2017年3月23日 (木)

ヨーロッパ文明の礎、燦然たるギリシャの歴史

Cimg1093

先日「パトラのカーニバルと神々の国ギリシャ周遊9日間」の添乗より帰国致しました。まだ日本が冬の装いの中、今回2月下旬に訪れたギリシャでは日中20度程になり、春のような心地よい風を感じながらの旅となりました。春を告げるカーニバルがギリシャ第三の都市パトラで開かれ賑やかなパレードも見学。パトラ市民による百人単位のグループが数百組出場!それぞれ手作りの衣装に身を包み、街を練り歩きます。地元の人々の明るい笑顔は、こちらまで楽しい気分にさせてくれ、この時期ならではの旅の良いスパイスとなりました。

Cimg1239

今回の旅は、古代ギリシャ遺跡の数々、ギリシャ正教会そしてカーニアバルと盛りだくさんでした。中でも、古代ギリシャの遺跡群には訪れる度に驚かされます。ヨーロッパ文明発祥の地ギリシャ。今から4000年も前に起こったミノア文明を吸収し、ぺロポネソス半島でミケーネ文明が栄えたのが約3500年前。ホメロスの叙事詩「オデュッセイア」や「イリアス」にも登場するトロイア戦争の時代です。紀元前8世紀頃にはアテネやスパルタをはじめとし、各地にポリス(都市国家)が形成され、繁栄の時を迎えます。各遺跡、訪れた都市の歴史や神話を知るたびに、他のヨーロッパでの繋がり、各地に及ぼした影響を再認識しました。それは、建築様式であったり、絵画の題材であったりと様々な場面で多かれ少なかれ古代ギリシャの中で見ることができます。今更ながら、大感激。次に、どこか他のヨーロッパの国を訪れたら、きっと再びギリシャの事を自然と思い出すでしょう。(帯津)

ユーラシア旅行社で行くギリシャツアーの魅力はこちら

| | コメント (0)

2016年11月 4日 (金)

遥かな時を越えて、ポルトガル大航海時代と日本の関わり

先日、「ポルトガルハイライト9日間」の添乗より帰国致しました。ポルトガルというと、まず思い浮かぶのは、大国スペインの西隣の小さな国というイメージでしょうか。それともオビドスなどのかわいらしい小さな町や、エッグタルトやカステラなどのお菓子、世界的なサッカー選手クリスティアーノ・ロナウドなどなど、思い浮かべるとキリがないですね。そんな中でも、私はやはり、大航海時代にロマンを感じずにはいられません。

Img_4845
日本の4分の一程の国土に、歴史がぎゅっと詰まった国。15世紀、エンリケ航海王子は航海士や専門家を多く招き、航海学を発展させ、周辺の強国よりいち早く大海原へと旅立っていきました。1488年にはディアスがアフリカの喜望峰を回ってインド洋へ、その10年後にはバスコ・ダ・ガマがインド大陸に到達。1500年にはカブラルがブラジルに到達。1510年にはアルブケルケがインドのゴアを占領、更にマラッカも占領・・・西の果ての国から、南へ東へ、ポルトガルの進出の勢いは、莫大な富と栄光をもたらし巨大な修道院建設や教会建築へと結びつきます。首都、リスボンの街には当時の栄華を誇るようにジェロニモス修道院や大西洋へ注ぐテージョ川河口の要塞、ベレンの塔が建ち並び、その姿を目の当たりにすると、ただただ、ポルトガルの歴史に圧倒されるばかり。

Img_4723
彼らは貿易と共にカトリックの布教活動にも力を注ぎます。そこで、遂に日本との関わりが始まっていきます。1543年にはポルトガル人を乗せた中国船が種子島に漂着し火縄銃がもたらされた歴史を皮切りに、1549年にはフランシスコ・ザビエルが鹿児島に到着。キリスト教が日本に初めて伝わり、学校や病院なども建てたられ、信徒を増やしていきました。歴史の教科書に出てくる、天正遣欧少年使節団がヨーロッパに派遣されたのもこの頃です。2年の航海の後、最初に到着したのがリスボン。今回の旅でも、少年使節団が立ち寄ったサン・ロケ教会を訪問しました。400年以上も前に日本とポルトガルの間でこのような交流があった、それも10代の少年たちがやっとの想いで海を渡り西洋の国で大歓迎されたと思うと特別な思いがします。

