2016年11月 8日 (火)

多様性の中の統一(インドネシアの宗教観に触れる旅)

先日、ユーラシア旅行社の「芸術の島バリと歴史遺産の宝庫ジャワ島 7日間」のツアーより帰国致しました。
今回の訪問国インドネシアでは、全国民の約9割弱、人口にすると約2億人がイスラム教を信仰しています。イスラム教と言えば、中近東や北アフリカのアラブ人やペルシア人というイメージがありますが、実はインドネシアこそが世界で最も多くのイスラム教徒を抱える国なのであります。ただしインドネシア政府は宗教の自由を認めているので、イスラム国家(イスラム教を国教とする国)ではなく、残りの約1割強の国民は、キリスト教、ヒンドゥー教、仏教、儒教などを信仰しています。その背景にはインドネシアが独立時に掲げた国是「多様性の中の統一」があります。多民族国家であるインドネシアでは宗教に限らず、それぞれの多様な環境や文化を尊重しつつ、みんなで団結するという心がけが実を結び、「民主主義とイスラム教の共生」が可能であることを全世界に示し、とりわけインドネシアを訪問したアメリカのオバマ大統領は「世界にとって理想的な民主主義国家のモデルだ」と礼賛したとされています。

プランバナン

まずジャワ島を訪れてみると、中近東のイスラム教国と同様に街中にはモスクが点在し、1日5回の礼拝の前にはアザーンが流れます。そして全員ではないですが、「ヒジャブ」と呼ばれるスカーフで髪を覆った女性も多く見受けられました。
今回の観光箇所はイスラム教関連の史跡はなく、世界最大の仏教遺跡であるボロブドゥール遺跡と、ヒンドゥー教のプランバナン遺跡群でした。インドネシアにイスラム教が入ってきたのは13世紀のことでしたが、ボロブドゥールは8世紀、プランバナンが9世紀とイスラム教より前の時代に建てられたものです。ともに世界文化遺産に登録されているので、国内外からの多くの観光客が訪れていました。中でも目についたのが、先述のヒジャブをかぶった地元のイスラム教徒の女性です。私が見た限りでは、彼女たちが仏像やヒンドゥー教の神々の像などを真剣なまなざしで眺め、そしてそれらの遺跡をバックに楽しそうに写真を撮っている様子は、他宗教ではあっても、古代から自国に根付いた世界に誇れる遺跡だというリスペクトの気持ちがひしひしと伝わってきました。

ボロブドゥール

続いてジャワ島へ。こちらは島民の約9割がヒンドゥー教徒になります。ヒンドゥー教と言えば、真っ先に思い浮かべるのは「カースト制度」ですが、発祥国インドでは、とくに農村部でまだ根強く残っているのが現状です。しかしインドネシアではほとんど形骸化しており、身分に関係なく皆平等に暮らしています。ちなみに今回のジャワ島のガイドさんは「実は、私は一番下のカーストです」と、特に隠すこともなく(むしろ誇らしげに)言っておりました。
バリ島はインドネシアが誇る世界有数のリゾート地で、世界各国から多くの観光客が訪れますが、意外なことに、逆にバリ島民は海外どころか島を出たことがない人が大勢います。その理由が、年に数回の祭事が行われ、莫大な時間とエネルギーを費やすからです。今回も11世紀頃の古代遺跡「ゴアガジャ」にて、信者さんたちが祭事のためのお供え物作りにいそしむ様子を見ることができました。その様子を見て、島から一歩も外に出なくても人生を謳歌しており、かえってうらやましく感じました。

ゴアガジャ

今回ジャワ島にて他宗教を尊重するイスラム教徒や、カースト制度にとらわれず皆平等に暮らし、年に数回の祭事に人生を謳歌するバリ島のヒンドゥー教徒を見て、宗教とは争うことではなく、自身の人生を充実させるための重要な心のよりどころであるかを改めて理解したような気がします。(斉藤信)

