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2010年12月

2010年12月30日 (木)

ユーラシア旅行社25周年特別企画クルーズ

Msc_armonia いよいよ2010年も残すところあと1日。
お年賀状を出したり、大掃除をしたりする一方、歳末セールにいったりみんなで騒いだり、年末年始はなんとなく世間の空気がざわついた感じになります。

このざわめきに溶け込まないと、なんとなくさびしいような…。
2010年はどんな年でしたか?
私はこのブログをスタートさせた年でして、いろいろ反省点も多い年でした。
2011年も続けていく予定ですので、どうぞよろしくお願いいたします。

さてさて、ユーラシア旅行社は本日が営業最終日です。
年明けは1月4日より通常営業となります。・・・と終わらせる前にですね、

今年最後のブログとして、ご案内したいニュースがございます。

じゃじゃーん ユーラシア旅行社25周年謝恩特別企画!
「MSCアルモニアで行く 煌きのアドリア海・エーゲ海クルーズ 11日間」 25万円!
お部屋は海側窓付きです。

通常のギリシャツアーやイタリアツアーではなかなか立ち寄らない、島や街に行くのが魅力のコースです。

特にお勧めはエーゲ海のケファロニア島。

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2010年12月24日 (金)

クルーズ頑張ろうの会

本日はクリスマスイブです。

皆様は今頃、何をされているでしょうか。
私は、大学時代はよく、先生に誘われて教会に行ったものです。
ミサのときに何時になく通る声でお話をする先生(神父様)を眺めながら馴れない賛美歌を歌ったものです。

その後の食事会で、おなか一杯ケーキを食べていました…。

さて、先日、クルーズ会社や旅行会社社員で集まって忘年会みたいなことをはじめてしまして、来年こそ、みんなで頑張ろう!とクリスマスプレゼント抽選会を行いました。

私はなんと、スターバックスのコーヒー券を頂きました。わーい。
日本のクルーズ人口は18万といわれています。来年はせめて30万にしたい!と我々は小さな野望を持っています。

皆様もぜひ一度乗船して、私どもが愛する船の魅力を分かち合いましょう。

本日は金曜日。
明日は空港業務なので、本日はささやかにケーキを食べながら、近所の友人とクリスマスソングでも歌うことにしようかなと思います。

せっかくなのでユーラシア旅行社から
クリスマスカードをプレゼントいたします。
よろしかったらこちらをご覧くださいね。

ユーラシアからのクリスマスカード

メリークリスマス~

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2010年12月22日 (水)

新聞と旅行~歴史のうねりで発展した意外なもの?~

今の世界に広がる大きな郵便網の基礎を築いたのはタクシス家です。
19世紀、儲けのあるこの事業を、いろいろな世界情勢の変化もあって(プロイセンがオーストリアをのけてドイツを統一したり、植民地主義などで人々の動きがグローバルになったり)タクシス家は帝国に委託されていた郵便事業を国に買い取られることになります。

彼らはそのお金を元に手広く事業を行い、タクシスの名前の信頼もあったのでしょうか、タクシス家はあっという間に大富豪となったのです。

今、タクシス家は1990年くらいに当主が亡くなると、彼と奥様の年の差は34歳!だったそうですが、後を継いだ息子は当時6-8歳くらいでした。
いま、このかたは立派な青年となられて、お母様とも仲良しだそうですが、一生働かなくてもいいくらいの財産があるそうです!

う・うらやましい。。。

さてさて、そんな感じですが、タクシス家の郵便事業整備で忘れてはいけないものが一つ。

私達が毎日読むもの・・・・
そう。
新聞の発展です。

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2010年12月18日 (土)

はがきと旅行~歴史のうねりで発展した意外なもの?~

Ransarote郵便制度は、最初、今のドイツ、つまり神聖ローマ帝国と選帝侯の領内、ハプスブルク家が領有していたイタリアとスペイン、ネーデルラントから発展しました。

それ以前、つまり中世ですね。郵便制度はなく、飛脚制度がありました。

この頃、旅をする人はあまりいませんでした。
修道士、巡礼者、都市部の大学へ行く学生、芸人といった、何らかの「目的」があって動く人意外は一生を、自分の生まれた農村で過ごすのが普通でした。

しかし、まったくの交流がないわけではありません。
王様が変わったり、支配者が変わったり、遠いところのニュースは、季節の変わり目にくる芸人たちの風刺劇で知ったり、裕福な家の息子が都市部の大学の飛脚制度を使い、実家へお金や物資の催促をしたり、修道院では院長やそれに近い地位の方が亡くなると、1-2年かけていろんな修道院をめぐってお悔やみをもらったりしていたそうです。

そういうときに、ついでに伝言や手紙配達を受けたりしていたのです。

特に大学の飛脚制度が発達していたフランスでは、郵便制度の発達が少し遅れたといわれています。

何はともあれ、権力者主体の郵便制度は近代、支配に欠かせない「情報」のやり取りのために発展していきました。

この郵便制度を皇帝から「委託」され、確立、発展、独占していたのがタクシス家でした。

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2010年12月15日 (水)

パナマ運河~大陸を切り裂き大海を繋いだ運河~from ユーラシアニュース特集より

Panama2_jpg 1月号のユーラシアニュースはお手元に届きましたか?
今回の特集はとってもとっても私にはうれしいものです。なぜって?

テーマが「出航」だからです。
まさに船!ですよ。クルーズですよ。ユーラシアも船旅を扱っているのね~と多くのお客様に再認識していただけたらうれしいです。

というわけで、その特集に記載した記事ですが、せっかくなのでこちらにも入れてみました。特集記事は私が書いたものですが、まったく同じではいけませんので少し手が入っております。

アメリカ大陸は昔一つだったのをご存知ですか?

