2018年10月21日 (日)

サハリンの少数民族、ニブヒ族

この度、サハリン大縦断と銀河鉄道の旅より帰国しました。
サハリンは、北海道の北に位置する細長い島。島の南部(樺太)は戦前日本が統治していた事もあり、製紙工場跡や銀行跡など、日本時代を感じさせる建物が残っています。

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<ホルムスク 製紙工場跡>

既に廃墟となった建物も多いのですが、コルサコフ(旧大泊)の拓殖銀行跡はサハリン州の歴史的建造物として保存することに決まったそうで修復工事中でした。
王子製紙によって建てられたサハリン最初の製紙工場(1914年)は、危険な為ロープが張られた場所もありますが、現在も建物の一部を利用しています。
また、日本時代から漁業、造船などが盛んなホルムスク(旧真岡)の製紙工場は、ソ連時代になってもトイレットペーパーやノートなどを生産して、地元の雇用を支えていました。
廃墟となった今も、かつての繁栄を感じさせる立派な佇まいです。

ツアーでは日本との関わりが深い南部だけでなく、鉄道を利用して北部まで足をのばしました。

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<オハ石油櫓>

日本時代に開通した鉄道は戦後ソ連が延長し、現在、ノグリキという町まで鉄道で行くことができます。

車窓からはオホーツク海や雄大な原野の眺めが楽しめます。
ノグリキは「臭い水」という意味。現在サハリン北部は石油の採掘が盛んで、オハの町などで沢山の掘削機を目にしました。
昔からノグリキ周辺に住んでいたニブヒ族もトゥイミ川に混ざる黒い液体の存在に気づいていたようです。
サハリン島には昔からニブヒ、ウィルタ、アイヌ、イヴェンキなどの北方少数民族が暮らしていましたが、ロシアの同化政策によって学校で民族の言葉を教えなくなり、急速に言語や文化が消えてしまいました。

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<ニブヒ族言葉>

現在、ニブヒ族の婦人会の方々が博物館に協力して伝統を伝えています。

ノグリキの郷土博物館に展示された、魚やトナカイの皮を使った衣装、骨から作った道具、白樺の木を利用した住居や家具を見ると、いかに限られた資源を駆使していたかが分かります。
映像を使って、一般には禁止されているアザラシ猟の方法やアザラシの皮や油を使った料理の作り方を見せてくれました。
とても美味しいとは言えない、必要な栄養を取るためだけの保存食のような物だそうです。

婦人会の方々が披露してくれた伝統舞踊は、彼らの自然に寄り添った控えめな生き方が垣間見れました。
雄大な自然の中で暮らす人々が仲間同士の交流に、また儀式などで行う歌や踊りです。
木の棒をコンコン、カンカンと静かにたたき、風に乗せて遠くに運ぶかのような音楽。
人に見せるよりも自然との交流を意味するかのような静かなダンスに、厳しい冬を乗り越えて春の喜びを表現するかのような歌。

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<ニブヒ族伝統芸>

便利になった現在の暮らしの中では失われていくのは仕方がないように感じました。
ロシア連邦には22の共和国があり、180以上もの民族が暮らしているといいます。
都市が発達するにつれ消えていった民族や伝統も数多くあるなか、小さな島だからこそ残った民族。サハリンでそんな一例を見た気がします。(関根)

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2018年10月11日 (木)

ナショナリズム溢れる地、ルーマニアとブルガリア

先日、「ルーマニアとリラの僧院 10日間」の添乗から戻りました。ルーマニアとブルガリア、古くはローマ帝国、中世以降はオスマン帝国などの近隣大国の支配に脅かされながらも独立を達成するべく戦い続けた2国ですが、そんな2国のナショナリズムを感じられるような地を巡りました。

ルーマニアは中世以降、西はハンガリー、東はモンゴル、オスマン帝国と、当時世界に名を轟かせた強国の間に位置し、その脅威に曝され続けました。ブラショフに残る黒の教会はハプスブルク家との戦争で外壁が黒く焼け焦げた為その名がつきましたが、今では風雨で少し色が落ち、黒というよりは暗い灰色のよう。それでも17世紀に受けた被害が未だに残っていると考えると、戦争の苛烈さが伺えました。

