2017年11月15日 (水)

蘭州・炳霊寺石窟で中国仏教を味わう(中国)

先日「遙かなる河西回廊への道 11日間」より帰国しました。

河西回廊とは、シルクロードに東端に位置する蘭州から敦煌までの間を指します。黄河の西の細長く延びた路ということで河西回廊(河西走廊)と呼ばれます。今回のツアーでは河西回廊をバスで走破しました。

河西回廊の始まりの地・蘭州で私たちは炳霊寺を訪れました。

当ツアーでは莫高窟など中国仏教の史跡を存分に巡ります。

ただ炳霊寺石窟は、他の石窟と異なる部分があります。

それは船に乗らないとたどり着けないことです。

まずは蘭州市内から黄河沿いに、蘭州郊外の炳霊寺へ向かう船着き場まで行きます。

船着き場で、小型のモーターボートに乗り黄河をせき止めた劉家狭ダムを渡り30分、

炳霊寺石窟に到着します。

炳霊寺

炳霊寺

炳霊寺石窟は奇岩に囲まれています。その風景はまるで桂林のようです。

炳霊寺の「炳霊」とは、チベット語で十万仏を意味します。

石窟の造営は約1500年前に始まりました。北方の鮮卑族が最初に屈を開き、清の時代まで約1000年に渡って造営が続けられました。

黄河の北岸の切り立った崖に、全長2km、上下四層にわたって合計183ヶ所の石窟が

掘られました。唐代の石窟が最も多く、3分の2を占めています。

以前は、炳霊寺の前を黄河の本流が流れていましたが、1970年代にダムを建設し

黄河の本流の流れを人工的に変えたために、一部下にある石窟が水没してしまいました。

仏像の顔立ちやただずまいが、インド様式であったり中国様式であったり、掘られた時代によって特徴がすこしずつ変化する様子を見ることができます。


一番迫力があるのは、なんといっても高さ27メートルある171窟の唐時代の大仏です。

この石仏は後ろの山に直接掘られています。

炳霊寺

ご覧の通り、石窟は中心地から離れていてかつ険しい場所にあるため、他宗教による破壊や探検家たちの盗掘から逃れることができました。今日も西安や敦煌と比べると訪れる観光客は少なく、ほぼ貸し切り状態で石窟観光を行いました。

これらの石仏は1000年以上、王朝の興亡を見つめてきたと思うと胸が躍ります。

中国の歴史も自然も同時に満喫することができました。

もう少し石仏と時間を共に過ごしたいと名残惜しくも、再びボートに乗り劉家狭ダムを渡り、炳霊寺石窟を後にしました。(白井)

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2017年11月 2日 (木)

地獄と天国?!トルクメニスタンの魅力!

 先日、「地獄の門とトルクメニスタン8日間」のツアーから帰国しました。お天気にも恵まれ、朝晩は冷え込みしたが、昼は20度ほどと過ごしやすい気候でした。トルクメニスタン自体、日本ではあまり知られておらず、知っていても独裁体制の政治の為、中央アジアの北朝鮮と言われていたり、なんだか恐ろしい国ではないかと思われてしまいます。しかしながらトルクメニスタンには、シルクロードファンも唸るような古代の遺跡、絶景ファンなら行ってみたい地獄の門などまだまだ未知なる魅力がたくさんあります。
 今回のツアーでは、絶景で話題の地獄の門へ行って参りました。道中は比較的舗装されていますが地獄の門自体は砂漠の中にある為、最後は道なき道を走り、大迫力の地獄の門へ。宿泊施設は近くに何もないのでテント泊。夕食はユルタ(中央アジア版ゲル)にてケバブや野菜など。外で食べるとよりおいしく感じます。夜、暗くなったら満天の星空。そして、再び真っ暗の地獄の門へ。真っ暗だとさらに迫力が増し、轟々と燃える炎に目が放せません。あっという間に時間が過ぎてしまいました。
 地獄の門が出来たのは、1970年、ソ連政府が天然ガスの採掘をしていたところ、落盤事故が置き、天然ガスが漏れ出すようになり、放っておくと家畜の健康被害が出たため、火をつけガスが漏れないようにしたためです。ですので、天然ガスがある限りは燃えていますが、いつかは枯渇し、見られなくなる可能性のある絶景なのです。火がついて約45年もたちますが、現在は消えそうにないほど活発に燃えていました。
また、地獄の門へは夜だけでなく、日の出の近くの時間もお勧めです。だんだんと空が明るくなり、周りの風景も見え始め、日の出もきれいに見られました。

