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2010年11月29日 (月)

北極点到達を最初に果たしたのはだれ?PART④

二日ほど空いてしまいましたが、続きです。

北極点へ到達したのは

ピアリーか?クックか?

アメリカ合衆国ではこの論争が一大センセーショナルを巻き起こしました。
最初、クックは、ピアリーの出資者でもあった「クックの到達は嘘だ」と新聞社に書き立てられても、民衆が彼の見方だったので、左程ダメージを受けませんでした。
しかしながら、ピアリーの買収工作によって、彼が過去に初登頂に成功したと伝えていたマッキンリー山が、実はクックは登頂できていなかったと、山岳ガイドから改めてもたらされ、クックに同行していたグリーンランドのイヌイット達の証言「我々は常に陸に沿って歩いていた」の二つがクックを確実に追い詰め、さらに新聞等での「クックは北極点に到達していない」報道のため、民衆からもやがてそっぽを向かれ、クックの「北極点到達」はなかったものとされてしまったのでした。

当時、探検家は未知なる場所へ赴き、戻ってきたとき「私は****へ行った」といえばそれは証明するものが何もない以上、「信じる」ことが当然のルールでした。
にもかかわらず、ピアリーはクックの「言葉」は「信じてはならない」と公然とメディアを使って宣伝したわけです。

これによってピアリーは「人類初、北極点へ到達した人物」となりました。

世界史にも残る、ピアリーの輝かしい功績。

しかし、これも大いに疑問が残るのです。

方向も定かでない氷の世界で(しかも氷は動いている)250km.の距離を5日間では知れたのか?
なぜピアリーは一番方向のわかる船長を帰したのか。

船長を帰したのは名誉を奪われないためともいわれています。
我の強いピアリーのこと、己1人の功績にしたかったのだろうと。

ピアリーの撮影した写真の日の光の位置から北極点かどうか調べようとしたそうです。
これは写真が保存状態が良くなく、結果は微妙です(限りなく黒に近い)

近年では、ピアリーの手記の到達日ページが白紙であることから「到達していない」との意見もあります。
実際、彼の手記や記録、写真の状況から全てを総合すると、「ピアリーは北極点手前(北緯89度57分)までしかいけなかったのだ」と考えられます。
残念ながらクックもそうであった(北極点より100キロメートル手前)であろうといわれます


二人はなぜ嘘をついたのか?実際、今の検証が正しいのか?本当に到達していないのか?
私は、クックは悔しさもあったのではないかと思います。潤沢な資金を使えるピアリーに対して、探検家としては自分が上だと伝えたかったのかもしれません。


ピアリーはひょっとしたら、そこが北極点だと本当に確信があったのかもしれません。足の指を8本なくしてまで魅せられた北極。彼は自分の最後の感覚を信じ、手柄も名誉も全て自分のものにするために自分自身にかけたのかもしれません。

それにもかかわらず。これ以上進めば死んでしまうかも、と思ったとき、戻るためのぎりぎりの力が残っている間に「北極点」を求めたのかもしれません。

人類最後の秘境への到達…この甘い誘惑に満ちた夢は強い毒をもっていたのでしょうか。
ピアリーもクックも、この毒に犯されてしまったのでしょうか。


今は、1969年、英国のウォリー ハーバードが北極点へ到達したのが「初の公式認定」といわれています。

「何もない」北極点。
しかし、そこに到達するための大変さが刻み込まれた深い歴史を知れば、北極点がどんな場所か訪れたいとおもいませんか。
何もないからこそ、探検家達を魅了し続けた、まさに地球の頂点に相応しい北極点。

皆様も「浪漫」を感じませんか?

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