2017年4月12日 (水)

音楽の都ウィーンの舞台で「第九」を歌う(オーストリア)

楽友協会での第九コンサート

オーストリアの添乗より戻って参りました。いつもは観光をすることが旅の大きな目的ですが、今回のツアーはいつもとは趣向が異なりました。旅の目的は、「第九」を歌うこと。しかも、音楽の都ウィーン、会場は楽友協会の「黄金の間」です。毎年元旦に豪華な花で飾られた黄金色に輝くホールで開催されるニューイヤーコンサートをテレビで見たことがある方は多いのではないでしょうか。そこと同じステージに立って「第九」を歌うのですから、とても特別な企画のツアーです。

この旅は、日本を出発する前の事前練習会から始まりました。日本全国で申し込みされた参加者約170名が東京で開催された2回の練習会に参加し、徐々に調子を上げていきます。

そしてツアーが出発すると、コンサート前日には楽友協会にあるガラスホールでリハーサルがありました。ここでは日本からの参加者のほかに、ウィーンで応募したボランティアの方の合唱団と4人のソリストも加わりました。指揮者ヴィルト氏の指導で合唱はどんどん声量を増し、まとまっていく様が手に取るようにわかります。

ガラスホールでのリハーサル

そしてコンサートの本番当日です。午前中には「ゲネリハ」です。ウィーンカンマー・オーケストラとソリスト4名、それにウィーン少年合唱団の少年たちが加わり、本番と同じ構成でリハーサル。出演者がここで初めて揃いました。始めのうちは探るように歌いだしましたが、ヴィルト氏の指揮に合わせて各パートがのびのびと歌い始め、歌声はオーケストラに乗ってさらに高らかに響くようになり本番に向けての準備は万端。

その後、夕刻の本番を向かえました。会場は満席です。指揮者がタクトを挙げると静寂に包まれ、ベートーヴェン作曲「交響曲第九番」の演奏が始まりました。ウィーンカンマー・オーケストラの上質な音色が流れます。とても緊張感のある演奏です。第四楽章に入り、合唱部分に入ると「フロイデ!」の歌声がホール内に響き渡りました。オーケストラの音色を相乗し、ホール内の四方八方から包み込むような厚みのある響きです。ぴたりと息のあったオーケストラ、そして合唱の織り成すハーモニーに耳を傾けると、ウィーンで半生を過ごした作曲家ベートーヴェンの志がそこに再現されたと感じ、心が熱くなりました。感動で自然と涙がこみ上げてきたのでした。演奏後の大きな拍手が、その演奏の素晴らしさを物語っていました。
拍手に促されるようにアンコール曲に移りました。曲は「花が咲く」です。このコンサートが開催されたのは3月12日。このコンサートは東日本震災のチャリティーが目的でしたので、震災の犠牲者を追悼するためのアンコール曲です。ウィーン少年合唱団の少年が清らかに歌い上げるパートもあり、この歌声と追悼の思いが犠牲になった人たちの魂に届くよう祈らずにはいられませんでした。

こうして、ウィーン楽友協会の「黄金の間」という、世界に名だたる名ホールでのコンサートは終わりました。興奮冷めやらぬまま、打ち上げパーティを行っているところに、ソリストのソプラノ吉田珠代さんとテノールのジョン・健・ヌッツォさんがお越しくださり、ツアー参加の皆様はさらに大興奮。二人と一緒に撮影した写真は一生の記念になるに違いありません。

クラシックファン垂涎のウィーン楽友協会のステージに立つことが叶う旅。同行して、あの名曲「第九」の完成に至る過程を知ることができました。音楽の都ウィーンで歌った日本人合唱団の歌声は、きっとベートーヴェンの魂にも届いたと信じて旅を終えました。(斎藤さ)

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2017年1月26日 (木)