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 朝晩、地獄を楽しんだ後は、首都アシハバードへ。砂漠地域とは全く違い、非常に近代的な街並み。真っ白な大理石の建物が700棟以上あり、世界一大理石の建物が多い町としてギネスブックにも載っています。初代大統領ニヤゾフの時代に天然ガスで得た財源で、街が大理石に生まれ変わりました。また、大理石だけでなく、天然ガスの恩恵は市民の生活にも還元されており、水、電気、ガス全て無料!!中でも、電気は天然ガスで発電しているそうで、街中のネオンにも贅沢に使われています。夕方暗くなると、とたんに街がネオンでいっそう明るく輝きだすのです。少し高台から見下ろすと100万ドル?!には少し及びませんが、すばらしい夜景が見られました。町のネオンにゴミ一つ落ちていないきれいな道路、そして大理石の建物・・・アシハバードの夜は天国のようでした。(杉林)

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2017年10月31日 (火)

黄金に輝く馬、アハルテケ(トルクメニスタン)

先日、「中央アジア大周遊 15日間」の添乗より帰国致しました。
今回は4か国、ウズベキスタン・トルクメニスタン・カザフスタン・キルギスを周るツアーです。
その中でも印象に残ったのは、トルクメニスタン。
遺跡や博物館だけでなく、トルクメニスタンの至るところで見ることが
出来る馬の像が興味深いです。これはアハルテケという種類で、トルクメニスタンが原産国です。
トルクメニスタンの国章にも使われていて、国が誇る馬なのです。
スピードと持久力を兼ね備えており、且つ、過酷な気候にも適応できるため、中国の歴史上で有名な、血の汗を流し1日に千里(約500km)走る名馬「汗血馬」ともいわれています。
ツアーでは、アハルテケを競走馬に育てるための厩舎を訪れます。
ここでは、実際に馬たちが動いているところを見ることができます。
実際に見てみると、毎日3時間みっちり鍛え上げられている馬たちが光輝いてみえるのです。
これは、アハルテケ特有の光沢を含む毛色が、太陽に反射することで、そのように見えるのだそうです。
室内で見るのと、屋外で見るのでは、全く違います!
ツアー後半は、気温も下がり、木々が黄色や赤に染まり始めていたので、日本よりも一足先に秋を感じることが出来た中央アジアの旅でした。

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2017年10月24日 (火)

