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2018年11月

2018年11月29日 (木)

手つかずの遺跡「ベン・メリア」(カンボジア)

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<ベンメリア遺跡>

先日、「アンコールじっくり周遊とプレア・ヴィヒア 7日間」のツアーより帰国致しました。
ただいま乾季のカンボジア。時々スコールも降ってきましたが運良く遺跡の見学中はいつも快晴でした。
カンボジアと言えば、誰もが知ってるアンコール・ワット。そして今回のツアーの見所でもあるプレア・ヴィヒア。また、アンコール・ワットに続いて人気のあるアンコール・トムなどどれも魅力的でした。
ですが、今回私がご紹介したいのはベン・メリア。

ベンメリアは日本人に大変人気の観光スポットとなっておりますが、その理由は映画「天空の城ラピュタ」のモデルになった場所と言われているからです。
ですが、一説ではモデル地ではないとも言われています。
なぜならば、遺跡が発見されたのは1990年代、そして遺跡の一般公開は地雷撤去後の2001年。
「天空の城ラピュタ」は1986年公開映画ですので、モデルとするのは不可能という考えがあります。
とは言うものの行ってみたら、「なるほど~。確かにジブリの世界。」
転がる岩にこびりつくコケ、伸びきった木々、遺跡に絡みつく葉と木の根、青い空に鳥のさえずりが響きます。
まるでどこかに迷い込んだようです。
こんな所でかくれんぼなんかしたら楽しそうだな~とついつい童心にかえりました。

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<ベンメリア入口>

こちらの写真はベンメリアに入ってすぐの光景。
ベンメリア敷地内に入るといきなり崩れた瓦礫の山が。奥に進むとこのような光景が所々に広がってます。
ポルポト政権時代におきた紛争や地盤沈下などによって現在の姿となりました。また、発見当時から殆ど修復が行われておりませんのでカンボジアの歴史と自然の力を肌で感じられます。(岡本)


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2018年11月27日 (火)

8年ぶりにツアーを再開!タジキスタン

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<ペンジケント近郊のザラフシャン川>

先月、「幻のソグディアナ、タジキスタン紀行 8日間」より帰国しました。治安の問題で長らくツアーを実施できなかったタジキスタンですが、この度、外務省の海外安全情報の危険レベルが一部引き下がり8年ぶりにツアーを再開することができました。国土の約9割が山岳地で あり、またその半分が標高3,000m以上の高地というタジキスタン。峠を幾度も越え、雪をかぶった美しい山並みの中のドライブをお楽しみいただきました。

ツアーのタイトルにもなっているソグディアナとは、現在のウズベキスタンとタジキスタンの一部にあたる地域。アラル海にそそぐ2つの河川、シルダリヤとアムダリヤの間を流れるザラフシャン川を中心とする地域の古称です。このあたりに住んでいたソグド人は大きな帝国ではなく、ペンジケント、サマルカンド、ブハラなどの小さな都市国家を形成。そこから隊商を組み、はるばる中国やアラビアに足をのばしました。

非常に商才に長けていたソグド人は「シルクロードの商人」といわれています。広いシルクロードで商いをするには、その国の政治や治安状況、文化等、様々な情報を収集する必要がありましたが、彼らは、各地に張り巡らされたネットワークによりそれを可能にしたのです。彼らの一部は商いのため赴いた国に定住し、コミュニティーを作りました。その土地に同化し、ネットワークを広げ、商業のみならずその国の政治、文化、軍事にも大きな影響力を及ぼしたのです。

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<ペンジケント遺跡>

5~8世紀の間シルクロード交易を独占し、隆盛を極めたソグド人でしたが、8世紀にイスラム勢力がソグディアナへ侵攻してくると、徐々に世界史の表舞台から姿を消していきました。“中央アジアのポンペイ”と呼ばれるペンジケントの遺跡はアラブによって徹底的に破壊されたため、かつての壮麗さは全く見られません。背後にそびえる雪山やザラフシャン川を望み、ソグド人も同じ景色を眺めたのかなあと華やかな時代を想像し、想いを馳せてみるのでした。(川井)


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2018年11月22日 (木)

熊野古道小辺路を歩いて思う(奈良県・和歌山県)

先日、「語り部とゆく、熊野古道小辺路、果無越えと大峯奥駈道3日間」より戻りました。

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<果無集落世界遺産碑>

熊野古道はいくつかありますが、私たちは「小辺路」と呼ばれる高野山から熊野本宮大社に至る全長72kmの街道の一部を歩きました。歩いたのは、街道の終盤、果無峠越えの部分で、世界遺産の参詣道が通る天空の郷「果無集落」の観光用ポスターで一躍有名になった村を通るルートです。

