇りに満ちていて、嬉しそうで、キレのある踊りも緩やかな踊りも、そのフォーメーションの移り変わりの見事さに感動致しました。
そして、最後に待っていたのは、“The Song Day(歌の日)”のメインステージです。なんと、12,000人もの出演者たちがステージに立ち、様々な歌を歌う日です。この日、出演者たちはビルニュスの旧市街、大聖堂広場から行進を開始し、歌の祭典の会場である公園まで約3.5km、歌ったり踊ったりしながら移動してゆきます。楽隊はほんとに大変だと思います!
市町村のプレートを持った人に続いて、その市町村の紋章の大きな旗などを振りかざし、例えばカウナスという町の合唱団だったら、「カーウナース!カーウナース!」と、街の名前をコールしながら楽しそうに進んでいきました。これまたバリエーション様々でした。
そして、おおかた全ての合唱団が集結する夕方17:00から歌の祭典がスタート!ヴィンギオ公園のステージに12,000人が立ち、様々な歌を歌います。終盤には、大統領が登壇し、演説を行い、リトアニア国内でも非常に有名な指揮者が登場し、会場の熱気はより一層たかまり、モニターに映し出される合唱隊の人々や、周辺でそれを聴きながら口ずさんでいる人々の目には、涙が・・・。

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<リトアニア、歌の祭典>

そして、夜9時、このビリニュスの会場にいる人々だけでなく、世界中のリトアニア人が一斉に国歌を歌う時間に。ガイドさんが事前にメロディーを教えてくれていた、リトアニアの国歌。まさに、全員の歌声がひとつになる瞬間でした。今までにもバルト三国には添乗で訪れていましたが、これほどまでにこの国々の文化の美しさを感じたことはありませんでした。(留置)

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2018年7月12日 (木)

毎年行われるノーベル平和賞の授賞式会場の魅力

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<オスロの市庁舎の油絵>

先日「優雅な休日~2大フィヨルドと2大絶景鉄道~11日間」より戻りました。このツアーではデンマークから始まり、フィンランド、スウェーデン、ノルウェーと4ヵ国を周遊します。また鉄道だけでなく、フィンランドからスウェーデンまでは豪華客船で向かいます。ノルウェーではフィヨルドをクルーズから見学。間近に迫る滝の迫力にも驚かされます。そのような体験が盛り沢山なツアーでした。

その中で特に印象に残ったのは、ノルウェーの首都オスロにある市庁舎です。毎年12月、この市庁舎ではノーベル平和賞の授賞式が行われています。バラク・オバマ元アメリカ大統領も、この市庁舎のメインホールで演説されました。またこのメインホールにはヨーロッパで最大の大きさを誇る油絵が飾られています。さらにこの市庁舎の魅力は1階部分のメインホールだけではありません。2階にはなんと、エドヴァルド・ムンクの「人生」という絵や港の見える廊下、様々なノルウェーの歴史や文化をモチーフにした絵で埋め尽くされた部屋があります。土曜日は市庁舎で結婚式を挙げることが多く、ムンクの絵が飾ってある部屋は残念ながら見ることはできませんでしたが、それでも、絵で埋め尽くされている部屋に差し掛かると言葉が詰まりました。この市庁舎ではノルウェーの歴史について、絵を用いて語られていました。また、今回の行程では前日にスウェーデンの市庁舎を訪れています。残りのノーベル賞の授賞式会場もしっかり見学することができ、ここで同じ日本人が受賞したと思うと、なんだが頑張ろうという前向きな気持ちにさせられました。

より多くの人が海外旅行に出かけることのできる世界になることを祈って、私もこの仕事をしっかり続けていきたいと強く感じました。(森)

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2018年7月10日 (火)

