2018年10月21日 (日)

サハリンの少数民族、ニブヒ族

この度、サハリン大縦断と銀河鉄道の旅より帰国しました。
サハリンは、北海道の北に位置する細長い島。島の南部(樺太)は戦前日本が統治していた事もあり、製紙工場跡や銀行跡など、日本時代を感じさせる建物が残っています。

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<ホルムスク 製紙工場跡>

既に廃墟となった建物も多いのですが、コルサコフ(旧大泊)の拓殖銀行跡はサハリン州の歴史的建造物として保存することに決まったそうで修復工事中でした。
王子製紙によって建てられたサハリン最初の製紙工場(1914年)は、危険な為ロープが張られた場所もありますが、現在も建物の一部を利用しています。
また、日本時代から漁業、造船などが盛んなホルムスク(旧真岡)の製紙工場は、ソ連時代になってもトイレットペーパーやノートなどを生産して、地元の雇用を支えていました。
廃墟となった今も、かつての繁栄を感じさせる立派な佇まいです。

ツアーでは日本との関わりが深い南部だけでなく、鉄道を利用して北部まで足をのばしました。

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<オハ石油櫓>

日本時代に開通した鉄道は戦後ソ連が延長し、現在、ノグリキという町まで鉄道で行くことができます。

車窓からはオホーツク海や雄大な原野の眺めが楽しめます。
ノグリキは「臭い水」という意味。現在サハリン北部は石油の採掘が盛んで、オハの町などで沢山の掘削機を目にしました。
昔からノグリキ周辺に住んでいたニブヒ族もトゥイミ川に混ざる黒い液体の存在に気づいていたようです。
サハリン島には昔からニブヒ、ウィルタ、アイヌ、イヴェンキなどの北方少数民族が暮らしていましたが、ロシアの同化政策によって学校で民族の言葉を教えなくなり、急速に言語や文化が消えてしまいました。

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<ニブヒ族言葉>

現在、ニブヒ族の婦人会の方々が博物館に協力して伝統を伝えています。

ノグリキの郷土博物館に展示された、魚やトナカイの皮を使った衣装、骨から作った道具、白樺の木を利用した住居や家具を見ると、いかに限られた資源を駆使していたかが分かります。
映像を使って、一般には禁止されているアザラシ猟の方法やアザラシの皮や油を使った料理の作り方を見せてくれました。
とても美味しいとは言えない、必要な栄養を取るためだけの保存食のような物だそうです。

婦人会の方々が披露してくれた伝統舞踊は、彼らの自然に寄り添った控えめな生き方が垣間見れました。
雄大な自然の中で暮らす人々が仲間同士の交流に、また儀式などで行う歌や踊りです。
木の棒をコンコン、カンカンと静かにたたき、風に乗せて遠くに運ぶかのような音楽。
人に見せるよりも自然との交流を意味するかのような静かなダンスに、厳しい冬を乗り越えて春の喜びを表現するかのような歌。

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<ニブヒ族伝統芸>

便利になった現在の暮らしの中では失われていくのは仕方がないように感じました。
ロシア連邦には22の共和国があり、180以上もの民族が暮らしているといいます。
都市が発達するにつれ消えていった民族や伝統も数多くあるなか、小さな島だからこそ残った民族。サハリンでそんな一例を見た気がします。(関根)

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2018年4月24日 (火)

ガイドブックにも出ていないベトナムの秘境、ハジャンへ

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<ターバンザオ族>

先日、「少数民族の里、ベトナム最北の秘境ハジャンへ 8日間」のツアーより帰国致しました。
ベトナムの少数民族の里と言えば、フランス統治時代の避暑地サパやサンデーマーケットで有名なバックハーが思い浮かびますが、今回訪れたハジャンは、ツアータイトル通り知られざる秘境で、事実どのベトナムのガイドブックを見ても「ハジャン」の名を探すことができません。通常15日以内のベトナム旅行であればビザを取得することなくご旅行を楽しむことができますが、ハジャン地区へ行くには特別に入境許可証が必要となります。また道も狭く、ツアー中はマイクロバスでの移動となります。それでもハジャン地区は徐々に欧米観光客の間では知れ渡りつつありますが、私たち日本人も現在の文明化社会に疲れを感じた時、心と体を癒してくれる、そんな場所であると私は信じて止みません。