ウィーンフィルニューイヤーコンサートで幕を開けた2017年

指揮台足元より、ドゥダメルの見た景色を疑似体験
 前回に続いて、本日はウィーンフィルハーモニー管弦楽団による、2017年ニューイヤーコンサートをご紹介します。ウィーン楽友協会・黄金の間にて開かれるこのコンサートは、お正月に全世界(2017年は92か国)に中継される“世界で最も観客の多いコンサート”です。今回はなんと、ファーストカテゴリーの良席でお楽しみ頂きました。
 今年の見どころは何と言っても、ベネズエラ出身、新進気鋭のグスターボ・ドゥダメルによる指揮です。ニューイヤーコンサート史上最年少での大抜擢で、南米出身というのも初です。会場内の花の飾りつけ(実はこれも見どころ)も南国を意識したもので、パイナップルやオレンジなどフルーツまで飾り付けられていました(終演後は持ち帰りできます)。
また、今回はヴィヴィアン・ウェストウッドによってデザインされた、ウィーンフィルの新しいユニフォームお披露目の日でもありました。
 チューニングも終わり、会場の期待が高まる中、いよいよグスターボ・ドゥダメル登場。1曲目、レハールの『ネヒレディル行進曲』はピッコロフルートが小気味よい曲。続く『スケーターズ・ワルツ』はお馴染みの優雅なワルツ。『冬の遊び』は打楽器による鈴と鞭の音が特徴。日本の冬の遊びとは少々違うようですね。『メフィストの地獄の叫び』はタイトルと曲の出だしは恐ろしいものの、すぐにいつも通りの優雅な曲に。『別に怖くありませんわ』は軽快なシュネル・ポルカ。メロディーはオペレッタで料理人パパコーダが「なぜだか楽しい・・・」という部分ですが、妙に納得。なぜだか楽しくなる曲です。
 休憩を挟んで、『スペードの女王』は今回個人的に一番のお気に入りです。お客様の評価も上々。静かに丁寧に始まるオーケストラは突然“ジャン”と一斉に打ち、管楽器が余韻を残します。続く『いらっしゃい』、テレビ中継ではヘルメスヴィラでのバレエシーンが重ねられていました。そして合唱団が登場し、『月の出』。ワルツやポルカのリズムから一転、コーラスと鐘の音が調和し荘厳な気分に。再び『ペピタ・ポルカ』でリズミカルに。エキゾチックな曲調がスペインの踊り子を表現しています。『ロトゥンデ館のカドリーユ』では小品6曲を連続演奏。ワルツの見本市のようでした。『インディアン・ギャロップ』は確かに異国情緒を感じさせる旋律。新しいもの、珍しいもの好きなウィーンの人々に向け、当時様々なワルツが作られました。『ナスヴァルトの女たち』では曲の終わりにドゥダメルにより鳥の鳴き声。会場に笑いが漏れます。『さあ踊ろう』では踊り子乱入。曲が終わって踊り子に手を振るドゥダメル。『チクタクポルカ』では、曲の終わりでオーケストラが「チクタク、チクタク」と歌う恒例の演出。
 アンコール1曲目は『喜んで』。新年に相応しい華やかな曲です。
そしていよいよ『美しき青きドナウ』。源流のさざ波のようなイントロが1度中断。恒例の新年の挨拶は、
Die Wiener Philharmoniker und ich wünschen ihnen PROSIT NEWJAHR. (ウィーンフィルと私はみなさんのよき新年を願います)
でした。少し噛んでしまったドゥダメル。演奏再開。
終演後のドゥダメルとウィーンフィル
 オーストリア第二の国歌とも言われ、人々に愛されているこの曲。心が洗われます。
そしてお待ちかねのラデツキー行進曲。この時のために練習を重ねて下さったお客様もいらっしゃいました。最初は小さく、ドゥダメルの合図のある2周目で拍手。
 無邪気に、オーケストラと遊ぶような指揮が印象的でした。この若さで登りつめたドゥダメルですが、これから彼の“振り“がどう変化していくのか、楽しみですね。(尾崎)
2018年は“イタリアが生んだ現代の巨匠”リカルド・ムーティが5度目のニューイヤーコンサート指揮者を務めることが発表されました。