平和的に二国間の交流が続く中で、ポルトガルからもたらされたパン、てんぷら、コンペイトウ、たばこ、ボタンなどはそのまま日本語に転じて現代の私達も普通に使用していることは有名ですよね。しかし長崎を出発してから8年後、少年たちが日本に戻った頃には既に秀吉によるバテレン追放令が出された後で、キリスト教を取り巻く環境はすっかり変わっていました。その後も日本のキリスト教は厳しい弾圧を受けながらも長崎や熊本の島々で陰ながら細々と信仰が続きました。その信仰の継承を物語っているのが、その地方に建てられた教会群です。これらは長崎と天草地方のキリスト教関連遺産として2018年の世界遺産登録の審議の対象となっています。これから、また国内でそのようなニュースを耳にする度、ポルトガルの事を思い出しそうです。(帯津)

ユーラシア旅行社で行くポルトガルツアーの魅力はこちら
ユーラシア旅行社で行く長崎キリスト教会群を訪ねるツアーの魅力はこちら

ツアーグランプリ2016(国内)

| | コメント (0)

2016年1月 8日 (金)

クリスマスに訪れた五島列島、心癒される教会群巡り

Dscn6403_3

先日、「イルミネーションに輝く 五島列島巡礼の旅4日間」の添乗より帰国致しました。
いよいよ今年の7月、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」が世界遺産登録の可否が審議されます。五島列島には、そのキリスト教関連遺産として中通島の頭ケ島天主堂、奈留島の江上天主堂、久賀島の旧五輪教会の3つの教会が候補となっています。島は、世界遺産登録に向け、この1、2年でずいぶんと観光客が増えたそうです。

そんな話題の中、私達が訪問したのは、ちょうどクリスマス。24日には厳かな夜のミサも体験しました。この五島列島には50もの大小様々な教会が点在しています。いずれも、キリスト教禁教令が廃止された明治以降に建てられたものだというのですから驚きです。その背景には、16世紀にキリスト教がこの地一帯に伝来して間もなく、秀吉、その後の徳川幕府の禁教令からそれが解けるまでの約250年もの間、迫害を受けながらも細々とその信仰を代々守り続けていたことに繋がります。

Dscn6289

教会内の机には信者の方の聖書や筆記具が置かれており、数時間前にミサがあったと思われるストーブの暖かさが残っていたりと、どの教会も地元の方々の生活の一部になっているのだと感じました。夜には、素朴ながらもクリスマスを祝うイルミネーションが教会に灯され、深い夜の中で静かに輝いていました。

Dscn6422

五島列島はもちろん、教会群を巡るだけではなく、美しい海、そこで獲れる新鮮な海の幸を存分に楽しめるのも魅力。これから春を迎えると五島名産の椿が咲き誇る季節となります。たくさんの魅力がつまった旅でしたが、その中でもやはり一番心を打たれたのは、ひっそりと佇む小さな教会群でした。海外の荘厳な大聖堂や豪華な教会を訪れる機会が多い私ですが、今回の五島では初めて感じる神聖な気持ちに満たされました。(帯津)

ユーラシア旅行社で行く五島列島ツアーはこちら

ユーラシア旅行社で行く「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を巡るツアーはこちら

| | コメント (0)

2015年11月24日 (火)

インドへの旅の途中、玄奘三蔵が立ち寄った地・高昌故城(中国・新疆)