ウズベキスタンの古代仏教都市テルメズ訪問。故加藤九祚先生の功績にも触れました。

 先日、「テルメズの仏教遺跡とウズベキスタン周遊」の添乗より帰国致しました。世界遺産ヒワ、ブハラ、サマルカンドの素晴らしさは多くの方がご存知かと思いますが、この旅のハイライトは何と言っても仏教遺跡で有名なテルメズ。ウズベキスタン最南の街で、アムダリヤ川の対岸はアフガニスタンです。アレクサンダー 大王時代に遡る歴史を持ち、2002年に街の創立2500年を迎えました。
テルメズのファヤズテペ
 かの玄奘三蔵もインドへの旅の途中にこの地を通りました。大唐西域記には「伽藍は十余箇所、僧徒千余人」と書かれており、玄奘が旅した7世紀前半にはテルメズの地が一大仏教都市であったことがわかります。
 そんなテルメズですが、実は日本と大きな関わりがあります。テルメズの仏教遺跡発掘には日本人、加藤九祚先生が大いに貢献されたのです。遠い日本からやってきて発掘に専念する加藤先生の姿勢、深い考古学的知識、ウズベキスタンという国に対しての敬意・理解が認められ、2002年にウズベキスタンの大統領から直々に友好勲章が授与されたほどです。
 「発掘しながら、パッタリ死にたい」と仰っていた加藤先生は、2016年9月発掘作業中に倒れ、テルメズの病院で亡くなりました。加藤先生の訃報に際してウズベキスタン政府は「国民にとって大きな損失」と哀悼の意を表明し、大きく報道されました。テルメズの考古学博物館を訪問した際には加藤先生の功績を讃える特別展も開かれていました。
 ツアーで訪れるカラ・テペの北丘では加藤先生の発掘した巨大な仏塔を雨から守るため屋根が設けられていました。ここではストゥーパの中にシリンダーのようにストゥーパが入っている、入れ子状の珍しいものが発見されました。また、立正大学の発掘チームの方々が先生の遺志を継いで発掘にあたられていて、発掘の進行状況を伺えるという嬉しい偶然もありました。最後にタシケントの歴史博物館で加藤先生がフォヨズ・テペで発見した三尊仏を見学し旅の締めくくり。いつかアムダリア川の向こうアフガニスタンの治安が落ち着き、さらなる仏教遺跡をご案内できる時が待ち遠しく思えます。
(尾崎)

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2017年10月10日 (火)

収穫の秋!新彊ではフルーツが盛りだくさん(中国・新彊ウイグル自治区)

先日、「南疆鉄道乗車と新疆シルクロード物語15日間」のツアーより帰国しました。

今回訪れた新疆ウイグル自治区は中国の最西に位置しており、かつてシルクロードの交易路として栄えました。
このツアーはウルムチからトルファンへ天山南道を進み、タクラマカン砂漠を縦断した後は西域南道を巡る西域シルクロード制覇の旅です。

カシュガル老街の道脇に置かれたスイカ

石窟寺院、タクラマカン砂漠縦断と見どころ満載ですが、今回印象に残ったのは何と言っても旬の果物。8月下旬に収穫を迎えたばかりの採れたてのスイカやハミ瓜、ブドウがバザール、露店に並びます。
砂漠で果物が育つの?と思われるかもしれませんが、新疆は1日の寒暖差が大きく、日照時間も長い上、天山山脈や崑崙山脈の雪解け水が貢献し、果物がより一層美味しく育ちます。
他の地域から来た中国人が両手に沢山の果物を抱えて飛行機に乗り込む様子を見ると、やはり新疆の果物は中国人にも大人気のよう。

それもそのはず、なんてたって安い!程よい甘さでさっぱりと美味しい!大きなスイカやハミ瓜が丸ごと1個100円~200円程で購入できます。

ハミ瓜
ハミ瓜とはメロンに似た果物で、縦長のラグビーボールの様な形をしています。味は日本のメロン程は甘くなく、さっぱりとした程よい甘さでシャキシャキとした食感がクセになります。
暑い中観光した後のデザートで出てくるみずみずしいハミ瓜は体に染みわたります。

新疆に住むウイグル族はナンをスイカやハミ瓜などと一緒に食べるのがおやつの定番。
スイカは半分に切り、真ん中を掘るように食べ進め、くり抜いた部分にナンを浸して食べるのだそう。なんとも贅沢な食べ方…!私も今度行ったら試してみます。(鈴木)

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2017年9月 6日 (水)

轟々と燃え盛る地獄の門(トルクメニスタン)

地獄の門

先日「地獄の門とトルクメニスタン 8日間」の添乗より帰国致しました。

今回は旧ソ連の一部だったウズベキスタンとトルクメニスタンの2ヶ国を訪れました。年間で最も暑い8月中旬で予想気温は40度だったので、現地では汗が止らないだろうなと心配しながら出発しました。しかし、現地に到着してみると風がとても心地よく吹いていて、日本のように湿度が高くないため、汗をかいてもすぐ乾いてしまうぐらい過ごしやすい環境でした。