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2017年1月25日 (水)

ベルリンフィル・ジルベスターコンサートで締めくくった2016年

ベルリンフィルハーモニーホール内
    「ベルリンフィル・ジルベスターとウィーンフィル・ニューイヤーコンサート 7日間」の添乗より帰国致しました。ツアーの様子を2回に分けてお伝え致します。
 ベルリンではベルリン・フィルハーモニー管弦楽団による年末恒例のジルベスターコンサートをご鑑賞頂きました。会場はヴィンヤード型と呼ばれる独特な形をしたフィルハーモニーホール。設計には指揮者カラヤンも参加し、のちに東京にあるサントリーホールのモデルとなりました。
ベルリンフィルハーモニーホール外観  どこからでもステージがよく見えるホール内、20時の開演に向け期待が高まります。
オーケストラが揃い、拍手の中サイモン・ラトルが登場。カバレフスキー作曲の『コラ・ブルニョン』序曲で開演。ラトルの“野獣的”な指揮と、一糸乱れぬベルリンフィルに、ぐいぐい魅き込まれます。2曲目はダニール・トリフォノフが登場し、ラフマニノフの『ピアノ協奏曲3番』。最難曲の一つで、憂いを帯びたピアノが美しい曲。カデンツァ部ではピアノから跳ね上がっては、全体重を鍵盤に込めるトリフォノフの姿が印象的です。
 休憩中はホワイエにてトリフォノフのサインタイム。若手天才ピアニストを間近でご覧になった方もいらしゃいました。
ジルベスターコンサート休憩中のホワイエ  明けて後半。英国の作曲家ウィリアム・ウォルトンの歌劇『ファサード』より、サイモン・ラトルによる組曲編曲版の管弦楽小品。英国出身ラトルはこれまでも度々この曲を演奏しています。プログラム最後は、こちらもラトルが敬愛するドヴォルザークから、『スラブ舞曲72番』。2002年にベルリンフィルの首席指揮者に就任し、約15年で知り尽くしたオーケストラの力を最大限引き出すラトルの巧みな指揮。
 アンコール1曲目は、ラトル曰く“サーカス・ソング”、再びカバレフスキー作曲の『ギャロップ』です。あのパート、このパートが弾くコミカルで装飾的なフレーズはまさにサーカスのよう! アンコール2曲目はブラームスの『ハンガリー舞曲1番』。ラトルが首席として指揮するベルリンフィルが見れるのも、あと僅か。美しい演奏で2016年を締めくくりました。(尾崎)
 明日はウィーンフィル・ニューイヤーコンサートについて、お伝えします。

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2016年9月 1日 (木)

必見!ブレゲンツ湖上オペラのバックステージツアー(オーストリア)

 この度、ユーラシア旅行社の「ザルツブルク音楽祭とブレゲンツ湖上オペラ 10日間」より帰国しました。
 夏のヨーロッパはイベントが盛りだくさん!サマーフェスティバルや野外音楽祭、湖上オペラなど、各地で様々なイベントが開催されます。中でも毎回盛り上がるのが世界的に有名なザルツブルク音楽祭。ウィーンフィルを始め、世界のトップクラスのオーケストラや歌劇団、指揮者などが集い、期間中、世界中の人々に感動を与える舞台が繰り広げられているのです。
 今回のツアーでは、ザルツブルグ音楽祭でウィーンルコンサートとオペラの鑑賞、また、ブレゲンツでボーデン湖畔の湖上オペラを鑑賞してきました。

