2019年1月22日 (火)

変化するミャンマー

先日「ミャンマー紀行7日間」のツアーより帰国致しました。
見どころが満載のミャンマーはアジア最後の秘境とも言われています。

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<ボートで移動する地元の人々>

今回のツアーではミャンマー東部、シャン州のニャウンシエ郡区にあるインレー湖にてボートに乗って遺跡巡りをしました。
ボートに乗っている間は、インレー湖ならではの浮畑やここに住んでいる民族のインダー族たちの暮らしぶりを見学することが出来ました。

インダー族にとってインレー湖の水は生きる上でなくてはならないものです。

毎日食卓に出てくる魚や野菜は湖で取れますし、飲み水以外、洗濯やお風呂などは全て湖の水を使用しています。
移動する時はもちろんボートを使いますからボートは一家に一艘で日本の車と同じ感覚。
また、現在は禁止されていますが昔は水葬をしていたそうです。

このように人々の生活を支えるインレー湖ですが実は最近、観光客が増えたことによるゴミや排水の問題、そして新しくホテル(コテージ)を建設する為の森林伐採により湖の水位は低下しているそうです。

その影響によりによりインダー族の漁業方法も変化しつつあります。
インダー族といえばあの竹と網で作られた独特の用具を使って漁業をする姿が特徴的でしたが最近では普通の網を使用する漁師が増えています。

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<独特の用具を使い伝統的な漁を行うインダー族の漁師(イメージ)>

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<網を使い、現代的な方法で漁を行うインダー族>

確かに4年前に訪れた時よりも独特の用具を使って魚を捕らえる漁師さんの数は減っていたように感じました。漁の方法も変わり、より効率的に便利になっていくことは良いことですが少し寂しさも感じました。

未だにロヒンギャ問題など課題はあるものの、新しい交通手段や観光スポットが出来、物凄いスピードで変化し続けるミャンマー。
今後どのような国になっていくのか、注目していきたいと思いました。(岡本)


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2019年1月10日 (木)

2017年世界遺産登録コロンス島とは?!(中国)

先日、「福建省を巡る、客家土楼と海のシルクロード~2017年世界遺産登録コロンス島に2連泊~8日間」のツアーから帰国致しました。
毎日がハイライトのツアーですが、特に印象に残っているのが客家土楼の他に、2017年に世界遺産に登録されたばかりのコロンス島です。
コロンス島は福建省アモイ島の西南部に位置し、対岸のフェリー乗り場との距離は1キロもなく10分ほどで到着します。面積は1.78平方キロメートルで、定住人口は2万人でとても小さな島です。
 アヘン戦争後の1842年に結ばれた南京条約で開港しイギリス、アメリカ、フランス、日本などの列強が領事館や病院、学校、教会などを建設し、租界地特有の豪華な洋風建築が島内のあちらこちらで見ることができます。今でも当時の建物が多く残され、「万国建物博覧」とも呼ばれることから世界遺産に登録されました。

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<洋風建築>

日本領事館もあります。

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<日本領事館>

また、コロンス島は、音楽の島としても知られています。西洋のピアノが流行したことに始まって、 お金持ちの華僑の人が沢山ピアノを買って集め、子供たちにピアノを習わせ、著名なピアニストを多く輩出しました。ピアノの普及率は世界でもこの島が一番高いです。

島内にはピアノ博物館もあります。

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<ピアノ博物館>

また、この島では車やオートバイの通行が一切認められていないため(電気自動車のみ)、騒音がなく、とても静かです。
路地を歩いていると、どこからかピアノの音が聴こえてきます。

島内はゆったりとした時間が流れながらも多くの観光客でにぎわっています。

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<園酒店>

私たちが宿泊したホテル「海上花園酒店」の庭から海を見下ろすと・・・

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<夕日>

きれいな夕日が見られました。

中国に位置しながらも、ヨーロッパの街並みがずらりと並ぶコロンス島にて、中国とヨーロッパの両方の雰囲気を一気に味わえました。(金井)


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2019年1月 8日 (火)

仏陀入滅の地インドのクシナガルを訪れました。

先日、「釈迦の道を往く、四大聖地巡礼8日間」のツアーより帰国しました。
仏陀の足跡をたどり、インド北部とネパールをまわっていく行程で、仏陀の人生に触れる旅でした。仏陀生誕の地ネパールのルンビニ、出家前に暮らしていたカピラバストゥ城跡、修行の地ラージギール、悟りを開いたブッダガヤなどをまわって行きました。