ではハジャン地区の魅力は、ずばり少数民族!ツアー中多くの少数民族の村を訪れますが、見所は大きく2つに分けられます。1つは民家訪問。各民族の家に入らせてもらい、生活風景を肌で感じることができます。また民族衣装に着替えてくれて、一緒に写真を撮ったりして交流を図ることもできます。そんな彼ら(彼女たち)に共通して言えることは、自分の民族の衣装が一番だというオーラが出ていることでしょうか。

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<黒ロロ族>

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<アオザイザオ族>

そしてもう1つが曜日市の見学です。ハジャン地区の一部の町や村では週に1回曜日市が立ちますが、これらの市のために、中には家から片道2~3時間かけて来る人もいるそうです。果物、野菜、肉、魚などの食料品から衣類、日用雑貨などを持ち寄り、当然の如くそれらが売り買いされるわけですが、こういったお買い物以外にも、他の民族や他の村の人たちとおしゃべりをしたり、一緒に食事をするなど、社交の場にもなっています。またこういった曜日市は旅行者である私たちが訪れても十分楽しめます。例えばいろんな民族衣装を着た人たちを見ることができますし、一声かければ大概写真を撮らせてくれます。また今の日本では到底お目にかかれないものが売られているのを見ることができたりします。今でも印象に残っているのが、ドンヴァンの日曜市で見た子豚の売られている様子ですが、これらの子豚ちゃんたちは自分の行く末をすでに悟ってしまっているのか、ギャーギャーと鳴く声が今でも私の耳をついて離れません。ちょっとかわいそうな気がしましたが、これもまだショッピングモールもない何十年も前の日本では日常的に行われてきたことだろうなと思ったりしました。(斉藤信)

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<メオヴァックの日曜市>

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<ドンヴァンの日曜市>

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2018年3月22日 (木)

世界一美しい民族”ヒンバ族”(ナミビア)

先日、「ナミブ・カラハリ二大砂漠、エトーシャサファリと星空観賞の旅10日間」のツアーより帰国しました。
日本ではまだ知られざる国ナミビア。アフリカ大陸の南西に位置し赤道以南では最も乾燥した地域です。日本の2.2倍の国土を持つ一方で日本の1%の人口が暮らす恐ろしくも人口密度が低い国で、アプリコット色が印象的なナミブ砂漠や独自の文化を守るヒンバ族、数多くの野生動物が生息するエトーシャ国立公園、国際ダークスカイ協定も認定した綺麗な星空など変化に富んだ大自然が人々を魅了します。
そんなナミビアの北部カオコランド地方には、世界一美しい民族と呼ばれるヒンバ族が暮らしています。今回のツアーでは、ヒンバ族が暮らす小さな集落を訪問しました。木陰で涼むヒンバ族の女性は上半身裸でオカと呼ばれる牛脂と赤い石の粉を混ぜた染料を全身に塗っており、とても印象的です。その効用は日焼け防止、虫よけ、防寒効果などで、世界一美しいヒンバ族の肌を守っています。腰には、牛革をスカートのように巻き、ヘアスタイルも独特で髪にはオカを塗っています。

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現代でも伝統を守りながら暮らしている一方で、少しずつ生活スタイルが変化しているのも事実です。ナミビア政府による巨大ダム開発が計画され、ヒンバ伝統の土地がダムの下に沈んでしまう可能性が浮上しています。また、近年の観光客の増加に伴い、近代文明に感化された若者が増加しています。徐々に近代化の波に押され、伝統的な生活を失いつつあるヒンバ族。これからの動向に注視していきたいです。(大和田)

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2016年12月16日 (金)

少数民族のルーツを求めて、“少数民族街道”を往く(中国雲南省・ベトナム)