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2016年11月 2日 (水)

ドイツでロマネスク探し

東西に祭壇をもつヒルデスハイムの聖ミヒャエル教会

先日、「東ドイツ・ロマネスク 12日間」より帰国しました。
タイトル通り、とにかく毎日教会を巡り、どれだけロマネスクの要素に出会えるか!?という旅です。
教会だけしか行かないとなると、「う~ん、ちょっとねぇ」というお声も聞こえてきそうですが、ロマネスクを探すとなるとまた別です。
とにかく上を見上げるゴシック、飾り気なく少し物足りないかなぁというルネサンス、反対に飾りが豪華すぎてどれを見たらいいのか分からなくバロック、それらのどれとも異なるのがロマネスク。(・・・と私は思っています)
建物そのものに時代の流行を持つゴシック以降のものとは違い、ロマネスクは内部の装飾に時代が映っています。(・・・と私は感じています。)
面白味は主に彫刻にあり、建物を支える柱や扉口によく残っています。時には足元の思わぬところに潜んでいたりします。
当時の考え方をユーモラスに表現している彫刻を見て、色々考えを巡らせて、クスッとする。そんな楽しみがあるのがロマネスクだと思うのです。

バンベルク大聖堂の鐘楼にいた牛の彫刻

フライジングの聖マリア・聖コルビニアン大聖堂にて見つけたちょっと恥ずかしいレリーフ

今回訪ねたドイツには、ロマンティック街道やメルヘン街道に混ざって、ロマネスク街道も整備されています。ドイツ中東部にあるエルベ川沿いの町、マグデブルクを中心に、神聖ローマ帝国の初代皇帝オットー1世時代(10世紀頃)まで遡るロマネスク探しができる地域です。
とはいえ、改築や増築により、残念ながら完全なロマネスク教会は多くありません。
その為、ドイツ・ロマネスクの旅は「さて、どこにロマネスクが、彫刻が残っているのか?!」と目を凝らすことから始まります。見つけた時は「あ~、あったあった!」と声が上がり、「どれどれ~」と集まるのが、だんだん定番になりました。クリプタ(地下聖堂)は神聖な場所だからなのか建立当時から手を加えられることなく残っていることが多く、ツアー後半にもなると、何となくクリプタにまっすぐ足が向くように・・・。
建物そのもので驚いたのは、その祭壇。
一般に、教会の祭壇は東側に置かれ、西側は出入口となっています(方角もわかるので実は助かります)が、ドイツのロマネスク教会には東西両方に祭壇があるのです。そして、その西側には塔がつけられて「西構え」と言われ、ドイツ・ロマネスクを代表する様式となりました。(ちなみに、塔建設のスタイルは後のゴシック期にも引き継がれて、その象徴となっていくわけです。)
コルヴァイ修道院教会には、その西構えの最古とされるものが現存する他、各地で「西祭壇」付きの教会を数多く目にしました。
ロマネスクと言えばフランスやスペインに目が向きがちですが、ドイツにも思わぬロマネスクがこぼれ落ちていました。ゴシックやバロックに飲み込まれているのものが多いものの、一方、バロック装飾を取り外してロマネスクの時代に戻そうと試みた教会があったことも新鮮でした。色々なところにまだまだロマネスクがありそうで、「次はどこの国で探そうか?!」と盛り上がったのでした。(江間)

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2016年9月 9日 (金)

