2017年6月27日 (火)

初夏限定の風景探しinスペイン

 

トレド大聖堂


 先日、「華麗なるスペイン紀行 10日間」のツアーから帰国しました。首都マドリッドから南下し、アンダルシア地方を巡った後に飛行機でバルセロナへ。道中、様々な場所で初夏ならではの光景に出会いました。
 まずはスペインの京都ともいわれる古都トレド。6月15日に行われるキリストの聖体祭に向けて街全体で準備が行われていました(私たちが訪れたのは5月末)。聖体祭は復活後に地上にとどまっていたイエス・キリストが天国へ帰っていったとされる、毎年イースターより60日後に行われるお祭りです。お祭り当日には大聖堂の宝物室に保管されている金・銀・宝石類が散りばめられた重さ370kgの聖体顕示台を担ぎ、トレドの街中を2.5km練り歩きます。私たちがツアーで訪れた時には既に、そのルートに天蓋用の布が張られていました。
 次にコルドバ。ゼラニウムの花がきれいに咲く花の小道を通りました。通り自体に花の小道という名がついていますが、コルドバはこれからどんどん気温が上がり、一番暑い日には50度近くになることあります。そんな時にはさすがにお花も枯れてしまい、名前負けの通りに・・・。この通りの一番の見どころは、振り返るとメスキータのミナレットが正面に見えること。メスキータとはスペイン語でモスクという意味ですが、レコンキスタ完了後、イスラム教のモスクをそのままカトリックの大聖堂に改築したという面白い歴史があり、イスラム教とキリスト教が混在した世にも珍しい建物となりました。このミナレットも現在では大聖堂の鐘楼になり、白壁に赤やピンクのゼラニウムが咲く小道の雰囲気と相まってベストショットが撮れます。ちなみにお花の水やりはお役所の仕事なのだそう。

ひまわり畑


 そして最後に、バスでロンダからセビージャへと向かう途中に咲き誇っていたアンダルシア名物ひまわり畑。右も左も一面黄色で、青い空とのコントラストが映えます。コルドバもそうですが、アンダルシア地方で本格的な夏が到来すると基本的に40度越えも珍しくなく、お花も枯れてしまう程の暑さになります。オイル用として育てられるひまわりも例外ではなく、よって短い初夏の時期にしか見られないこの季節限定の光景となるのです。今回はドライバーさんに頼んで、道端でバスを止め、満開のひまわり畑を貸し切りで記念撮影。これからの季節、どんどん暑くなるアンダルシア地方もギリギリ快適に観光出来て良かったですねと談笑しながら、一路バルセロナへと飛行機に乗り込みました。(日裏)

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2017年6月23日 (金)

フランス人が「異郷の地」と呼ぶブルターニュ

この度、ユーラシア旅行社の「のどかなブルターニュの田舎巡りと印象派の故郷ノルマンディー 12日間」より帰国しました。
ブルターニュ地方はフランス北西部の突き出た半島の部分。パリや他のフランス主要都市からの交通は不便ですが、静かでゆっくりとした田舎町独特の雰囲気が感じられるのが魅力です。

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ブルターニュの人々の祖先は、自然や精霊を信仰するケルト人です。その後やってきたローマの文化を取り入れながらゆっくりと融合し、5世紀頃にはブリテン島(イギリス)からやって来たブリトン人によって再びケルト化されました。その後、ノルマン人による支配を退け、大国となっていくフランス・イギリスと戦いながら独立を守ってきました。1532年にフランスに併合されますが、長い間、独自の文化と伝統を守ってきたからこそケルト文明の影響が色濃く残り他の地域とは違う魅力が感じられます。