先日、「雲南・北部ベトナム少数民族街道 10日間」の添乗より帰国致しました。
このツアーでは中国・雲南省とベトナム北部サパの両国にまたがる少数民族の村々や彼らの日常生活には欠かせない市場を訪ねました。藍に染まった水が流れるベトナム・黒モン族の村や中国・ハニ族が作り上げた絶景で話題の元陽の棚田など、のどかな田園地帯を楽しみながらのんびり散策をしました。

中国とベトナムには、両国それぞれ約54もの少数民族が生活しています。各々の民族ごとに独自の文化や習慣があり、その多種多様な生き様に触れることができました。
しかし、雲南省の少数民族・ベトナムの少数民族と住んでいる地域、つまり国籍も今では異なりますが、ルーツがまったく同じ民族もいます。例えば、ベトナム北部に住む「赤ザオ族」。非常に商売気質の強い彼らは赤い頭巾がポイントです。ふくらみがある頭巾が正装ですが、簡易頭巾も今では主流です。

赤ザオ族

一方、中国・雲南省の金平郊外の太陽寨に住む「紅頭ヤオ族」。名前からしてあれ?と気づかれた方もいらっしゃるかと思いますが、この2つの民族は実は同じ民族なのです。彼らはまるでサンタクロースのような赤いとんがり帽子(頭巾)を被っています。また、両民族とも結婚すると眉毛を剃るという習慣があります。その他にも、お食事の味付けは中華風、主産業は農耕生活というように民族や住む場所は違えど、両国に“国境”はないようでした。

紅頭ヤオ族

彼らとの交流もまた少数民族ツアーならではの楽しみです。ベトナムの赤ザオ族がたくさん住む、ターフィン村を訪れると、バスが停まるなり、赤ザオ族たちがお出迎え。その様子に驚きましたが、村の散策中もずっと隣で話しかけてきて(フランス植民地時代からの観光地のため、英語もある程度ペラペラです)、まるで赤ザオ族の人たちとお散歩しているような気分になりました。

また、出会う人、出会う人、彼らが身に纏う民族衣装の刺繍には終始、魅了され続けました。もちろん、民族によってその刺繍の施し方、模様、色使いは異なるので、伝統的な刺繍や染め物の技術とデザインは、母から娘へ受け継がれるそうです。
民族衣装を着ているとかさばるため生活しにくいという理由から、村の行事や冠婚葬祭の時にしか着用しない人も増えてきていることも事実です。しかし、娘の嫁入り道具としての花嫁衣裳の刺繍を縫うという伝統は今も受け継がれています。
道端で、あるいは野菜を市場で売りながらその片手間に、一針ずつ想いを込めながら、針をすすめるその姿に心を打たれました。

少数民族のルーツを辿りながら、人々の温かさに触れる旅となりました。(角田)

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2016年4月 5日 (火)

アジアの山岳地域に暮らす少数民族に出会う(中国・ベトナム)

ベトナムのバック・ハーで出会った花モン族

先日、「雲南・北部ベトナム少数民族街道 10日間」の旅から戻りました。中国の南部・雲南省と、そこに国境を接するミャンマー、ラオス、ベトナムには、各国の主要民族とは別の多種多様な民族が暮らしており、このツアーではベトナムと中国の国境付近に暮らす民族の村々を訪ねます。国をまたいで旅したことで感じたのは、国境はあくまでも政治的なものにすぎないのだなぁということでした。
まずこの地域には、もともと同じ民族にもかかわらず、国境が引かれたことで呼び名が異なっているという民族があります。例えば中国の花ミャオ族とベトナムの花モン族。ピンクや赤を基調とする華やかな刺繍が印象的な民族衣装をよく見てみると「あぁ同じルーツなのかも!」と一目でわかるのです。

