2017年4月13日 (木)

極寒のシベリア、バイカル湖で氷上ドライブ

 この度、ユーラシア旅行社の「氷結のバイカル湖、聖地オリホン島とシベリア絶景紀行 5日間」より帰国しました。
 東京の真冬よりも寒い3月のシベリアは予想通り白銀の世界。玉ネギドームのロシア教会や田舎町の木造建築、どこまでも続く白樺の林など、ロシアの典型的な景色が雪で埋もれていて夏とは別世界です。

タリツィ木造建築博物館

もちろん、そんな冬景色が見たいが為に極寒のシベリア行ったわけではありません。
 今回の旅の目的は「氷結のバイカル湖」です。
 バイカル湖は琵琶湖の47倍もの大きさ。東京から広島位までの距離の細長い湖という、とにかくバカでかい湖なんです。そんな湖が全部凍ってしまう程のシベリアの寒さ、、、想像するだけで大変ですね。
 

分厚い氷

 ツアーではブリャート人の聖地と言われるオリホン島を訪れました。通常時だとフェリーに乗って島へ行きますが、湖が凍ってしまっているこの時期は、なんと!凍った氷がそのまま道路になるのです。道路標識もちゃんと設置され、氷の上とは思えないくらいスムーズに走れました。

巨大氷

 観光の日は何度も車を止めて周辺の景色と共に氷結バイカルを堪能しました。氷の厚さは70cm~1m位。その下は1620mもの深い谷だと思うとゾッとする時もありましたが、氷が造りだすいろんな表情に夢中いなっているうちにすぐに忘れてしまいました。
 巨大なつららや御神渡りのように盛り上がった氷、氷に閉じ込められた気泡や魚など、一日中見ていても飽きません。
 また、夕焼け時や朝日に染まるシベリアの空がとても美しく、涙がでるほど感動してしまいました。
 ちなみに、氷点下になるシベリアでは涙も凍るかと心配しましたが、その時の気温は-7℃で涙は凍りませんでした。

バイカル湖の夕日

 帰国直前に見た夕日は格別でした。空はオレンジ色に染まり、表面が凍ったバイカル湖から少しずつ氷が剥がれアンガラ川に流れていきます。その行方を見ながら私たちもバスに乗り込み、バイカル湖を後にして町に向かいました。
 もっとここにいたい、明日もまた氷の上を歩きたい、ツアーがもう一日あれば、、、と去りがたい気持ちになりました。(関根)

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2017年2月24日 (金)

みんな集まれ!101のなまはげ大集合!(ブルガリア)

1月23日発「ブルガリア国際仮面フェスティバルとルーマニア8日間」に行ってきました。
今年は数十年ぶりにルーマニアの首都ブカレストに雪が積もり、フランス様式の建物と雪景色は美しいものでした。また遠出して観光したブラン城も周囲の木々の枝に雪の結晶が包み込み、枝を白く染め、氷の城になったブラン城という冬限定の光景に感動しました。

今回のツアーでは、タイトルにあるように、ブルガリアの首都ソフィアから西にバスで約40~50分の場所に位置するペルニックにて開催された“国際仮面フェスティバル”を見学してきました。国際仮面フェスティバル?というとどのような仮面をイメージされるでしょうか。冬に開催される仮面フェスティバルといえばヴェネツィアのカーニバルが有名ですが、そのような華やかで妖艶な仮面?道化師的なユニークさを持つ仮面?なかなか正解の想像は難しかったと推測します。というのも、仮面だけではなくこのフェスティバルは全身コスチュームといってもいい姿だからです。