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ヨーロッパに行くと教会ばかり、とたまに耳にしますが、ブルターニュでは他とは一味も二味も違う教会を目にする事ができます。それが「聖堂囲い地」という複合教会施設です。その名の通り、壁に囲まれた聖堂です。聖堂の他に、納骨堂、墓地、キリスト磔刑像がセットになって、敷地の入口には立派な凱旋門が取り付けられているのが特徴です。
ケルト的な考えでは死の世界と生の世界はすぐ近くにあり、先祖の魂は家の庭先やその辺の石などにいて、いつも生きている人間と一緒にいるというものでした。キリスト教化が進む中、死の世界を一ヵ所にまとめ、生の世界から訪問できるような場所をつくったのがきっかけだといいます。
この聖堂囲い地は、大都市の中心から離れた村の庶民の為の小教区だったところにあり、ブルターニュの中でも最も独特な地域と言われるフィニステール県には特に沢山あります。その殆どは亜麻の貿易で経済的な繁栄を迎えた16、17世紀に建てられました。教会の力を見せるため、隣の教区と競って立派な聖堂を建てた時代だったそうです。
聖堂囲い地があるところは遠くからでも「カルヴェール」と呼ばれる磔刑像が施された背の高い柱が目に入るのですぐに分かります。バスを少し走らせれば「あ、ここにも」、「またここにも」と次から次へと見えてきます。時には、住んでる人がいるのかな?と思う程に過疎化した小さな集落にも不釣り合いなほどの立派な囲い地があるのです。
でもなぜか、時間ともに風化し黒ずんだ聖堂やカルヴェールの周辺には、牛や羊がのんびりと草を食む草原の景色が似合うのです。

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2017年6月21日 (水)

太古の森が息づく場所 大西洋の楽園カナリア諸島

先日、カナリア諸島9日間のツアーより帰国しました。スペイン領カナリア諸島はスペイン本土から南西約1100km、大西洋に浮かぶ7つの島々です。日本ではその名を聞くことはあまりありませんが、年中暖かいこの島々はヨーロッパの人々に大人気。まるで月面のような大地有り、美しい海、真っ白な街並みと、とても魅力的な島々です。海やダイナミックな火山帯の景色も素晴らしいですが、他にもたくさん魅力があります。カナリア諸島の中には4か所の世界遺産があり、ツアーではそのうちの3か所に訪れました。ご紹介したいのは、中でも固有の植物が育つゴメラ島のガラホナイ国立公園と、スペイン最高峰のあるテネリフェ島のテイデ国立公園です。
ゴメラ島はカナリア諸島の中でも2番目に小さい島です。隠岐諸島より少し大きいくらい。沿岸部は標高も低く乾燥し、ほとんど植物が育たないのですが、島の中心部に向かってバスを進めてゆくと、少しずつ標高があがり、湿度が増し、同じ島とは思えない程緑豊かに、風景が変化してゆきます。島全体がユネスコの生物圏保存地域に指定され、島の内約10%をガラホナイ国立公園が占めています。ゴメラ島の姫ガラと隣のテネリフェ島の王子ホナイの伝説に由来する、ちょっと不思議な響きのこの国立公園には、世界でも大変珍しい太古の原生林が残っています。カナリア諸島の中でも早い段階で火山活動を終え、氷河期の影響も受けなかった為、数百万年前の植生が残っているのです!バスで国立公園まで行くと、たくさんのハイキングルートが網目状に張り巡らされており、道路からすぐに森の中に入ってゆくことができます。
ガラホナイ国立公園
森の中はまるでもののけ姫の世界。お客様はまるで屋久島のようとおっしゃっていました。苔むした木々が生い茂り、花が咲き、とても静かで幻想的でした。沿岸部に比べると気温も低く、空気がとてもきれいで、皆様その自然の美しさに感動しておられました。固有の植物もみかけ、花をめでながらのゆったりとしたハイキングを楽しむことができました。大地を覆うのは照葉樹の森。主にみられるのは月桂樹です。伝説上のガラ姫とホナイ王子は敵国同士の禁断の恋の末、お互いの味方に矢で射られて死んでしまいます。二人はまるで十字架のように折り重なって倒れ、血を流し、そこからこの照葉樹の森が生まれた、というのがこのゴメラ島の伝説です。
さて、そのホナイ王子の出身地はテネリフェ島。スペインから約1100km離れており、西サハラまで約100kmという立地ですが、スペイン最高峰と名高いテイデ山が聳えています。ここも世界遺産です。テイデ国立公園では5月末~6月にかけて、とてもおもしろい光景が見られます。エキウムという植物のカナリア固有種が花開く時期なのです。
テイデ山とエキウムの花
高くそびえるその姿から、宝石の塔と呼ばれるこの植物がにょきにょきと、荒涼とした火山の麓に生えている光景はなんとも不思議。枯れると白骨化したかのように真っ白になって倒れます。背の高いものは3m近くまで育つのだそうです。エキウムの育つ麓からロープウェイで3555m地点までのぼり、テイデ山の眺望をお楽しみいただきました。
テネリフェ島の観光で忘れてはならないのが、竜血樹をみること。竜血樹”ドラゴ”と呼ばれる樹は正直カナリア諸島中あちこちに生えているのですが、このテネリフェ島でしか見られない、特別な竜血樹があります。
イコッド・デ・ロス・ビニョスという小さな町の中にある植物園の中に、その”特別な”竜血樹があります。
樹齢500年の竜血樹
柵で囲われ、そばまで行くことはできないのですが、イコッドの街に入ってくると、遠くからでも見える巨大な竜血樹があるのです。なんとその樹齢500年!ガイドさんに言わせると、この樹には年輪がない為実際の樹齢を図ることはできず、遥か800年前のある記述の中にこの大きな木の存在が記されていたことから本当は樹齢800年以上なのではないかとのことでした。実際に、下から見上げるその大きな樹は威厳にあふれており、スケールの大きさに感動してしまいました。この竜血樹に会いに、またテネリフェ島を訪れたいなと思いました。(留置)