ベトナムのターフィン村で出会った赤ザオ族

また、今はベトナムに暮らすけれど、ルーツは中国にある民族もいます。その一つ、ザオ族は13世紀頃に祖先が中国からベトナムにやってきたとされ、ターフィン村で出会った赤ザオ族は座布団のような真っ赤な頭巾を頭の上にのせているのが特徴的。このザオ族の起源として有力なのが、中国ではヤオ族と呼ばれている民族。中国雲南省の金平という町の郊外・太陽寨には、ヤオ族の一つである紅頭ヤオ族が暮らしており、形は三角ですが色はやはり赤い帽子を被っています。両民族には「女性が剃髪する」という共通の風習も残っていて、なるほど、起源は同じなのかもと思ったわけです。
そして、現在のベトナム北部地域は、約1,000年もの期間を中国に支配されていた歴史上、漢字が残されている歴史的建造物が多く見られます。北部の食文化にも中国の影響が少し残っていて、そういえば国境を越えても食事にあまり大きな変化はなかったなぁと、後になって思ったものです。
とはいえ、その国境を境として異なっていたこともあります。それは“外国人に対する意識”です。ベトナム、特にサパを中心とする地域はフランス人の避暑地として長らく外国人とのなじみがあったからか、観光客に対して物怖じすることがなく外交的。また、自分たちの伝統的な刺繍や藍染めを土産物として積極的に販売しています。
一方、中国は、ベトナムよりもやや内向的な印象。特にご年配の方は外の人間に対して抵抗があるようで、微笑みかけても真顔で応えるのみ。カメラを向けようものなら途端に奥へ隠れてしまいます。市場を訪ねた時も、目が合うと顔を横に向けたり、手のひらで顔を隠したり。ガイドによると、外交的でない一面に加え、写真については「魂も一緒に取られる」という迷信があるそう。昔の日本もそうだったよなぁとか、外国人に抵抗があるのは日本も同じだわぁとか、知らない人に写真撮られるのはそりゃ嫌だよねぇなど、皆様、色々思うところがあったようです。
そんな違いはあれど、どの村でも、女性たちがひとつひとつ丁寧に民族衣装を作り上げている姿は最も印象的でした。現代的な生活様式も徐々に取り入れられるようになった中、母から娘へ、伝統の刺繍や染め物の技術とデザインを受け継いでいるのは中国もベトナムも同じでした。これからも各民族の伝統が長く守られてほしいと思います。(江間)

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2016年2月12日 (金)

カリブ海の民、クナ族の島(パナマ)

クナ族の家族

先日「サンブラス諸島とパナマ絶景紀行」のツアーから帰国しました。

今回は、寒い日々が続く日本とは正反対の熱帯パナマの旅。
中米パナマのカリブ海側に浮かぶ、サンブラス諸島をご案内してきました。

太平洋側に位置する首都パナマシティからパナマ地峡
(南北アメリカ大陸を結ぶ一番狭い場所)を四輪駆動車で約2時間で横断し、
カリブ海へ。
(ちなみに太平洋から大西洋までの約80キロを船舶でパナマ運河を通ると最速で約9時間、最大24時間位かかります。)

カリブ海に面した小さな漁村カルディの浜から水平線を見渡すと、
沖合にはヤシの木々が生い茂った小さな島が点々と浮かんでいます。
小さなボートに乗り込んで出港です。

このサンブラス諸島は、合計360もの島々が南方コロンビアの沖合にまで連なっています。
全くの無人島から集落のある大きな島、たった一家族しか住んでいない島や
ホテルが一軒しかない島もあればヤシの木が一本しかない島など、実に個性的な島々が
集まっています。

そのうちの一つ、イスラ・ぺロ(犬の島)に上陸。
珊瑚礁の浅瀬がちょっと成長したくらいで、直径50メートルほどの小島。
暴風雨がやってきたら、全ての物が吹き飛んでしまいそうな、
何とも頼りない小島ですが、その美しさだけは抜群。

珊瑚が砕けた白い砂、完全に透き通った透明の海水。
その色は沖に向かって、エメラルドグリーンから深いコバルトブルーへと変わってゆきます。
風に揺れるヤシの木陰にゴザを敷いて一休み。
文句無しにカリブ海の美しさ、雰囲気を体感した瞬間でした。

