2016年12月30日 (金)

「異国情緒溢れる五島列島のクリスマス!!」

先日、「五島列島巡礼の旅 4日間」のツアーへ行って参りました。
今年のクリスマスは3連休ということもあり、大いに賑わったようですね。皆様はどうお過ごしでしたか?私は、一足先に五島列島にてクリスマスを味わってきました。Photo_6

毎年、12月の五島はクリスマスムード一色でとてもロマンチックです。12月発のツアーでは、「クリスマスイルミネーション」と「クリスマスコンサート」鑑賞にご案内させて頂いております。五島列島は大きく上五島と下五島があり、上五島だけでも29もの教会が点在しているのですが、その内の6つの教会で、6夜連続でプロの演奏家達によるクリスマスコンサートが開催されるのです。 私達が訪れたのは、コンサート最終日である青方教会で開催のコンサートです。荘厳な雰囲気の中でコンサートは始まりました。 柔らかく優しい音色のピアノ、明るく透明感があるフルート、太く柔らかく包み込むようなサクソフォンに、伸びやかで艶やかなソプラノが加わり素敵なハーモニーを奏でます。厳粛な雰囲気であった教会内は一変し、幸せな空気に包まれた中で演奏は続きます。 「アヴェマリア」や「蝶蝶夫人」、「ニューシネマパラダイス」等クリスマスらしいナンバーが続き、最後には会場のお客様全員で、「まきびと」や「きよしこの夜」を歌いコンサートは締めくくられました。奏者の五島に対する熱い思いも音楽から伝わり、胸に響くクリスマスコンサートでした。コンサートだけでなく、会場である教会もイルミネーションでライトアップされ、華やかに彩られます。その他の教会も、趣向を凝らしたイルミネーションで飾られます。因みに、2012年に教会イルミネーションが「日本夜景遺産」に認定されてもいますので、一度は是非ご覧頂きたいと思います。 来年のクリスマスは、ロマンチックな五島で過ごすのも良いのではないでしょうか?

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(井手)

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2016年12月 2日 (金)

琵琶湖周辺と若狭の仏さまを訪ねて(滋賀、福井)

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先日、「近江・若狭路 珠玉の仏像めぐり3日間」の添乗より戻りました。まず、今回訪れた場所は、どこかというと、近江の国といえば、そう!滋賀県の琵琶湖周辺。そして若狭とは、かつて日本海の新鮮な海産物を京の都へと運ぶ重要な拠点となった福井県の小浜市周辺です。小浜は古来より大陸からの文化仏教伝来の玄関口であり、近江、京へと繋がっていたことから、この地域には、無数の寺院が今もひっそりと建ち並んでいます。また、琵琶湖周辺では、8世紀に奈良の東大寺から工人たちが工房を築いたことから、仏像がたくさん作られる基盤が出来上がりました。

訪れた11月半ばは紅葉も始まり、穏やかな秋空に恵まれました。旅のスタートは滋賀県大津市にある石山寺から。この寺の創建時に東大寺から多くの工人が招かれたといわれています。今回は、33年に一度という御開扉で、本尊の如意輪観世音菩薩、そして初代本尊の塑像断片、胎内佛像も拝観しました。厳かに、ひっそりと佇むお姿にはただただ圧倒され、言葉も出ませんでした。

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そして、いよいよ、2日目は小浜の寺院めぐりです。人口約3万の小浜市、いずれのお寺も木立に囲まれた静かな場所に建っており、喧噪とはかけ離れた世界で、仏像を見学することができました。国指定の重要文化財であるこれらの仏像の数々を間近で拝観できたこと、ほぼ私たちのグループだけで静かに見学できたことが、一層、仏像との距離を近くに感じさせてくれました。また、美術的にもその美しさ、技術の高さにも見惚れました。どの仏像が、どうだ、こうだ、とは言い切れませんが、妙楽時の千手観音菩薩立像は圧巻です。崇高な雰囲気の立ち姿にマッチ棒程の物も含め本当に千の手が残っています。信仰の対象である大切な仏像は、その多くが写真撮影が禁止されているので、個人個人、目と心に焼き付けました。最終日は琵琶湖北部の小さなお堂や寺へ。地域の人々が代々守っている仏像が多く、その守り人の方にお話しを伺いました。戦国時代、戦火から村人により守られ今に伝わっているというお話や、今もその村で担当者を決めて大事にされている事を知りました。

