2018年12月25日 (火)

ヴァチカン市国で芸術三昧

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<ラファエロ キリストの変容>

メリークリスマス!今年もクリスマスがやってきました。日本では恋人のイベントのイメージが強くなっていますが、本場のクリスマスは家族でイエス・キリストの誕生をお祝いする静かな日です。
先月、添乗で行ってきたローマでも街中でクリスマスの準備始まっていました。
今回はローマ滞在ツアーで、世界最小の国家ヴァチカン市国にもたっぷり一日かけて観光しました。キリスト教の総本山であるヴァチカン市国。ミケランジェロとラファエロがその建築に携わったというだけでも豪華ですが、その内部には歴代ローマ法王を魅了したコレクションが一挙にあつまり、世界のどの博物館にも負けないコレクションを誇ります。展示通路だけでも7キロもある施設で日本語名ではヴァチカン博物館となっておりますが様々な美術館、博物館の複合施設です。博物館の入り口にはミケランジェロとラファエロの彫刻がお出迎え。全ての人を受け入れるというヴァチカンの指針の為入国審査はありません。今回は一日かけての観光だったので、美術館エリアもじっくりと観光できました。ピナコテーカ(絵画館)、ピオ・クレメンティーノ美術館にはローマ時代からの美術品がたくさん並びどこを見ても至宝ばかり。ピナコテーカでの見所はやはりラファエロの「キリストの変容」。一番大きな部屋の真ん中に飾られ、誰もが足を止めて見てしまう存在感のある絵でした。また、ダヴィンチやカラヴァッジョのコレクションもあります。そして、古代のローマ時代の彫刻のある、ピオ・クレメンティーノ美術館では大理石でできていることを忘れてしまうほどの、完成度で紀元前の作品とは思えないものばかり。その後、豪華絢爛な地図の間やラファエロの間を通って、システィーナ礼拝堂に続きます。どこを見ても素晴らしい作品ばかりで、国自体が世界遺産となっていることも納得!
また、サンピエトロ寺院の広場では、大きなモミの木が立てられ、その横には建設中のプレゼーピオ。プレゼーピオとは日本ではあまり聞きませんが、クリスマスのお祝いの装飾の一つで、キリストが生まれた馬小屋を模したものです。ヴァチカンでは毎年違う素材で作られるので、ローマ市民の楽しみになっているそうです。今年は砂の彫刻でした。クリスマスツリーはドイツ発祥、プロテスタントの習慣なので、カトリックが多いイタリアでは、プレゼーピオを飾ることが多いそう。ヴァチカンでツリーを飾り始めたのは近年になってからだそうです。飾りつけはまだだったので、これから豪華になっていくのだろうと想像。いつか、カトリックの総本山のクリスマスも一目見たいものです。(杉林)


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2018年10月 9日 (火)

芸術の街で本場のバレエを鑑賞(ロシア)

先日「バルト三国とサンクト・ペテルブルク 10日間」の添乗より帰国しました。バルト三国の主要都市、ビリニュス、カウナス、リガ、タリンを巡るだけでなく、ロシアのサンクト・ペテルブルクまで足を延ばします。

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<サンクト・ペテルブルクの運河>

ポーランドとリトアニアの関係、カウナスでの杉原千畝の活躍、美しい旧市街が残るリガやタリンなど見どころは多いですが、今回はサンクト・ペテルブルクに注目したいと思います。この都市は、ロシア西部フィンランド湾の河口に位置し、1917年まではロシア帝国の首都でした。もしかしたらソビエト時代のレニングラードの名前の方が聞きなれている方もいらっしゃるかもしれません。1703年からピョートル大帝によって建設が始まった街は、通りが放射状に整備され、町の中に運河が巡る非常に美しいものです。もちろんここに注目して散策するのも楽しいですが、この街はもう一つ芸術都市としての一面も持っています。
エカテリーナ2世により収集が始まったコレクションが集まるエルミタージュ美術館やフィルハーモニー交響楽団、ドストエフスキーの『罪と罰』の舞台となるなど様々です。