高昌故城①

先日ユーラシア旅行社の「シルクロード、西安・敦煌・トルファンへの旅 9日間」のツアーから帰国致しました。
このツアーはタイトル通り、西安、敦煌、トルファンとシルクロードの要衝を訪ねる旅です。シルクロードとは、ユーラシア大陸の東西を結ぶ古代の交通路であり、中国の絹がこの道を通り西へ運ばれたことから、19世紀にドイツの地理学者リヒトホーフェンによって名づけられました。もちろん絹だけではなく、様々な物資が行き交ったこともあるので「交易の道」でありますが、同時にインドからこの道を通り中国へ仏教が伝わったので「仏教の道」でもあります。ちなみに仏教が最初に中国に伝わったのが1~2世紀頃と言われてきますが、7世紀(唐代)には玄奘三蔵(世間一般で「三蔵法師」とは玄奘を表します)がインドへ仏教を学びに行った時も、シルクロードを通っています。
その玄奘がインドへ赴く途中に立ち寄ったのが現在のトルファンの東40kmのところにある高昌国です。熱心な仏教徒であった高昌国王・麴文泰(きくぶんたい)は玄奘を手厚く迎え入れました。そして麴文泰からこの地にとどまって欲しいとお願いされるも、玄奘は3日間断食をしてインドへ行く決意が固いことを示しました。ここで麴文泰もとどめることを諦め、インドの帰りに再び訪れることを条件に、金銀財宝を贈与したり、護衛の人たちをつけたりするなどして、温かく玄奘を送り出しました。しかし玄奘がインド留学を終えて中国に帰る途中、約束の地・高昌国は唐によって滅ぼされ、国自体がなくなっていました。

高昌故城②

その高昌国の都であった城址遺跡が高昌故城です。昨年「シルクロード:長安-天山回廊の交易路網」の1つとして世界文化遺産に登録されました。面積は200万平方m(東京ドーム40個強分)という広大さで、前回私が訪れた時にはロバ車を利用しましたが、世界遺産に登録されたということもあってか、敷地内を電気カートでぐるっと一周することができました。城壁内の建物はほとんど残っていませんでしたが、それがかえって当時を偲ぶことができロマンを感じました。そして大仏寺にてカートを下車。中に入ると丸い建物が見えましたが、これこそが玄奘が説法をしたという説法堂だと言われています。中に入り目を閉じれば、現状の説法が聞こえてくるような(いや空耳か?)。そしてその説法を麴文泰や高昌国の人たちはどのような思いで聞いていたのだろうか?いろいろと思いを馳せたまま、大仏寺をあとにしました。(斉藤信)

ユーラシア旅行社で行くシルクロードツアーはこちら

| | コメント (0)

2015年11月10日 (火)

大きな歴史の舞台は小さな古都レーゲンスブルクから

先日、「ライン・モーゼル・ドナウ河畔の町々と世界遺産レーゲンスブルクを訪れる 11日間」のツアーより帰国致しました。

ツアータイトル通り、クルーズ船でドイツ国内を流れる3つの河下り(上り)を楽しみ、さらに河沿いを移動しつつ、最後はドナウ河畔の古都レーゲンスブルクへ訪れる楽しいコースです。

このコースのいいところは、何よりも景色が素晴らしいということでしょうか。
そしてワイン。
151007wgf1_70
特にモーゼル川とライン河は両岸の傾斜が深い為、太陽の光が隅々まで届き、結果としてブドウが育つ土壌となったのだそうです。
畑ごとに主に白ワインになるブドウが作られ、今も様々な銘柄のワインが、街ごとに売られています。

試飲が気軽にできるのもうれしいです。リューデスハイムでは、この時期にしかないジュースの様なブドウの香り豊かなフレッシュワインという、1週間くらいしか店頭に出ないワインがあり、ちょっと得した?気分になりました。
この近辺でのワイン作りの歴史は古く、古代ローマ時代からだそうです。
領土拡張の為の都市建設の際に、川は重い物資を大量に輸送する重要な行路でした。

