2017年10月19日 (木)

ユーゴスラビアをまとめ上げたチトーの霊廟を訪れて(セルビア)

花の家

先日、「スロベニア・クロアチア周遊とボスニア、モンテネグロ、セルビア 13日間」のツアーから帰国致しました。
今回は、旧ユーゴスラビアの国々を周るツアーでしたがかつては同じ一つの国とは思えない程、国の雰囲気も違えば建物の建築様式、宗教も違い見所が沢山の国々でした。「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字を持つ、1つの国家」と言われる国を唯一、統治できたと言われているのは、ヨシップ・ブロズ・チトーです。
 今回訪れたセルビアの首都ベオグラード、ユーゴスラビア歴史博物館の中に彼の霊廟はあり、“花の家”と呼ばれています。今も献花に訪れる人が絶えないという彼のお墓は大理石で造られ綺麗な花々が周りに置かれていました。この花の家では彼がいかに統治者として優れていて慕われていたかが分かるものがいくつかあります。まず入口を入り左に行くと沢山の数のバトンが置かれています。このバトンは、毎年チトーの誕生日の5月25日に旧ユーゴスラビアの若者たちが行う< Relay of Youth(若者のリレー)>という行事があり、ユーゴ国内の各民族・地域の若者がリレー形式で渡しあったもの。ここまで民族や宗教がバラバラの人々が一つのバトンを受け渡し、最後にはチトーの元に届けることでユーゴスラビアとしての団結力を高めるイベントとして始められたそうです。カリスマ的存在として、尊敬されていた彼は1892年クロアチアで生まれ、1980年5月4日リュブリャナの病院で87歳で息を引き取ります。彼の亡骸は彼が生前旅行に行く際よく使っていたブルートレインに乗せられベオグラードまで戻ったそうです。その際の写真が壁に展示されていますが、線路の脇にはチトーの最期を見送るユーゴスラビアの人々で埋め尽くされていました。この群衆はベオグラードまでの帰路、途切れることはなく続いたそう、そして写真からも伝わるほど、人々は大きく手を振り、チトーの死を悲しんでいるようでした。この花の家に訪れたのはツアーの最終日、ここまでバラバラの国々が一つの国だったとは思えないなと感じる程、違う雰囲気の国だったので改めて彼の凄さを感じることができました。(竜崎)

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2017年10月17日 (火)

「平原の国」ポーランドにだって山はある!山岳リゾートザコパネ

「平原の国」を意味するポーランド。中世の面影残す可愛らしい街並みや、負の世界遺産、アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所など、なかなかポーランドには自然のイメージがわかないのではないでしょうか。平地のイメージがある上、ましてや美しい山があるなんて…。とお考えの方も多いのでは?
ポーランド南部、ポーランド内のリゾート地として圧倒的な人気を誇るザコパネ。スロバキアとの国境にあり、国立公園に指定されている、タトラ山地を中心に織りなす自然が素晴らしい街です。夏、冬ともにポーランドはもちろん、諸外国からも毎年多くの観光客が訪れます。スキージャンプの大会でも有名で、葛西選手も何度か訪れています。ザコパネ様式という、昔ながらの木造伝統家屋も残っており、他の都市とは一味も二味も違った雰囲気。
そのタトラ山地の中の、ポーランド側で代表的な山が、カスプロヴィ山。その山にケーブルカーで登っていき、2000m級の雄大な山々を望みます。頂上は1959m。スロバキアとの国境はもうすぐそこ。山々にはもう既に雪がありました。この日はお天気もよく、眺めも最高!ちょっとしたハイキングの要領で、国境の部分を歩くこともでき、簡素な国境の柱で記念撮影をすることもできました。

タトラ山脈、ポーランド、ザコパネ

そして食で印象的だったのが、ザコパネ名物、樽型チーズのオスツィペク。羊乳と牛乳を合わせて、塩水につけ、燻製にするので、味は少し塩気が強め。両面を軽くあぶって、ジャムや蜂蜜をつけて食べるのが主流。ザコパネではこのチーズを売るワゴンをたくさん見かけます。ポーランドで現在でも伝統的な方法で作られる蜂蜜酒やワインと一緒に食べるのもおすすめ。

