2018年12月20日 (木)

大文明の裏に隠された、砂漠の秘境・スーダン

先日、スーダン9日間のツアーより帰国しました。
スーダンに行ったと言うと「どこにあるの?」と聞かれるのですが、
アフリカ大陸の北東、エジプトのすぐ南にスーダンがあります。

エチオピアとウガンダの源流から流れるナイル河が、
スーダンの首都・ハルツームで合流し、エジプトへ流れていきます。
それぞれ白ナイル、青ナイルと呼ばれていて、濁り方の違いでこの呼び名が付いたんだそう。
運が良ければ、ハルツームの合流点では青と白の色の違いがはっきり見られるそうですよ!

スーダンの北部、ナイル河流域以外には砂漠地帯が広がっています。
どこまでも続いていきそうな砂漠をハルツームから北上していくと、紀元前2000年からの文明の跡と出会えます。

そんなスーダンですが、ツアーでは「古代ヌビアの栄光を辿る」と素敵なタイトルが付いておりました。
アイーダがヌビアの女王として描かれているお話もありますね。

どんな栄光があったのかと言えば、やはりピラミッド!

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<ジュベルバルカルのピラミッド群>

古代エジプトが大きく栄えていた時代に、エジプトの南部とスーダンはヌビア地域と呼ばれ、クシュ王国が成立していました。
このクシュ王国の王たちが、エジプトをも版図に入れた時代がエジプト第25王朝です。
そんな力を持っていたクシュ王国が、エジプトの文化を活かす形で次々とピラミッドを建てました。
エジプトでピラミッド文化が廃れた後も、粛々と王や貴族の埋葬のために建て続け、数だけで言えばエジプトのピラミッドのほぼ2倍発見されています。これは驚き!

形も面白く、エジプトのものよりも急な角度で建てられているのが特徴。
太陽が昇った時に光が奥まで入り込むように、正面には門が備えられ、厳重な門が墓室を守っていたそう。
墓室はもちろん、そこまで続く通路や階段の壁にも、美しいエジプト風の壁画がびっしりと描かれました。

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<クッル遺跡 タヌトアメン王の墓>

やはり風化防止のために今後見られなくなる可能性もあるのですが、
今この時に見ることができてラッキーだなあと思うばかりです。

まだ都市開発も観光地整備も進んでいなく、街にレストランがない?というびっくり体験も異文化ならでは。
ガイドブックもまだ発売されていない未知の国。貴重な体験をできた気分です。(三好)


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2018年12月 6日 (木)

ナセル湖クルーズにて、隠れた名所を見学(エジプト)

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<オマール・カイヤーム号>

先日、「ナセル湖からナイル河へ エジプト古代遺跡めぐり 12日間」のツアーより帰国致しました。
さて、ナセル湖とは?ナイル河の氾濫防止と灌漑用水確保のためにアスワンダムが造営されましたが(1901年完成)、その後、エジプトの急速な人口増加に対応できなくなり、1960年、当時のナセル大統領が旧ソ連の支援を受け、国家事業としてアスワンダムの上流6.4km地点にアスワンハイダムの建設を開始し、1971年に高さ111m、長さ3830m、上部の幅40m、基底部の幅980mという巨大なダムが完成しました。またそのダムの巨大な貯水池としてできたのがナセル湖で、その面積は5250平方km(琵琶湖の7.8倍)あります。
そして、そのアスワンハイダム建設計画により、アブシンベル神殿が水没の危機にさらされましたが、ユネスコが呼びかけたヌビア遺跡救済国際キャンペーンが世界的な動きに発展し、1964年から4年の歳月をかけて、神殿を1042個のブロックに解体し、もとの位置より64mも高い現在の場所へ移築されたのは有名な話です。しかし、実はアブシンベル神殿以外にも移築された遺跡があることは意外と知られていません。当ツアーではアブシンベルからアスワンまで、3泊4日かけてクルーズ船「オマール・カイヤーム号」にてナセル湖畔のヌビア遺跡をめぐります(ヌビアとは、アスワンからアブシンベル、さらに南のスーダンにかけての地方の名称)。