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2017年6月15日 (木)

140段の見事な大階段が待っている!陶器の街、カルタジローネ

シチリア島、南東部に位置する、陶器の街として有名なカルタジローネ。2002年にバロック様式の街の一つとして、世界遺産に登録されています。バロックの街並みに目を引かれつつ、可愛らしい陶器のお店をのぞいたりしながら、歩いていると、いつの間にか時間がたっていることに気づきます。先史時代から、この辺りでは、陶器作りが行われていて、現在でも受け継がれています。アラブ人から伝わる、マジョルカ焼きの技術もこの街から、イタリアに伝わっていったそう。今でもマジョルカ焼きの工房が軒を連ねます。細かい部分も丁寧に制作された、色鮮やかでシチリアらしい陶器がたくさんあり、お気に入りの1品に出会えるはず。

カルタジローネ、シチリアツアー、イタリア旅行、海外旅行

いつ訪れても、魅力的な街には変わりありませんが、今回のように、花階段のイベントの季節に訪れると、街一番の目玉である大階段が華やかに装飾され、一際目立ちます!
この大階段はスカーラと呼ばれ、140段程ある階段は、それぞれの段の側面に、いろいろな模様や絵が描かれた陶器のタイルがはめ込まれています。階段の一部はエトナ山の溶岩でできています。また、花階段の時期には、多くの植木鉢が階段に置かれ、主に大きな花が描かれます。年によってその絵は様々ですが、下から少し離れてみると、よくその形がわかります。140段程の少し段差も大きい階段ですが、ゆっくりゆっくりその一つ一つの絵を見ながら、後ろを振り返り、美しいカルタジローネの街の写真を撮りながら進めば、この階段もどうってことありません。一番上まで上がると、素晴らしい景色が待っているので、登る価値あり。今回は、ちょうど登り切ったところにあるサンタ・マリア・デル・モンテ教会でミサが行われており、中を少し見学。帰りも、階段沿いにお店をかまえる陶器屋さんを見ながら、少しずつ降りれば、問題なしです。
パレルモやタオルミナのように、見所がたくさんある街というわけではないですが、居心地がよく、立ち寄ってよかったと思わせてくれる街です。

カルタジローネ、シチリアツアー、イタリア旅行、海外旅行

同じ時期に行われる、ノートの街の花絨毯イベント(インフィオラータ)も開催されています。この時期のシチリアは、本当に花好きにはたまらないですね・・・(荒川)

ユーラシア旅行社で行く、シチリアツアーの魅力

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2017年6月14日 (水)

大航海の始まりと終わり、ベレンの塔(ポルトガル)

  先日、「ポルトガル・ハイライト 9日間」より帰国しました。
  今回は、首都リスボンや港町ポルトはもちろん、最もポルトガルらしい村に選ばれたモンサントや王妃の愛した街オビドスなど9日間という短い日程でポルトガルのハイライトを周遊します。
 中でも印象に残っているのが、リスボン近郊の港に建つ、ベレンの塔です。