ザコパネ、ポーランド、チーズ

ザコパネにいき、ポーランドのイメージががらっと変りました。地図上から、1度は姿を消したポーランド…。国境も幾度となく変わり、辛抱強く、粘り強く、何度も再生してきた国。リゾート地ののどかな風景を眺めながら、その激動の歴史に思いを馳せました。(荒川)
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2017年10月 4日 (水)

森が広がるクルシュ―砂州(リトアニア)

先日魅惑のバルト三国とヘルシンキ10日間の添乗より帰国致しました。今回のツアーは関空発着の復路直行便。まずは大阪を出発し、リトアニア、ラトビア、エストニアそして海を渡りヘルシンキへと北上して行きました。
今回印象に残ったのは、2000年に世界遺産に登録されたリトアニアにある「クルシュ―砂州」。
このクルシュー砂州は、氷河が解けた後に氷河に押し出された礫や岩塊などの堆積物が点々と島状に残り、その島と島の間をバルト海の海底の強い流れで運ばれてきた砂が埋めて土手状になったもの。日本でいうと天橋立も砂州です。全長は約98km(北から約52kmがリトアニア領、残りがロシアの飛び地カリーニングラード州)、幅は400m~3.8km。

砂州という言葉を聞いて、砂漠や砂丘というような砂の土地なのかと想像しがちですが、意外にそんなことはありません。この砂州はなんと全体の約80%が森林で、残りが砂丘です。
動物も目にすることはありませんが、クマや鹿が生息しているそうです。リトアニアの第3の都市クライペダの街からバスごとフェリーに乗りこみます。距離がそこまで離れていないため、港からクルシュー砂州が目の前に見られます。フェリーはたったの5分で対岸に到着します。

クルシュー砂州に入ると、森林に囲まれた道を進むため砂州にいるのに砂を見ないという不思議な光景が広がります。この森林は、かつてドイツ人の侵攻や人の伐採によりなくなっていたもの。19世紀に入り、ある機関が森に戻す研究を始め、防災林を設けるなど植樹が行われ、その成果で現在は森林が砂丘の面積を上回るまでになりました。

バスで港から1時間程森の中を移動するとようやく砂丘が姿を現しました。砂丘の展望台からは、4km先にロシア領が見られます。風がよく吹いていて、砂州が森に囲まれている様子、東にはラグーン(潟湖)、西には美しいバルト海も見られ、砂州の細長くのびた形がよく分かりました。
港町ニダにも寄り、最後にバルト海のビーチで琥珀探し。目的の足元に眠る琥珀探しよりも目の前に青く光るバルト海の方に自然と目が行ってしまいました。
実際に行ってみないと分からないクルシュー砂州の不思議な光景を目に焼き付けて後にしました。(山下)

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2017年9月18日 (月)