西安、敦煌、ラサ、歴史と文化と信仰に触れる旅

先日、「西安・敦煌・青海チベット鉄道」のツアーから帰国しました。

旅のスタートは、古くは長安として栄えシルクロードの起点でもあった歴史ある街、西安です。まずは唐の皇帝玄宗と楊貴妃縁の地、華清池へ。温泉地として唐の歴代皇帝が利用し、特に玄宗が楊貴妃の為に離宮等を建設しました。玄宗と楊貴妃が仲睦まじく過ごした様子が長恨歌にも詠まれています。そんなロマンチックな場でもありますが、1936年には西安事件が起こり、蒋介石がこの地で監禁され国共合作へと繋がった、歴史のターニングポイントの場にもなりました。

華清池の次は兵馬俑と秦の始皇帝陵へ。時代は唐から秦へと遡ります。兵馬俑博物館は、1号抗、2号抗、3号抗と分かれています。その中でもやはりメインは1号抗。始皇帝の陵墓を守る為に造られた兵馬が一面に並ぶ光景は圧巻です。兵馬俑を見学した後は隣の始皇帝陵へ。未だに発掘されていない陵墓の中は、金銀宝石を散りばめた星空に水銀の川、始皇帝が生前過ごした阿房宮が再現されていると言われています。その内部は司馬遷の『史記』にしか語られていません。足元に浪漫を感じながら西安市内へと戻りました。

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<兵馬俑>

午後は明代に造られた城壁を見学した後、三蔵法師が経典を持ち帰り、翻訳に努めた大慈恩寺大雁塔へ。時代は再び唐へと戻ります。約250段の階段を上り、西安の街を眺めました。西安最後の観光は絲綱之路起点群像。シルクロード東の起点であったことを記念し建てられた像を見学しました。像の中には西安からシルクロードを切り開いた張騫の像も。

西安観光の次はシルクロードのオアシス都市、敦煌。敦煌到着後は鳴砂山と月牙泉へ。ラクダに乗って砂漠を行き、かつてシルクロードを旅したキャラバンの気持ちを味わいました。翌日は4世紀から作られ始めたとされる莫高窟の観光。シルクロードを通じて中国は勿論、インド、中央アジア、ペルシア、果てはヨーロッパのローマ、ギリシャまで、様々な文化の影響を受けた美しい壁画、仏像を見学しました。
西安、敦煌と観光した後はラサへと向かうべく、ゴルムドから青海チベット鉄道に乗車。約13時間かけながら、時に標高5000m以上を走り太陽の都、ラサへと向かいました。ラサ駅で下車すると太陽の都の名に相応しい、突き刺す日差しがお出迎え。1日休んで標高の高い地に少し慣れてから観光へと向かいます。
ラサではポタラ宮を始め、ダライ・ラマの夏の離宮ノルブリンカ、チベット仏教最大の聖地ジョカン寺など、チベット仏教に纏わる地を訪問。現在ダライ・ラマ14世はインドに亡命しており、最高指導者は不在であるものの、禅問答の様子や五体投地をする人々を見るとラサの人々の信仰心の篤さを感じました。
古都西安に始まりシルクロードからチベットの聖地まで、歴史、文化、信仰すべてに触れた、充実した9日間でした。(永田)

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2018年7月 5日 (木)

初夏の新疆ウィグル自治区、知られざる秘境へ!(中国)

先日、「アルタイ山脈の麓と天山北路の旅」の添乗より帰国しました。まだ雪が少々残る天山山脈やアルタイ山脈を仰ぎ見ながら、ロシア、モンゴル、カザフスタンの国境にほど近い、新疆ウィグル自治区の北部を巡りました。

砂漠地帯が広がる南部と違って、北部の見どころは変わりゆく車窓の景色。荒々しい岩山の天山を駆け抜けたかと思えば、草原地帯となり、そのうちゴビの砂漠が広がります。ゴビの砂漠を抜けると、今度は色鮮やかなヤルダン地形が姿を現し、車窓の眺めは私たちを飽きさせません。

