2017年12月13日 (水)

 「トリュフ料理に舌鼓を打つ!!(クロアチア)」

先日、「スロベニアのユリアンアルプスとクロアチアの美しき町々を訪ねて 12日間」のツアーより帰国しました。現地は、丁度美しい黄葉に彩られていました。
スロベニア・クロアチアはかつてから、イタリアやフランス、オーストリアやオスマントルコ等、多くの国に支配されてきた歴史がある為、食文化も様々な国の食が混じり合っています。特に、クロアチアのイストラ半島は、 地理的・歴史的にイタリアの食文化の影響を強く受けており、ワインやプロシュート(燻製しない生ハム)、オリーブオイル、チーズ、トリュフ等の製造が盛んです。

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昨日のブログでもイタリアピエモンテのアルバのトリュフをご紹介しておりましたが、クロアチアのイストラ半島のトリュフも負けてはおりません!知る人ぞ知る産地であり、シーズンになると、世界中から多くの人々がトリュフ料理を食べに訪れると言う程、世界有数のトリュフの産地として名高いのです。世界三大珍味の一つであるトリュフの色は、黒、白、茶があり、白は最も高価とされています。トリュフのシーズンである10月~1月頃になると、トリュフハンター達は、特別に訓練されたトリュフ犬を連れ森へと入り、地中約30センチ位の奥深くにあるトリュフを探し求めるのです。ツアーでは、採れたてのトリュフをたっぷり使った、「トリュフのパスタ」を頂きます。トリュフのパスタが運ばれてくると、香ばしいトリュフの香りがふわっと漂い、嗅覚が刺激され食欲が掻き立てられます。濃厚なクリームソースとふんだんにかけられたトリュフの絶妙な味が広がり、想像以上の味わいで期待を裏切りません。トリュフの芳醇な薫りに包まれながら食べる幸せな時間。。。食には、非常に嗅覚も重要であるということを、改めて実感しました。トリュフは生以外にも、オイルやペースト状等、色々加工されて市場に出てもいるので、気軽にいつでもトリュフの風味を楽しみたい場合にはお勧めです!因みに、ギネス世界記録に認定されている世界一大きなトリュフというのは、クロアチアのイストラ半島の物だそうです!トリュフ以外にも、自家製のプロシュートやオリーブ、チーズ等、旬の地の物を手間暇かけて作られた物ばかりです。これらに、地元産のワインと共に頂けば、更に美味しさが増すのではないでしょうか。 クロアチアはアドリア海に面している為、山の物以外にも新鮮な海の幸も豊富なので、何処に行っても美味しい物と巡り合えるでしょう!!(井手)

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2017年11月22日 (水)

地元の人に愛される!クロアチアのミケランジェロが残した、“生きた”世界遺産

クロアチアツアー

先日スロベニアとクロアチアの添乗より帰国しました。
黄葉真っ盛りの旅でしたが、今回は添乗員も感動したクロアチア・シベニクの聖ヤコブ大聖堂をご紹介します。

アドリア海沿岸のダルマチア地方は中世にはベネチア帝国の傘下の町々が転々と沿岸部に連なっていた地域です。そのうちの1つだったシベニクには、1431年から100年以上の時をかけて作られた大聖堂あります。その建築の指揮を取ったのは近郊のザダルという町出身の建築家であり、彫刻家でもあったユライ・ダルマティナッツです。地元ではその多才ぶりから「クロアチアのミケランジェロ」と親しまれています。
このダルマティナッツさんは当時の最先端だった都ベネチアで学び、当時花開いたルネサンス芸術を吸収して故郷ダルマチアに戻って、この地域にルネサンスを広めた先駆者でもあります。
そんな彼が手がけた大聖堂は外壁には72人の顔の彫刻があり、建設に使われた石灰石はアメリカのホワイトハウスにも使われた近郊のブラチ島のもので…など添乗員として皆様にご案内する情報は山ほどあるのですが、せっかく足を運んでいただいたならぜひご覧いただきたいのが内部の洗礼室です。