羊毛と木の仮面をつけた装束

ブルガリア各地方で行われる時期は異なりますが、12月~3月に日本のなまはげのような恰好をした人々が民家を訪れ、その異形の恰好と腰につけたカウベルの音で災いを追い出し、幸福・健康祈願などを行います。各地方で仮面・装束が異なります。ペルニック地方の伝統では、木でできた仮面に動物の毛皮などで出来た衣装、腰にはカウベルをたくさんつけます。羽装飾は20世紀になってから出てきた歴史の浅い仮面です。また伝統的には独身の15~17歳の男性のみのグループで構成されますが、コンテストの要素があるフェスティバルに出場するグループの場合は女性や子供たちの参加が認められています。2017年のフェスティバルでは、ブルガリア国内だけでもなんと101ものグループが参加!そのグループが、審査会場となる広場で次々とパフォーマンスを行います。腰につけたカウベルの音をスキップのように飛び跳ねることで鳴らしますが、数十人が鳴らすカウベルの音が重なりあい美しく聞こえるには相当な練習が必要とのこと。また、重い鉄のカウベルを数個から数十個までつけ、もこもこの衣装、大きな仮面と装束の総重量は20~60kgにもなるので、歩くのも飛び跳ねるのも一苦労。その証拠に、当時-5℃の外気温でしたがパフォーマンス終了後の人たちが仮面を外すと、その顔には大量の汗が流れていました。グループが行うパフォーマンスには、古い年から新しい年を迎えること、新しい物事の始まり(門出)、今年の収穫の豊作祈願、悪霊退散などの意味合いが込められているので、グループ内に、花婿・花嫁の役と祝福する神父の役、畑を耕す農民の役、牛の役、熊と熊飼いの役など仮面以外の役の衣装をまとった人たちもまぎれ、面白おかしくそれぞれの役の動きをします。

靴まで伝統的2
このようななまはげに似た冬の行事は、ブルガリアだけではなくギリシア、マケドニア、アルバニア、スロヴァニア、スイスなど欧州の他国でも地域によっては行われています。国際仮面フェスティバルなので、諸外国団体もこのフェスティバルに参加し、特設ステージでパフォーマンスが行われました。
フェスティバル会場には、たくさんの屋台も出ていて、まさにお祭り気分満載!豚の丸焼きの屋台、綿あめの屋台、お菓子の屋台、ブルガリア産のハチミツやジャムを売る屋台、クケリの人形やキーホルダーなどなど。見ているだけでも買っても楽しい気分に♪
会場にいるパフォーマンス前後の仮面グループの人たちは、気さくに写真撮影にも応じてくれます。仮面をつけた迫力のある姿も、仮面を外しての美男子っぷり?男っぷり?な仮面の下にわくわくしたり、子供の可愛らしさにメロメロになったりと、寒い外気温の屋外で一日いても飽きがこなく楽しいお祭りでした。フェスティバルを訪れての良かったことのもうひとつは、カウベルが鳴り響きつづける会場にほぼ1日いたので、今年一年の厄落としに健康&幸福祈願をたんまりしてもらえ、幸先の良い一年になりそう❤ということでした。 (高橋)

ベルの総重量はいかほどか?!

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2017年1月27日 (金)

寒い季節の楽しみ方は寒い国が1番よく知っている?冬のポーランドに行ってきました!

ワルシャワの王宮前広場_2

先日、年末の「ポーランド航空利用 連泊で楽しむポーランド 8日間」の添乗から帰国しました。
この年末のツアーの中でもっとも寒い地域に行ったのではないかと思いますが、実際に行ってみたところ、「しっかり防寒対策をしていれば恐れるほどではない」というのが正直な感想です。

むしろ、冬だからこそ楽しい景色に出会うことができ、また違った一面を知ることができました。
例えば、町の広場にはスケートリンクが現れます。ワルシャワの旧市街広場にも、市のシンボルである人魚像を囲むようにリンクがありました。ワルシャワっ子たちはマイスケート靴を持っているくらい大好きなんだとか。

そして、まだまだ本場のクリスマスの雰囲気を楽しめるのも魅力の1つです。
日本では25日のクリスマス本番が過ぎると町は正月飾りに早替わりしますが、多くのキリスト教国では新年までツリーを飾ったり、今年はワルシャワとクラクフでマーケットがまだやったため、観光の合間に楽しむことができました。

