北極点到達を最初に果たしたのはだれ?PART③
ピアリーが大所帯で北極へ向かいましたが、途中でどんどん隊員と犬を戻すという方式を採りました。
北極へ向かうには自分たちの防寒服にテント、犬の分も含めた日数分の食料が必要でした。往復を考えれば膨大な量です。最初の大所帯は幾つかのポイントを通過するごとに犬ぞりでグリーンランドへ(もしくはカナダへ)戻れば、食料やこまごましたものは進むにしたがって軽くなり、スピードも速くなる、というわけです。
グリーンランドから、ピアリーはこの方式で順調に進んでおりました。
さてさて一方で、こういう話がありました。
ピアリーが船上から北へ向かいグリーンランドへ到達したとき(だったと思います)、とある捕鯨船の会社経営者(名前を失念してしまった)が、帰路のためにピアリーの船に同乗を希望したわけです。
このときにこの人が、なんとクックと北極圏で出会い、彼が北極点へ到達したと聞き、さらにその資料の一部を預かったのだといったのです。
ピアリーは、彼に、船に乗りたくばクックの資料をおいていくように求め、それらは雪下に埋められてしまったのだとか。
さて、北極点まで残り250km.のあたりでアメリカ人は3人でした。
ピアリー、黒人の召使ヘンソン、ルーズベルト号の船長(北極点までの方向を正確に図ることの出来た人)です。
この時点で、ピアリーは船長を帰すわけですね。
そして・・・この5日後、彼は北極点へ到達したと報告し、写真撮影を行ったのです。
さてここで、問題が生まれます。
なぜ、彼は船長を帰して、北極点へ最短の道を取れたのか?
大きな疑問が生まれました。
そして、彼が帰国したときに、少し早めに帰国したクックが、一年前に北極点へ到達したのだといい、熱烈な歓迎を受けていたのです。
ピアリーの苛立ちは頂点に達したことでしょう。
さて、ここからが北極点到達論争の始まりになるのです。
というわけで続きます。
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