主祭壇の右奥、半地下になった洗礼室には天井と壁、洗礼盤に精緻な彫刻が施され、小さいながらとても密な空間が広がっています。三位一体が表されているといわれる礼拝堂ですが、天井には父なる神と鳩で表された精霊が彫られているのみ。子のキリストがいないのですが、彼はあえてキリストを彫らないことによりこの洗礼室を不完全なものとして作りました。
なぜかというと、そう、この洗礼堂は洗礼の儀式のための赤ちゃんが現れて初めて完成するのです。洗礼盤のところへ運ばれた赤ちゃんは天井の彫刻の父なる神と精霊に見下ろされ、洗礼受けるだけでなく、その子自身が子なるキリストの役を演じ、それによって完成した教会の一部になるのだそう。ルネサンスを学び、「人間こそ大切にすべき」という信念を持っていたダルマティナッツらしい、なんて壮大な仕掛け!
この大聖堂は世界遺産になってもなお、地元の人のための教会として使われています。今回私たちを案内してくれたガイドさんも先日ここで結婚式を挙げたそうで、「子供が生まれたらここで洗礼式をするの!」と目を輝かせて言ってしました。

今年もう1つ世界遺産が増え、ますます注目を浴びるシベニク。人口3万人ほどの町にとってどれほど誇らしいか熱っぽく語ってくれたガイドさんが印象的でした。
クロアチアに行ったら、ぜひ、地元シベニクの人に愛される聖ヤコブ大聖堂も訪れてみてください。(松永華)

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2017年11月17日 (金)

知る人ぞ知る、クロアチアのミニ・プリトヴィッツェで癒しのひと時

先日、スロベニア・クロアチア16日間のツアーより帰国しました。
秋の訪れの中、たっぷりとマイナスイオンを浴びせてくれた場所があります。クロアチア中部にある、木々と水に囲まれたラストケ村です。

ラストケ村の風景(クロアチア)


ラストケ村は現在の人口65人、世帯数は20強ととても小さな村ではありますが、実は村の住民すべてが観光に関わる仕事をしているという立派な観光地です。
なぜ、こんなに小さな村が観光地になり得たと思いますか? ヒントは、首都ザグレブと、世界遺産のプリトヴィッツェ国立公園をつなぐ道の、ちょうど中間地にある…。
そうです、ラストケ村は旅行客の休憩地だったのです!
クロアチアが観光地として人気が上昇するとともに、プリトヴィッツェ国立公園を訪れる人が激増、ラストケ村に訪れる人も激増。この美しい景色の村に魅せられ、次第に観光地として立ち寄る人々が増えていったというわけです。
このように観光地となるまで、村の住民達は、山の高低差で生じるスルニ川の小さな滝を活かした水力による製粉業で生計を立てていました。滝のすぐ上に粉挽き小屋が建てられ、それぞれの滝にはその小屋の所有者の名前が付けられていました。17世紀の村が一番栄えた時期には、ラシュトケ村の中に22もの粉挽き小屋があったと言われています。

ラストケ村の風景(クロアチア)

しかしながら、まだ記憶にも新しい1991年からのユーゴスラビアの紛争で、この村はセルビア軍に占領され、水車小屋も含めほとんどの家屋が破壊されてしまいました。そんな絶望的な状態から、住民達のたゆまぬ努力により、現在の美しい村の景観を取り戻すまでに至りました。
 水車小屋は現在3軒が再建されたのみですが、今回のツアーではその粉挽き小屋の一つの内部を見学しました。川にせり出して小屋が作られており、床から下の川を覗けるようになっています。木造の水車がキコキコ音を立てて回っていく様子は、なんだか懐かしい気持ちにさせてくれます。
小さな村ながら、美しい黄葉と川のせせらぎと静かな滝の音とが混ざり合う、とても素敵なひとときでした。(三好)