実はこの島にたった一家族がココナツヤシの管理の為に住んでいます。
しかもカリブ海地域では珍しく、サンブラス諸島の先住民はモンゴロイド系統の民族なのです。
先住民クナ族は丸木船で小島を行き交っており、
集落がある人口250人ほどの島にも上陸しました。

クナ族の男は漁に出て、女性達はモラという独特の刺繍を売って生活をしています。
刺繍デザインはじっくりと眺めると実にユニーク。
魚や鳥、植物などの自然をモチーフにしているのですが、
そのエキゾチックなデザインはマヤ遺跡のレリーフを思わせ、
その鮮やかな色彩はアンデスの織物を思い出させます。
顔立ちもカリブ海で良く見られるアフリカ系の混血ではなく、
明らかに南米アンデス山中の先住民や中米マヤ系統の、モンゴロイド人種である事がわかります。
中南米のモンゴロイド系の先住民は殆どが山中や密林ジャングルに住んでいるので、
カリブ海沿岸地域に住んでいるモンゴロイド系の先住民は、何だか不思議な感じがしました。

カリブ海の島々は街中に音楽が溢れ、絶えず賑やかな雰囲気の島々が殆どですが、
ここは波の音すら聞こえてきません。
これも大人しく、穏やかなモンゴロイドの特徴なのでしょうか。
人々の表情も穏やかで、日々幸せな生活を送っているのが感じられます。

このサンブラスの島々に滞在した僅かな時間は、
自然の音の記憶がありませんでした。
島の静けさとクナ族の穏やかな表情。
同じモンゴロイドである日本人との小さなつながりを感じました。
(上田)

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2015年3月31日 (火)

「大地の芸術品」!元陽に残るハニ棚田(ユーラシア旅行社で行く少数民族ツアー!)

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先日、ユーラシア旅行社の「雲南・北部ベトナム少数民族街道10日間」のツアーより帰国しました。

中国には55(ベトナムでは54)の民族がいると言われていますが、その中でも少数民族と言われる人々は7~8%で、主に山岳地域で生活をしています。彼らは、伝統的な民族衣装をまとい、昔ながらの生活を営んでいます。今回のツアーでは、そんな彼らの生活や文化に触れながら、各地を回っていきました。

その中でも今回は、雲南省南部に住むハニ族についてご紹介したいと思います。

ハニ族は、何事にも地道に取り組む気質と言われており、そんな彼らを象徴するものが、2013年に世界遺産に登録された元陽の棚田です。ハニ族が代々作り上げてきた大規模な棚田は、「この世の奇跡」と称えられており、谷の底から海抜2000メートルの山の上まで、美しい段を描きながら繋がっています。なかには、その段数が5000段にも達するものもあるのだとか。標高差のある山肌に彼らが住み始めたのは、今から1300年前。ここに時間をかけてコツコツと作られてきた棚田は、まさに大地の芸術品です。

今回は元陽の街に宿泊し、夕日と朝日の時間に棚田を訪れました。もともと降雨量が多い地域で、年間300日は雨と言われている中、皆様の願いが通じたのか何ともラッキーなことに、綺麗な夕日と朝日をどちらも観賞することが出来ました。

日中に見るだけでも圧巻なのですが、朝焼けや夕映えにきらめく棚田は、光の当たり具合によって、様々な色に輝きます。また一番美しかったのは、時間によって動きながら変化をしていく朝もやが棚田上に浮かぶ光景。緩やかな曲線を描きながら幾重にも重なる棚田に心奪われながら過ごしたひと時でした。

ちなみに、この元陽の「ハニ棚田」は、中国で45番目に世界遺産に登録され、中国で初めて民族名で名付けられました。山岳地で細々ながらも伝統を立派に継承し守り抜いてきた民族の功績が、いま世界のカメラマンたちを虜にしているのです。(飯野)

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2015年3月18日 (水)