レーゲンスブルクはドナウ河に隣接する街で、特に塩の商取引で栄えたのだそうです。
151007wgf1_117

街の中心地には2世紀頃の古代ローマ時代の門が残り、町の中心の大聖堂のすぐそばにはナポレオンが居住した宮殿跡が残り、少し歩けば神聖ローマ帝国議会場跡や皇帝が滞在したホテルがあります。
ドナウ河に出ると12世紀に十字軍も歩いた石橋や、中世には巨大な富が詰まっていた塩の倉庫があり、更に街の中には17世紀の建物に12世紀の頃の扉がついていたり、バルコニー部分だけ15世紀の造りだったりする家や、壁一面に新約聖書の一部が描かれた斬新なアパルトマンを見つけたり、とにかく歩いているだけでいろんな時代に出会える楽しい街です。
さて、そんな街中にはいくつかの銅像が立っていますが、その一つにドン・フアン象があります。

ヨーロッパに「日の没することなき帝国」を作り上げたカール5世(スペイン国王カルロス1世)が、帝国議会が開催されるときにレーゲンスブルクの可愛らしい町娘に出会い、一夜を共にして生まれたのがドン・フアン(正式名称はドン・フアン・デ・アウストリア)だったそうです。

151007wgf1_93
スペインでフェリペ2世に弟として軍人として、世界史の教科書にも載っているレパントの海戦でオスマントルコを破ったことで有名ですが、実は、とっっっ ても!女たらしだった…という伝承が残っています。

まぁ…31歳の若さで亡くなられたし、私生児とはいえ皇帝の息子ですから、きっと街の娘たちの憧れだったんだと思います。

そうそう、こんなことがありました。

レーゲンスブルクで私達が夕食後にレストランからホテルへ戻るとき、ゆっくり歩いていたのですが、大聖堂へ差し掛かった時に大勢の若者(たぶん)がいました。
何かのイベントかと思い、話しかけると!ナント、とってもハンサム(by 一部のお客様のご意見による)がにっこりと「今から気の合う仲間で飲みに行くのさ、大聖堂はいつもの待ち合わせ場所さ」と、答えてくれました。

一緒に行く?とはもちろん言われませんでしたけど、ハンサム氏の笑顔にお客様のテンションも一気に上がり、楽しい帰り道となりました。
きっとドン・フアンもこんな感じで街娘をキャーキャー言わせたのではないかなぁ、などと思いました。
レーゲンスブルクの街中の細い路地をプラプラ歩いていると、曲がり角から悪戯っぽい笑みを浮かべたドン・フアンが現れそうな、不思議な錯覚にとらわれます。(齋藤晃)

ユーラシアで行くドイツツアーはこちら
ヨーロッパの河を楽しむツアーはこちら

| | コメント (0)

2015年9月24日 (木)

数年ぶりに訪問再開!“天空の寺院”プレア・ヴィヒア(カンボジア)

150822aasp_tc_331

先日、ユーラシア旅行社の「アンコール遺跡群と天空の寺院プレア・ヴィヒア 6日間」の添乗より帰国致しました。
アンコール研究の第一人者であり、上智大学の元学長、石澤良昭先生が現地2日間同行解説の特別なコースです。毎回、コースの中にポイントの遺跡を織り込んでいますが、今回は、何といってもプレア・ヴィヒアです。
プレア・ヴィヒアはカンボジアとタイ国境のダンレック山脈に位置している為、両国間で領有権争いが続いていました。2008年にユネスコの世界遺産に登録されると、両国の軍隊がお互いに睨みをきかせるようになり訪問が長らく叶いませんでしたが、昨年からようやく訪問が再開されました。