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2017年11月14日 (火)

青空と雪山、黄葉に囲まれたコーカサスの仙境、ジョージア・スワネティ地方

先日、「コーカサス三国物語15日間」の添乗より戻って参りました。15日間のツアーでは、陸路でアゼルバイジャンからジョージア、そしてアルメニアまで走破します。この行程で特に印象に残ったのは、絶景が広がるジョージア・スワネティ地方でした。

スワネティ地方は、ジョージア北部にある大コーカサス山脈の麓に広がり、「上スワネティ」と「下スワネティ」に分かれています。上スワネティは、1996年に世界遺産に登録されました。上スワネティは15世紀にはスワネティ公国として、ジョージア全体がロシアに併合されるまで独自の文化を育んできました。この辺りに暮らすスワン人はジョージアの中でも特に古い民族であり、勇猛なことでて知られています。

私たちは、ジョージア北西部サメグレロ地方の中心都市ズグディディを出発し、「十字架の村」という意味のジュワリ村を過ぎて、スワネティ地方の山道に入りました。そして、スワネティ観光の拠点メスティアまでは、黄葉シーズン真っ只中のエングリ渓谷の中を走りました。途中のお手洗い休憩も、思わず写真を撮り続けてしまいます。エングリ川の下流には、世界で3番目に大きなエングリダムがあります。将来、エングリダムの博物館が建設されると発表されていました。

スワネティ地方道中

メスティアに近付くにつれて、地面からニョキニョキと生えてきたような不思議な塔が見え始めてきました。まるで、ジブリ映画やどこかのファンタジー映画に出てきそうなユーモアな塔ですが、実は、これには血なまぐさいエピソードがあります。コーカサスやバルカン、中央アジアの国々では、「血の掟」という、ある一族の人が殺されれば、殺した相手の一族を殺せると定めた復讐制度がありました。その復讐は、どちらかの一族が絶滅するまで続けられたといわれています。この「血の掟」から身を守るために要塞の役割として建てられたのが、このニョキニョキと伸びた塔です。ファンタジーな印象から一転、ホラー映画感が漂ってきました。恐ろしい歴史を回想しながら、塔や大自然の景色を見ているうちに、メスティアに到着しました。

ウシュグリ村

この塔が綺麗に見える村といえば、ウシュグリ村。メスティアから3時間、四駆で山を走り抜けると、塔と小さな村だけが残るウシュグリに到着しました。不思議な塔と黄葉の斜面、後ろに聳える真っ白な雪山…まるで仙境へと来てしまったかのような感覚でした。大コーカサス山脈の標高4,695mのウシュバ山と標高5,068mのシュハラ山も、ばっちり見えました。そして、この大自然の中で食べるジョージア料理は、特別に美味しかったです。私たちはウシュグリ村での観光を終え、この絶景を心に焼き付けながらメスティアへと戻りました。今回のスワネティ地方の黄葉は、忘れられない景色のひとつとなりました。(松本)

シュハラ山

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2017年11月 9日 (木)