同じブラショフにある建築物で、オスマン帝国に対する要塞として建てられたのがブラン城。ブラン城はブラム・ストーカーの小説「吸血鬼」に出てくるドラキュラ城のモデルになったお城です。ブラン城の中にはドラキュラが使用したと思わせるようなアイアン・メイデンや拷問椅子も置いていましたが、どちらかというとそれは「女吸血鬼カーミラ」のモデルになったバートリ・エルジェーベトのイメージでしょうか。

ドラキュラのモデルになったワラキア公ヴラド3世は「串刺し公」の異名で、ハンガリーによるプロパガンダ、ブラム・ストーカーの小説による誤認により恐れられたワラキアの君主ですが、実際にはオスマン帝国のワラキア侵攻を防いだ名君、ルーマニアの英雄でした。

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<リラの僧院>

ブルガリアではブルガリア正教の総本山リラの僧院へ。リラの僧院は、中世以降オスマン帝国の支配に置かれる中で、幾度戦火に焼かれようとその信仰を保ち続けた、ブルガリア人の心の故郷であるとも言われています。天井、外壁に描かれたフレスコ画の完成度からもその名に違わぬ信仰の篤さが感じられました。

もう一つの民族意識の高揚で連想される地はコプリフシテツァ村。ここは、オスマン帝国からの独立のために立ち上がった、四月蜂起が起こった地です。オスマン帝国の間者により四月蜂起は失敗しましたが、四月蜂起に立ち上がった人物の家屋や、四月蜂起の日付が名前になっているレストランもあり、ブルガリア人のナショナリズムの高まりを感じられた地でした。

異国の侵略に脅かされたことがほとんどない日本の歴史からは感じることが難しい、ナショナリズムに触れ続けた10日間でした。(永田)

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2018年9月11日 (火)

カムチャツカでいい湯だな♪(ロシア)

2018年7月17日発「【ヤクーツク航空直行便利用】クリル湖からゲーゼル渓谷へ、カムチャツカの大自然を極める 8日間」(EK08)の添乗に行って参りました。

第一弾・第二弾カムチャツカブログのテーマは火山とヒグマについてでした。今回はカムチャツカ温泉についてのお話です。

カムチャツカは火山の島です。ここカムチャツカも日本のように温泉が有名です。西欧・東欧でも温泉が有名な国はありますが、体験された方はお分かりかと思いますが、ぬるいですよね。しかし、ここカムチャツカは熱い湯が好きな日本人好みの温度。源泉80~100℃ 温泉38~40℃ほど
その温泉というのは、ツアーでご案内するのはすべて野外。まさに屋根も囲いもない本当の意味での露天風呂です。水着着用です。カムチャツカの野外(露天)風呂は壮大でいて自然そのものの湯といえます。

温泉の様子は様々。今回添乗したツアーでは、1)ホドトカ野外温泉 2)ナリチェボ渓谷野外温泉 3)マルキ野外温泉の3か所に行きました。

1)ホドトカ野外温泉 2)ナリチェボ渓谷野外温泉(又はシュバンワ川野外温泉)は、ヘリコプターツアーでしか行けない場所なので、ある意味では秘湯です。

1)ホドトカ野外温泉は浅い川に源泉が流れ込んでいるタイプ。その為、まるで見た感じは川そのもの。え?ここが温泉?と思ってしまいます。ちょっと川底に藻が生え、ぬめぬめしたところもありますが、自然そのものの温泉なのでそれもカムチャツカ温泉♪と思ってください。気になる方はビーチサンダルを履いたまま入りましょう。また川の中に温泉が入り込んでいるので、場所によってはぬるかったり冷たかったりです。ベスト湯温スポットを見つけ出すのも楽しみの一つ。(※余談:泳いで奥の方まで行けるかしら?と挑戦された方もいましたが、川の流れが思ったより速かったようで断念されました。)

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<川そのもの!ホドトカ温泉>

2)ナリチェボ渓谷野外温泉は、川の水と源泉が川からちょっと横にはいったところで混じり、しゃがめば肩まで浸かれる水深があります。ヘリコプターツアーでは、当日の他のヘリツアーとの兼ね合いでナリチェボ渓谷野外温泉又はシュバンワ川野外温泉のどちらかになります。今回のツアーではナリチェボ渓谷野外温泉でしたが、足湯だけでも数分浸かると全身ポカポカします。肩までつかればまさに「いい湯だな~」と歌いたくなります。温泉の周囲の緑も写真のようにとても美しい。また遠くには雪化粧をした山々も見ることができます。温泉に入らずとも、山と花を愛でながらのんびり過ごすのにも良い場所でした。