仏陀が最期を迎えたのは、入滅の地クシナガルの町。
仏陀は自身の死期を悟ると、修行の地ラージギールを後にし、最後の旅に出ました。クシナガルに到着すると、弟子のアーナンダに「2本の沙羅の木の間に頭を北にして床を敷いてほしい」と伝えます。頭を北にしたのは、クシナガルの北にある故郷ルンビニの両親に足を向けて寝ることはできないという考えのためでした。仏陀が涅槃に入るとき、2本の沙羅の木には花が一斉に咲いたと言われています。

現在でも、当時と同じ場所に大きな2本の沙羅の木が植えられていて、その前には6mもの涅槃像が納められている真っ白なニルヴァーナ寺院があります。今回は朝早くの観光だったため、辺り一面、朝靄に包まれ幻想的な雰囲気の中、木々の中に建つニルヴァーナ寺院を訪れました。堂内ではタイからの巡礼者達が6m程のカラフルな袈裟を涅槃像にかけていました。全員でお経を唱え、最後に再び丁寧に袈裟を取ります。その袈裟は帰ってから地元の寺院に寄進するのだそう。タイ語のお経は寺院のある広場一帯に響き渡っていました。

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<クシナガル、ニルヴァーナ寺院の涅槃像>

靄で視界が遮られることでなお一層、五感が研ぎ澄まされ、全身で仏陀涅槃の地を堪能することができました。(松永美)


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2018年12月27日 (木)

微笑みの国、タイのお祭りいろいろ

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<スリンの象祭り>

先月、「タイ大周遊 10日間」より帰国しました。タイと言えば、、、
自然が豊かで楽園のようなビーチリゾート他、アユタヤやスコータイなどの遺跡もあります。そして、辛い・甘い・酸っぱいの見事なマッチングで一度食べたらやみ付きのタイ料理。と、さすがは世界の人気観光国トップ10の常連国。これだけでも充分過ぎるのに、タイは1年を通してタイ各地でお祭りやイベントが盛り沢山。だからお祭り付は満足度プラスαなのです。

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<コムローイ祭り>

今回私達が訪れたお祭りはチェンマイのコムローイ祭りと、スリンの象祭りでした。コムローイはタイ北部で伝承されている伝統行事で、和紙で出来たランタンを夜空に向かって願いをこめ放ちます。空いっぱいに浮かび上がる様は幻想的。一瞬別世界にきたようでした。

そしてスリンの象祭りはと言うと、この地域には昔から象を飼っているクイ族が住んでいて、毎年、象祭りのこの時期には、多くの象が出稼ぎなどから帰ってきて1年で一番の賑わいを見せます。
広いスタジアムでは、その年にスリンで産まれた象の赤ちゃんの紹介から昔の象狩りのシーン、象さんによる華麗?なダンスや風船割り、絵描き、綱引きやサッカーと、これでもかっ、と言うほど頑張っていた象達。まさかこれ程まで芸達者だとは。
彼らの頑張りには理由もあります。昔、ある時は他の国と戦争になれば象は戦車のような役割をし、戦場に駆り出され、またある時は森林伐採などの林業に携わってきた象だが、自然破壊になる森林伐採は禁止され、以前はどこでも歩く事が出来た道路も今ではずっと少なくなってしまいました。そんな象が生きていく道、その一つが観光業。気性が荒く、人に懐く事のないアフリカ象と違い、昔から人と共存してきたタイの象、そして象使いとの絆は見ている側にもしっかり感じ取る事が出来ました。

お祭り前の象との触れ合いタイム。スタジアムの外に象使いと一緒にいる象にエサをやったり、鼻に乗せてもらったり、一緒に写真を撮ったりすることが出来ます。エサをあげると、手にその長~い鼻を上手に絡ませエサを取っていきます。鼻の産毛も象のものともなると硬くて何か違和感を感じずにはいられないませんでしたが、不思議と大きな体に怖さはなく、優しい瞳に安心感を覚えました。微笑みの国と形容されるタイ。微笑むタイ人への言葉でもあるのですが、訪れた人も、タイから微笑みや安らぎを貰っている気がしました。

2018年も残り僅か。今年も大変お世話になりました。皆様も海外で?日本で?よいお年をお迎えください。そして来年もどうぞ宜しくお願い致します。タイで貰った優しい気持ちを持って今年最後の添乗に行ってまいります。(岩間)


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2018年12月18日 (火)

ネパールの名峰を空から見学!