ルーマニアの祝日、聖母マリア被昇天祭

モイセイ村1

先日、「ルーマニアとリラの僧院夢紀行 10日間」のツアーより帰国致しました。
ルーマニアにも日本と同様に祝祭日がございますが、ルーマニア請求を信仰している国でありますので、クリスマス、復活祭など、キリスト教関連の祝祭日が多く占めてきます。そして毎年8月15日は「聖母マリア被昇天祭」。聖母マリアがその人生の終わりに、肉体と霊魂を伴って天国にあげられたというこの日には、各教会で大々的にミサが行われます。
今回のツアーでこの日の観光は、ルーマニア北部の奥地で位置し、素朴な雰囲気が今なお残るマラムレシュ地方でした。まずは墓標に故人の生前の職業や生活がユーモアたっぷりに描かれたという、サプンツァの陽気なお墓へ行きましたが、このお墓には教会が隣接されており、ちょうどミサが行われていました。ただまだ早い時間(午前9時ごろ)だったせいか、ミサに来ていたのはほとんどお年を召した方たちでした。どうやら若い人たちは朝ゆっくり起きてから、これからのんびりと教会へ向かうとのこと。日本の田舎と同じような光景だなと思ったのは私だけでしょうか。

サプンツァ

その後サプンツァを後にして、東に位置するボグダンヴォーダへ。到着したのは午前11時ごろ。ここでは本来マラムレシュ地方の特徴でもある木造教会を見学することになっていたのですが、現在使われているのはその隣にあるコンクリート製の新しい教会で、やはりここでもミサが行われていました。さすがにこの時間になると、様々な年代の方々が来ていましたが、私たちもしばらくの間ミサを見学しました。ただミサもさることながら、私たちが気になったのは、ここに来ていた女の子たちの白地をベースにしたかわいらしい民族衣装でした(白は聖母マリアの象徴の色)。ミサの途中でありましたが、私たちが写真を撮ってもいいか尋ねると、気軽にポーズをとってくれました。しばらくミサを見学した後、本来の目的である木造教会へ移動しました。普段はもう教会としては使われていないので、中に入ることができず外観のみの見学となりますが、なんと司祭さんが今日は祝日だから特別にということで、なんと鍵を開けてくれて中に入らせてくれました(写真撮影は禁止でしたが)。一歩足を踏み入れると、壁に描かれたイコンがきれいに残されていました。18世紀に建立された教会だそうですが、現在使われていないにもかかわらずこれだけきれいに保存されているのは、地元の人の信仰心がそうさせているのだと改めて思いました。

ボグダンヴォーダ

実はこの日の観光の予定はこれで終わりで、あとは昼食をとってから、さらに東のブコヴィナ地方へ移動するだけでしたが、近くにあるモイセイ村というところに「聖母マリア教会」があり、ここで大規模なミサがあるということなので、そちらにも行ってみることに。私たちは村の入口の駐車場でバスを下りて、ここから教会までは歩いていくことに。地元の人の話では徒歩20~30分とのこと。私たちは舗装はされているものの、くねくねした山道を歩き教会を目指しましたが、30分歩いても教会に着く気配はない。「本当に教会はあるのだろうか?」と思いながら歩き続けると、歌声らしきものが聞こえてきました。「よし、教会は近づいている!」とはりきりながら歩を進めること10分後に教会に到着。ちょうどミサが終わるころで、各村の集落の団体ごとに旗や聖母マリアの肖像画を持ち、歌いながら教会から出てくるところを見ることができました。そしてここでも民族衣装を着た女の子たちがいて、やはり写真を撮ってもいいかお願いすると、気軽にOKの返事が。そして私たち日本人が珍しいせいか、こちらもいろいろと質問攻めにあいました。こうして1年に1回の特別な行事を目の当たりにして満足した私たちは軽い足取りで駐車場は帰っていったのでありました。(斉藤信)

モイセイ村2

モイセイ村3

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2016年6月 7日 (火)

お釈迦様の誕生日に行われる、釜山・三光寺の提灯祭り(韓国)