シベリア鉄道の旅は、1日にしてならず(ロシア) その4

8月17日発「シベリア鉄道走破の旅 ~9,259㎞、ウラジオストクからモスクワへ~ 15日間」の連載ブログ第4回目です。
シベリア鉄道の楽しみのひとつは、車窓から見える景色でしょう。同じ景色が続くとはいえ、眺めていると疑問に思ったり、おやっと思うものが見えたりするときがあります。
私は、ウラジオストクからモスクワまでの区間で特に好きだった景色は、前半でした。ウラジオストクから出発したては、進行方向左側の車窓から金角湾がしばらくの間見えました。ウラジオストクは半島にあり、その半島の西側に線路が敷かれ、北上していきます。ウラジオストク駅を19:10発でしたので、夏の時期はちょうど夕方に差し掛かり、いよいよ旅が始まる、という気持ちとともに眺めた金角湾の夕景は忘れられません。翌朝、ハバロフスク駅を通過直後にアムール鉄橋を渡ります。昔は、アムール川越えには地下トンネルを使っていましたが、いまは鉄橋で渡りますので、雄大なアムール川の光景も印象的です。その後、ザバイカリスキー地域に入ると、ブログその1でも書きましたが、鉄道工事難航区間へ。美しい自然と工事難航区間だったことを知っていると、何気ない自然の景色からもさまざまに思えることでしょう。そのザバイカリスキー地域は、2012年まで大きな川に架かる橋や舗装路がなかったそうです。それをプーチン大統領になってから道路整備が一部ではありますがすすめられたそうです。
何もない広野(畑も周辺に見かけない)に、ときおりぽつぽつ見える木造の家。時には簡素な一軒家も。さて、ここで不思議に思うわけです。ここで生活する人たちはどうやって生活しているのかと。たまたまこの地域出身の現在、鉄道関係者の方が同じ車両に乗っていたのでその疑問の答えを知ることが出来ました。線路脇に見える家は、鉄道補修関係者の家だそうで、冬の時期などは雪かきの除雪車など動かしたり、場合によっては人の手で除雪したり、電線などに異常があれば駆けつけるそうです。また先述した舗装路がまともになく、その前後で大きな町らしきものがないような場所でお店のようなものが見えず、数軒民家が建つだけの場所では、週に何回か、日用品から食料などを乗せた列車が最寄駅に来るそうで、そのときに駅に行き必要なものを購入するのだと。シベリア鉄道では小さな駅は通り過ぎてしまいます。しかし通り過ぎる小さな駅も、その地域に住む人にとっては移動手段以外に重要な駅なのです。更になにもないところに見えた簡素な一軒家は、鉄道工事に携わる人の休憩小屋兼作業道具置場なのだと。特に冬の時期は暖を取るのに重要。舗装された道路もなく、町もないようなザバイカリスキー地域で、いま自分が乗っている列車がたくさんの鉄道関係者の人たちによって安全に運航されているのかということが身に染みる話で、じん・・・としました。イルクーツクに近づいてくると、舗装された道や橋が普通に見え始め、牛や馬の放牧された集落などが見え、ちょっとした車窓の見えるものへの変化にも嬉しく、楽しく思いました。

シベリアの白樺

もちろん、自然の美しさも素晴らしいもので、よく見られる白樺も幹が細かったり、太かったり、背が高かったり、低かったり。嵐などで倒れた木が残る自然そのままの白樺林、緩やかな小山が続く山稜区間、黄色やピンク、薄紫の野花、人家の庭に植えられた向日葵。線路を並走する小川やときに鉄橋で渡るシベリアの大河。これらの大河は、その先で更なる大河アムール川やレナ川などにつながっていたりし、その大河を航行して冒険者や探索隊が未開の地シベリアに向かったのか、ウラジオストクもハバロフスクもそのような探索隊によって発見されたのかと通り過ぎていった町のことを連想してみたり・・・。

車窓からみた給水塔

そうはいっても飽きちゃうのよね、という方は、ウラジオストクからモスクワまでの間で所々で見える給水塔を探してみましょう(上記写真は給水塔です)。その形はサイロにもムーミンハウスにも見えるもので、かつてシベリア鉄道が蒸気機関車で走っていた時代の名残です。駅に見えたり、なにもないところで突然見えたり。その建設素材やデザインも様々なので、あの給水塔は可愛い、あの給水塔は木造だった、あの給水塔は・・・と見つけては考察したり、頑張って移動する車窓から写真を撮ったりして楽しんでみてください。

駅で見かけた給水塔

第5回目以降は掲載未定です。
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2017年9月17日 (日)

シベリア鉄道の旅は、1日にしてならず(ロシア) その3

8月17日発「シベリア鉄道走破の旅 ~9,259㎞、ウラジオストクからモスクワへ~ 15日間」のブログ第3回目です。
極東・シベリアの夏は暑いときは暑いです。この度のツアーは8月17日発でしたので、8月中旬~下旬中も昼間に27~30℃まで気温が上がる日もありましたが朝晩は15~20℃と気温が下がり、ちょっと肌寒いか心地よい涼しさとなりました。そのような暑い日中、シベリア鉄道で移動し、途中下車しながら観光する際は、是非各地域の地ビールを楽しんでください。ロシアのビールというとバルチカ7が有名ですが、シベリアの各地域やお店ごとで地ビールを製造しています。なかには酵母入りビールもあったりしました。シベリア鉄道の食堂車でもビールは販売してます。ちなみに現在、シベリア鉄道の客車・コンパートメントへの酒類の持ち込みと飲酒は禁止になりました。シベリア鉄道滞在時は、食堂車で酒類を購入・飲酒のみとなります。食堂車によっては、地ビールを積んできていることもあるので、「とりあえずビール」という注文ではなく、何種類かあるビールを見て飲むことをお勧めします。