今回のツアーでは、訪れた教会すべてで「ショプカ」と呼ばれるクリスマス飾りを見ることができました。ショプカとは、キリスト誕生の場面を華やかな人形で再現したクリスマス・ハウスで、聖母マリアとヨセフに加え、キリストの誕生に駆け付けた東方三博士や動物たち、天使がいることもあります。24日まではショプカの中心はぽっかりと空いているのですが、クリスマスの日を過ぎるとそこには赤ん坊のキリストが置かれます。かわいい幼子キリストは、教会ごとに少しずつ違った表情で、これを見比べるだけでも楽しいです。25日以降に訪問するからこそみられる、冬のお勧めです。
さらにクラクフは、ショプカ・クラコフスカと言われるミニチュア教会型のショプカが有名です。大人の上半身ほどもあろうかという派手な色合いのショプカは、クラクフの職人さんが冬の間の手仕事として作ったのが始まりで、やがてお金を払ってまで見たい!という人が現れ、現在ではショプカ・コンクールも行われるほどの、冬のクラクフの風物詩となりました。
また、忘れてはならないケシの実ケーキもこの時期ならでは。黒く小さなケシの実をすりつぶしたの餡は、黒ゴマのような風味豊かな味わいで、大変好評でした。この時期ならホテルの朝食でも見つけることができますよ。

冬の観光はもちろん防寒ばっちりで臨みますが、雪化粧のクラクフ旧市街やアウシュビッツもこの先ずっと忘れない光景となりました。

余談ですが、ポーランドの雪は吹けば飛びそうな軽い雪。山間部にほど近いクラクフなどは雪が降りますが、あまり濡れるような水分の多い雪ではありませんし、ワルシャワなどでは朝方少し凍結するくらい。もともと湿度が低いせいか積雪何十センチとは滅多になりません。町歩きも普段の観光用の靴で問題ありません。

さあ、これで冬のポーランドを楽しむ準備は万全です。

2017年の年の瀬は、直行便が就航したポーランドでお待ちしています。(松永華)

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2016年11月25日 (金)

秋深まるルーマニア!伝統が息づくマラムレシュ地方にて

先日、「フォークロアの郷、ルーマニア紀行 10日間」の添乗より帰国致しました。

ルーマニアでは、木々も色付き始め、すっかり秋が深まりつつあります。日本の紅葉といえば、真っ赤なモミジを想像されるかと思いますが、ルーマニアでは赤や黄色、橙色といった多色に染まります。このツアーでは、カルパチア山脈やトランシルヴァニア山脈がそびえる起伏に飛んだ国土を南はブカレスト、北はウクライナ国境近くのサプンツァの村まで、国土をぐるりとバスで巡ります。秋だからこそお楽しみ頂ける黄金色に輝く“黄葉ドライブ”も旅の醍醐味と言えるでしょう。

ビエルタンの要塞聖堂

その中でも旅の中盤で訪れた「マラムレシュ地方」では、古き良きヨーロッパを感じさせるという観点からヨーロッパ内でも注目されています。ルーマニアは元々イタリアやスペインといったラテン系の民族の国ですが(ルーマニア語もイタリア語にそっくり!)、歴史の波に飲まれ、ドイツ系の住民やハンガリー系の住民、ジプシー(ロマ)など多様な民族が現在も住んでいます。そのため、家の材質や街並み、言語、宗教、生活などは村によって様々ですが、このマラムレシュ地方の村々は生粋のルーマニア人しか住んでいないため、昔ながらの素朴な伝統や暮らしが今なお息づいています。

この伝統を身近に感じられるのは、日曜日のミサです。村人たちは、民族衣装を身に付け教会へ集います。各国共通かもしれませんが、年配の方を大切にするという習慣から年配の方は教会の中で、若者は教会の外で祈りを捧げます。ミサは大体10時頃から始まるのですが、村人たちは朝から何も口にしません。ミサを終えて、清やかになった身体にパンとワインを口に入れた後、家路について、ようやく最初のお食事をとります。
ミサの日は働き者の村人たちは、お仕事はお休み。お食事の後は、家の門のベンチで日向ぼっこです。彼らは電気は生活に必要ないと考えるため、まだ明るいうちに夕食を食べ、月曜日からのお仕事に備え、暗くなる頃には床に就きます。