150822aasp_tc_294

アンコール遺跡観光の中心、シェムリアップの町からはバスで片道約3時間半。道はすっかり舗装されているので、大型バスでも余裕を持って行くことができました。長い移動時間でも、石澤先生からは歴史の話はもちろん、カンボジア人の生活習慣などの話もして頂き、気づいた時にはいつの間にかプレア・ヴィヒアの建つ山が見え始めていました。まず、麓のチェックポイントでバスから四輪駆動車のトラックバスに乗り換えます。そこからは、くねくねの坂道をトラックバスが勢いよく登り、15分程で到着!おにぎりのお弁当を食べて休憩してから、いざ、プレア・ヴィヒアへ。
以前、タイ側から観光をしていた時は、長い急な階段を上っていましたが、カンボジア側から訪問する今は、階段の上の位置までトラックバスで来ることができるので、観光をする部分では歩く時間が少なくなり大分、楽に感じました。いくつもの塔門を越え、参道を進みます。塔門のうねる様な立派な破風にはヒンドゥー神話の神々の彫刻が施されており、その表情は、ちょっと憎めない素朴な感じでした。お気に入りの神様や女神を見つけて、アンコール遺跡の各寺院の彫刻を見比べるのも面白いものです。この遺跡は、9世紀末に建てられた後、王が代わり11世紀に大きく改修されたので、第一塔門から、第五塔門まで時代を越えて行くような気もします。標高を少しずつ上がって行くのにも関わらず、だんだんとお客様の足が速くなって行きました。その先の断崖からの絶景が待っているからです。標高約650m、断崖絶壁からはカンボジア平原が眼下に限りなく広がっていました!疲れも吹っ飛ぶ景色です。これ程の場所を選び建てられたこの寺院の神聖さを改めて実感しました。
今回、石澤先生にご案内頂いたのは、このプレア・ヴィヒアの一日とアンコール・ワットとバンテアイ・クディ遺跡や博物館の一日。バンテアイ・クディ遺跡では、上智大学の発掘実習が行われていたので、当初の予定にはなかったのですが、石澤先生のご提案で特別にその様子も見せて頂きました。何度訪れても、新しい発見があります。次回、年末年始にも石澤先生同行ツアーが企画されています。次は、どんな発見があるでしょう。(帯津)

150822aasp_tc_337

ユーラシア旅行社で行くカンボジア、アンコールワットツアーの魅力はこちら
ユーラシア旅行社で行く石澤良昭氏同行アンコール遺跡ツアーの魅力はこちら

続きを読む "数年ぶりに訪問再開!“天空の寺院”プレア・ヴィヒア(カンボジア)"

| | コメント (0)

2015年1月 8日 (木)

石澤良昭先生(上智大学元学長)と訪れた「カンボジア 密林の五大遺跡」

先日、ユーラシア旅行社の「アンコール・ワットの初日の出とカンボジア5大遺跡を極める8日間」のツアーより帰国いたしました。上智大学元学長であり、カンボジア、アンコール遺跡研究の第一人者である石澤良昭先生が現地同行解説する特別コースです。2003年から毎年のように、ツアーを積み重ね、弊社ツアーでもすっかりお馴染みとなった石澤先生同行コース。毎回、テーマを設定して訪問する遺跡を入れ替えてご案内しています。

Dscn3618

今回の旅の目玉は、アンコール・ワットやアンコール・トムなどがある中心都市(現シェムリアップ)の地方拠点となった5か所を訪ねた事です。これらは現在、”5大遺跡”とも呼ばれ、シェムリアップからそれぞれ100キロ前後離れている為、修復や管理が未だ途中であり、中には密林の中に崩れ落ち巨大な石が転がる発見当時の遺跡の姿を残しているものもあります。

これらの遺跡を訪れると、アンコール王朝が最盛期にはいかに大きな力を持っていたか、思い知らされます。石澤先生の最新刊「カンボジア 密林の五大遺跡」 にも書かれているように、雨季でも冠水しない盛土土手道が造られ、これらの地方都市から物資を中心都市へと運ぶ為、各地が結ばれていた。まさに“全ての道はアンコールに通ず”です。壮大な絵巻物が繰り広げられたことを想像しながら、ある時は崩れ落ちた遺跡の石の上を歩き、ある時は草木を分け入って進みました。まるで、冒険ものの映画の一場面のようです。