ウラジオストクの地ビール

甘党は、駅の売店や売り子さんからアイスクリームを買って食べるのも楽しみのひとつ。アイスクリームもその地域の工場で作ったものだったりするので、停車駅毎により売られるアイスクリームもメーカーが違います。

マロージュナ

味はバニラばっかりで真ん丸のバニラアイスがコーンについているタイプがほとんど。ちゃんと密閉包装されてますので衛生面も大丈夫です。またロシアの東側の家庭で作るお菓子のひとつにワッフルの生地をロール状にしてそのなかに煮込んだ練乳を入れるスウィーツがあります。このお菓子で初めて知りましたが、練乳を長時間煮込むと色が茶色になるのです。ですから、このお菓子を買ったとき、中身はチョコレートクリームかなと思いました。そして調べていくと、練乳を煮込んで茶色くなったのがキャラメルなんだそうで。要は、このスウィーツはキャラメルのワッフル巻きとでもいうのでしょうか。これはスーパーや駅の売り子さんから購入することができます。
シベリアの自然から得られた松の実、ベリーも夏ならではの食べ物。市場や駅のホームにくる売り子さんが売っていたりしますが、面白いのはハチが集めた花粉。え、それ食べるの?と思うかもしれませんが、女王蜂が食すという花粉はロイヤルゼリーと同じくらい栄養素が詰まっています。自然の色(着色していません)で意外とカラフル(写真参照)。

栄養価の高い花粉

それが一袋200ルーブル(約400円)。安いです。そのまま食べるのですが、すごくおいしいというわけではないのですが、なんとも病み付きにある味です。モスクワなど大都市に行くと簡単に手に入らないものですし、値段も高くなるので是非、極東~シベリア地域間で買ってみてください。

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2017年9月16日 (土)

シベリア鉄道の旅は、1日にしてならず(ロシア) その2

8月17日発「シベリア鉄道走破の旅 ~9,259㎞、ウラジオストクからモスクワへ~ 15日間」
この度のシベリア鉄道の旅のなかで印象的だったことのひとつは、短い夏の時期に草木花といった自然の生命が逞しく息づいていたことです。草木の緑、色鮮やかな野花、野生の甘酸っぱい美味しいベリーが実る夏のシベリアは、『極寒』のイメージを覆しました。更に途中下車し、観光したノボシビルスクでは、カフェ前の路上にテーブルがでて、ふりそそぐ陽光を浴びながら外でのお茶を楽しんでいました。寒い地域だからこそ、短い夏を満喫しようとする地元の人の気持ちが伝わってきました。また建物1階で歩道に面し、窓も出入り口の扉もないオープンレストランもありました。冬の間は、窓や扉を取り付けるのだろうか?それでも雪が積もって出入り口は頻繁に雪かきをしないと閉ざされるだろうし、どうするんだろう?と思っていたら、そのレストランは夏だけオープンなんだそうです。寒くなると1階部分のテーブルやイスなどは全部片づけてしまい、冬の間は扉と窓を取り付け完全に閉めてしまうそうです。そのようなお店はウラジオストクをはじめ、冬に雪深くなる地域ではよくあるそうで、まさにそのレストランが営業し始めたら夏がきた、という街の人にとっては季節を告げるような存在でもあるのだなぁと、活気づく店内にしみじいした思いがこみあげました。
ちなみにカフェでお茶をするときは、是非ハーブティーをお楽しみ下さい。シベリアは野生のハーブやベリーの宝庫。ハーブティーやハーブ&ベリーティーがとても美味しいです。ちなみにジャムを紅茶に入れて飲む日本のロシアンティーというのは本場ロシアではありませんし、ジャムを入れて飲むようなことはしません。しかし、極東やシベリア地域では非常に質の良いハチミツもとれるので、スプーンにハチミツをすくって、口に入れて、紅茶を飲むということはするそうです。私も鉄道の旅の間、サモワールでお湯をもらって持参のティーバックで紅茶を作り、市場で買ったハチミツをなめながらちょっと濃いめのストレートティーをすすりましたが、最高のお味でした。