今回のツアーで印象深かったのは、やはりトルクメニスタンのダルヴァザにある地獄の門。
この地獄の門は、約40年前旧ソ連時代に天然ガスの発掘調査中に何ならかの事故が起き、地面に大きな穴が出来ました。その穴から有毒ガスが出てきて、周辺の家畜に影響を与えていたため、政府は火を放ってこれを食い止めようとしました。当初はガスが数日で燃え尽き消えるはずが40年たった今でも出続け、燃えています。現在では、トルクメニスタンの観光名所となりました。
砂漠の道路を4WDで4時間程駆け抜けていくと、それは砂漠の中に突然姿を現しました。
最近ではヨーロッパの人々もここを訪れるため、クレーターの周りには人だかりが出来ていました。
近づいてみると、約40年間燃え続ける火の粉からの熱気は凄まじく思わず体を引いてしまうほど。

写真撮影だけ行いキャンプサイトへ移動。テント泊の準備をし、夜になってから再び地獄の門へ。
周辺は、砂漠の中なのでもちろん街灯はなく、懐中電灯の明かりを頼りに足元を照らしながら砂漠を10分程歩いて行きました。目線の先には、轟々と怪しく燃える様子がはっきり見えているので、まるでお宝が目の前にあるかのように期待に胸が膨らみます。
到着すると、燃えている火の大きさは変わらないのに不思議なことに夜は昼間と比べると格段に規模が大きく見えます。
クレーターは直径約90m、一周歩いてみるとまさにここから地獄へ落ちてしまいそうなほど深く大きなクレーターだということがよく分かります。

一周歩き終わったら再びテントへ戻りました。戻ってふと空を見上げると満点の星空。
上を見上げると輝く天の川、地平線を見ると轟々と燃える地獄の門、絶景の中でのテント泊は個人的に快適なホテルのベッドで眠るよりも最高でした。(山下)

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2017年7月 7日 (金)

地獄から生還しました!(トルクメニスタン)

大迫力の地獄の門

先日「地獄の門とトルクメニスタン8日間」より帰国しました。なんといっても今回のツアーの目玉は地獄の門。朝にカラカスパキスタンのヌクスを出発し、国境を越えてトルクメニスタンに入国。昼食の後、がたがたの道を走ること約4時間30分。いよいよ地獄の門に到着です。
砂漠の中にぽっかりとあいたクレーター。近づくとムワッと熱気が。熱気と炎に圧倒されながらも、クレーターの中を覗き込んでみます。この地獄の門ができたのは1970年代のこと。地下に眠る天然ガスの調査中に土地の陥没が起き、直径約60m、深さ約20mもある巨大な穴ができてしまいました。そして、有毒ガスの放出を食い止めるために火をつけたのですが、ガスが放出し続けるため、なんと40年以上経った今も燃え続けているのです。今後、いつまで燃え続けるかは不明。ガスが尽きてしまったら、もうこの景色を見ることはできません。まさに行くなら今でしょ!!の絶景なのです。
キャンプサイトの様子

地獄の門の近くにはホテルやロッジはないため、本日は砂漠でのテント泊。テントの中にはマットと寝袋が用意され、意外と快適です。ドライバーさんが焼いてくれたバーベキューの夕食後、いよいよ日が沈んで辺りが暗くなったころ、再び地獄の門へ。
夜になると漆黒の中、炎が赤々と燃え盛り迫力満点!まさに地獄の景色。夜になると、炎が燃え盛る音が昼間より大きく聞こえる気がします。クレーターのまわりをぐるりとまわり、地獄をじっくりと堪能しました。
翌日は、一路、アシハバードへ。地獄から無事生還です!トルクメニスタンの首都、アシハバードは、豊富な天然資源をもとに急速に発展中。街に入ると、金ぴか、大理石の建物が建ち並び、圧巻の景色。夜にはあちこちがカラフルにライトアップされ、世界三大夜景にも引けをとらない?きらびやかさ!真っ暗な砂漠の夜と、アシハバード。まるで違う国に来たようでした。(川井)