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<エルミタージュ美術館>

中でも、バレエはこの街を代表する芸術の一つです。ロシア国内において最も格調高いといわれるマリインスキー劇場など大小さまざまな劇場が存在します。今回、そんな劇場の中の一つ、ミハイロフスキー劇場で『眠れる森の美女』を鑑賞しました。マリインスキー劇場がこの街の大劇場(ボリショイ劇場)であるのに対し、こちらは小劇場(マールイ劇場)と呼ばれています。確かにサイズは小さい目ですが、内部の装飾などは非常に美しく、観劇前の気持ちを盛り上げてくれます。また劇団員の質も高く、多くはマリインスキー・バレエの付属学校の卒業生で構成されています。登場人物たちの微妙な心情を身体一つで表現するなか、邪悪な妖精の演技は力強くその存在を大きく見せるものでした。

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<ミハイロフスキー劇場>

かつては皇帝たちが独占していた芸術ですが、現在老若男女誰でも鑑賞することができます。バレエシューズを履き、おばあちゃんらしき人と楽しそうに鑑賞していた少女もいつかこの舞台でバレエを披露するようになるのかもしれません。(佐藤史)

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2018年8月 7日 (火)

3年ぶりに再開のチュニジアの古代遺跡はやっぱり素晴らしい!!

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<世界遺産古代ローマ遺跡ドゥッガ>

先日「チュニジア・サハラ浪漫紀行10日間」より帰国しました。
3年ぶりに再開したチュニジアツアー。
自らをモザイク国家と称するチュニジア。それは世界最大の古代ローマモザイクコレクションを持つ所以だけではなく、小さな国土に様々な気候・歴史・文化がモザイクにはめ込まれた小さな石のように集まり、チュニジアという国を作り上げているからでもあります。
実際、わずか3時間も走ると周りの景色が緑豊かな田園風景から荒涼とした砂漠へ姿を変えるのです。
7年前のアラブの春の始まりの国チュニジア。政治が良くなったけれども経済が伴わず、なかなか大変という割にはどの町でも優しく暖かく歓迎してもらいました。
そう、チュニジアは複雑な歴史所以か、多様性のある懐深い、世界有数の古くてそして新しい国家なのです。
そのため、語りつくせないくらいたくさんの楽しいことがありました。
というわけで、砂漠方面は次回にして今回は二つのトピックを語りたいと思います。

一つ目は、古代遺跡の素晴らしさです。
チュニジアは3000年前、カルタゴという巨大国家の首都でしたが、古代ローマとの3回に渡るポエニ戦争で滅んでしまいます。
ポエニ戦争はともかく、ハンニバルやスキピオという名を聞いたことがある方もいらしゃるのではないでしょうか。
100年後、ローマのアフリカ属州の首都としてチュニジアは復活を果たします。
この時に起きたのが、オリーブオイルバブルです。
今でも豊かな土壌に等間隔に植えられたオリーブ畑が広がるチュニジア。
古代ローマではもっともっとたくさんのオリーブの木が植えられていたことでしょう。
オリーブオイルは食事にも、美容にも、潤滑油としても使用され、葉は薬に、木材も建築素材として人気でした。
しかも、チュニジア産は質がいい!ということで高値で取引されていたようです。

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<チュニジアの オリーブ畑>

この結果、オリーブ畑の中にあった街、古代ローマ都市のエル・ジェムは人口の3倍近い3.5万人も観戦できる円形闘技場を造ってしまったのです!現存する古代円形闘技場で唯一地上と地下が残る貴重な遺跡で、1800年も前に地下から剣闘士や猛獣がせり上がり登場するリフトシステムが存在していたのです。
客席部分からアリーナを眺めていると、ふと、砂の間から剣闘士が現れて当時の人々の歓声が聞こえてくるような…そんな錯覚に襲われます。
この堂々とした闘技場は時代を下りイスラームの頃は何と城塞の役割も果たし、今でも街で一番の建造物と言っても過言ではありません。

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<エル・ジェム円形闘技場>

それ以外にも世界遺産になった山の斜面に作られたドゥッガは市場に住居、そして浴場・公共トイレに売春宿…計算された街並みを歩いているだけで、人々の生活の声が聞こえてきそうになります。

二つ目はモザイクです。
2世紀から3世紀、古代ローマのモザイク文化は頂点を迎えました。写実的な絵画の様な生き生きした魚や動物、美味しそうな食材からローマ神話の一場面が切り取とられた躍動感あふれるものまで、いついつまでも引き込まれてしまう美しいモザイクの数々はチュニジアの様々な古代ローマ遺跡から発見されました。
私の大好きなバルドー博物館は17世紀のオスマン帝国の総督の宮殿という贅沢な空間に本当に溢れるほどの古代ローマモザイクが展示されています。
その中でもお気に入りはいろいろありますが…今回紹介したいのは「ポセイドンの勝利」に出てくる四季の春を擬人化した女性です。
顔の陰影がとても、なんというかアンニュイで素敵なんです。