ペロゴルスクⅠ駅にて

(追記:松の実入りハチミツというのもスーパーや市場などで売っていますし、8月下旬になると涼しい地域ではキノコもとれ、乾燥キノコも市場で見かけます。その香りは西洋の松茸と言われるポルチーニ、セップ茸に似ていました。)

市場で見かけた乾燥キノコ

つづく
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2017年9月15日 (金)

シベリア鉄道の旅は、1日にしてならず(ロシア) その1

8月17日発「シベリア鉄道走破の旅 ~9,259㎞、ウラジオストクからモスクワへ~ 15日間」の添乗に行き、ツアータイトル通り、東の大都市ウラジオストクから首都モスクワまでの9,259㎞をシベリア鉄道に乗って移動してきました。 シベリアというと、皆様はどのような印象をもっていますか。寒々しい?人が住めるところではない!?・・・と『寒』のイメージが強いことでしょう。確かに冬の気温は-20℃にも-30℃にもなりますが、その気温でしたらカナダのイエローナイフも冬の時期にはそのくらい下がりますよね。当然、シベリアはちゃんと人が生活し、都市や町があります。しかし、夏のシベリアは、その冬の印象で訪れると何とも生命力溢れる風景が広がっていてシベリアに対する先入観との違いに驚かされました。

ウラジオストク駅のキロポスト

ウラジオストクからイルクーツクまでの移動中の区間は、厳密にいうと極東、ハバロフスク、アムール、ザバイカリスキー、そしてシベリアと地域が分かれています。シベリア地域とはシベリア鉄道路線でおおまかにいいますと、イルクーツク駅より約8時間手前で停車するペトロフスキー・ザヴォート駅までがザバイカリスキー地域で以降がシベリア地域となりウラル山脈まで続きます。 さて、上記の区間で一番鉄道工事が難航した地域はどこでしょうか。実はシベリアではなくザバイカリスキー地域が一番の難航区間でした。この区間は永久凍土に湿地帯、山と丘陵地帯という地理的な問題に加え、夏は30℃と暑く、冬は-20~-30℃の気温になります。8月下旬、車窓から眺めた永久凍土の地域には草木が生えて緑の大地を私たちに見せ、『凍土』という言葉の意味が見た目では理解できませんでした。その地域を走っているとき、たまたまその地域出身の乗客と同じ車両で話を聞くことが出来ました。永久凍土の地域は、夏でも地面を1.5m掘ると氷の地層にあたり、狩猟をして狩った獲物を掘った穴の中に入れておけば自然の冷蔵庫状態になったそうです。しかしシベリア鉄道の建設作業に従事する人たちにとっては、この永久凍土が建設作業を難航させました。また湿地帯は車窓から見ると何とも草がきれいに生い茂り幻想的な雰囲気・・・と思ったものですが、建設工事を想像すると、何とも広大な範囲にわたって見える湿地帯。シベリア鉄道を建設していた当時、夏の時期に発生する蚊による病気にもかかり、亡くなる人もいました。さらに、その湿地帯に高い土手を築いて鉄道のレールを敷いたのかと思うと何とも大変という言葉を通り越した作業だったと胸が詰まる思いになりました。 よくシベリア鉄道の車窓風景は同じ光景で飽きてくるといいますが、永久凍土の大地に息づく草木、難航の要因だったとはいえ美しい湿地の景色、白樺の林、ときどき見える集落やぽつんと建つ小屋。自然の美しさに感動し、鉄道工事の困難さに沈み・・・と車窓からの景色に様々な思いが浮かんできたものでした。

車窓からの景色

つづく
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2017年9月 8日 (金)