先日、ユーラシア旅行社の「韓国歴史遺産紀行 7日間」のツアーより帰国致しました。お釈迦様の誕生日って何月何日かご存知でしょうか?これには諸説ありますが、北伝仏教では旧暦(中国暦)の4月8日とされています。我が国日本では毎年新暦の4月8日にお釈迦様の誕生を祝う仏教行事「花祭り」が行われ、お釈迦様の像に甘茶をかけてお祝いしますが、韓国では旧暦の4月8日に国民の祝日として定められ、韓国各地のお寺で記念行事が開かれ、燃灯や提灯が飾られます。旧暦の4月8日となると、新暦上の日付は毎年変わりますが、2016年は5月14日になります。
今回のツアーでは、前日の5月13日に、韓国各地の数あるお寺のうち、釜山にある三光寺の提灯祭りを訪れました。ただ釜山の三光寺と言ってもほとんどの方がピンとこないのではないかと思います(事実どのガイドブックを見ても三光寺の記載を見つけることができません)。ではなぜ三光寺なのか?実はこのお寺の提灯祭りは、夜になると一斉に点灯される提灯が非常に美しいということで、アメリカCNNの「韓国の美しい名所50選」の1つに選ばれたからです。

三光寺提灯祭り1
私たちは釜山市内で夕食を取った後、いざ三光寺へ。通常であれば市内から30分ほどで到着するのですが、やはり年に1回のお祭りでしかも世界から注目されているということもあり大渋滞!のろのろ進みながら、出発してから1時間半後にようやく到着。バスを降りてから坂道を上がると、目に飛び込んできたのは色とりどりの提灯、そして十二支のオブジェも私たちを出迎えてくれました。敷地内に飾られた提灯の総数は何と約4万個!無数の提灯の下を潜り抜けて階段を上がり本堂まで行くと、今度は眼下に今潜り抜けてきた提灯を見ることができました。これまた絶景!ただカラフルなのではなく、よくよく見ると「卍」の文字が。

三光寺提灯祭り2

翌日の5月14日、すなわちお釈迦様の誕生日当日は慶州へ移動し、仏国寺、石窟庵と仏教ゆかりの地へ観光しましたが、やはり色とりどりの提灯が飾られていました。仏国寺では、飾られていた提灯の1つに近づいて見てみると、右手を天に指し、左手を地に指す子供のイラストが。これがかの有名なお釈迦様が生まれた直後に、7歩歩いた後に唱えた「天上天下唯我独尊」のシーン。この細かい演出にも少し感動しました。また石窟庵では、釈迦如来像を見学しました。通常はガラス越しでの見学となりますが、この日は特別な日ということもあり、ガラスが取り払われて、より近くで釈迦如来像を見学できました。そしてそれだけではなく、釈迦如来像の裏にあるため普段は見られない十一面観音菩薩像も見ることができ、非常に得した気分になりました。(斉藤信)

石窟庵

仏国寺

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2016年4月28日 (木)

フィレンツェの復活祭を訪ねて(イタリア)

イタリアツアー


  先日「イタリア・ルネサンス芸術と古都を巡る 10日間」のツアーより帰国致しました。今回は普段のツアーと異なり、フィレンツェ滞在中にキリスト教のお祭り・復活祭を見学する特別日程でご案内させて頂きました。
 
  日本でほぼ馴染みのない復活祭は、イエス・キリストが十字架に磔刑にされて亡くなった後、三日後に復活したことを祝う、キリスト教の国々ではとても重要なお祭りの一つ。ヨーロッパ各地・イタリアの各街で復活祭は行われていますが、イタリア全土の中でもフィレンツェの復活祭はその様子がニュースで流れる程規模が大きいものです。今回も、多くの見物客に混じって撮影を行うカメラマンやアナウンサーの姿が見られました。
 
 フィレンツェの復活祭は正式名称を「スコッピオ・デル・カッロ(スコッピオ祭)」と言い、「山車の爆発」を意味します。お祭りのクライマックスを飾る派手な火薬演出に見応えがあり、他の復活祭とは一味違うと毎年人気を集めています。起源は11世紀末の第一次十字軍にあり、その際の功績によりキリストの墓石の欠片を与えられたパッツィーノ・デ・パッツィが故郷フィレンツェに帰郷した後、その欠片で起こした火が「祝福された火」として荷車に乗せられ市内を回ることになったという歴史によります。
 