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<アブシンベル大神殿&小神殿>

個人的に印象的だった遺跡は3つありましたが、まずはアブシンベル。実は私自身アブシンベルは何回も訪れていますが、今回は船のデッキから見学することができました。やはり少し離れたところから見るので、大神殿と小神殿を1枚の写真の中に収めることができます。2つ目はカスル・イブリーム遺跡で、ここだけは高台にあったため唯一水没を免れた遺跡です。現在は湖の中にある小島になっていますので、下船できずデッキからの見学となりましたが、かつては半島だったとのこと。そして最後はラムセス2世治世55年を記念して建てられた「獅子の谷」の意をもつワディ・エル・セブア神殿です。入口の手前にスフィンクス参道が残っていますが、ラムセス2世の顔を持つ人面スフィンクスと、おそらくここでしか見ることができないであろうはやぶさの顔(=ラーホルアクティ神)を持つスフィンクスも建っていました。

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<カスル・イブリーム遺跡>

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<はやぶさ顔のスフィンクス>

エジプトのクルーズと言えばナイル河(アスワン~ルクソール)が有名で、クルーズ船も200隻以上あると言われていますが、それに対し、ナセル湖のクルーズ船は未だ7隻のみ。治安も回復し、昨年あたりから世界各国から観光客が戻ってきましたので、今後、ナセル湖畔のヌビア遺跡群も隠れた名所として人気が上昇し、ナセル湖クルーズ船もどんどん造船される、そんな気がしてなりません。(斉藤信)


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2018年12月 4日 (火)

フォトジェニックな青の街 シャウエン(モロッコ)

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<シャウエン旧市街>

先日、「モロッコ大周遊と幻想のサハラ砂漠 14日間」の添乗より帰国しました。モロッコの首都ラバトから観光がスタートし、沿岸地域、山脈を越え砂漠地帯へ。サハラ砂漠の星空と日の出を楽しんだ後、峠を越えて大都市マラケシュを訪問、そしてまた沿岸地域へと戻ってきました。モロッコの様々な顔が見られる旅でした。その中でも近年、日本でも有名になってきたシャウエンの街をご紹介します。

リーフ山脈の中腹に位置するシャウエン(正式名称:シャフシャウエン)の旧市街では、家の壁や道路、階段、水飲み場などすべてが淡い水色から深い青色まで、さまざまな青で塗られています。

シャウエンはポルトガルの侵攻を阻止するため、1471年にシディ・アリ・ベン・ラシッドにより建設され、15世紀から17世紀には、レコンキスタでスペインを追われモロッコにたどり着いたユダヤ人やイスラム教徒が定住、繁栄してきた街です。

壁が青く塗られている理由には諸説あります。

青色が虫よけになるという説。夏の暑さを和らげるという説。そして最も有力なのは、移住してきたユダヤ教徒の人々が「平和の象徴」としてユダヤ人の聖なる色である青で街を塗ったのが始まりで、イスラエルが建国されるとシャウエンにいたユダヤ人のほとんどはイスラエルへと移住していきましたが、街を青色に染める習慣だけが残ったという説です。

いずれにせよ、旧市街に足を踏み入れた瞬間に広がる真っ青な世界は息をのむ美しさ!太陽の光の加減によっても青色の印象が変化します。

また、夜のシャウエンは昼間とは全く違った表情を見せました。

昼間は観光客で賑わっていた街も夜になると一変、現地の人々が大勢街へ繰り出していました。屋台で食事をしたり、カスバ(城塞)の前でパフォーマンスをしていたり。特に印象的だったのは、日本のお通夜ともいうべき儀式が行われていたことです。人が亡くなると親族、友人が集まって歌を歌い、食事を共にし、夜を過ごすそうです。彼らの生活の一部を垣間見ることができた貴重な体験でした。(豊田)


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2018年11月 1日 (木)

チュニジアで街散策に出かけよう!