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<ナリチェボ渓谷野外温泉>

3)マルキ野外温泉は、陸路バスで行くことができます。ここにはキャンプサイトもあり、週末になると地元の人が家族連れで訪れ、とても賑やかです。源泉が湧き出るところに川の水を引き込み、周りに石を置いて自由に形作ったような温泉も川沿いにいくつか見られます。源泉のお湯+川の水割りがうまくいっている場所にはたくさんの人が浸かっています。逆にうまく水割りが出来なかった場所は非常に熱いので、誰も入っていません・・・。混み具合で入る場所を選択するのもひとつですが、入る前に少し足先をつけて熱さを確かめてからも入るかどうか判断することをお勧めします。このような手作業水割り温泉は非常に浅いので、寝そべって全身をお湯に浸からせることになります。すこし奥に同じく人工的ですが手作り感のない大きさの水割り温泉ですと子供が浮き輪をつけて泳げるくらいの水深です。

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<マルキ温泉>

カムチャツカの野外温泉は、簡素ですが着替える場所があります。シャワールームはありませんが、硫黄泉ではなく、ほぼ無臭の温泉なので、さっとタオルで拭いて衣服を着用しても気にはなりません。

このような天然温泉があるのならば、日本のような『温泉街』っていうのがあるのでは?と思われた方もいるかもしれません。ペトロパブロフスク・カムチャツキーからバスで約1時間の距離にあるパラトゥンカがカムチャツカにおける温泉街です。この街の宿泊ホテルには屋外(ホテルによっては屋内)温泉プール(水着着用必須)があります。しかし『温泉街』といっても温泉まんじゅうや土産屋が軒を並べる・・・といったものは一切ありませんのでご注意を。。。

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<地元の人にも人気のマルキ温泉>

このように温泉もカムチャツカならではを感じられるものでした。

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2018年9月 4日 (火)

王様たちのワイン、ワインの中の王様(ハンガリー)

先日、 「ハンガリー世界遺産制覇の旅11日間」のツアーより帰国しました。

ハンガリーの世界遺産と聞いて何を思い浮かべるでしょうか。パッと思いつくものだと、ドナウ川が流れる首都ブダペストが有名かと思いますが、実はハンガリーはワインの産地としても有名です。最高級ワインとして世界に広く知られているトカイワインの産地トカイ地方も世界遺産に登録されています。

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<トカイワイン>

現在ハンガリーのワイン栽培地区は22地区に分けられ、ティサ川の西域に広がっています。その中でも、トカイで作られるワインは、貴腐ワインとして知られ、ルイ14世に、王様たちのワイン、そしてワインの中の王様と絶賛されました。

その歴史は古く、ドナウ川の西域ではローマ時代からブドウ栽培が始まり、10世紀にはフランス人入植者によってドナウの東側にまで広がりました。そして、16世紀に白ワインとは思えない琥珀色の世界初の貴腐ワインが作られました。

今回ツアーでは、トカイのワインセラーを訪れ6種類のワインの試飲をしました。貴腐ワインのボトルには、3から6という数字が記載されていて、甘さの度合いが変わります。この数字は、ベースとなる辛口ワイン1樽に貴腐ブドウを何桶分加えるかを表し、数字が大きい程、甘くなります。
トカイワインは甘くて濃厚な貴腐ワインだけでなく、辛口ワインもあります。
お酒を飲めない方は、美味しいブドウジュースを飲むことも出来ました。
試飲後はご希望の方は、気に入ったワインをご購入。なんと現地では日本で買うより半額から3分の1の値段で買うことが出来ます。

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<ワインセラー>

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<トカイの街 手にはブドウとワインを持った像があります>

パプリカチキンやグヤーシュ(ハンガリー風シチュー)など辛口のハンガリー料理を食べた後、甘くて濃厚な貴腐ワインを楽しみたいです。(南雲)


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2018年8月31日 (金)

野生のヒグマの楽園!カムチャツカ(ロシア)