天空の郷に至るまでの道は、麓の十津川からひたすら急な坂道、石畳、階段を上って標高を600m一気に上ります。森の中を歩きますが、果無村に近づくと視界が開け、視線の先には谷を挟んで果無山系 の山々の連なりを望むことができます。
果無集落では、古道沿いの個人宅の縁側が古道を歩く人の憩いの場としてご厚意で一般に解放されていて、腰を下ろして一息つくことができます。その向かいには、丸太をくりぬいて作られた水受けが印象的な湧き水を飲めるのも嬉しい心遣いです。
その後の行程は、再び果無峠に向けて標高をあげて行き、今度はひたすら熊野本宮大社に向けて下っていきます。その標高差は約1000m。ほとんどが森の中の道ですが、途中途中で視界が開け絶景を楽しめるというメリハリのあるルートでした。

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<果無集落にて>

この険しい小辺路は、1000m級の3つの峠を越える道であったものの、高野山から熊野本宮大社間を最短距離で往来できる道として、多くの庶民の参詣者たちが通りました。私たちは山道に適した靴を履き、重ね着ができ、1日分の荷物を持つだけでよいという装備で歩くことができましたが、中世の人が同じ道を着物と草履で歩いたというのは想像できないほど困難だったと思います。それでも「蟻の熊野詣で」といわれるほど庶民の間でも熊野詣が盛んであったというのは驚くとともに、人気のほどがうかがえます。

明治維新後、神仏分離令により熊野詣の風習も殆どなくなりましたが、熊野古道自体は、大正から昭和にかけて国道が整備されるまで、周囲の生活道路として使用されつづけられました。小辺路のほとんどの部分が通る奈良県の十津川村は鉄道を敷けないほど山深い地であったため、街道沿いには未だ豊かな自然が手つかずのまま残されています。熊野詣の往時の様子を偲べる絶好の場所です。(大久保)


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2018年11月20日 (火)

モノトーンの木組みの家々(ドイツ)

先日、「華麗なるドイツ紀行 10日間」のツアーより帰国しました。秋深まる黄葉の中、ケルン、ベルリン、ミュンヘンという大都市の他、中世の街並みの残るローテンブルクやドレスデンといった街の見所を巡りました。

中でも印象に残った景色がこちら。一見、白黒写真…とは思わないかもしれませんが、フロイデンベルクの旧市街を写したものです。

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<フロイデンベルクの旧市街>

木組みの建物はドイツ以外でも森林の多いフランス、オランダなどでも見ることができますが、ノルトライン・ウェストファーレン州のフロイデンベルクの旧市街にはモノトーンの家々が立ち並んでいます。クオパークという高台になっている公園から眺めると見事に統一されていることが分かります。

14世紀に城下町として始まり、現在の旧市街は、1666年の落雷による大火により1軒を残して全焼した後に再建されたものです。それでも300年以上経つ現在、どの家もお店も上品に装飾され、大切に手入れがされていることが感じられ、心暖かくなりました。(中西)


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2018年11月15日 (木)

チベット人の温かさを感じる旅(中国・ネパール)

先日、「ヒマラヤ山脈越え、エベレスト眺望とチベット4大都市周遊 11日間」の添乗より帰国しました。

ラサ到着後、エベレストやシシャパンマなど山を目指してバスをひたすら走らせます。

このツアーのメインと言えばやはりチベットからネパールへ陸路でヒマラヤ山脈を越えること。
3年ぶりに国境が再開し、お客様もやっとだわ~とワクワクが止まりません。

晴天を祈りながらバスを走らせ、車窓に雪山が見えたときは車内で歓声が上がりました。
途中何度も写真を撮りながら、エベレストのベースキャンプやシシャパンマのベースキャンプへ向かいます。
いざ目の前に世界最高峰エベレストが見えたときには、気温は氷点下で手が冷たくなりながらも、カメラのシャッターをおす手が止まらない!