先日、「ネパール、ヒマラヤを望むリゾートホテルとエベレスト・アンナプルナ二大遊覧飛行」のツアーから帰国しました。

インド、ネパール、パキスタン、ブータン、中国に跨るヒマラヤ山脈。ヒマラヤとは「雪の住みか」を意味する言葉で、7,000m以上の山々が連なるヒマラヤ山脈はその名の通り、雪と氷で白く染まっています。その中でも最高峰がエベレスト、標高8,848m。「エベレスト」とは元々ジョージ・エベレストというイギリス人の名前から因んでつけられた名前ですが、ネパールでは「サガルマータ(海の頭)」という名で呼ばれています。チベットでの名前は「チョモランマ(世界の母なる女神)」です。今回のツアーでは、このエベレストともう一つ、同じヒマラヤ山脈の豊穣の女神の名を持つ、アンナプルナの二つの山を空から見学しました。

ネパールに到着した翌日、早速エベレストの遊覧飛行へ。遊覧飛行は天候次第で飛ぶか飛ばないかが決まりますが、今回は快晴!カトマンズ空港から10分少々飛んだところでヒマラヤ山脈が見えてきました。晴れ渡る空に向かって白く氷雪がかかった山が突き刺さるように並ぶその景色は圧巻で、窓から目が離せません。しばらくすると、CAさんに案内され一人ずつコックピットへ入ると、正面の窓の先にはエベレストが!飛行機のコックピットに入ることも滅多にない経験でしたが、エベレストに目を奪われ、めったに見られないコックピットはあまり記憶に残らず自分の席に戻りました。20分程で飛行機は旋回し、全体で一時間弱の遊覧飛行でしたが、眼前に広がったヒマラヤの景色は今も脳裏に焼き付いています。その後、カトマンズの観光をして、次はアンナプルナがよく見えるポカラへ。

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<空から眺めたヒマラヤ山脈>

ポカラではヒマラヤ山脈が部屋から見えるヒマラヤンフロントに宿泊。屋上からは朝日に朱く染まる美しいヒマラヤ山脈も見られました。ポカラでの遊覧飛行のチャンスは2回、1回目の遊覧飛行予定日は生憎の霧で飛行機が飛びませんでしたが、翌日は晴れ、遊覧飛行へ。魚の形に見えるマチャプチャレなどを見ながらアンナプルナへ近づきました。アンナプルナは4峰の山があり、最も標高が高いアンナプルナ第1峰は8,091m。アンナプルナは8,000m超えの山の中で初めて登頂された山で、同時に最も登山中に死亡する確率が高い山だそうです。なんと登山者の約4割が命を落とすのだとか。実際に見てみたアンナプルナは荘厳で神秘的で、どこか心惹かれ、命を懸けて山頂を目指す登山家の気持ちが少しわかるような気がしました。

山の魅力と人を惹きつける魔力を空と地から感じられた9日間でした。(永田)


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2018年12月11日 (火)

ガンジス川の夜明け(インド)

先日「魅惑の北インド周遊と宮殿ホテル9日間」のツアーから帰国しました。デリー、ジャイプール、アグラのゴールデントライアングルに加え、カジュラホやヒンドゥー教の最大の聖地「ベナレス」に訪れました。

ベナレスには、インドの母なる大河ガンジスが流れています。ヒンドゥー教では、ガンジス川の聖なる水で沐浴すれば全ての罪が浄められ、遺灰を川に流せば輪廻から解脱でき、幸福が得られると考えられています。

ベナレスはイスラム教徒から何度も攻撃を受け、現在のガード(沐浴場)の光景はムガル帝国が弱体しヒンドゥー教であるベナレスの藩王が権力を持った18世紀になってからのものです。

ガンジス川には84ものガード(沐浴場)が並んでいて、ネパールや南インドなど様々なところから巡礼で訪れた人であふれていました。早朝、路上には、喜捨を求める人たち、花売りの女性、祈りの準備をする人が溢れており、昼や夜とは異なった雰囲気が味わえます。

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<ベナレス ガンジス川>

私たちは、ダシャ―シュワメード・ガ―ドという岸の中心で最も賑わいのあるガードから手漕ぎボートに乗り北上しました。熱心に沐浴している人たちを始め、マハラジャの宮殿だったホテルや南インドの巡礼者で集まるカラフルなガード(南インドの人達はカラフルなサリーを着ている)、洗濯をするカーストのドビーと呼ばれる人たち等ボートから様々なものが見られました。

ガンジス川では毎日火葬が行われていて、マニカルニカー・ガードは大きな火葬場でその煙は24時間途絶えません。子どもや出家した人たちは、火葬されずにそのまま川に流されます。子どもはまだ十分な人生経験をしてない為、出家した人は人生を超越してるからだと言われています。