ヨーロッパ一美しい、クロアチアのミロゴイ墓地へ

10月中旬にスロヴェニアとクロアチアに行ってきました。旅はスロヴェニアからはじまり、陸路で国境を越え、クロアチアへ。天候に恵まれ、例年よりも暖かい気がしました。木々の葉が黄色に色付きはじめていて、良い時期に訪れることができたと思います。
クロアチアの首都ザグレブは内陸部のためか、沿岸部の街に比べて肌寒く、私たちが訪れた日の午前中は少し靄もかかっていました。ザグレブではヨーロッパ一美しいといわれるミロゴイ墓地を訪れました。
ミロゴイ墓地はドイツ人建築家のヘルマン・ボレーが手掛けた、ヨーロッパ最大級の墓地です。“ミロゴイ”は、中世にこのあたりを所有していた領主の名前です。19世紀後半にザグレブ市が買い上げ、ヘルマン・ボレーの手によって、「ヨーロッパで一番」と称されるほどの美しい墓地が誕生したのです。敷地内に入るとまず目に入ったのは、もちろんずらりとならんだ墓石…ではなく、大聖堂の入り口かと見間違うほどの立派なファサード。そこから両方に伸びる回廊にはアーチが連なり、精緻な彫刻とともに、著名人のお墓が並んでいました。ファサードには蔦のカーテンがかかり、下から上にかけて、緑から赤への見事なグラデーション。いっそう美しさを惹きたてていました。ファサードの裏側にはクロアチア初代大統領トゥジマンの大きなお墓がありました。大統領のお墓は墓地の丁度真ん中。そこから左右を見渡しても、広大な敷地の端は全く見えませんでした。こんな素敵な墓地だったらお墓に入るのも悪くないかもなんてうっかり思い、「ちなみにいくらですか?」とガイドに聞いたところ、アパート1室軽く買えるくらいのお値段だとか…。蔦や花の植物の手入れなど、維持管理費も込みだそうですが、やはりそれなりのお値段のようです。

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墓地を見学したあとは旧市街を散策しました。オーストリア・ハプスブルク帝国に長く支配されていたため、町並みはどこかオーストリアのウィーンのよう。お昼に食べた名物料理もオーストリアの名物料理シュニッツェル(仔牛のカツレツ)に似ていました。ザグレブでは薄い牛肉を重ね、チーズとハムを挟んで揚げたものが有名。何層にもなるカツレツは厚みがありとても食べきれないと思いましたが、思いのほかあっさりとしていておいしくて、ペロリと食べてしまいました。やっぱり、生きているってスバラシイ!!(佐藤)

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2017年11月 7日 (火)

その大きさギネス級!モルドバのワイナリーへ

秋色に染まるブドウ畑
先日、「愛のトンネルも訪れる!ウクライナ・モルドバ・ベラルーシ三国紀行」より帰国しました。秋も深まり、各地で紅葉、黄葉が景色に彩りを添えていました。
 
ベラルーシ、ウクライナと巡り、最後に訪れたモルドバでは2つのワイナリーにご案内。ヨーロッパのワインというとフランスやイタリアが日本では有名ですが、その起源となっているのが実はモルドバ。紀元前3000年頃にはすでにワインの生産が行われていたといわれている知られざるワイン大国なのです!
 
今回のツアーでは、モルドバ共和国最大のワインメーカー、「ミレスチ・ミーチ社」のワイナリーへ。もともとは石切り場であった場所を利用した地下貯蔵庫は、全長約200km!世界最大のワインの貯蔵庫としてギネスブックにも登録されています。
巨大なミレスチ・ミーチのワイナリー
あまりに巨大な貯蔵庫のため、内部は車で移動しながら見学。貯蔵庫内の湿度は約96%、温度は約12℃。自然に保たれたこの湿度と温度は、一年中殆ど同じで、ワインを熟成させるための理想的な環境です。そして、ここに貯蔵してあるワインボトルはなんと150万本!貯蔵庫内はワインの匂いがたちこめ、飲んでいなくとも酔っ払ってしまいそう…。
見学の後は、いよいよお待ちかねのテイスティングタイム!今回は、赤や白、7種類のワインが用意され、テーブルにずらりと並んだモルドバの伝統料理とともにいただきます。食事のしめくくりはスパークリングワイン!音楽隊もきて、いい気持ちで皆様大盛り上がり!
現地では、なんと数百円~おいしいワインを買うことができます。最近は日本でも徐々に取り扱いが増えてきたモルドバワインですが、現地にてぜひ試す価値あり!です。(川井)

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2017年10月19日 (木)

ユーゴスラビアをまとめ上げたチトーの霊廟を訪れて(セルビア)