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<エベレストベースキャンプ>

この素晴らしい山々ももちろん大満足ですが、山へ向かう途中に訪れた出会いも素晴らしいもの。
ツェタンからギャンツェへ向かう途中、一軒のチベット族の民家を訪れました。
民家では自家製のバター茶やミルクティーでおもてなし。
標高が高く気温も低いので体が疲れてきますが、あたたかいバター茶で体が温まりほっとします。
お茶やお菓子を頂き、仏間やキッチンまで見せてくれ、最後は最高の笑顔で見送ってくれました。

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<チベット族民家にて>

ドライバーさんやガイドさんはもちろん、地元のレストランやすれ違う地元の人により、気温が低い中でも人の温かみを感じることが出来たツアーでした。(椎野)


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2018年11月13日 (火)

終着点が運んだ発展 ~アッピア街道~(イタリア)

先日、「アッピア街道、古代ギリシア・エトルリア・ローマ文明 10日間」の添乗に行って参りました。

“全ての道はローマに通ず”有名な言葉ですが、ローマを中心に張り巡らされた石舗装の街道は、紀元前312年に着手したアッピア街道から始まりました。街道は軍隊の迅速な移動を目的として建設されたので、領土が拡大するにつれ、街道は新たに造られ、最終的に幹線道路で8万km(地球約2周分)、支線を含めると15万kmの道を残しました。もちろん平時には、街道は一般人にも使用され、そこを商人が交易品を運び、異国の植民市からの食べ物や文化も運ばれてきました。

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<トラヤヌスの記念柱>

ツアーは、アッピア街道の終着点ブリンディシから始まりました。南イタリアはギリシア人の植民市が各地にあり、ブリンディシもそのひとつでした。紀元前3世紀にマグナグラキエ(大ギリシア)と呼ばれるギリシア人植民市の中心都市ターラント(古名タラス、タラントゥム)を陥落したローマがイタリア半島統一を果たしたことで、領土拡大と共に少しづつ延伸させてきたアッピア街道がターラントを経由して、半島かかとに位置ずるブリンディシまで達しました。そしてブリンディシの港にてアッピア街道は終着点となり、そこから先に見えるのは青い海。陸路としての道はここで終点ですが、ここから出航した船がオリエント世界の交易品や文化を再び戻って運び、兵士たちは半島から更に遠くの異国の戦地へ赴き、拡大したローマ領土を治めるための移動や巡回の為に皇帝、副帝がこの港から出航したのかとイメージすればするほど、感慨深いものがありました。
ブリンディシもターラントもいまでは小さな南イタリアの街で、中心地は半日もあれば見て周れる広さ。しかし先述したように紀元前からギリシア→ローマの街でしたので、掘れば遺跡が出る出る。特にブリンディシでは、外観は中世の建物でも、それを建設したり修復した際に地下からギリシアやローマの遺跡が発見されたので、その建物内部に発掘された遺跡が見えるよう保存していました。知らなければ素通りしてしまうので、ガイドさんの導きによって知らなければ見られない隠れた観光スポットを訪れられた気分でした。
そのように紀元前4世紀までギリシアとゆかりの深かった南イタリアですので、訪れたブリンディシをはじめとしたターラントやパエストゥムでは、貴重なギリシアの発掘品と古代ローマの発掘品、ギリシア神殿の遺跡を見ていきました。

ナポリでは、郊外にある有名なポンペイ遺跡を訪れれば、当時のまま残る建物も興味深いのですがローマの道は街道だけではなく市内の道だってローマの道、と道にも注目しながら観光しました。商品を積んだ馬車が残していった轍の跡は、たくさんの馬車の往来を彷彿させ、東西南北の基幹道路デクマノスとカルドがしっかり定まった街づくりに注目してしまったりするのもこのツアーならではかもしれません。さらにナポリというと、普通イタリアツアーで滞在はしても街中をじっくり見ることは少ない街。賑やかなスパッカナポリという旧市街の中心地はお土産屋と中世の教会をみて終わりになりがちですが、この街の地下に隠れた広大な遺跡が眠っているのはあまり知られていません。現在の地上にたつ中世以降の建物の下に紀元前のギリシア時代の遺構と古代ローマ時代の遺構があり、ここでも表向き中世時代に建てられた教会から地下へと降りていくと、そこには古代ローマ時代の商店の跡などが残っている空間が!賑やかなお土産屋が並び、多くの観光客でひしめく地上と対比して、ひんやりとした空気に静まり返った地下に残る遺構空間では、現代とは少し違う時間が進んでいるような不思議な気分になりました。わずかな階段を下っただけで、別世界に一瞬にして来られたような感じでした。