ブレゲンツ湖上オペラ会場

 ブレゲンツ湖上オペラは日本人にはまだまだ馴染みの浅い音楽祭ですが、オペラファンや舞台好きの方にとっては「一度は行きたいオペラ劇場」のひとつだそうです。
 1946年、戦後の荒廃した町に、自分たちの力で音楽を蘇らせよう!と地元住民が資金を出し合って開催したのが始まりです。当時はボーデン湖に浮かべた2隻のボートを舞台に上演された小規模なものだったそうですが、年々舞台装置や演出のレベルがアップして、今や世界中から注目される舞台となりました。
 劇場入り口に過去の舞台の写真が展示されています。「トスカ」や「魔笛」など有名な作品ばかりですが、どれも斬新でクオリティの高さを感じます。こんなすごい舞台があったなら、もっと早く知りたかった、見てみたかったと、ちょっぴり悔しい思いがよぎりました。
 ボーデン湖畔に作られた観客席からその舞台を眺めると、背景に広がる自然の美しさに目を奪われます。昼は湖を行き来する船、夕暮れ時は赤く染まる空、夜は星空や対岸の街明かり、それらが一体となり、この舞台が完成するのです。

これまでの舞台

 ツアーでは、オペラを見るだけでなく、そのバックステージツアーにも参加して来ました。
まずは、劇場内のVIPルームへ潜入!革張りのソファがズラリと並んだVIP席は、大きく作られた窓から舞台全体や他の客席も良く見えました。私達もエアコンが効いた部屋で説明を聞いている間だけVIP客の気分を味わいました。
 その後は外に出て、いよいよ湖上舞台へ!客席と舞台の間の通路を行く途中、ガイドさんが扉のカギを開けながら言いました。「皆様、湖に落ちないで下さいね!」。そう、ここからはもう湖上なのです。舞台の裏の控え室は通常の劇場と違いとても狭く、ここで衣装チェンジや裏方作業など全てが行われると聞いてびっくりしました。水の上に建てられた舞台は軽く、且つ、演者が立つ場所は頑丈である必要があります。随所にその為の工夫が施されているそうです。

バックステージツアー

 今年の演目は「トゥーランドット」。その世界感を舞台で表現するために万里の長城と兵馬俑が設置されています。何体も並べられた兵馬俑、水の中の物は重たいコンクリートで、舞台の上の物は軽い素材で作られています。客席から見ると同じに見えますが、近くで見ると全く違うという事が分かりました。また、各兵馬俑の後ろにはLEDライトが取り付けられていて、上演の間、シーンに合わせて様々な色に変え、雰囲気を出していました。
 客席を見ると最前列の席のさらに前、一段低い場所に椅子があります。何かと思いガイドさんに聞くと「ダイバーの席よ!」との事。万が一の事故に備えて、上演中、ダイバーがそこに待機しているんだそうです。湖上ならではの安全管理ですね。
 7000席の客席を眺め、夜にはここが人でいっぱいになるんだぁ~と、しばしオペラ歌手になった気分に浸り、有名なアリア「誰も寝てはならぬ」を口ずさみました。
 夜、実際のオペラを鑑賞した時は、様々な予想外な演出に驚きつつも感動し、演出家や演者、スタッフ達の込められた熱い思いを感じることが出来ました。(関根)

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2016年1月 6日 (水)

ジョットが生まれた小さな家(中部イタリア)

霧に包まれたヴェッキオ村のジョットの生家

先日、「ジョットの道、ルネサンス芸術の夜明け」のツアーから帰国しました。
このツアーは、中部イタリアの町を巡りつつ、13~14世紀に生きた画家ジョットの足跡を辿る日程です。

本名はジョット・ディ・ボンドーネ。
あまり日本では聞き慣れない画家ですが、「ルネサンスの父」とも呼ばれ、
宗教絵画の世界に微笑みや悲しみなどの人間らしい感情表現をもたらし、さらにフレスコ画技法の礎を築いた、当時としては先鋭的な画家でした。