マラムレシュ地方のミサ帰りの村人

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2016年11月11日 (金)

ロマンチックなブレッド湖(スロヴェニア)

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先日「スロヴェニア・クロアチア物語16日間」の添乗より帰国致しました。秋で木々が徐々に黄葉しはじめたスロヴェニアから旅は始まり、澄んだ空気の中でのハイキングやヨーロッパ最大級の鍾乳洞を見学したら、アドリア海の海岸線を南下し美食の宝庫イシュトラ半島の街や、風光明媚なプリトビッツェ国立公園、オレンジ色の屋根が可愛らしいドブロヴニクで旅を締めくくる!毎日見所に溢れ、あっという間の16日間でした。
個人的にスロヴェニアとクロアチアはヨーロッパの中で3本の指に入るくらい好きなところで、「どの観光地が好き?」と聞かれると、一つに絞るのは難しいのですが、スロヴェニアのロマンチックなブレッド湖は私のお気に入りの場所です。

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ブレッド湖に浮かぶ小さな島・ブレッド島には聖母マリア教会があります。ここに伝わる逸話によると、その昔、愛する夫を失った女性が、夫が生き返ることを願って崖から湖にベルを投げました。しかし夫は生き返らず、女は悲しみに暮れ、修道女になりました。当時のローマ法王がこの話を聞き、すべての人の願いが叶うことを祈って、教会に鐘楼を寄付しました。

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もちろん、その鐘楼は現在も存在し、聖母マリア教会に入ると、中央にロープが垂れ下がっています。このロープを引いて鐘がなると願いが叶うと言われています。神社の鈴とは違うので一度ロープを引けは音が鳴るというものではなく、音を鳴らすには少しコツがいります。ポイントは吊るされている鐘が左右によく揺れるように、間を空けず連続で3~5回ロープを力いっぱい引くということ。そうするとカラーン、カラーンと外から鐘の音が聞こえてくるでしょう。
また、聖母マリア教会はスロヴェニア人の憧れの結婚式場なのだとか。ここで結婚式を挙げるカップルには最初の試練が待ち受けています。教会までは約100段の階段が続くのですが、新郎は新婦を抱きかかえてこの階段上りきるという伝統があるのです。その為、結婚式の日取りが決まったら、新郎は筋トレ、新婦はダイエットに励むそうです。こんな可愛らしい場所で結婚式が挙げられるのなら、この為に努力しようという花嫁たちの女心にも納得です。私も結婚式を挙げるなら是非ここで!と憧れてしまいます。まずは相手を見つける必要がありますが、相手が見つかったときに向け、ダイエットも同時進行で励まなくてはと心に誓う今日この頃です。(市川)

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2016年10月22日 (土)

地元チェコ人に愛される『ドヴォルザーク・プラハ・フェスティバル』に行ってきました!

ネオ・ルネサンス様式のルドルフィルム

 先日、「チェコ世界遺産と珠玉の町々 10日間」の添乗から帰国致しました。先日ホラショヴィツェの記事を書きましたが、今日は『ドヴォルザーク・プラハ・フェスティバル』の様子をレポートします。
 プラハの音楽祭といえば、『わが祖国』で有名なスメタナにちなんだ“プラハの春音楽祭” が有名ですが、毎年9月に開催されるドヴォルザーク・プラハ・フェスティバルでは、チェコを代表するもう一人の作曲家アントニン・ドヴォルザークに敬意を表し、彼とその弟子たちの作品が演奏されます。
今回は、数週間に及ぶプログラムの中でも、目玉であるチェコ・フィルハーモニーの演奏にご案内しました。
 会場となるのは彼らの本拠地ルドルフィヌム。その中で最大のドヴォルザークホールは、ヨーロッパでも最古のホールの1つと言われ、その音響効果で知られていますが、開演早々その素晴らしさを身を以て体感することになりました。
 というのも、第1曲目のドヴォルザーク作曲『詩篇 第149番』は合唱曲。プラハ・フィルハーモニー合唱団は、管弦楽団に負けない声量、いいえ、ともすればそれをしのぐほどで、その力強い響きに圧倒されました。ドヴォルザークの弟子マルティヌーの『野外のミサ』でも男声独唱でホールが満たされ、鳥肌が立ちました。
 プラハでは毎日どこかでコンサートが行われており、地元の人たちにとって音楽会はとても身近なものだそう。今回も国際的な音楽祭でありながら地元の人が多く、日本人は珍しかったのか「どこからきたの?」と尋ねられることもありました。
ドヴォルザークの『謝肉祭』で締めくくられたコンサートは、沸き起こるようなスタンディングオベーションで幕を閉じ、熱っぽく感想を語る人波がライトアップされたプラハの町に消えていきました。もう一度来たい!と思わせてくれる、素敵なコンサートでした。(松永華)

