ナショナリズム溢れる地、ルーマニアとブルガリア
先日、「ルーマニアとリラの僧院 10日間」の添乗から戻りました。ルーマニアとブルガリア、古くはローマ帝国、中世以降はオスマン帝国などの近隣大国の支配に脅かされながらも独立を達成するべく戦い続けた2国ですが、そんな2国のナショナリズムを感じられるような地を巡りました。
ルーマニアは中世以降、西はハンガリー、東はモンゴル、オスマン帝国と、当時世界に名を轟かせた強国の間に位置し、その脅威に曝され続けました。ブラショフに残る黒の教会はハプスブルク家との戦争で外壁が黒く焼け焦げた為その名がつきましたが、今では風雨で少し色が落ち、黒というよりは暗い灰色のよう。それでも17世紀に受けた被害が未だに残っていると考えると、戦争の苛烈さが伺えました。
同じブラショフにある建築物で、オスマン帝国に対する要塞として建てられたのがブラン城。ブラン城はブラム・ストーカーの小説「吸血鬼」に出てくるドラキュラ城のモデルになったお城です。ブラン城の中にはドラキュラが使用したと思わせるようなアイアン・メイデンや拷問椅子も置いていましたが、どちらかというとそれは「女吸血鬼カーミラ」のモデルになったバートリ・エルジェーベトのイメージでしょうか。
ドラキュラのモデルになったワラキア公ヴラド3世は「串刺し公」の異名で、ハンガリーによるプロパガンダ、ブラム・ストーカーの小説による誤認により恐れられたワラキアの君主ですが、実際にはオスマン帝国のワラキア侵攻を防いだ名君、ルーマニアの英雄でした。
<リラの僧院>
ブルガリアではブルガリア正教の総本山リラの僧院へ。リラの僧院は、中世以降オスマン帝国の支配に置かれる中で、幾度戦火に焼かれようとその信仰を保ち続けた、ブルガリア人の心の故郷であるとも言われています。天井、外壁に描かれたフレスコ画の完成度からもその名に違わぬ信仰の篤さが感じられました。
もう一つの民族意識の高揚で連想される地はコプリフシテツァ村。ここは、オスマン帝国からの独立のために立ち上がった、四月蜂起が起こった地です。オスマン帝国の間者により四月蜂起は失敗しましたが、四月蜂起に立ち上がった人物の家屋や、四月蜂起の日付が名前になっているレストランもあり、ブルガリア人のナショナリズムの高まりを感じられた地でした。
異国の侵略に脅かされたことがほとんどない日本の歴史からは感じることが難しい、ナショナリズムに触れ続けた10日間でした。(永田)
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