観光では、ローマ、フィレンツェ、地方都市のアッシジやパドヴァの教会に描かれたフレスコを見学し、ミラノで開催されているジョットの特別展を見学しました。

さらに道中、ジョットの生家に立ち寄ってきました。
ジョットが生まれたのは、フィレンツェ近郊のヴェッキオ村。

トスカーナ地方の美しい田園地帯にある村ですが、当日の朝は10メートル先も見えないほどの濃い霧に包まれていました。
画家が生まれた村にふさわしい、幻想的で神秘的な雰囲気です。

人っ子一人、歩いてない静かな村。
中世から現代に至るまで、さほど変わっていないんだろうなと思いつつ、生家まで歩きました。

霧の中から、ふらりとジョットが現れそうな雰囲気です。

そういえば、羊飼いであった少年ジョットが、
後に弟子入りするチマブーエにスカウトされたのも、
村はずれの石橋であったと伝えられています。

ジョットがチマブーエにスカウトされた石橋(イメージ)

粗い石組みのジョットの生家は現在、
博物館兼村の文化センターとして使われているようです。

彼の作品は殆どが教会に保存されているので、
残念ながらここの博物館にジョットの作品はありません。

生家の佇まいや村の雰囲気を味わうことしかできません。
所有者も何度か代わり、地震で損壊した後の修復などもあって、
当時の名残りは殆どありませんでしたが、

何よりも家の佇まいや静かな村の雰囲気がいい。

ジョット作品を眺めていると、キリストやマリアなど登場人物たちの
喜びや悲しみ、怒り、失望などの人間らしい感情が見事に表現されていますが、
一方でピーンと張りつめた緊張感のような、不思議な静けさも感じます。

今になって振り返ってみると、ジョットの作品から伝わってくる神秘的な静寂は、
彼が生まれ育ったこの村の静けさと同じだったような気がします。
(上田)

ユーラシア旅行社で行くイタリアのツアーはこちら

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2015年12月 2日 (水)

デベソで万歳! 奥トスカーナの古寺巡礼

ロマネスク芸術ツアー, ロマネスク芸術旅行
先日、「奥トスカーナ・カゼンティーノ地方 中部イタリア・ロマネスク」ツアーの添乗より帰国致しました。カゼンティーノ地方とはイタリア、トスカーナ州の北東部で、ダンテも愛した風光明媚な土地です。ツアーの主目的はこのカゼンティーノ地方、トスカーナ州、さらに近隣のモデナ、ヴェローナのロマネスク教会巡りです。
ハイライトはイタリアの“最も美しい村”に登録されているロロ・チュッフェンナ近郊、グロッピーナにあるサン・ピエトロ教区教会。ここの説教壇には非常に特徴的な彫刻があります。宇宙人にも見える、ユーモラスな生き物はなんと12使徒。確かに数えれば12人います。両手を高くあげるエトルリア人(イタリアの先住民)風の祈りのポーズ、あるいは教会を支えているようにも見えます。中には隣の使徒と腕を絡ませしっかり団結しているものも。はっきり描かれたおへそで、下にある抽象化された三位一体からエネルギー吸収し、大きな瞳と頭は世界の真実を見抜き、思索するためのものだそうです。
このようなかわいらしい彫刻に加えて、ルネッサンス起こりの地フィレンツェを含むこのツアーでは、優れたルネサンス絵画も鑑賞しました。ヴェローナのサン・ゼノ教会ではマンテーニャの祭壇画、マッサ・マリッティマではアンブロージョ・ロレンツェッティによるマエスタ、プラートの大聖堂ではフィリッポ・リッピによる祭壇画。洗礼者ヨハネの生涯に描かれるサロメのモデルはリッピが愛したルクレティア。
丁度訪れたのがぶどうの収穫時期だったこともあり、黄金色に輝くトスカーナのぶどう畑と教会も見事な組み合わせでした。(尾崎)