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2017年6月 2日 (金)

ウイグル族の民家でラグ麺づくりを体験!(中国・新疆ウイグル自治区)

ウイグル民家でラグ麺作り
先日「西域シルクロード三大都市巡りとタクラマカン砂漠縦断 9日間」の添乗より帰国致しました。
死の砂漠と言われるタクラマカン砂漠の縦断や、パミール高原のカラクリ湖観光など、ハイライトが多数ありますが、その中でも1番印象に残ったのは、西域名物のラグ麺作りです。
ラグ麺とは、ツルツルしたうどんのような中細の白い麺の上に、肉と野菜がたっぷりのアツアツの煮込みトマトスープがかかっています。新疆ウイグル自治区をはじめ、ウズベキスタンやキルギスなどの中央アジアの国々でも食べることができます。
今回訪れたクチャのウイグル族の民家は、お婆さん、お母さん、子どもと3世代の家族で、ウイグル族の暮らしぶりを垣間見ることもできました。
まずは庭の散策から。とても広い庭には、たくさんの木や畑、また羊や鶏、牛までも飼っていることに驚きました。
庭に面したキッチンには、ガスコンロの他、ナンを焼くためのカマドもありました。
その後、家の中にお邪魔し、自家製のドライフルーツやナン、お茶を頂きました。
カマドで焼いた自家製のナンは、水分がなく、とても堅い・・・。(乾燥した地域なので、時間が経っても日持ちがするそうです。)現地の方はこれをお茶に浸して食べます。できたてのナンもあり、こちらは柔らかく、おいしかったです。
そして、ラグ麺づくりの準備ができたら、いよいよ体験!
まずはベテラン主婦のお婆さんがお手本を見せてくれました。ラグ麺はとても長く太い1本の麺でできています。
その麺を指で細く延ばしていきます。延ばし終わったら、8の字形に手首に巻き付けていき、板にたたきつけながらさらに細く延ばします。
延ばし終わった麺は、お鍋に入れてゆでます。
ここまでが麺作り。早速、ご希望のお客様は一人ずつ体験開始です!
手際よく簡単そうにも見えますが、見よう見まねでやってみると、手首に巻き付けるところから難しい。そして上手く板にたたきつけられません。
ウイグル族の女性は誰でもできるそう。さすがです。
体験が終わったら、ゆでた麺をお皿に盛り、トマトソースをかけ、自分で混ぜて頂きます。
これが、日本人の口にも合い、とてもおいしい!
ツアー中、何度かラグ麺を頂きましたが、この民家で頂いたラグ麺が一番おいしかったです。(椎野)

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2017年5月26日 (金)

自然あふれる騎馬民族の国カザフ・キルギスで感じた日本

先日「遊牧の大地を行く、カザフ・キルギス紀行」の添乗より帰国しました。
まずカザフスタンのアルマトイから旅が始まり、キルギスに入り、イシク・クル湖をぐるっと1周して、再びカザフスタンに戻るという日程でした。
バス移動の長いこの旅、ずーっと車窓に天山山脈が見えていました。あの三蔵法師も天山山脈を越えて天竺(インド)に向かったと言われています。
さらに、キルギスへ入ると天山山脈に加えてイシク・クル湖の美しい青が車窓を彩ります。イシク・クル湖の透明度、深さは世界第2位と言われています。(1位はロシアのバイカル湖)
イシク・クル湖ではクルーズもしましたが、下を向くとエメラルドグリーンの湖、少し顔をあげると360度パノラマの天山山脈、見上げるとさわやかな青空。心が洗われるようでした。

日本ではまだまだなじみの薄いカザフ・キルギスですが、ツアー中は日本を感じさせる場面がありました。
まず、道を走っていると両脇に満開の桜!