2000年もの時をかけて造られ、守られているフィリピン、ルソン島北部の棚田

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先日、ユーラシア旅行社の「麗しのフィリピン大周遊 10日間」の添乗より帰国致しました。フィリピンは大小7000以上もの島々から成る国です。訪れる島によって、その個性や目的も変わってきます。今回は首都マニラがあるルソン島、ボホール島、セブ島を訪れ、それぞれの魅力を体感しました。

フィリピンというと、どのようなイメージをお持ちでしょうか。透明な海が印象的なリゾート、珍しい動物や自然のある島、山岳地帯の棚田、スペイン時代の街並み、太平洋戦争の傷跡。今年は戦後70年。最近、フィリピンのレイテ島沖の海底から、戦艦武蔵とみられる船体が発見されたというニュースもありましたね。少し想像しただけでも、実に様々な面が浮かんできます。書ききれない程の中で、今回は世界遺産にも登録されているバナウェの棚田をご紹介したいと思います。

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ルソン島北部に連なるコルディレラ山脈。あぜ道の総延長は地球の半周にも相当する距離といわれる棚田群は1000m以上もの山々の急な斜面を利用し、山岳民族イフガオ族により2000年もの歳月をかけて築き上げられたといいます。山脈のほぼ中央に位置するのが今回2連泊をしたバナウェです。ルソン島の山岳民族イゴロット族(ハンギングコフィンという独特の埋葬習慣などの伝統文化を残す)の村サガダやボントック訪問後、向かったバナウェ。だんだんと雲が増えてきたかと思うと途中の峠では霧に包まれて真っ白!心配しながらバスを走らせバナウェを見下ろすビューポイントに到着。先ほどまでの霧もなく、眼下に広がる棚田を見渡すことができました。山に囲まれている為、天気が変わり易い地域。なかなかラッキーでした。

翌日は、朝方は雨でしたが、徐々に回復。ジープニー2台に分乗して出発!ジープニーとはフィリピンでは一般的な交通手段である乗り合いバスのこと。第二次大戦後、米軍が置いて行ったジープを改造したのが始まりとか。現在は、日本車のエンジンを利用し車体を改造したこの乗り合いバスが至る所で走っています。狭い山道もガンガン進んでいきます。目的地のバンガアン村に到着。100人程が暮らしている集落に向って棚田のあぜ道を下って行きます。細いあぜ道はコンクリートで舗装されているので歩き易いのですが、景色に見とれて写真を撮っていると田んぼに落っこちそうになるので注意が必要です!田んぼの水に空と雲が映り、雲が動くたび、日が差し込んで、田んぼはまるで、キャンバス。刻々と移り変わる色は自然が創り出す絵画のような美しさでした。涼しかった朝に比べ、村に着く頃にはすっかり暑くなり、往復でよい運動になりました。

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昼食後、午後は再びジープニーで山越え、谷越え棚田を求めて走ります。天気も良くなってきた為、バナウェから約1時間程移動しハパオ村へ行ってみました。ハパオ村の棚田も世界遺産に登録されているコルディレラ棚田群の一つです。バナウェやバンガアンに比べると高低差というよりは、横に広がりがあります。棚田の途中に集落があり、赤い服を来たとても高齢と思われる女性が腰を曲げて下から上がって来るのが見えました。見入ってしまう程、その足取りが力強かったのが印象的です。

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短い滞在ではありましたが、いくつかの村を訪ねることができ、村や棚田の風景を満喫しました。棚田は世界危機遺産にも登録されています。これ程の規模で各地に広がる棚田を維持していくのは本当に大変な仕事です。イフガオの人々の功労を称え、この美しい棚田の景観が守られることと、共に彼らの生活もより良くなることを願いこの地を後にしました。

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2014年8月13日 (水)

浮島に暮らすチチカカ湖の人々(ユーラシア旅行社で行くペルーツアー)