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<ハドリアヌス帝の別荘に残るティヴォルティーナ街道>

そしてツアー後半はローマとその近郊へ。偉大な遺跡を残したローマも始めは不器用で、先輩から習って成長していった若者のようだと思わされたエトルリアと絡めた観光をしてきました。かつてのローマ市内が湿地帯で低地に住めない場所を排水設備によって水をテヴェレ川に流した技術はエトルリア人によるものであり、それによって生まれたフォロ・ロマーノを含めた低地を歩きながら、後世の皇帝たちによって建てられた周辺にある数々の建造物も、こうした技術の伝達や教わった技術の更なる向上と磨きがあってこの景色が生まれたのかと思うとローマの長い歴史を身に染みてすごいものだと感じることが出来ました。また建築においてはアーチをローマ人に伝えたエトルリアあって後世にローマの数々の素晴らしい建造物が生まれたともいえ、高いドームがある石造りの建物に入っては、知識が伝わること、そこから発展させていくこと、そして出来上がった素晴らしい物がこうして長い年月残っていることに感動してしまいました。その先輩であるエトルリア人の発掘品を展示していたタルクィニアの国立博物館では、ギリシアの発掘品と負けじ劣らずの素晴らしい作品や生活用具を見ては、紀元前に高度な技術や文明があったことに驚かされました。

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<街道沿いに植えられた傘松>

最終地ローマでは、地図を広げればテルミニ駅の東から北東へティヴォリへ伸びるティヴォルティーナ街道、アヴェンティーノの丘の南からオスティアまで延びるオスティエンセ街道、そしてカラカラ浴場の南から延びるのはアッピア街道。
アッピア街道においては終点からの始まりだったツアーでしたが、アッピア街道を始めとし、様々な街道から人、文化、もの(付随して知識)が流入し、できあがった様々な時代の建造物が残る集大成ローマを最後に訪れるというのも良いものでした。


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2018年11月 8日 (木)

昼と夜で全く違う姿を見せるモンサンミッシェル(フランス)

先日、「フランス物語 15日間」のツアーから帰国致しました。
今回は、南のニースから北のパリまで主要都市をぐるっと周る、毎日見所満載のツアーでした。その中でも今回の目玉の一つはモンサンミッシェルの大潮です。よく、モンサンミッシェルの写真やテレビで海に浮かぶモンサンミッシェルを見かけるので海に浮かぶ島というイメージをお持ちの方もいらっしゃる方もしれませんが、実はあの姿は一年中見られるものではないのです。毎日潮の満ち引きはありますが、月に2回満月と新月の前後数日間だけ約10ⅿを超える潮の満ち引きを見ることが出来ます。その時モンサンミッシェルは孤島となりかつての姿を取り戻すのです。昼、モンサンミッシェルに到着した際はまだ干潟が続き、ここに水が入ってくるとは想像できないほど。

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<昼のモンサンミッシェル>

夕食も終わり、大潮の時間を待ちますが、30分前になってもなかなか水は増えず本当に大潮を見られるのか不安になるほど。それもそのはず、かつて沢山の巡礼者たちが潮に飲まれ亡くなったほど潮の満ち引きは早く、「馬の駆け足」のスピードで満ちるという伝説があるほど急速に満ちて行きます。時間になるとどんどん潮が渦を巻いて満ちて行きあっという間にモンサンミッシェルは孤島になりました。

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<モンサンミッシェル 大潮>

この姿が見られる時は太陽と月と地球が一直線に並びなんとも不思議な瞬間です。
歴史の面でもこのように陸と完全に切り離されて孤立するため、ある時は修道院、ある時は監獄にと様々なドラマを生み出し、潮の満ち引きで全く違う姿を見せるモンサンミッシェルに魅了されるばかりでした。(竜崎)


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2018年11月 6日 (火)

マダガスカルでバオバブ三昧!

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<アンダヴァドアカ近郊のバオバブ>

先日、「マダガスカル大周遊 17日間」より帰国しました。針山のような奇岩が広がるツィンギーやバオバブの並木道。そして愛くるしいキツネザル(レミュール)など見所はつきません。大型肉食動物がいない為、弱い動物でも生き残ることができた島。そこからは何となくマダガスカルの全てにどこか優しいイメージがわくのだが、、、優しさとは程遠かったもの。それはマダガスカルの道路。日本の1.6倍の国土を持つ島の中で、曲がりなりにも舗装されているのは約5000キロ程。道なき道を毎日、毎日、縦に横に激しく揺れる車。車内では「自然のマッサージだわ」、などとは言っていられない。まるでロデオだ。そんな優しくない道をひた走るのも目的があってのこと。それは「星の王子様」では悪者のバオバブ。だが、マダガスカルにとって果実は食糧、樹皮はロープや薬に。観光という観点からも現金収入を得ることの出来る貴重な資源である。
バオバブ自体全部で10種あり、そのうち8種がマダガスカルに自生している。マダガスカルはバオバブの国と言っても過言ではない。