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2016年10月21日 (金)

中世の面影残すタリン(エストニア)

タリン旧市街

先日バルト三国とサンクトペテルブルク10日間の添乗より帰国致しました。今回の行程では、バルト三国と言われるリトアニア、ラトビア、エストニアの首都を巡り、ロシアのサンクトペテルブルクまで足を伸ばしました。

この時期はバルト三国もロシアもとても寒いですが、日本ではあまり見る機会の少ない黄葉をどこの街でも驚くほど綺麗に見ることができました。行程の中で特に印象に残ったのは、エストニアの首都タリン。

タリンは現在人口70万人程の小さな街ですが、13世紀からの街並みが綺麗に残っており世界文化遺産に登録されています。そんなタリンでは、1日かけて歴史ある街並みを散策しました。

当日タリンは最高気温が10度しかなく肌寒い中ホテルを徒歩で出発しました。まずは旧市街の入口へ。ヴィル門という13世紀の門があり、そこの通りには花屋の露店がずらりと並びます。休日だったため花を買いにたくさんの人が列をなしていました。見てみるとバラやひまわり、デイジー、チューリップなどが売られていて色も一色だけではなく数種類ありとても色鮮やか。値段も日本のものと半額程の値段で売られていて手ごろなため、平日でも仕事帰りの男性が家で待つ女性のために花を買って帰る習慣があるそうです。

旧市街に入り、目に付くのは中世から残る建物。カラフルなものもあれば、ソ連時代に建てられた灰色が特徴的な素朴な建物やレンガで出来た建物がありました。タリンは13世紀のデンマーク支配から始まり、ドイツ騎士団(チュートン騎士団)、スウェーデン、ロシアと支配されてきた歴史をもちます。建物を眺めながら歩くだけでもタリンが辿ってきた歴史を感じることが出来ます。

街外れの方へ足を運んでみると、13世紀頃のデンマーク支配時代からの城壁が現れました。この城壁は当時長さが2.5kmでその後、大火災や空襲に襲われますが、現在でも1.8kmが当時のままで残っています。城壁は柵などで覆われていないので手で触ることも出来ますし、有料ですが城壁の上を歩くことも出来ます。

街の中心から少し離れた聖オレフ教会の尖塔にある200段弱の急な狭い螺旋階段を息を切らしながら上ると旧市街を一望することが出来ます。上ってみると、プロテスタント教会やロシア正教会や当時見張り台だった塔が見えました。全体を見渡してみて、他のヨーロッパの街と比べると地味で素朴だけど、どこか愛着が湧く街でもう少し滞在したいなと感じました。(山下)

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2016年10月18日 (火)