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<バルドー博物館 ポセイドンの勝利>

春なので明るい雰囲気なのに、あんまり笑顔ではないところが、逆に春の不安さが出ていて素敵だなぁと思うのです。
この表情を自然の石のみで表現しているのです。
いやはや古代ローマの芸術性と職人の技術に脱帽です。

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<バルドー博物館 ポセイドンの勝利2>

語りつくせない古代ローマの息吹きを国中で感じられるチュニジア。
その魅力に一度でもはまったら…時代をさかのぼったり下ったりしてカルタゴの世界やイスラームの世界へ引き込まれること間違いなしです。添乗員:齋藤晃子

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2018年4月13日 (金)

南イタリア・プーリア州、下手うま中世芸術めぐり

先日、美術史家 金沢百枝さんとゆく、南イタリア・ロマネスクの旅より帰国しました。イタリアのかかとの部分プーリア州のみを巡るツアーで、プーリア州といえばとんがり屋根の家々が並ぶアルベロベッロや洞窟住居のマテーラが有名ですが、そういったところには一切近寄らず・・・田舎の教会、修道院!大聖堂!!などなど、11世紀~13世紀、中世に造られたいわゆる“ロマネスク建築”を見てきました。

そもそもプーリア州はイタリアの中でも最も長閑な(田舎っぽい)州で、訪れる場所場所で地元の人達に驚かれました。「なんでお前たちはこんなところに来たんだ?」なんて聞かれることもしばしば。

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どんな素敵なものがあるのか?例えばこちら。12世紀初めに建てられたスキンザーノのサンタマリア・デ・チェッラーテ修道院の回廊の柱頭装飾。なんだか不思議な人のような動物のような彫刻ですが、これは人が持つ性(さが)を擬人化したものだそうです。なんだかおどろおどろしいような、上手なんだか下手なんだかわからないような感じがします。

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<ヘルメットをかぶって見学>

ちなみにこの修道院は修復作業中で、↑のような感じで見学しました。修復しているところも見せてもらえました。こういうのはわくわくして楽しいですね。

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<ばらばらな壁画>

また、この修道院がかつて崩れてしまったとき、なんとなく組み合わせて直したはいいものの、壁画がばらばらになってしまった部分も。よ~く見てみると顔が逆さになっているところがありました(矢印の所)。それくらい頑張って直そうよ!
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<オトラント大聖堂>

こちらはオトラントの大聖堂。奥行40m、幅も広いですが、なんと、床一面がモザイクに覆われています。なんとなんと、1160年代にたった一人の人が2年かけて作り上げたのだそうです!すごすぎる。ただの幾何学模様ではありません。何が書かれているのか詳しくは先生の著書をご参照ください。

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<片足だけながぐつをはいた猫や>

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<豚?ねずみ?謎。>

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<ラッパが長い・・・右上に目があるひょうたん。>

などなど可愛らしいものもたくさんいます。一日かけて隅々まで堪能したいところですが、残念ながら私達が入れたのは片側の側廊のみ。それでも、大変感動しました。先生はこの場所にかなり長い時間をかけて向き合ってらっしゃるので、ここのモザイクの素敵ポイントをたくさん教えて頂きました。
ちなみにこの大聖堂の地下礼拝堂にはたくさんの柱、そしてその柱頭彫刻があるのですが、先生が「このなかのどれか一本だけ、草の間から顔をだしてるおじさんがいて・・・どれだったけなぁ」とおっしゃるので、そこから全員で「葉っぱおじさん」探しスタート。翌日のお祭りの準備をしていた地元の人達が、なになに?と聞きに来ました。↓が葉っぱおじさん。

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<葉っぱおじさん>

他にも、ブリンディシのサン・ベネデット聖堂の可愛らしい柱頭彫刻見学。みなさんとどの子がお気に入りか探し合ったり、野花に囲まれたヴァレンツァーノの聖堂を訪れたり、盛りだくさんでした。ロマネスク芸術と言われると難しそうに感じるかもしれませんが、好きなものを探すことから始めてみると面白いかもしれません(留置)