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<初夏のカナス湖>

また、天山山脈の北側のシルクロードの道、「天山北路」として栄えた要衝も巡り、匈奴や突厥といった遊牧民族の文化やその歴史にも触れることができました。特に、北部では、匈奴や突厥の子孫とも言われる、カザフ族やモンゴル族をよく見かけます。彼らは夏になると遊牧生活を送ります。そのため、山の裾野には白いパオ(ゲル)を見かけました。

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<突厥の石人像>

新疆ウィグル自治区は、匈奴の時代では唐が都護府を置き制圧、また、清代では乾隆帝が中国東北部からシボ族を屯田兵として派遣、現在でも安全を守るため街ごとに検問が設置されています。今も昔も様々な民族が共存する社会だからこそ、この地に安全、平和のために“屯田兵”が活躍しているのです。

この美しいラベンダー畑は、かつての屯田兵の子孫が運営しています。今もなお、兵団として農業に従事しながら、彼らは新疆を守っています。

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<中国95%のシェアを持つイリのラベンダー荘園>

風光明媚な景色に癒されながら、皆が幸せに平穏に過ごせる世の中になるよう、新疆の将来を祈りました。(角田)

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2018年7月 3日 (火)

モーツァルト音楽祭、バッハ音楽祭、3回の音楽会を堪能(ドイツ)

先日、「バッハ音楽祭とモーツァルト音楽祭 11日間」の添乗より帰国しました。初夏を感じながらドイツ、中部のビュルツブルクのモーツァルト音楽祭、そして東部の街、ライプツィヒではバッハ音楽祭の二つのコンサートを楽しみました。
ビュルツブルクでは毎年6月に約1ヶ月もの間、街の様々な会場を利用して音楽会が開かれます。今回は世界遺産でもある歴史的建造物のレジデンツ「皇帝の間」で開かれた音楽会です。夜、音楽会の為再び訪れると、庭はライトアップされ「皇帝の間」もクリスタルの大きなシャンデリアに灯りがともり昼間、観光で訪れた時とは全く違う幻想的な雰囲気。現地の人でしょうか、観客もおしゃれをした方が多く、その雰囲気をめいっぱい楽しもうという感じが溢れていました。曲目は、モーツァルトの「フルート協奏曲第2番」他。韓国出身で国際的に活躍するジャスミン・チェイによるフルートと地元ビュルツブルク管弦楽団との共演でした。

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<バッハ音楽祭、聖トーマス教会>

次に、ドイツ東部へと移動。バッハ生誕の地、アイゼナハを訪ね、夕方にはいよいよ、バッハ音楽祭で盛り上がるライプツィヒへ。早めの夕食を終え、夜、聖トーマス教会を訪ねます。曲目は「マタイ受難曲」。バッハが最後の街として暮らしたこのライプツィヒで作曲されました。キリストの受難の物語が3時間という時間の中でオーケストラ、パイプオルガンと合唱、独唱で演じられる壮大な作品です。会場は教会ですので、祭壇に向かって並ぶ椅子席に掛けていると、2階後方から演奏される音が圧倒的な存在感で頭上から降り注いできました。普通の音楽ホールで聴く音とは違う、やはり、聖トーマス教会で聴いた「マタイ受難曲」は特別な体験となりました。

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<ゲヴァントハウスホール(休憩中)>

翌日は、世界最古の民間オーケストラとして今年で275年の歴史を持つゲヴァントハウス管弦楽団の演奏を、彼らの本拠地ゲヴァントハウスホールで聴きました。オーケストラ席を囲むように、「ぶどう棚式」といわれる客席の設置が独特な構造をしています。曲目はかつて、ゲヴァントハウスの常任指揮者を務めたメンデルスゾーンの序曲「フィンガルの洞窟」と交響曲第4番イ長調「イタリア」等。洞窟に打ち寄せるような波の荒々しさ、イタリアの優美な感じを想像しながらオーケストラの音を堪能しました。
幕間には、地元の方々に混じってホワイエでワインを傾ける方も。個性的な3つの音楽会。いずれも、その場で実際に聞く音色は特別で忘れられない体験となりました。(帯津)

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