天山山脈と満開の花

かと思いきや、実はこれ桜によく似た杏やリンゴの花。今回はゴールデンウィークに訪れ、日本ではもう春は過ぎてしまっていましたが、もう一度お花見をすることができました。

また、カザフ、キルギスには日本人とよく似た顔立ちの人が多くいます。今回、騎馬民族の少年たちの騎馬ゲームというゲームを見せてもらいました。「アリガトウ」と言って私達を出迎えてくれた少年達。14歳から20歳くらいだそう。顔立ちは日本人と変わらず、頭は坊主、よく日焼けをして、一見、甲子園の野球少年のようです。馬に乗ってのコイン拾い、ヤギをボールにしたサッカー、本物の騎馬戦、そして競馬。みんな無邪気に楽しんでいるようでしたが、こんな見事に馬を操るだなんて、騎馬民族のDNAを感じました。なんと最後には3歳の騎馬民族の男の子が馬の上に立ってポーズを決めてくれました!

馬の上に立つ騎馬民族の子供

そして、最終日、民族音楽ショーを観劇しながらの夕食でのことでした。中央アジア名物プロフ(中央アジア風チャーハン)に皆さま舌鼓。ふと民族楽器を奏でていたおじさんが急にメモを片手に立ち上がりました。そして片言の日本語で私達への手紙を読んでくれたのです。
更に感動したのは、民族楽器で奏でる「君が代」の演奏です。歌い手はもちろん、

先程のおじさん。最後は皆様で国歌斉唱をし、帰路へと着きました。

人の温かさ、ご飯のおいしさ、景色のよさ。どれも1級品でした。(松永)

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2017年5月11日 (木)

河西回廊に存在した謎の黒水国とは?

この度「遙かなる河西回廊への道 11日間」より帰国しました。

この河西回廊は、古くは秦また漢の時代に「万里の長城」の西端が造られ、西方の軍事拠点として、また仏教伝来の路として、さらには、唐時代にはシルクロードの主要地として栄えました。
また、河西回廊は数多くの人々が野望を持って行き来した道であります。仏教の経典を求めて玄奘三蔵が旅し、霍去病はじめ前漢の時代の武将たちが匈奴との戦いのため遠征した道なのです。

武帝によって設置された河西四都「武威、張掖、酒泉、敦煌」、シルクロードの起点・西安と、河西回廊からシルクロードをたっぷり観光しました。
そのうちの酒泉から、張掖までの間に黒水国城堡遺址という遺跡があります。

黒水国城堡遺址

今回のツアーの他の観光地との違いは入ってすぐ分かります。
駐車場もなければ、どこが入り口なのかも分からないのです。回りには民家のみ。
その民家の前にひっそりと遺跡の石碑が建っています。
チケットもなければ、この日は他の観光客もいなく貸し切り状態でした。

黒水国城堡遺址

一見見落としてしまいそうなこの黒水国城堡遺址は黒水国という国の遺跡です。
黒水国の時代は漢時代と言われていますが、詳しい史書がないため、今だ謎に包まれています。そのため今日まで、価値を知られる事も注目されなかったため、特別な保護や修復もされていません。

言い伝いによれば、この地域には匈奴の一部が移り住み、「小月氏国」を建国し、その都があった場所が黒水国だったと言われています。
その後、漢の武帝の征服により滅亡しますが、シルクロードの中継地点として栄えた記録があります。
そして最近では、この遺跡内から漢から晋かけての墓が数百個が発見され、中から銅鏡や陶磁品などが大量に出土しました。

もしかしたら何か見つかるかも!?と下を見ながら歩き進めました。

黒水国城堡遺址

この遺跡から建物らしきものは全く残っていません。あるのは城門のみです。
しかし何も残ってないからこそ、想像が膨らみ、ロマン溢れる地です。

次、訪れる際は黒水国についての謎が解明されているでしょうか?

(白井)

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