 現在では荷車が大きな山車にとって替わり、4頭の白い牛に引かれて街をまわった後、フィレンツェきっての観光地であるドゥオーモ前の広場へスタンバイ。司教のありがたい説教を聞いている間に、「祝福された火」を表す火薬が山車に装着されます。そしてドゥオーモの祭壇から山車まで一直線にワイヤーが張られ、そのワイヤーを伝って鳩の形をしたロケットが火薬に火をつけるという仕組み。鳩は聖霊の象徴ですが、スコッピオ・デル・カッロの鳩は火をつけるだけが役割ではありません。その後、再びワイヤーを伝って大聖堂へ戻っていかなければならないのです。この鳩が上手く戻ればその年は大豊作になると言われており、お祭りが終わった後は「今年の鳩は戻っていったかい?」と尋ね合うのだそう。そしていよいよクライマックスの「山車の爆発」へ。鳩によって点火された火薬が爆音を立てながら一気に爆発します。中には垂直に火花が上がっていくものもあり、約10分間続く爆発の間、観客は、次はどんな仕掛けの火薬が爆発するのかと固唾を飲んで見守ります。爆発は確かに激しいものですが、いざという時のために消防車も待機しているので、ご心配なく。辺りが白い煙で覆われ、最後の仕掛けが終わったところでお祭りは終わり…ですが、今度は後ろの方で見学していた人が一目山車を見ようと押し寄せてくるため、しばらく辺りは大変な混雑に見舞われます。

イタリアツアー

イタリアツアー

 
 尚、復活祭は移動祝祭日のため毎年お祭りの日が異なります。今年は偶然にも3月下旬でしたが、通常は4月になることが多いのだとか。なかなかお目にかかれないお祭りですが、だからこそ見応え十分です。ちなみに、今年の鳩は無事ドゥオーモへと戻っていきました。今年一年がどうか良い年になりますように…。(越野)

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2016年1月 8日 (金)

クリスマスに訪れた五島列島、心癒される教会群巡り

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先日、「イルミネーションに輝く 五島列島巡礼の旅4日間」の添乗より帰国致しました。
いよいよ今年の7月、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」が世界遺産登録の可否が審議されます。五島列島には、そのキリスト教関連遺産として中通島の頭ケ島天主堂、奈留島の江上天主堂、久賀島の旧五輪教会の3つの教会が候補となっています。島は、世界遺産登録に向け、この1、2年でずいぶんと観光客が増えたそうです。

そんな話題の中、私達が訪問したのは、ちょうどクリスマス。24日には厳かな夜のミサも体験しました。この五島列島には50もの大小様々な教会が点在しています。いずれも、キリスト教禁教令が廃止された明治以降に建てられたものだというのですから驚きです。その背景には、16世紀にキリスト教がこの地一帯に伝来して間もなく、秀吉、その後の徳川幕府の禁教令からそれが解けるまでの約250年もの間、迫害を受けながらも細々とその信仰を代々守り続けていたことに繋がります。

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教会内の机には信者の方の聖書や筆記具が置かれており、数時間前にミサがあったと思われるストーブの暖かさが残っていたりと、どの教会も地元の方々の生活の一部になっているのだと感じました。夜には、素朴ながらもクリスマスを祝うイルミネーションが教会に灯され、深い夜の中で静かに輝いていました。

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五島列島はもちろん、教会群を巡るだけではなく、美しい海、そこで獲れる新鮮な海の幸を存分に楽しめるのも魅力。これから春を迎えると五島名産の椿が咲き誇る季節となります。たくさんの魅力がつまった旅でしたが、その中でもやはり一番心を打たれたのは、ひっそりと佇む小さな教会群でした。海外の荘厳な大聖堂や豪華な教会を訪れる機会が多い私ですが、今回の五島では初めて感じる神聖な気持ちに満たされました。(帯津)