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2018年3月28日 (水)

素朴なロマネスク教会は歴史を静かに語る(ポルトガル)

3月7日発「ポルトガル・ドウロの谷と南ガリシア・ロマネスク10日間」のツアーから戻って参りました。

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<サン・フランシスコ修道院回廊の彫刻>

ポルトガルの国土は南北に長く、イベリア半島のレコンキスタの歴史や地理的なものからリスボンを流れるテージョ川を境に、南北でそれぞれの特徴を有しています。今回のツアーは、リスボンより北へ320km離れたポルトから始まり、ポルトから北東の地域と国境を越え、スペインの南ガリシア地方を巡ってきました。目的はロマネスク教会巡りではありましたが、ポルトガルのロマネスク教会の存在は、まさにイベリア半島のレコンキスタとポルトガル王国誕生前後の歴史に深く関わりをもつ点もあることが非常に興味深いことでもありました。

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<サンタ・コンバ・デ・バンデ教会>

ポルトガルにおけるロマネスク教会は、リスボン近辺にはなく北部のみでみられるものです。それは711年からのイベリア半島イスラム統治時代の到来、イスラムに征服されなかったイベリア半島北部のキリスト教国により徐々に南下していったレコンキスタの再征服の痕跡ともいえます。
ロマネスク建築は、国ごとに多少の前後はあるものの11世紀後半から12世紀初めに建てられた半円アーチや厚みのある壁、小さな窓などの特徴を有しています。1085年にレオン・カスティーリャ王国アルフォンソ6世によるテージョ川以北までの平定、その際に呼ばれたブルゴーニュの騎士アンリ・ド・ブルゴーニュが、戦争の功績によりミーニョ川とモンディエゴ間にポルトゥカレ伯領を与えられたこと(※クリュニー修道院はブルゴーニュ地方から10世紀に誕生)、北部のギマランイス、コインブラを中心に1143年ポルトガルが建国、という歴史的出来事とキリスト教徒による再征服の証のように教会が建てられました。そしてポルトガルにおけるレコンキスタの完了は1249年。すでに13世紀半ばになる頃に首都がリスボンに移され、教会が建てられますが、そのころは既にゴシック建築の時代。それゆえに、リスボン近辺ではロマネスク教会が見られないのと北部で見られるロマネスク教会とは、北部のキリスト教国による再征服を達成した証であり、その時代を表しているのです。

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<バーホのサンタマリア教会>

その他、イスラム侵入以前にイベリア半島にいたスエヴィ族、西ゴート族による影響や紀元前1000年頃にいたケルトの影響と思われるものがプレ・ロマネスク教会にわずかに見ることができました。何気なく見ているだけでは素朴で地味な教会の存在がイベリア半島の歴史を物語っている。北部ポルトガルやグリーンスペインと言われるガリシア地方は早春の3月でも緑が美しく、自然豊かな景観のなかに溶け込んで静かに建つロマネスク教会は、まるで古の歴史を物語る長老のようにも思えました。(髙橋)

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2018年1月31日 (水)

ベルリンフィルジルベスター VS ウィーンフィルニューイヤー(ドイツ、オーストリア)

2017年12月29日発「ベルリンフィル・ジルベスターとウィーンフィル・ニューイヤーコンサート 7日間」の添乗に行って参りました。

世界最高峰を競うベルリンフィルとウィーンフィルによるコンサートにて年末と年始を過ごせる何とも贅沢な内容で、ベルリンフィルに関していえば、サイモン・ラトル氏によるベルリンフィルジルベスター最後の指揮ともなり、感慨深いものがありました。