19-20世紀初頭、世界の移動は大型船が主流だった頃、ヨーロッパからアジアへ向かうには南北アメリカ大陸をぐるりと回らなければなりませんでした。
このため、アジアはヨーロッパにとってとても遠いところでした。
地中海からスエズ運河を通過していくコースでインドへ行くのはともかく、中国などへはさらにインドを回り込まねばならず、ましてや日本なんて…とっても遠かったのです。

それで、アメリカ大陸から行くコースを取ってみましたが、回り込むのは大変な上、ドレイク海峡はすさまじい荒れ具合になったりするものですから、船乗りにとっては大変でした。

Panamajpg そんなときに、南北アメリカ大陸をつなぐ細いラインに運河を作ったら…という当時としては夢のようなすばらしい企画が持ち上がったわけです。そんなこんなでパナマ運河の建設が始まりました。


19世紀末にスエズ運河設計で有名なレセップスがフランス主導の下の運河建設を断念し、いろいろな経緯のなかでコロンビアからパナマ共和国が独立し、結局アメリカ主導で造られたパナマ運河は、船旅の移動日数をあっという間に短縮させました。

この工事には、明治時代であったにもかかわらず、日本人技師が1人参加していました。

さらに今でも船を牽引する電気機関車は日本の東洋電機製造製だといいますから、パナマ運河は日本と割りと深い関わりがあると思いませんか?

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2010年12月13日 (月)

ユーラシア旅行社の実態?

Radianceship きになります?

気になりますよね~。
つまりこれです!旅のお楽しみランキングです。
http://www.eurasia.co.jp/ranking/2010_12/enquete/index.html

ユーラシア旅行社ではメ-ルマガジンがあります。。それでアンケートを行っているのですが、今回のテーマは栄えある「船の旅」でした!

お客様の結果は1番が世界一周、2番が地中海クルーズ、3番が南極クルーズでした。
結果を見て皆様の「南極」への熱い思いがそこはかとなく伝わってまいりました。
南極って本当に素敵ですよ。

「氷とペンギン」しかいないんでしょといわれるときもありますけど、違います!
アザラシもクジラもアホウドリもいます。
とと、脱線をしてはいけませんね。

あと、ユーラシア旅行社のお客様は割と船の乗船経験をお持ちの方が意外?に多いと思いました。

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2010年12月10日 (金)

郵便と旅行~歴史のうねりで発展した意外なもの?~

 Gudanisk_hanza 最初に郵便制度が作られたのはヨーロッパが近代に向かっていく中で、「情報」を手に入れる「スピード」が重要視されたからだそうです。

相手より早く情報を手に入れれば、戦略が変わります。
情報を速く速く手に入れないといけない。そしてそれを可能にするために、馬が走れる限り走り、郵便配達人は宿舎で記録をつけて、新しい馬に乗ってかけて行ったのです。

このときに陸路のほうが目的地までの最短距離、つまりより直線に近い線で結べる、と考えられたそうです。

戦争が一段落すると、この郵便網が今度はイタリアとネーデルランド、もしくは北部のハンザ同盟などのヨーロッパの海に面した経済圏を内陸からより迅速に繋がることになったそうです。(写真はハンザ同盟都市、グダニスク/ポーランド)

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2010年12月 7日 (火)

郵便のこと~歴史のうねりで発展した意外?なもの~

皆様、海外旅行に行ったら、思い出に何をしますか?
地図を買ったり、お人形を集めたり、とっておきの写真をとったり…。

いろいろありますが、私は絵葉書を出すのが好きです。
郵便制度のおかげで、海外から葉書を出しても、結構な割合で自宅に届くようになりました。(時には届かないこともあります、残念ですが)

ではでは、この郵便制度、どうして発展したかご存知ですか?
実は、あのヨーロッパのハプスブルク家の発展と大きくかかわっている模様です。

ハプスブルクって実は近代ヨーロッパを君臨した王家中の王家という感じですが、元々の祖先はスイスのさして力もない貴族でした。

12-3世紀、今のドイツあたりは領邦国家という、都市国家が沢山あって、その都市の間の土地や街々を神聖ローマ帝国の皇帝が支配するという、ちょっと複雑な事情でした。
この皇帝はしかも選挙で選ぼうというものだったのですが、一応皇帝です。即位すれば世襲でないにもかかわらず、大きな力を持ちます。しかしながら領邦国家の「主権」を侵すことが出来ない、残念ながらやや力の弱い皇帝でした。

しかしながら皇帝は皇帝。領邦国家にはない既得権益が沢山ある、魅力的な部分も多かったのです。
そのため、いろいろな争いや利害関係で一時期皇帝のいない大空位時代というものが生まれました。

長い期間を経た結果、近隣で一番力のない、各諸侯が御しやすいであろうと思われたハプスブルク家のルドルフが即位することになったのです。紆余曲折ありましたが、世襲でなかったはずの神聖ローマ帝国皇帝位は、いつの間にかハプスブルク家の世襲になってしまったりと、ハプスブルクはあれよあれよと力を付けていったわけです。

そうしてハプスブルクは結婚や戦争、外交によって大きく発展し「日の沈まぬ帝国」を築くわけです。
まさに時代がハプスブルク1色になりそうなときに、郵便制度が生まれたのだそうです。

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2010年12月 1日 (水)

【共通テーマデー】もしも私が海外の町に住むとしたら・・・

Ist断然、東京です。

まぁ・・・私は日本人なので、海外というテーマから外れますから、仕方ありません。
2番目に住みたい、秘蔵の街をご紹介します。

ずばり。
イスタンブールです。

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