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2015年11月12日 (木)

届け、篤い思い。各国のお坊さんに出会える旅(インド)

インドツアー
 

  先日、仏教の聖地を訪れる、「釈迦の道を往く、四大聖地巡礼8日間」のツアーより帰国致しました。このツアーで訪れる仏教四大聖地とは、仏陀生誕の地・ルンビニ(ネパール)、成道の地・ブダガヤ(インド)、初転法輪の地・サールナート(インド)、そして入滅の地・クシナガラ(インド)の4か所です。観光地は常に多くの人で賑わっており、私たち日本人だけでなく、現地インド、東南アジア、そしてヨーロッパまで、様々な国の人々が集まります。
 
  そんな中一際目立つのが、信仰深くお参りをしている各国のお坊さんたち。今回のツアーでよく見かけたのはタイのお坊さんでした。主にオレンジ色の袈裟を着ていて、各聖地で、集団でお経を唱えたり、説法を行ったりしているのですぐにそれと分かります。また、手に小さな金箔を持っているのも特徴的。仏教徒の多いタイでは、お参りの際に仏像やその台座に金箔を貼り、仏を縁起の良い金色で飾るという習慣があるため、遺跡が金箔で覆われていたら、それはタイの人たちが訪れた証拠です。実際ツアー中にも、私たちが隣を通りかかった時に金箔を渡してくれたタイのお坊さんがいらっしゃいました。
 
  また、特に私の印象に強く残ったのはスリランカのお坊さんたちです。それはサールナートを訪れた時のこと。白い服を着た彼らが、大きな木の下で集会のようなものを開いていました。一人の人が穏やかな口調で何かを話し、その人を多くの人が囲んでいるといった具合です。最初に見かけた時は全員が木陰に入っていたのですが、時間が経つにつれ、太陽の位置と共に木陰の位置も変わってきます。私たちが観光を終えてもう一度彼らを見た時には、何人かの人々が木陰からはみ出ていました。今回10月にインドを訪れましたが、気温はまだまだ高く、昼頃は35℃近くになる日もある程。暑いはずなのに、その暑さに慣れているのか、それとも耐えているのか…一心に話を聞くその姿に、“これぞ信仰深さ”というものを感じました。
 
  出身国は違えど、聖地に集まるお坊さんたちの信仰心はとても篤いもの。言葉が分からずとも、彼らの思いのつまったお経を聞くだけで仏のありがたみをより一層感じられる気がしました。(越野)

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2015年8月13日 (木)

チベットよりもチベットらしい、インド・ラダック

ティクセゴンパ全景

先日ユーラシア旅行社の「荒涼たる大地、チベット密教が息づくラダック 8日間」のツアーから帰国致しました。
ラダックとはインドにある地方の1つですが、名前は聞いたことがあってもどこにあるかピンとこない方がほとんどではないかと思います。場所は首都デリーより北へ1000km程のところに位置し、ヒマラヤ山脈とカラコルム山脈に挟まれたインダス川上流域一帯を表します。中心地はかつてのラダック王国の都が置かれていたレー、そしてレーより東側を上ラダック、レーより西側を下ラダックと言います。標高は概ね3500mで、ツアーでは初日にデリーで宿泊し、翌日飛行機でレーまで移動しますが、体を高地に慣らして頂くため、その日はそのままレーのホテルへ案内し、1日休んで頂きます(実際に観光へご案内するのはその翌日からとなります)。