奥トスカーナ・カゼンティーノ地方、中部イタリア・ロマネスク 10日間はこちら

カラブリアからシチリアへビザンツとロマネスクを巡る 10日間はこちら

聖地モンテ・サンタンジェロと南イタリア・ロマネスク 10日間はこちら

(2016年のツアー発表は2016年1月を予定しております。)
ロマネスク芸術ツアー, ロマネスク芸術旅行

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2015年11月20日 (金)

ショパン・コンクール入賞者のピアノの調べに感じるポーランドの景色

先日、ユーラシア旅行社の「華麗なるポーランド紀行」の旅より帰国しました。今回の旅ではコペルニクスの故郷トルンや、ポーランドの古都クラクフ、また小さな村に佇む木造の教会などを巡りました。行く先々での街中や街道沿いは、黄金色に色づいた木々がロマンチックな雰囲気を醸し出していました。バスの中でショパンのピアノ曲のCDを聴きながら旅すると、時折、窓を叩く雨さえも、詩情の世界を感じさせてくれました。

ワルシャワのワジェンキ公園にあるショパン像


旅の最後にワルシャワを訪問しました。今年2015年は、5年に一回、ショパン国際コンクールが開催される年です。今回のツアーでは、その入賞者のコンサートを聴くことになっていました。ツアー中には、コンクールで誰が優勝するか、何を演奏するか、などの話で盛り上がり、そしてワルシャワ到着の数日前に優勝者・入賞者が発表されました。そして、いよいよコンサート鑑賞の当日を迎えました。その日は日中にショパンの生家やショパン博物館を見学し、ショパンの人生や作曲家としての活動について学び、予習は万全。そしてコンサート会場のワルシャワ・フィルハーモニーホールへ向かいました。

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会場は満席。ピアニストにとって最高峰といってもよいショパン・コンクールで生まれた新たな名ピアニストを迎えようという熱気で包まれていました。入賞者6人のうち、第6位から演奏が始まりました。演奏時間は順位が上がると、少しずつ長くなります。第3位のケイト・リューはマズルカ賞を受賞しましたので、マズルカを演奏。第2位のシャルル・リシャール・アムランはノクターン賞を受賞しましたので、ノクターンを演奏。この日の受賞者コンサートは第3日で、若いピアニストたちはコンクールの緊張から解き放たれ、リラックスして楽しみながら演奏しているような印象を受けました。
そして第2位の演奏が終わった後、30分の休憩を挟み、第1位のチョ・ソンジンが登場。演奏曲はピアノ協奏曲第1番です。会場中の聴衆が温かい拍手で彼を迎えました。指揮者のタクトが上がり、導入部のオーケストラが始まると会場は緊張に包まれました。そして、チョ・ソンジンが鍵盤を叩き、ピアノが歌い始めます。とても美しく豊かな音色だと感じました。それと同時にショパンの面影が浮かんできました。旅をしながら見てきたショパンのピアノ、ショパンが通ったレストラン、黄金色に染まった森、ショパンが愛したポーランドの大地・・。演奏を聴きながらそれらが脳裏に浮かび、ショパンの人生を追体験したような錯覚を覚えました。第4位のエリック・ルーは、「雨だれ」を演奏しました。彼の演奏には、雨の降る秋のポーランドの景色がまさにありました。やさしく、そして時には激しく冷たく降り注ぐ雨。すべてショパンが愛したポーランドの一部だったのだと感じました。ポーランドを旅したからこそ感じられるショパンの演奏だったと、今も感動のうちにその演奏を思い起こすことができます。
それぞれの演奏が終わる度に、会場には喝采と温かい拍手が木魂しました。この会場の観客は5年に一度生まれる新たな名ピアニストの誕生を待ちわび、そしてコンクールを勝ち抜いた受賞者たちを讃えていました。この日に演奏した6名の受賞者の今後の成長をずっと見守っていきたい気持ちでいっぱいになりました。彼らの演奏を何年かの後に聴く日を楽しみに待ちたいと思います。(斎藤さ)

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2015年8月28日 (金)