そして、なんといってもガンジス川からみる朝日は特別です。霧の中真っ赤な太陽がぽっと浮かび、ガンジス川を赤く染めていきます。何時間でも母なる大河ガンジス川を眺めていたい、そんな気分にさせてくれます。(南雲)
 
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<ガンジス川 朝日>


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2018年11月29日 (木)

手つかずの遺跡「ベン・メリア」(カンボジア)

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<ベンメリア遺跡>

先日、「アンコールじっくり周遊とプレア・ヴィヒア 7日間」のツアーより帰国致しました。
ただいま乾季のカンボジア。時々スコールも降ってきましたが運良く遺跡の見学中はいつも快晴でした。
カンボジアと言えば、誰もが知ってるアンコール・ワット。そして今回のツアーの見所でもあるプレア・ヴィヒア。また、アンコール・ワットに続いて人気のあるアンコール・トムなどどれも魅力的でした。
ですが、今回私がご紹介したいのはベン・メリア。

ベンメリアは日本人に大変人気の観光スポットとなっておりますが、その理由は映画「天空の城ラピュタ」のモデルになった場所と言われているからです。
ですが、一説ではモデル地ではないとも言われています。
なぜならば、遺跡が発見されたのは1990年代、そして遺跡の一般公開は地雷撤去後の2001年。
「天空の城ラピュタ」は1986年公開映画ですので、モデルとするのは不可能という考えがあります。
とは言うものの行ってみたら、「なるほど~。確かにジブリの世界。」
転がる岩にこびりつくコケ、伸びきった木々、遺跡に絡みつく葉と木の根、青い空に鳥のさえずりが響きます。
まるでどこかに迷い込んだようです。
こんな所でかくれんぼなんかしたら楽しそうだな~とついつい童心にかえりました。

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<ベンメリア入口>

こちらの写真はベンメリアに入ってすぐの光景。
ベンメリア敷地内に入るといきなり崩れた瓦礫の山が。奥に進むとこのような光景が所々に広がってます。
ポルポト政権時代におきた紛争や地盤沈下などによって現在の姿となりました。また、発見当時から殆ど修復が行われておりませんのでカンボジアの歴史と自然の力を肌で感じられます。(岡本)


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2018年11月15日 (木)

チベット人の温かさを感じる旅(中国・ネパール)

先日、「ヒマラヤ山脈越え、エベレスト眺望とチベット4大都市周遊 11日間」の添乗より帰国しました。

ラサ到着後、エベレストやシシャパンマなど山を目指してバスをひたすら走らせます。

このツアーのメインと言えばやはりチベットからネパールへ陸路でヒマラヤ山脈を越えること。
3年ぶりに国境が再開し、お客様もやっとだわ~とワクワクが止まりません。

晴天を祈りながらバスを走らせ、車窓に雪山が見えたときは車内で歓声が上がりました。
途中何度も写真を撮りながら、エベレストのベースキャンプやシシャパンマのベースキャンプへ向かいます。
いざ目の前に世界最高峰エベレストが見えたときには、気温は氷点下で手が冷たくなりながらも、カメラのシャッターをおす手が止まらない!

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<エベレストベースキャンプ>

この素晴らしい山々ももちろん大満足ですが、山へ向かう途中に訪れた出会いも素晴らしいもの。
ツェタンからギャンツェへ向かう途中、一軒のチベット族の民家を訪れました。
民家では自家製のバター茶やミルクティーでおもてなし。
標高が高く気温も低いので体が疲れてきますが、あたたかいバター茶で体が温まりほっとします。
お茶やお菓子を頂き、仏間やキッチンまで見せてくれ、最後は最高の笑顔で見送ってくれました。

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<チベット族民家にて>

ドライバーさんやガイドさんはもちろん、地元のレストランやすれ違う地元の人により、気温が低い中でも人の温かみを感じることが出来たツアーでした。(椎野)


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2018年6月12日 (火)

感動のエベレスト再会!そしてネパールへの国境越えも再開!(チベット)

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<エベレストのベースキャンプ>

先日、「青海チベット鉄道とエベレスト眺望、ヒマラヤ山脈を越えて 14日間」より帰国しました。西寧より天空列車で太陽の都・ラサを目指し、その後はバスで世界一美しい景色が見られる?中尼公路を天上ドライブ。エベレストやシシャパンマのベースキャンプを訪れ、更には国境を越えネパール・カトマンズへと続く旅。ハイライトばかりのこのツアーでは常に興奮と感動の連続。何度訪れていてもそれは色あせることはありません。チベットではそこに住む人々の信仰心を目の当たりにし、色々考えさせられる事はいつも多々あるのですが、この度、特に私の心を鷲掴みにしたのはエベレストのベースキャンプからの3日間!!ここなのです。