ティクセゴンパ・弥勒菩薩

ではラダックには何があるのか?標高が高いためか、ツアータイトル通り、荒涼たる大地です。そしてインダス川流域には集落がぽつんぽつんとあります。そして一番の特徴は「ゴンパ」と呼ばれるチベット仏教寺院が点在することです。そもそも7世紀に、吐蕃王国(現在のチベット)がラダックと西ヒマラヤ地方を支配し、チベット系民族が定着していき、8世紀になるとチベットから流入した仏教が盛んになっていったと言われています。以来ラダックの住民の人々の篤い信仰心のもと、ゴンパが次々と建てられていきました。そして現存するゴンパのうち、一番古いのが11世紀ごろに建てられたものであり、15~17世紀ごろに建てられた多くのゴンパが現在でも多くの信者さんが足繁く通っています。ちなみに20世紀終盤に再建されたゴンパが多い中国・チベットに対し、昔ながらのゴンパが数多く現存するラダックは「チベットよりもチベットらしい」とも言われています。

ティクセゴンパ・阿弥陀如来

そんな数多くのゴンパの中でも、私の一番のお気に入りは上ラダックに位置する「ティクセゴンパ」です。ラダックのゴンパは丘の上に建っていることが多いのですが、ティクセゴンパもご多分にもれず、しかもそのたたずまいが素晴らしく、チベット・ラサのポタラ宮にどことなく似ています。まずは丘の麓から全景の写真を撮ってから、ゴンパへ。その建物内にある全長15m弥勒菩薩像がありますが、これまた素晴らしい。その凛としていてそれでいて心優しい目つきに思わず私も一目惚れ!ラダックの写真集、絵葉書、カレンダーなどにも必ずと言っていいほど使われるこの弥勒菩薩像ですが、パッと見のみならず、実に手が込んでいるのがわかります。例えば冠に彫られた五体の仏像。これはわかりやすいのですが、胸のネックレスをよくよく見てみるとここにも小さな仏像(阿弥陀如来)が彫られているのがわかります。ここで改めてラダックの人々のチベット仏教に対する信仰心の篤さを理解することができました。(斉藤信)

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2015年6月16日 (火)

中国・仏教文化の源流に触れる旅

中国ツアー

先日、ユーラシア旅行社企画「雲崗・龍門と中原の旅14日間」より帰国致しました。今回のツアーは中国の中でも「中原」と呼ばれる黄河中流域に焦点を当てています。古くは、伝説の時代とも言われている夏王朝に始まり、世界遺産・殷墟で知られる殷の都が置かれ、春秋・戦国時代には各勢力の争奪の場となり、北方民族の鮮卑族がこの地で北魏を建国、その後は遼・金時代に支配下に入るなど中国の長い歴史の中でもとても重要な地域にあたり、また、九朝の都となった洛陽と7朝の都となった開封があるのもここ、「中原」です。

もちろんツアーではそれらの時代の遺物や遺跡も見学しますが、もうひとつ、今回のツアーの特徴を挙げるとすれば、それは中国の古代仏教芸術を味わえることです。インドで生まれ、シルクロードを通って伝わった仏教は中国文化の重要な一面となり、時には国教として迎えられ、時には弾圧されてきました。その仏教が初めて中国に伝わった際に建立されたという白馬寺、日本の浄土宗・浄土真宗の原点となる玄中寺、そして達磨大師が面壁九年の後に禅宗を開き、数々の映画の題材ともなった少林寺拳法で有名な少林寺などの寺院を始め、各時代の寺院や遺跡を見て回ることで、中国の仏教文化を知ることができます。

中でも今回私の印象に残ったのは、やはり中国三大石窟に挙げられる雲崗石窟と龍門石窟です。石窟に入って見上げると、そこには優しい顔の仏像。傷がついているものもありますが、どれを見ても思わず溜息の出るような立派な姿に、思わずその場に立ち尽くしてしまいます。もちろん石窟自体の規模はどちらも大きく、見学時間は何時間あっても足りません。共に世界文化遺産に登録されており、龍門石窟は2000年に、雲崗石窟は2001年に登録されました。