今回はたくさんの観音様に出会いました。観世音菩薩とは、多くの世の人の話を聞き、悟りの世界と人間の世界の架け橋となってくれる存在だそうです。今から一千年も前の平安時代からこれらの仏像はどれ程の人々の想いを受け止めてきたのか。様々な思いを巡らせます。今まで、全く知らなかった日本のそんな、歴史、宗教文化の一面に触れることができた旅でした。(帯津)

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2016年11月30日 (水)

鉛色の空、鈍色(にびいろ)の海(長崎・五島列島)

先日長崎の「五島列島・巡礼の旅4日間」から帰ってきました。
長崎は安土桃山から江戸時代にかけての250年間の長きに渡り、島原、天草と共に凄まじいキリシタン弾圧の嵐が吹き荒れた場所です。鎖国時代が終わり、明治時代になってからようやくキリスト教信仰が認められ、島の人々は貧しいながらも漁で得た僅かな金を持ち寄り、手作り感溢れる教会を各地に建て始めました。
決して規模は大きくありませんが、日本らしく瓦屋根の木造りであったり、立派に石を積み上げた教会もあれば、優しいパステルカラーで特産の椿や桜の花びらを天井やステンドグラスに描いた教会もありました。
今回の旅では五島列島を小舟で、時にはローカル路線バスを貸切って小さな教会を巡ってきました。
水辺に映る姿が白鳥のような中ノ浦教会
自身がキリスト教徒でもあった遠藤周作はこの五島列島を舞台に、あの怖ろしくて、暗い、悍ましい弾圧の時代に生きた日本人キリシタン達と命懸けで日本に渡って来た司祭を主人公に小説「沈黙」を描きました。主人公のポルトガル人司祭と日本人キリシタンのキチジローの苦悩を通して、真の信仰とは何かと問いた、深いテーマの物語です。実はこの小説、最近ハリウッドで映画化され、2017年1月に公開予定です。「シンドラーのリスト」で主人公を務めたリーアム・ニーソンさんや日本からは窪塚洋介さん、浅野忠信さん、イッセー尾形さんといった俳優陣も出演しています。
小説の中で遠藤周作はあの暗く、恐ろしい時代を表す為に五島の自然を「鉛色の空」、「鈍色の海」と描写しています。あまり聞き慣れませんが「鈍色」とは濃い灰色だそうです。
その小説を読んだ後で島を訪れたので、勝手に「西の果てにある曇天の薄暗い島々」をイメージしていましたが、実際に私が目にした島の風景は全く異なっていました。空き晴れの澄んだ青空からは明るい陽光が降り注ぎ、島は深い緑色の森に覆われいます。海面がキラキラと輝く穏やかな入り江と小さな漁村がいくつも点在している風光明媚な島でした。
そして今回の旅で一番印象的だったのが教会のミサです。
たまたま宿泊した宿のそばに教会があり、ちょうど日曜日の朝にゆとりがあったので教会を少し覗きました。山中にひっそりと佇んでいるような教会でしたが、ミサの時間になると地元の人々が自然と集まり、あっという間に小さな堂内は参列者でいっぱいになりました。女性達は伝統のベールを被っています。信者たちを導く司祭の静かな祈りの声。透き通った清らかな聖歌が堂内に響きます。
長く恐ろしい暗黒時代もくぐり抜けた信仰。
司祭や神父がいなくても、村人達が伝え守ってきた神様の教え。
何気無い日曜のミサで純粋な信仰心を垣間見たような気がしました。(上田)

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2016年10月25日 (火)

秋の高山祭(八幡祭)に行ってきました

先日、「秋の高山祭と長良川鵜飼、郡上八幡 3日間」の旅にいってきました。
毎年10月9日・10日に開催される高山祭は、江戸時代に制作された屋台が主役です。
漆や金箔も施した重要文化財の屋台は雨に弱いため、出発前の雨予報に最悪の事態も想定しつつ出発しましたが、雨は9日の明け方までに降りきり、少々開始が遅れたものの、無事にお祭りは催され、壮麗な屋台を見学することができました。
八幡祭(秋の高山祭)屋台
岐阜県飛騨地方の高山は木材と地下資源が豊富、加賀を睨む立地にあり、江戸時代には幕府の直轄地となりました。
幕府に代々この町を収めた金森氏が追われた頃、春の山王祭、秋の八幡祭の祭り行列に贅を尽くした屋台が登場するようになりました。
豊作を願い感謝する農民の祭りに町人の粋が詰まった屋台が加わり、今では、高山祭は全国的にも有名な祭りです。
現在高山祭には11の屋台があり、春秋それぞれ6つの屋台が登場します。
秋の祭りではこのうちの1つ布袋台がからくり屋台で
江戸時代の最先端技術を施したからくりが今も現役で動きます。
6人の黒子が糸を操り布袋と唐子(からこ)とよばれる小さな2体の人形を動かしますが、
唐子は雲梯をくるくると飛び移ります。
遠くから見ても近くから見てもその仕組みがわからず、江戸時代の職人の技、
これを保存してきた人々の努力、そして今なお動かし続ける現代に受け継がれた術にただただ感心してしまいました。
八幡祭(秋の高山祭)布袋台のからくり
何台もの屋台が八幡宮の参道に並ぶ様は圧巻ですが、各町の蔵からここまで移動させるところも見ものです。車輪は2対ですから、祭囃子を載せたまま狭い路地を曲がるのは大変!
重い屋台を男性たちが梃で少し浮かせて【戻し車】(車輪に対し垂直方向に向いた車輪)を下ろし、本体の車輪を浮かせたまま屋台を回転させます。
近年では、路地にかかる電線もあり、屋台の屋根飾りの形状によっては接触することも。
屋台の上に上がり、電線を避けながら回転の指示をする男性も見え、繊細で力強い祭りの真骨頂を見た気がしました。
(山岸)

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2016年7月22日 (金)

「美しい秘境 知床」

先日、「初夏の世界遺産・知床を極める旅 4日間」へ行って来ました。例年6月末はまだまだ寒い日々が多いのですが、今年は日々快晴で肌が焼けそうな程でした。

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この旅は、知床や道東の大自然を巡るコースで、知床では実際に現地の動植物に触れ合いながら、楽しくトレッキング!特に羅臼湖でのトレッキングはアドベンチャーで、童心に戻ったかのように楽しめるコースです。まず、羅臼湖を歩くには、長靴着用必須なのです。長靴を履いて歩くなんて一体どんなところなのか!?と想像が出来ないでしょうが。。 羅臼湖は、知床国立公園内にある原生林に囲まれており、ぬかるみが多い為、長靴やら長袖が必須なのです。6kmの湖の周囲には5つの沼が点在しており、湿原や森林、高山植物等が楽しめます。トレッキングをスタートし始め、すぐにドロドロのぬかるみに差し掛かり長靴の有り難さを実感!殆どは、森の中の土の道を歩きますが、所々ぬかるみがあります。アップ&ダウンはさほどない緩やかな登りが多いので、初心者の方でも心配ありません。

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五つの沼を二の沼、三、四、五と順々に歩いて行きますが、天候に恵まれれば、羅臼岳や、知床別岳が望めたり、国後島が遠望出来ることもあります。今回は天候に恵まれ、残雪が残る美しい羅臼岳が望め、湖には逆さ富士ならぬ、逆さ羅臼も見ることが出来ました。その他、多くの水芭蕉や桜を始め、様々な植物やお花や、ウグイスの鳴き声やエゾ・赤ガエルやアメンボも泳いでいたりと。懐かしい気持ちに浸りながらゴールの羅臼湖に到着です!正面には、まるでゴールを祝ってくれるかのように包みこんでくれる雄大な知床別岳が望め、達成感と清々しい気持ちで一杯でした。その後は、同じ道を戻ります。知床の絶景を背景に、履きなれない長靴で四苦八苦しながらのトレッキングは忘れられない想い出になるでしょう。他にも、知床五湖や象の鼻までの断崖ウォーキング等もありますが、雄大な知床の自然を堪能しつつ、知床の動植物を探しながらのウォーキングとなり、五感も刺激されるものばかりです。心身共にリフレッシュ出来る知床にてエネルギーをチャージ!(井手)

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2016年6月29日 (水)

沖縄戦の事実にふれる旅

先日、ユーラシア旅行社の国内ツアー「沖縄戦の事実にふれる旅 3日間」に同行させて頂きました。沖縄は、太平洋戦争時、国内最大の地上戦を経験した地です。一般市民も数多く巻き込まれ、沖縄県民の4人に1人が亡くなったといいます。そんな沖縄には、戦跡や戦争資料館が数多く存在します。今回は、読谷村や旧第32軍司令部壕、嘉数高地、摩文仁の丘などを巡りました。
 沖縄には「ガマ」と呼ばれる自然洞穴がたくさんあり、戦時には避難場所や野戦病院として活用されました。