先日、ユーラシア旅行社の「ペルー、マチュピチュ・ナスカ・チチカカ湖と聖なる谷 10日間」より帰国しました。
ペルーの有名な観光地ばかりを巡るツアーですが、そのうちのチチカカ湖はボリビアとの国境付近に位置するため、少々アクセスの不便な所にある観光地というイメージがあるかもしれません。
マチュピチュもチチカカ湖も両方訪れるならば、マチュピチュから一旦クスコへ戻り、そしてクスコから陸路で約390kmを走ってチチカカ湖へ向かうことになります。
長い移動ではありますが、道中には小さいながらも魅力的な町々や名所が点在しています。
巨大な丸いパンが名物の町、クイ料理の店が並ぶ町、屋根瓦の素焼き工房、インカ時代の関所、標高4335mのララヤ峠等です。
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そうして辿り着くチチカカ湖は、標高3800mに位置し、琵琶湖の約12倍もの大きさを誇り、ペルーとボリビアの2ヶ国にまたがって広がっています。
ペルー側のプーノという町の周辺には、トトラ葦で作られた浮島が約60もあり、今でもそこで生活をしている人々が大勢います。
プーノからボートに乗り、湖上の運河をおよそ30分も走ると、そのトトラ葦の浮島の数々がいくつも視界に飛び込んでくるようになります。
メインの島には住人にとって必要な機関が揃っています。
小学校(中学校以降は本土の学校へ通うようになります)、クリニック、銀行、ホテル、レストラン等。
そしてその周りに住居用の島々があり、この島々を総称して「ウロス島」と呼んでいます。
そのうちの1ヶ所に上陸すると、チチカカ湖に住むアイマラ族の言葉で、「カミサラキ?」(元気ですか?)と言われながら歓迎してくれ、同じくアイマラ語を使って「ワリキ!」(元気です)とこちらも返事をします。
島に足を踏み入れると、ズブッと少し葦にめり込む、不思議な感覚を味わいます。
トトラ葦の島の上には中央に広場のようなスペースがあり、その広場を囲むようにして、トトラ葦で作った家が4~5軒建っています。
広場にあるトトラベンチに腰かけて、チチカカ湖の全容や、いかにして浮島が造られるのかを、島の人々が作ったミニチュアを用いて教えてもらいます。
島は一度作ってしまえば、20年はもつのだそうです。
ただ、浮島が流されてしまわないように湖底に杭を打ち込んでロープでしっかりと繋いだり、トトラを何重にも交互に積み重ねたり、その苦労は計り知れないものです。
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プーノ周辺は、チチカカ湖の中でも水深が浅いので、こうした作業が比較的容易な場所だと、昔の人々が発見したのでしょう。
主食になる食べ物は湖に生息する魚や鳥を獲って調理します。
そして住居内も見せてもらえるのですが、トトラ葦で隙間なく頑丈に作られており、中には厚手の織物や毛布が沢山積まれているので、夜でも暖かく過ごせそうです。
トトラボートはとても可愛らしい形をしていて、これもトトラ葦だけで作られているのですが、2階デッキに上がってもビクともしない頑丈さです。
団体客を乗せて、手漕ぎで進むので、目的地に辿り着くまではかなりの時間を要しますが、のんびりとチチカカ湖遊覧を楽しみました。(飯岡)

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2013年7月 5日 (金)

大コーカサス山脈の懐、スワネティ地方を訪ねて

Photo_2先日、「大コーカサス山脈の懐スワネティ地方とコーカサス三国物語 16日間」より帰国致しました。コーカサス山脈に抱かれた、アゼルバイジャン、グルジア、アルメニアの三ヵ国をバスで大横断。
車窓からの4000mを超える山々は、季節ごとに顔を変え、何度行っても見入ってしまいますが、この時期は格別です。
ポピーやデイジーなどの野花が咲き乱れ、野原を美しく彩ります。5
首都は他のヨーロッパ都市と変わらず、お店が立ち並び、多くの人や車が行き交いますが、少し郊外に出ると、牛やヤギ、豚が草を食むのどかな風景。
のんびりした田舎町では、車の通る道路でもお構いなし。道路の真ん中でぐっすりお昼寝中の牛にクラクションを鳴らしながら、バスは、大コーカサス山脈の懐スワネティ地方へ。
 
 

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