郵便と旅行~歴史のうねりで発展した意外なもの?~
最初に郵便制度が作られたのはヨーロッパが近代に向かっていく中で、「情報」を手に入れる「スピード」が重要視されたからだそうです。
相手より早く情報を手に入れれば、戦略が変わります。
情報を速く速く手に入れないといけない。そしてそれを可能にするために、馬が走れる限り走り、郵便配達人は宿舎で記録をつけて、新しい馬に乗ってかけて行ったのです。
このときに陸路のほうが目的地までの最短距離、つまりより直線に近い線で結べる、と考えられたそうです。
戦争が一段落すると、この郵便網が今度はイタリアとネーデルランド、もしくは北部のハンザ同盟などのヨーロッパの海に面した経済圏を内陸からより迅速に繋がることになったそうです。(写真はハンザ同盟都市、グダニスク/ポーランド)
ヨーロッパではそれぞれの経済圏が独自に発達してしたのですが、海を回っての物資を運ぶだけでなく、河川も重要な移動手段でしたので、内陸部にも物資が運ばれ情報が行くサテライト的な都市がありました。(写真はドナウ川。河川を中心に街が栄えた)
人々の動きがゆっくりであったときにはそうした街は栄えていましたが、郵便網が発達し、そこを移動する人々が増え、彼らが速く次の都市へ行ける様になると、こうした街のいくつかは寂れていったこともあったそうです。
郵便網はやがて人々が移動する道となり、郵便用の定期馬車に人が一緒に乗る「乗り合い馬車」が生まれたのだそうです。
郵便が旅行業の母体だったのです。(巡礼ももちろんそうですが)
さらに、定期郵便が生まれると、人々の生活に時間観念が生まれたそうです。たとえば水曜日に情報が来る(定期便)となると、そこまでに今ある商談を片付けて、とかそのために金曜日にパーティをひらいてとか、まぁそういう感じでしょうか。
この郵便網が花開いた16世紀から17世紀に掛けて、とても精巧なゼンマイ仕掛けの時計も生まれました。
そして18世紀、人々の間では手紙が大ブームでした。2週間に一度は手紙のやり取りをしないといけなかったのです。まぁ。。今の携帯電話のメールみたいなものでしょうか。
しかも!このときは受け取り側が郵便配達人にお金を払わないといけなかったんですって。
これはびっくりです。
しかしながら、当時の人は、お金を払ってしまっていたら、郵便を受け取る人が郵便を受け取る経済力がないと見下している、失礼な行為とみなされていたようです。
(ちなみに王様や皇帝が使用していた郵便は当然ながら公的なものなので無料でした)
やがて、郵便網と旅行は別れていきます。これはまた続きを書きますね。
| 固定リンク
「つれづれ」カテゴリの記事
- 【共通テーマデー】 ~一度は行ってみたい世界の絶景~(ユーラシア旅行社で行くクルーズツアー)(2014.04.01)
- 【共通テーマ】【共通テーマデー】緑が美しい季節 ~アマゾン源流リバークルーズ~(ユーラシア旅行社で行くクルーズツアー)(2014.03.04)
- ソチオリンピックと船の意外な関係(2014.02.06)
- 共通テーマ~春の訪れを感じる風景~(2014.02.04)
- 新年のご挨拶(2014.01.01)
「海と都」カテゴリの記事
- ソチオリンピックと船の意外な関係(2014.02.06)
- 女王の魅力 QE2 ツアーリポート(2013.11.22)
- 【共通テーマデー】私の好きな小村~イア~ (ユーラシア旅行社で行くギリシャツアー)(2013.11.01)
- 共通テーマ この夏行きたい世界遺産 夏は水の都で(2013.07.02)
- 【共通テーマデー】わたしの中のヒロイン~ジョセフィーヌ・ドゥ・ボアルネ~(2011.08.01)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント