2017年8月16日 (水)

一千年もの歴史!雅な世界観にうっとり。(京都、祇園祭)

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先日、「京都祇園祭、宵山・山鉾巡行と貴船の川床料理 3日間」の添乗より戻りました。毎年7月、ひと月に渡って神事、行事が行われる京都の祇園祭。中でも最大の見どころである山鉾巡行は、京都や関西方面にお住まいの方でなくともテレビのニュースなどで見かけたことがある方も多いはず。伝統に従い巡行は前祭り(さきまつり)、後祭り(あとまつり)の2回に分けて行われますが、今回は、巡行の3日前まで行われる「宵山」と「前祭り」をたっぷり楽しみました。

祇園祭の歴史は一千年以上も前、869年に全国的に疫病が流行した為、鉾を立て神輿を送って疫病退散を祈願したのが始まりとされています。時が経つにつれ、山鉾の数、そしてその装飾が豪華に付け加えられていきます。長い歴史の中では、応仁の乱や太平洋戦争などで祭りが中止されたり、火災の被害を受けた山鉾も数々ありましたが、その度に山鉾を有する町の人々の手によって祭りは継続されてきました。

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朝、余裕をもってホテルを出発し御池通りに設置された有料観覧席に到着!やがて、遠くから、お囃子が響いてきました。地元の方によると、その音は「コンチキチン」と聞こえるそうですが、私には言葉には言い表せられない、とても優雅な音色に聞こえました。一番鉾である、先頭の「長刀鉾」がゆっくりと進んできます。目の前に迫った時は、その美しい装飾、精緻な彫刻やエキゾチックな絨毯に目が釘付け。そして、よく見ると総勢20もの囃子方が乗る鉾の中央ではお稚児さんが舞っているではありませんか!今では、お稚児さんが乗るのはこの長刀鉾だけ。(人形の所もある)年毎に、選ばれたお稚児さんは神の代わりとして祭りの期間は様々な決め事があるそうです。大工方から囃子方、引手まで、沢山の人がこの日に向けてどれだけ準備してきたのだろうかと想像します。町によって、山鉾が異なるように、着物や持ち物、お囃子も異なります。そのような山鉾以外の違いも見ていると飽きません。

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こうして、最後の「大船鉾」まで、23基もの山鉾が2時間以上かけて通りゆく絢爛豪華な姿を目の当たりにし、暑さも忘れ夢中になって見入りました。京都府警の発表によると、今年は昨年より3万人多い22万人の人出だったそうです。ツアーでは観覧席で見学しましたので、混乱なく巡行を楽しむ事ができました。前日の夜は宵山で賑わう町を散策しました。ちょうちんに明かりが灯った山鉾も粋なものです。また、山鉾の周りや会所ではその町内の子供たちが粽などを声を張り上げて売っており祭りムードを盛り上げていました。日本三大祭りの一つであり、これ程の長い歴史を誇るこの大きな祭りが私たちの心を惹きつけるは、誇りを持って山鉾に携わる多くの地元の人々によって大切に受け継がれ支えられているからなのだと実感しました。(帯津)

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2017年7月26日 (水)

白神山地で感じる、晴れの森と雨の森

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先日7月2日出発「充実の白神山地ハイキング」の添乗に行って参りました。
白神山地は、青森県と秋田県にまたがる山岳地帯で、その面積は17,000ヘクタールに及びます。ほとんど人為的影響を受けずに残る広範囲に広がる原始的ブナの森が残されていることが評価され、1993年には世界遺産に指定されました。

今回のツアーでは、ブナの森を4日に渡ってハイキングし、じっくり歩いてきました。
まずは、白神山地南麓の秋田県側からスタート。田苗代(たなしろ)湿原では、キスゲのシーズンでした。今年は一面の花という状況ではありませんでしたが、ブナの森に囲まれた湿原にひっそりと咲くキスゲは、清廉な乙女のようでした。

ツアーでは4日間、ブナの森でガイドの方の話に耳を傾けながらハイキングを続けました。ブナは生育が遅く、また水分が多いため、建築資材としては繁用されることはありませんでした。しかし、ブナには特別な役割があります。森の中の天然のダムという役割です。ブナの木々はお互いに絡めながら根っこを地面に張り巡らせます。そうして、土中にしっかりと水分を貯め込んでいます。大雨があっても、ブナの根っこのお蔭でそう簡単に土砂崩れを起こすことはありません。また、約100年かけて立派な成木となったブナは、1本の木に約10トンの水を蓄えているのだそうです。10トントラック1台分の水分とは、ブナの保水力には驚きます。だからこそ、ブナの森にはシットリとした空気が漂い、足元は腐葉土でフカフカとしているのでしょう。

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さて、お天気はというと、梅雨の時期ということもあり、毎日晴れとはいきませんでした。曇っている時もあれば、本降りの時もあり、また、晴れ間が射すこともありました。このようなお天気の移り変わりもまた、自然の営みの一部です。雨の中を歩けば、ブナの大きな葉っぱから枝を伝って根っこへと雨が伝わる様子がわかりました。また、白い靄のかかった森では、まるで幽玄なる世界に迷い込んだような気がしました。そして晴れていれば、木々の葉からこぼれるような日差しを感じました。そのどれも、ブナにとっては生きていくために必要なものです。ブナが貯め込んだ水がやがて川を流れて海に注ぎ込み、その海で育った海の恵みをもって人間が生きています。白神のガイドの方々が、そんな話を情熱的に語っていたのがとても印象的でした。そうして4日の旅を終える頃には、ブナの森がとても愛おしく感じられるようになりました。雨の森、晴れの森、どちらも美しいブナの森に出会えた気持ちで旅を終えました。(斎藤さ)

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2017年7月18日 (火)

“花の浮島”礼文島と知床の自然

 礼文の花
 先日、「クルーズでつなぐベストシーズンの礼文島と知床を歩く」の添乗より戻りました。
クルーズ船“ぱしふぃっくびいなす”で小樽港から3泊の船旅へ。
 北海道のさらに北部。稚内沖に浮かぶ礼文島は、初夏、花々が咲き“花の浮島”と呼ばれます。港では島民の皆さんが、手作り昆布茶でお出迎え。ここからフラワーガイドさんと花を観ながらのハイキングに出発しました。チシマフウロ、レブンシオガマ、オオカサモチ、オオハナウド、センダイハギ、ハイキンポウゲ、エゾカンゾウ、ハマナス、アサギリソウ、ハクサンチドリ、シャク、オニシモツケ、バイケイソウ、ネムロシオガマ、エゾオオバコ、チシマシンレイカなどを観察しながらハイキング。午後には植物園を訪れ特定国内希少種、北海道の天然記念物に指定されているレブンアツモリソウを観察しました。
 翌日は世界自然遺産、知床へ。海と陸とが一体になった生態系と、生物の多様性が認められ、2005年、日本で3番目の世界自然遺産に登録されました。知床五湖フィールドハウスから、ライセンスガイドさんの引率で、五湖全てを堪能する大ループのハイキングに出発。早速ウグイスやアオジの鳴き声が歓迎。ただいま鳥の繁殖期。オスは鳴き声や木をつつく音、羽音でメスにアピールします。花が終わって大きく育ったミズバショウ。開拓期に植えられたトドマツの木。知床の森は広葉樹も針葉樹も入り交じった針広混交林です。キビタキの声、昔は鉛筆に使われていたイチイの木、アカハラの声、ヤマブドウのツルが絡み付いた木にはヒグマの爪痕。ヒグマは木登りが上手で、ぶどう狩りをしたようです。
5湖ではルリイトトンボが飛び、ネムロコウホネが湖から咲いていました。4湖のほとりにはツタウルシ、サルナシ(=コクワ、実はキウイのよう)、ギンリョウソウ、ミズナラの木(昔ニッカウイスキーで樽の材料にしていました)にツリガネダケ。雪解け水でできた通称3.5湖にはエゾアカガエルを食べにシマフクロウがやってきます。ガイドさんのご自宅にも稀にシマフクロウが現れるそうです。羽を広げると全長2mにもなり、まるで畳が飛んでいるように見えるとか。3湖そばには、かつて知床五湖の象徴だったミズナラの木の倒木。再びミズバショウの繁殖地、クマもヒトも食べませんが、エゾシカが食べます。2湖越しに次第に雲が晴れて見えてきた知床連山。羅臼岳、三ツ峰、サシルイ岳、オチカバケ岳、硫黄山、新噴火口が並びます。
 巨大なキツツキ、クマゲラの開けた穴。穴を開けた後、長い舌で中の虫を食べますが、舌は木を突くときに脳を守るクッションの役割も果たすそうです。突いて開けた穴の形が舟に似ていることから、アイヌの人々は“舟の掘り方を教えにきてくれた神様”と呼ぶそうです。
寝ている間に次の目的地へ。クルーズの旅が快適なことは言うまでもありませんが、ぱしふぃっくびいなすは日本クルーズ客船が運航するだけあり、船員も皆日本語ができ、船内生活には一切不自由がありませんでした。 (尾崎)

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2017年6月30日 (金)

海の底へと沈んでいった多くの命(沖縄)

本日は海外の話題ではなく、日本国内の大切な、でも少し暗いテーマを。

6月23日沖縄の慰霊の日、テレビや新聞で多くの人が犠牲者を悼んでいるを見ながら、私も人生で初めて、当日に沖縄に向けて静かに黙祷を捧げました。そうさせたのは、先日「沖縄地上戦の事実に触れる旅3日間」のツアーより戻ってきたからです。

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今から72年前の4月1日米軍が本島上陸した読谷村の見学からツアーは始まり、首里陥落から撤退、そして本島南部・組織的戦闘が終わった6月23日の摩文仁の丘までを巡る決戦の時間軸の添った濃い3日間でした。その中でも、那覇市内にある「対馬丸記念館」では、体験者の方の語りを聞くことができ、貴重な時間を過ごしました。

1944年7月にサイパン島で日本軍は全滅し、大本営は沖縄が戦場になる日が近いと読み、県民のお年寄りや女性そして子供を船で県外へ疎開させるように指示をしました。1944年8月22日その疎開船の1隻対馬丸には学童、一般合せて1661名の疎開者が乗船したにも関わらず、夜22時過ぎ、米軍の魚雷攻撃を受け、わずか10分足らずで沈没し、分かっているだけで1482名が犠牲になった(データは今も更新されています)惨劇、対馬丸事件。

今回の語り部の方は、一般疎開でお母様、お姉様と一緒に対馬丸に乗船し、たった4歳で生き残ったという男性でした。

「4歳ということもあり、鮮明には覚えていません。船が沈没する瞬間「飛び込めー」「早くしろー」という怒号が今も聞こえてくる気がします。そして海に投げ出された後、醤油樽につかまったお母さんと自分、お母さんは「お姉ちゃんを探してくる」と言って樽を離して泳いで行ってしまい、それきり見ていないんです。だから、小さい頃から「お母さん」と発した記憶がないんですよ。」

空腹の中、数日間海を彷徨い、奇跡的に漁船に救助されたご本人。それから九州を転々として沖縄に戻ったのは7年後だったとのこと。そして、事実を伝えてはいけないという「箝口令」が二重に生存者たちを苦しめました。本島に残った家族は音沙汰ない子供たちの安否を心配し、生き残りの人たちは自分の不安を誰にも伝えられない-。
対馬丸記念館のフロアには亡くなった方の写真展示があり、語り部の方のお母様やお姉様のお写真も紹介してもらいました。

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沖縄県民の4人に1人が亡くなったと言われる軍民一体で戦った本土決戦、戦没者は前述の対馬丸の犠牲者を含めて20万人以上。決して忘れてはならない、繰り返してはならない史実を勉強した3日間でした。

旧海軍司令部壕で読んだ大田実海軍司令官の有名な訣別電報
「沖縄県民カク戦エリ、県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」
(=沖縄県民はこのように戦いぬいた。県民に対し、今後、特別の配慮をお願いしたい)

戦後、本当にご高配が賜られているのか・・・米軍の訓練機が轟音をたてて飛ぶ沖縄の空を眺めながら考えました。(坂岸)

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2017年6月13日 (火)

約250年守り抜いた信仰心の継承(長崎・五島列島)

5/18発「五島列島巡礼の旅4日間」の添乗に行って参りました。

ホテルマルゲリータから五島灘の風景

私にとっては日本における1549年からのキリスト教の布教や豊臣秀吉による伴天連追放令から禁教、弾圧、踏絵などを、日本史の授業で習ったけれど、深く掘り下げず済ませてきてしまった歴史の一部分でした。教科書にしてみたらわずか1ページほどの出来事でまとめられていることが、その歴史に踏み込んでいくとなんと痛ましく、悲しくも想像を超える驚異的な出来事だったことに衝撃を受けました。「1614年の全国への禁教令の発布から1865年の大浦天主堂にての潜伏キリシタン発見までの約250年。弾圧から逃れ信仰を守り抜いた。」と一文で終わらせてしまえばそれまでですが、現地を訪問し、3世代近くもの間、国からも世間からも非難と差別、命の危険にさらされながら、自分の信じるものを守り通したことや世代から世代に話しつがれた欧州の司祭、宣教師や想像だけのものであった教会を長崎で目にした五島からの潜伏キリシタンの人たちの心境はいかばかりだったかを想像すると胸を締め付けられました。禁教が解かれてからも貧しい信徒の方々が漁をしてのわずかな稼ぎと自分達が建設の労働に従事することで教会を建てられたという話などを聞きながらあちこちの教会を巡っていく内に、人々の念願の想いが凝縮して出来た教会ひとつひとつが素朴ながらも尊いものに見えました。いまこの五島を新しい世代の人が新しい形で観光アピールをしています。そうした活動の中でも過去の歴史を大切に大切に思う心が積極的な言葉ではなく、現地の人の優しい謙虚なオーラから感じられました。

久賀島の木造・旧五輪教会

本場ヨーロッパのような巨大な教会はひとつも五島にはありません。素朴な造りの教会、素朴ながらも本場に負けない交差ヴォールド天井や柱頭飾りがついた列柱の内装、日本建築を取り入れた教会などなど。小さな島国日本・・・ではなくここ五島だからこその教会。ヨーロッパのような巨大さによって圧倒もさせず、豪華絢爛ではないけれども、守り通した信仰と強い精神、謙虚でいて美しい五島の信徒の方々を象徴した教会は、ほっこりして温かみを感じさせられました。失礼かもですが、そう思ったのも教会が平屋でいて日本家屋的な造りから、自分が生まれ育った昭和初期の木造家屋に重なって、自分の家にも近いようなものを感じさせられたのもあるかもしれません。
また私事になりますが、不思議なことに、この添乗から帰国しましたら、4月から重だるかった5月病のような体の不調と気分の沈みがカラリと治りました。島の雰囲気や空気の良さ、優しい現地の方たち、素晴らしい景観、教会群、美味しい料理の要因も考えつつ、ちょっとなにかしらの病を癒す奇跡を頂けたかなと感じずにはいられませんでした。(高橋)

野崎島・旧野首教会

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2017年6月 8日 (木)

ドッキドキの橋渡り(徳島・祖谷)

先日、「阿波の絶景、大歩危・小歩危 祖谷とこんぴら参り 3日間」より戻りました。
徳島・鳴門では世界最大のうずしおを“渦の道”渦上45メートルの海の上、下を覗きながら歩いたり、奇岩の間、大歩危峡を川の流れにのって遊覧船。香川の琴平では讃岐の金刀比羅宮、こんぴらさんを参拝。うどんのいい匂いを嗅ぎ、讃岐平野の景色を眺めながらの思い出の785段。本当に実りの多い3日間でした。

その中で最も印象深かったのが奥祖谷の二重かずら橋でした。
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昔、平家一族が馬場での訓練に通う為に架設した橋は追ってから逃れる平家の落人が楽に切り落とせるようにシラクチカズラで編んで作られたそうな。観光地としても有名な祖谷のかずら橋。ここより更に奥へ奥へとバスを走らせること約1時間。先ほどまでいた他の観光客の方はどこへ行ったのだろうか?静まり返った森の中からは鳥の鳴き声と川の音だけが聞こえてくる。奥祖谷にも残るかずら橋は一方通行で渡るかずら橋と違い男橋、女橋の二重かずらだけでなく、野猿と呼ばれるロープを自分の手で引っ張り対岸へ移動する人力ロープーウェイなるものもあるのです。下はすけすけ。橋の間隔では大人は絶対に落ちることはないからと言われても足がびくびく腰はひける。皆でキャーキャー言いながら
2本の橋を渡り最後は野猿も挑戦!と、空気が澄みきった自然の中で童心に戻って楽しむことができました。

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奥祖谷が印象に残った理由の一つに二重かずら橋近郊にある“かかしの里”の影響も大きかったと思います。最近テレビでも放送されていたかかしの里。もともとは畑にくる野生動物を追い払う為に作り始めたそうだが今では住人?畑仕事をするかかし、バス停で待つかかし、結婚式をあげているかかし・・・。今にも動き出しそうな、お喋りする声が聞こえてきそうな、メルヘンな空間。愛情いっぱい注がれた、かかし里はそんな場所でした。(岩間)
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2017年5月19日 (金)

快適24時間、船の旅(小笠原)

小笠原丸
先日、「父島・母島2島充実滞在、小笠原の海・陸大自然 10日間」より戻りました。
東京都でありながら本土とは1000キロ離れた小笠原。「丸一日船に乗るの?」「船以外に他に行く方法はないの?」これまで聞かれたことは数知れず。航空路がない小笠原へは観光客はもちろん島に住む島民の足として、また物資輸送の手段として活躍するのがおがさわら丸なのです。独自の進化を遂げてきた貴重な動植物やボニンブルーの美しい海など山にも海にもその見所はつきない小笠原。そろそろ北の海に戻ってしまうザトウクジラも私たちの期待に応え潮吹きからブリーチ、水中集音マイクでクジラの歌まで聴けると言う特典?付きでした。魅力溢れる小笠原、しかしそこには行く為には、1000キロ・24時間船の旅!は必要不可欠なのです。
去年6月に2代目おがさわら丸よりバトンを受け継いだ3代目。2代目は何度か乗船しましたが新造船は初めてということもあり船の長さを憂鬱に思うよりワクワクする気持ちがあっさり勝利。間もなく就航1年が経過しますが船内はまだまだ新しく、何もかもがキラキラしていました。
展望ラウンジやお店も充実。船内散策を終え少し休憩、と寝室へ。ここに以前と比べ段違いの変化がありました。かつてのツアーで使っていたおがさわら丸の2等和室は雑魚寝部屋。マットに寝ころぶと頭のすぐ上、足元に、また右に左に寝返りをうっては知らぬ殿方のお顔や足が目の前に・・・。
さすがに「おぉっ」と一瞬なります。直立不動の寝姿で天井を仰ぐ。そこで添乗員の特技でもある“枕が変わってもどこでも寝られる”を有効活用したため夜はぐっすりでした。などと言っているものの実際私はあまり気にしておらず雑魚寝も今となっては良い思い出だなぁとしみじみ。3代目の2等寝室にもできた仕切りだけでゴロンとした時のホッと感に「あぁ、やはりこんなにも違うのだな」と感じました。一番重要なプライベート感、かなり充実です。少しは小笠原までの距離が縮まったのではないでしょうか?!(岩間)

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2016年12月30日 (金)

「異国情緒溢れる五島列島のクリスマス!!」

先日、「五島列島巡礼の旅 4日間」のツアーへ行って参りました。
今年のクリスマスは3連休ということもあり、大いに賑わったようですね。皆様はどうお過ごしでしたか?私は、一足先に五島列島にてクリスマスを味わってきました。Photo_6

毎年、12月の五島はクリスマスムード一色でとてもロマンチックです。12月発のツアーでは、「クリスマスイルミネーション」と「クリスマスコンサート」鑑賞にご案内させて頂いております。五島列島は大きく上五島と下五島があり、上五島だけでも29もの教会が点在しているのですが、その内の6つの教会で、6夜連続でプロの演奏家達によるクリスマスコンサートが開催されるのです。 私達が訪れたのは、コンサート最終日である青方教会で開催のコンサートです。荘厳な雰囲気の中でコンサートは始まりました。 柔らかく優しい音色のピアノ、明るく透明感があるフルート、太く柔らかく包み込むようなサクソフォンに、伸びやかで艶やかなソプラノが加わり素敵なハーモニーを奏でます。厳粛な雰囲気であった教会内は一変し、幸せな空気に包まれた中で演奏は続きます。 「アヴェマリア」や「蝶蝶夫人」、「ニューシネマパラダイス」等クリスマスらしいナンバーが続き、最後には会場のお客様全員で、「まきびと」や「きよしこの夜」を歌いコンサートは締めくくられました。奏者の五島に対する熱い思いも音楽から伝わり、胸に響くクリスマスコンサートでした。コンサートだけでなく、会場である教会もイルミネーションでライトアップされ、華やかに彩られます。その他の教会も、趣向を凝らしたイルミネーションで飾られます。因みに、2012年に教会イルミネーションが「日本夜景遺産」に認定されてもいますので、一度は是非ご覧頂きたいと思います。 来年のクリスマスは、ロマンチックな五島で過ごすのも良いのではないでしょうか?

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(井手)

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2016年12月 2日 (金)

琵琶湖周辺と若狭の仏さまを訪ねて(滋賀、福井)

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先日、「近江・若狭路 珠玉の仏像めぐり3日間」の添乗より戻りました。まず、今回訪れた場所は、どこかというと、近江の国といえば、そう!滋賀県の琵琶湖周辺。そして若狭とは、かつて日本海の新鮮な海産物を京の都へと運ぶ重要な拠点となった福井県の小浜市周辺です。小浜は古来より大陸からの文化仏教伝来の玄関口であり、近江、京へと繋がっていたことから、この地域には、無数の寺院が今もひっそりと建ち並んでいます。また、琵琶湖周辺では、8世紀に奈良の東大寺から工人たちが工房を築いたことから、仏像がたくさん作られる基盤が出来上がりました。

訪れた11月半ばは紅葉も始まり、穏やかな秋空に恵まれました。旅のスタートは滋賀県大津市にある石山寺から。この寺の創建時に東大寺から多くの工人が招かれたといわれています。今回は、33年に一度という御開扉で、本尊の如意輪観世音菩薩、そして初代本尊の塑像断片、胎内佛像も拝観しました。厳かに、ひっそりと佇むお姿にはただただ圧倒され、言葉も出ませんでした。

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そして、いよいよ、2日目は小浜の寺院めぐりです。人口約3万の小浜市、いずれのお寺も木立に囲まれた静かな場所に建っており、喧噪とはかけ離れた世界で、仏像を見学することができました。国指定の重要文化財であるこれらの仏像の数々を間近で拝観できたこと、ほぼ私たちのグループだけで静かに見学できたことが、一層、仏像との距離を近くに感じさせてくれました。また、美術的にもその美しさ、技術の高さにも見惚れました。どの仏像が、どうだ、こうだ、とは言い切れませんが、妙楽時の千手観音菩薩立像は圧巻です。崇高な雰囲気の立ち姿にマッチ棒程の物も含め本当に千の手が残っています。信仰の対象である大切な仏像は、その多くが写真撮影が禁止されているので、個人個人、目と心に焼き付けました。最終日は琵琶湖北部の小さなお堂や寺へ。地域の人々が代々守っている仏像が多く、その守り人の方にお話しを伺いました。戦国時代、戦火から村人により守られ今に伝わっているというお話や、今もその村で担当者を決めて大事にされている事を知りました。