このツアーでは、近い日にち間隔(12/30ジルベスター、1/1ニューイヤー)で両フィルのコンサートを聴けることから、聴き比べができたところが面白く感じました。

2017年末ベルリンフィルジルベスターで演奏された曲の中には、ドヴォルザークやR.シュトラウスの曲と共にバーンスタインとショスタコーヴィチの曲を含めたプログラム構成が印象的でした。バーンスタインが作曲した「オン・ザ・タウン」(ミュージカル)は、ノリがよい曲で、「ベルリンフィルのジルベスターコンサートは格式が高く、クラシックも詳しくない自分が聴いてどうなのだろう・・・」というような事前に不安を抱いていた人の緊張をほどいてくれた気がしました。昨年(2017年)、日本の某新聞記事にラトル氏が「二度と聞きたくない言葉は、〝クラシック音楽はエリート層の為のもの”」とあったのを思い出しました。すべての人がクラシック音楽を好きになるようにと尽力しているからこその、このようなプログラムになったのかなと思いながらノリのいいオン・ザ・タウンを聴き入りました。(余談ですが、オン・ザ・タウンは、日本の某男性アイドルグループも2014年にミュージカルをしましたので、曲だけでも知っている人は日本でも多そうですね。)旧ソ連の作曲家ショスタコーヴィチは、私はほとんど彼に対する知識がなかったので、調べていくと、ベルリンフィルにて彼の曲が演奏されたのは彼がベルリンとふとした関わりがあることがわかりましたが、それがプログラムに取り入れられたかはわかりません。しかし、決めつけられた理由ではなくプログラム構成への自由な考えをラトル氏は許してくれそうなので、私のつぶやきにとどめたいと思います。

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<ベルリンフィル・ジルベスターコンサート>

ウィーンフィルによるニューイヤーコンサートは、ベルリンフィルとは反対に、やはり格式高く、敷居が高いイメージそのものでありましたが、それがウィーンフィルによるニューイヤーコンサートの良さでもあることを実感してきました。シュトラウス一族の曲は、王室や貴族の為に作られた曲であり、上流階級の人たちの耳に入る曲であると頭ではわかってはいたものの、実際耳にしたときは想像していた以上のお上品な音に驚きました。「作曲家がイメージし、楽譜にこめられた音を忠実に再現するのが演奏者と指揮者の使命」というのを聞いたことがあります。優雅なメロディ、王室を讃える感情、歓喜が込められた曲は、約200年前の作曲家のメッセージであり、表現したい感情であり、それを伝統的に表現し続けてきたのがウィーンフィルだと思いつつ、素人の私にもお上品な音に感じられた体験ができたことは感慨深いものでした。庶民派の私には、その上品な音というものを感じられたことを嬉しく思い、クラシックファンが憧れる聖地・楽友協会にある美しい花で飾られた黄金の間の雰囲気を味わえたことは光栄で貴重な体験にもなりました。

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<楽友協会ニューイヤーコンサート>

どちらがよい、どちらが最高というわけではなく、どちらもよく、最高!それぞれの良さがあり、その良さを味わえる。好き嫌いがはっきりする場合は、興味のある音楽を聞けばいいと思いますが、異なるからこそ、様々な曲の選択肢を与え、自分好みの音を聴く機会を得られたり、逆に未体験の音を聴く機会からその体験によって得られる感動も多くなる。会場の雰囲気や生の音による耳あたりと体感で音楽を味わえる楽しみを得たツアーでした。

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2017年4月12日 (水)

音楽の都ウィーンの舞台で「第九」を歌う(オーストリア)

楽友協会での第九コンサート

オーストリアの添乗より戻って参りました。いつもは観光をすることが旅の大きな目的ですが、今回のツアーはいつもとは趣向が異なりました。旅の目的は、「第九」を歌うこと。しかも、音楽の都ウィーン、会場は楽友協会の「黄金の間」です。毎年元旦に豪華な花で飾られた黄金色に輝くホールで開催されるニューイヤーコンサートをテレビで見たことがある方は多いのではないでしょうか。そこと同じステージに立って「第九」を歌うのですから、とても特別な企画のツアーです。

この旅は、日本を出発する前の事前練習会から始まりました。日本全国で申し込みされた参加者約170名が東京で開催された2回の練習会に参加し、徐々に調子を上げていきます。

そしてツアーが出発すると、コンサート前日には楽友協会にあるガラスホールでリハーサルがありました。ここでは日本からの参加者のほかに、ウィーンで応募したボランティアの方の合唱団と4人のソリストも加わりました。指揮者ヴィルト氏の指導で合唱はどんどん声量を増し、まとまっていく様が手に取るようにわかります。

ガラスホールでのリハーサル

そしてコンサートの本番当日です。午前中には「ゲネリハ」です。ウィーンカンマー・オーケストラとソリスト4名、それにウィーン少年合唱団の少年たちが加わり、本番と同じ構成でリハーサル。出演者がここで初めて揃いました。始めのうちは探るように歌いだしましたが、ヴィルト氏の指揮に合わせて各パートがのびのびと歌い始め、歌声はオーケストラに乗ってさらに高らかに響くようになり本番に向けての準備は万端。