奥深いスペイン、おいしいとこどりの10日間(スペイン)

スペインツアー,スペイン旅行
先日「スペイン周遊ハイライト 10日間」の添乗より帰国致しました。マドリッド、トレド、アンダルシアの街々(コルドバ、セビリア、グラナダ)、そしてバルセロナ。地方ごとに大きく異なる魅力を持つスペインを美味しいとこどりで観光していると、まるで何ヶ国も旅したかのような錯覚に陥ります。
中でも印象深かったのが、グラナダです。イベリア半島におけるイスラム最後の砦として繁栄を極めたこの街の目玉は、何と言ってもアルハンブラ宮殿。朝の涼しい内から観光を開始し、じっくりと宮殿群を巡りました。“アルハンブラ宮殿”と言いますが、実際は一つの宮殿ではなく、城壁の中に複数の宮殿や教会、塔が建てられています。ハイライトのナスル朝宮殿では部屋から部屋へ移動する度、精緻な鍾乳石飾りが頭上に広がり、グラナダが誇っていた栄華が思い知らされます。
さらに城壁の外にある夏の離宮ヘネラリーフェ庭園まで足を延ばします。アセキアの中庭でシエラネバダ山脈からひかれた水を巧みに使った噴水を見ていると、タレガによるギターの名曲『アルハンブラの思い出』の絶え間なく続くトレモロ奏法の音が聞こえてくるようです。せっかくアルハンブラを訪れたからには、ぜひここまで訪れて頂きたいところ。
ご昼食はアルハンブラ宮殿内のパラドールで優雅に。
スペインツアー,スペイン旅行
アルハンブラ観光の前夜には、ご希望の方をフラメンコショーにご案内(’16年2月以降出発のツアーではツアー日程に含んでご案内)。サクロモンテの丘の洞窟タブラオで、ヒターノ(ロマ族)による迫力のパフォーマンスをご覧頂きました。この日はカンテ(歌)が2人(内一人は飛び入り)、バイレ(踊り)は女性2人、男性1人の計3人、ギター1人の出演。足を踏まれないか心配なほど間近で繰り広げられるサパテアード(靴音でリズムを打ち出す技巧)、タヒーノの憂いを嘆く歌と、それを盛り立てるギターのラスゲアード(かき鳴らし)。1時間半ほどのショーはあっという間に過ぎ行きました。(尾崎)

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2014年11月 4日 (火)

フェルメールの視線の先には…(ユーラシア旅行社で行くオランダ・ベルギーツアー)

 先日、ユーラシア旅行社の「オランダ・ベルギーの古都と8つの美術館めぐり 10日間」より帰国しました。

オランダ・ベルギーは15-17世紀の最盛期、素晴らしい初期ランドル絵画やその影響を強く受けたといわれるオランダ黄金絵画時代などの絵画が各地の美術館で数多く展示され、かなりゆったりと鑑賞することが出来ます。

有名なゴッホやフェルメールやルーベンス、レンブラントの素晴らしい絵画を間近でじっくり見ることができました。

個人的に好きなのは時代を遡ってロギール ヴァン デル ウェイデンとい祭壇画を多く残した画家なのですけれど、この方の絵もたくさん見ることが出来ました。

さて、今回あまたの絵の中でこの一枚!というのをご紹介したいのですが、悩みに悩んでなかなか決まりませんでした。
が!