チェコの歴史がぎゅっとつまった“農民バロック”の小さな村「ホラショヴィツェ」

ホラショヴィツェ・農民バロックの家

先日、「チェコ世界遺産と珠玉の街々 10日間」のツアーより帰国致しました。ようやく暑さも落ち着いてきた日本のシルバーウィークにあたる日取りは、チェコではもう秋。なだらかな丘陵地帯が続くチェコの大地は小麦色やぶどう畑の緑色といった秋色に染まっていました。
今回のツアーで訪れた中でもご紹介したいのは、19世紀に建てられた貴重な農民バロック建築が残る村「ホラショヴィツェ」です。
1998年に世界遺産に登録されたこの村は、首都プラハからチェスキー・クルムロフに向かう途中にあります。広場を中心に可愛らしい家々が立ち並ぶ本当に小さな村なので、30分もあれば十分に周り切ることができます。
 この村の名が歴史的な記録に登場するのは13世紀末。時のボヘミア王ヴァーツラフ2世が修道院に寄進したとされています。16世紀前半のペストの流行で人口はわずかに2人となりましたが、1526年にハプスブルク領となってからは、南ボヘミア一帯にドイツやオーストリアからの移民が大量に流入し、ドイツ系の農村として人口を回復させました。19世紀になると農奴解放で農民も住居を思い思いに装飾することも可能になったため、当時流行していたバロック様式で家を飾ったのが、“農民バロックの村”の始まりと言われています。バロック様式と言うと、贅を尽くした教会や宮殿建築が真っ先に思い浮かびますが、ホラショヴィツェに暮らしたのは農民たち。名だたる教会と比べればもちろんシンプルですが、お金をかけるのではなく、趣向を凝らすこと自体がささやかな贅沢だったのだろうなあと感じます。
第2次大戦後、チェコからはドイツ人が追放され、打ち捨てられたホラショヴィツェはソ連による支配のもとで忘れ去られていました。民主化後の1990年に人々が戻ってきてからは、今でも人々が住む「生きた」世界遺産です。観光客もほとんどいない小さな村ですが、約500年に及ぶチェコの民族模様を感じられる熱い場所でもあります。多くの人に知ってほしい半面、いつまでも隠れた名所であってほしいとも思える素敵な村でした。(松永華)

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2016年10月14日 (金)

コーカサス三国と日本の深い関係

先日、「民族と文明の道、コーカサス三国周遊」の添乗から戻って参りました。コーカサス三国は、昔からシルクロードが通る東西の交通の要衝であり、文化・宗教・民族の異なる見どころ満載の3ヵ国を周遊して参りました。

いきなりですが、皆様は日本の和食がユネスコ無形文化遺産に登録されたのを覚えていらっしゃいますでしょうか。登録に際する政府間委員会が開かれた場所が、アゼルバイジャンのバクーでした。今回は、コーカサス三国と日本の関係性に焦点を絞り、ご紹介させて頂きます。   

コーカサス三国のアゼルバイジャンには、天然資源が豊富に眠っており、首都バクーには近代的な建物が並びます。コーカサス三国の中で特に親日度が高いと感じた国が、アゼルバイジャンでした。上記のユネスコ政府間委員会の場所となったこともあり、和食が広く知られています。バクー郊外の拝火教寺院を訪れた際には、私たちが日本人である事がわかると、記念写真も求められる等、現地人から喜ばれたこともありました。アゼルバイジャンは外交上トルコと親しい国であり、同じく親日国家でもあると感じました。

殉死者の小路から見たフレームタワー

コーカサス三国第2の国ジョージアはワイン発祥の地であるほか、格闘技王国として知られています。柔道を始め、来日して相撲の勉強するジョージア人がいます。史上初のヨーロッパ出身の関取として名をはせたのが、あの有名な黒海です。黒海はすでに引退していますが、その他にもジョージア出身の大相撲力士に現役のトビリシ出身の臥牙丸とムツヘタ出身の栃ノ心がいます。  

また、日本で有名なのはカスピ海ヨーグルト。1986年に長寿食文化の研究をしていた家森幸男博士がジョージアから自家製のヨーグルトを日本に持ち帰ったことが始まりです。ジョージアのカヘチ地方では、民家にて自家製のカスピ海ヨーグルト「マツォーニ」をお召し上がり頂きました。