Dscn3564

なかでも、冒険度ナンバーワンは大プリヤカーン(コンポン・スヴァイのプリヤカーン)です。7台もの4WDに分乗し、“石澤探検隊”はシェムリアップから約100キロ離れた地を目指します。数年前に比べると大分、道がよくなっていたとはいえ、遺跡近くになると道なき道を走る為、やはり4WDでなければ行けません。アンコール・ワットの約5倍もの規模をもつ、この地方都市には中央本殿の他、寺院などが点在しています。寺院の壁面に施された神々の彫刻を見つけると、地方都市らしい素朴さが感じられ800年以上もの間ここに存在していたのかと思うと圧倒させられます。

Dscn3359

石澤先生に現地でお話しを聞いていると、毎回新しい発見があります。そして、石澤先生が、ご自身の生涯をかけて遺跡修復、保存、カンボジア人の育成に尽力されていらっしゃる情熱がお話しの中にも伝わってきて、惹きこまれてしまうのです。次回は、長らく訪問が規制され、カンボジア側からの訪問がついに再開された“天空の寺院”プレア・ヴィヘアに行きたいな、と心の中で願いながらアンコールの神々にそっと手を合わせ帰国の途につきました。(帯津)

ユーラシア旅行社で行くアンコールワットツアーの魅力はこちら

| | コメント (0)

2014年9月16日 (火)

スコットランドと日本との関わり(ユーラシア旅行社で行くスコットランドツアー)

先日、ユーラシア旅行社の「スカイ島とスコットランド~雄大なる自然とスコッチ・ウィスキー街道 10日間」の添乗より帰国致しました。日本が夏真っ盛りの暑い中、成田を出発。到着したスコットランドは、15℃前後。もう初秋の装いでした。

Img_0908_4
同じ時期の日本の夏とは想像もつかない程、涼しい気候のスコットランド。「これがスコティッシュ・サマーだよ。」旅の間、よく言われました。一日の内でも天気が晴れたり、雨になったりとても変わり易かったのですが、雲間から時折差す光が豊かな緑で覆われた山々といくつもの湖にその姿を映し出し幻想的な風景を造りだしていました。”翼を持つ島”といわれる美しい島、スカイ島ではヒースの群生が広がり、思わずバスを停め写真ストップをしました。写真では表現しきれない独特の色合いです。今年は暖かい日が続いた為、例年よりも早めに咲いたそうです。

Img_1068
さて、気候も風土も日本とは大分異なる遠い国スコットランドですが、日本との関わりがとても深いことを学びました。その交流史は1613年、スコットランド王が日本に貿易を申し入れたことに遡ります。現実には当時の江戸時代の鎖国により交流は始まらなかったのですが、幕末から明治維新の激動の日本で貿易商として活躍したのがスコットランド出身のトーマス・グラバーです。採炭や造船、ビールの製造などの近代的事業も起こし日本の近代化に大きな影響を及ぼした人物として有名ですね。また、グラスゴー大学出身のヘンリー・ダイヤーは日本でエンジニアを育てるべく、東大工学部の前身となる工部大学校の初代校長となった人物。そして大正時代、本物のウィスキーを作りを目指し、スコットランドに留学した竹鶴政孝さんと現地で出会い、支えた妻リタ・コーワンさん(今度のNHK朝ドラ「マッサン」のモデルとなった方です!)。今回の旅では竹鶴さんが留学していたグラスゴーも訪れました。
これから、スコットランドの名前をニュースやドラマで耳にする機会が増えそうですね!(帯津)

ユーラシア旅行社で行く英国ツアーはこちら

| | コメント (0)

2014年7月 4日 (金)

不思議な霊力漂う山中のデルフィを歩く(ユーラシア旅行社で行くギリシャツアー)