2018年7月17日発「【ヤクーツク航空直行便利用】クリル湖からゲーゼル渓谷へ、カムチャツカの大自然を極める 8日間」(EK08)の添乗に行って参りました。
昨日は、ヘリコプターツアーで行くクロノツキー自然保護区にあるゲーゼル渓谷とウゾン・カルデラをご紹介させて頂きました。
本日は、州都ペトロパブロフスク・カムチャツキーから南下し、半島の南端に位置し、世界遺産登録内容の「カムチャツカの火山群」に含まれる“南カムチャツカ禁猟区”のクリル湖をご紹介します。
クリル湖は、その湖と背景に見える山の景色が絵のように美しい場所でもありますが、ここの見どころは野生のヒグマを見られる確率が高いところです。夏になるとオホーツク海から産卵のために戻ってきたベニザケが、遡上しここクリル湖で産卵の準備をするため、それを狙ってヒグマが湖に集まってくるのです。スピードボートに乗船して、湖岸の探索へ出発!今回は、大きな寝そべるオスのヒグマと子供連れの母熊を見ることが出来ました。

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<クリル湖(熊との距離)>

ちなみにヒグマはカムチャツカのあちこちにいます。昨日ご紹介したゲーゼル渓谷にもウゾンカルデラにもヒグマは生息しています。他、ハイキングに行く山にももちろん生息しています。しかし、カムチャツカのヒグマは人間を恐れるので、そうそう人の前には現れません(冬眠明けで餌を探していてバッタリ・・・はあるみたいです)。逆にいえば野生のヒグマを見るには、このようにヒグマが自ら食べ物を求めてやってくる場所に行かないとなかなか見られないのです。クリル湖は私たちにとってはヒグマを見られる聖地であり、ヒグマにとっては沢山の魚を捕らえられる楽園とも言えそうですね。

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<クリル湖 ヒグマ>

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2018年8月30日 (木)

壮大なスケール!火山の野外博物館 カムチャツカ(ロシア)

2018年7月17日発「【ヤクーツク航空直行便利用】クリル湖からゲーゼル渓谷へ、カムチャツカの大自然を極める 8日間」(EK08)の添乗に行って参りました。
成田空港からヤクーツク航空直行便にて、35℃を越える猛暑だった日本を飛び立ち、わずか3時間ほどの飛行時間でロシア・カムチャツカに到着したとき、心地よい涼しさが肌に触れました。

カムチャツカ半島の面積は、なんと日本の約1.2倍(37万2300平方キロメートル)。ロシアの東端に位置する半島が、日本とほぼ同じ面積を有していることにロシアの国土の広さを痛感します。また首都モスクワから約6000km離れた東端に位置し、首都よりもアラスカやアメリカに近い場所柄ソ連時代は軍事基地として、一般人や外国人の立入り禁止地域だった為、その大半が手つかずの自然であることも魅力のひとつです。半島の中央に2本の山脈が沿うように南北に走り、山脈を縫うように流れる川とそこに生じた渓谷や平野、そこに生きる動植物など多様な景観美が楽しめる場所です。

カムチャツカ半島では、どのような観光が楽しめるのか、大まかにあげてみます。
1)火山(間欠泉、泥釜、地熱地帯、カルデラ湖など)
2)花とハイキング
3)登山
4)クマ
5)温泉
6)クルーズと釣り

日本と現地カムチャツカを結ぶ飛行機は、夏は直行便チャーターがあるとはいえど毎日運航はしていないのでカムチャツカ観光は、飛行機の運航状況(曜日)によってカムチャツカの滞在日数が限られる、と言っても過言ではないでしょう。短い日数では、2の花とハイキングがおおむね観光内容となります。それは、天候に左右されるヘリコプター移動とは異なり、現地まで陸路=車移動で確実に観光地に向かえ、観光することができるからです。
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<ヘリ移動時の窓からの景色>

陸路移動なんてあたりまえでしょう?と思われるかもしれませんが、カムチャツカは、長いこと先住民族が暮らし、極東という場所柄と軍事的に使用され、島内の陸路交通網が発展しなかった為、州都近辺以外には道路が敷かれておらず、空路で移動しなければならないのです(*道路=車道があったとしても、観光用にできたのではなく、発電所への道だったり、天然ガスのパイプを引くための道もあり、そのような道はアスファルト舗装はされておらず、土道です)。今回のツアーでは、1の火山観光を楽しむのに、ヘリコプターが移動手段となり、ゲーゼル渓谷、ウゾン・カルデラへ行ってきました。