今回はたくさんの観音様に出会いました。観世音菩薩とは、多くの世の人の話を聞き、悟りの世界と人間の世界の架け橋となってくれる存在だそうです。今から一千年も前の平安時代からこれらの仏像はどれ程の人々の想いを受け止めてきたのか。様々な思いを巡らせます。今まで、全く知らなかった日本のそんな、歴史、宗教文化の一面に触れることができた旅でした。(帯津)

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2016年11月30日 (水)

鉛色の空、鈍色(にびいろ)の海(長崎・五島列島)

先日長崎の「五島列島・巡礼の旅4日間」から帰ってきました。
長崎は安土桃山から江戸時代にかけての250年間の長きに渡り、島原、天草と共に凄まじいキリシタン弾圧の嵐が吹き荒れた場所です。鎖国時代が終わり、明治時代になってからようやくキリスト教信仰が認められ、島の人々は貧しいながらも漁で得た僅かな金を持ち寄り、手作り感溢れる教会を各地に建て始めました。
決して規模は大きくありませんが、日本らしく瓦屋根の木造りであったり、立派に石を積み上げた教会もあれば、優しいパステルカラーで特産の椿や桜の花びらを天井やステンドグラスに描いた教会もありました。
今回の旅では五島列島を小舟で、時にはローカル路線バスを貸切って小さな教会を巡ってきました。
水辺に映る姿が白鳥のような中ノ浦教会
自身がキリスト教徒でもあった遠藤周作はこの五島列島を舞台に、あの怖ろしくて、暗い、悍ましい弾圧の時代に生きた日本人キリシタン達と命懸けで日本に渡って来た司祭を主人公に小説「沈黙」を描きました。主人公のポルトガル人司祭と日本人キリシタンのキチジローの苦悩を通して、真の信仰とは何かと問いた、深いテーマの物語です。実はこの小説、最近ハリウッドで映画化され、2017年1月に公開予定です。「シンドラーのリスト」で主人公を務めたリーアム・ニーソンさんや日本からは窪塚洋介さん、浅野忠信さん、イッセー尾形さんといった俳優陣も出演しています。
小説の中で遠藤周作はあの暗く、恐ろしい時代を表す為に五島の自然を「鉛色の空」、「鈍色の海」と描写しています。あまり聞き慣れませんが「鈍色」とは濃い灰色だそうです。
その小説を読んだ後で島を訪れたので、勝手に「西の果てにある曇天の薄暗い島々」をイメージしていましたが、実際に私が目にした島の風景は全く異なっていました。空き晴れの澄んだ青空からは明るい陽光が降り注ぎ、島は深い緑色の森に覆われいます。海面がキラキラと輝く穏やかな入り江と小さな漁村がいくつも点在している風光明媚な島でした。
そして今回の旅で一番印象的だったのが教会のミサです。
たまたま宿泊した宿のそばに教会があり、ちょうど日曜日の朝にゆとりがあったので教会を少し覗きました。山中にひっそりと佇んでいるような教会でしたが、ミサの時間になると地元の人々が自然と集まり、あっという間に小さな堂内は参列者でいっぱいになりました。女性達は伝統のベールを被っています。信者たちを導く司祭の静かな祈りの声。透き通った清らかな聖歌が堂内に響きます。
長く恐ろしい暗黒時代もくぐり抜けた信仰。
司祭や神父がいなくても、村人達が伝え守ってきた神様の教え。
何気無い日曜のミサで純粋な信仰心を垣間見たような気がしました。(上田)

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