先日、「チュニジア・サハラ浪漫紀行 10日間」のツアーから帰国しました。チュニジアには立派なローマ遺跡やサハラ砂漠に映画のロケ地、繊細なモザイクなど様々な見どころがありますが、街散策も楽しみの一つです。

まずはイスラム教の聖地ケロアン。メッカ、メディナ、エルサレムに次ぐ第4の聖都で、ケロアンへ7度訪れることはメッカへ一度巡礼するに値すると言われるほど重要な都市です。ナツメヤシのペーストをセモリナ粉の生地で包んで揚げたケロアン名物マクルードを試食しながら、メディナ(旧市街)散策。メッカの聖なる湖に通じていると言われている、ラクダが水をくみ上げる井戸も見学しました。

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<トズールのメディナ>

トズールのメディナは他にない、粘土と土を練って焼いた日干しレンガで建物が覆われています。面白いのはレンガの積み方で凹凸を出し、様々な幾何学模様の装飾が壁に施されていること。この辺りはナツメヤシのオアシスでもあり、固いナツメヤシの幹や枝は柱や天井、梁にも使用されています。
昼食を食べるために寄ったハマメットでのメディナ探訪は、小道の雰囲気が素敵で、多くの芸術家たちが魅了されたのも納得です。

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<シディ・ブ・サイド>

石畳の街シディ・ブ・サイドは、白壁とチュニジアンブルーの窓やドア、そして青空のコントラストはどこを切り取っても絵になります。魔除けのファティマの手や星、太陽、魚と家によって異なるドアの装飾も、間違えてノックしないように気を付けながら写真に収めます。家の窓枠やドアの装飾と同じ模様が可愛らしい、丸い形の鳥籠はおしゃれなインテリアにぴったり。小さなサイズだとお持ち帰りにもベストです。カフェに入って名物の松の実入りミントティーでほっと一息つきながら、ぼーっと景色を眺めるのも贅沢な瞬間です。
最後はチュニジア一の大きさを誇る首都チュニスのメディナ。街の中心にグランドモスクを構えたアラブの街で、周りを取り囲むスーク(市場)には所狭しと物が並び地元の人も観光客も入り交じり大賑わいでした。

どの街がお好みかは人それぞれ。カメラを片手にお気に入りのスポットを探したり、愛らしい猫たちと戯れたり、ずらりと並ぶお土産を前にして値段交渉に精を出したり、カフェでのんびりミントティーを飲んだり・・・。チュニジアの街歩きはいくら時間があっても足りません。(日裏)

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2018年10月25日 (木)

食で楽しむモロッコの旅(モロッコ)

先日、「青の街シャウエンとモロッコ周遊 9日間」の添乗より帰国しました。モロッコと言えばサハラ砂漠、青の街シャウエン、世界複雑な迷路の街フェズなど、様々な魅力が詰まり変化に富んだ国です。今回は、旅の楽しみのひとつである食 モロッコ料理についてご紹介します。

まずは前菜としてよく出されるのが、モロッカンサラダ。さいの目に切られた色とりどりの野菜が美しく盛りつけられています。トマトやきゅうりなど使われている野菜はシンプルですが、レストランによって盛り付けも様々なので、目でも楽しめるインスタ映え(?!)なサラダです。

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次にモロッコ料理で絶対外せないのがタジン鍋料理!とんがり帽子のような独特な形の鍋でお肉やお野菜を蒸す近年日本でもヘルシーで人気の高い逸品です。現地では、毎週金曜日礼拝の後、家族で楽しむ定番料理として親しまれています。ツアー中提供されたのは、鶏肉、人参、じゃがいものタジン。シンプルで素材の味を生かした優しい味でした。

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最後に伝統料理パスティーリャと呼ばれる挽肉やアーモンドが入ったパイ料理です。何と言っても最大の特徴は、シナモンが振りかけられている点です。挽肉の塩味とシナモンの甘味が相まってやみつきになるのが不思議な感覚です。