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今回の旅では3つのガマを訪れましたが、その中の、沖縄本島南部にある糸数アブチラガマは内部が整備されており、奥まで見学することができました。糸数アブチラガマはもともと周辺住民の避難所でしたが、戦場が南下するにつれて野戦病院となりました。当時、全長270mのガマ内に600人以上の負傷兵が詰め込まれたといいます。
ガマの天井は岩がむき出しで、高さもまちまちなので、皆でヘルメットを被っていきました。入口からは人工の急な階段が続いており、一段、一段と降りるたびに、黒い布を一枚ずつ被せられているように、みるみる暗くなっていきました。天井が低いところもあり、しゃがみ込みながら階段を降りなければならないところもありました。ガマの中では光の片鱗さえ感じられないので、失明してしまったのではないかと思うほど真っ暗でした。今は何もないガマの中は広く感じられましたが、当時はこの中に600人の患者が横たわっていたのですから窮屈だったことと思います。天井の岩からはぽたぽたと滴が落ちていました。沖縄戦が行われたのはちょうど梅雨の時期、より湿度が高くじめじめとしていたはずです。排泄場所を明確に区切れないため、中は腐臭に満ちており、人間らしい生活とはかけ離れていたと思います。こんなところで、米軍への恐怖に怯えながら暗闇の中何日も過ごしていたなんて、自分の今の生活からはかけ離れすぎていて想像しがたいことでしたが、ガマの一角に、内部で見つかった兵士や住民たちの遺品が集められており、それらの品々があまりにも生活感に溢れ生なましかったため、現実にあったことなのだと思い知らされました。
 その他の訪問地もそれぞれが印象深く、あまりの悲惨さに衝撃を受けることも数多くありました。今回は得るものがとても多いツアーだったと思います。このツアーに同行する機会をくださった、真摯な気持ちでご参加くださったお客様に、心より感謝申し上げます。(佐藤)

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2016年6月16日 (木)

硫黄島3島クルーズに行ってきました(小笠原諸島)

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先日、「硫黄島3島クルーズと小笠原戦跡巡り 6日間」のツアーより戻りました。小笠原の父島、母島へのツアーは数年前から実施しており今ではすっかりお馴染みの人気ツアー。ですが今回は更に南へ約300キロ、硫黄島3島を船で巡る、年に一度だけ小笠原海運が企画する特別便でした。
まずは父島へと向かいました。東京都でありながら、そこへ行くのは決して容易ではない。なぜなら本土とは1000キロ離れており、行く手段は船のみ。所要時間は25時間半!にもなる。日本の裏側、南米のアルゼンチンへ行くのと殆ど変らないのです。25時間・・・、と言っても飛行機の席に座りっぱなしと違い歩き回ることも出来るし、甲板に出れば目の前には太平洋の大海原。思いっきり空気を吸って気分転換。雑魚寝だけれど横になれるのだからビジネスクラス並み?!考え方を少し変えるだけで25時間の船旅もそう悪くはないように思えました。
丸一日船に揺られやっと到着した父島で半日観光の後、再びおが丸に乗船。終わらない船の旅。それもそのはず、今回多くのお客様の目的である硫黄島はまだまだ遠く、2日目も船中泊、そしていよいよ3島クルーズの朝を迎えました。
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硫黄島3島は一般のツアーなどでは上陸することは出来ません。今回のようなクルーズでは、南硫黄島、硫黄島、北硫黄島と1島づつゆっくり案内を聞きながら島を周回していくのですが、やはり一番印象深かったのが硫黄島でした。太平洋戦争終盤において日米双方の激戦となった島。映画「硫黄島からの手紙」の舞台であり、そこで名前を知った方も少なくないと思います。ですがその島は戦争よりずっと以前から硫黄が採れる事から開拓が始まり一時は1000人近い島民の、のどかな暮らしがあったのです。その生活が戦争により一変しました。東京本土から南に1250キロ。サイパン島とのほぼ中間地点に位置している硫黄島は米軍にとって日本本土への足がかりとなる拠点であり、日本にとっては米軍の本土上陸を防ぐ為に守り抜かなければならない島だったのです。米軍の上陸前の海と空からの砲爆撃は数十万発にも及び、摺鉢山の頂上も吹き飛ばし山の形さえ変えたという。大きな海の真ん中の小さな島。遮る物もない島を、海を埋め尽くす位の艦隊に囲まれ、圧倒的な戦力の差に徹底抗戦し1か月以上もの激戦が行われました。想像をはるかに絶する気持ちでいっぱいになりました。船に乗っていた人それぞれに色々な思いがあり、その思いをもって。2度このような事がないように・・・。