やっぱりフェルメールを紹介させてください。

フェルメールは36-8点しか作品が残されていない画家で、デルフト出身といわれています。
画家だけで生計を建てることが困難であったとも言われているようですが、
現代では彼の絵のファンは本当に多いですね。
数少ない作品点数の中で2点だけ残した風景画。
その一つが彼が生まれ育ったといわれるデルフトの眺望(デン・ハーグ/]マウリッツハイス美術館蔵)です。

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けれどもこの作品は、当時のデルフトの街を忠実にえがいたものではなく、フェルメールが
その景色を見ながら、建物の配置を入れ替えたりして描いたと考えられております。

フェルメールが活躍したころ、画家たちは「写実」、いかに見えたものを忠実に描くか、
どのような手法で表現するかに腐心したといいます。
そうした当時の流行を考えると、「デルフトの眺望」の美しい風景画が描かれた背景は謎がいっぱいの様です。
なぜフェルメールは「デルフトの眺望」を彼が残したどの作品よりも大きいサイズで描いたのか?なぜ、建物の位置を入れ替えたのか?
「デルフトの眺望」がえがかれた視点はどの位置か?
これらは長年議論の的でした。
様々な検証の結果、場所に関しては、
「恐らくここであろう」、という場所が特定されたのですが…

現在は「デルフトの眺望」が描かれたのは 1660年頃といわれ、描かれた場所は、デルフト市の中心部の南、コルク運河といわれています。
というわけで、私たちもそこへ行ってまいりました。
いかがでしょう。同じに見えますか?
デルフト
ここにはかつてロッテルダム門とシーダム門という 2つの市壁の門がありましたが、19世紀に街を拡張するために撤去されてしまいました。
そのため、場所の特定が困難であったそうで、今も残る東門のあたりが、デルフトの眺望の場所だと、長年考えられておりました。
様々な疑問はあれど、フェルメールの「デルフトの眺望」は、私たちを惹きつけます。
それは、何故なのでしょう。
これは大変長いお話になってしまいますので詳細は控えますが、
フェルメールは「如何に魅力的に見えるか」に腐心していたのかもしれないですね。

青いターバンの少女の絵も、瞳に本来なら存在しない光を白い点で描いたことで、まるでこちらに微笑みかけるかのような魅力的な表情になりました。

大きなかげりのある雲、そして砂州に佇む女性の姿、前方に並ぶ建物、奥に見える教会の尖塔…。
よくよく見ると、当時のデルフト市の記録と建物の配置が少し異なっていわけですが、
きっと「デルフト」の街の魅力をカンヴァスに留めようとしたとき、現実の風景よりも「より美しい」光景が、フェルメールの瞳に重なって見え、彼はそれを描き出したのでしょう。
この眺望を見ているとそんな気がしてならないのです。(齋藤晃)
フェルメールが描いたデルフトと今が融合した絵葉書

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2014年10月 9日 (木)

吟遊詩人の歌声に酔いしれて(ユーラシア旅行社のバングラデシュツアー)

先日バングラデシュのツアーより帰国しました。
北海道よりちょっと広いだけの国土に
日本全体と同じくらいの数の人々が暮らす国です。
バングラデシュはイスラム教国ではありますが
歴史を紐解けば仏教やヒンドゥー教の時代も長く
各地に壮麗な遺跡が残されています。
遺跡だけではなく、長らく多宗教が混在したこの国には、
宗教的な、あるいは、反宗教的な考えも残っています。
バングラデシュツアー、ラロンの歌を歌う吟遊詩人
歌や演劇が大好きなバングラデシュの人々がこよなく愛するのは
中世活躍した吟遊詩人ロランの残した歌です。
ヒンドゥーの家に生まれ
イスラムの聖者のように祀られているロランですが
彼画の生涯は謎に包まれています。
彼を知ることが出来るのはその歌だけ。
「カーストなんて意味があるのか?」
といった反権力・反政治的な歌です。
ロランの歌は、
彼を祀る廟があるクシュティアで聞くことが出来ます。
毎年開催されるロラン祭には、
全国から現代の吟遊詩人バロールが集いますが、
今回は私達のツアーのために
20名ほどのバロールが集まってくれました。
一弦の楽器エクタラを片手に
入れ替わり立ち代りラロンの歌を歌うバロールたち。
実際に彼らが歌うラロンの歌は
ゆったりとした伸びやかな歌と心地よいリズム。
いつまでも聞いていたい音楽でした。
(山岸)

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