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モロッコの先住民ベルベル人のベルベル料理が、アラブ諸国、ヨーロッパ、トルコなどの食文化に影響され、現在の形に落ち着いたモロッコ料理。エキゾチックな雰囲気の中、名物料理に異国の味に舌鼓を打った旅でした。(大和田)

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2018年8月16日 (木)

東トルコの大自然と世界でも珍しいオッド・アイの持ち主ヴァン猫

この度、ユーラシア旅行社の「東トルコ・大自然と伝説の大地を巡る 10日間」」より帰国しました。
今回の旅は天候にも恵まれ、トルコ最高峰アララト山がとても綺麗に見えました。

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<アララト山>

アルメニアを旅した方にとってはトルコ側からもアララト山を見たいという想いがあったようです。アララト山のある場所はかつてアルメニアの領土であり、アルメニア人にとっての心の故郷のような存在です。また、19世紀末~20世紀初頭に起きたアルメニア人虐殺など、涙なしでは語れない場所なのです。ここだけに限らず国境地帯では悲しい歴史の話がつきものですね。

東トルコはシリアとの国境が近く、治安を心配される声がありますが、周辺は大自然が広がり、人も少なくとてものどかです。また、各地に検問があり、国を挙げて治安維持に力を入れています。検問では、日本人グループと言うとチラっと覗くだけであっさり終了。こんな辺境地でもトルコの親日家の多さを感じられました。
一度だけパスポートの提示を求められましたが、若い係員が日本人のパスポートを見てみたかっただけのようです。
東トルコにはトルコ最大のヴァン湖もあります。内陸のヴァンから一番近い海でも600㎞近く離れているので、この辺に住む人はヴァン湖をヴァン海と呼び、夏は海水浴を楽しみます。

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<ヴァン湖クルーズ>

塩分濃度が高く、海面はとても濃い美しい青色です。湖沿いをドライブしていると砂浜で作業している人や水遊びをしている人々の姿が見えて本当に海のようでした。

実はヴァンには有名な猫がいます。それが、左右の色が違うオッド・アイの持ち主、ヴァン猫です。白くてふわふわの毛の猫で、生まれたばかりの頃の目は灰色ですが、生後1~2か月の間に色が変わってくるそうです。残念ながら原種は既に絶滅したと言われていますが、ヴァンにある大学のヴァン猫研究所で、この可愛いヴァン猫に会う事ができます。
猫たちは広いスペースで昼寝したり、他の猫と遊んだり、元気に過ごしています。売店に売っているエサを買えば柵の中に入れるのでより近くでヴァン猫の綺麗な目の色を眺める事ができますよ。

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<ヴァン猫>

人懐っこくて元気な猫たち、写真を撮っているとカメラめがけて突進してきたり、写真を撮りたいこちらの気持ちもお構いなく、きょろきょろして落ち着きません。
撮影したい方は、ちょっと眠そうにしている猫がねらい目です。うとうとして何かの拍子に目を開けた瞬間を撮影すれば、綺麗なオッドアイの写真が撮れるでしょう。
くれぐれもフラッシュをたかないようにお気を付け下さいね!(関根)

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2018年8月 7日 (火)

3年ぶりに再開のチュニジアの古代遺跡はやっぱり素晴らしい!!

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<世界遺産古代ローマ遺跡ドゥッガ>

先日「チュニジア・サハラ浪漫紀行10日間」より帰国しました。
3年ぶりに再開したチュニジアツアー。
自らをモザイク国家と称するチュニジア。それは世界最大の古代ローマモザイクコレクションを持つ所以だけではなく、小さな国土に様々な気候・歴史・文化がモザイクにはめ込まれた小さな石のように集まり、チュニジアという国を作り上げているからでもあります。
実際、わずか3時間も走ると周りの景色が緑豊かな田園風景から荒涼とした砂漠へ姿を変えるのです。
7年前のアラブの春の始まりの国チュニジア。政治が良くなったけれども経済が伴わず、なかなか大変という割にはどの町でも優しく暖かく歓迎してもらいました。
そう、チュニジアは複雑な歴史所以か、多様性のある懐深い、世界有数の古くてそして新しい国家なのです。
そのため、語りつくせないくらいたくさんの楽しいことがありました。
というわけで、砂漠方面は次回にして今回は二つのトピックを語りたいと思います。