まるで絵本のような世界が広がるムルンダヴァ。中でもバオバブの並木道は有名だ。でもマダガスカルはバオバブの国。その他の場所でも摩訶不思議なバオバブの世界があり、その世界を見に今旅ではムルンダヴァより更に南に車を走らせた。

アンドンビリーやアンダヴァドアカ。交通手段も限られるが故に、過酷な道のり上にあるこの場所はまだ観光客がほとんどいなくバオバブ世界を私たちが独占!!同じ種のバオバブでも降雨量や土壌の性質によりまったく違う姿に成長するバオバブは、天に向かってスラッと伸び、その佇まいがスマートなモデル体型のムルンダヴァのバオバブと違って南のバオバブはずんぐり、むっくりとした庶民的?そんな姿に好感がもてます。バオバブの群生地がいくつかあり、そんなバオバブの世界に足を踏み込むと、今にも動きだしそうなバオバブが私たちをお出迎え。大きな穴があいたバオバブの中へ入ってみたり、家族のように立ち並ぶバオバブに名前をつけてみたり、不思議な幾何学模様が樹皮一面に広がるバオバブなど、人間がそれぞれ姿かたちが違うようにバオバブにもそれぞれ個性があり親しみをもってバオバブの世界を堪能しました。

こんな悪路は恐らく他のどのツアーでも経験することが出来ないでしょう。そんな道のりでしたが、道中は小さな農村、漁村を通り過ぎ、彼らの生活を垣間見ることが出来たし、周辺には目が覚めるような美しい海。カラカラの大地に水がスゥーッとしみ込むように、海の青さが体に染みわたり疲れが吹っ飛んでゆくようでした。来年もバオバブの不思議な世界へいざ。(岩間)

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2018年11月 1日 (木)

チュニジアで街散策に出かけよう!

先日、「チュニジア・サハラ浪漫紀行 10日間」のツアーから帰国しました。チュニジアには立派なローマ遺跡やサハラ砂漠に映画のロケ地、繊細なモザイクなど様々な見どころがありますが、街散策も楽しみの一つです。

まずはイスラム教の聖地ケロアン。メッカ、メディナ、エルサレムに次ぐ第4の聖都で、ケロアンへ7度訪れることはメッカへ一度巡礼するに値すると言われるほど重要な都市です。ナツメヤシのペーストをセモリナ粉の生地で包んで揚げたケロアン名物マクルードを試食しながら、メディナ(旧市街)散策。メッカの聖なる湖に通じていると言われている、ラクダが水をくみ上げる井戸も見学しました。

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<トズールのメディナ>

トズールのメディナは他にない、粘土と土を練って焼いた日干しレンガで建物が覆われています。面白いのはレンガの積み方で凹凸を出し、様々な幾何学模様の装飾が壁に施されていること。この辺りはナツメヤシのオアシスでもあり、固いナツメヤシの幹や枝は柱や天井、梁にも使用されています。
昼食を食べるために寄ったハマメットでのメディナ探訪は、小道の雰囲気が素敵で、多くの芸術家たちが魅了されたのも納得です。

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<シディ・ブ・サイド>

石畳の街シディ・ブ・サイドは、白壁とチュニジアンブルーの窓やドア、そして青空のコントラストはどこを切り取っても絵になります。魔除けのファティマの手や星、太陽、魚と家によって異なるドアの装飾も、間違えてノックしないように気を付けながら写真に収めます。家の窓枠やドアの装飾と同じ模様が可愛らしい、丸い形の鳥籠はおしゃれなインテリアにぴったり。小さなサイズだとお持ち帰りにもベストです。カフェに入って名物の松の実入りミントティーでほっと一息つきながら、ぼーっと景色を眺めるのも贅沢な瞬間です。
最後はチュニジア一の大きさを誇る首都チュニスのメディナ。街の中心にグランドモスクを構えたアラブの街で、周りを取り囲むスーク(市場)には所狭しと物が並び地元の人も観光客も入り交じり大賑わいでした。

どの街がお好みかは人それぞれ。カメラを片手にお気に入りのスポットを探したり、愛らしい猫たちと戯れたり、ずらりと並ぶお土産を前にして値段交渉に精を出したり、カフェでのんびりミントティーを飲んだり・・・。チュニジアの街歩きはいくら時間があっても足りません。(日裏)

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