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  テージョ川に面するベレン地区はポルトガルの主要な港でした。ベレンの塔の正式名称は「サン・ヴィセンテの砦」と言い、1515年にマヌエル1世の命により行き交う船を監視し、河口を守る要塞として建てられました。遠目から見ると、中世の城のような外観をしていて、かの司馬遼太郎はこの塔を「テージョ川の貴婦人」と表現しました。
 まだ船しか海を越える手段がなかった時代、何年もかけて冒険しやっとたどり着いた故郷。見送ってくれた時と変わらずに建っているこの塔を見たとき、船乗りたちは安心し、帰ってきた喜びに浸ったといいます。また、出迎える人々もこの塔の鐘が鳴り、船が近づいてきたという合図が鳴ると、港に集まり、歓迎の宴の準備が始まったそうです。塔のバルコニーには王族が立って帰国した船乗りたちを歓迎しました。その後、中にある謁見の間で、遠い東洋やブラジルの話を聞いていたといいます。
 ベレンの塔を見ると、いつも帰ってきた船乗りたちの喜ぶ姿、出迎える人たちの歓迎する姿が浮かんできます。(保坂)

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2017年6月 9日 (金)

地震に負けない町、シチリアでも発見

先日ユーラシア旅行社の「シチリア島を極める」より帰国致しました。シチリア島はイタリア半島のつま先の先に浮かぶ三角形の島です。かつてはギリシアとカルタゴとローマ帝国が三つ巴で覇権を争った、まさに「文明の十字路」と呼ぶにふさわしい場所です。そんなシチリアの旅で特に印象的だったのがバロックの街・ラグーサです。
 2つの丘の上に広がるラグーサの街。低い方の丘の横にバスをつけ、散策をはじめました。低い方の丘はラグーサ・イブラといいます。曲線を多用した華美で大胆なデザインの建物、ユニークな怪物や動物などの持ち送り彫刻など、バロック様式で統一された町並みは見事なものでした。中心には、舞踏会の宮殿にありそうな大階段の上に聳え立つ大聖堂。町並みをより華やかに惹きたてていました。…それなのに、大通りをはずれると細い路地が入り組み、どこか中世を感じさせるような気がするのは何故でしょうか。町のはずれにはラグーサの守護聖人、聖ゲオルグの彫刻だけが残る廃墟の教会がひっそりと佇んでいますが、それは何故なのでしょうか。実は、ラグーサ周辺のノート渓谷一帯では、1693年に大地震が起こりました。マグニチュードは7.4。約6万人もの命を奪い、周辺の街は廃墟と化しました。ラグーサはその時に被災した街の一つで、一度崩れてしまった中世の町並みを土台に造られたバロックの街だったのです。廃墟の教会はかつて大聖堂だったものでした。地震の後大々的に復興作業が行われ、ノート渓谷一帯は見事にバロックの街として生まれ変わりました。現在、復興の経緯とともに、統一されたバロックの町並みが世界遺産に登録されています。再建には100年かかったと言われています。そのような背景からもう一度ラグーサの街を見渡してみると、震災に負けない人間のたくましさを感じ、地震の多い祖国と重ね合わせ、なんとも感慨深い気持ちになりました。
2つの丘は長い階段でつながっています。上の丘の名前はラグーサ・スーペリオーレ。地震の後、新興貴族や商人によって造られた新しい街です。20分ほどかけて階段を上り、スーペリオーレのサンタ・マリア・デッレ・スカーレ教会へ。ここからはラグーサ・イブラの街並みが一望にできました。柔らかな茶色に統一された街並みは美しく、被災した後は見る影もありません。天気にも恵まれ、その美しさは階段をのぼった疲れも忘れてしまうほど。

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帰りにまた階段を下りるとき、元気なお客様の後ろでちょっぴり膝が笑っていたのはここだけのお話し。(佐藤)

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2017年5月25日 (木)

陽光きらめくマルタの海へ

先日、「陽光のマルタをめぐる 8日間」の添乗より帰国致しました。
皆様、マルタといえば何を思い浮かべるでしょうか。未だ謎が多い巨石神殿、マルタストーンとも呼ばれる蜂蜜色の可愛い石灰岩の家並み、聖ヨハネ騎士団、門外不出のカラヴァッジョの絵画など、マルタの魅力は尽きません。その中でも今回は、「海」という焦点に絞ってマルタの魅力を探っていきたいと思います。
マルタ共和国は、マルタ島とゴゾ島、コミノ島の3島からなる国です。今回のツアーでは、ブルーラグーンが絶景のコミノ島へも足を運びました。コミノ島は、無人島の石灰岩の島です。そんなコミノ島には、5月にもなると地中海の燦々と降り注ぐ太陽の光を求めて、日照時間の少ない北欧やかつての統治国イギリスなど、世界各国から観光客が訪れます。(そのため、海の家を経営する1家族のみ夏の間だけ住むとか)そして何よりコミノ島を訪れる人々を魅了するのは、透き通った海の色!!今回、私たちはゴゾ島からコミノ島へボートで向かったのですが、コミノ島に近づくにつれて海の色がコバルトブルーからマリンブルーへ変わり、海上からでも海の透明度を実感できました。コミノ島の魅力は、上陸してからも続きます。