一つ目は、古代遺跡の素晴らしさです。
チュニジアは3000年前、カルタゴという巨大国家の首都でしたが、古代ローマとの3回に渡るポエニ戦争で滅んでしまいます。
ポエニ戦争はともかく、ハンニバルやスキピオという名を聞いたことがある方もいらしゃるのではないでしょうか。
100年後、ローマのアフリカ属州の首都としてチュニジアは復活を果たします。
この時に起きたのが、オリーブオイルバブルです。
今でも豊かな土壌に等間隔に植えられたオリーブ畑が広がるチュニジア。
古代ローマではもっともっとたくさんのオリーブの木が植えられていたことでしょう。
オリーブオイルは食事にも、美容にも、潤滑油としても使用され、葉は薬に、木材も建築素材として人気でした。
しかも、チュニジア産は質がいい!ということで高値で取引されていたようです。

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<チュニジアの オリーブ畑>

この結果、オリーブ畑の中にあった街、古代ローマ都市のエル・ジェムは人口の3倍近い3.5万人も観戦できる円形闘技場を造ってしまったのです!現存する古代円形闘技場で唯一地上と地下が残る貴重な遺跡で、1800年も前に地下から剣闘士や猛獣がせり上がり登場するリフトシステムが存在していたのです。
客席部分からアリーナを眺めていると、ふと、砂の間から剣闘士が現れて当時の人々の歓声が聞こえてくるような…そんな錯覚に襲われます。
この堂々とした闘技場は時代を下りイスラームの頃は何と城塞の役割も果たし、今でも街で一番の建造物と言っても過言ではありません。

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<エル・ジェム円形闘技場>

それ以外にも世界遺産になった山の斜面に作られたドゥッガは市場に住居、そして浴場・公共トイレに売春宿…計算された街並みを歩いているだけで、人々の生活の声が聞こえてきそうになります。

二つ目はモザイクです。
2世紀から3世紀、古代ローマのモザイク文化は頂点を迎えました。写実的な絵画の様な生き生きした魚や動物、美味しそうな食材からローマ神話の一場面が切り取とられた躍動感あふれるものまで、いついつまでも引き込まれてしまう美しいモザイクの数々はチュニジアの様々な古代ローマ遺跡から発見されました。
私の大好きなバルドー博物館は17世紀のオスマン帝国の総督の宮殿という贅沢な空間に本当に溢れるほどの古代ローマモザイクが展示されています。
その中でもお気に入りはいろいろありますが…今回紹介したいのは「ポセイドンの勝利」に出てくる四季の春を擬人化した女性です。
顔の陰影がとても、なんというかアンニュイで素敵なんです。

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<バルドー博物館 ポセイドンの勝利>

春なので明るい雰囲気なのに、あんまり笑顔ではないところが、逆に春の不安さが出ていて素敵だなぁと思うのです。
この表情を自然の石のみで表現しているのです。
いやはや古代ローマの芸術性と職人の技術に脱帽です。

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<バルドー博物館 ポセイドンの勝利2>

語りつくせない古代ローマの息吹きを国中で感じられるチュニジア。
その魅力に一度でもはまったら…時代をさかのぼったり下ったりしてカルタゴの世界やイスラームの世界へ引き込まれること間違いなしです。添乗員:齋藤晃子

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2018年7月24日 (火)