吸血鬼ドラキュラの故郷、ルーマニアへ

先日、「ルーマニアとリラの僧院夢紀行 10日間」のツアーより帰国致しました。ところで有名なルーマニア人を3人挙げなさいという問いに対し、まずはモントリオール五輪金メダリスト「白い妖精」ナディア・コマネチ、ルーマニア革命により1989年に公開処刑の様子が全世界に放映された共産主義時代の独裁者ニコラエ・チャウシェスクが挙がるかと思いますが、あと1人は私は「吸血鬼ドラキュラ」を挙げます。
「吸血鬼ドラキュラ」はアイルランド人であるブラム・ストーカーによって書かれ、19世紀末に出版された怪奇小説ですが、このドラキュラのモデルになったのが、ワラキア公であったヴラド・ツェペシュであります。ヴラドが生きた15世紀のワラキア公国はオスマントルコやハンガリーなどの大国に囲まれていましたが、劣勢の中ヴラドはメフメト2世率いるオスマン軍と戦い、焦土作戦と奇襲を組み合わせたゲリラ戦法でオスマン勢を撃退させ、現在ルーマニア国内では英雄視されています。しかしヴラドの名を世に知らしめたのは英雄としての功績よりもむしろ彼の残虐性でありました。ヴラドはドラキュラの如く人の血は吸いませんでしたが、敵味方、身分の上下、老若男女関係なく、串罪による処刑を行なったと言われています。ゆえにヴラドは「串刺し公」とも呼ばれています。ここで串刺し公ヴラドの残虐なエピソードを紹介します。先述のメフメト2世が先にワラキアに派遣した使節団を串刺しにし、そのまま野ざらしにしておき、その後ワラキアへ来たメフメト2世を出迎えたのが、太陽の熱で腐敗し野鳥についばまれた、見るも無残な使節団の姿であり、これを見たメフメト2世は戦意を喪失したというものです。

ブラン城

今回「ドラキュラ城」とよばれるブラン城へ行きましたが、実はこのお城にはヴラドは滞在していません。それではなぜここがドラキュラ城なのか?実はヴラド自身の居城は廃墟になってしまいましたが、ヴラドのおじいさん(ミロシュ老公)がここを居城にしており、森深い場所にひっそりと立ち、秘密の抜け道や薄暗い廊下を持ち、小説のイメージ通りの佇まいを持つことから、ここがドラキュラのお城になったとか。現在はルーマニアで1、2を争う観光地であるがゆえ、観光客で溢れかえり、周りにはTシャツ、マグカップ、アクセサリーなどのドラキュラグッズを売るお店が軒を連ねているため、正直薄気味悪い印象はありませんでしたが、それでもお城の中にはヴラドがどのように串刺しにしたかという展示を見て、少々背筋がぞっとしました。

ヴラドの生家

それからもう一ヶ所。12世紀にザクセン(ドイツ)人が入植し、15~16世紀に繁栄を極めた丘の上の城塞都市シギショアラへ訪れました。実はこの街、ヴラドが生まれた場所であり、彼の生家も残っていますが、現在はレストランとなっており、私たちも夕食をここでとりました。気になるメニューですが、メインディッシュはなんとドラキュラの心臓!もちろん本物ではありませんが・・・。その正体は赤パプリカの肉詰めで、トマトソースとホワイトソースがかかっており、見た目は少々グロテスクでしたが、味は普通においしかったです。こうして「ドラキュラの心臓」食べて悪魔祓いをした私たちはレストランを後にしたのでした。(斉藤信)

ドラキュラの心臓

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2017年8月23日 (水)

都会を抜け出して長閑な古都ノブゴロドへ(ロシア)

先日、「ロシア物語~9大世界遺産を巡る~13日間」の添乗より帰国しました。
通常のハイライトコースでは中々訪れないノブゴロドや黄金の環ではロストフ・ヴェリーキーやヤロスラブリも訪れる見どころたっぷりのツアーです。

サンクトペテルブルクは現在白夜祭の時期で観光シーズン真っただ中。エルミタージュ美術館をはじめ、どこも沢山の観光客で賑わっています。
そんな大都会から少し離れてのどかな時が流れる古都ノブゴロドを訪れました。

ノブゴロドヴォルホフ川
サンクトペテルブルクより南へ約180km、バスで約4時間かけてノブゴロドに到着。
ノブゴロドは、ロシア語で「新しい町」を意味しますが、実際はロシア最古の都市の一つで歴史上に登場したのは862年のことです。
1992年にノブゴロドと周辺の歴史的建造物群として世界文化遺産に登録されています。

