2018年12月20日 (木)

大文明の裏に隠された、砂漠の秘境・スーダン

先日、スーダン9日間のツアーより帰国しました。
スーダンに行ったと言うと「どこにあるの?」と聞かれるのですが、
アフリカ大陸の北東、エジプトのすぐ南にスーダンがあります。

エチオピアとウガンダの源流から流れるナイル河が、
スーダンの首都・ハルツームで合流し、エジプトへ流れていきます。
それぞれ白ナイル、青ナイルと呼ばれていて、濁り方の違いでこの呼び名が付いたんだそう。
運が良ければ、ハルツームの合流点では青と白の色の違いがはっきり見られるそうですよ!

スーダンの北部、ナイル河流域以外には砂漠地帯が広がっています。
どこまでも続いていきそうな砂漠をハルツームから北上していくと、紀元前2000年からの文明の跡と出会えます。

そんなスーダンですが、ツアーでは「古代ヌビアの栄光を辿る」と素敵なタイトルが付いておりました。
アイーダがヌビアの女王として描かれているお話もありますね。

どんな栄光があったのかと言えば、やはりピラミッド!

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<ジュベルバルカルのピラミッド群>

古代エジプトが大きく栄えていた時代に、エジプトの南部とスーダンはヌビア地域と呼ばれ、クシュ王国が成立していました。
このクシュ王国の王たちが、エジプトをも版図に入れた時代がエジプト第25王朝です。
そんな力を持っていたクシュ王国が、エジプトの文化を活かす形で次々とピラミッドを建てました。
エジプトでピラミッド文化が廃れた後も、粛々と王や貴族の埋葬のために建て続け、数だけで言えばエジプトのピラミッドのほぼ2倍発見されています。これは驚き!

形も面白く、エジプトのものよりも急な角度で建てられているのが特徴。
太陽が昇った時に光が奥まで入り込むように、正面には門が備えられ、厳重な門が墓室を守っていたそう。
墓室はもちろん、そこまで続く通路や階段の壁にも、美しいエジプト風の壁画がびっしりと描かれました。

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<クッル遺跡 タヌトアメン王の墓>

やはり風化防止のために今後見られなくなる可能性もあるのですが、
今この時に見ることができてラッキーだなあと思うばかりです。

まだ都市開発も観光地整備も進んでいなく、街にレストランがない?というびっくり体験も異文化ならでは。
ガイドブックもまだ発売されていない未知の国。貴重な体験をできた気分です。(三好)


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