トルコの今

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<カッパドキアのキノコ岩>

先日、「トルコ物語~東西の十字路 トルコを極める~ 15日間」のツアーより帰国致しました。
ここ数年IS関連によりトルコの治安が不安視されていたため、各国からの観光客もトルコから遠ざかっていましたが、治安も落ち着きを戻し、昨年あたりから観光客が戻ってきました。実は今回のツアー中、世界でも注目されたトルコ大統領選挙が行われていましたが、現地では特にデモ等に遭遇することもなく平穏無事でした。むしろ一部の国民はロシアワールドカップに夢中になっていたかも。また今回再選したエルドアン大統領はイスラム色が濃いことで有名ですが、やはり1923年にアタチュルク大統領によりトルコ共和国が建国して以来の政教分離政策は継続されているため、ほとんどのレストランではビールやワインなどのお酒も飲むことができます。

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<アンタルヤの滝>

そして肝心の観光地はと言えば、私もトルコを訪れるのは6年ぶりですが、首都アンカラ、カッパドキアの奇岩群、地中海岸の町アンタルヤ、パムッカレの石灰棚、トルコ最大の都市イスタンブールなど、あの時とほとんど変わっていませんでした。ただ少し残念だったのが、2015年に世界遺産登録されたことに伴い、エフェソス遺跡の中のトイレが座れなくなってしまったことと、イスタンブールの観光地の一部が修復中であったことです(これは数年前に修復作業が行われる予定でしたが、IS等で国内の情勢が不安定だったので、今年にずれ込んでしまったとのことです)。

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<エフェソス遺跡のトイレ(今は座れません)>

それでもカッパドキアの民家のおもてなし、パムッカレの足湯、丘の斜面を利用して作られたペルガモン遺跡の大劇場、そして私がトルコで一番好きなイスタンブールのガラタ橋のたもとから見た金角湾とその奥にそびえ立つガラタ塔の光景は、懐かしさもありましたが、改めて初めて見た時のよう感動が蘇ってきました。あと1つ思ったのが、日本国内と同様、中国人の観光客が増え、日本人よりも多くなったことです。ただ観光地のお土産屋さんからかけられる言葉、それは「いらっしゃい」、「ともだち」、「やすいよ、たかくない」、「ばざーるでござーる」などの日本語のオンパレード!このうざったさもあの時と同じですが、ただ内心懐かしさもあり嬉しくも思いました。今後彼らがかける言葉が変わらないよう、かつてのように日本人観光客がもっと増えてほしい、そう願ってやみません。(斉藤信)

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<ペルガモン遺跡の大劇場>

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<イスタンブールの金角湾とガラタ塔>

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2018年7月19日 (木)

地中海貿易を制したフェニキア人発祥の地ビブロス(レバノン)

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<ビブロス遺跡>

先日、「レバノン周遊とルーブル・アブダビ 8日間」のツアーから帰国しました。
12年ぶりにツアーを再開したレバノンと昨年11月に開館したばかりのパリのルーブル美術館初の海外別館であるルーブル・アブダビを訪れるツアーです。
レバノンは地中海に面し、周りをシリアやイスラエルに囲まれた小さな国です。国の面積は岐阜県ほどしかなく、その中でイスラム教シーア派やスンニ派、ドルーズ派、キリスト教マロン派、ギリシャ正教など様々な宗教・宗派が政治的にも協力し共存する珍しい国です。それ故に過去には内戦が勃発し情勢が不安定な時期もありましたが、今は治安的にも落ち着いており平和そのものでした。しかしながら、ベイルート市内には弾痕の残った建物も新しい建物の隣に並んでおり、戦争の爪痕も垣間見えます。レバノンと聞くと、そんな記憶に新しい内戦のニュースが思い起こされるかもしれませんが、実はその歴史は古く、8000年前まで遡ります。