街の中心にはクレムリン(要塞)があり、その隣をヴォルホフ川が流れています。
ヴォルホフ川東岸にはヤロスラフ宮廷跡と市場と呼ばれる地域があり、かつてバルト海と地中海を結ぶ交通の要衝都市で町が発展した際、この辺りは市場、多くの教会が建てられました。
12~17世紀に建てられた教会がぎゅっと集まって残っており、まるで教会の野外博物館の様です。
教会の立ち並ぶアーケードを抜けてヴォルホフ川に架かる橋を渡ってクレムリンへと向かいます。この日は天気が良く、河岸で気持ち良さそうに水遊びをしている地元の人々を多く見かけました。

クレムリンに入ると見えてくるのが現存するロシア最古の石造建築の一つの聖ソフィア寺院です。

聖ソフィア寺院
ずっしりとした白壁の上に銀色に輝く6つの玉葱屋根が印象的。ひときわ目立つ黄金に輝く中心のドームは900グラムの金が使われています。

クレムリン敷地内にはロシア1000年記念碑や白樺文書が保管されている歴史博物館もあり、あっという間に時間が過ぎてゆき、大都会サンクトペテルブルクへと戻りました。(鈴木)

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2017年7月28日 (金)

リトアニアのヒーロー杉原千畝

先日、「バルト三国を極める旅 11日間」のツアーから帰国しました。

バルト三国は南から順にリトアニア、ラトビア、エストニアの順番で連なる国です。エストニアの首都タリンは、フィンランドのヘルシンキまで海を渡って2時間で着く近さで、今回は7月頭に訪れましたが、風はひんやり冷たく北欧の雰囲気も楽しめました。また、ラトビアの首都リガはドイツよりもドイツらしいと言われる街。旧市街には、木組みの家や三角屋根のカラフルな家、たくさんの塔が並んでいました。

三角屋根の家

また、新市街ではユーゲントシュティール建築群も見ました。ユーゲントシュティールとは19世紀にドイツやフランスで流行った建築様式でフランスだとアールヌーヴォーと呼ばれます。窓枠や外壁に人の顔の装飾が付いていて、皆様でいろいろな顔を探しながら街を散策しました。

そんなヨーロッパらしい町並みが広がるバルト三国ですが、今回はリトアニアで有名な日本人、杉原千畝の記念館を訪れました。

彼は、第二次世界大戦中、リトアニアの当時の臨時首都カウナスで、6千人ものユダヤ人にビザを発行し命を救いました。記念館は、その当時、杉原氏も暮らしていた旧日本領事館で住宅街にぽつんと建つ2階建ての建物です。この辺りはやはり日本人がよく訪れるようで、小道の角にはさりげなく「こんにちは」と日本語で書かれた家もあります。
杉原氏の奥様、杉原幸子さんの手記「六千人の命のビザ」にはこんな描写があります。朝起きて窓から見下ろすと、黒い服を着たユダヤ人が家の柵の周りをびっしりと埋め尽くしていたと。現在は家の間取りは変わってしまっていますが、当時の柵は不自然に一部だけ残されていて、当時のただならぬ雰囲気が感じられました。

中に入り、杉原氏に関する日本語のビデオを20分程見て自由時間。部屋の一角で細々とお土産も売られていました。チョコレートやはちみつに「試食」とぎこちない漢字で書かれた紙が貼られていたので、店員さんに「お兄さんが書いたんですか?上手ですね」と英語で言うと、「まあね」と日本語で答えてくれました。
そして、また別の部屋には杉原氏が実際に何千枚ものビザを書いていた机と椅子が置かれていて、写真スポットになっています。皆様も杉原千畝になりきり椅子にかけてハイポーズ!

杉原千畝の書斎

最後にお土産屋さんのお兄さんが、リトアニアでは歴史の授業で杉原さんのことを習うので、みんな彼のことを知っていると教えてくれました。

こうして旧日本領事館を後にしました。春には家の周りは桜が満開になるそう。実はリトアニアの首都ビリニュスの公園にも、杉原氏の母校である早稲田大学から寄贈された彼の記念碑があります。そして、この公園の歩道は春になると美しい桜並木になります。

菅原道真の飛び梅ならぬ杉原千畝の飛び桜がはるばるリトアニアにまで飛んできていました。(松永)

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