その後、夕刻の本番を向かえました。会場は満席です。指揮者がタクトを挙げると静寂に包まれ、ベートーヴェン作曲「交響曲第九番」の演奏が始まりました。ウィーンカンマー・オーケストラの上質な音色が流れます。とても緊張感のある演奏です。第四楽章に入り、合唱部分に入ると「フロイデ!」の歌声がホール内に響き渡りました。オーケストラの音色を相乗し、ホール内の四方八方から包み込むような厚みのある響きです。ぴたりと息のあったオーケストラ、そして合唱の織り成すハーモニーに耳を傾けると、ウィーンで半生を過ごした作曲家ベートーヴェンの志がそこに再現されたと感じ、心が熱くなりました。感動で自然と涙がこみ上げてきたのでした。演奏後の大きな拍手が、その演奏の素晴らしさを物語っていました。
拍手に促されるようにアンコール曲に移りました。曲は「花が咲く」です。このコンサートが開催されたのは3月12日。このコンサートは東日本震災のチャリティーが目的でしたので、震災の犠牲者を追悼するためのアンコール曲です。ウィーン少年合唱団の少年が清らかに歌い上げるパートもあり、この歌声と追悼の思いが犠牲になった人たちの魂に届くよう祈らずにはいられませんでした。

こうして、ウィーン楽友協会の「黄金の間」という、世界に名だたる名ホールでのコンサートは終わりました。興奮冷めやらぬまま、打ち上げパーティを行っているところに、ソリストのソプラノ吉田珠代さんとテノールのジョン・健・ヌッツォさんがお越しくださり、ツアー参加の皆様はさらに大興奮。二人と一緒に撮影した写真は一生の記念になるに違いありません。

クラシックファン垂涎のウィーン楽友協会のステージに立つことが叶う旅。同行して、あの名曲「第九」の完成に至る過程を知ることができました。音楽の都ウィーンで歌った日本人合唱団の歌声は、きっとベートーヴェンの魂にも届いたと信じて旅を終えました。(斎藤さ)

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2017年1月26日 (木)

ウィーンフィルニューイヤーコンサートで幕を開けた2017年

指揮台足元より、ドゥダメルの見た景色を疑似体験
 前回に続いて、本日はウィーンフィルハーモニー管弦楽団による、2017年ニューイヤーコンサートをご紹介します。ウィーン楽友協会・黄金の間にて開かれるこのコンサートは、お正月に全世界(2017年は92か国)に中継される“世界で最も観客の多いコンサート”です。今回はなんと、ファーストカテゴリーの良席でお楽しみ頂きました。
 今年の見どころは何と言っても、ベネズエラ出身、新進気鋭のグスターボ・ドゥダメルによる指揮です。ニューイヤーコンサート史上最年少での大抜擢で、南米出身というのも初です。会場内の花の飾りつけ(実はこれも見どころ)も南国を意識したもので、パイナップルやオレンジなどフルーツまで飾り付けられていました(終演後は持ち帰りできます)。
また、今回はヴィヴィアン・ウェストウッドによってデザインされた、ウィーンフィルの新しいユニフォームお披露目の日でもありました。
 チューニングも終わり、会場の期待が高まる中、いよいよグスターボ・ドゥダメル登場。1曲目、レハールの『ネヒレディル行進曲』はピッコロフルートが小気味よい曲。続く『スケーターズ・ワルツ』はお馴染みの優雅なワルツ。『冬の遊び』は打楽器による鈴と鞭の音が特徴。日本の冬の遊びとは少々違うようですね。『メフィストの地獄の叫び』はタイトルと曲の出だしは恐ろしいものの、すぐにいつも通りの優雅な曲に。『別に怖くありませんわ』は軽快なシュネル・ポルカ。メロディーはオペレッタで料理人パパコーダが「なぜだか楽しい・・・」という部分ですが、妙に納得。なぜだか楽しくなる曲です。
 休憩を挟んで、『スペードの女王』は今回個人的に一番のお気に入りです。お客様の評価も上々。静かに丁寧に始まるオーケストラは突然“ジャン”と一斉に打ち、管楽器が余韻を残します。続く『いらっしゃい』、テレビ中継ではヘルメスヴィラでのバレエシーンが重ねられていました。そして合唱団が登場し、『月の出』。ワルツやポルカのリズムから一転、コーラスと鐘の音が調和し荘厳な気分に。再び『ペピタ・ポルカ』でリズミカルに。エキゾチックな曲調がスペインの踊り子を表現しています。『ロトゥンデ館のカドリーユ』では小品6曲を連続演奏。ワルツの見本市のようでした。『インディアン・ギャロップ』は確かに異国情緒を感じさせる旋律。新しいもの、珍しいもの好きなウィーンの人々に向け、当時様々なワルツが作られました。『ナスヴァルトの女たち』では曲の終わりにドゥダメルにより鳥の鳴き声。会場に笑いが漏れます。『さあ踊ろう』では踊り子乱入。曲が終わって踊り子に手を振るドゥダメル。『チクタクポルカ』では、曲の終わりでオーケストラが「チクタク、チクタク」と歌う恒例の演出。
 アンコール1曲目は『喜んで』。新年に相応しい華やかな曲です。
そしていよいよ『美しき青きドナウ』。源流のさざ波のようなイントロが1度中断。恒例の新年の挨拶は、
Die Wiener Philharmoniker und ich wünschen ihnen PROSIT NEWJAHR. (ウィーンフィルと私はみなさんのよき新年を願います)
でした。少し噛んでしまったドゥダメル。演奏再開。
終演後のドゥダメルとウィーンフィル
 オーストリア第二の国歌とも言われ、人々に愛されているこの曲。心が洗われます。
そしてお待ちかねのラデツキー行進曲。この時のために練習を重ねて下さったお客様もいらっしゃいました。最初は小さく、ドゥダメルの合図のある2周目で拍手。
 無邪気に、オーケストラと遊ぶような指揮が印象的でした。この若さで登りつめたドゥダメルですが、これから彼の“振り“がどう変化していくのか、楽しみですね。(尾崎)
2018年は“イタリアが生んだ現代の巨匠”リカルド・ムーティが5度目のニューイヤーコンサート指揮者を務めることが発表されました。