今回訪れたのは首都ベイルートより北へ40㎞程のフェニキア人発祥の地として有名なビブロス。紀元前6000年頃から人が住み始め、その後、フェニキア、ローマ、十字軍の時代から現在に至るまで人が継続して住み続けている唯一の都市です。前3000年ごろのフェニキア時代、レバノン杉が多く群生していたカディーシャ渓谷に近かったため地中海貿易の拠点の港として発展しました。レバノン杉は強靭で虫も付きにくく建築材に適していたため、フェニキア人はレバノン杉で建造した船に乗り、主にエジプトなど海外諸国へレバノン杉を輸出。エジプトではレバノン杉がピラミッドの梁や太陽の船、ファラオの棺桶、樹脂がミイラづくりにも使われました。エジプト新王国のファラオ・トトメス3世が遠征を行ったおりに港を訪れ、レバノン杉がエジプトへ滞りなく出荷されるよう取り計らったという記録も残っているそうです。

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<レバノン杉>

また、エジプトからはパピルスを輸入し、ギリシャへ再輸出もしていました。そのため、ギリシャ語でパピルスを意味するブブロスからビブロスと名付けられ、バイブル(聖書)の語源ともなりました。私たちが普段使用しているアルファベットも元はフェニキア文字であり、地中海貿易によってパピルスとともにフェニキア文字が各地へ伝えられ改良されて現在の形となりました。世界最古のアルファベットが刻まれたビブロスの王アヒラムの石棺はこの地で発掘され、今はベイルートの国立博物館に展示されています。他にもエジプトの影響を受けて造られたであろうオベリスクが並ぶ神殿が残り、そこから出土した兵士の青銅像も国立博物館で見られました。

長い歴史を誇る都市がビブロスの他にも点在するレバノンですが、今の時点ではまだ一部は訪れることが叶いません。いずれ全ての地を訪問することが出来るよう、更なる平和が訪れることを祈ります。(日裏)

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2018年5月15日 (火)

多くの旅人が魅了された地、三游洞の断崖絶壁絶景レストラン(中国)

「三游洞の絶景レストランと長江三峡クルーズ6日間」より帰国しました。
長江約6300㎞の本流中流域、美しく、そして雄大な沿岸の景観が楽しめる三峡と呼ばれる三つの峡谷があります。西陵峡、巫峡、瞿塘峡とどの峡谷も素晴らしいのですが、その中の西陵峡、西陵山にある洞窟、三游洞は、その辺り一体の風光明媚な景色で有名です。奥行が約30m、高さが約10mのその洞窟の中で、唐代の詩人白居易、弟の白行、詩人元稹の3人が、一晩中お酒を嗜み、語らい、思い思いに詩を完成させました。三人が遊んだ洞窟というのが、三游洞の名前の由来です。現在はその3人の像が洞窟内にあり、詩文が刻まれた石碑もあります。遥か昔の出来事ですが、3人が詩を読みながら、飲み明かす場面が目に浮かびます。

その三游洞の近くにあるのが、断崖絶壁に位置する絶景レストラン「放翁酒家」。西陵峡を眼下に、中国でおなじみの円卓を囲み、目の前に水墨画の世界が広がる中での食事は格別。地形が入り組み、霧が発生しやすく、曇りがちな天気もこの峡谷にとってはぴったりで、さらに雰囲気を盛り上げてくれます。このレストランでの特等席である、外に突き出ているテラス席にて、少し辛めの湖北省特有の料理を頂きました。このテラス席に行くまでも、絶壁にへばりつく通路を通って、席まで向かいます。手すりがついているので、落ちる心配はありませんが、身を乗り出すと、少し足がすくんでしまいます…。川を挟んだちょうど向かいでは、バンジージャンプやジップラインなどのアクティビティを楽しんでいる観光客の姿も目にします。きれいな景色の愉しみ方は人それぞれです。白居易ら詩人を始め多くの旅人が魅了された地というのも納得がいきます。

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<絶景レストラン「放翁酒家」>

この辺りは三峡ダム建設の影響もかなり受けた地域ではありますが、水位は上昇したものの、景観にほぼ支障はなかったといわれています。しかしながら、現在でも、汚染など周囲の影響について世間を騒がせています。この素晴らしい景観が将来もなくならないことを祈るばかりです。(荒川)

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<絶景レストラン「放翁酒家」からの眺め>

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