花の家

先日、「スロベニア・クロアチア周遊とボスニア、モンテネグロ、セルビア 13日間」のツアーから帰国致しました。
今回は、旧ユーゴスラビアの国々を周るツアーでしたがかつては同じ一つの国とは思えない程、国の雰囲気も違えば建物の建築様式、宗教も違い見所が沢山の国々でした。「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字を持つ、1つの国家」と言われる国を唯一、統治できたと言われているのは、ヨシップ・ブロズ・チトーです。
 今回訪れたセルビアの首都ベオグラード、ユーゴスラビア歴史博物館の中に彼の霊廟はあり、“花の家”と呼ばれています。今も献花に訪れる人が絶えないという彼のお墓は大理石で造られ綺麗な花々が周りに置かれていました。この花の家では彼がいかに統治者として優れていて慕われていたかが分かるものがいくつかあります。まず入口を入り左に行くと沢山の数のバトンが置かれています。このバトンは、毎年チトーの誕生日の5月25日に旧ユーゴスラビアの若者たちが行う< Relay of Youth(若者のリレー)>という行事があり、ユーゴ国内の各民族・地域の若者がリレー形式で渡しあったもの。ここまで民族や宗教がバラバラの人々が一つのバトンを受け渡し、最後にはチトーの元に届けることでユーゴスラビアとしての団結力を高めるイベントとして始められたそうです。カリスマ的存在として、尊敬されていた彼は1892年クロアチアで生まれ、1980年5月4日リュブリャナの病院で87歳で息を引き取ります。彼の亡骸は彼が生前旅行に行く際よく使っていたブルートレインに乗せられベオグラードまで戻ったそうです。その際の写真が壁に展示されていますが、線路の脇にはチトーの最期を見送るユーゴスラビアの人々で埋め尽くされていました。この群衆はベオグラードまでの帰路、途切れることはなく続いたそう、そして写真からも伝わるほど、人々は大きく手を振り、チトーの死を悲しんでいるようでした。この花の家に訪れたのはツアーの最終日、ここまでバラバラの国々が一つの国だったとは思えないなと感じる程、違う雰囲気の国だったので改めて彼の凄さを感じることができました。(竜崎)

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2017年10月17日 (火)

「平原の国」ポーランドにだって山はある!山岳リゾートザコパネ

「平原の国」を意味するポーランド。中世の面影残す可愛らしい街並みや、負の世界遺産、アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所など、なかなかポーランドには自然のイメージがわかないのではないでしょうか。平地のイメージがある上、ましてや美しい山があるなんて…。とお考えの方も多いのでは?
ポーランド南部、ポーランド内のリゾート地として圧倒的な人気を誇るザコパネ。スロバキアとの国境にあり、国立公園に指定されている、タトラ山地を中心に織りなす自然が素晴らしい街です。夏、冬ともにポーランドはもちろん、諸外国からも毎年多くの観光客が訪れます。スキージャンプの大会でも有名で、葛西選手も何度か訪れています。ザコパネ様式という、昔ながらの木造伝統家屋も残っており、他の都市とは一味も二味も違った雰囲気。
そのタトラ山地の中の、ポーランド側で代表的な山が、カスプロヴィ山。その山にケーブルカーで登っていき、2000m級の雄大な山々を望みます。頂上は1959m。スロバキアとの国境はもうすぐそこ。山々にはもう既に雪がありました。この日はお天気もよく、眺めも最高!ちょっとしたハイキングの要領で、国境の部分を歩くこともでき、簡素な国境の柱で記念撮影をすることもできました。

タトラ山脈、ポーランド、ザコパネ

そして食で印象的だったのが、ザコパネ名物、樽型チーズのオスツィペク。羊乳と牛乳を合わせて、塩水につけ、燻製にするので、味は少し塩気が強め。両面を軽くあぶって、ジャムや蜂蜜をつけて食べるのが主流。ザコパネではこのチーズを売るワゴンをたくさん見かけます。ポーランドで現在でも伝統的な方法で作られる蜂蜜酒やワインと一緒に食べるのもおすすめ。