献花をしながら、硫黄島の姿を目に焼き付けました。

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2016年5月 6日 (金)

7年に一度の祭!“御柱祭”

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先日、「“御柱祭”(おんばしらさい)観覧ツアー」より戻りました。日本全国津々浦々様々な祭りがありますが、希少なお祭りと言えば長野県の「御柱祭」が挙がるのではないでしょうか。御柱祭は、寅と申の年の7年毎にしか行われません。神事を司る諏訪大社は、全国の諏訪神社の総本社であり、諏訪湖の周辺に上社と下社に分かれ4箇所の境内地を持っています。七年に一度宝殿を建て直し、社殿の四隅にある樅(もみ)の木を立て替えるまでの一連を最大の神事「御柱祭」と言います。

御柱祭は、4月の「山出し」と5月の「里曳き」とがあり、今回のツアーでは、4月の「山出し」の「上社」の観光をしました。まずは、山から直径約1m、長さ約17m、重さ10tにもなる樅の巨木を8本切り出し、約20kmの御柱街道を、人力のみで曳く「曳行(えいこう)」の見学です。丁度、到着すると、タイミング良く御柱が通る所でした。次第に近づくにつれて、掛け声等も大きくなり熱気も帯びてきます。道が埋め尽くされる程多くの人々が掛け声を掛け合いながら巨木を曳きます。上社のみに付いているメデドコという木の先端がV字の部分には若い男性のみ乗ることが出来ます。大きな掛け声と共に旗を右に左にと大きく振り回し、盛り上げます。この日は、強風で砂埃もきつく寒かったのですが、そんなことを微塵も感じさせない程の迫力にただ圧倒されるばかりでした。 そして、翌日はツアーのハイライトとも言える「木落し」です。

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昨日曳行した巨木の御を次々と傾斜約30度の坂から約100m一気に下すのです。迫力ある木落としを今回は有料観覧席からじっくり見学して頂きました。木落としの時間が近づくと、人力のみで引かれた御柱が姿を現し少しずつ坂の手前に出てきます。御柱の前後のメデドコには、氏子達が乗ったまま木を落とすので、振り落とされやしないかと心配になります。御柱の前方が後方より重くなった時に木は一気に坂を滑り落ちるのですが、今回は「あと50㎝!」「あと20㎝!」といった具合になかなか木が下りません。私達も、今か今かとハラハラドキドキの連続で緊張も高まります。そして。。。諦めかけた約20分後のことでした!「ワーッ!!」と轟音のような大歓声の中、砂埃を立てあっという間に下に落ちていきました。ものの10秒間位の事であったと思いますが、私達には、スローモーションのようにも見えました。見学後も、暫くの間は興奮が覚めず祭りの余韻に浸ってしまいました。次のチャンスは7年後!大迫力の祭りは必見です!(井手)

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2016年3月31日 (木)

国境と歴史の島、対馬を訪ねて(日本)

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先日、「魏志倭人伝が息づく島・壱岐と防人の島・対馬 4日間」より戻りました。 ところで壱岐・対馬ってどこにあるの?と思われる方も少なくないと思います。実際、出発の羽田空港にてツアータイトルを大きく書いた看板を持ってお客様を待っている時も、他の団体旅行のお客様からは「これってどこにあるの?」と何度も尋ねられました。

日本地図を広げてみて下さい。 壱岐、そして対馬は九州と韓国の間の海峡に浮かぶ島で、長崎県に属しています(福岡県の北にありますが、実は長崎県なんです)。 そこは手付かずの美しい自然に囲まれた島、と言うだけでなく、日本史の中でも重大な役割を担ってきた島でもあるのです。特に対馬は福岡までは約138kmですが、お隣の韓国までの距離は約50kmという、まさに国境をなす島。古代より大陸から青銅器や仏教などを日本に伝える窓口的な役割を果たし、朝鮮半島との交流も盛んに行われてきました。そんな歴史の宝庫の対馬のガイドさん曰く、「ほとんどのツアーでは半日、もしくは一日観光だけで帰ってしまうお客様も多いです。」とのこと。私達は2泊することにより、南北82km、東西18kmの細長い島を、北の端から南の端まで堪能することが出来ました。