先日、ユーラシア旅行社のギリシャのツアーより帰国しました。

今、初夏のギリシャは毎日のようにすがすがしい青空が広がっています。


バスの車窓からは、特産のオリーブ畑が広がり、風にひるがえるオリーブの葉が銀色に輝いています。

町を歩けばたわわに実ったオレンジの街路樹が連なり、
青空と真っ白な大理石のコントラストが美しい神殿や、白壁の家々が連なるエーゲ海の島々、そして夕暮れ時になるとオレンジ色の夕陽がエーゲ海に沈んでゆきます。
昔からずっと変わっていないようなギリシャの美しい自然の景観。
初夏のギリシャの雰囲気をいたるところで感じることができました。


実は、日々変わらないのは、自然の営みだけではなく、発展発達しているように見える
人間でさえ、古今東西、思考や行動も古代から大きく変わっていないのかも、
と思うことがありました。

140513sgen_192_2


今回のツアーでは、ギリシャ本土の山中深くに佇むデルフィ遺跡に行ってきました。

デルフィは背後は切り立った岸壁がそそり立ち、鬱蒼と茂ったオリーブの深い森に覆われた深い谷を見渡す山の斜面にあります。
二千年以上経った今日でも不思議な霊感漂うような雰囲気です。


デルフィは予言予知の力があるとされるアポロン神の聖地として、世界に名を轟かせていました。古来より神託を受けに多くの人々が、大小さまざまな悩みを抱えて、遠路はるばるこの地を訪れています。
あの有名なアレクサンダー大王も東方へ遠征する前にこのデルフィを訪れています。


アポロン神殿の床には地盤の裂け目があり、神殿内の巫女はこの地中から湧き上がってくる霊気を吸いこんで神がかり状態になります。
巫女は奇声を発し、傍に遣えていた神官が神託を詩の形式にして参拝者に授けるのです。



予言が当たるかどうかはともかく、デルフィの巫女は各地から訪れる参拝者からの情報を持っていて、それをもとに神託を授けることができました。
また、現代でいうと心理カウンセラー的な面もあったかも知れません。

当然ながら、古代ギリシャは日本との交流は全くありませんでしたが、東北地方の口寄せイタコとそっくり。


人間の周辺環境が古代と比べて激変した現代でも、青森の恐山のイタコの口寄せは活躍しているし、占いや心理カウンセラーも引っ張りだこです。
もう既に自分の腹の中は決まっているけれども、最後は誰かに背中を押して欲しいのでしょうか。

人種や時代は異なっても、
人類が大発展しても、
人間の思考や行動はあまり変わらないのかも知れません。(上田)

| | コメント (2)

2014年3月 5日 (水)

次期世界遺産候補、ドンラム村を訪ねて(ユーラシア旅行社で行くベトナムツアー)

ユーラシア旅行社のベトナムツアー、ホーチミンのベンタイン市場

先日、「ベトナム四都周遊 世界遺産巡りとハロン湾クルーズ 9日間」より帰国しました。ベストシーズンのベトナムを南部のホーチミンから北部のハノイまで大縦断。ホーチミンでは、フランス統治時代の面影残る街を散策、中部では、どこか懐かしさを感じずにはいられない古都ホイアンや世界遺産ミーソンを巡り、北部では霧がかかる神秘的な世界遺産ハロン湾をクルーズ。肝心なところでは、いつも天候に恵まれ、ベストシーズンのベトナムを満喫しました。

ここ数年、ベトナムに行くと毎回感じることは、行くたびに新しい近代的なショッピングセンターや商業ビルが増えていきます。現地では便利になり、生活が豊かになる利点がある反面、ベトナムらしさがなくなってきているという残念さもあります。そんな近代化の波に負けず、北部ベトナムの伝統的な集落を残すドンラム村を訪ねました。

続きを読む "次期世界遺産候補、ドンラム村を訪ねて(ユーラシア旅行社で行くベトナムツアー)"

| | コメント (0)

より以前の記事一覧