ザコパネ、ポーランド、チーズ

ザコパネにいき、ポーランドのイメージががらっと変りました。地図上から、1度は姿を消したポーランド…。国境も幾度となく変わり、辛抱強く、粘り強く、何度も再生してきた国。リゾート地ののどかな風景を眺めながら、その激動の歴史に思いを馳せました。(荒川)
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2017年10月 4日 (水)

森が広がるクルシュ―砂州(リトアニア)

先日魅惑のバルト三国とヘルシンキ10日間の添乗より帰国致しました。今回のツアーは関空発着の復路直行便。まずは大阪を出発し、リトアニア、ラトビア、エストニアそして海を渡りヘルシンキへと北上して行きました。
今回印象に残ったのは、2000年に世界遺産に登録されたリトアニアにある「クルシュ―砂州」。
このクルシュー砂州は、氷河が解けた後に氷河に押し出された礫や岩塊などの堆積物が点々と島状に残り、その島と島の間をバルト海の海底の強い流れで運ばれてきた砂が埋めて土手状になったもの。日本でいうと天橋立も砂州です。全長は約98km(北から約52kmがリトアニア領、残りがロシアの飛び地カリーニングラード州)、幅は400m~3.8km。

砂州という言葉を聞いて、砂漠や砂丘というような砂の土地なのかと想像しがちですが、意外にそんなことはありません。この砂州はなんと全体の約80%が森林で、残りが砂丘です。
動物も目にすることはありませんが、クマや鹿が生息しているそうです。リトアニアの第3の都市クライペダの街からバスごとフェリーに乗りこみます。距離がそこまで離れていないため、港からクルシュー砂州が目の前に見られます。フェリーはたったの5分で対岸に到着します。

クルシュー砂州に入ると、森林に囲まれた道を進むため砂州にいるのに砂を見ないという不思議な光景が広がります。この森林は、かつてドイツ人の侵攻や人の伐採によりなくなっていたもの。19世紀に入り、ある機関が森に戻す研究を始め、防災林を設けるなど植樹が行われ、その成果で現在は森林が砂丘の面積を上回るまでになりました。

バスで港から1時間程森の中を移動するとようやく砂丘が姿を現しました。砂丘の展望台からは、4km先にロシア領が見られます。風がよく吹いていて、砂州が森に囲まれている様子、東にはラグーン(潟湖)、西には美しいバルト海も見られ、砂州の細長くのびた形がよく分かりました。
港町ニダにも寄り、最後にバルト海のビーチで琥珀探し。目的の足元に眠る琥珀探しよりも目の前に青く光るバルト海の方に自然と目が行ってしまいました。
実際に行ってみないと分からないクルシュー砂州の不思議な光景を目に焼き付けて後にしました。(山下)

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2017年9月18日 (月)