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<絶景!ゲーゼル渓谷>

ゲーゼル渓谷とウゾン・カルデラは、カムチャツカの世界遺産登録内容の「カムチャツカの火山群」に含まれる“クロノツキー自然保護区”にあります。州都ペトロパブロフスクー・カムチャツキーの北180㎞に位置します。ゲーゼル渓谷は、まるで千畳敷カールやフランス・ガヴァルニー圏谷のような景観でいて、あちこちから湯気がのぼり、大小様々な間欠泉や泥釜、そして力強く咲く高山植物を眺め、雄大な火山の懐を感じながらの木道散策は心地よいものでした。

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<ウゾン・カルデラ(右下に遊歩道を歩く人の姿。壮大さを実感できました?)>

ゲーゼル渓谷からヘリコプター移動でウゾン・カルデラへ。現在でも、この場所の地下1㎞ほどにマグマだまりがあり、地下水脈を温めている温水地帯。ここのカルデラ(=火山活動による窪地)は9km×12km。約4万年前に出来たカルデラ底に設置された木道を歩きながら、外輪山と温水湖、清らかな水(温水)が流れる小川、木道脇に群生する植物(高山植物以外に、特にワラビがたくさん!)を眺めていきます。大昔の火山活動で出来たクレーターのなかに自分たちがいること、そこに逞しく根付き生きる植物、まだこの地下で活動するマグマ・・・そのようなすごい場所にいることと、その美しい景観美に感動してしまいました。

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<ウゾン・カルデラ 木道と泥釜と>

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2018年8月 9日 (木)

日本の婚活とは違った、伝統的な婚活方法の残るマラムレシュ地方(ルーマニア)

先日、「ルーマニアとリラの僧院 10日間」から帰国しました。日本のジメジメとした気候とは違い、カラっと晴れていて暑すぎないというのがルーマニアの気候の特徴です。今回のツアーでも、半袖1枚で丁度良い、という日が続きました。

ウクライナと国境を接するルーマニア北部の奥地に位置している「マラムレシュ地方」には、昔ながらの生活と伝統が今でも残っています。この地方の小さな村の人々は、民族衣装を身に纏い、装飾豊かな木造建築の家屋に住んで日々をゆったりと過ごすのです。

ツアーバスでマラムレシュ地方を走行中に時々見かけた、伝統的な民家の庭木にたくさんの色とりどりの「お鍋が吊るされている」という少し面白い光景。これは、その家に娘がいることを表しています。さらに、一番上に吊るされている鍋の色によって意味が異なってくるのです。

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<既婚・未婚を知らせる木>

白い鍋が吊るされている場合は、「この家の娘はまだ独身です。」という意味があり、独身男性からアプローチをする手助けになります。
赤い鍋が吊るされている場合は、「この家の娘は結婚しています。」という意味があり、この赤い鍋を見たご近所の方々は、お祝いの品などを持ってきてくれるそうです。

さて、村を散策していると民族衣装を身に纏った一人のおばあさんが、私たちをお宅のお庭へと招き入れて下さいました。何かと思いお庭へ入ると、そこには昔ながらの機織り機が。おばあさんは、機織り機を使ってバッグや絨毯などを織り、お土産物やに卸しているんだとか。その横には飼料のとうもろこしや色とりどりのお鍋を発見!昔あばあさんがお嫁入りする前に木に吊るしていたものかな、と勝手な想像をしてしまった私。私も、自宅にある木にお鍋を吊るしてみようかな・・・。(近野)

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<マラムレシュ地方の民家>

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<飼料のとうもろこしと木に吊るす為の鍋>

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2018年7月26日 (木)

ヨーロッパ民主化の始まりの地、グダニスク(ポーランド)

先日、「華麗なるポーランド紀行 9日間」の添乗より帰国しました。グダニスク、クラクフ、ワルシャワとポーランドのなかでも、歴史的・経済的にも重要な3都市を巡ります。ツアーの中では、各都市にまつわる様々な出来事をたどっていきます。
ワルシャワで生まれたキュリー夫人や作曲家ショパンの活躍、アウシュヴィッツ強制収容所などは耳にしたことがあるかもしれません。では、グダニスクという都市がどのような場所なのか皆様はご存知でしょうか。グダニスクは、ポーランドの北部に位置する港湾都市です。都市としては10世紀に形成されました。13世紀ドイツ騎士団のもとにあったころからハンザ都市の1つとして貿易機能を高め、現在もポーランド一の港町として栄えています。歴史的にみると『第二次世界大戦』、『連帯』と2つの大きな出来事がこの地から始まっています。