山の天気は変わりやすい。山が見られるかどうかはお天気次第で、そんなことは100も承知。お天気によってその日は天国にも地獄にもなります。添乗員の仕事を始める前、これ程心から晴れる事を祈った日があったでしょうか。エベレストのベースキャンプへ行く朝は起きると同時にまっさきに窓の外を見ます。真っ暗な空一面に星がキラキラ輝いてそれだけでテンションがあがります。暗いうちにホテルを出発しベースキャンプへ。バスで九十九折の道をクネクネと登り、途中、ギャウ・ラの展望台に到着するや否や歓声にも近い声があがりました。それもそのはず、エベレスト、ローツェ、マカルー、チョー・オユーが目の前に飛び込んできて、しかもどれも雲もかぶらずバッチリとその雄姿を見ることができたのです!
しかし、ベースキャンプへ到着すると、なんとなんとエベレストは雲に覆われています。こんなに目の前にその大きさも迫力も感じるのに・・・。心の中で必死に祈り続けていたのは私だけではないはず。ずーっと見つめたその先の雲がみるみる薄くなってあっという間に雲がきれ、エベレストが顔を出してくれました。この瞬間はいつもたまらない。最高の上をいく感動です!

そして、もう一つの感動は、2015年4月のネパール地震により大きな被害に遭い、今まで観光客が通る事ができなかった国境が3年ぶりに開通し、再びネパール・カトマンズまで行くことが出来るようになったこと。以前の国境と場所は少し違うのですが、たった数時間で5000mの天上から3000m以下の地上に下りていく、空がどんどん遠くなる感じと緑が増え、空気の重くなる感じ。こんな体験はめったに出来ないだろうし、中国からネパールに入った途端、人も、トラックも道路状態もガラリと変わる。陸路の国境越えは色々な国で経験しているが、こんなに変化するところも珍しい。本当に目まぐるしいのです。

終わってみるとあっという間。ずっと高所にいた天上感覚で、エベレストのベースキャンプに行ったことさえ夢にも思える。でも、確かにいったのです。(岩間)

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2018年5月24日 (木)

世界一の信仰心はここに・・・チベット教仏教の聖地ラサへ。(中国)

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<ポタラ宮>

先日、西安・敦煌・青海チベット鉄道のツアーから帰国しました。天候にも恵まれ、中国の歴史、自然を満喫したツアーでした。
今回のツアーでは青海省のゴルムドから青海チベット鉄道に乗って13時間でラサへ。ラサは標高3600mほどの高地、そして年間晴天率が非常に高い為(ガイドさん曰く300日以上?!)太陽の町とも言われています。一日の気温差が10度以上あり、人が住むには非常に過酷な地ですが、そこには宗教と共に生き、熱心に祈りを捧げる人の姿がありました。
ラサではさまざまなチベット仏教の寺院を巡りましたが一際迫力があったのはポタラ宮。歴代ダライラマの居城であり、ラサのシンボルでもあります。
ポタラ宮内部へは300段ほどの階段を上らないといけません。空気が薄いため私たちは、一歩一歩進むのもやっとです。そんな私たちの横を、マニ車を回しながら、スタスタと階段を登る信者の人たち。ポタラ宮は1000部屋ほどある巨大な建物ですが、観光で見られるのは一部のみ。生活と政治的な執務をした白宮、歴代ダライラマのミイラの霊廟がある紅宮です。蝋燭ではなく、バター灯明を灯すために信者が持ち込むバターの香りも印象的でした。ラサ市内では、灯明用のバターが柱のようにゴロゴロと売られています。

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<ジョカン寺を巡礼するチベット仏教徒>

また、チベット仏教徒が一生に一度は巡礼をしたいと思うジョカン寺(大昭寺)では外で信者が五体投地をしています。本尊は12歳の姿の釈迦像が奉られています。2500年以上もの歴史があるそうで、釈迦本人も見たという伝説が残っています。その像を参拝するために中には何百キロもの道のりを五体投地で来る人もいるのです。彼らにとって祈りは生活の中心であり、人生そのもの。普段歩くときに持っているマニ車には回すだけで、お経を読んだことになり、川や峠にかけてあるお経が書いてあるタルチョは、風でなびくとお経を読んだことになるのです。
中国政府の政策により新しい道路が建設され、様々な地方と繋がる鉄道も敷かれ着々と都会になっていくラサですが、祈りを生活の基盤とした素朴な姿が変わらないでほしいと願わずにはいられませんでした。そして、人生とは何か・・・改めて考えさせられました。(杉林)

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