カヘチ地方の民家 

第3の国アルメニアは、世界で最も早くキリスト教を国教と定めた歴史の深い国です。アルメニアでは、国際協力により日本が建てた集合住宅地をよく目にしました。アルメニアは、アルプス・ヒマラヤ造山帯に位置しており、日本と同じように地震の被害を受けてきた国でした。1988年にアゼルバイジャン北西部で起きた大地震の際には、日本は緊急援助隊の派遣や建設機材を供与しました。そして、2011年の東日本大震災の際には、アルメニアから援助隊派遣の申し出があったほか、義援金が提供されました。2012年には外交関係樹立20年を迎え、友好関係を深めています。また、アルメニアでは、日本のアニメや和食が流行しており、エレバンには日本人が経営している和食レストランもあります。  

上記のように日本と関係が深いコーカサス三国ですが、ジョージアの現地ガイドさんのお話では、まだ日本をアジアの中であまり区別できず、中国・韓国・日本が混同してしまう人も多いそうです。その時に感じたのは、戦後から長い年月が経った現在、日本人のコーカサス三国の認知度もまだまだではないかということでした。日本人の若い方の多くが、三ヵ国が混同してしまうどころか、国名を挙げることができないのではないかと思います。素朴で美しい景色を見ることができるコーカサス三国は、親切な方ばかりで日本との接点さえ感じました。今後の日本とコーカサス三国の関係に、期待を膨らませた9日間になりました。(松本)

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2016年9月20日 (火)

8月・東京から空路約2時間でロシアへ!(サハリン) その4・最終回

オハD型機関車

サハリンが「樺太」であった頃、岩手出身の童話作家・宮澤賢治が1923年8月サハリンを訪れ、そのときの体験が『銀河鉄道の夜』の創作に活かされました。私は、作品の中で主人公たちが車窓から見た光景や降りた駅の描写は、故郷岩手のものだとずっと思っていました。しかし、それらは賢治がサハリンで列車に乗り、山や湖、海岸を訪れ見た光景だったのかと想像しながら2016年現在のサハリンの自然を眺めてきましたが、特に私にとって印象に残った場所は“琥珀海岸”と呼ばれるスタロドゥプスコエ(栄浜)の海岸でした。内陸にある山の琥珀が川に流され海に辿りつき、波によって浜辺に打ち上げられた山の琥珀が見つかることで有名な場所。訪れた日は晴天で、その日に眺めたオホーツク海はキラキラ光り、人工的な騒音もなく波の音とカモメの鳴き声が静かに聞こえてくるだけ。そしてときにきらりと光る小さな小さな目をこらさないと見つからないほどの琥珀があちこちにある浜辺は、穏やかでいて非現実的な雰囲気が漂い神々しく感じました。

スタロドゥプスコエ(栄浜)の海岸

8000万年以上前の樹脂が長い年月をかけて宝石のようになった琥珀を浜辺で見つけたとき、『銀河鉄道の夜』のなかで主人公たちが白鳥の停車場で下車して訪れた水晶でできた砂を見つけた河原の場面、主人公たちがプリオシン海岸で出会った化石を掘る大学士の場面が頭のなかに浮かんできました。また賢治は、サハリンを訪れる前年に最愛の妹を亡くしました。妹の魂を追ってサハリンにやってきた賢治は、小さなかけらながらも癒しの効果がある琥珀によって癒されたのだろうか、それともその効果を知っていて賢治は立ち寄ったのだろうかと美しい光景の浜辺で想像してしまいました。ちょうどツアー中の8月27日は宮澤賢治の誕生日でした。今年は生誕120年の節目でしたが、残念ながら現在のサハリンでは宮澤賢治は有名ではなく、現地では何のイベントもありませんでした。しかし、いずれサハリンに宮澤賢治博物館を開設するための動きがあるとのこと。いつになるかわかりませんが、その博物館の開設と共に現代の日本人がサハリン=樺太のことに注目を集めるきかっけになったり、流行りの聖地巡礼ではありませんが作品の舞台となったサハリンを訪れる人が多くなるかもしれません。領土問題など深く考えずに、サハリンを訪れ、遠くに思えていたロシアを身近に思えたり、現地の人々や文化に接し交流をはかったり、日本の歴史を振り返るきっかけになれば素敵だなと思いました。(髙橋)

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