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<グダニスクの旧港>

中でも『連帯』に関してはもしかしたら新聞やニュースを通して、丁度ご覧になったかたもいらっしゃるかもしれません。1980年にこの地の造船所から始まった運動で中心となったのはレフ・ワレサ。もともとは、造船所の電気工でしたが運動の中で指導者として活躍し、最終的にはポーランド大統領も務めます。やがてこの運動の波は、ポーランド全体そして東ヨーロッパの社会主義圏全体へと広がっていき、多くの国々が民主化を迎えることとなります。
ツアーの中では、造船所の跡に建つ『連帯のモニュメント』や運動を支援していた『シフィエンティ・ブリギティ教会』などその足跡を巡っていきます。民主化を果たし、現在成長中のポーランド。集合住宅やセントラルヒーティングなどまだまだ社会主義国時代の名残も残りますが、これからどのように変わっていくのか非常に楽しみな国の1つです。(佐藤史)

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2018年7月17日 (火)

バルト三国、歌の祭典を訪問!

先日、「歌の祭典も訪れる バルト三国古都巡り」のツアーより帰国しました。
ツアーのタイトルにもありますが、バルト三国は歌の民の国々で、エストニアとラトビアは5年に一回、リトアニアは4年に1回、7月に国で最も大きな歌の祭典を開催します。
今年は、ラトビアとリトアニアの歌の祭典が同時に開催される20年に一度の年。さらに!1918年のバルト三国独立宣言から100周年でもあるため、ラトビア・リトアニアでは、それはもう盛大に、歌の祭典を開催していました。
ラトビアの首都リガにある大きな公園にはいくつもステージが設置され、とても楽しげな歌や中世の演劇が披露されていました。(ちなみに、この三ヶ国は美男美女が非常に多く、中世の恰好をした彼らの姿はいつまでも見ていられるほど美しいです。)
また、この時期には、国内の地方からもたくさんの祭典の出演者が集まってきて、各々の民族衣装を着て民芸品を売っていたり、会場を歩いているのが見られます。村ごとに少しずつ異なる民族衣装ウォッチングも楽しいもので、カメラを向けるとニコッとポーズを決めてくれるのも嬉しいポイントです。

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<民族衣装の女の子たち>

さて、いざ歌の祭典のステージへ。まずはリガのシニア合唱団コンサート。出演者は約1000人。ラトビア人なら誰でも知っている曲が多いのか、観客席で口ずさんでいる人達も。1000人が放つ美しい旋律に涙がにじみました。観客も真剣に見守っていて、この国の人々が行った歌う革命(旧ソ連に対する無血革命運動)が偲ばれるようでした。

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<リガのシニア合唱団コンサート>

さて、南下して次はリトアニア。こちらでは、最後のメインステージの前の前夜祭のようなコンサートと、最終日のメインステージを見学しました。
リトアニアでは通常、3日間の歌と踊りの祭典が4年に1回催されるのですが、今年は前述の通り特別な年なので1週間にわたる様々なプログラムが首都ビルニュスのあちこちで開かれているとのことでした。

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<オーケストラ・コンサートにて>

↑の写真はオーケストラ・コンサートの様子。踊りも本当にすごかったです。見ていて飽きないよう衣装や振付、音楽のトーンなども工夫を凝らしていて、且つ内容もリトアニアの歴史を辿るわかりやすいものになっていました。いやーしかし、子供たちの可愛らしいこと。見に来ている親たちの気持ちを考えると、またしてもじわっときてしまいました。

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<小さな女の子たちも出演!>

若いダンサー達の顔は誇りに満ちていて、嬉しそうで、キレのある踊りも緩やかな踊りも、そのフォーメーションの移り変わりの見事さに感動致しました。
そして、最後に待っていたのは、“The Song Day(歌の日)”のメインステージです。なんと、12,000人もの出演者たちがステージに立ち、様々な歌を歌う日です。この日、出演者たちはビルニュスの旧市街、大聖堂広場から行進を開始し、歌の祭典の会場である公園まで約3.5km、歌ったり踊ったりしながら移動してゆきます。楽隊はほんとに大変だと思います!
市町村のプレートを持った人に続いて、その市町村の紋章の大きな旗などを振りかざし、例えばカウナスという町の合唱団だったら、「カーウナース!カーウナース!」と、街の名前をコールしながら楽しそうに進んでいきました。これまたバリエーション様々でした。
そして、おおかた全ての合唱団が集結する夕方17:00から歌の祭典がスタート!ヴィンギオ公園のステージに12,000人が立ち、様々な歌を歌います。終盤には、大統領が登壇し、演説を行い、リトアニア国内でも非常に有名な指揮者が登場し、会場の熱気はより一層たかまり、モニターに映し出される合唱隊の人々や、周辺でそれを聴きながら口ずさんでいる人々の目には、涙が・・・。