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2017年1月25日 (水)

ベルリンフィル・ジルベスターコンサートで締めくくった2016年

ベルリンフィルハーモニーホール内
    「ベルリンフィル・ジルベスターとウィーンフィル・ニューイヤーコンサート 7日間」の添乗より帰国致しました。ツアーの様子を2回に分けてお伝え致します。
 ベルリンではベルリン・フィルハーモニー管弦楽団による年末恒例のジルベスターコンサートをご鑑賞頂きました。会場はヴィンヤード型と呼ばれる独特な形をしたフィルハーモニーホール。設計には指揮者カラヤンも参加し、のちに東京にあるサントリーホールのモデルとなりました。
ベルリンフィルハーモニーホール外観  どこからでもステージがよく見えるホール内、20時の開演に向け期待が高まります。
オーケストラが揃い、拍手の中サイモン・ラトルが登場。カバレフスキー作曲の『コラ・ブルニョン』序曲で開演。ラトルの“野獣的”な指揮と、一糸乱れぬベルリンフィルに、ぐいぐい魅き込まれます。2曲目はダニール・トリフォノフが登場し、ラフマニノフの『ピアノ協奏曲3番』。最難曲の一つで、憂いを帯びたピアノが美しい曲。カデンツァ部ではピアノから跳ね上がっては、全体重を鍵盤に込めるトリフォノフの姿が印象的です。
 休憩中はホワイエにてトリフォノフのサインタイム。若手天才ピアニストを間近でご覧になった方もいらしゃいました。
ジルベスターコンサート休憩中のホワイエ  明けて後半。英国の作曲家ウィリアム・ウォルトンの歌劇『ファサード』より、サイモン・ラトルによる組曲編曲版の管弦楽小品。英国出身ラトルはこれまでも度々この曲を演奏しています。プログラム最後は、こちらもラトルが敬愛するドヴォルザークから、『スラブ舞曲72番』。2002年にベルリンフィルの首席指揮者に就任し、約15年で知り尽くしたオーケストラの力を最大限引き出すラトルの巧みな指揮。
 アンコール1曲目は、ラトル曰く“サーカス・ソング”、再びカバレフスキー作曲の『ギャロップ』です。あのパート、このパートが弾くコミカルで装飾的なフレーズはまさにサーカスのよう! アンコール2曲目はブラームスの『ハンガリー舞曲1番』。ラトルが首席として指揮するベルリンフィルが見れるのも、あと僅か。美しい演奏で2016年を締めくくりました。(尾崎)
 明日はウィーンフィル・ニューイヤーコンサートについて、お伝えします。