シベリア鉄道の旅は、1日にしてならず(ロシア) その4

8月17日発「シベリア鉄道走破の旅 ~9,259㎞、ウラジオストクからモスクワへ~ 15日間」の連載ブログ第4回目です。
シベリア鉄道の楽しみのひとつは、車窓から見える景色でしょう。同じ景色が続くとはいえ、眺めていると疑問に思ったり、おやっと思うものが見えたりするときがあります。
私は、ウラジオストクからモスクワまでの区間で特に好きだった景色は、前半でした。ウラジオストクから出発したては、進行方向左側の車窓から金角湾がしばらくの間見えました。ウラジオストクは半島にあり、その半島の西側に線路が敷かれ、北上していきます。ウラジオストク駅を19:10発でしたので、夏の時期はちょうど夕方に差し掛かり、いよいよ旅が始まる、という気持ちとともに眺めた金角湾の夕景は忘れられません。翌朝、ハバロフスク駅を通過直後にアムール鉄橋を渡ります。昔は、アムール川越えには地下トンネルを使っていましたが、いまは鉄橋で渡りますので、雄大なアムール川の光景も印象的です。その後、ザバイカリスキー地域に入ると、ブログその1でも書きましたが、鉄道工事難航区間へ。美しい自然と工事難航区間だったことを知っていると、何気ない自然の景色からもさまざまに思えることでしょう。そのザバイカリスキー地域は、2012年まで大きな川に架かる橋や舗装路がなかったそうです。それをプーチン大統領になってから道路整備が一部ではありますがすすめられたそうです。
何もない広野(畑も周辺に見かけない)に、ときおりぽつぽつ見える木造の家。時には簡素な一軒家も。さて、ここで不思議に思うわけです。ここで生活する人たちはどうやって生活しているのかと。たまたまこの地域出身の現在、鉄道関係者の方が同じ車両に乗っていたのでその疑問の答えを知ることが出来ました。線路脇に見える家は、鉄道補修関係者の家だそうで、冬の時期などは雪かきの除雪車など動かしたり、場合によっては人の手で除雪したり、電線などに異常があれば駆けつけるそうです。また先述した舗装路がまともになく、その前後で大きな町らしきものがないような場所でお店のようなものが見えず、数軒民家が建つだけの場所では、週に何回か、日用品から食料などを乗せた列車が最寄駅に来るそうで、そのときに駅に行き必要なものを購入するのだと。シベリア鉄道では小さな駅は通り過ぎてしまいます。しかし通り過ぎる小さな駅も、その地域に住む人にとっては移動手段以外に重要な駅なのです。更になにもないところに見えた簡素な一軒家は、鉄道工事に携わる人の休憩小屋兼作業道具置場なのだと。特に冬の時期は暖を取るのに重要。舗装された道路もなく、町もないようなザバイカリスキー地域で、いま自分が乗っている列車がたくさんの鉄道関係者の人たちによって安全に運航されているのかということが身に染みる話で、じん・・・としました。イルクーツクに近づいてくると、舗装された道や橋が普通に見え始め、牛や馬の放牧された集落などが見え、ちょっとした車窓の見えるものへの変化にも嬉しく、楽しく思いました。

シベリアの白樺

もちろん、自然の美しさも素晴らしいもので、よく見られる白樺も幹が細かったり、太かったり、背が高かったり、低かったり。嵐などで倒れた木が残る自然そのままの白樺林、緩やかな小山が続く山稜区間、黄色やピンク、薄紫の野花、人家の庭に植えられた向日葵。線路を並走する小川やときに鉄橋で渡るシベリアの大河。これらの大河は、その先で更なる大河アムール川やレナ川などにつながっていたりし、その大河を航行して冒険者や探索隊が未開の地シベリアに向かったのか、ウラジオストクもハバロフスクもそのような探索隊によって発見されたのかと通り過ぎていった町のことを連想してみたり・・・。

車窓からみた給水塔

そうはいっても飽きちゃうのよね、という方は、ウラジオストクからモスクワまでの間で所々で見える給水塔を探してみましょう(上記写真は給水塔です)。その形はサイロにもムーミンハウスにも見えるもので、かつてシベリア鉄道が蒸気機関車で走っていた時代の名残です。駅に見えたり、なにもないところで突然見えたり。その建設素材やデザインも様々なので、あの給水塔は可愛い、あの給水塔は木造だった、あの給水塔は・・・と見つけては考察したり、頑張って移動する車窓から写真を撮ったりして楽しんでみてください。

駅で見かけた給水塔

第5回目以降は掲載未定です。
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ユーラシア旅行社で行く極東・シベリアの魅力はこちら
■シベリア鉄道の旅は1日にしてならず その1はこちら
■シベリア鉄道の旅は1日にしてならず その2はこちら
■シベリア鉄道の旅は1日にしてならず その3はこちら
<極東に関するブログ>

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