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<リトアニア、歌の祭典>

そして、夜9時、このビリニュスの会場にいる人々だけでなく、世界中のリトアニア人が一斉に国歌を歌う時間に。ガイドさんが事前にメロディーを教えてくれていた、リトアニアの国歌。まさに、全員の歌声がひとつになる瞬間でした。今までにもバルト三国には添乗で訪れていましたが、これほどまでにこの国々の文化の美しさを感じたことはありませんでした。(留置)

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2018年6月28日 (木)

サムライブルー、カザンで絶好調!

本日23:00より(現地17:00より)ヴォルゴグラードアリーナにてポーランドとの対戦。ヴォルゴグラードという第二次世界大戦最大の激戦地で、日本とポーランドが戦う。親日国ポーランドとの対戦。ポーランド人は自国のみならず、相手国にもエールを送る姿を見ることが出来るに違いない。

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<カザンアリーナ>

日本は絶好調。
6月19日のモルドヴィアアリーナ(モルドヴィア共和国サランスク)での対コロンビア戦では勝利。
6月25日(現地6月24日)のエカテリンブルクアリーナでの対セネガル戦では、引き分け。グリオリズムにのって軽快に戦うセネガル相手に健闘。
絶好調の秘訣は勿論ベースキャンプ地。ヴォルガ河畔に位置する、サムライブルーのベースキャンプ地はタタールスタン共和国の首都カザン。モスクワから約820キロ東に位置し、人口約120万人の大都市である。
あまり知られていないが、ロシアは連邦国家。小さな共和国が21※存在する。対コロンビア戦のサランスクの競技場名が“モルドヴィア・アリーナ”であるのは、モルドヴィア共和国の首都サランスクにあるからである。

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<カザンアリーナ控室>

日本代表到着時は肌寒かったカザン。日本代表がキャンプ入りすると一挙に気温上昇。連日30度を超える。日本代表が来て、一挙に“熱く”なった。
カザンはタタールスタン共和国の首都である。タタールスタンとはタタール人の地という意味で、タタールは別名韃靼(だったん)。広義では中国東北部、モンゴル、シベリア、カザフステップの広い範囲に住むモンゴル・トルコ系の人々を指す言葉である。タタール語は日本語と同じアルタイ諸語に属する。
このタタールスタンの地は1223年、成吉思汗の孫、バトゥによってキプチャク汗国の版図となった。その後、キプチャク汗国は分裂し1438年、その領土の一部は成吉思汗の末裔ウルグ・ムハンマドによって、カザン・ハン国となり、カザンは首都となった。
タタールスタン共和国の人口の過半数はタタール人で、タタール語を話す。街の看板もロシア語とタタール語が併記されている。
今年の5月にカザンに招待されて視察に訪れた。清潔な街並み、明るく親切で礼儀正しい人々、日本選手団と世界中からの観客を受け入れる準備の真っただ中だった。お祭り前のどんちゃん騒ぎというよりは、お客様を迎える支度を粛々とこなしている雰囲気であった。
カザンからロシア各地へ出発する日本選手団。カザンの人々は、遠く日本から来た選手団を、遠い兄弟として親近感を抱き、応援しているに違いない。

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<クルシャーリフモスク>

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<三角ピロシキ・エチポチマク>

カザンのイベント
タル・タル★ナイト ~タタールスタンとロシア小さな共和国~(7月26日(木))

カザンへのツアー
ロシア小さな6つの共和国 ~タタールスタン共和国、マリ・エル共和国、チュヴァシ共和国、モルドヴィア共和国、バシコルトスタン共和国、ウドムルト共和国~ 10日間
ロシア、小さな6つの共和国とヴォルゴグラード ~タタールスタン共和国、マリ・エル共和国、チュヴァシ共和国、モルドヴィア共和国、バシコルトスタン共和国、ウドムルド共和国~ 15日間

※ロシアの発表では日本国政府未承認のクリミア共和国を含む22。

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