雲崗石窟・龍門石窟も共にその規模の大きさに圧倒されますが、もちろん違いもあります。その一つは開削された歴史的背景です。雲崗石窟は北魏の太武帝による仏教弾圧の後、仏教復興を目指す文成帝が西方から僧侶を呼び寄せて開削を進めました。そのため、雲崗石窟には中央アジアや河西回廊の仏教様式の影響が見られます。一方龍門石窟はというと、北魏代494年の洛陽遷都に伴い、孝文帝によって雲崗石窟にならった開削が始まり、その後唐代に隆盛を迎えています。記録では、中国史上、最も美しく、そして残忍だったという則天武后も寄進したと残っており、龍門石窟のメインである高さ17mの廬遮那仏は彼女に似せて彫られたと言われています。

さらに、雲崗石窟と龍門石窟の違いは仏像にもあります。雲崗石窟の仏像はふくよかな顔に大きな耳を持ち、どっしりとした姿で、安心感を与えてくれます。一方、龍門石窟の仏像は全体的にすらっとしていて、首も細く、どこか気品が感じられるのです。

石窟・仏像はどれも同じように見えますが、しかしじっくり見ていくととても興味深く、ツアーが終わる頃にはすっかり中国仏教芸術に魅せられてしまっていました。各石窟や仏像の前でどの観光客もその素晴らしさに圧倒され、目を見開いていたことにも納得。今まであまり見て来なかった日本の仏像も、これからはよく見てみようと思わせてくれました。(越野)


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2015年5月28日 (木)

釈迦が悟りを開いた地・ブッダガヤ(インド)

先日ユーラシア旅行社の「釈迦の道を往く、四大聖地巡礼 8日間」のツアーから帰国致しました。
ここで言う四大聖地とは、釈迦の生涯の事跡にかかわる4カ所を表します。生誕の地・ルンビニ(ネパール)、成道の地・ブッダガヤ、初転法輪の地・サールナート、入滅の地・クシナガル。

マハーボーディ寺院・大塔

今回はブッダガヤを紹介させて頂きます。先に「成道の地」と書かせて頂きましたが、簡単に言うと釈迦が悟りを開いたのがこの地ということになります。ここにはマハーボーディ寺院があり、敷地内にはランドマークにもなっている高さ52mを誇る大塔があります。さらにこの塔の中に入ることもできて、奥には釈迦の像が安置されていました。ちなみに普段は塔の内部は撮影ができませんが、この時期はシーズンオフ(5月はこの辺りでは1年で一番暑い時期なので、日中40度を超えることもありました!)ということで観光客や巡礼者も少なかったため、特別な写真を撮ることができました。

マハーボーディ寺院・仏像

さらに大塔の裏に行くと菩提樹があり、釈迦がこの木の下で悟りを開いたということになっていますが、実は現在ある木は釈迦の時代のものではなく、4代目とのことです。ちなみにこの地に生えていた釈迦の時代の菩提樹の苗木が、海を渡ってスリランカのアヌラーダプラで植樹されましたが、その木(スリーマハー菩提樹)は現在も生きています。話はそれましたが、このブッダガヤの4代目の菩提樹も聖なる木であることには変わりはありません。地元のお坊さんがこの菩提樹の周りでお経を唱えている姿も見ることができました。そしてある一人のお坊さんから菩提樹の葉っぱを頂きましたが、きっとご利益があるに違いないと思い、日本に帰った今でも大切にとってあります。

菩提樹

マハーボーディ寺院の他にも、スジャータの村(スジャータとは村娘の名前で、悟りを開く前の痩せ細った釈迦が彼女から乳粥をもらい、気力体力が回復したという)や釈迦が沐浴をしたという尼蓮禅河(但しこの時期は水が全く流れていませんでした)なども訪れました。こうして成道の地を満喫した後、私たちは次なる目的地、初転法輪(初めて説法をした)の地・サールナートへ向かったのでありました。(斉藤信)

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