対馬には見所が盛りだくさん。石川の前田家、山口の毛利家と共に日本三大墓地と言われる万松院にある旧対馬藩主・宗家の墓。竜宮伝説の和多都美神社、元高麗連合軍の襲来で戦死した将士の霊を祀る小茂田浜神社、更には対馬にのみ生息する天然記念物ツシマヤマネコとの出会い、そして北の展望台に最南西端の豆酘﨑、などなど。そんな中でハイライト的観光地ではないものの印象に残ったのが西の漕手と万関橋でした。対馬の地図を見ると、南北の二つに分かれた島で、そこを橋で結んだのだと思われがち。でも実際は、もともと一つの島で繋がっていたものを人工的に分断したのだと言うことに、まず驚きました。島が陸続きだった頃、船が東西の海域へ航行するのは大変困難なことで、小舟は東から西へ渡る際、人が引っ張り丘を越えて行き、大船は積荷を降ろし、船を乗り換えたそうです。その場所が西の漕手と言われ、7世紀~9世紀の遣唐使や空海も通ったそう。そんな陸続きの対馬は山地89%で平地が極端に少なく、東西への移動の困難さから江戸時代には対馬藩により大船越を、そして明治時代には万関瀬戸という運河を開削したことで、船が東西の海域を行き来することが容易になったのだと。島を人工的に分断した・・・。岩盤多きこの土地を船も運んだことも大変だが、削り開いたこともどれだけ大変だっただろうか。昔の風景が目に浮かんでくるような、私にはそんな場所でした。(岩間)

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2016年2月23日 (火)

日本有数の豪雪地帯で見る、心温まる灯り

先日、「世界遺産、五箇山・菅沼合掌造り集落ライトアップと越中富山」の添乗に行ってきました。 富山といえば、美味しい富山湾のお魚...を期待していたのですが、何と今年はまさかの「寒ブリ宣言」が行われないという不測の事態に。 でも、そんなこともなんのその。富山にはまだまだ魅力が盛りだくさん。

今回は世界遺産に登録されている「白川郷・五箇山の合掌造り集落」のうち、富山側の五箇山(菅沼集落と相倉集落)を訪れました。 合掌造りとは、日本有数の豪雪地帯ならではの、急こう配な傾斜を持った屋根がある住宅で、冬の間にどんどん降り続く雪を、極力雪降ろしするを減らすように工夫されたことが起こりとされています。現在ではこの昔ながらの合掌造りの家も少なくなってきましたが、相倉集落では23戸、菅沼集落では僅かに9戸が現存し、かつ今なお住宅として使用されています。 周囲の山々も雪化粧の中、勿論、小さな集落にも雪、雪、雪。普段はあまり雪を経験していないこともあり、腰の高さ以上に積もっている雪を見て、少しだけ気持ちが高まりました。ただ、生活している方々の話を聞くと、改めて雪国での暮らしの厳しさを実感しました。

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厳しい冬ですが、我々が訪れた日の夜には、冬ならではの特別なイベントが開催されていました。その名も“雪あかり”。菅沼集落を舞台に、冬化粧をした集落が美しくライトアップされるのです。 幸いにも当日の天気は晴れ!しかも前日に大雪が降ったらしく、状態は万全。あとは暗くなるのを待つばかりです。次第に薄闇が訪れ、ポツポツと家々にあかりが灯り始めました。少し高台にある展望台から、集落全体を見下ろすと、それはもう何とも言えない温かさ。寒い中、必死で帰宅してきた人々が安心する、そんな灯りでした。

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そして忘れてはならないのが立山連峰。観光シーズンはまだ先の話ですが、今回、素晴らしい姿を見せてくれました。富山市内や高岡市内でも勿論見ることが出来ますが、今回訪れたのは、雨晴(あまはらし)海岸。ここは、何と海越しに3,000m級の山々を眺めることができる、世界でも稀な場所。到着すると、普段よりもはっきり見えていたこともあり、多くの人々がカメラを片手に、立山連峰の雄姿に見とれていました。地元の方によると、「こんなに見えることはそうそうない」とのこと。ただただ自然に感謝です。 北陸新幹線開通から、まもなく一年。これまで遠く感じてしまっていた北陸が一気に身近になり、東京を出発して僅か3時間弱で、富山や金沢に行けるようになりました。次は加賀百万石の歴史を感じに出掛けたいと思います。(吉村)

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