コミノ島

石灰岩の丘を登ると、石灰の白砂に反射されたブルーラグーンを望みます。そこではなんと目を疑うような光景が!まるで船が浮かんでいるように見えるのです。太陽の光の差し込み方や船の影の向きによって、浮かんでいるように見えたり、見えなかったりしますが、目をこすると不思議と船が宙に浮かんでいるように・・・見えますでしょうか??
「死ぬまでに一度は見たい絶景」特集で話題のイタリアのランペトゥーザ島(マルタより南西に位置しています)も、コミノ島と同様に透明度が高く船が宙に浮かんでいるように見えるのですが、同じような光景をマルタでも見ることができるのです。
 

また、マルタといえば、聖ヨハネ騎士団がオスマントルコを打ち破った場所。入り江が多い、その特異な地形の利点を生かして、強固な要塞を建設しました。スリーシティーズ(ヴィットリオーザ、セングレア、コスピークワ)を拠点とし、1565年ついにマルタ大包囲戦にて、はるかにしのぐ軍勢のオスマントルコ軍を破ったのです。そして、いつ再び襲ってくるかわからないオスマントルコ軍に備えて、聖ヨハネ騎士団はさらに強固な要塞「ヴァレッタ」を建設したのです。そのヴァレッタがスリーシティーズと比較するといかに何重にも強固に作られているか、海の上からみると人目瞭然。海上からヴァレッタを眺めると、自分たちがまるでオスマントルコ軍になったかのようにその強固な要塞が迫ってくるようでした。

ヴァレッタ

地中海の要衝としての機能を今もなお果たす、小国マルタ。海という観点からみると、また違ったマルタの一面に出会えました。(角田)

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2017年5月24日 (水)

セボルガ公国を知っていますか?

 この度、ユーラシア旅行社の「欧州小さな国々、夢紀行」より帰国しました。
 10日間の旅で駆け巡ったのはなんと9ヶ国!リヒテンシュタイン、サンマリノ、ヴァチカン、モナコ、アンドラの5小国とその周辺国のスイス、イタリア、フランス、スペインです。
これだけ広範囲の旅ではどこでもドアがあると便利ですが、列車を利用する事で意外とちゃんと観光できました。

教会

 今回の旅では「セボルガ公国」にもご案内しました。
 世界中を旅している旅のベテランのお客様でも、思わず「どこ?そこ!」と言ってしまいそうでね。それもそのはず、セボルガ公国は「自称独立国」なのです。
 国として成り立つためには3つの条件があるそうす。①土地②統治する人③他国からの承認。セボルガ公国は③がないため、「自称」独立国なのです。
 セボルガ公国の面積はたったの15?、人口320人。イタリア北部の地中海側、フランスとの国境のすぐ近くにあります。周辺の景色も美しい山間部にあり、小高い丘のような中心広場からは遠くに光が当たって輝くモナコ公国が望めました。

セボルガ国境

 現在のセボルガ公国はイタリア政府からはセボルガ村とみなされていますが、中世には独自の領域となり、領主のレリノ修道院長が神聖ローマ帝国から公爵に叙せられた事から公爵領(公国)となった由緒ある国なのです。
 1861にはサルディーニャ王国を母体としたイタリア王国が建国されましたが、編入過程が明確ではないという主張から、初代セボルガ公のジョルジョ1世が1960年初頭に独立回復運動をしました。

騎士団ゆかりの品々

 今回セボルガ公国をガイドしてくれたのが、セボルガ大公妃。現在二代目の大公とは15歳の時に知り合ったというとても美しい女性でした。
かつての造幣局や洞窟礼拝堂、シトー派の僧院跡など、公国の歴史を学びながらの散策です。
 テンプル騎士団ゆかりの土地という事もあり、所どころにそれらしい壁画や紋章などがあります。
 小さい村ですが、石畳の狭い路地が中世の雰囲気を残していて、とても素敵な国(村)でした。