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2016年9月 1日 (木)

必見!ブレゲンツ湖上オペラのバックステージツアー(オーストリア)

 この度、ユーラシア旅行社の「ザルツブルク音楽祭とブレゲンツ湖上オペラ 10日間」より帰国しました。
 夏のヨーロッパはイベントが盛りだくさん!サマーフェスティバルや野外音楽祭、湖上オペラなど、各地で様々なイベントが開催されます。中でも毎回盛り上がるのが世界的に有名なザルツブルク音楽祭。ウィーンフィルを始め、世界のトップクラスのオーケストラや歌劇団、指揮者などが集い、期間中、世界中の人々に感動を与える舞台が繰り広げられているのです。
 今回のツアーでは、ザルツブルグ音楽祭でウィーンルコンサートとオペラの鑑賞、また、ブレゲンツでボーデン湖畔の湖上オペラを鑑賞してきました。

ブレゲンツ湖上オペラ会場

 ブレゲンツ湖上オペラは日本人にはまだまだ馴染みの浅い音楽祭ですが、オペラファンや舞台好きの方にとっては「一度は行きたいオペラ劇場」のひとつだそうです。
 1946年、戦後の荒廃した町に、自分たちの力で音楽を蘇らせよう!と地元住民が資金を出し合って開催したのが始まりです。当時はボーデン湖に浮かべた2隻のボートを舞台に上演された小規模なものだったそうですが、年々舞台装置や演出のレベルがアップして、今や世界中から注目される舞台となりました。
 劇場入り口に過去の舞台の写真が展示されています。「トスカ」や「魔笛」など有名な作品ばかりですが、どれも斬新でクオリティの高さを感じます。こんなすごい舞台があったなら、もっと早く知りたかった、見てみたかったと、ちょっぴり悔しい思いがよぎりました。
 ボーデン湖畔に作られた観客席からその舞台を眺めると、背景に広がる自然の美しさに目を奪われます。昼は湖を行き来する船、夕暮れ時は赤く染まる空、夜は星空や対岸の街明かり、それらが一体となり、この舞台が完成するのです。

これまでの舞台

 ツアーでは、オペラを見るだけでなく、そのバックステージツアーにも参加して来ました。
まずは、劇場内のVIPルームへ潜入!革張りのソファがズラリと並んだVIP席は、大きく作られた窓から舞台全体や他の客席も良く見えました。私達もエアコンが効いた部屋で説明を聞いている間だけVIP客の気分を味わいました。
 その後は外に出て、いよいよ湖上舞台へ!客席と舞台の間の通路を行く途中、ガイドさんが扉のカギを開けながら言いました。「皆様、湖に落ちないで下さいね!」。そう、ここからはもう湖上なのです。舞台の裏の控え室は通常の劇場と違いとても狭く、ここで衣装チェンジや裏方作業など全てが行われると聞いてびっくりしました。水の上に建てられた舞台は軽く、且つ、演者が立つ場所は頑丈である必要があります。随所にその為の工夫が施されているそうです。

バックステージツアー

 今年の演目は「トゥーランドット」。その世界感を舞台で表現するために万里の長城と兵馬俑が設置されています。何体も並べられた兵馬俑、水の中の物は重たいコンクリートで、舞台の上の物は軽い素材で作られています。客席から見ると同じに見えますが、近くで見ると全く違うという事が分かりました。また、各兵馬俑の後ろにはLEDライトが取り付けられていて、上演の間、シーンに合わせて様々な色に変え、雰囲気を出していました。
 客席を見ると最前列の席のさらに前、一段低い場所に椅子があります。何かと思いガイドさんに聞くと「ダイバーの席よ!」との事。万が一の事故に備えて、上演中、ダイバーがそこに待機しているんだそうです。湖上ならではの安全管理ですね。
 7000席の客席を眺め、夜にはここが人でいっぱいになるんだぁ~と、しばしオペラ歌手になった気分に浸り、有名なアリア「誰も寝てはならぬ」を口ずさみました。
 夜、実際のオペラを鑑賞した時は、様々な予想外な演出に驚きつつも感動し、演出家や演者、スタッフ達の込められた熱い思いを感じることが出来ました。(関根)

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