セボルガパスポート

 セボルガ公国のお土産には手作りクッキーやワインがお勧めです。また、セボルガパスポートも作れます。日本から証明写真(お気に入りの写真でOKです)を持っていけば、その場で特別な書類に張り付けて国の紋章の印を押してくれます。
 ご希望の方はユーロから現地通貨のセボルガ・ルイジーノへの両替も可能です(1ルイジーノ=約6ドル)
 中々訪れることの無い自称独立国、せっかく行くなら徹底的に独立国として楽しんでみるのはいかがでしょうか?
(関根)

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2017年5月23日 (火)

修道士の自治共和国アトス(ギリシャ)

先日、「ギリシャ物語 15日間」より帰国致しました。
   今回は、15日間かけて、定番のアテネはもちろん、人気のメテオラの修道院、白い家と青い屋根が印象的なサントリーニ島、また、アレクサンダー大王の生誕の地、マケドニア地方まで足を延ばしました。
   中でも、私が印象に残っているのが、女人禁制のギリシャ正教の聖地、アトスです。

1705231_2 アトス山は、テッサロニキの南東にある、先が3本に分かれたハルディキ半島の一番北側のアトス半島の先端にあります。アトス半島の付け根にある港からクルーズに乗り、聖地を海から眺めました。
 何故アトス山が聖地になり、また、女人禁制になったのか、そこには一つの伝説があります。
 ある時、聖母マリアが聖ヨハネを伴ってキプロスへの旅の途中に激しい嵐に見舞われ、アトスに停泊をせざるを得なくなりました。下船したマリアはアトスの異教の偶像をすべて一瞬にしてなぎ倒し、この地に祝福を与えました。そしてアトスを休息の地とし、他のいかなる女性の立ち入りを禁じました。
 私が一番驚嘆したのは女人禁制の聖地を1000年以上保ち、今なお、20の修道院で1700人が修行をしているところです。しかもただの女人禁制というだけでなく、動物の雌も禁制で、隣の修道院までも山を越えて数時間という自然の中で厳しい戒律を守りながら修行をしています。
  

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 緑に包まれた半島に点在する修道院。陸路からの道はなく、そして、女性である私はただ船の上から眺めることしかできない聖地。

 もし、男性に生まれ変わったのなら、修道院を訪れ、その生活を体験したいと思いました。(保坂)

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2017年5月18日 (木)

オランダのヴェネツィア!?ヒートホールンで運河クルーズ

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先日、「ベネルクス物語15日間」の添乗より帰国致しました。今回の旅は、年に一度の花パレードを見学したり、期間限定開園のキューケンホフ公園やラーケン王立植物園を満喫したりと花三昧、さらに、美術館や旧市街歩きで文化歴史も味わえる、ベネルクスを網羅したツアー。その中でも特に印象に残った場所がヒートホールンです。

ヒートホールンという町で有名なのは、町の交通網となっている水路を利用した運河クルーズ。この小さな町では道幅が狭い為、車の乗り入れはできず、メインの移動手段は小舟。町の家々の間には細い水路が通ります。

船乗り場から運河クルーズが出発すると、水面に反射する木々や空の雲など幻想的でお客様からは感嘆の声が漏れます。古いもので築300年の茅葺の屋根の民家やよく手入れされた庭などを船から間近で見学。しばらく進むと、町の中心には古い教会。この村では教会で行われる結婚式の際、新郎新婦は小舟で教会まで向かいます。町の中心の水路を抜けるとそこにはボーレンヴィド湖が見えてきます。このあたり一帯は1400年代、燃料用ピートを掘り出す村。ピートとは石炭の前の段階で鉱石ではなく、泥の一種。植物質が炭化したもので燃料や肥料として使われました。そのピートを掘り出す際に多くの山羊の角が出土し、村の名前ヒートホールンの由来に(ヒート=Geit=山羊、ホールン=Hoorn=角)。泥炭湿原では乾季には牧畜や農業なども行われてきたそう。その後、かつて湿地帯だった場所が1600年代に湖となり、ボーレンヴィド湖と呼ばれています。オランダは泥炭湿原の上に砂がつもった大地。この村も昔から、泥炭と水の資源の恩恵を受けてきました。

ところで、この町は海沿いの町ではありません。海水と川水を分ける大堤防の内側、大堤防からは約100キロ南にあります。もちろん水質は淡水で、川魚がとれるそう。(長田)

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